🔷聖書の知識173ー聖書の奥義とは何か① 聖書の奥義を解明された文鮮明先生
この奥義は、いまは、御霊によって彼の聖なる使徒たちと預言者たちとに啓示されているが、前の時代には、人の子らに対して、そのように知らされてはいなかったのである。それは、異邦人が、福音によりキリスト・イエスにあって、わたしたちと共に神の国をつぐ者となり、共に一つのからだとなり、共に約束にあずかる者となることである。(エペソ3.3~9)
バウロは自分自身を「神の奥義の管理人」と言い、エペソ人への手紙3章1~11節において、奥義とは、「福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた(ユダヤ人と共に)共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです」(エペソ3.6)と言っています。
つまり、異邦人の使徒パウロは、イエスの十字架は、律法を廃棄し、ユダヤ人と異邦人の隔ての中垣を取り除き、二つのものを一つとして、異邦人への救いをもたらした(エペソ2:11~22)と主張しました。こうしてパウロにとって奥義とは、異邦人も神の祝福の「共同の相続者」となること(エペソ3:3~6)だというのです。
【聖書の奥義とは何か】
奥義とは、「かつては隠されていたが、今や明らかにされた神の神秘(永遠のご計画)」であり、また「いまだ明らかにされてないが、やがて明らかにされる神秘」でもあります。いわば聖書の秘められた真髄と言えるでしょう。そして旧約聖書の奥義はイエスが明らかにされ、旧新約聖書の奥義は再臨主が解明されるというのです。
そして聖書は、その重要な部分が比喩や象徴や暗示、即ち奥義として書かれており、神の創造理想、堕落、復帰の道が隠された秘密の啓示書であるというのです。まさにメシアとは、この聖書の奥義を読み解き明らかにされる方、ヨハネ黙示録5章の7つの封印を完全に解く「ダビデの若枝」であります。
聖書には未だ解明されざる奥義が、その神秘のまま眠り、果てしない神学論争にさらされている数多の箇所が散見されます。
例えば、神の天地創造を記録した創世記1章・2章において、神は何故宇宙万物を創造されたのか、宇宙創造の動機の問題はその一つです。
また創世記3章の人間の堕落を描いた「失楽園の物語」は最大の奥義と言っていいでしょう。即ち人間の堕落と罪(原罪)の根本原因が何であったかは、神の救済摂理を読み解く鍵であり、この奥義を未だ明確に解いた神学者・聖職者は一人もいません。つまり、創世記3章に出てくるエバを誘惑した蛇、園の中央にある木の実(善悪を知る木の実)、その実を取って食べたこと、裸であることがわかったこと、そして神の呪いとエデンからの追放、これらの意味と真相は、未だ藪の中にあります。
更に創世記4章のカインの殺人事件において 、「何故、アベルの供え物を良しとし、カインの供え物は取られなかったのか、即ち、何故神は兄をさしおいて弟を祝福したのか」、この兄カインと弟アベルの葛藤の問題は、未だ未解決です。
「私はヤコブを愛し、エサウを憎んだ」(ロマ9.13) とある通り、聖書には兄よりも弟を愛された伝統があります。カインとアベル然り、エソウとヤコブ然り、ゼラとベレツ然り、マナセとエフライム然りです。一体、何故神は兄よりも弟を先に祝福されたのでしょうか。これも大きな謎であり、誰一人、この奥義をきちんと説明できる聖書学者はいません。
そして、マリアの処女懐胎の神秘(マタイ1.20、ルカ1.35)は、李登輝元台湾総統の悩みを見るまでもなく、多くのクリスチャンを苦しめました。またこの処女受胎の神秘に関連して、「罪ある血統の中から、如何にして罪なき無原罪のメシアが生まれ得るか」という問題は、神学上の最大の難問であります。
その他、十字架と復活の真相、終末・大患難・再臨の意味等々、数多くの聖書の奥義は、未だに深い闇の中にあり、神学論争を引き起こしています。
そして、これらの聖書の奥義をことごとく解明されるのが、来るべきメシアの最大のみ業であります。即ち、聖書の完全な解釈、これこそ再臨主の再臨主たる所以であるというのです。
【創始者における聖書の研究と解明】
アメリカのある神学者は、文鮮明先生(以下、「創始者」と呼ぶ)は8つの分野、即ち「神・サタン(罪)・人間・霊界・イエス・聖書(経典)・人類歴史・真の家庭」に精通したチャンピオンだと指摘されましたが(平和経P1587~1591)、その中でも聖書の奥義を解明され、聖書を完全に解釈されたことは特に抜きん出た業績であるというのです。
1935年4月17日早朝、イエス・キリストが16才の創始者に顕現され、直接使命を託されました(神の召命)。その後10年余、聖書の奥義の解明に投入された創始者には、断続的に新約聖書に基礎を置く啓示があり、その中で原理を明らかにされていきました。1941年4月、早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科に入学されて以後、更に集中して原理の究明と体系化に没頭され、聖書全体を反復して読破し、新たに発見された原理と照らし合わせて聖書の奥義を検証されていきました。
創始者の友人の建築家の厳徳紋(オム ドンムン)氏は、学生時代に文先生の下宿で、次の事実を目撃したと証言されました。
「下宿した私の机には、常に英語、日本語、韓国語の三種類の『聖書』を並べて広げておき、三つの言語で何度も何度も読み返しました。読むたびに熱心に線を引いたりメモを書き込んだりして、聖書はすっかり真っ黒になってしまいました」(『自叙伝』P79)
また、1946年5月27日、創始者は啓示により北に行かれましたが、平城での初期の弟子である金オンピル氏の証言によると、創始者が使っておられる聖書の全てのページに赤線が引かれており、行間には小さな文字で書き込みがあったということでした。
更に、創始者がダンベリー刑務所で聖書を通読された事実を目撃したという、世界日報記者の証言があります。彼は、たまたま創始者のカバンの中にある聖書を開いたところ、その表紙に次の文言が記載されていたというのです。
「開始1984年12月11日日午前 0 時、読了 1985 年 1 月 13 日 3 時 33分 34 秒、読むのに要した期間、33 日 3 時間 33 分 34秒。神の御旨をすべて明らかした」(創始者の韓国語聖書の記載文言)
なおUC創始者自身は聖書の奥義について、次のように語られました。
「この終わりのときに、天地の秘密、神様が隠していた秘密、サタンが隠していた秘密、歴史的秘密、哲学者達の秘密の全てを解決しました」(天聖経第八篇第四章P924)
「数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義(奥義)について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのようでした。盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいうべき人類の歴史の背後に、一つの公式とパターンのあることを悟り、歴史の秘密の全てを解明してその法則と原理を見出したのです」(『御旨と世界』創立以前の内的教会史P593~596)
「旧約の律法の核心内容を明確に教えてくださった方がイエス様であり、先生の教えを通して、新旧約聖書全体に貫き流れる神様の救援摂理に関する天の秘密が、明確に現れているのです。聖書は神の創造理想、堕落、復帰の道が隠された秘密の啓示書です。先生が明らかにした原理は、各種の経書で疑問視されていることに対するすべての答えが、明快に表されています」(平和経・神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観1P1590)
【罪ある血統から如何にして無原罪のメシアが生まれ得るか―創世記38章の解釈】
次に、聖書の奥義の中でも最も典型的な奥義である創世記38章について、詳しく見ていくことにいたします。
「罪ある血統の中から、如何にして罪なき無原罪のメシアが生まれ得るか」という神学上の最大の難問は、創世記38章のユダとタマルの物語の中にその解決のヒントがあると言われます。
創世記38章は、タマルが遊女を装って、義父のユダを誘惑し、関係を持って双子を孕むという、一見、不道徳な物語です。伝統的なキリスト教では、ユダの汚点とされ、タマルは穢れた女性とされています。同様に、かってアブラハムが妻サライを妹と偽ってエジプト王にサライを差し出した話しも、アブラハムの汚点とされています(創世記12.11~13)。
しかし、この一見不道徳な話しの中に、実は重大な「血統転換の奥義」が秘められているというのです。
創始者は、「タマルは、神の霊に導かれて、罪ある血統の中から罪なきメシアが生まれるための道を開いた女性である」と言われました。原理によると、「堕落は天使がエバを誘惑したことから始まったので、蕩減復帰(償い)は逆の経路を辿って行うという原則により、逆にエバの立場のタマルが、天使長の立場に立っていたユダを誘惑した」(創世記38・14)というのです。タマルが遊女を装うことは神のインスピレーションでした。
そして、タマルの胎中で弟のベレツが兄のゼラを押しのけて生まれてくることによって(創世記38.29)、カインがアベルを殺した立場を胎中から元返して長子の立場を復帰し、本然の血筋を糺したというのです。これが胎中聖別、即ち長子圏復帰(回復)という血統転換の法理であります。この胎中での長子の立場の回復がより内的なものであるとすれば、弟のヤコブが兄エソウと和解した聖書の記述は(創世記33.4)、より外的なヤコブによる長子の立場の回復と位置付けられます。
こうして神の血統を残さなければならないという生死を超えたタマルの絶対信仰(ルツ4.12)により、メシアの血統基盤が形成されたというのです。これを創始者は、「罪なき本然のより聖別された血統的基準に接近するための運動である」と言われました。
創世記38章28節に「出産の時に、ひとりの子が手を出したので、産婆は、『これがさきに出た』と言い、緋の糸を取って、その手に結んだ」とありますが、「これを聖書が書いてくれていたお陰で、血統転換の教理を整合性を持って説明することができた。このようなことが書かれていること自体、聖書が神の救いの経綸を記した神の言葉である証左である」と創始者は言われました。
そして、このタマルの信仰と勝利圏を相続したのがマリアであり、更に再臨主は、「イエスの時までに神側が勝利した根本基台の上に臨在される」と言われています。マリアがタマルを相続してイエスを産んだように、イエスが大人になられる時までの勝利的な基盤の上に正しく立たれて、イエスが果たせなかった新婦を探し出し「真の父母」になるというのです。
以上、聖書の奥義とは何か、そしてその重要奥義について例示し、タマルによる血統転換を論じました。次回から、創世記3章(失楽園の真相)、創世記4章(カインの殺人)、マタイ書1章20節(処女懐胎)の3点について更に詳しく検証したいと思います。(了)
上記絵画* ユダとタマル(オラース・ヴェルネ画)
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