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福沢諭吉論② 福沢イズムの淵源とキリスト教

◯つれづれ日誌9月15日-福沢諭吉論②ー福沢イズムの淵源とキリスト教


この9月12日、トランプ元大統領と安倍晋三元首相は、韓国京畿加平郡清心ワールドセンターで、国連NGOの天宙平和連合(UPF)と世界平和統一家庭連合が共同開催した「THINK TANK 2022希望前進大会」において、画期的な歴史的演説を行いました。


双方、今や世界自由諸国の最高指導者であり、次期大統領、次期首相に復活する可能性が極めて高いと言われています。その二人がUPF・家庭連合が主宰する大会で、「THINK TANK2022」の平和構築ビジョンと業績を高く評価し、韓鶴子総裁に熱い賛辞を送られた上、韓半島と世界の平和への展望を格調高く語ったというのです。


曰く、トランプは「平和への意思と情熱が国を動かし、歴史を作る」と語り、また安倍晋三は「いつの時代も理想に向かう情熱が歴史を動かしてきました」と訴えました。


そしてこの歴史的な演説は、今日まで異端とのレッテルを貼られ、いわゆる霊感商法以来のネガティブキャンペーンに晒され、社会的バッシングをほしいままにされてきた日本のUCと信徒にとって、これ以上ない福音となりました。


今回、このようなUCの大会で祝意を述べることが、如何なる社会的、政治的批判に晒されるかを十分認識した上で、なお堂々たるスピーチを行われた二人の勇気と決断に心からなる拍手と称賛を送ります。トランプ氏はワシントン・タイムズが、安倍氏は岸信介が大きな力になったと思料するものですが、それにしてもUPF・韓鶴子総裁の渉外力と頂上作戦には脱帽です。そして何よりも神の霊、聖霊が働かれました。


こうしてこれら希代の世界的政治指導者から、確かなお墨付きを貰ったUCは、これを期に社会的評価が格段に高まることは明らかであり、この運勢をUCのリバイバル、成約の文明開化にしっかり繋げたいものです。


【福沢の近代化と文明開化の意味】


さて、前回は福沢諭吉の全体像とその思想について述べましたので、今回は、福沢が日本の近代化のために導入しようとした西洋文明をどのように理解していたのか、そして西洋文明の根幹にあるキリス教をどのように理解していたのか、またそもそも宗教をどう考えていたのか、といった点について考察したいと思います。


<文明の意味と本質及び西洋文明>

福沢は「文明とは、知性を磨き、徳を向上させて人間を高尚にし、人の身(衣食住)を安楽にすること、即ち、「知徳(知性と特性)の進歩、国民の精神発達である」(『文明論の概略』)と述べました。


このように、福沢諭吉のいう文明とは、智徳の進歩であり民衆の精神発達であるとし、その西洋文明の本質は「権利の平等」にあり、文明の精神は「国民の気風」として表れるというのです。


ちなみに一般的には、人知が進んで世の中が開け、精神的、物質的に生活が豊かになった状態を文明と呼び、特に、宗教・道徳・学問・芸術などの精神的なものを「文化」というのに対して、この文化を土台に技術・機械の発達や社会制度の整備などによる経済的・物質的文化を「文明」と区別して呼ぶことがあります。


そして、知徳の発達段階において、アフリカなどを「野蛮」、日本やアジアを「半開」(半文明)、西洋を「文明」と位置付けた上、当時西洋文明はアジア・日本の文明より一歩進歩したものであり、従って西洋文明を目標として、日本の近代化、国民の文明開化に資すべきであると主張しました。


また西洋文明の特質として、 内的には「独立自尊の精神」(気風)だとし、外的には「科学技術や近代的諸制度」だとしました。そしてこの西洋文明をもって封建的門閥制度と陳腐化した儒教的秩序を一掃しようとしたのです


福沢は『学問のすすめ』において、個人人格の平等と尊厳を語り、実証的研究を重視する科学的精神の鼓舞と愛国精神の涵養を唱えました。『学問のすすめ』が目指したものは、日本の旧制度・旧思想の駆除であり、封建的屈従性と非科学的迷妄の打破でありました。



長く日本は、封建的儒教秩序の中で、個性と主体性を失い、文明の開化は損なわれてきたと主張し、これを改革するためには、西洋的な独立自尊の気風を啓蒙し、国民精神を高尚あらしめなければならないというのです。


この点、久保木修己元会長も、次のように語られています。


「集団主義的な傾向が日本の特質の一つであり、この集団志向、共同体意識自体は悪いものではありませんが、その結果個の自覚の喪失をもたらしました。集団への忠誠や公への志向性は、私心を嫌う心性を醸成すると共に、個を否定する文化、即ち、没個性、没主体性の性格を形成したのです」(著書『愛天愛国愛人』)


<独立自尊とは>

さて福沢のいう学問とは、物心両面において物事の道理をつかみ、人間に役立つ実学を意味し、もっぱら「独立自尊」の気概を養うことであるとしました。


当時の日本は、いかにすれば個人や国が独立し、植民地化を防いで近代化できるのかが、深刻な課題であり、それには国民の独立自尊の気概を涵養する「国民皆学」が必要だと説いたのです。


前回述べましたように「独立自尊の精神」とは、「他に依存せず、自他の尊厳を尊重して、何事も自分の判断と責任のもとに行うこと」を意味しました。一身が独立して、一国も独立するとし、「独立自尊・自由・権利(理)の平等」こそ福沢が目指した到達点でした。


福沢は、革新期における解放思想家の第一人者として、その主張するところは、因襲に対する合理、差別に対する平等、束縛に対する自由、服従に対する独立であり、人間性を自然のままに解き放つことは、最も強調したところでありました。(小泉信三著『福沢諭吉』岩波新書P200)


<独立自尊の根拠としての西洋文明>

このように福沢は、理想とした「独立自尊・自由・平等な権利(理)の確立」を、西欧文明をもって涵養しようと図りました。


福沢は1875(明治8年42才)、『文明論之概略』を刊行していますが、その中で、この本を書くにあたって、トーマス・パックルの『英国文明史』、フランソワ・ギゾーの『欧州文明史』を参考にしたと述べ、西洋文明を取り入れることによって、独立自尊の精神を育み、日本の独立を護ることが本書の著作目的だとし、国の独立が目的で、西洋文明はこの目的に達する術であると明言しています。


そして独立自尊の思想的根拠として影響を与えたのがアメリカの独立宣言であり、ジェファソンの手になるこの独立宣言は、「すべての人間は創造主によって平等に造られ、一定の譲り渡すことのできない権利をあたえられている」とある通り、キリスト教のビューリタン精神にその淵源があることは明らかであります。


つまり、西洋文明の根幹はキリスト教であり、独立自尊・自由平等の観念、科学技術や政治的・経済的諸制度など、これらは皆キリスト教がその源になっているというのです。即ち、福沢が信奉していた西洋文明はキリスト教文明に他なりません。


【福沢諭吉の宗教観とキリスト教】


では、福沢の宗教観とは何であり、とりわけキリスト教をどのように見ていたのでしょうか。


<日本の神々>

福沢諭吉は幼少期から、宗教については淡白なところがありました。『福翁自伝』において、「幼少の時から神様が怖いだの仏様がありがたいだのということはちょいともない。うらないまじない一切不信仰で、きつねたぬきが付くというようなことは初めから馬鹿にして少しも信じない。子供ながらも精神は誠にカラリとしたものでした」と述べています。


また、神社の祠に安直されていたご神体の石を道端の石と取り替えて、祟りがあるかどうかを観察したとも述べ、福沢の合理的精神が現れています。


この神々への福沢の態度は、実に内村鑑三とは対象的です。内村は、小さい時から神社の神々の信者であったことを告白し、「各神社の前を通る時には、それぞれの神々に祈りを捧げました。拝まなくてはならない神々の数は日増しに増えていき、もはや手におえなくなりました」と証言しています。(自叙伝)


また縁日には神社に供物を捧げる儀式を欠かさず行い、鎮守の神様に心からなる祈りを捧げたといいますから、それが異教の神々であっても、内村の宗教的感性は子供のころから異常に鋭敏だったと言わざるをえません。


こうして合理主義の福沢自身は、特定の宗教に帰依していた形跡はありませんが、かといって宗教を否定したり、宗教を不要としていた訳ではありません。福沢には内村と同様、人知を越えた天理を感じる感性がありました。また葬儀は仏式で行い、浄土宗の常光寺に葬られ、「大観独立自尊居士」という法名をもらっています。


<福沢諭吉と内村鑑三>

日本の近代化に身を捧げた福沢でしたが、福沢には内村のような明確な神観や罪観はなく、宗教の根幹をなす「神・罪・救い」ということについてはほとんど述べませんでした。


従って福沢は、日本近代化の思想啓蒙家であって、宗教家でも、ましてやキリスト教徒でもなく、この点が、同じ思想家である内村鑑三や新渡戸稲造との明確な違いであります。


即ち、福沢と内村には、教育者と宗教家、啓蒙家と神学者という違いがあり、内村にはキリスト教の福音宣教という信仰目標がありましたが、福沢には西洋文明の啓蒙という目標がありました。内村は人間の実存的な魂の救済を目的としましたが、福沢は日本の近代化と日本人の文明開化を目的としました。福沢は、時間をかけて文明思想を流布させ、日本を強い自主独立の国家にすることを使命としたのです。


<漢学・儒教への態度>

福沢は、上記で見てきた封建的な身分制度を擁護するかに見える儒教をはげしく批判しました。福沢は、四書五経に通じ、論語や孔子の言葉を著書に多々引用して、孔子と孟子を、「古来稀有の思想家」として高く評価しつつも、儒教的な「政教一致」や儒教的徳目の欠点を指摘し嫌悪しました


『学問のすすめ』において、孔子の時代は2000年前の野蛮文明の時代であり、国家の秩序を維持するために、人心を束縛する権道しかなかったとし、後世に孔子を学ぶ者は時代を考慮に入れて取捨すべきであると主張しています。


こうして福沢は漢学を徹底的に批判しました。 そのため孔孟崇拝者から憎悪されましたが、福沢は自伝の中で「私はただ漢学に不信仰で、漢学に重きを置かぬだけではない。一歩進めていわゆる腐儒の腐説を一掃してやろうと若い頃から心がけていた」(福翁自伝)と語りました。


さらに「かくまでに私が漢学を敵視したのは、今の開国の時節に古く腐れた漢説が後進少年生の脳中にわだかまっては、とても西洋の文明は国に入ることができぬと、あくまで信じて疑わず、いかにもして彼らを救い出して我が信ずるところへ導かんと、あらゆる限りの力を尽くし、私の真面目を申せば、日本国中の漢学者はみんな来い、俺が一人で相手になろうというような決心であった」(自伝)とその心境を語っています。


即ち、偏狭な儒教の束縛から国民を解放し、西洋列強の侵攻から、いかにして日本の独立を守るかということが、福沢の焦眉の課題であり、そしてその大きな成果こそ、廃藩置県と日清戦争の勝利でした。


<キリスト教との関わりについて>

前述しましたように、福沢諭吉は欧米キリスト教の自由人権思想や書物から多大な影響を受けました。


福沢諭吉はその著書『西洋事情』で、「1776年7月4日アメリカ13州独立の檄文」としてアメリカ独立宣言の全文を和訳して紹介しました。ここには何人にも神から付与された天賦の自由人権が存することが明記され、この神とは聖書とキリスト教が示す神(God)であることは明らかです。


また福沢は、イギリスの代表的政治家ウィリアム・グラッドストンを深く尊敬しました。グラッドストンは、 ヴィクトリア朝中期から自由党を指導し、4度にわたり首相を務めた政治家であります。そして 生涯を通じて敬虔なイングランド国教会の信徒であり、キリスト教の精神を政治に反映させることを目指して多くの自由主義改革を行いました。


更に、福沢が傾倒したフランシス・ウェーランド(1796~1865)は、親子二代のパプティスト派牧師であり、パプティスト派が設立したブラウン大学の学長を長く勤め、著書『経済学原論』や『モラル・サイエンス』(修身論)を著し、この書を福沢は愛読しました。


ウェーランドのモラル・サイエンスはキリスト教的倫理観に基づく道徳倫理の教科書として明治初期に教科書にも使われ、広く読まれました。福沢はこの書をこよなく愛読し、『学問のすすめ』はこのモラル・サイエンスから多大な影響とヒントを受けて書かれたと言われ、福沢の生涯に渡る思想的基礎になりました。


以上のように、福沢はクリスチャンではなかったものの、キリスト教乃至はキリスト教思想から重大な影響を受けたことは明らかであります。


福沢は著書『文明論の概略』の中で、「ローマにゲルマン民族が進入した当時は、この無法の世に天の道理や人の道を知っていたのは、ただキリスト教しかなかった。もしこの時代にキリスト教がなかったなら、ヨーロッパ全土は野獣の世界だっただろう」(現代訳『文明論の概略』ちくま文庫P258)と述べています。


ちなみに福沢は、自分の子供たちへの「ひびのおしえ」(日々の教え)の中で神(ゴッド)を恐れることを説いています。


ひびのおしえ二編には、「おてんとうさまをおそれ、これをうやまい、その心に従うべし。おてんとうさまとは、にちりんのことではなく、西洋のゴッド、ぞうぶつ主なり」と諭し、「父母を敬え、殺すべからず、盗むべからず、いつわるべからず、むさぼるべからず。おてんとうさまのおきては永遠で、これを恐れ守るべし」と、モーセの十戒をもって教育しました。(小泉信三著『福沢諭吉』岩波新書P83)


聖書に「神を恐れることは知識の始めなり」(箴言1.7)とあるように、こうして二児に神を恐れることを教えました。福沢は二児をキリスト教の聖職者に就かせることを意図したという説もあります。


なお福沢は、少年期から酒には目がなく、朝酒、昼酒、そして晩酌と大酒飲みであったことを自ら告白し(自伝)、また適塾でタバコを覚えてから生涯吸い続けました。しかし好男子の福沢は、27才で結婚するまで、一度も女性と交わったことがなく、また結婚後も妻以外の女性とは関係を持つことなく、生涯貞操を守りました。当時愛人を囲うことなど、男子のステイタスでもあった時代に稀有なことで、キリスト教の聖職者も顔負けです。


また福沢は、男女の平等を唱え、一夫一婦制を主張し、純潔の大切さを説きました。福沢のこれらの思想は、明らかにキリスト教倫理の影響によるものと言えるでしょう。


<福沢の神>

福沢諭吉と同世代の思想家を挙げると、橋本左内とは同年代、坂本龍馬は1つ年下、高杉晋作は5つ年下、吉田松陰は4つ年上で、これら幕末の人物と同世代であります。


同時代の思想家で最も共通しているといわれているのは横井小楠で、小楠が唱えた「天意自然の理に従うという理神論的な天の思想」は、福沢の宗教観と合致すると言われています。


福沢は、よく「天理・天道」という言葉を使い、聖書の神こそ信じていませんでしたが、宇宙と歴史を摂理されるもの、天理天道を司る大いなる存在を意識していたことは確かです。


福沢の神観は、西洋の宗教思想である「理神論」、乃至は「ユニテリアン」に近いのではないかと思われます。福沢は日本でしか通用しない教育勅語に変わる道徳の啓蒙思想として、ユニテリアンを支持していたと言われています。


ちなみにユニテリアンとは、キリスト教正統派教義の中心である三位一体の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称をいい、ユニテリアンはイエス・キリストを宗教指導者としては認めつつも、神としての超越性は否定しています。キリスト教正統派の中心教義を否定しているため、正統派キリスト教から異端視されています。


アメリカ初代大統領のワシントンは、敬虔なキリスト者でありますが、ユニテリアンに親しんでいたと言われ、「神」という言葉をあまり使わないかわりに、「プロヴィデンス(摂理)」あるいは「世を司る偉大なる者」というような言い方を好んだとされています。


そして福沢は、『福翁自伝』の最終章で、今後やってみたいこととして、次の三点を挙げました。


①国民の気品を高尚なものに導くこと→教育啓蒙

②仏教かキリスト教を引き立て、国民の心を和らげること→民心の魂の安定

③予算を立てて高尚な学術を振興すること→学術の新興


つまり晩年福沢は、宗教によって民心を安定させたいとの願望を持っていたというのです。福沢に「原罪観念と贖罪思想」があれば鬼に金棒だったのにと思うのは、筆者の過分な欲求と言うものでしょうか。



以上、二回に渡って福沢諭吉を論じて参りました。今振り返って福沢の存在意味を考えるとき、あの日本の明治維新という動乱期、封建時代から近代日本への脱皮の時代に、その「思想的産婆役」として神が準備し、神が召した人物だったのは確かです。


釈尊・孔子・マラキ預言者・ソクラテスなど、大思想家を集中的に生み出した前5世紀を、ヤスパースは「歴史の枢軸時代」と呼びましたが、数多の奇才を生み出した明治維新の時代は、確かに日本の枢軸時代と言えるでしょう。そして福沢はその一人でした。


福沢は、岩倉具視、大久保利通、木戸孝允ら維新の立役者との交流もありましたし、その一人であった西郷隆盛の非業の死については、著書『明治十年丁丑(ていちゅう)公論』で言葉を尽くして擁護しました。


西南戦争を起こした西郷を、「西郷の死は憐れむべし、之を死地に陥れたるものは政府なり」と弁明し、開明派として知られる福沢が、反乱軍を率いた西郷をかばったのは意外でした。福沢の人情味が表れています。


こうして私たちは福沢から、学問への飽くなき意欲と探求心、近代化・文明開化への不退転の情熱、そして因襲にとらわれない大胆な改革精神を学ぶことができるでしょう。


日本はこの150年の間に、明治維新と戦後維新という、2度に渡る未曾有の価値転換を伴う変動を経てきました。明治維新は西欧文明によって近代化をもたらし、戦後維新は300万人の犠牲によって新生日本を生み出しました。


そして今や「神の復権」によって3度目の完成期的な令和維新、神日本がもたらされる時であります。(了)