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民数記注解 荒野の旅路

🔷聖書の知識79-民数記注解ー荒野の旅路


こうして彼らは主の山を去って、三日の行程を進んだ。主の契約の箱は、その三日の行程の間、彼らに先立って行き、彼らのために休む所を尋ねもとめた。彼らが宿営を出て、道に進むとき、昼は主の雲が彼らの上にあった。(10.33~34)


民数記は,シナイ山からカナンの国境にあるモアブの平地に至るまでのイスラエル人の38年の旅の物語を描いています。民数記の物語は出エジプトの出来事から2年2ヶ月後に始まり、シナイ山から出てカナンの国境にあるモアブの平地に38年目にたどり着くまでのイスラエル人の旅の物語を描いています。


いわば、流浪の旅の物語です。また2つの大規模な人口調査が記録されている世代交代の書でもあります。しかし、40日カナン偵察の失敗で38年間荒野を流浪しますが、その間の詳細な出来事はほとんど書かれていません。


そして民数記という書名は,民族の数の調査に由来します。(1章~2章,26章) 1~10章には,人口調査とシナイを出発する準備の様子が記録され、 10~21章には,シナイ山出発からモアブにいたる道中の記述、及びカナンの地への偵察と斥候の不信仰で約束の地に入れなかったことが記録され、 21~36章には,荒野を流浪してヨルダン川にたどりつくまでの記述、荒れ野で過ごした最後の年の出来事、及び人口調査が述べられています。


この旅路の記録において、今回特に「民の反乱」と「世代交代」について解説していきます。


【民のつぶやき・不満・反乱ー荒野の試練】


シナイを立って、民数記における荒野の旅は、指導者モーセにとって、民のつぶやき・反乱・身内の反抗に遭遇した試練の旅路でした。どの時代、どの国の指導者であっても同様の困難を抱えたように、モーセも民を統治することがいかに難しいかを身をもって体験しました。


<民のつぶやき>

「第二年の二月二十日に、雲があかしの幕屋を離れてのぼったので、イスラエルの人々は、シナイの荒野を出て、その旅路に進んだ」(民数10.11~12)とありますように、律法と幕屋を授かった民は、いよいよシナイ山をあとにしてカナンに向けて荒野の

旅に出発します。


ところが間もなく、「民は災難に会っている人のように、主の耳につぶやいた」(11.1)とあり、再び不信仰に陥りましたので、エホバは怒りを発せられ、火をもって彼らの宿営を焼かれました(11・1)。


しかしなおイスラエルの民は、叫びながら、マナのほかには、肉もきゅうりもすいかもないとモーセに恨み言を言いつつ、エジプトをしたいました(11.4~6)。こうして「第二次幕屋のための基台」はサタンの侵入を受けることになりました。


<身内からの不満>

「モーセはクシの女をめとっていたが、そのクシの女をめとったゆえをもって、ミリアムとアロンはモーセを非難した」(12.1)とあり、 「主はただモーセによって語られるのか。われわれによっても語られるのではないのか」(12.2)とモーセの権威とリーダーシップに不満の意を表しました。


今まで、アロンとミリアムは、モーセの口となり、手となってよく支えてきましたが、やはりモーセに言いたいことがあったのでしょう。勿論、神は怒りを発し、ミリアムは癩病にかかり、二人は悔い改めることになります。


<40日偵察の失敗と民への扇動>

カナンを目の前に、モーセは40日カナン偵察に12人を斥候として送りますが、その報告は惨憺たるものでした。


40日の後、彼らはその地を探り終って帰ってきて、「わたしたちは、あなたがつかわした地へ行きました。しかし、その地に住む民は強く、その町々は堅固で非常に大きく、わたしたちはそこにアナクの子孫がいるのを見ました」(13.25~28)とヨシュヤ、カレブ以外は、悲観的な報告をし、「わたしたちはその民のところへ攻めのぼることはできません。彼らはわたしたちよりも強いからです」と民を扇動しました。 民は、「わたしたちはひとりのかしらを立てて、エジプトに帰ろう」(14.4)と言い出す始末です。


神は、「この民はいつまでわたしを侮るのか。わたしがもろもろのしるしを彼らのうちに行ったのに、彼らはいつまでわたしを信じないのか」(14.11)と怒りをあらわにされました。


しかしモーセは「あなたはかつて、『我が主は怒ることおそく、いつくしみに富み、罪ととがをゆるす者、しかし、罰すべき者は、決してゆるさず、父の罪を子に報たどうぞ、あなたの大いなるいつくしみによって、この民の罪をおゆるしください」(14.18~19)と必死の執りなしをいたしました。


しかし、こうして第三次幕屋の基台が失われ、また第二次民族的カナン復帰摂理は失敗し、第三次に延長されることになります。即ち、40日偵察を1日を1年として、40年のあいだ、自分の罪を負う荒野路程が始まることになります。


<レビの子孫コラの反乱>

遂にレビの孫コラと、ルベンの孫ダタン及びオンとが相結び、250人と共に立って、モーセとアロンに逆いました(16.2)。


「あなたがたは、分を越えています。全会衆は、ことごとく聖なるものであって、主がそのうちにおられるのに、どうしてあなたがたは、主の会衆の上に立つのですか」(16.3)と。


モーセは「レビの子たちよ、あなたがたこそ、分を越えている」(16.7)と反論しますが、結局、コラらは反乱の罪ゆえ神に滅ぼされました。


<シンの荒野のつぶやきとメリバの水>

さてイスラエルの全会衆は正月になってチンの荒野に入りカデシにとどまりました。そしてまたつぶやきました。


「どうしてあなたがたはわれわれをエジプトから上らせて、この悪い所に導き入れたのですか。ここには種をまく所もなく、いちじくもなく、ぶどうもなく、ざくろもなく、また飲む水もありません」(20.4~5)


神はモーセに「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい」といわれ、「モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ」(20.11)とあります。有名なメリバの水であります。しかしモーセは血気に走って「岩を二度打つ」ことによって、それが罪となり、結局カナンに入れなくなりました。何故、このモーセの行為が罪になったかは、原理講論P386~P390に詳しく書かれています。



端的に言えば、岩はアダムを象徴し、堕落して命の水(永遠の生命)を出せなくなったアダムですが、一度その岩(磐石)を打つことは、堕落したアダムを命の木として復帰することを意味し、血気に走って二度磐石を打つことで、命の木として復帰されたアダム、即ちイエス・キリストを打つことになる象徴行為になったというのです。


<エドムの道でのつぶやきと青銅の蛇>

民はホル山から進み、紅海の道をとおって、エドムの地を回ろうとしましたが、民はその道に堪えがたくなり、またしてもつぶやきました。「あなたがたはなぜわたしたちをエジプトから導き上って、荒野で死なせようとするのですか。ここには食物もなく、水もありません。わたしたちはこの粗悪な食物はいやになりました」(21.5)


そこで主はこれを咎め、「火のへび」を民に送られ、へびは民をかんだので、多くのものが死に至りました。しかしモーセは「青銅で一つのへび」を造り、それをさおの上に掛けて置き、へびにかまれた者はその青銅のへびを仰いで見て生きたとあります。(21.9)


この青銅の蛇は、キリストの予表であり、「モーセが荒野で蛇を上げたように、人の子もまた上げられなければなりません。それは、信じる者がみな、人の子にあって永遠のいのちを持つためです」(ヨハ3.14~15)とある通りです。こうしてイスラエルの人々は荒野を進んで行きました。


イスラエルは、偵察失敗後、38年間荒野をさ迷いますが、この路程の内容については、前述してきたごくわずかな出来事しか記載されていません。しかし、実に様々な出来事や事件が他にも色々起ったであろうと推測されるところです。


<荒野の試練と祝福>

こうしてモーセは、実に様々な試練に晒されました。それにしても神に導かれたとは言え、荒野で民を導くということは、何と困難なことでありましょうか。自然や外敵との戦いだけでなく、こうした民の不満反乱との戦いをも、モーセは余儀なくされたのです。


このモーセの試練は、大きな使命を担う人物であればあるほど、彼を試みる試練もまた、それに比例して大きいということを見せて下さったというのです。特に摂理的人物は、「神から見捨てられる」という試練に勝たなければならなかったのでした。


このことはモーセだけでなく、イエス様も文先生も同様でありました。また、内外の負いきれない試練を背負い、愛と結婚を神に捧げたナイチンゲールは、日記に「神は、人に何か大いなることをさせようとする時は、先ず、その人を深い苦しみの中に追い落とされる」と記しています。


サタンは、堕落人間を主管する立場に立っていますので、神は何らの条件なくして人間に恩賜を賜ることはできないというのです。つまりサタンの讒訴条件があり、そうしないと、サタンが訴えるからであります。ゆえに神が人間に祝福の恩賜を賜ろうとするときには、その恩賜と前後して、サタンの訴えを防ぐための試練が必ず行われるというのです。原理講論P402には次のように記しています。


「モーセ路程でその例を挙げてみると、モーセにはパロ宮中四十年の試練があったのちに、第一次の出エジプトの恩賜が許されたのであり、またミデヤン荒野四十年の試練を経たのちに、神は第二次の出エジプトの恩賜を賜ったのであった(出エ4.2~9)。また神は、モーセを殺そうとする試練があったのちに(出エ4.24)三大奇跡と十災禍の奇跡を下さったのであり(出エ7.10~)、三日路程の試練があったのちに(出エ10.22)雲の柱と火の柱の恩賜を賜ったのである(出エ13.21)。


そしてまた、紅海の試練を経てから(出エ14.21)、マナとうずらの恩賜(出エ19.13)があったのであり、アマレクとの戦いによる試練(出エ17.10)があったのちに、石板と幕屋と契約の箱の恩賜(出エ31.18)があったのである。


それから、四十年間荒野で流浪した試練(民数14.33)があってから磐石の水の恩賜(民数20.8)があったのであり、火の蛇の試練を経たのちに(民数21.6)、青銅の蛇の恩賜(民数21.9)があったのである。モーセ路程は以上のようにいろいろな教訓を我々に残してくれたのである」


【世代交代】


民数記は、38年の荒野の旅路の物語であると共に、世代交代の書でもあります。


<新しい世代>

最初の人口調査の結果、登録された者の総合計は、603,550人で、全部族が、エジプトでの寄留生活の間に、爆発的な人口増加を経験しました。


しかし、この人口調査で20歳以上に登録された者たち全員が荒野生活38年の間に死ぬようになり、エフネの子カレブとヌンの子ヨシュアだけが約束の地に入ることができました。ミリアムもアロンも荒野で死にモーセでさえカナン目前で亡くなりました。


そして新しい世代の出現が 21 章~ 36 章に綴られています。荒野の旅(21~25章)が続き、イスラエルは、約束の地の対岸、モアブの草原に到着し、そこに宿営しました。


<人口調査>

神は新しい世代のイスラエルに対して、人口調査するように命じられました(26~27章)。38年前の人口調査との比較すると、前回は603,550人に対して、今回は601,730人で、1820人の減少となりました。エジプトでは爆発的な人口増加がありましたが、荒野の40年間では人口は若干減少しました。

元をただせば、カデシュ・バルネアでの偵察の不信仰(13章)が原因でありましょう。


兵士数が最も多いのは、今回もユダ部族で(76500人)、カナン定住後、重要な意味を持つことになります。モーセは、ネボ山から約束の地を見ることが許されましたが、しかし、その地に入ることは許可されませんでした(申命記34.5)。


そして主が次世代の指導者として任命されたのは、ヌンの子ヨシュアでした。モーセは、主が命じたとおりに、任命式を執り行いました(民数記27.23、申命記34.9)。


なお28~30章に捧げ物の規定がありますが、これは約束の地を前にした新しい世代に、捧げ物について再度指示が出されたものです。文先生は、「旧約は物(動物)を犠牲にして子女を迎え、新約は子女を祭物にして父母を迎え、成約は父母が苦労して神を迎える」と言われました。


【ナジル人、逃れの町について】


この項では、民数記の特徴ある概念である「ナジル人」、「逃れの町」について、参考に解説いたします。


<ナジル人>

ナジル人とは、ヘブライ語で「聖別された者」を意味し、「民数記」6章にその規定があります。


自ら志願して、あるいは神の任命を受けることによって、特別な「誓約を神に捧げた者」のことであります。実名で知られている者としてはサムソンが挙げられますが(士師記23.5)、サムエル、洗礼ヨハネもナジル人であったとする説があります。


ナジル人は、a.ありとあらゆる葡萄の木の産物を口にすることを禁止されること、b.髪を切ってはいけないこと、c.死者に近づいてはいけないこと、が禁止事項として規定されています。(6.1~10)


聖書から、洗礼者ヨハネがナジル人として生活を送っていたことを窺い知ることができます。また、ナザレのイエスは、ナジル人のことではないかという説もありますが、しかし彼は死体にも近づいています。


しかし、福音書の最後の晩餐の席で「わたしの父の国であなたがたと共に新たに飲むその日まで、今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい」(マタイ26.29)と宣言されたのは、ナジル人としての誓願とも解釈できます。


特筆すべきはサムエルの母ハンナの誓願です。ハンナは主に誓願を立てて祈りました。そしてこうして生まれたのがサムエルでした。


「ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた。そして誓いを立てて言った、『万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをあてません』」(1サムエル1.10~11)


<逃れの町>

逃れの町は、過失で殺人を犯してしまった人が復讐から逃れて安全に住むことを保証された町のことであります。


民数記35章には、「あなたがたのために町を選んで、のがれの町とし、あやまって人を殺した者を、そこにのがれさせなければならない。これはあなたがたが復讐する者を避けてのがれる町であって、あなたがたが与える町々のうち、六つをのがれの町としなければならない」(35.11~13) とあります。


逃れの町に滞在することが認められるのは、敵意や怨恨でなく、故意でないことが条件であり、後日改めてイスラエルの共同体による裁判を受け、過失であったことが認められねばならなりません。申命記19章、ヨシュア記20章にも同様の記述があります。


当時のオリエントでは、ハンムラビ法典の影響で「目には目を、歯には歯を」の同等の刑罰を科すのが一般的で、旧約聖書も同等の報復の権利は認めているますが、「逃れの町」の規定は過失で人を死に至らしめた人の生存権を「アジール権」によって保護するよう明文化しているものです。


ちなみにアジール権とは、俗世界の法規範とは無縁の場所、不可侵の場所という意味で、通常神殿や寺院、教会などがこれにあたります。宗教的に特殊な聖域と考え、俗世界で犯罪を犯しても、このアジールに逃げ込めば聖的な保護を与えられ、世俗権力による逮捕や裁判を免れるという一種の治外法権のような性質を持っています。


また日本の刑法では、犯罪が成立するためには、客観的要素としては「行為」「結果」「因果関係」の要件が必要とされ、また特に主観的要素としては「故意」「過失」が考慮されます。


刑法には、過失により人を傷害した場合に過失傷害罪となり(刑法209条1項)、30万円以下の罰金又は科料で、一方、過失により人を死亡させた場合に過失致死罪となり「過失により人を死亡させた者は、50万円以下の罰金に処する」(刑法210条)とあります。


こうして、太古のモーセの時代に、かような人権意識、法的観念が芽生えていたことは、驚くべきことであります。また旧約聖書には、「みなしごや、やもめのためにさばきを行い、寄留者を愛して、これに食物と衣服を与えられる」(申命記10.18)とあるように、みなしご、寡婦、寄留者、貧しい人々らを手厚く扱うよう命じる教えが随所に記載されています。(出エ10.18、申24.17)


以上、今回は民数記について、特に荒野での「民のつぶやき」を中心に見て参りました。次回はモーセ五書の最後の申命記を解説いたします。(了)