top of page

​他のアーカイブ記事は下のカテゴリーメニューを選択し、一覧表示の中からお選び下さい。

​他の記事は下のVマークをタップし、カテゴリーを選択し完了をタップ。記事一覧が表示されます。

聖書的霊性とは何か④ 贖罪思想について

🔷聖書の知識118-聖書的霊性とは何か④-贖罪思想について


やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所に入られ、それによって永遠のあがないを全うされたのである(へブル書9.12)


前回述べましたように、聖書には一貫した思想があり、特に旧約聖書には、メシア思想、唯一神思想、贖罪思想、契約思想、選民思想、弱者救済思想、預言者の批判精神、などの特徴ある思想があるとした上、筆者はその内、「メシア思想」、「唯一神思想」、「贖罪思想」を聖書の三大思想と位置づけているとしました。


ちなみに聖書学者の山我哲雄氏は、ユダヤ教(旧約聖書)の代表的な思想として、唯一神思想、メシア思想、契約思想、終末思想の4つを挙げられ、これらをキリスト教は相続したと言われています。更に山我氏は、キリスト教はユダヤ教を母体とした宗教であり、これら4つの思想は相続したが、民族主義的な「選民思想」と「律法至上主義」は相続せず退けた、とも述べられました(著書『キリスト教入門』岩波ジュニア新書P14)。


前二回において、聖書の三大思想のうち、メシア思想、唯一神思想を考察してきましたので、今回は三番目の「贖罪思想」について述べたいと思います。贖罪思想もまた聖書を貫く顕著な思想であります。


【贖罪とは】

さて贖罪とは、「犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと」であり、特にキリスト教では、イエス・キリストが十字架上の死によって、全人類を神に対する罪から贖ったと考えました。では何を贖うのかと言えば、私たちの罪(原罪)を贖って清めるというのです。「原罪」観念は5 世紀のアウグスティヌスが確立した言われ、自分自身が犯す罪を「自罪」、自罪を生み出す「人間の本性としての罪」のことを原罪と呼びました。


ユダヤ思想では「罪」は絶えず清められねばならないものであり、年に 1 回の大贖罪日に加え、事あるごとに神殿に贖罪犠牲を献げ、宗教熱心な人だと 1 日 5 回清めの沐浴をして、「正しく報いられる世」(悪人が栄え、善人が打たれることのない世)が来ることを望みました。しかしキリスト教では「罪」は絶えず清められねばならないものではなく、ただ一度、キリストの犠牲によって完全に清められたとし、もはや幕屋も神殿も必要としない時代となったというのです。内村鑑三は「神の子の贖罪の恩恵による罪からの解放、これがキリスト教の本質であります」と語りました(『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』P279) 。


贖罪という言葉は、もともと他人の負債を身代わりになって支払うことを意味し、転じて他人の罪を身代わりになって償うという意味になりました。とりわけ古代オリエントでは、贖罪とは「他人に渡った奴隷を代価を払って買い戻すこと」を意味し、出エジプト記はイスラエル民族が奴隷から解放された「贖いの書」として位置付けられています。 ユダヤ・キリスト教的な伝統においては、「神に対して人間が犯した罪が償われて、両者の敵対関係が和解されること」を意味するようになりました。


聖書の「供え物」には贖罪思想がその根底にあり、幕屋の祭壇は供物を媒介に「イスラエルの罪を贖い、神と和解する聖なる場」でありました。そして供え物は、罪の贖いであると共に、罪人が神側に聖別され、神が所有権を主張する条件でもあるというのです。アベルの供え物(創世記4.4)、アブラハムの三種の供え物(創世記15.9)は神側に分立されるための条件という側面が、幕屋での供え物(レビ1.2)は贖いという側面が強いと考えられます。 贖罪観念は、人間の罪と苦しみからの解放を願う多くの宗教にも見られますが、特にユダヤ・キリスト教において顕著であります。贖罪はユダヤ・キリスト教の教義的核心であり、広義には「償い・救済・許し・和解」と同義であり、 贖罪は、自らが捧げる行為主体であると共に、自分に代わって償ってくれるもの(又は人)の存在を前提としています。


【祭壇と供え物の伝統】


聖書には贖罪のための「祭壇」と「供え物」の伝統が記載されています。


<旧約時代>


旧約時代は地の産物や牛・羊・山羊、鳩などの動物が、贖いのための燔祭の捧げものになりました。 創世記のカインとアベルの神への供え物(創世記4.3~4)、ノアの祭壇と燔祭の供え物(創世記8.20)、アブラハムの祭壇と燔祭の捧げもの(創世記12.7、創世記15.9)、祭壇と祭物の頂点としてのアブラハムのイサク献祭(22.9)、イサクの祭壇(創世記29.25)、ヤコブの祭壇(創世記33.20、25.3)、モーセの幕屋と燔祭の生贄(出エジプト12.6~7、出17.151、出25.8~9、レビ記1~5)、ソロモンの神殿と犠牲の捧げもの(1列王記6.1~2)などであります。


自分の力では償いをすることができない人間にかわって、犠牲が捧げられ、その代価によって失われたものがふたたび買い戻されるという意味で「贖い」といわれ、 アブラハムのイサク献祭に最初の顕著な贖罪思想が見られ(創世記22.2)、モーセ、ソロモンによる幕屋・神殿建設以降、ユダヤ人は幕屋や神殿で祭司によって日々捧げられる動物の犠牲によって民族の罪は贖われると信じてられてきました。


ノアの燔祭(ダニエル・マクリース画)、アブラハムのイサク献祭(レンブラント画)、 十字架上のイエス(ヴァン・ダイク画)


<新約時代>


新約時代は、牛や羊ではなく、イエス自身が贖罪の捧げものとして「いけにえの供え物」になりました(ルカ23.33)。そしてより内的な祭壇・内的な祭物が重視されていくようになっていきます。「自らの体を聖なる生きた供え物として捧げなさい。これが霊的な礼拝である」(ロマ書12.1)とある通りです。 祭壇は教会にあり、家庭にあり、そして我が内にあり、その祭壇の前で自らを供え物として捧げるというのです。内村は、大自然の中にこそ何にも優る祭壇あると述べています。


そして肉身割礼(創世記17.10)や万物割礼(レビ19.23)に対して、心の割礼(申命記10.16)、心の律法が重視されていきました。「私の律法を彼らの思いの中に入れ、彼らの心に書きつける」(ヘブル人8.10)と聖書にはあります。


【旧約時代の幕屋とその祭儀作法】


旧約時代に神はモーセに幕屋を作ることを命じられました(出エジプト26.1)。幕屋とは、主なる神が「イスラエルの民の中に住む家」であり、神の臨在を示す場、会見の場であります。また神を礼拝する場所でもあり、「イエス・キリストの型」であり象徴でもあると言われます。


<幕屋と供え物の意義>


「主の栄光が幕屋に満ちた」(出エジプト40.34)とある通り、「わたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」と神は言われました。幕屋は将来来られるキリストの「象徴的表示体」、神殿は「形象的表示体」、イエスは「実体神殿」と言われています。また幕屋とその祭儀法(祭司・祭物・儀式の制度)は、罪人が神の前に出て行く作法でありました。またレビ記は、幕屋と祭儀を運用するための「祭司のマニュアル」と言われ、レビ記17章11節~15節に供え物の本質が記載されています。


「肉の命は血にあるからである。あなたがたの魂のために祭壇の上で、あがないをするため、わたしはこれをあなたがたに与えた。血は命であるゆえに、あがなうことができるからである」(レビ17.12)


<幕屋における献げ物の種類>


レビ記には祭壇の捧げものについて、「焼き尽くす献げ物」(燔祭)、「穀物の献げ物」(素祭)、「和解の献げ物」(酬恩祭)、「贖罪の献げ物」(罪祭)、「賠償の献げ物」(ケン祭)、の5種のいけにえが規定されています(レビ1章~5章)。 


燔祭とは全焼のいけにえ、焼き尽くす献げ物で人間の罪に対する神の怒りを取り除くという意味があり(レビ記1章)、素祭は穀物の献げ物で罪の赦しを得た者が、神の恵みに感謝して捧げるもの(レビ記2章)、酬恩祭は和解の捧げ物で個人的に犯した罪に対して捧げるもの(レビ記4章)、罪祭とは贖罪の捧げ物で損害を与えた人に対して賠償するもの、ケン祭は賠償の捧げもので、祈りが聞かれた時、誓願がかなった時などに感謝して捧げるもの(レビ記3章)、罪祭とは贖罪の捧げ物で損害を与えた人に対して賠償するもの(レビ記5章)と言われています。


犠牲の家畜を焼き尽くすことで立ち上がる煙が、神と民とのつながりを保証するというのです。日本の神社は全国にありますが、ヨシア王(BC640~609)による申命記改革によりイスラエルの神殿はエルサレム一つだけに集中され(2列王23.5~27)、以後、いけにえはエルサレムだけで行われました。動物のいけにえの償いにより罪の清算をする幕屋・神殿の祭儀法の中心は、贖罪思想、祭物思想であり、幕屋、神殿にて毎日朝夕いけにえが捧げられました。


【新約時代の贖罪観念】


しかし新約では動物のいけには廃止されました。「やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所に入られ、それによって永遠のあがないを全うされたのである」(へブル書9.12)とある通りです。イエスの十字架によって人類の贖罪がなされ、以後いけにえは不要であると考えられています。


<新約時代の贖罪の意義>


即ち、新約時代の贖罪は、キリストの死の犠牲と復活の恵みによって人類の罪を償い、神の恩寵として実現される罪からの解放と、これによってもたらされる神との交わりの回復を意味します。イエスが、「私たちの罪のために死んだ」(1コリント15.3)と語り、「多くの人の身代金として自分の命を献げるために来た」(マルコ10.45)と言い、パウロが、「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために罪を償う供え物となさいました」(ローマ3.25)と告白している通りです。


この贖罪は、人間存在の根本的悪としての原罪からの解放であり、救済の必須条件であります。「私達はこの御子において、その血によって贖われ、罪を許されました、これは神の豊かな恵みによるものです」(エペソ1.7)とある通りです。旧約では、祭司により動物を犠牲にして贖罪がなされましたが、新約では大祭司としてのイエスが自らを十字架で犠牲として捧げ、一度限り決定的な贖罪がなされて永遠に有効になったとします。


「このいけにえは、ただ一度、御自身を献げることによって成し遂げられたからです」(ヘブル7.27)


<贖罪論の変遷について>


教理史においては、贖罪論史はキリスト論史の一部をなします。アンセルムスは、人間にかわって罪の償いをなしたキリストに対して神から与えられる報償が、キリストにかわって人間に与えられて贖罪が成立したという「報償(満足)説」を唱えました。また同時代のアベラールは、キリストの死を人間を道徳的に感化して新しい歩みへと向けさせる愛の最高の表現だとする「道徳感化説」を説きました。


一方、宗教改革者は、人間は元来神の怒りの刑罰を受けなくてはならない罪深い存在であるが、キリストは十字架において人間にかわってその刑罰を受け、それによって刑罰を免れた人間の贖罪が成り立つという「刑罰代償説」を主張しました。近代においては、神の怒りとか刑罰などについて批判的な見解が多く、キリストの死を神の愛の表現、倫理的模範などと理解することが多くなり、現代に至って、とくに弁証法神学者たち(バルト、ブルンナーなど)は宗教改革者の贖罪理解を復活させ、贖罪における勝利者キリストを強調しています。


<永井隆に見る祭物思想>


永井隆は、長崎浦上天主堂に炸裂した原爆について、著書『長崎の鐘』の中で深く洞察し、「贖いの供え物」の思想を語っています。この永井の思想ほど、贖罪の意味を明確に語っているものはありません。永井は、終戦と浦上潰滅との間には深い関係があるのではないか、つまり戦争という罪悪の償いとして、日本最高の聖地浦上が犠牲の祭壇に屠られ、清き子羊として選ばれたのではないか、と問いかけます。


「信仰の自由なき日本に於て 、迫害の400年殉教の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかった浦上教会こそ、神の祭壇に献げらるべき唯一の潔き子羊ではなかったのでしょうか」


永井は、この犠牲によって、今後更に戦禍を蒙る筈であった幾千万の人々が救われたとし、次のように語ります。


「汚れなき煙と燃えて天国に昇りゆき給いし主任司祭をはじめ八千の霊魂! 誰を想い出しても善い人ばかり。潔き羔として神の御胸にやすらう霊魂の幸よ。主与え給い、主取り給う。主の御名は讃美せられよかし。浦上が選ばれて燔祭に供えられたる事を感謝致します。この貴い犠牲によりて世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝致します」


このようにカトリック信者である永井隆は、浦上天主堂は、神への「贖いの供え物」であり、その尊い犠牲によって戦争が終結し、日本が生まれ変わり、世界の平和が再来する機会となったと認識しました。


【贖罪と蕩減について】


最後に贖罪と蕩減の関係について論考いたします。原理講論には「蕩減とは本然の位置と状態を復帰するためには、その必要を埋めるに足る条件を立てなければならない。この償いの条件を立てることを蕩減という」(P273)とあり、そして「蕩減条件は、離れるようになった経路と反対の経路を辿って立てる」とされています。こうしてUCには「蕩減」というキリスト教にはない重要概念がありますが、蕩減とは平たく言えば、失敗したものをやりなおして過去を清算することです。


<蕩減と贖罪の異同>


蕩減と贖罪には「償い」という共通要素がありますが、蕩減は贖罪を包摂した概念と言っていいでしょう。そして贖罪は蕩減の最も重要な構成要素であります。 贖罪は受動的ですが、蕩減は能動的で「人間の責任分担」を重視します。また蕩減には期間(成長期間)の観念があり、逆の経路を辿って元返す(償う)という観念がありますが、贖罪にはこの観念はありません。


旧約時代は神の責任分担時代、新約時代はイエスと聖霊の責任分担時代、成約時代は聖徒(又は父母)の責任分担時代と言われ、前記したように蕩減思想には、人間自身が条件を立てること、即ち人間の責任分担を強調する傾向がありますが、聖書の贖罪観念には他力的な神の恵みをより強調する傾向があります。 無論、人間の責任分担などは神の責任分担と比べて極微々たるものですが、UC創始者は 「罪を犯した者がその罪を蕩減しなければならない」と明確に言われました。「天は自ら助くる者を助く(セルフヘルプの精神)」という至言の通りです。


なおキリスト教が殉教の歴史になった理由は、蕩減という原則から説明できます。人類はイエスを憎んで十字架につけたので、イエスを愛して「自ら十字架を背負うて従っていく」という逆の経路の道、即ち蕩減条件を立てなければなりません。ここにキリスト教が殉教の歴史になった理由があり、神を捨てたので、神に捨てられても従う立場を回復(マタイ27.46)しなければならないという蕩減原則があるというのです。更に言えば、我々罪人は、生涯の祭物、即ち「蕩減体」であります。勿論、蕩減体はやがて「復活体」となる希望を抱いています。


<贖罪生活>


かの内村鑑三は、1885年、アメリカ留学時代、エルウィン知的障害児養護学校にて看護人として働いた経験があります。内村は、「この期間は当に贖罪生活そのもので、罪の償いとはどういうことかが分かった」と述懐しました。


筆者も3年間、2022年4月に他界した寝た切りの配偶者の介護をしましたが、この介護の3年間は、双方にとって貴重な時間となりました。彼女は肉体を損なうという犠牲を払って人生を清算する期間となり、また筆者にとっては、正に贖罪生活の時間となりました 。


以上、贖罪思想、祭物思想について考察いたしました。聖書を貫く贖罪思想は、人類歴史が贖罪による蕩減復帰歴史であることを物語っています。今回で、聖書の思想性を終わり、次回は第三の聖書的霊性である「信仰と回心の伝統」について論考いたします。(了)

Comments


bottom of page