祈りについて考える 聖者の祈り・神秘体験
- matsuura-t
- 2022年4月1日
- 読了時間: 9分
更新日:1月7日
○つれづれ日誌(令和4年3月30日)-祈りについて考える-聖者の祈り・神秘体験
最近筆者は、内的、霊的問題を解決する決め手は、「先ず、祈りから始めよ」が最良の道だと心底思うようになりました。得てして、理性や思考は所詮自我の範囲にあり、その認識には限界があります。理性を越えた「超自我」の世界において、神との直接的な一問一答の中でしか真の認識、真の解決はないということです。
しかし、このような祈りの大切さは、今までも何度も聞かされてきたことであり、「いまさら貴方は何を言っているの」と言われそうであります。 しかし、今回、敢えて「祈りとは何か」を考えたいと思います。
【聖者の祈り】
偉大な宗教家は、皆、祈りの人でした。
<祈りの人、ルター>
宗教改革を行ったマルティン・ルターはカルビンと違い、決して知性派ではなく、むしろ偉大な霊的な力を持つ人物でした。おそらくルターに関して一番目立つのは、「敬虔な修道院での修練」、そして「 祈りの迫力」の証でしょう。
彼は1日3時間かけて、両手を組み合わせ、開かれた窓に向かって祈るのが好きだったと言われています。祈りについての説教には、驚くほどわかりやすく気取らないものがあり、「祈るとき、わたしに大きなものが宿ります」と告白しました。その言葉には確信があふれ、形骸化したキリスト教に取って代わる、本物のキリスト教として、個人の祈りに重きを置いた人物であります。
ルターは、聖書を丹念に読むことからはじめて終生「祈りの人」であり、そして「神の言葉」に生きた人でした。
<キリストの祈り>
UC創始者は、み言集『イエス様の生涯と愛』(光言社)の中で次のように語られています。

「イエス様は、荒野で、ゲッセマネの山頂で、十字架上で、実に切実な涙に満ちた祈りを捧げられました。眠るときも、万民の罪が贖罪されることを願う心情をもって独り祈り、人類の祭物としての隠れた祈祷の生活をされたというのです」
この言葉の通り、聖書はイエスの祈りについて、多くの箇所で証言しています。
「このころ、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹して神に祈られた」(ルカ6.12)
「イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた。そして、その汗が血のしたたりのように地に落ちた」(ルカ22.44)
そして、下記は有名な「主の祈り」であり、カトリック、プロテスタントを問わず礼拝で唱えられています。
「天にいますわれらの父よ、 御名があがめられますように。 御国がきますように。 みこころが天に行われるとおり、 地にも行われますように。 わたしたちの日ごとの食物を、 きょうもお与えください。 わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、 わたしたちの負債をもおゆるしください。 わたしたちを試みに会わせないで、悪しき者からお救いください」( マタイ6.9~13)
一方ギリシャ正教は、神人が一体となるという神秘的傾向が強く、14世紀の修道士グレゴリイ・パラマは、聖霊の導きのもと、徹底した、しかし機械的でない祈り、「祈らずして祈る」者が恩寵の光にあずかり、恩寵によって神の性質と等しいもの(テオーシス=神成)になると説きました。そして、そのような祈りのために「神成イエスの祈り」と呼ばれる短い祈祷文が定着し、修道士・信徒らは、これを繰り返し唱えました。この祈りは、三位一体の神に対する呼びかけを伴う信仰告白であり、神への祈願であると言われています。
「主イエス・キリスト、神の子よ、我罪人を憐れみ給へ」("Jesus Christ, Son of God, Have mercy on me, a sinner")
とりわけ、ギリシャ正教の女人禁制の聖地「アトス山の修道院」では、すべての修道士達は祈ることを「仕事」として、この地で生涯を終えると言われています。

またUC創始者も祈りの人でした。天聖経第二篇第三章では次のように語られています。
「祈るときには背が曲がり膝にたこが出来るほど祈らなければなりません。私が最も祈った時は、身を伏せて17時間、18時間、普通でも10時間祈りました。そして痛哭するのです」
更に創始者は、「この原理を探し出すために、どれほど満身創痍になったか知れず、一日に14時間祈祷することが何年も続きました」(『天総官文興進様』光言社P31)と述懐されました。
筆者が好んでいる創始者の祈り、「神が共にある」を記しておきます。
「遠いと思った時に近い心の中にいらっしゃり、心の中にいらっしゃると安心している時に遠くから呼ばれるお父様でございます。私をお見捨てになったと思ったその場がお父様と近い場であり、私とご一緒ではないと思っていたその場に、お父様が私と共にいらっしゃったことを理解できなかった私たちを、悔い改めるようにしてください」(『天聖経』真の父母様の祈祷P1493)
<聖書に見る祈りの力>
聖書には「祈りは聞かれる」という聖句が随所に出てきます。詩篇6章10節に「主はわたしの願いを聞かれた。主はわたしの祈をうけられる」とある通りです。
「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコ11.24)とあり、「何事でもわたしの名によって願うならば、わたしはそれをかなえてあげよう」(ヨハネ14.14)とあります。またヤコブ5章15節には「信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる」とあります。
疑わず信じ、切実に求め、み言に立ってキリストの名によって祈れば、神はこの祈りに必ず答えられるというのです。そして主の祈りにありますように、先ず神のみ名を讃美し、次に神の国を祈り、そしておしまいに自らの願い事を祈るというのです。これが祈りの順序です。
そして旧約聖書で有名な祈りは次の「ハンナの祈り」です。サムエルの母ハンナの切実で真摯な祈りは遂に聞かれました。
「ハンナは心に深く悲しみ、主に祈って、はげしく泣いた。 そして誓いを立てて言った。万軍の主よ、まことに、はしための悩みを顧み、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜わりますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」(1サムエル1.10~11)
また、旧約時代には、幕屋の祭壇で炊く香のかおりと煙は信徒の祈りの象徴と言われ、香のかおりと共に祈りが立ち上り、神に届くと信じられていました(黙示録5.8、8.3)
このように聖書には、祈りの力が証言されています。
【内村鑑三の告白―祈りの力】
我が内村鑑三も、衝撃的な祈りの体験をしています。
1885年、内村はアメリカ留学時代、慈善団体が主催する聾唖大学の講演に行く途中、同じ目的で乗り合わせた地方銀行の頭取であるデビッド・C・ベルに鉄道馬車の中で初めて出会い、互いに敬愛の念を抱いて、以後40年に渡って交流することになりました。
ベルは熱心な再臨論者で、再臨に関する情報を内村に送り続けました。内村は、最後にベルと日本で出会ってから30年が過ぎた時、ベルから送られてきた書類を読んで「人生問題、宗教問題、世界問題は再臨信仰によって全て解決できる」ことを確信しました。そして早速、再臨回心を体験したことをベルに手紙で告白することになりますが、その時のベルからの応答の手紙が届きました。
「遂に君も再臨を信じるに至りしか。余は31年間、相知りしより今日まで、いまだ一日も君のために祈らざりし日を覚えず。しかして余は、君が再臨の信仰を得んがために、祈らざりし日とてはなかりき」
四半世紀を越えて行われた、友人の持続する無私の祈りの働きを実感した内村は、「余の信仰は誠に祈祷の産物である。故に君もまた祈れよ。友のため30年間祈り続けなば、必ずや聞かるるであろう」と語ったといいます。
「信仰は自ら獲得するものではなく、神によって与えられ、人間がそれを受け取ったときに結実する。そして信仰の結実は見えないところで行われる祈りである」。これが内村の「祈りの力」との出会いでした。
【神秘体験と祈りの価値】
恥ずかしいことですが、実は筆者は異邦人の信徒らしく、当初長い間、祈りらしい深い祈りをしたことがありませんでした。むしろ祈りを軽視し、祈りに時間を費やすより、実践した方が合理的だといった現実的な考え方を持っていたように思います。つまり、「実践こそ最大の祈り」であるとの価値観に染まっていたのです。従って祈りは筆者にとって馴染みにくい大きな壁でありました。
筆者が最初に祈りらしい祈りを体験したのは、27歳になる9月2日の誕生日を、厚木で行われたセミナーで迎えたときでした。最初の40日は原理の講義を中心としたセミナーでしたが、この時一大決心をして、1日3回、神に向かって談判祈祷をして何かを掴みたいと覚悟を決めました。当時筆者は精神的にギリギリまで追い詰められており、これを突破するには「祈り」しかないと判断したのです。そのための供え物は一日3食のメインになる副食(おかず)を神に捧げるというものでした。祈りに克己を要したというのです。
そして見えない神に祈り捧げるという慣れない行為を通じて、初めて真剣に神と対峙し、そして遂に神秘と出会うことになりました。
ある日の祈祷の中で、祈りとみ言が一体となった「神秘的経験」をし、この時、祈りを通じてみ言が自分と直接的な相対圏に立つという真理、即ちみ言と自分との一体感に目覚めました。み言と自分との間に距離があった筆者でしたが、その距離が無くなり、み言と一体なっているという神秘体験であり、正にみ言は「神の言葉」であることを認識した瞬間でした。
この時、バークレー著『聖書ハンドブック』に書かれた言葉、「聖書の言葉は何十回、何百回読んでも常に新鮮で新たな感動を与えてくれる」という意味がやっと理解できました。創始者も「真理のみ言は、同じ内容を百回聞いても嫌になりません」(天聖経第八篇)と言っておられる通りです。
つまり、神の言葉は単なる哲学でも歴史書でも文学でもなく、霊であり、命であるというのです。しかし信仰者としての当然のこの真理は、長く自分から隠され、遠ざけられていたというのです。
そうしてその神秘体験をした以後も、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」とのことわざの通り、実践こそ最大の祈りであるとの価値観は自分を支配し、祈りに深刻な意義を見出し得ず、毎日一定の時間を祈りを捧げると言ったことは、筆者からほど遠い習慣でした。しかし、かって談判祈祷を通して、一度は体験したみ言との一体感は、筆者の原体験として深く刻まれ、折に触れ内心に復活し、筆者を導く羅針盤になりました。
創始者は、「祈りは神との対話、自然な霊的な呼吸である」と言われ、祈りを通しての神と結ぶ「心情の絆」を強調されました。また、次のようにも言われました。
「今まで、福を下さる神様、慰労して下さる神様、試練から救って下さる神様と思ってきましたが、可哀想な神様を慰労して差し上げ、救ってさしあげ、世に神様を証して差し上げる祈りこそ真の祈りです」(天聖経P1523)
正に慰労される祈りから、慰労する祈りへの転換です。かのルターの告白のように「祈るとき、わたしに大きなものが宿ります」とまではいかないにしても、こうして「先ず、祈りから始めよ」との標語は、「本心の声に従え」と共に、筆者のよき羅針盤となりました。
古今東西、宗教の本質は祈りであり、仏教でもキリスト教でも、祈りは最も重要な信仰の要素です。特にギリシャ正教では、聖歌は心からの祈りであり、聖書は経典であると同時に「聖歌の書」であるとされています。
祈りとは、神に問い掛けること、神を礼拝し讃美すること、そして、悔い改めて神の事情に通じることであり、目には見えないが、確かにいましたまう父母なる神と、祈りを通じて「深い絆を結ぶこと」は、信仰者の命であり、そして力であると思われます。(了)
牧師・宣教師 吉田宏
上記絵画*ゲッセマネのキリスト(ハインリッヒ・ホフマン画)