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解散請求問題の再検証 文化庁のパブリックコメントに際して

◯つれづれ日誌(令和6年1月31日)-解散請求問題の再検証ー文化庁のパブリックコメントに際して 

 

わたしを守る盾は神である。神は心の直き者を救われる。神は義なるさばきびと、日ごとに憤りを起される神である(詩篇7.10~11)

 

この度「特定不法行為等に係る被害者の迅速かつ円滑な救済に資するための日本司法支援センターの業務の特例並びに宗教法人による財産の処分及び管理の特例に関する法律」(以下、「救済特例法」と呼ぶ)が成立し、令和5年12月に公布・施行され、「指定された宗教法人」の資産状況を国などが把握できるようになりました。 

 

【文科省のパブリックコメントについて】 

 

即ち、国などが裁判所に解散命令を請求した法人(つまり、旧統一教会のこと)のうち、被害者が「相当多数」と見込まれる法人を「指定宗教法人」とし、不動産を処分する際に「行政機関への届け出」を義務づけるほか、年に1回の財産目録の提出を「3か月に1回」としました。さらに財産の「隠匿又は散逸」のおそれがある法人を、「特別指定宗教法人」とし、被害者が「財産目録を閲覧」できるようになります。国会の答弁では、被害者が「数十人程度」にのぼる場合は「指定宗教法人」の対象になり、法人が財産を海外に移転する行為などの隠匿や散逸がみられる場合は「特別指定宗教法人」の対象になることが想定されるとしています。(但し、この「被害者」の定義が極めて曖昧である)

 

これを受けて文部科学省は宗教法人の指定にあたり、その指定に関する運用基準案を策定し、基準の内容を公表し、行政手続法39条に基づきこれに関する「パブリックコメント」(パブコメ)の募集を実施しました。(実施期間1月4日~2月3日)

 

しかし、救済特例法にしろ、運用基準案にしろ、法律に慣れない私たちは、こんな細かい法律に対して、「一体何をコメントすべきか」に戸惑うものです。そこで、専門家の意見を参考にしながら、今回のパブコメの意味、何が問題なのか、何をコメントすればいいのか、を解説すると共に、そもそもこういった法律が生まれたのは岸田政権による旧統一教会(以下、「UC」と呼ぶ)の「解散命令請求」に元凶があるのであり、この際、この原点に遡って諸論点を再検証したいと思います。 

 

<パブリックコメントの論点>

 

先ずパブコメですが、パブコメの目的は、国民の付託を受けた国会の議決による「法律」ではなく、行政庁(文科省)による「命令等」(運用基準案)なので、広く国民から意見を聞いて公正を図るという趣旨であり、この「運用基準」について問題や疑義があればコメントして意見を述べることができるというものです。そして「一体何をコメントすべきか」については、中山逹樹弁護士らが例示されていますので、これを参考に考えて見たいと思います。中山弁護士は次の3点を問題にされました。 

 

第一は「特定不法行為等に係る被害者」(法2条第2項、基準案第一・2)の「被害者」の概念が漠然として広すぎ、誰が被害者なのかの絞りがないという点です。即ち「特定解散命令請求等の原因となった行為に係る被害者と、これらと同種の行為に係る被害者の双方が含まれる」とあり、これでは虚偽・架空の被害を訴える者や、すべての現役信者も含まれ、誰でも「被害者」となってしまうというのです。ある信徒は、被害者を特定する場合、そこに教団側の「詐欺的犯罪的意図」があったかどうかを確認し、それが認められた時にのみ被害者とすべきであると主張しました。また「被害者が相当程度見込まれる」というのも、何が相当程度なのかの要件がなくいい加減です。 

 

第二は、財産情報開示の前提となる特別指定宗教法人指定(本法12条1項2号)と、同条の運用に関する本基準案第二・3(1)が広範にすぎるという点を指摘されています。基準では、指定要件の考慮要素として「その他の事情」とあるところ、「被害者」が定義されず、そのため、自称「被害者」の無法な請求に対する対応が、恣意的に特別指定宗教法人の指定に用いられかねないというのです。 

 

その他、基準案第二・3(2)の「その財産の隠匿又は散逸のおそれがあること」の要件判断基準が広すぎること、法13条の財産開示制度が緩すぎることなどを挙げられ、総じて「運用基準」の曖昧さ、緩さが指摘されました。 

 

<筆者のパブコメ> 

 

今回筆者は、上記の運用基準の曖昧さを細かく指摘するというより、そもそも救済特例法や運用基準のよって立つ解散請求自体に重大な問題があること、従って救済特例法とその運用基準自体に根本的問題があることを問題提起し、次の通り二回に渡ってパブコメを提出しました。 

 

「文化庁による旧統一教会の解散請求は、世論に忖度した岸田首相の偏った政治判断から出たもので、信教の自由を損う恐れがあり、即刻取り下げるべきです。宗教法人法81条1項の『法令違反』とは刑事犯罪を指すことは自明の理であり、『民法の不法行為』は含まれません。岸田首相が今までの民事は含まれないとしてきた閣議決定を、無理やり一夜にして解釈変更したのは、マスコミ世論に迎合した結果であり、法治国家の矜持を損いました。また、文科省のやり方は『先ず解散請求ありき』で、そのための資料を全国弁連や元信者の一方的な情報のみを収集して、こじつけたもので、許すことができません」(以上、一回目)

 

「私は昨日のコメントで、そもそも旧統一教会の解散請求自体に、そして文科省の資料収集自体に大きな瑕疵があることを指摘しましが、今回の御庁による「救済特例法」及び「運用基準」について一言述べたいと思います。 

 

この法案は旧統一教会を狙い打ちにした法案であることは明らかであり、未だ確定判決がない中において、解散を前提とした財産保全措置は、憲法が保証した財産権の侵害に当たりかねず、ひいては信教の自由を犯しかねない危険性を孕んでいます。当該法案は『財産の隠匿又は散逸のおそれへの対処』と謳っていますが、少なくとも旧統一教会が財産を隠匿したり散逸したりすることがないことは、今までのいわゆる被害者への真摯で丁寧な対応や、11月7日の記者会見で、田中富弘会長が100億円の供託を政府へ提案したことを見ても明らかです。 

 

にもかかわらず今回の法案並びに漠然とした運用基準策定の強行は、いわゆる駆け込み便乗被害者の増大が懸念され、明らかにマスコミ世論への忖度、ないしはアリバイ作りというしかなく、正に衆愚政治の典型です。従って、上記に述べた理由により、旧統一教会をターゲットにした当該法案と運用基準は、到底認めることはできません。即刻、取り下げることを強く求めるものです」(以上、二回目)」 

 

【論点整理】 

 

さてここでもう一度、被害救済法やその運用基準が如何にして生まれてきたのか、そしてこれらの法案が如何に理不尽で危険なものであるかを整理しておきたいと思います。 

 

<救済特例法案は衆愚政治の典型>

 

そもそも救済特例法案及び運用基準は、憲法29条の「財産権は、これを侵してはならない」に抵触しかねない、UCをターゲットにした天下の悪法であります。即ち、憲法は財産権を保証しており、政府を含む何人も正当な理由なく財産権を犯すことはできません。そもそも確定判決前のUCの財産は正にUCに属しており、UCの解散を前提とした財産保全を含む財産権への干渉は憲法違反に該当します。与野党もこれを認識した上で、ぎりぎり財産権に抵触しないように法案を通しましたが、これはマスコミ世論に忖度したパフォーマンスというしかありません。従って、特に野党が推進したこの法案自体、憲法違反に該当しかねない危険性を孕んだもので、これは「旧統一教会なら何をしてもよい(人権侵害してもよい)」といった空気に迎合したもので、許すことは出来ません。 

 

今回、UCを指摘宗教法人、及び特別指定宗教法人に指定して、財産の報告義務などを強化しようとしていますが、特に特別指定宗教法人の要件である「財産の隠匿や散逸」にUCが該当しないことは、今までのいわゆる被害者への誠実できめ細かい対応、特に2009年のコンプライアンス宣言以来、訴訟を含む金銭トラブルが激減していること、田中富弘会長が100億円の供託を政府へ提案したこと、などを見ても明らかです。 

 

ちなみに2009年のコンプライアンス宣言以後、民事裁判は激減し、最近7年の献金につき、民事裁判は1件もなく、今、被害として全国弁連が騒いでいるのは、20年~30年以上も前のものがほとんどであります。また文科省が教団の悪質性の証拠として、質問件行使・解散請求の切り札にした32件の裁判の原告231名中、なんと128名(55.4%)が拉致監禁による脱会者であり、こうして被害者は、脱会屋(拉致改宗ビジネス)や全国弁連によって仕立て上げられたものが多く、被害者はむしろUCと言えなくもありません。 

 

正に当該法案は、マスコミ世論に忖度し、UCを狙い打ちにした衆愚政治の典型的事例であります。アリストテレスは、大きく政治形態を「王制」(君主制)、「貴族制」(寡頭制)、「民主制」(共和制)の3つに分類し、その中でも民主政が一番ましだとしましたが、とかくこの民主政は、古代末期アテネのように手がつけられない衆愚政治に陥るというのです。ちなみに衆愚政治とは、古代ギリシャにおいて失敗した民主政を揶揄して用いられた蔑称で、日テレのミヤネ屋に象徴される大衆迎合型政治のことであります。

 

しかし、こういった宗教弾圧を、いつまでも神が放置されるはずはありません。「神は義なるさばきびと、日ごとに憤りを起される神である」(詩篇7.10~11)とある通りです。 

 

<解散請求は岸田首相の人生最大の汚点> 

 

そもそも救済特例法案や運用基準は、昨年10月13日、岸田首相の意向を受けて、文科省が無理筋の解散命令請求を東京地裁に申し立てたことにその発端があります。岸田首相は、真面目な50万人信徒を有し、刑事事件が皆無である宗教団体を解散請求するという取り返しのつかない間違いを犯しました。おそらく日本の憲政史上、戦前の大本教弾圧に匹敵する最悪の宗教弾圧であり、知ると知らざると岸田首相は、その人生において、また神の復帰摂理上、致命的な汚点を残してしまいました。 

 

実際、宗教法人の解散は、当該法人が刑事犯罪を犯した場合に限るのであり、これは既に判例として確立されています。即ち、宗教法人法81条1項は解散要件として、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」とありますが、この「法令違反」とは刑事犯罪であるというのです。 

 

しかるに岸田首相は2022年10月19日の参院予算委員会で、宗教法人への解散命令請求が認められる法令違反の要件について「民法の不法行為も入り得る」との見解を示しました。前日18日の衆院予算委では刑法違反を挙げ、「民法は含まない」との認識を示しており、一夜にして答弁を変更したもので、野党にも「朝令暮改にもほどがある」と批判される体たらくです。これには裏があり、立憲民主党の小西洋之参院議員から、「文科省だけでなく、法務省など政府全体で協議して決めたと言えばいい」と入れ知恵され、正にその通り答弁したもので、愚かにも程があるというものです。 

 

元武蔵野大学教授で「新しい歴史教科書をつくる会」の会長を務めた杉原誠四郎氏は、「令和4年、岸田首相が解散事由の解釈を変更したのは宗教法人法の本旨を逸脱したものだったのだ」と指摘され、更にまた、「解散命令とは地裁内で非公開の審議で決定するものであり、もしこのまま進めば、旧統一教会は公開の裁判を受けられないまま解散させられることになり、明らかに憲法32条に規定されている裁判を受ける権利を否定されたことになる。旧統一教会への解散命令に関する審議は、違憲状態のなかで粛々と進められているということになる」との懸念を表明されました。 

 

<文科省の資料収集に問題あり>

 

更にもう一つ指摘しておかなければならないのは、公正を期すべき文科省の解散請求に係わる資料収集の「ひどい偏り」です。つまり、政府文科省は、「先ず、解散請求ありき」との姿勢で、その目標のために専ら全国弁連や背教者にその根拠資料を依存し、UC側からの資料は無視しました。つまり、こともあろうに文科省は、左翼系弁護士集団であり、UCを潰す目的で結成された「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(略称「全国弁連」)と組んだというのです。野合と言えばこれ以上の無節操な野合はなく、日本の政治はここまで劣化してしまいました。 

 

ジャーナリストの福田ますみさんは、1月18日に文京シビック・センターで行われた講演会で、「全国弁連の設立目的は、スパイ防止法の阻止と反共思想を持つUC潰しにあった」と明言されました。つまり、スパイ防止法の活動資金となっている、いわゆる霊感商法を問題にして、旧統一教会を宗教法人認可の取り消しに追い込むというのです。ちなみに全国弁連の幹部は皆共産党か旧社会党の活動メンバーであり、彼らは、被害者救済を第一の目的とせず、「真の目的はスパイ防止法とUC潰しである」と福田さんは強調されました。即ち、一連のUC叩きの喧騒の本質はイデオロギーの戦い、つまり無神論と有神論との戦いであるというのです。そうして、破廉恥にも文科省は、この全国弁連と密接に共闘しました。 

 

前記の杉原誠四郎氏は、「文部科学省が東京地裁に解散命令を請求したが、このときに示した文部科学大臣の解散請求の事由は、客観的査証もなく本人が被害者と称する者の申請する被害額をそのまま集計したもので、極めて不当な事由の指摘であった」と言われています。 

 

【犬は吠える、されどキャラバンは進む】 

 

「犬は吠える、されどキャラバンは進む」とは、アラブのことわざの一つで、「進行を阻むほどの力が働こうとも、人生や自分のやるべきことは変わらず続いてゆく」という意味であります。然り、このように神のご計画は、人知を超えて粛々と進むことでしょう。 

 


筆者は昨年、聖書と原理の橋渡しをテーマとした『異邦人の体験的神学思想』という本を出しましたが、前述の福田ますみさんの講演会で、一人の姉妹を通して、福田さんにこの本を手渡すことができて感謝でした。活字に慣れている福田ますみさんなら、読んで、しっかり理解して下さると信じるものです。ところで、福田ますみさんが何故、UCについて取材をする事になったかと言うと、アメリカのポリティカル・コレクトネス(ポリコレ)について世界日報の記者に取材した時、対応した方が、知識も豊富であり、親切で印象も良かったので、世間でカルト集団、反社と言われる事と繋がらなかったと告白しました。そんな時、月刊Hanadaの編集者から「世界日報はクオリティが高いし、人もいいですよ」と聞いたので、連絡してお付き合いが始まったというのです。 

 

また、UC問題で正論を語っている中川靖久牧師にも直接この本を手渡しましたが、得てして原理の教義が誤解されて喧伝されているこの時、この本がUC教義の正しい理解に一役かえばこれに過ぎたる幸いはありません。 

 

聖書に、「神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」(1コリント10.13)とあり、「わたしはあなたと共にいて、決してあなたを捨てない」(創世記28.15)とある通り、あくまでも私たちは、天地を創造され、歴史を司られる神の全知と全能を固く信じたいと思います。神よ、天にまします愛なる父母よ、我らが道を導きたまえ!(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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