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礼拝改革への一里塚② 朝の祈祷会体験記 (お茶の水クリスチャンセンターにて)

◯つれづれ日誌(令和4年3月2日)-礼拝改革への一里塚②ー朝の祈祷会体験記(お茶の水クリスチャンセンターにて)


主を仰ぎ見れば 古きわれは

現世(うつしよ)と共に 速く去りゆき

われならぬわれの あらわれきて

見ずや天地ぞ あらたまれる (賛美歌、355番「主を仰ぎみれば」)


今回は、2月25日、お茶の水クリスチャンセンターにて行われた「東京国際朝祈祷会」体験記を記したいと思います。ただその前に、現在、大問題になっているウクライナ紛争について言及しておきたいと思います。


【ウクライナ紛争の本質】


今回のロシアによるウクライナ侵攻について、先ず第一に確認しなければならないことは、力による現状の変更、武力による問題の解決は、絶対許してはならないということです。


この点で、プーチンのウクライナ侵攻は、明らかに国際法や国連憲章に違背しており、許されるものではなく、如何なる理由があっても正当化できるものではありません。


このような暴挙を許すようなことがあれば、中国による台湾占領、ひいては尖閣諸島や沖縄への侵攻を許す悪しき前例になることは明らかであり、日本としても他人事ではありません。


ただ、プーチンの狙いは、ウクライナの占領そのものにあるのではなく、ウクライナが親NATOに傾いて、ロシアの防衛上の脅威になるのを防ぐために、ウクライナを中立化・非武装化したいという意向があるようです。


つまり、ロシアと西側との間に、脅威となりつつあるゼレンスキー大統領のウクライナを中立化して、緩衝地帯を儲けたいということです。それに加えて、親露派が支配しているウクライナ東部の二州(ドネツク・ルガンスク)と2014年に奪取したクリミア半島を結ぶ回廊まで確保したいという野望があると言われています。


もともとロシアには、ナポレオンやヒットラーのロシア攻撃でひどい目にあったトラウマもあり、潜在的に西側への不信感や恐れがあるようです。また、ウクライナ政府と親ロシア勢力との停戦協定を盛り込んだ「ミンスク合意」をウクライナ政府に反故にされたという思い込みがあるようです。


そしてウクライナの首都キエフは、ロシアの源流となるキエフ公国(ルーシ)のウラジーミル大帝(980年〜1015年)が統治した地であります。998年に大帝自ら洗礼を受けてキリスト教を受け入れ、ギリシャ正教を国教とし、キエフとその周辺にキリスト教を広めた王であります。


即ち、同じスラブ系民族のロシア・ウクライナ両国は、キエフを中心に9世紀以降に繁栄した多民族国家「キエフ・ルーシ(公国)」をルーツとする兄弟国家であり、現在両国で信仰されているキリスト教(ギリシャ正教)の源流もそこにあります。


いわばキエフはロシア建国のルーツであり、思い入れの強い場所として、プーチンがウクライナに執着する心理が理解できないわけではありません。


しかし、ロシアは既に共産主義を放棄し、ロシア正教を奉じるキリスト教国家になり、資本主義を導入してGエイトの仲間入りも果たした訳なので、中国とは違って西側とは一体となって国造りをすればいいのにと、筆者は思います。


しかも、紛争が長引くと駐留経費が嵩み、西側の厳しい経済制裁と相俟って、ただでさえ弱いロシア経済の破綻につながることは明らかです。ロシアとしては、早急にゼレンスキー大統領に代わる親露政権を立てて、引き揚げたいところでしょう。


一部識者の間には、ウクライナ紛争の背後には、ネオコン(又はネオナチ)などのいわゆるディープステイト(闇の政府)の存在があり、プーチンはこれらの闇の勢力とたたかっているといった陰謀論的な見方もあるようですが、本質的にはロシアの覇権主義であり、侵略であることは明らかです。現にウクライナは武力による侵害で被害を被っており、これを正当化することは誰にも出来ません。


ちなみにディープステイト陰謀論とは、アメリカ合衆国の連邦政府・金融機関・産業界の黒幕が秘密のネットワークを組織し、裏で権力を行使する隠れた政府として機能しているとする見方であります。


最近プーチンは、側近の国粋主義者に影響され、人間が変わったとも言われています。かってのプーチンは、ロシア正教の篤実なクリスチャンであり、改定憲法に「神への信仰」という文言を入れたほどの信仰者でしたが、今回、心なしか何か越えてはならない一線を越えた暴君のようにも見えます。確かに、テレビに出て演説するプーチンの目の据り方には、尋常ではない形相を感じます。


ウクライナは、国際社会の一致した物心両面に渡る支援を背景に、ロシアの侵略に命懸けで抵抗しており、ロシア側にもかなりの死傷者がでていると報道されています。幸い、今ウクライナ政府とロシアの間に、和平の席に着く話し合いがなされているようであり、一日も早い停戦合意がなされ、ウクライナに平和が訪れるよう祈念いたします。アーメン、アージュ!


【朝の祈祷会体験記】


さて筆者は、この2月24日、お茶の水クリスチャンセンターで開かれた早朝祈祷会に参加致しました。去る2月6日、目黒のベテル・キリスト賛美教会の礼拝で、知人とダビデ原田牧師の両氏から、今回の祈祷会に参加することを約束していたからです。


<東京国際朝祈祷会>

この「東京国際朝祈祷会」は、毎週木曜日にクリスチャンセンターで午前8時過ぎから行われており、今回で3108回目を迎えるということでした。


毎回約20名くらいの超教派のクリスチャンが集まって、日本の平和、世界の平和、困難に遭遇している人々、そして集いし者の祝福のために祈るものです。


「賛美」、「平和の祈り」、「スピーチ」、「各人の祈り」、そして「主の祈り」をもって祈祷会は終わり、二部として「信徒の交わり」がありました。


<讃美歌に感動>

今回、祈祷会の始まりを告げる讃美歌は、355番「主を仰ぎみれば」でした。


主を仰ぎ見れば 古きわれは

現世(うつしよ)と共に 速く去りゆき

われならぬわれの あらわれきて

見ずや天地ぞ あらたまれる


筆者はこの讃美歌を歌いながら、今更ながらこの歌詞の素晴らしさに感銘を受けました。「古き私が過ぎ去りて、われならぬわれのあらわれくる」、 これぞ生まれ変わりの歌、正に新生の歌詞でした。今までにも何度か歌ってきたこの讃美歌なのに、気がつかずに見過ごしてきたのです。今回この短いフレーズに改めてキリスト教の真髄を感じて、しばし神に思いを馳せたものでした。


この讃美歌「主を仰ぎみれば」を作詞したのは宮川勇牧師(1889~1945)で、長野県に生まれ、明治学院神学部卒業後、東北、九州、関西、北海道の教会を牧しました。


この歌は彼が九州佐伯の教会を牧していた頃、祈祷と瞑想のうちに黙示碌21章~22章を読んで、インスピレーションを得て回心体験をして作詞しました。無限の喜びと平和とに満たされ、その経験を表現したものであると言われています。


<平和の祈り>

そして次に聖フランシスコの詩と言われている「平和の祈り」の唱和です。


主よ、わたしを平和の器とならせてください。

憎しみがあるところに愛を、

争いがあるところに赦しを、

分裂があるところに一致を、

疑いのあるところに信仰を、

誤りがあるところに真理を、

絶望があるところに希望を、

闇あるところに光を、

悲しみあるところに喜びを。


ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。

理解されるよりも理解する者に、

愛されるよりも愛する者に。

それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、

許すことによって赦され、

自分のからだをささげて死ぬことによって

とこしえの命を得ることができるからです。


この平和の祈りは、13世紀のアッシジのフランチェスコ(聖フランシスコ)に由来するとされている祈祷文ですが、マザー・テレサ、ヨハネ・パウロ2世、マーガレット・サッチャーなど著名人が、たびたびスピーチの中で引用し、聴衆と共に唱和するなどして親しまれてきました。


今、争いの只中にあるウクライナですが、首都キエフに残った60名(全体で300名)くらいの食口は、正にこの平和の祈りの心境にあるとの証が届いています。


彼らは、戦いの真っ只中にあるキエフにあって、生命をかけて国を守ろうとしています。まだ30代の食口の女性が「自分達の安全の為よりも国の為に祈って欲しい。自分は生命を捧げている。個人の幸せは国の幸せ無くしてあり得ない」と語ったそうです。


今、ヨーロッパ・中東大陸の青年メンバーたちが、ウクライナのため、ロシアのため、停戦のためにリレー祈祷を始めました。スロバキアやモルドバでは、青年会員がウクライナの難民の救援活動を始めているとのことです。


またウクライナの青年メンバー10人ほどは隣国ポーランドに逃れて、ポーランドの教会に保護されているそうです。ポーランドは筆者の任地国でもありますが、ヘッドコーターはかなり広いスペースがありますので、十分収容できると思います。


ロシアがウクライナへの軍事侵攻を続ける中、多くの人々が国境を越えて隣接するポーランドに避難し、ウクライナとの国境からおよそ13kmの、ポーランド・プシェミシル中央駅には多くのウクライナ避難者が逃げてきているということです。


国境を接するポーランドは、カトリックのマリア信仰の盛んな国で、現在ウクライナとはとてもよい関係にあり、ポーランドに避難すれば、手厚く保護されると思います。


ウクライナの独立と平和のために、この平和の祈りを捧げたいと思います。


<主の祈り>

平和の祈りの後、担当牧師によるスピーチがあり、その後、各人がそれぞれの課題に対して祈りを捧げ、最後に主の祈りをもって終わりました。


天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。アーメン。


【第二部ー信徒の交わり】


こうして朝の祈祷会は終わりました。そして次は場所を変えて、2階のカフェでの懇談、いわゆる「信徒の交わり」です。知人、原田牧師、そしてこの祈祷会の世話人の大野剛さん、それに筆者を加えた4人での歓談です。


<祈祷会の運営>

大野さんは、大手の会社勤務を終えて、専らこの祈祷会を運営されている敬虔なクリスチャンで、工学博士号をもっておられる知識人でもあります。しばし、神のこと、祈祷会のこと、それぞれの近況など楽しく語らって親交を深めました。


大野さん曰く、「この朝の祈祷会は全国組織で、全国100箇所位で行われていますが、しかし、今はほとんどが開店休業のようになって細っており、このクリスチャンセンターでの祈祷会も同様です。皆さんで盛り立てて欲しい」と本音を吐露されていました。


<礼拝の意義と信徒の交わり>

さて前回も述べましたように、礼拝には大きく3つの意義がありました。


第一は神(キリスト)を礼拝すること、そして神の恵みを受け取ることです。私たちは、神を礼拝、賛美し、神に祈りを捧げ、神と交わるために礼拝に参加するというのです。宣教師訓練センター(MTC)所長の奥山実牧師は、「人間は神を礼拝するために生まれてきた。神礼拝は人生の目的である」と断言されています。


では、私たちは、一体どこで礼拝すればいいのでしょうか。地域で私たちが属する教会での礼拝が最も大切な礼拝ですが、家庭での礼拝、そして内心の内なる教会での礼拝も立派な礼拝です。教会は地域にも、家庭にも、我が内にもあるというのです。


ある牧師はこのように言いました。「祭壇は地域教会にも、家庭にも、一人一人の心の中にもある」と。即ち、礼拝すべき神は、教会にも、家庭にも、我が内にもいまし給うというのです。


次に礼拝の第二の目的は、み言の学びです。それは、聖書の拝読を通じ、説教の拝聴を通じ、聖歌を歌うことを通じて、み言を学び霊の賜物を受け取るのです。


三番目がこの項のテーマである「信徒の交わり」です。教会とはそもそも「信徒の集まり」をいい、いわゆる建物のことではありません。


使徒信条の後半に次の通りあります。


「我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず」


ここに出てくる「聖徒(信徒)の交わり」とは、聖なるものを共有し分かち合うこと(

コミュニオン)を意味し、交わりの根源はキリストであり、神であります。


即ち、神とみ言をとキリストを共有し、この絆で結ばれた信徒が、相交わり分かち合うのです。説教の中だけでなく、食事やお茶飲み話のちょっとした会話の中にも信仰のヒントが隠されています。


そして共通の神とキリストによって結ばれた信徒間の絆は、人間と人間の信頼をつなぐ強い力になります。一般的に、他人と信頼関係を築くためには、何年もの時間とエネルギーが必要になりますが、信徒間の信頼関係は一夜にして築けるというのです。


この強い絆を最大限活用しているのがユダヤ人だと言われています。世界に散らばるユダヤ人は、同じユダヤ教の信者として、強力な人間関係のネットワークを築き上げ、世界の金融を支配しました。そしてクリスチャン、特にUCの人間関係はユダヤ人のそれに見劣ることはありません。食口の絆は何にも優る財産です。


この度、祈祷会の後の4人での交わりは、その意味で、多くの恵みを得るよい時間となりました。 そして今後、この祈祷会を盛り上げて再建しようと話し合いました。


以前筆者は、いわゆるセカンドチャンス論を書かれた大川従道牧師の著書『永遠と復活』の論評(HPつれづれ日誌令和4年1月12日「大川牧師のセカンドチャンス論の検証」参照)を書いていましたので、皆さんに挨拶代わりにこのレジメを差し上げておきました。


以上が、ウクライナ紛争と朝の祈祷会体験記です。何かの参考になれば幸いです。(了)

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