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解散請求を受けて③ 法廷外闘争の火ぶた切られる 信教の自由を守る福岡県民集会

◯つれづれ日誌(令和5年10月25日)-解散請求を受けて③ 法廷外闘争の火ぶた切られるー信教の自由を守る福岡県民集会


地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。(マタイ10.34)


「解散請求を受けて」第3弾です。今回は、解散請求の不当性、恣意性、不法性(違法性)について述べると共に、具体的な抗議行動の必要性と解散請求の霊的意味(神学的意味)について考えたいと思います。


【解散請求の不当性を訴える二つの集会】


筆者は前2回のつれづれ日誌にて、裁判外闘争、即ち、この度の解散請求の不当性、恣意性、不法性(違法性)を広く国民に訴える啓蒙運動の必要性を強調しましたが、ここに二つの良いモデルを紹介したいと思います。


<家庭連合解散請求の不当性を訴える福岡集会>


この10月20日、博多にて、「基本的人権・信教の自由を守る福岡県民の会」が主催する「信教の自由を守る福岡県民集会」が挙行され、家庭連合の解散命令請求の不当性を訴えました。正に解散請求の問題点を広く世に問う国民啓蒙運動の火ぶたが切られました。


マスコミ関係者も招き、会場は入りきれないほどで、関心の大きさが分かります。主催者の挨拶の後、海外の有識者が信仰の自由の重要性と日本における危機について警告した映像が流され、その後、浄土真宗の僧侶による「信仰の自由を守る連帯の挨拶」があり、解散請求の不当性を述べる現役二世ら信者の訴えがなされました。また拉致監禁された経験を持つ小出浩久医師がズームで参加し、自らが拉致され、脱会屋と牧師によってどのように説得されたかの赤裸々な証しがあり、続いて、九州在住で拉致監禁された2人の信徒が自らの過酷な経験を語りました。


次に、徳永信一弁護士が登壇し、法的立場から政府の決定には全く同意できないこと、2009年のコンプライアンス宣言以降、改革を徹底し問題が激減していること、拉致監禁強制改宗は未曽有の人権侵害であることなど、説得力ある言葉で語られ、その後、新聞記者などから質疑応答が30分ほどあり、閉会しました。


この福岡県民集会は、今回の岸田政権の目に余るUCへの宗教弾圧に業を煮やし、満を持して立ちさ上がったもので、これを皮切りに、全国各地で同様の解散請求糾弾の声があがることを期待いたします。また福岡においても、この種の継続的な訴えがなされることを祈念いたします。


<富山シンポジウム>


一方、この福岡県民集会に先立つ10月11日、一般社団法人富山県平和大使協議会主催で「国家と宗教ーその関係を問う」とのテーマでシンポジウムが開かれました。同協議会代表理事の鴨野守氏、及び日本UPF(天宙平和連合)事務総長の魚谷俊輔氏が挨拶し、徳永信一弁護士、仲正昌樹金沢大学教授らがパネリストとして参加し、水準の高い議論がなされました。


特に徳永氏は、12年以上拉致監禁された後藤徹さんへの名誉毀損で、鈴木エイト氏を訴えていることを述べた上、4300人にも登るUC信徒の拉致監禁被害者がいることを「前代未聞の人権侵害」と明言し、マスコミがこのような未曽有の人権侵害・信教の自由侵害を報道しなかったことをメディアの怠慢と切り捨てました。


また仲正昌樹氏は、アメリカの福音派キリスト教が政治家や政府関係者に対して、妊娠中絶反対などのロビー活動を熱心に行っていることなどの事例を挙げ、宗教団体がその理念を実現するため政治家と関係を持つのは当然の権利であり、政教分離違反でも何でもないと強調しました。


実は仲正昌樹氏は東大原研出身の元UC献身者で、かって世界日報にも勤務していましたが、色々な事情で棄教しました。現在は金沢大学人間社会学域法学類教授を務めています。


筆者は「つれづれ日誌(令和3年1月8日)」において、仲正昌樹氏の著書『統一教会と私』について論評しましたが、本書は何故UCに入信し、何故脱会するに至ったかを、率直に赤裸々に綴った本であります。仲正氏は冒頭で、「本書では、統一教会が邪教宗教なのか否かと言った評価をするつもりはない。様々な原因で邪教呼ばわりされていても、救われたと思える経験が、少なくとも私自身にはあるからだ」と語り、「統一教会にいたことを、それほど後悔していない」(P236)とも述べ、良くも悪くも自らに決定的な思想的影響を与えた統一教会とその教義は、重いものであることを率直に書いています。


この本は、確かに脱会者の物語には違いありませんが、やっと大学教員としとしての居場所を見つけた著者の、一種の宗教論、あるいは宗教団体論という一面があり、半自伝、半評論と言うべきものでした。この種の本にありがちなUCを批判する暴露本どころか、むしろ結果的には、UCを弁証しているような印象すら感じたものです。ただ、仲正氏はUCに疑義を感じて脱会した人間であり、決してUCに賛同している訳ではなく、またUCの実体を正確に記しているものでもありません。


それにしても、仲正氏がこういったUCの集会にパネリストとして参加し、彼の客観的、かつ公平な発言を聞くにつけ、この機会に再度UC教義を学び直すきっかけになれば幸いだと祈ります。彼は本書の中で次のように述べています。


「統一教会は、私が人生における最悪の選択をしないよう、防波堤の役割を果たしてくれた。統一教会の教義(原理講論・勝共理論・統一思想)などを読み込んだことが、マルクス主義や実存主義、キリスト教系の宗教哲学について学ぶきっかけになった」(『統一教会と私』P232)


以上の通り、これら二つの集会は、岸田政権の恣意的な解散請求に対する弁明であり、また宣戦布告であります。今後、これを皮切りに、当該解散請求の不当性を広く国民に啓蒙し、信教の自由を守る戦いが全国各地で行われることを祈念したいと思います。


【解散請求の論点・争点】


元検事の若狭勝弁護士は、最近の動画で、岸田政権のUC解散請求に至るまでの手続きに強い政治的意図があることを指摘され、その適正手続きに疑義を呈されました。先ず、法律に詳しい検察官と共同で解散請求を申し立たオームの場合を例に出しながら、今回、文科省は何故検察官による(または共同で)解散請求の申立をしなかったのかを問題にされ、「先ず解散請求ありき」の政治的恣意性を指摘されました。


また若狭氏は、宗教法人法81条1項にいう「法令違反」は刑事事件を指すと明言し、岸田首相の「民法の不法行為も入る」との法解釈を問題にされました。つまり、今回の岸田首相の解散請求は、自民党がUCと断絶したことにお墨付きを与えるための選挙目当てのパフォーマンスであり、適正手続きに問題があるというのです。


<解散請求の不当性・恣意性>


ユダヤ人の考え方の中に「全会一致の決定は無効」というものがあります。つまり、民主主義の多様性を重視する考え方で、むしろ全会一致は危険でナチスのようなファシズムの温床になりかねないというのです。正に昨年来のUCバッシングは、UCに対しては何を言ってもいいといった「全体主義的な空気感」が見られ極めて危ういものがあります。


この点、10月12日の文科省諮問会議である宗教審議会は正に全会一致でした。一部の諮問委員は解散請求に疑義を呈しましたが、「内閣が吹っ飛んでしまう」と役人に説得され、やむなく賛同したといった裏話があります。何のことはない、宗教審議会は政府にお墨付きを与えるだけのものでしかなく、これぞ若狭氏のいう「適正手続きに欠陥あり」であります。


2022年8月31日、違憲の疑いがある岸田首相の「UCとの断絶宣言」から始まり、先ず解散請求ありきの岸田政権の暴走は始まりました。その後、同10月17日には、宗教法人法に基づく始めての「質問権」行使を表明し、同日、文科大臣に質問権行使を指示しました。その上で、10月18日の国会答弁では、宗教法人法81条1号に規定する「法令違反」は刑事事件を指すとの見解を示しました。しかるに、翌19日には「民法の不法行為も入る」と一夜にして解釈を変更したというのです。


つまり、政府は10月14日、教団には「解散請求できない」と閣議決定し、立憲民主党参院議員小西洋之氏の質問主意書への答弁書(同日付)も同様の内容であり、18日の衆院予算委員会でも岸田首相は、「法令違反」について、民法の不法行為は「入らない」と答弁しました。にもかかわらず、翌19日の参院予算委員会で、民法の不法行為も「入る」と答弁を一転させたあの一件です。


この18日の発言を翌19日にひっくり返した裏で、小西洋之氏の暗躍があったと世界日報は報じています。即ち、小西氏が岸田首相に、「今までは文科省だけで考えていたのを改めて、内閣法制局や法務省も呼んでみんなで議論したら(実際は議論していない)、宗教法人法の解散命令に、民法の不法行為も適用できると考えを変えたと言ったらいい。そこの部分は追及しないから」と入れ知恵したというのであり、岸田首相はその通り嘘の発言をしたというのです。


何と言う岸田首相の浅はかさ、愚かさでしょうか。これでは、百田さんが、岸田自民党に愛想をつかして日本保守党を立ち上げた気持ちも分かろうかというものです。そしてその後は、昨年11月21日の違法の質問権行使、本年9月6日の過料の申し立てと続き、10月13日、最終ゴールである解散請求の申し立てに至りました。


このあからさまな政治的恣意性を持った解散請求は、正に不当なものですが、絶対許せないもう一つの問題は、解散請求に当たって、政府はその根拠となる資料を専ら左翼の全国弁連や反UCの元信者に完全に依存し、一方的で偏った情報のみに負っていたという事実です。正に左翼との醜い野合であり、これだけは看過できません。


<解散請求の違法性>


この度の解散請求は、信教の自由に対する挑戦であり、また未曽有の人権侵害であります。以下、この問題の違法性、違憲性について述べることにいたします。


違法性の第一は、前記の通り、宗教法人法81条1項の「法令」の解釈の問題で、岸田政権は間違った解釈をしたということです。


即ち、岸田首相は昨年10月19日の参院予算委員会で、民法の不法行為も同「法令」に入るとし、これまでの刑事罰に限るとしていた法解釈の変更を一夜にして行い、民法上の不法行為でも「組織性・悪質性・継続性」が認められれば解散命令の要件に当たるとの新たな基準を設けました。しかし、宗教法人法81条1項1号の『法令」は刑事罰に限られ民法を含まないことは確定した判例であるオウム真理教高裁決定(平成7年12月19日)と、それを踏襲した最高裁判決でも明らかであり、判例に反する判断は国民の予測可能性を奪い、信教の自由を侵害すると言わねばなりません。従って、質問権行使にせよ、過料申し立てにせよ、解散請求にしろ、刑事犯罪が皆無のUCに対して、そもそも法の要件を欠くというのです。


中山達樹弁護士は、会社法や一般社団・財団法人法の解散事由は、「刑罰法令に触れる行為をした場合」と明記されており(会社法824条第二項)、会社法等が「刑罰法令」違反に限定しているのに、より厳格に解釈されるべき宗教法人の解散で、広く不法行為を含むのは著しく均衡を欠くと指摘され、比較法の立場からも問題であると言われています。


また、仮に百歩譲って民法の不法行為が含まれるとしても、何法の第何条に違反したのかを特定すべきところ、文科省は明示せず、賠償規範である民法第709条に漠然と違背していると主張するのみであり、誤りという他ありません(過料裁判意見陳述書(2)P2)。更に、解散請求の要件である「組織性・継続性・悪質性」についても該当しないことは明らかであり、この点については中山達樹著『家庭連合に、解散請求の要件なし』(光言社)に明記され、また徳永弁護士も声を大にして主張されている通りです。


以上の通り、当該解散請求は違法であるだけでなく、解散請求の要件を広げることによって安易に宗教法人を解散させることが可能になり、憲法19条、20条の思想・信教の自由を犯すことになりかねず、また、国家による宗教への干渉を容易にし、政教分離(憲法20条1項、3項、89条)に違背することになることは明らかです。


【本質的な問題提起、神の分別の一石】


さて、安倍事件では、UCの存在が大きくクローズアップされ、よくも悪くも注目され脚光を浴びることになりました。そしてこの事件以降の魔女狩り的なUCバッシングの異常さをつぶさに観察するにつけ、これは全体主義を予感させる悪霊現象ではないのかと思う反面、一方では全能の神の深謀遠慮からくる一種の計らい(役事)ではないのかとさえ感じるものです。


即ち、今回の喧騒の一つは、そもそも「UCとは何か」、「教祖文鮮明師とは何者で、何を教え(教義)、何を為したか」、といった本質的問題に関する「問題提起」とも言えなくもないという点です。つまり、UCというそう大きくもない信仰集団が、これ程の注目と関心を呼び、「UC研究?」が行われるのは、そこに神の意思があるからであり、正に黙示録に出てくるキリスト(子羊)を証しする印を押された「144000人の群れ」(黙示録7.4、7.14)であるからではないかと思わざるを得ません。


ちなみに、宗教社会学者の櫻井義秀氏は、最近『統一教会』(中公新書)という本格的な「UC研究本」を出版しました。かなり批判的であり事実認識に間違いがありますが、教祖や日本UCの歴史、教義や儀式、安倍元首相暗殺事件とUCの違法行為などを体系的に記し、「(人と金を投入して)世界の統一教会を育てたのは日本である」と結論づけています。冒頭、次のように述べ、関心の深さを示しました。


「いわゆる統一教会のカルト性や信者へのマインドコントロールを批判するだけでは、この教団を理解し教団の日本戦略に適切に対応することができない。さらなる世界布教を行い、おそらく世界中の宗教学者や社会学者が認知する新宗教となっている。つまり、統一教会を育てたのは日本である」


またこの度の騒動に関し、更に筆者がもう一つ指摘したいのは、解散請求はぬるま湯的な多神教の日本の社会に投じられた「分別の一石」ではないかという点です。聖書に次のようにある通りです。


「地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである」(マタイ10.34)


神の創造がカオスを分けることから始まったように(創世記1.1~8)、神の救済の業は善と悪を分けるところから始まるというのは救援摂理の大原則であり、それはアダムの子をカイン(悪の表示体)とアベル(善の表示体)として分けるところから人類歴史が始まったことからも明らかです(創世記4.1~2)。この点、解散請求は、無神論と有神論、即ち「善と悪が分立される分岐点」であり、神が投じられた「分立の一石」であると言っても過言ではありません。つまり、ここから善悪が明らかになるというのです。


上記2点の考察は、神の救援摂理上、ないしは宗教社会学的視点から見た筆者の見解ですが、あながち的外れではないと思料いたします。


ところで、先だって筆者は、共通の問題意識を持つ信徒ら数人と意見を交換し、現下のUCの置かれた立場を分析すると共に、解散請求を受けて私たちが為すべきことについて率直に議論しました。


その中で、裁判内で徹底的に争うと共に、裁判外で「解散請求の不当性を訴える啓蒙活動」を実施することが重要であることを共有しました。即ち、10月20日に福岡で開いたような信教の自由を守る集会を全国都道府県で草の根的に実施すること、その際、a.解散請求の不当性、b.信教の自由守護、c.拉致監禁の人権侵害、の三点を訴え、マスコミ、宗教者を含め広く呼びかける必要性を確認しました。また教会改革については、自律的、自己完結的な開かれた日本UCを作ることを共有しました。


以上、岸田政権の解散請求を受けて、筆者の感じるところを述べました。「攻撃は最大の防御なり」との格言の通り、岸田政権、乃至は岸田首相の前代未聞の宗教弾圧に抗して、今こそ信仰者の矜持を示したいと思います。そうして、解散請求の不当性を訴える啓蒙活動は、やがて「福音伝道のリバイバル」として結実することを確信いたします。(了)


                         ポーランド宣教師 吉田宏


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