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日光聖書セミナーに参加して② 手束正昭氏の思想と神学

○つれづれ日誌(7月21日)-日光聖書セミナーに参加して(2) 手束正昭氏の思想と神学


ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得るためである。律法の下にある人には、律法の下にある者のようになった。律法の下にある人を得るためである。律法のない人には、律法のない人のようになった。律法のない人を得るためである。弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである(1コリント9.20~22)


前回、「聖書と日本フォーラム」主催した日光セミナーの全体の流れを概観しましたので、今回はポイントを絞って、講師の一人である手束正昭牧師の講義内容を中心に、手束氏のキリスト教信仰と神学思想を見ていくことにいたします。


【手束正昭の概略】

前回述べましたように、手束 正昭氏(1944年~)は、1960年に日本基督教団甲東教会にて受洗され、関西学院大学神学部修士課程を卒業して牧師になり、現在高砂教会長老牧師であり、また神学者であります。29歳で田舎の高砂教会に赴任し、紆余曲折はあったものの、教勢を大きく成長させることに成功しました。


手束氏は、学生時代に牧師になる決断をしますが、牧師になるということは、一生貧乏暮らしを覚悟しなければならないこと、そしてこの世の栄達を捨てなければならないことを意味し、神学部の同級生でまともに牧師になったのは自分だけだったと述懐されました。


更に「日本民族総福音化運動協議会」の総裁、「日本を愛するキリスト者の会」の副総裁、日本のカリスマ運動の指導者でもあります。


一方、ネストリウス派の研究者であり、ネストリウス派を「初期のカリスマ聖霊運動」だと位置付けました。


著書『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』には、大東亜戦争は本当に侵略戦争だったのか」と題する一章があり、大東亜戦争(太平洋戦争)の日本悪玉論はGHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(自虐史観)による洗脳であるとし、また、南京事件の数字にも疑義を呈しています。


つまり大東亜戦争は、欧米の支配からアジアを解放するという目的を持った自存自衛の戦いであると共に、中国による華夷秩序の形成を阻止し、アジアに自由互恵の新秩序を打ち立んとした戦いだったと主張しました。(『日本宣教の突破口』P293)


ただし戦争とは「敗戦した側が悪い」という原則が存在しているとの現実的な見方も持っています。


著書には、ベストセラーになった『キリスト教の第三の波―カリスマ運動とは何か』、歴史認識を示した『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』、自叙伝である『恩寵燦々- 聖霊論的自叙伝』など多数あります。


とかく世の自叙伝が「自画自讃」の自己アピールに終始し、また「説教調」の傾向があり、読んでいて不快感を感じることが多々ある中にあって、この自叙伝『恩寵燦々』は、そのような偏りや違和感が全く感じられない貴重なものであります。


手束氏本人も「私の人生に起こった神の恩寵の素晴らしさを証したい」と著作の動機を語りました。自叙伝はあくまで神を証すもので自分を証すものであってはならないとの精神に貫かれており、そこでは神の恩寵を語り、またルターが「信仰体験は神学を伴う」と言ったように、自らの人生体験を信仰的、神学的レベルに引き上げて普遍性あるものに仕上げています。


そしてこの本を貫くテーマについて、手束氏は次のように語りました。


「試練というものはない。あるのは試練をまとった恩寵だけである」


自らの人生が挫折と失敗の連続だったと告白し、しかしその挫折と失敗の度に神の恩寵と出会ったとも述懐されました。当に自叙伝というより、一種の神学本と言うべきもので、筆者も一読して多いに啓発されたものです。


【講演の骨子-文脈化(土着化)宣教】

さて手束氏は、当該セミナーにおいて、テーマとして「日本文化の文脈化による宣教」、副題には「高砂教会の宣教と一つ物神事」と題して講演をされました。


<文脈化とは>

文脈化(contextualization)とはキリスト教の宣教用語で、それぞれの宣教国の歴史・文化・宗教をよく理解し、その国の文化・伝統に寄り添いながら受容され福音化していくという宣教の在り方であり、土着化( indigenization) 、ないしは文化適用とも言われています。


日本は「宣教師の墓場」と言われて久しく、日本におけるキリスト教布教は、人口比で1~2%を越えることのない細々としたものでした。先進主要国家で、唯一宣教に失敗した国と言われています。


果たして、遠藤周作が『沈黙』の中で言ったように、日本はキリスト教にとって「底知れぬ泥沼」の不毛の地であるのでしょうか。


この問に対して手束氏は、「日本は非キリスト教的キリスト教国」、即ち潜在的キリスト教国であると言われました。日本は神がこよなく愛された地であり、日本人のDNAにはキリスト教信仰への憧憬がある、即ちその深層には、既にキリスト信仰が横たわっていると述べられました。(『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』P426~433)


即ち、『隠された十字架の国・日本』(ケニー・ジョセフ)の通り、そのヴェールをはがし、「非キリスト教的キリスト教国」日本の発掘によって、日本宣教の大きな可能性と希望が開けるというのです。


<ユダヤ・キリスト教と神社の結びつき>

その一つの証拠として、日本の代表的宗教である神道や神社は、ユダヤ教やキリスト教の影響を色濃く受け、そのルーツはユダヤ・キリスト教にあるとの認識を示されました。


例えば、全国に32000社を有する稲荷神社は、もともと「インリ」神社、即ち「INRI」神社であり、これは十字架上で「INRI」と書かれた「ユダヤの王ナザレのイエス」の意味であり、実はキリストを祭る神社(=古代日本の教会)であったというわけです。


また44000社ある秦氏創建に関わる八幡神社も、ヤハタの「ヤ」はヤハウエ、「ハタ」は秦氏という意味であり、由来は秦氏が奉じていた神の神社、即ち聖書の神を祭る神社であるというのです。


こうして、日本の多くの神社のルーツはユダヤ教またはキリスト教にあったと主張されました。


そして手束氏の高砂教会がある播州は、景教・原始キリスト教徒だった秦氏が上陸し住んだ地であり、高砂市では、キリストの降誕祭と考えられる「一つ物神事」が盛大に行われているというのてす。


この神事は曽根天満宮(兵庫県高砂市曽根にある天満宮)の秋祭りで、「一つ物」とはこの世に一つしかない大切なものという意味で、神の独り子、即ちイエス・キリストを意味すると言われています。つまり、この神事はイエスの誕生をお祝いする日、人間の解放の日、救いの日を象徴すると手束氏は語られました。手束氏は、この一つ物祭りの神事について、この祭りがイエスの降誕祭(クリスマス)であることのいくつかの明確な根拠を挙げられましたが、ここでは割愛いたします。


そうして手束氏は、神社を悪霊の巣として排斥するのではなく、自らはこの曽根天満宮の神事を敬意を表して見守ってきたと告白されました。


つまり、パウロがガラテヤ書で「こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました」(3.24)と語っているように、神社の神々をキリストに導く養育係と考えれば、日本の文化伝統とキリスト教は矛盾することはないというのです。


手束氏は、西洋化されたキリスト教ではなく、日本的なキリスト教、即ち日本の文化・伝統に則ったキリスト教を提唱され、パウロが冒頭の「1コリント19~22」で指摘するように、真理を提供する側の工夫と努力があれば、キリスト教と日本の文化・伝統は対立しないと主張されました。


<クリスマスの由来>

更に手束氏は、文脈化(土着化)宣教について、クリスマス行事の歴史を土着化の典型的事例として挙げられました。


カソリックの土着化の典型例として、クリスマス、ハロウィン、マリア信仰などがありますが、その内クリスマスは、元々ローマで盛んだったミトラ教の冬至のお祭りだったのをキリスト教が取り込んだものであるというのです。


イエス・キリストが降誕した日がいつにあたるのかについては、古代からキリスト教内でも様々な説があり、確定していませんが、冬の寒い時期ではないことは、様々な状況からはっきりしています。講師の一人である久保有政氏は、仮庵の祭りの頃にキリストが生まれたとし、メシアニックジュ―の間ではこれが常識になっているということです。


そして古代ローマの宗教のひとつ「ミトラ教」では12月25日は「不滅の太陽が生まれ日」とされ、「太陽神ミトラを祝う冬至の祭」でありました。冬至を境に、太陽の時間が長くなるので太陽の復活という訳です。これをキリスト教が大胆に取り込んで12月25日をクリスマスにしたと言われています


なお、キリスト教の文脈化については、HPの「聖書の知識23ーキリスト教の土着化(文脈化)について」に掲載していますので参照下さい。(→www.reiwa-revival.com/post/キリスト教の土着化)


【養子論的(聖霊論的)キリスト論-ネストリウス派の教理について】


さて、東回りに宣教されてきたキリス教はネストリウス派と言われ、中国では景教と呼ばれ、「聖書と日本フォーラム」に所属する多くのクリスチャンはこのネストリウス派のキリスト教を評価し、また手束正昭牧師はネストリウス派の研究者であります。


筆者は、日光セミナーにおいて、手束氏に次のような質問をいたしました。


「ネストリウス派は古代日本にかなり影響を与えたキリスト教ですが、そもそも何故ネストリウス派が異端として排斥されたのか、どこが正統派キリスト教(アタナシウス派)と異なるのか、所見をお聞かせ下さい。また先生が主張される養子論的(聖霊論的)キリスト論の意味、及びネストリウス派との関係についてお聞かせ下さい」


<ネストリウス派とは>

先ず、431年のエフェソス公会議において異端認定され排斥されたネストリウス派について、簡単に復習しておきます。


手束氏は、西回りのキリスト教はヘレニズム化されたキリスト教であり、むしろ東回りのキリスト教(ネストリウス派=景教)の方が本来のキリスト教に近いと言われます。


ネストリウス派はイエスの神性と人性の両性を認めますが、「位格は神格と人格の二つの位格に分離される」とし、「イエスの神性は受肉によって人性に統合された」と考えます。そのため、人性においてイエスを生んだ母マリアは単に人間の子を生んだだけなので、「神の母」と呼ぶことを否定し「キリストの母」と呼びました。


このネストリウス派はエフェソス公会議(431年)で異端とされ、以後、ペルシャ帝国、中央アジア、モンゴル、中国に伝わりました。中国では景教と呼ばれ、最澄や空海にも影響を与えたと言われています。前述しましたように、手束氏はネストリウス派を「初期のカリスマ聖霊運動」だと言われています。


<養子論的(聖霊論的)キリスト論とネストリウス派>

手束氏の「養子論的(聖霊論的)キリスト論」とは何か、そして異端の「キリスト養子論」との違いとは何かが問題になります。やや神学的で難しい話になるかもしれませんが、お付き合いのほどをお願いいたします。


キリスト養子論(Adoptionism)とは、「神は一つの位格しか持たない」とする事を強調する立場のモナルキア主義(唯一神論)の一つで、イエスが洗礼者ヨハネによる洗礼、復活、もしくは昇天の際に神の力を受けて神の子になった(adopted)とする論で、養子説・養子論とも言われています。


即ち、イエス・キリストは、はじめは単なる人間であったが聖霊によって神の子とされたとし、神が三つの位格を持つとする三位一体の教義を採択した第1コンスタンティノポリス公会議の決定を拒否したため異端とされました。


さて手束氏は、神学の本領は聖霊論にあるとするティリッヒの『組織神学第三巻』(聖霊論)を学生時代に学びました。手束氏の修士論文は「パウル・ティリッヒのキリスト論―その今日的意義」と題するティリッヒ研究の本格的なものでした。


またティリッヒの『霊のキリスト論』は使徒教父達のキリスト論に根拠を置いたものであり、護教家達から始まるロゴス・キリスト論とは一線を画する養子論的色彩の濃いものであったと述べています。


ティリッヒのキリスト論は、当に養子論的なネストリウス主義に立つものでしたが、手束氏はネストリウスの研究をした結果、むしろネストリウスの方が正しく、聖書に則しているとの結論でした。イエスは聖霊に満たされた神の人であり、「聖霊による違い」こそが決定的であるとも言われました。教会の中で異端と断罪された主張の中にも、多くの真理が含まれているというのです。


手束氏は、ネストリウス派が431年のエペソ会議で異端とされたのは、教会内からの「カリスマ的信仰へのパージ(追放)」でもあったと主張しました。そして今日のカリスマ運動は、ネストリウス主義の再興であるとし、初代教会の信仰からずれてしまった現代のキリスト教の原点復帰としての「神の革命」の働きであると明言されました。(『恩寵燦々』P201)


またネストリウス派(景教)が古代日本にやってきて、日本文化に隠然として大きな影響を与えていることは数々の史実から明らかであり、この日本の潜在的福音の痕跡を掘り起こすことこそ「日本宣教の突破口」であると強調されました。悪霊が支配する異教徒の国日本のイメージを覆すことが肝要であるというのです。


即ち、日本の宣教にとって、養子論的キリスト論に込められた「聖霊による可能性の宗教」こそ、日本の霊の壁を打ち破るもので、聖霊カリスマ運動を広げることがリバイバルの秘訣だというのです。


以上が、手束氏の講義内容であり、また養子論(聖霊論)的キリスト論とカリスマ運動の考え方であります。勿論、筆者に認識不足があったり、また上記の議論には三位一体の教理との関係で賛否両論、色々見解はあろうかと思いますが、決して順風満帆とは言えない日本の宣教の在り方に、意義深い一石を投じたことは確かです。


次回は、更に手束氏の聖霊論の原点を探り、また『キリスト教の第三の波ーカリスマ運動とは何か』を読み解いていきたいと思います。そしてこれらを筆者なりにどう位置づければいいのか、その是非について原理観を踏まえ検証したいと思います。(了)