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旧統一教会バッシングの黒幕について 質疑応答と講義骨子(セミナー)

◯つれづれ日誌(令和4年12月14日)-旧統一教会バッシングの黒幕についてー質疑応答と講義骨子(セミナー)


あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない(マタイ5.14)


この12月10日、「日本的霊性」というテーマのもと、5回シリーズで開催されてきたセミナーの最終回が行われました(於久喜市)。筆者は講師として参加し、「日本的霊性・アメリカ的霊性・聖書的霊性」という「霊性」をテーマとした最終回の講義を締めくくりました。そこで今回は、このセミナーで話した内容の骨子をまとめることにいたします。


ただその前に主宰者の希望で、昨今の旧統一教会(以後、「家庭連合」と呼ぶ)バッシングについて質疑応答の時間が欲しいということで、最初に参加者から、この問題への質問を受けることにいたしました。


【何故、ここまで叩かれるのか】


筆者はセミナーの冒頭、「そう大きくもない統一教会が、何故ここまで徹底的に叩かれるのか」、その理由について3点を挙げて持論を述べました。


第一は11月31日のつれづれ日誌でも述べましたが、ジャーナリストの福田ますみ氏が指摘された通り、この度のバッシングの背後にスパイ防止法制定など反共を掲げる家庭連合を潰そうとする「左翼という黒幕」がいることです。これを思想的に見れば、有神論と無神論の戦いということになります。


第二に、前回12月7日のつれづれ日誌で指摘した通り、現下の家庭連合叩きの思想的背景には、日本的多神教に悪影響を与える「世俗的人本主義」、即ち、神なき甘いヒューマニズムの蔓延があるという点です。つまり、「一神教と多神教の相克」です。


第三は、家庭連合を潰す目的を持つ専属の左翼弁護士集団「被害弁連」の存在です。これは、他の宗教には見られない家庭連合だけにある特別な事情と言えるでしょう。


そして上記3点の他に、筆者は、背後にある最も根本的な要因として、神の救援歴史における日本家庭連合の摂理的事情があることを指摘しました。聖書並びに原理講論は、人類歴史を「神とサタンの闘争史」、即ち、神の支配(国)と悪魔の支配(国)の相克と見ており、家庭連合という神の国への最終的摂理を担う宗教の存在を、断固認めることができない悪の霊的勢力が存在するというのです。


とりわけ日本家庭連合は、神の国への重要な鍵を握る教団であり、この安倍事件を最大限利用し、サタンとその手先(マダイ25.41)である堕天使や悪霊が

、教団を潰しにかかっているというのです。そしてこれが、激しい教団叩きの、最も本質的な理由であります。


ともあれ、今や家庭連合は未曾有の大患難に遭遇していることは確かであり、これはある意味で、全てを失って絶滅の危機に瀕した、あのユダヤ人の「バビロン捕囚」に並ぶ患難と言えるでしょう。


しかし、ユダヤ人はあの大患難を、「悔い改めと神との再結合」よって生き残り、旧約聖書を編纂し、ユダヤ教を確立して、国と神殿を再建しました。即ち、 患難の中にあって真の信仰を貫いた「イスラエルの残れる者」(イザヤ10.20~22)たちは、バビロンで、一神教・メシア思想・律法について再構築し、メシアを迎える民としての神学とアイデンティティーを成立させました。


こうしてユダヤ人の大転換は、「神と神の言葉への回帰」によってもたらされ、文字通り試練を恵みに変えたというのです。正に今回の家庭連合の患難は、「統一教会のバビロン捕囚」と言ってもよく、私たちは「イスラエルの残れる者」(レムナント)として、かのユダヤ人のように、大復活を遂げたいと思います。


「あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」(1コリント10.13)


【統一教会バッシングに関する質疑応答】


さて質疑応答ですが、やはりこの問題に関する参加者の意識は高く、3人の方から大変的を得た質問がありました。以下はそのQ&Aです。


Q①-家庭連合(旧統一教会)に関連して与野党で論議されている「被害者救済法」の問題について講師の見解をお聞かせ下さい。


A⇒家庭連合の問題を受けた被害者救済を図るための新たな法律は、12月10日、参議院本会議で賛成多数で可決・成立しました。


新たな法律では、法人などが個人を困惑させる不当な勧誘行為を禁止し、借金や自宅を売却して資金を調達するよう要求することを禁じています。また配偶者や子に養育費を取り戻せるようにし、そして適切な判断が困難な状況に陥らせないよう十分な配慮義務を課しています。


この法案に対して、家庭連合はいったんコメントを差し控えるとし、公明党の山口代表は、「宗教団体が萎縮することがないよう配慮し、健全な寄付文化を育てていくことも重要だ」と述べ、共産党の小池書記局長は、「被害者救済には不十分で、統一教会への解散命令を直ちに裁判所に請求することを政府に求める」とコメントしました。


端的に言って、この救済法は、憲法で保証された信仰の自由や財産権の侵害に抵触するだけでなく、キリスト教的な寄付文化の本質が理解できない日本的多神教の負の面が出た、正に神なき世俗的ヒューマニズムの典型的な事例であると言わざるを得ません。


生長の家は当法案について、「宗教的真理に対して国が合理性を求めることで、信教の自由を侵す危険性がある」(声明文)として反対し、作家の佐藤優氏は、昨今の風潮について「宗教的価値観を基準に生きていくことに対する蔑視や揶揄(やゆ)が強まっている。現下日本のマスメディアにおける宗教観は、旧ソ連の科学的無神論を想起させる」(産経新聞12月11日1面)と警告しています。


実は、この献金問題は、ひとり家庭連合に留まらず、創価学会や幸福の科学にも飛び火しており、もはや宗教団体全体の問題になっていく趨勢にあります。最近、創価学会元信者でタレントの長井秀和氏が創価学会の金集めの実体を暴露し、マスコミの格好のネタになりました。


ともあれこの救済法は、毒にも薬にもならないザル法であるにしても、宗教の本質を理解できない岸田政権が、世論と左翼に迎合した衆愚政治の典型であると言えるでしょう。


Q②-文科省による宗教法人法に基づく質問権の行使と、解散請求問題について、今後の見通しはどう展開するのでしょうか。


A⇒文科省による質問権の行使は、宗教法人法第78条の2に定められ、「当該宗教法人の業務又は事業の管理運営に関する事項に関し報告を求め、質問させることができる」となっています。


家庭連合は、永岡文部科学相による宗教法人法に基づく質問権の行使について、「法律上の要件を欠いており、違法だ」とする意見書を文科省に2回に渡って提出しました。


宗教法人法は、質問権の行使の要件を「法令に違反して、著しく公共の福祉を害する」行為の疑いがある場合と規定しています。岸田首相は10月18日の国会答弁で、この規定でいう「法令違反」は刑事事件を指すとの見解を示しましたが、翌日には民法の不法行為なども入りうると、一夜にして解釈を変更しました。これを受けて永岡大臣は、過去の民事訴訟で教団や信者らの不法行為責任を認めた20年以上も前の判決などを持ち出して、質問権を行使したというのです。


これに対し、家庭連合は意見書で、民法の不法行為は、質問権の行使の要件とされる法令違反には当たらないと主張し、政府の解釈変更について、「一夜にして法解釈を変更しており、法治主義の理念に著しく反する」と反論しました。


そして、家庭連合は、文科省による質問に対して、ダンボール8箱分の回答をしたということです。


文化庁は、不法行為に関する十分な情報などが集まれば、速やかに裁判所に対し解散命令の請求をしたいとしています。しかしこの問題ある質問権の行使は、世論に忖度した「解散命令請求という明確なゴール」ありきの手続きであり、解散請求事由を後付けで裏付けるための性格が多分にあります。正に魔女狩り的解散請求手続きと言えるでしょう。


ところで、宗教法人の解散命令は宗教法人法81条1項に基づく制度で、 今まで法令違反等を理由に解散を命じられた宗教法人はオウム真理教及び明覚寺の二件です。オウム真理教は殺人事件発生直後に、明覚寺は、幹部の実刑判決後に解散請求がなされましたが、いずれも刑事事件が解散事由であり、家庭連合の場合は刑事事件や有罪判決は皆無です。


従って、万一文科省によって、無理筋の解散請求がなされても、裁判所がどう判断するかは別の話であります。筆者は法律家のはしくれとして言わせて頂ければ、90%棄却されると確信しています。仮に百歩譲って一審で解散命令が出たとしても、最高裁の判断まで3年~5年はかかると思われます。


Q③-安倍元総理の犠牲を無駄にしないためにも、教会の抜本的改革が急務だと思います。教団は改革推進本部を設置して改革に取り組む姿勢を見せていますが、掛け声倒れに終わるのではないかと危惧しています。そこで抜本的改革の中身とその実行性について、講師の見解をお聞きしたい。


A⇒そうですね。確かに掛け声だけに終わっては安倍元総理にも顔向けできないし、今後も同じことが繰り返される恐れがあります。「喉元過ぎれば熱さ忘れる」との格言にもありますが、ともすれば改革は中途半端に終わってしまう傾向があります。しかし今回の改革のチャンスを逃せば、100年の時を失うことになりかねず、ここは神の声と受け止め、万難を排して何としてもやり遂げなければなりません。そのためには、明確な改革の理念と具体策が必要です。


筆者は、内的改革と外的改革の二段階の教会改革案を既に提言し、教団リーダーにも伝わっているはずだと思います。内的改革とは、霊的覚醒であり、具体的には神の言葉に基づく「正しい救済観の確立」であります。つまり、現世利益的な「お願い事」信仰だけでなく、「悔い改めと回心、新生と復活、祝福と永遠の命」という成約のみ言葉に基づく福音的な正統信仰への回帰であります。


次に外的改革ですが、今後日本家庭連合は、当然のことながら、日本の宗教法人法に乗っ取った教団運営と意思決定をしなければならないということです。株式会社が株主総会と取締役役会で当該会社の意思決定がなされるように、宗教法人は全て「責任役員会議」で決定されなければなりません。責任役員会議こそ、最終的な意思決定の機関であります。それに加えて、責任役員会を助言・監査する任意機関として、筆者は、有識者信徒による「諮問委員会」(仮称)を設けることを提言しています。


そして一方では、家庭連合世界本部、特に真の父母との意志疎通を担保するため、基本事項に関して相談・報告・承諾を義務付け、風通しをよくすることを併せて提言しました。


このような手続きを経て、日本家庭連合の自己完結的な意思決定制度の確立、即ち、人為的な教団運営ではなく、宗教法人法通りの法治主義に基づく教団運営を図ることが必須であります。創価学会も池田大作というカリスマなきあと、集団的指導体制に移行しました。


このことにより、日本家庭連合は韓国のダミーだとか、韓国教会に従属する反日団体だといった批判を回避できる波及効果をもたらし、併せて真の父母に類が及ばない歯止めになるのではないかと思料いたします。


そしてこれらの改革を実現するためには、心ある食口の支持が必要であり、多くのサポーターに支えられた草の根的な声を結集することが必須であり、この点を強調して質疑応答を終えました。かのユダヤ人がバビロン捕囚を乗り越えて、律法の確立によって再生したように、私たちも「神の言葉に回帰」することで、復活できると信じるものです。


【日本的霊性、アメリカ的霊性、聖書的霊性】


さて肝心のセミナーですが、今回は締めくくりに「霊性」について解説いたしました。即ち日本的霊性、アメリカ的霊性、聖書的霊性です。


霊性(Spirituality)とは、霊(Spirit)よりも広い概念で、「敬虔な信仰やその伝統」、「神に従って生きようとする信仰者の歩みの総体」、ないしは「基層にある宗教的精神性」を「霊性」と呼んでいます。以下、代表的霊性について解説いたします。


<日本的霊性>


「三つ子の魂百まで」という格言がありますように、人間でも宗教でも国家でも、生まれてから初期のある一定期間に刻まれた原体験が、そのものの精神性や人格をほぼ決定付けると言われています。


後述するアメリカ的霊性(市民宗教)は、アメリカ初期の植民地時代(1620年~1767年)がそれにあたり、聖書的霊性はイエス・キリストが十字架に架かり復活してから100年位の使徒たちによる原始キリスト教時代がそれに当たります。そして日本的霊性は、縄文弥生時代から古墳・飛鳥時代までの間に形成されました。


日本的霊性とは、鈴木大拙が初めて使った言葉で、筆者はこれを、「自然を崇め、先祖を尊び、和と共生を重んじ、清浄を好むという精神性」と一応定義しておきます。


即ち、古来日本人は、自然、先祖(天皇)、和を大切にし、清浄を好んできました。この精神性は、神道、仏教、儒教が源泉となり、特にその中でも古神道が日本の精神性の核をなしていると考えられます。


山本七平は、日本的霊性を、「日本人の内に無意識に染み込んでいる宗教」、即ち「日本教」と名付け、「日本人内に無意識に染み込んでいる日本教という宗教が存在し、それは血、肉となっていて日本人自身も自覚しないほどになっている。キリスト教徒も仏教徒も、実は『日本教キリスト派』『日本教仏教派』である、つまり、現住所はキリスト教、仏教でも、本籍は日本教である」と指摘しました。


この日本的霊性、即ち日本教は、多神教文化を形成しました。そしてそれ自体は純粋な精神性ですが、これが前述した世俗的ヒューマニズムと結びついた時は、曖昧で無分別な思想に陥り、逆に一神教と結びつく時は、日本を導くよき羅針盤となるでしょう。


<アメリカ的霊性>

  

次にアメリカ的霊性ですが、これは一般的に「市民宗教」と呼ばれ、また平たく「アメリカ教」と呼んでもいいと思います。


アメリカの「市民宗教」とは、宗教社会学者のロバート・ニーリー・ベラーにより名付けられた概念で、アメリカ全体を宗教的に結び付ける「見えざる国教」としてのアメリカ的霊性であり、個々の宗教とも国教とも区別されるものです。そしてこの概念は、多民族国家であるアメリカをまとめる価値体系として、アメリカのリバイバル(霊的大覚醒)によって更に深化されていきました。


そしてアメリカ市民 宗教は、「ピューリタニズム」、「聖書的選民観」、「愛国的心情」が核となり、その源泉となっていると言えるでしょう。


ピューリタニズムとはカルバンの流れを汲むイギリス国教会から独立を目指した分離派などの思想で、彼らは、清潔・清楚を旨とする「ピューリタン」と呼ばれ、1620年、メイフラワー号で北アメリカに入植しました。これがいわゆるピルグリムファーザーズ(PilgrimFathers)と呼ばれるアメリカ建国の父祖たちであります。


さてピューリタンの思想の特徴ですが、これは徹頭徹尾、「個人の信仰の自由」を追求したことであります。教皇からも、国家からも解放されて、個人が宗教や教会を自由に選択できる権利を追求しました。「信仰の自由」「教会選択の自由」、「教会設立の自由」、即ち「神への自由」こそピューリタン思想の骨子であります。そしてこのような信仰の自由は、今でこそ当たり前のことですが、当時としては画期的なことだったのです。


ピューリタンのアメリカ上陸(アントニオ・ギスバート画) プリマスでの最初の感謝祭(ジョニー・ブランズクーム画)


また聖書的選民観とは、1630年に、非分離派のキリスト教徒1100人がマサセチュッツに入植しましたが、それを率いたジョン・ウインスロップ牧師の「キリスト者の慈善の模範」(A Model of Christian Charity)と題する説教に象徴されています。


この時マタイ5章14節「あなた方は世の光である。山の上にある町は隠れることができない」から引用した説教「全ての人々の目が注がれる丘の上にある町」は有名で、新たな選民的自覚のもとに、神との聖なる契約に入ったことを宣言しました。 この「丘の上の町」は、新大陸アメリカに渡った清教徒たちがつくろうとした「自由で公正な神の国」を表す象徴として用いられ、「アメリカ建国の精神」に引き上げられていきました。


つまり「丘の上の町」は、「神に選ばれた特別な国」との自己認識のもと、「輝ける丘の上の町」へと進化し、アメリカという国家の象徴、国民的信仰とも呼べるべきものとなっていきました。 アメリカは「世界の自由を守るために、神に召された国」との認識であり、これが聖書的選民観であります。


そして多民族国家アメリカですが、上記に見た精神性に加えて、星条旗の下に忠誠を誓うという愛国的心情が加味されてアメリカの市民宗教が形成され、ワシントン、リンカーン、アイゼンハワーは市民宗教の信奉者でした。


<聖書的霊性>


おしまいに聖書的霊性について一言触れておきます。聖書的霊性については、ホームページ「聖書の知識115~119」において詳述していますので、これを参考になさって下さい。


筆者は聖書的霊性の特質(源泉)として、a.歴史を摂理してきた神の啓示・神の霊の働きの伝統、b.一貫した思想性(メシア思想・唯一神思想・贖罪思想)、c.敬虔な信仰と回心の伝統、の3つを挙げました。


これらの霊的伝統が聖書を彩って、読む人の心を霊的に感化し、回心の奇跡を起こしてきました。筆者は、多神教的な日本的霊性が、この一神教を核とする聖書的霊性に接ぎ木されれば、大きなリバイバルが巻き起こると信じております。


以上が今回のセミナーで話した内容の骨子であります。かのユダヤ人が、バビロン捕囚に象徴される数々の試練を乗り越えて、世界に「イエス・キリストを生み出す」という奇跡を成し遂げたように、私たちは来るべきキリストを世界に証すという「召された群れ」を再認識し、豹変し飛躍したいと思います。


そもそも宗教には、キリストにせよ日蓮にせよ、迫害や試練はつきもので、豊かになって滅んだ宗教はあっても、迫害で滅んだ宗教はありません。むしろ迫害のたびに結束し浄化されるのが、全うな宗教の真骨頂と言えるでしょう。(了)

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