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自民党総裁選に思う② サッチャー、メルケル、そして高市早苗へ

○つれづれ日誌(9月29日)-自民党総裁選に思う② サッチャー、メルケル、そして高市早苗へ


本日9月29日は、自民党総裁選挙の開票日てあり、午後には、事実上、日本の総理大臣が決まるでしょう。今回の総裁選は4人の個性も政策も異なる候補者が争い、大いに盛り上がりました。


当落の予想についてはマスコミや政治評論家に任せることにして、今回筆者は、二人の女性候補者にちなんで、日本における「女性首相誕生の意義と期待」について、特に高市早苗氏を取り上げて論評したいと思います。


【サッチャー、メルケル、そして高市早苗へ】



筆者は高市氏を語る際、イギリスとドイツの初の女性首相であるマーガレット・サッチャーとアンゲラ・メルケルに言及しなければならないと思っています。何故なら、サッチャー、メルケル、高市早苗は、共に信念の女性政治家であるだけでなく、筆者の頭の中で一本の紐でつながっていると感じているからです。


前回述べましたように、高市氏は、サッチャーを、政治家として最も尊敬し、研究しており、サッチャーの政治信条を明らかにすることは、高市氏の政治思想と政策を語る上で有益であり不可欠であります。


また、欧州のもう一人の女性首相であるメルケルも、ドイツ初の女性首相であり、高市氏を語る上で欠かせません。メルケルは、父親がルター派福音教会の牧師であること、講演集『私の信仰-キリスト者として行動する』という本を出していること、祖父がポーランド人であること、そしてなんと16年に渡り首相を勤めていることなど、大変注目すべき女性政治家であります。


そしてサッチャーとメルケルは、共に「鉄の女」と呼ばれ、科学者出身・信念の政治家・初の女性首相、そして父親が敬虔なキリスト者で自らも熱心なキリスト教徒、といった複数の共通項があります。そして高市早苗は、やはりこの二人と多くの共通項を持ち、筆者には、この二人の延長に高市早苗がいるように見えます。


以下において、特にサッチャーとメルケルの政治信条の淵源にある「キリスト教信仰」とその影響について考察し、次に日本初の女性首相誕生の意義と期待について考えていきたいと思います。


【サッチャーの政策と信仰】


マーガレット・サッチャー(1925年~2013年)は、イギリスの政治家で、保守的かつ強硬な政治姿勢から「鉄の女」の異名を取ったことで知られています。また、熱心なキリスト教徒であり、彼女の政治政策は、もっぱらキリスト教信仰に源泉があると考えられます。


<サッチャーの政策と思想>

旧姓はマーガレット・ヒルダ・ロバーツで、東部リンカンシャー州グランサムで雑貨店の次女として生まれました。オックスフォード大学卒業後、化学研究員として働き、弁護士資格を取得しました。その間、実業家のデニス・サッチャーと結婚し、2人の子をもうけています。


学生時代から保守系の政治活動を行い、1959年、女性としては最年少の34歳で下院議員に初当選し、1970年にはヒース政権下(1970~1974年)で教育科学大臣となりました。そして1975年(50才)には、はからずも保守党の党首になり(党首在任期間1975年~1990年)、1979年(54才)に初の女性首相(在任期間1979年~1990年)になりました。


首相在任中は、「小さな政府」を志向する新自由主義経済政策(サッチャリズム)を打ち出し、国営企業の民営化や大胆な規制緩和で、国内経済を活性化させました。


サッチャーは、イギリス病と言われて、長らく低迷していた英国経済を、市場原理の導入で回復させ、「福祉国家」から「自立国家」へと移行させました。そしてこれらの新自由主義的経済政策は、アメリカではレーガン、日本では中曽根康弘や小泉純一郎などの先駆けとなりました。


タカ派、保守強硬派、新自由主義者と評されるサッチャーの政治は、何よりその大胆な経済政策「サッチャリズム」で歴史に刻まれています。


ちなみにサッチャリズムとは、それまでの有効需要を重視したケインズ経済学や、いわゆる「ゆりかごから墓場まで」と言われる国家に依存する「英国病」の原因となった「高福祉政策」を転換するもので、自由化と民営化を推し進める経済政策であります。


こうした経済に対する思想は、新自由主義あるいは新保守主義と呼ばれ、理論的にはエドマンド・バークの保守哲学、フリードリヒ・ハイエクやミルトン・フリードマンの経済学などを背景にしていると言われています。


サッチャーは、労働党政権によって進められてきた数々の規制や産業の国営化などによる産業保護政策は、イギリスの国際競争力を低下させ、経済成長を停滞させることになったとし、国営の水道、電気、ガス、通信、鉄道、航空などの事業を民営化していきました。


こうしてサッチャーは、国家と個人の関係を引き直したのです。


しかし一方、収益の上がらない炭鉱や鉄鋼工場を閉鎖し、反発する労働組合には大なたを振るいました。こうした急進的な改革は英国病の克服に成果を挙げましたが、自助努力を前提にした諸政策は、弱者を切り捨て、貧富の差を拡大させ、富裕層の道徳的頽廃を招いたともいわれています。


道徳的破綻者であったサッチャーの息子マークを揶揄(やゆ)して、マスコミから次のように辛辣な言葉を浴びました。


「サッチャーは、父アルフを手本として国づくりを行ったが、結局、自分の息子が体現するような国を作ってしまった」


またサッチャーは、安全保障でも譲歩せず、1982年、実効支配していた南大西洋フォークランド諸島にアルゼンチン軍が侵攻すると、即座に艦隊を派遣して撃退し、毅然とした姿勢を見せました。


一方、経済統合を目指す欧州連合(EU)とは距離を置き、対米関係を重視しました。米レーガン大統領と盟友関係を築くとともに、ペレストロイカを進めるソ連ゴルバチョフ書記長を支援し、冷戦終結にも大きな役割を果たしました。


また日本では安倍晋三、平沼赳夫、藤岡信勝など、現在の歴史教育は「自虐的」と考える論者から、偏向した「自虐歴史教科書」を克服した先例とされ、2006年に行われた教育基本法改正の動きは、サッチャーを模範としたものと言われています。首相在任期間は11年と208日間で、20世紀以後の歴代イギリス首相では最長記録でした。


サッチャーは、2013年4月8日脳卒中で死去しました。英国での評価は「救世主か、破壊者か」と大きく二分されることもありますが、イギリス政治史においてチャーチルと並ぶ巨人であることは確かです。


<サッチャーの政治信条と信仰>

さてサッチャーは、イギリスを変えた偉大な政治家でしたが、個人としては敬虔なキリスト者でありました。


元在英日本大使館公使の冨田浩司氏は、著書『マーガレット・サッチャー 政治を変えた「鉄の女」』(新潮選書)の中で、サッチャーの政治信条の根底にはキリスト教信仰があったと指摘しています。


冨田氏が注目したのは、それまでの研究で軽視されてきた彼女の信仰についてでした。サッチャーが生まれ育った家庭は熱心な「メソジスト教会」の信者で、サッチャー自身は政治家になった後「イギリス国教会」に改宗するものの、宗教は彼女の理念と行動に大きく影響しています。


同書はこう綴っています。


「宗教とのかかわりから、サッチャー政治の中では道徳や信念が大きな要素を占めるに至った。重要と思えるのは、サッチャーが当時のイギリスが直面していた危機を政策論で片付けられない『道徳的危機』と位置づけていたことである」


また「彼女にとって信仰は単に自らの内面の問題だけではなく、彼女が打ち出した国家改革策の倫理的な枠組みをなすものであった」(同書P22)とも指摘しました。


マクミラン、ヒース、プレア首相ら歴代イギリス首相は、多くが信仰を拠り所にした敬虔なキリスト信者だったといわれますが、とりわけサッチャーは、ひときわ強い信仰を標榜しました。


イギリスの戦後政治指導者で、彼女ほど公の場で政治と宗教の関係について語った政治家はいないと言われ、サッチャーの政治信念の深さと強靭さを、宗教的な確信を抜きに説明できません。(同書P23)


<信仰の背景とサッチャリズム>

サッチャーが生まれたグランサム市は、ノンコンフォーミスト(非国教徒)、特にメソジストの信仰が強い地域で、生家のロバーツ一家はメソジストに強く帰依していました。


「私は、実用的で、熱烈に宗教的な家庭に生まれました。家庭はメソジスムを中心に回っていたのです。日曜日は、ウェスレー派メソジスト教会の礼拝に欠かさず出席し、信仰に明け、信仰に暮れる一日を過ごしました」(回想録)


即ち、サッチャーの生家は代々メソジストの敬虔な信徒であり、生家の家訓は、「質素倹約」「自己責任」「自助努力」というもので、この精神はサッチャーにも色濃く受け継がれました。サッチャーは、父のアルフレッドを非常に尊敬し、「人間として必要なことは全て父から学んだ」とはっきり口にしています。


父アルフレッド・ロバーツは地元の名士であり、市長も経験していますが、時には教会で説教し、サッチャーの信仰を「政治信念に昇華」させる触媒の役割を果たしたと言われています。


「私は、支持する政治経済体制とキリスト教の教義の間には、深く『神の摂理に基づく調和』が存在するという確信を失ったことはない」(回想録)と語り、サッチャリズムがキリスト教の真理を反映したものであるという確信を持っていました。


著者の冨田氏は、「サッチャリズムを経済政策の次元で捉えるのは間違いであり、当時のイギリスが直面する課題は、本質的には道徳的な問題であり、その解決には道徳的な処方箋が必要だった」と指摘しています。


即ち、彼女から見ると、当時のイギリスの病弊の根底にあるのは、社会主義思想が蔓延した結果、人々が過度に「国家への依存」を深めたことであり、こうした精神構造自体を改めない限り、経済・社会の再生は望めないというのです。サッチャーは「経済学は方法に過ぎません。目的は魂を変えることなのです」と語りました。(同書P35)


そうして、この道徳的処方箋こそ、自己責任や個人の自由・自立を重んじ、個人が神と真摯に向き合って義務を果たしていくという、父親譲りのメソジストの信仰でした。現実的な政治を好み、信念だけで動く姿勢はあまり評価されない英国で、彼女はあえて「信念」「道徳」「精神性」といった徳目を政治に持ち込んだのです。


1979年、労働党政権のキャラハンに代わって女性初のイギリス首相に就任し、そしてダウニング街10番地(首相官邸)に入居した際、先ずサッチャーは「フランシスコの平和の祈り」を取り上げて国民に発信しました。


分裂のある所に、和合を置かせてください。

誤りのある所に、真実を置かせてください。

疑いのある所に、信頼を置かせてください。

絶望のある所に、希望を置かせてください。



さて、ここでサッチャーが帰依していたメソジストについて要約しておきたいと思います。


メソジストは、18世紀なかばにイギリス国教会内部に誕生した宗教覚醒運動で、 国教会の牧師であった ジョン・ウェスレー(1703年~1791年)の劇的回心によって始められたキリスト教プロテスタントの一教派です。


「回心体験」、「聖霊の証し」、「救いの確証」を重んじ、人間の救済に至る過程(聖化)を段階的に明らかにして、実践的な福音主義運動を展開しました。また「厳格な戒律と敬虔 な信仰生活」を重視して、断食など禁欲的生活方法( method)を標榜したところからメソジストと命名されました。


ウェスレーは、誰もが信仰により救われるとし、カルビニズムの予定論を批判しました。個人の「信仰の自由」を強調すると同時に、一方では「個人の責任」を重視しました。また一般信者による説教を許容し、野外礼拝や巡回牧師制、信徒のグループ化など、特徴ある運動を展開しています。


ウィスレー自身は生涯、国教信徒として過ごしましたが、次第にイギリス国教会側から狂信的として疎んじられていきました。ウェスレーの死後,独立の一派を形成し、アメリカやカナダで広がりました。アメリカへは1760年代にもたらされ、19世紀初頭、西部の開拓地で目ざましい成功をおさめ、1840年には、アメリカ最大の教派にまで教勢を伸ばしました。


【メルケルの政治思想と信仰】


次にやはりドイツ初の女性首相であるメルケルについて見ておきたいと思います。サッチャーはメソジストの信仰に多大な影響を受けたことを前述しましたが、メルケルは更に多くをキリスト教と聖書から学んでおり、ただ学ぶだけでなく、政治政策の基礎としました。


メルケルの父親はルター派の牧師(ベルリンブランデンブルグ福音教会牧師)であり、メルケルは知的障害者施設で幼児期を過ごし、サッチャーと同様、幼い時から神や聖書に囲まれて育ちました。また、『わたしの信仰ーキリスト者として行動する』(新教出版)という、まるで牧師の説教のような講演録を出しています。


メルケルが「堅信礼」(けんしんれい)を受けた時、自ら選んだのが次の聖句でした。(『わたしの信仰ーキリスト者として行動する』P32)


「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」(1コリント13.13)


ちなみに堅信礼とは、プロテスタント諸教会で、幼児洗礼を受けた者が、自己の信仰告白をして教会の正会員となる儀式(信仰告白式)であります。


なお筆者はボーランド宣教師であり、メルケルの祖父がポーランド出身(ルター派プロテスタント)であり、父親がポーランド系ドイツ人であることに、大変親近感を抱きました。そしてメルケルは、ノーベル化学賞を受賞したボーランドのマリー・キュリーを「信念の人」として大変尊敬しています。


それにしてもメルケルとは、何者なのでしょうか。確かにメルケルには、サッチャーのような華やかさも、スター的な憧れも感じられませんが、明晰な頭脳といぶし銀のような胆力を感じます。


一体何が魅力で16年にも渡ってドイツ首相の座を守ることができたのでしょうか。政治家か、はたまた政治家という仮面をかぶった牧師なのか、答えは以下の通りです。


<略歴>

メルケルは、1954年7月17日、ハンブルクに生まれました。牧師である父親の転勤により、1955年に旧東独テンプリン(ブランデンブルク州)へ移住し、そこで少女期を過ごしました。


上記しましたように、メルケルは東ドイツに育った人物で、ルター派の牧師であったホルスト・カスナーを父に持ち、キリスト教の影響を強く受けながら育ちました。


その後、メルケルはライプツィヒ大学で物理学を学び、科学アカデミー物理化学中央研究所において、物理学者としてのキャリアを積みました。ライプツィッヒ大学(1973~1978年)にて物理学専攻し、1986年には理学博士号を取得しています。


メルケルが政治へ飛び込む大転機になったのが、1989年、ベルリンの壁崩壊を目の当たりにした時であります。はじめは「民主主義の出発」という政党に所属しましたが、東西統一後、1990年に最初の選挙で「キリスト教民主同盟」(CDU)から出馬して36才で連邦議員に当選しました。 この頃サッチャーは、イギリスの首相として冷戦の終結に尽力していました。


その直後、第4次ヘルムート・コール内閣において、新人にも係わらず婦人・青年担当大臣や環境大臣に抜擢されました。東ドイツ出身の女性を入閣させたのは、東西融和の発展を示すパフォーマンスの意味もあったと思われます。


そうして2000年にCDU(キリスト教民主同盟)党首になり、2005年(51才)、ドイツ初の女性首相に就任しました。サッチャーよりも3才早い首相就任です。すでに16年間首相を務め、各国のリーダーの中でもその存在感は極めて大きいものがあります。


なお、初婚の配偶者はウルリッヒ・メルケル(結婚期間1977年 ~ 1982年)で、再婚した現在の夫はヨアヒム・ザウアー(1998年 ~ )で、フンボルト大学ベルリン教授で量子化学者です。なお「メルケル」は前夫の苗字になります。子供はなく、エカチェリーナ2世を尊敬しており、趣味はハイキング、園芸、クラシック音楽、サッカーということです。


<メルケルの政策と信仰>

次に「メルケルの倫理観や信仰」に焦点を当て、彼女の政策や対外認識について見ていきます。


さて牧師の家に育ったメルケルは、信仰の人であり、聖書に精通し、演説において聖書の言葉を引用することは少なくなくありません。メルケルのスピーチを編集した書『わたしの信仰 キリスト者として行動する』(新教出版)は、まるで牧師の説教集のようです。


1995年に環境大臣としてドイツ福音主義教会大会に出席した際の講演において、「これらの出来事は、わたしたちに対する警告であって、彼らが悪をむさぼったように、わたしたちも悪をむさぼることのないためなのである」(1コリント10.6)を引用して語りました。(同書P24)


この聖句には、歴史の教訓、即ち、ナチスの台頭を許したドイツの自戒の念が込められているような気がします。


また、2001年、CDU党首として、第29回ドイツ福音主義教会大会で、「奇跡を求めない」と題して講演し、マルコ書5章21節から43節についての詳細な聖書解釈を披瀝しています。ヤイロの瀕死の娘の復活と、12年長血を患っていた女性の癒しの有名な奇跡の物語です。


メルケルは、第一に、この物語が奇跡に頼って人間は努力する必要がないと言っているのではなく、ヤイロも長血の女も精一杯の努力をしていることを指摘しました。第二に、この物語が生と死の境界線を扱っているとし、脳死問題や安楽死問題を考える材料を提供してくれているとしました。


また最も気にいっている点として、第三に、この深刻な状況の中で、イエスが示した素早さ、言葉の少なさです。イエスは、短く冷静に「恐れるな」「少女よ、起きなさい」「あなたの信仰があなたを救った」と権威を持って語ったというのです。(同書P52~54)


メルケルは物理学者であったこともあり、科学的で合理的な思考を持つ冷静な人物として捉えられることがありますが、キリスト者としての立場も明確です。上記の通り、彼女のスピーチには、多くの宗教的な概念や聖句が用いられ、繰り返しの自分のキリスト教信仰を公言しています。


特に対外政策との関係では、ヨーロッパのアイデンティティーとしてのキリスト教の意義を強調する主張が多く見られ、例えば、2010年のブリュッセルでのヨーロッパ首脳会議で、次のように述べています。


「私たちに共通のヨーロッパ的アイデンティティーが、大部分においてキリスト教的特徴を備えているのは明らかです。私たちは自分たちのルーツを知り、この遺産を繰り返し念頭におかなくてはなりません」


「ヨーロッパの価値観は、人間の尊厳の観念に要約され、神の似姿として人間を理解するキリスト教は、国籍や言語、文化、宗教、肌の色、性別などによらない『あらゆる人間の平等』を教えています」(同書P127~128)


キリスト教は最も迫害されてきた宗教だとの認識を示すメルケルのスピーチを読み解いていくと、キリスト教の役割が重視されており、教会が中心となって作り上げる倫理観を政治が継承していくことの必要性を強調しています。そしてメルケルは家族の価値を重視しました。


また人々の尊厳を守ろうとした多数の難民受け入れ政策は、キリスト教の隣人愛の精神が基礎にあると言えるでしょう。そしてドイツ政治の成果として、難民の受け入れや原子力発電所の廃止と並んで、世界への関与を大幅に高めたことを挙げ、「外交的な責任、そしてますます軍事面での責任」を一段と負うようになったことにも触れました。


こうして、少なくともサッチャーやメルケルには、世界を導かれ、「歴史を摂理される神」という観念を持ち、国際情勢や歴史の認識において、我知らず目に見えない神の摂理に呼応しようという霊的動機がありました。


メルケルは、「宗教改革の精神を世界の中に持ち込む」 (同書P111)とのスピーチの中で、ドイツ連邦共和国は「世俗的に建国されたのではない」とし、それはドイツ基本法前文に「神と人間に対する責任を自覚し、世界平和に貢献しようとする決意に満ちて、この基本法を制定した」と明記されていることからも明らかだと語りました。


このように、「自らの信仰に裏付けられた倫理観と社会的連帯の価値」は、メルケルにとって揺らぐことがない「確固たる信念」として存在していることがわかります。実は、このメルケルの信仰と信念こそ、16年の首相の座を保ち得た最大の要因だったのです。


無論、西欧キリスト教社会にあって、キリスト教への帰依を表明することは、選挙目当ての政治家としてのパフォーマンスだという側面もあるかもしれません。しかし、それを差し引いても、サッチャー、メルケルの信仰は見上げたものです。


【日本初の女性首相誕生の意義と期待】


こうして、イギリスとドイツの女性初の二人の首相を論じてまいりました。二人に共通するものは、確かな「召命観」と神に対する「揺るぎない信仰」であり、その政治政策は、すべからく「神にその淵源がある」ということでした。またこのことは、筆者にとっても意外な発見であり、新たな認識でありました。


願わくば高市早苗氏が、このサッチャー、メルケルの「キリスト教的霊性」を引き継ぎ、高市氏の「日本的霊性」(日本教)に接ぎ木して、母性国家日本の初の女性首相として、その使命を果たされることを祈るばかりです。


今回の総裁選を通して高市氏は、日本女性初の首相としての揺るぎない資格を得たのではないかと思料いたします。早晩、その日が来ることを確信するものですが、いずれにせよ高市氏は、今後の保守政治の核、思想的座標軸としての役割を果たすことは明らかです。


そして何よりも、女性首相の誕生は、母性国家日本が待ち望む「摂理的要請」であると意義付けることができるでしょう。


特に高市氏は、サッチャーを尊敬し、研究し、政治家としての一つのモデル(原型)にしているように思えます。群れない、ぶれない、信念あり、華ありの高市氏は、当にサッチャーと瓜二つです。


国の「主権と名誉」を守り抜くという高市氏の信念は、サッチャーが フォークランド戦争で見せた良き前例があります。また、今回の総裁選出馬は、サッチャーが50才で保守党党首出馬を決断した、あの時の勇気と政治的状況にそっくりです。


あの時サッチャーは、霊妙な神の導きの中、多くの偶然が重なって、はからずも保守党党首選挙に立ち、勝利しましたが、今回高市氏の総裁選出馬にも、当に同じことが言えるでしょう。


そしてサッチャーの自立・自助・自己責任の精神から高市氏は多くを相続したと思われます。「機会の平等を保証する制度」や「自立と勤勉の倫理」の政策は、その表れと言えるでしょう。


高市氏には、サッチャーやメルケルのようなキリスト教信仰はありませんが、これに代わる日本的霊性(日本教)に帰依する信奉者だとお見受けしました。


日本的霊性(=日本教)とは、「自然を崇め、先祖・天皇を尊び、和と共生を重んじ、清浄を好む」という精神性で、この思想が日本の国家観や歴史観の核をなしているというのです。


しかし、高市氏のこのような国家観・歴史観は、あくまでも日本という国を対象としたもので、かの欧州の二人が有していた「歴史を導かれる神の摂理」といった世界的な視点ではないと思われます。


政策立案能力がある高市氏が、今後、サッチャー、メルケルと流れるキリスト教的霊性を、東洋的霊性に融合させる政治的触媒となり、東西文明の橋渡しを担う存在に駆けて上がって下さることを祈念いたします。そして日本を保護されんことを!(了)