総選挙は善悪分立の選挙 - ルツ記に見る神の見えざる手
- 1月29日
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更新日:1月29日
○徒然日誌(令和8年1月28日) 総選挙は善悪分立の選挙ールツ記に見る神の見えざる手
モアブの女ルツはナオミに言った、「どうぞ、わたしを畑に行かせてください。だれか親切な人が見当るならば、わたしはその方のあとについて落ち穂を拾います」。ナオミが彼女に「娘よ、行きなさい」と言ったので、ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。(ルツ記2.2~3)
プロローグー山上被告の無期懲役判決
1月21日、奈良地裁で山上徹也被告に求刑通り無期懲役の判決が下った。劣化する日本の司法であるが、すんでのところで司法の矜持が示された感である。
弁護側は、UCを巡る不遇な生い立ちが「宗教的虐待」に当たるなどと主張していたが、田中伸一裁判長は「犯行は卑劣で極めて悪質。殺人の意思決定に生い立ちが大きく影響したとは言えない」と述べ、無期懲役を言い渡した。教団への怒りから殺害に及んだといった経緯には「飛躍があり、動機や経緯について酌むべき余地は大きくない」とし、「手製銃の準備期間が約1年半の長期間にわたっていたことから計画性は高く、犯行は短絡的で自己中心的な意思決定に基づくものだ」と断じた。山上は犯行当時41才であり、生い立ちのせいにするのは責任転嫁もはなはだしい。
2026年2月号の月刊『正論』において、「山上家の深闇―安倍暗殺犯、本当の動機」と題する作家で論客の加藤文宏氏の一文が掲載され、山上家の歴史を十分に容赦なく再構築し、その嘘を暴露した。

加藤氏は山上の家庭について、「山上が4歳のとき、祖父(母の父)と対立して酒浸りになりアルコール中毒とうつ病を患っていた父が投身自殺をした。自殺に至るまでの父は、家庭内で暴力を振るっただけでなく、誕生間もなくリンパ腫の手術を受けた長男の健康に不安を抱えた母の立場を理解しようとしなかった。このため母は実践倫理宏正会の活動と献金に没頭して、心の平安を保とうとしたのだった。父が自殺したとき母は山上の妹を妊娠していた」という。母親がUCと出会うはるか以前から、この家庭はすでに崩壊へと向かっていたのである。
そして「山上が6歳になる年、バブル経済が到来して土木会社は好景気の恩恵を受け、以前から裕福だった暮らしはますます豊かになった」ともある。つまり、子供たちは貧困の中で育ったのではなく、比較的恵まれた環境で成長した。山上自身も後にXで「貧困ではない。むしろ裕福だった」とポストしている。その後、母が実践倫理宏正会を離れ、長男の病状を苦にしてUCを信仰するようになる経緯が記されている。
また山上は高校卒業後、私立大学に合格しており、妹は私立大学を卒業している。検察側は、山上も署名押印した5000万円返金の合意書を示し、月30万~40万円が返金され、毎月13万円が山上に振り込まれていたと指摘した。つまり、オールドメディアが喧伝するように、山上は決して貧しくはなかったし、返金開始の2005年の時点で、山上にとって母親の献金問題はすでに「感情的に一区切りついていた」という。
即ち、安倍晋三氏の暗殺は宗教的搾取の帰結ではなく、それは、人生に行き詰まり、精神的に追い詰められていた山上の個人的な妄想と社会的孤立であり(精神病を患っていた可能性がある)、そして旧統一教会に悪役を見出し、不都合な真実と向き合うことを避けた国家的ナラティブ(物語)がUCをスケープゴートにした。またUCをスケープゴートにした山上問題は、オールドメディア、紀藤正樹、鈴木エイト、有田芳生らの左翼がでっち上げた荒唐無稽なナラティブでもあった。 (ホームページ参照→令和7年12月24日徒然日誌「山上裁判無期懲役求刑に思う」)
【衆議院総選挙に思うールツ記に見る見えざる手】
さて衆議院は通常国会召集日の1月23日の本会議で解散され、衆院選は27日公示され、激しい選挙選に突入した(2月8日投開票)。自民党と日本維新の会による連立政権発足後初の国政選挙で、与党が過半数を維持できるかが焦点であり、高市首相は与党で過半数を割れば首相を辞任すると明言し、退路を絶って背水の陣をとった。
筆者はこの高市首相の姿に旧約聖書のルツ記に登場する「ルツ」を強く想起した。聖書に「ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた」(ルツ記2.3)とある。この「はからずも」とは神の見えざる手を意味し、後述するように、ルツは我知らずのうちにメシアの家系を形成する摂理の真っ只中に立たされたのである。
そして筆者には、高市早苗首相がルツの運命とダブって見えるのである。
<目に見えない「何か」を持つ高市首相>

高市首相に不思議な強運、目に見えない何かを感じるのは筆者一人ではない。あたかも安倍元首相が高市首相に憑依復活しているかのようである。
総裁選の劇的勝利(2025年10月4日)、思わぬ自公連立の解消(10月10日)、迅速な自維連立(10月20日)、そして首相就任と強力な組閣(10月21日)。その後、日米、日中、日韓、日伊など世界首脳との会談を成功裏にこなすと共に、毅然とした対中姿勢は国民の支持を受け、世界に咲き誇る日本の存在を示した。
ちなみにイタリアのメローニ首相は帰り際に、「私たちはチームだ。何かあれば何でも言ってね」という言葉を残して帰途についたという。メローニにあやかって言うなら、高市早苗首相、片山さつき財務大臣、小野田紀美経済安全保障担当大臣の3人トリオは母性的国家日本の真骨頂である。
この間、高市内閣支持率は終始70%を越え、若年層支持率はなんと90%を越えた。そうして満を持して衆議院解散を断行したのである。総選挙に際し、立憲民主党と公明党は選挙目当てに野合し、意味不明な「中道改革連合」という得体の知れない新党を結成し、自ら墓穴を掘った。まさに今回の総選挙は、日本の国家百年の方向を決め、媚中を一掃する「善悪分立の選挙」であり、「政権選択選挙」である。
これら総裁就任後、総選挙に至る3ヶ月の一連の出来事には目を見張るものがあり、文字通り「見えざる手」を感じさせる展開であった。願わくば「サウル型強運」ではなく、「ダビデ型強運」であることを祈りたい。
ちなみにサウル型とは、運によって地位を得たが、その運を「自分の正当性」の証明に使い始めるタイプであり、 成功体験が「神の意志」ではなく「自分の資質」だと錯覚して自滅する人間である(1サムエル記15.11)。一方、ダビデ型とは、運を「自分の正当性」に使わず、むしろ「天からの預かり物」と捉えるタイプであり、強運を「使命」だと理解し、完全に「見えざる手」に導かれて成就する人物である(2サムエル記7章)。
<ルツ記に見る目に見えない手>
前述したように、筆者は高市首相と旧約聖書ルツ記の主人公ルツがダブって見える。ルツも高市首相と同様、「見えざる手」によって導かれた女性だからである。見えざる手とは端的に言えば「神の摂理(導き)」である。ルツの物語は、寡婦という悲劇的な状況から、「信仰」と「贖い」によってメシアの系譜へと繋がる経緯を描いている。
ルツはモアブ出身(異邦人)の女性であり、イスラエルの王ダビデの曾祖母にあたり、メシアの家系を形成した女性である。姑ナオミは夫エリメレクを亡くし、ルツも夫マフロンを亡くした。その後、ルツはナオミと運命を共にし、住んでいたモアブの地を離れ、エリメレクの故郷ベツレヘムへ移り、そこでボアズと出会い結婚してオベデ(ダビデの祖父)を生んだ。聖書に次のようにある。
ルツは言った、「わたしはあなたの行かれる所へ行き、またあなたの宿られる所に宿ります。あなたの民はわたしの民、あなたの神はわたしの神です」(ルツ記1.16~17)
異邦人モアブの女であるルツは、姑ナオミへの忠節と信仰を示すこの信仰告白によって、イスラエルの民が受ける祝福に与ることができたのである。ルツはイスラエルの神を受け入れたのであり、まさに選びは出自(民族)ではなく信仰による。そうしてナオミと共にベツレヘムに帰ったルツは、畑で「落ち穂拾い」をすることになった。そして落ち穂拾いにたまたま入った畑が、はからずも買い戻しの権利・義務を有するナオミの親戚ボアズの畑だったのである。
「ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた」(ルツ記2.3)
こうしてルツとボアスは運命の出会いを遂げ、ルツは土地と共にボアスに買い戻され(贖われ)、結婚してダビデの祖父オベデを産む。律法に造詣が深いボアズは、姑につくすルツに好意をもったのである。まさにルツは目に見えない手に導かれてメシアの家系に連なるのであるが、筆者はこのルツという女性と高市首相に「目に見えない手」という共通項を見る。また、買い戻しを求めるルツの「大胆な行動」(ルツ記3.7)は、高市首相の「大胆な決断」を彷彿とさせる。
振り返って見れば、筆者も目に見えない手に導かれた人生だった。20才で神の道に飛び込むことを余儀なくされ、危ない橋を渡るといった紆余曲折は絶えることなく、決して手放しで喜べる信仰路程ではなかった。だが傘寿を迎える今、全体として目に見えない手に導かれたという実感はある。罪深い筆者でさえ、こうして神は導いて下さったのである。
<落ち穂拾い・買い戻し>
ここでルツ記に出る「落ち穂拾い」と「買い戻し」について解説しておく。
「落穂拾い」は、穀物の収穫後に田畑に散らばる穂を拾い集める弱者保護の律法で、旧約聖書に規定がある。レビ記には、「畑から穀物を刈り取るときは、その畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。貧しい者や寄留者のために残しておきなさい」(レビ23.22)とあり、また申命記には「畑で穀物を刈り入れるとき、一束畑に忘れても、取りに戻ってはならない。それは寄留者、孤児、寡婦のものとしなさい」(申命記24.19)とある。
「ルツ記」では、未亡人となったルツが義母のナオミを養うために、裕福な遠縁の親戚ボアズの畑で落穂拾いをする情景が描かれている。
一方、「買戻し」(贖い・ゴーエール)とは、経済的・血縁的危機に瀕した親族(特に夫を亡くした未亡人)の土地や身分を、近親者(買戻し人)が買い取り、家系を再興させる古代イスラエルの慣習的律法制度である。ルツ記では、ボアズが「買い戻しの権利を持つ親類」(ゴーエール)として、ナオミとモアブ人ルツの土地相続と家系維持を担った。エリメレク(ナオミの夫)の家族の所有地を一族のものとして残し、断絶を防ぐために、ボアズは第一の権利者が辞退した土地の買戻しを行い、同時にルツと結婚して、亡きルツの夫(マフロン)の家系を維持したのである(申命記25.5〜10)。
この行為は、キリストが罪の負債を負った人類を贖う(買い戻す)ことの型として描かれている。聖書には買い戻しを求めるルツの大胆な姿が次のように書かれている。
ナオミはルツに、「それであなたは身を洗って油をぬり、晴れ着をまとって打ち場に下って行きなさい。そしてその人が寝る時、その寝る場所を見定め、はいって行って、その足の所をまくって、そこに寝なさい」(ルツ記3.3~4)と助言し、ルツは大胆にも姑のいう通りにしたのである。夜這いとも思えるルツの行為に驚いたボアズに対して、「わたしはあなたのはしためルツです。あなたのすそで、はしためをおおってください。あなたは最も近い親戚です」(ルツ記3.9)と堂々と応答した。
【論考ーイエスの系図の4人の女性】
前述のように、ルツははからずもボアズと結婚し、ダビデの曾祖母となり、メシアの家系を形成した。マタイ書1章のイエスの系図には、男系重視のイスラエルにあっては珍しく「4人の女性」が途上するが、ルツはその一人である。
<神の摂理の逆説>
即ち、舅ユダと関係を持ってペレヅとゼラを産んだタマル(近親相姦)、ルツの夫ボアズを産んだ娼婦ラハブ(娼婦)、ダビデの曾祖母にあたるルツ(夜這い疑惑)、そしてダビデと不倫したウリアの妻バテ・シェバ(不倫・姦淫)の4人である。これらの女性は、バテ・シェバを除いて異邦人女性であり、また普通でない仕方で結婚して子を産んでおり、しかもこの4人の女性の子孫はメシアの家系を形成した。
これらの女性たちの物語は、神の摂理が、人間の計画や世俗的な規範を超えて働くこと、「危機のあるところに、救いもまた育つ」という逆説を示すもので、カール・バルト的に言えば「神の選びは、人間の宗教的・道徳的可能性の上にではなく、それを打破(破壊)する形で起こる」というのである。ちなみに内村鑑三は娘の名前をルツ記からとって「ルツ子」と命名した。内村は生涯を通して、神は「正統・制度・敬虔・多数派」の側には必ずしもおられない、むしろ神は「周縁・異邦人・少数派・失敗者(敗者)」の側から歴史を動かすという逆説を繰り返し語った。まさにルツ記は、その最も美しく、しかも危うさを伴う原型であった。
こうして神は彼女たちを用いて、ご自身の計画を実現されたが、これらの女性たちの登場は、神の救いが、人間の罪や弱さ、出自に関わらず、すべての人に開かれているというメッセージを伝えていると言えなくもない。
<マタイの系図に途上する4人の女性>
さてマタイがマタイ書で、この「訳あり女」とも言うべき4人の女性を、何故メシアの系図に書き入れたのだろうか。タマル・ラハブ・ルツ・バテシェバという4人の女性は、偶然ではなく、意図的にメシアの系譜の中核に組み込まれた神学的配慮だという説がある。
4大ラテン教父の一人であるヒエロニムスは、神は姦淫を犯した罪人をも救われることを示されたとする「罪人説」を唱え、ルターは、異邦人をも救われるイエスを示したという「異邦人説」を唱えた。またカトリック神学者のレイモンド・ブラウンは、従来の罪人説や異邦人説と違って、4人の女とマリアを関連付け、「メシアの家系を残すために寄与した女性」として4人を評価した。即ち、マタイはマリアの聖霊による身籠り・処女生誕を理由付けするために、4人の女性を普通でないパートナー(男性)との関係で身籠りをした事例として記載したという。ちなみに聖霊は男性格で認識されることが多かった。
更に進んで、マタイはイエスが私生児である事実を知っていたとも言われ、いわく付きの仕方で出産した4人の女性を登場させることによって、マリアの普通でない妊娠・出産を正当化する布石としたのではないか、というのである。
この4人の共通点は、普通でない仕方で身籠ったこと、イスラエル歴史の重要な転換点に係わりメシアの家系を形成したことであり、マタイは、4人(特にタマル)をイエス誕生の予型乃至は布石と考えメシアの系図に入れたという。 マタイはインスピレーションに従い、マリアの普通でない妊娠の布石として、同様の不規則的な妊娠をした4人を系図に入れ、そうして、聖霊によってという暗示的表現をとったというのである。
しかし、「たとえ私生児であってもイエスのメシアとしての価値を引き下げることにはならない」ということが教理的に明確になるまでは事実を明らかにすることは出来ないという事情があった。即ち、イエスが私生児であっても、メシアとしての価値を担保できる教理的説明が出来ない以上、私生児であることを明らかにすることは危険であった。また、もし私生児だとなれば石打の刑になりかねなず、処女生誕神話にはイエスの命を防御する意図があったという。
一方カトリックの聖母マリア処女懐胎説は、イエスの神聖を強調するための創作であり、処女教説によって、キリスト教の発展のためにイエスの神性を担保する必要性があったと言えなくもない。確かに処女懐胎説はキリスト教の発展のために一定の役割を果たしたという側面がある。結局マタイは、聖霊によって身籠ったとして、神の不可思議な働きで生まれたという玉虫色の解決を図った。ともあれ、このマリア処女懐妊説は色々な議論を呼んだ。
だがマタイが問題提起した処女懐妊問題と共に、これに関連した「罪ある血統から如何にして無原罪のメシアが生まれ得るか」という神学上の最大の難問は、創世記38章のユダとタマルの物語に秘められた奥義を明らかにすることを通して、原理によって解明された。即ち「胎中聖別」と「血統の転換」の法理である。ちなみにこの問題は、拙著『異邦人の体験的神学思想』の中で「罪ある女の血筋から、如何にして無原罪のメシアが生まれ得るか」と題して論考しているので参考にされたし(本書P161~166)。
以上、「総選挙は善悪分立の選挙ールツ記に見る神の見えざる手」とのテーマで、高市首相とルツを対比して論じた。両者に共通するものは、「見えざる手」によって導かれていること、決死になった時の「大胆さ」である。高市首相には、総選挙で善悪を分立し、日本を今一度洗濯して頂きたい。(了)
牧師・宣教師. 吉田宏







