○つれづれ日誌(8月25日)―終戦記念日に四たび鎌倉霊園を訪れて
究極的な宗教的真理は、信仰告白によって可能になる(韓国牧会者団声明文より)
この8月15日の鎌倉霊園墓参には、筆者に取って二つの重要な意味がありました。一つは恒例になった鎌倉霊園への「墓参」であり、今一つは、いわゆる「終戦記念日の追悼」であります。
【4回目の鎌倉霊園訪問に際して】
筆者に取って年一回の鎌倉霊園訪問は、懇意にしていた篤志家信者や先祖全体への懺悔と慰霊、そして神と霊界に向けた誓いの一時として、大変大きな意味を持ってきました。また、先の大戦で亡くなった軍人・民間人、あわせて310万人の慰霊の日でもあります。
そしてこの際、鎌倉霊園訪問の機会に、墓参の意味と先の大戦の意味について、振り返って考えて見たいと思います。
<墓所とは何か>
先ず、墓参の対象である墓所、即ち「お墓とは何か」についておさらいしておきます。
一般的に、日本の仏教や神道では先祖を「仏」または「カミ」(神)として崇め、特に仏教では、お墓は「肉体の魂が眠る場所」で、自宅の仏壇の位牌は「精神の魂が眠る場所」だといった考え方があります。
このため、彼岸やお盆など決められた日にお墓参りや法要を行い、先祖を慰霊いたします。
一方、キリスト教では、死とは霊魂が肉体から分離し霊界で永住することを意味し、肉体から分離した死後の霊魂は地上に留まることはなく、従って墓に肉体が埋葬されたとしても、実際には墓には死者の霊魂はいないということになります。
確かに、墓に納骨された死者のお骨は、死者の人格の象徴と言えますが、あくまで死者の霊魂とは別なものであります。ですから、お墓は故人の霊魂が眠る場所ではなく、故人の生きた証し、あるいは故人に思いを馳せるための「記念碑」ということになります。
つまり、お墓は故人を偲ぶための「記念碑的な象徴」、ないしはその人の「生きた証」という意味合いになります。墓所は、「メモリアル」(記念碑)であり、いわば故人の地上における象徴的な戸籍のようなものと言えるでしょう。
従って筆者は、本年4月26日に配偶者が亡くなったことを機会に、吉田家の墓所(富士宮朝霧霊園)をつくりましたが、墓石には「墓」と書かず「吉田家メモリアル」と刻み、墓碑銘を「信仰希望愛」としました。納骨は秋に予定しています。
<4回目の鎌倉霊園訪問>
さて今回で鎌倉霊園への訪問は4回目になりますが、次回からは、上記の富士宮朝霧霊園になります。従って鎌倉霊園への墓参はこれで最後になりました。
そして筆者にとって今回の霊園訪問は特別な意味を持つものになりました。即ち、この訪問を機会に、神と先祖の前で、ある重要な信仰告白をすることになったからです。
実は筆者は、今回の墓参の前、ある信じられない重大な出来事に遭遇していました。その瞬間、神がこの出来事を通して自らに何かを言いたいのではないか、これを機に深い悔い改めを求められているのではないか、との思いが沸き起こってきました。
筆者はこれまで、大きく2回の信仰告白をする機会がありました。第1回目は1987年12月、41歳の時で、いわゆる「ブラック興進様」によるコンフェッション(信仰告白)が行われ、筆者も参加したことです。
これは信者を悔改させる為の告白式で、過去の罪を整理し、これを告白し神に許しを得るというものです。針のむしろとはこのことで、筆者はその場に臨み、自らの罪に戸惑いながらも、それを告白することになりました。
しかしこの時は、コンフェッションの意味も意義もわからず、ただ全体的な成り行きの中で、受動的に行ったもので、罪を告白したことへのある種の安堵感はあったものの、霊的覚醒や回心を伴うようなものではありませんでした。
第2回目はセドナにおける信仰告白で、これは実質を伴うものになりました。筆者は、2011年7月27日、65歳を迎える夏、アリゾナ州セドナ山頂にある「聖十字架教会」礼拝堂にて、「文鮮明先生が無原罪の再臨のキリスト」であること、そして「原理が最終的な宗教真理、即ち黙示録5章の7つの封印を解いた真理」であること、この2点についてはっきり告白いたしました。
以後、この信仰告白は、今なお筆者の心の中で生き続けています。あとは、この信仰告白をいかに明確に論証し、実証するかであり、そのための探求の人生が始まりました。神学への本格的な取り組みであります。
そしていよいよ第3回目の信仰告白です。上記しましたように、ある重大な出来事に遭遇していた筆者は、かのアウグスチヌスが霊的に追い詰められた末、やっと回心に至った経緯が著書『告白』で語られていますように、遅まきながら遂に筆者は、人間の罪の根源に関わる事柄についての信仰告白を余儀なくされ、またそのように導かれました。これが、今回の霊園訪問での最も大きな出来事であります。
そして韓国牧会者団声明文にある「究極的な宗教的真理は、信仰告白によって可能になる」との一節は、筆者を信仰告白に導いた回心の言葉になりました。
【終戦記念日に思う】
そしてまたこの度の霊園訪問は、終戦記念日について、しばし考察する機会になりました。8月に入って、6日、9日の広島と長崎の原爆記念日が過ぎると、終戦記念日が到来します。先祖が返ってくるといういわゆるお盆は8月13日~16日ですが、8月15日は終戦記念日でもあり、犠牲になった310万人の英霊に心からの慰霊を捧げる日であります。
筆者は鎌倉霊園にて、これらの英霊に祈りを捧げると共に、先の大戦が何だったのか、その歴史的意味について、改めて考える機会になりました。以下、識者の見解と共に、筆者の考えるところを述べたいと思います。
<大東亜戦争悪玉論>
「歴史は勝者がつくるもの」とはよく言ったもので、先の大戦は「日本軍国主義による侵略戦争だった」とのレッテルが貼られて久しく、学校でもそのように教育されてきました。また、日本軍は、アジアのあちこちで、軍人・一般人を問わず、人々を苦しめ、悪逆非道なことを行ったと言う訳であります。
従って、あれから75年が過ぎましたが、戦後の日本は、ひたすら頭を低くしてものを言わず、謝罪外交・土下座外交に徹してきました。このように、確かに戦争とは「敗戦した側が悪い」という原則がまかり通るというのが現実であります。
<植え付けられた自虐思想>
しかし、果たして先の戦争は、一方的な日本悪玉論として片付けてもいいのでしょうか。実はこの日本悪玉論は、戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が植え付けた自虐史観であるという見方があるのです。
つまり、戦後のGHQのいわゆる「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」(War Guilt Information Program)が、これらの日本悪玉論を徹底して民に刷り込み、自虐思想を植え付けたというのです。。
ちなみに「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」とは、大東亜戦争終結後、GHQが日本占領政策の一環としておこなった日本国民に対する再教育計画、即ち「戦争についての罪悪感を日本人の心に植え付けるための洗脳計画」であります。 このプログラムの冒頭には 「日本人の心に国家の罪とその淵源に関する自覚を植えつける目的で開始する」とあります。
このプログラムの目的について文芸評論家の江藤淳は、この戦争を日本の「軍国主義者」と「国民」とを対立させようという意図が潜められ、この対立を作ることによって、実際には日本と連合国、特に日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする意図が秘められている、と分析しました。
つまり、「以後日本人の矛先は、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら軍国主義者と旧秩序の破壊に向けられた」と指摘しています。
また、「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する罪を犯したのも、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成り立つとし、大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、「実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない」ということになると主張しました。
平和記念像(長崎市) 原爆ドーム(広島市) 極東国際軍事裁判(東京裁判)
また江藤氏は、極東国際軍事裁判は、それ自体が大規模な「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」であり、「日本から自己の歴史と歴史への信頼を根こそぎ奪い去ろうとする組織的かつ執拗な意図が潜んでいた」と主張しました。
<二人の識者の見解>
高砂教会牧師で日本総福音化協議会総裁の手束正昭氏は、著書『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』の中で、「大東亜戦争は本当に侵略戦争だったのか」と題する一章を設け、大東亜戦争の日本悪玉論は、GHQのウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムによる洗脳であるとし、また、南京事件の数字にも疑義を呈しています。
つまり大東亜戦争は、自存自衛の戦いであると共に、欧米の支配からアジアを解放するという目的を持った戦いであったとし、中国による華夷秩序の形成を阻止し、アジアに自由互恵の新秩序を打ち立んとした戦いでもあったと主張しました。(『日本宣教の突破口』P293)
そして手束氏は、クリスチャン自身がこのGHQの洗脳プログラムに犯されており、日本キリスト教団において「戦争責任告白路線」が定着していると嘆かれた上、戦後の日本でリバイバルが起きないのは、この洗脳による罪責感から解放されていないからだと語られました。(同P108)
またヒューストン大学教授ジェラルド・ホーン氏は、著書『人種戦争』(祥伝社)の中で、 以下のような内容を述べました。(加瀬英明氏序文)
即ち、大東亜戦争で、黒人、東南アジア、インドの民衆、オーストラリア・ニュージーランドの先住民が、いかに日本を光として仰ぎ、日本の勝利を強く願ったかが克明に述べられています。
アメリカからアジアまで、有色人種の民は植民地化され、白人優位の絶対的秩序のもとで、人としての尊厳を奪われて生きてきましたが、日本軍の目覚まし進撃によって、その重い鎖からはじめて解き放たれたというのです。
白人たちにとって、日本軍の進攻によって、数世紀に渡る白人優位が打破されたことは、仰天動地の出来事でした。そしてアジアの人々は、日本兵が、占領地域において、アジア人に対して、思いやりを持って接したことを証言しました。 中国人が、打算的で、白人に媚びていたのに対して、日本は決然として白人と対決していたというのです。このように、日本が大きな犠牲を払って、アジア・アフリカを解放したと称賛しました。
そして以上のような歴史認識を、キリスト教の牧師やアメリカ人教授が語っているところに大きな意味と信憑性があるというのです。筆者は、上記、江藤、手束、ジェラルド・ホーン各氏の見解に、少なからず共感を覚えるものです。
<これからの歴史認識と日本>
しかし、満州事変や日中戦争以降、軍部の独走や天皇神格化による思想統制などが行われ、人権弾圧や近隣諸国への締めつけが行われて、民主主義が損なわれたことは事実です。また、国家神道による宗教統制も見逃すことは出来ません。
このような「戦前の負の部分」を正しく認識した上で、一方では上記の洗脳プログラムによる自虐思想から解放されなければならないというのです。つまり、バランスの取れた歴史認識が今ほど必要な時はないと思われます。
久保木元会長は、「日本は敗戦体験により、戦前の傲慢さを捨て、謙虚になることが出来て、これも神の経綸だったのではないか」と語られました。(著書『愛天愛国愛人』P186)
大東亜戦争の敗戦は、日本が生まれ変わるために、悔い改めの機会を与えて下さった「神の愛の試練」であるというわけです。そして、このように捉えるのが、聖書的視点から見た太平洋戦争の見方であります。
日本には讃えるベき多くの美風があり、日本によってアジア諸国が解放されたこと、また、戦勝国家などによる日本への一方的な断罪(極東裁判)、そして上述したGHQによる自虐思想の刷り込み等々、日本を弁護したい事情は多々あります。戦勝国家も敗戦国家も、共に非があるからです。
しかし、偏った国家主義、戦勝による慢心、汚染された宗教思想などの堕落性は、一旦清算されねばならず、太平洋戦争は、日本が新生し、国家的回心をするための敗戦という神の分別であり、浄化だったというのです。
従って、これからの日本は、慢心であっても、自虐的であってもならず、釈尊の中道思想のように、両極端を廃してバランスの取れた歴史認識と対外外交を進めることが肝要だと思われます。
「沈黙は金・雄弁は銀」という格言がありますが、これからは、非は非、是は是として、堂々と自己主張していかなければなりません。
以上、8月15日の鎌倉霊園墓参において、筆者に起こった出来事や考えたことを、率直に述べて参りました。土砂降りの中での今回の墓参は、実に多くのことを教えられ、また決断させられた忘れられない一日となりました。皆様の何かの参考になれば幸いです。(了)
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