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記者会見の検証 安倍元総理の国葬儀に思う

◯つれづれ日誌(令和4年9月28日)-記者会見の検証ー安倍元総理の国葬儀に思う


だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである(2コリント5.17)


9月27日、安倍晋三元総理の国葬儀が、武道館にてインドのモディ首相をはじめ218ヶ国700人の外国要人、及び内外約4200人が参列して、しめやかに、感動的に執り行われました。国葬には賛否両論があったものの、日本のみならず、世界からこれ程称賛され惜しまれた日本人はいないでしょう。心からご冥福をお祈りいたします。


三権の長をはじめ、国会議員など日本の背骨となる全てのリーダーが参列した未曾有の国葬は、何か見えざる神のみ手を見るようで、全てが変わる大転換の予兆さえ感じるものがありました。いみじくも青山繁晴議員がテロ当日の街頭演説で 、政治家として安倍さんは、「悔いなく逝かれた」と明言されましたが、今後は霊界から日本の行く末を見守って下さることでしょう。



さて前回のつれづれ日誌(令和4年9月21日-安倍事件の論点整理決定版)は、何とHPの閲覧件数が5,900件になり、予想外の嬉しい誤算であり、如何に安倍元総理のテロ事件に関心が高いかを実感させられました。


前回筆者はこの未曾有の試練に際して、「私たちは過去の一切、自らの一切を全否定された激痛と共に、一方では否定されることによる古い自我の死を経て、『新しい自我』(ガラテヤ2.20)に目覚め始めました」と述べましたが、この「新しい目覚め」の一つこそ、以下に述べるUCに新たに設置された「教会改革推進本部」であります。


この9月22日、本部で第3回目の記者会見が行われ、教会改革推進本部長に就任した勅使河原秀行氏と顧問弁護士の福本修也氏が会見に対応し、先ず、勅使河原氏から「教会改革の方向性」が説明され、その後、マスコミ各社からの質疑応答がなされました。


つきましては、今回の記者会見に関して、率直な分析と評価をなし、今後のよき教訓とすると共に、前回の論点整理で触れなかった論点、即ち、山上容疑者の犯行動機の問題、 正体を隠した布教の問題、献金の本質と使途の問題についても論考することにいたします。


【教会改革の方針の発表】


冒頭、勅使河原氏は、「世間を大変お騒がせしたこと」への心からのお詫びがあり、宗教法人が、例えたった1人であったとしても、恨みを買うということはあってはならないと、教会の基本姿勢を表明しました。


そして改革の方向性として、2009年に既に発表したコンプライアンス宣言の指導の内容を「改めて徹底させる」との表明がありました。以下はその骨子です。


①問題とされたような献金と、先祖の因縁などをことさらに結びつける、または、威迫困惑を伴うような献金奨励、勧誘行為はしてはならない。


本来献金は、神への感謝の表れとして捧げるものであり、献金自体は尊い行為であるが、生活を圧迫するようなことはあってはならない、との補足説明があり、何が高額献金なのかは、本人の経済状況により異なるとした。


②信者への献金の奨励・勧誘行為は、本人の信仰に基づく自主性および自由意思を尊重し、信者の経済状態に比して、過度な献金とならないよう十分配慮する。


③伝道活動において、勧誘の当初から家庭連合であることを明示すること。なお、そもそも家庭連合は正体を隠す理由は何もない。


上記の3点の基本方針が確認され、その後、所感と4点の付帯方針が説明されました。


先ず、全国霊感商法対策弁護士連絡会(被弁)が被害を集計した数字を見ても、金額、件数ともに、90%以上改善されているとし、しかも被弁の数字自体、大幅な水増しがあることを指摘しました。実際、2009年以降、13年間の民事訴訟は4件だけで、その4件は既に和解し、和解金額の合計は3800万であり、いわゆる霊感商法は1件もないとの所感を語りました。


付帯方針は次の4点です。


a.「過度な献金」とは、献金により通常の社会生活(家族をも含む)を困難にするような程度、あるいは献金のために借金をするなどのことである。


山上容疑者の母親が1億円を献金したが、「過度な献金」であったと思う。それが生活を圧迫して、こういう結果になったことについては、真摯に重く受けとめると、福本氏から発言があった。


b.全世界への宣教活動への支援については、大幅に見直す(減額する)こと、更に予算全体の減額および国内への布教、教育、文化などの支援活動を拡充する。


c.本部に「教会改革推進本部」を設置し、教会が広く社会から信頼され、公益に資する宗教法人として、本来の使命を果たせるよう、教会改革を推進する。


家庭連合における意思決定は「責任役員会」で決定されるので、教会改革推進本部は改革すべき内容を「責任役員会」にかけて決定し、これを推進する。


d.上記の方針に違反する責任者・職員については、内部規定に基づき、厳正に処分する。


【質疑応答について】


以上のような改革方針が示されたあと、次に質疑応答が行われましたが、重要と思われるものについて解説いたします。


Q.全世界の宣教活動への支援への具体的内容とは


A.保守系新聞のワシントンタイムズを立ち上げる時に支援をしたこと、韓国の聖地の博物館、教育センター、教育施設などの整備支援、世界宣教師への支援、キリスト教会、イスラム教会や、様々な教会との超宗教的な活動への支援などを実施した。


日本教会は基本的に世界本部にまず送金して、世界本部から全世界の統一運動支援に振り分けられる。支援金額については税務当局に申告している。(福本氏)


Q.教会改革を推進するにあたって、外部の第三者を加えるかどうか。


A.現時点では考えていないが、一度検討する。


Q.文鮮明氏の教えに植民地支配した日本が、韓国に貢ぐべきだというような反日的な教えがあるのではないか。(TBS「報道特集」金平茂紀)


A.反日思想は全くない。「アダム国」(父の国)、エバ国(母の国)との概念があるが、この父、母というのは、基本的には「対等な関係」であって上下関係ではない。また北朝鮮への送金はない。


あと福本氏から、元KGBの対日スパイのレフチェンコ事件に関連して、文先生の指示でスパイ防止法制定促進の愛国的運動を行ったと補足説明があった。


Q.世界本部から献金のノルマはあるか。


A.基本的に日本の運営は、日本の責任役員会で「100%確定する」ので、責任と権限は「日本教会」にある。世界宣教等の支援の「大幅な減額」は、日本で決定したけれども、世界本部に了解してもらっている。特にお金の問題に関しては、監督機関に年に1回予算を提出する。


また、現場の実情に合わせて「現場主導の自主目標」に基づいて進めていくという方向への転換を 責任役員会で議論されている。


以上が質疑応答の骨子ですが、最後に福本氏から、反セクト法制定の動きに対して、これを牽制する主張がなされました。即ち、フランスの反セクト法は、特殊な時代背景で作られたもので、学者など反セクト法の権威者は、信教の自由保障の観点から、慎重かつ冷静であるべきであるとの見解があること、フランスの反セクト法は廃止されるべき誤った法律であると述べている旨の説明があり、UCにも高い知性人がいることを印象付けました。


また、広報担当者から、教団に誹謗中傷等の被害が優に2万を超えていること、その中には殺人予告や爆破予告もあることか報告され、過激な報道にならないようマスコミへ注意を喚起しました。


以上の議論を踏まえ、以下において、この記者会見の論点を検証したいと思います。会見自体は堂々として、言うべきことは言い、合格点だったと思いますが、幾つかの課題も残しました。


【検証①ー意思決定は責任役員会議が原則】


質疑応答の中で、日本UCの意思決定について勅使河原氏から説明があり、「基本的に日本の運営は、日本の責任役員会で100%確定するので、責任と権限は日本教会にある」と明言しました。この説明は、報道人、国民に対して説得力があり、大いに評価したいと思います。


つまり、当然のことながら、UCの意思決定は外部で決まるのではなく、あくまでも日本の宗教法人法が規定する意思決定の最高機関である「責任役員会議」で決められるということであります。日本の宗教法人法は次のように規定しています。


☆宗教法人法


第十八条 宗教法人には、三人以上の責任役員を置き、そのうち一人を代表役員とする。

2.代表役員は、規則に別段の定がなければ、責任役員の互選によつて定める。

3.代表役員は、宗教法人を代表し、その事務を総理する。

4.責任役員は、規則で定めるところにより、宗教法人の事務を決定する。


実は既に筆者は、意思決定は宗教法人法の意思決定規定通りに行うこと、つまり、代表役員、責任役員は意思決定機関であり、この宗教法人法の意思決定システム通り行うことが望ましい旨の提案を教団本部に出していました。


また同時に、責任役員会議を、助言し、監査するための任意設置機関として「諮問委員会」(賢人会議)を設けることを提案し、そして付帯事項として、「代表役員、責任役員は、基本的事項に関して、真の父母に方針を仰ぎ、報告し、承認義務を負う」ことを明記し、地方教会の運営も自治の精神を尊重することを付け加えました。


そして日本教会の自治、即ち、予算、人事を含む自己決定権が必要な理由として、a.今後の不祥事への防衛と責任意識高揚のため、b.真の父母ないしは韓国・世界に類が及ばないようにするため、c.日本社会へ改革の姿勢を示す必要があること、の3点を挙げました。


従って、勅使河原氏の上記の発言は、この趣旨に沿っていたものであり、筆者としては評価できるものでした。問題は、これが今後実質化できるかどうかであり、筆者としては慎重に見守りたいと思います。


ちなみに筆者は、上記の制度的な改革提案と共に、教会の霊性改革、抜本的な体質改革をも提言いたしました。即ち、現世利益的な「お願い事信仰」から脱皮し、神の言葉による救いの大道に回帰した、成約の「福音的な教会」に引き上がらなければならないという勧告です。


【検証② ー山上容疑者の犯行動機には疑義がある】


勅使河原氏は、冒頭「世間を大変お騒がせしたこと」への心からのお詫びをしましたが、このお詫び自体は通常の常識範囲内の謝罪であり、問題はないと思われます。


ただ一つ筆者が物足りなさを感じたのは、山上容疑者の母親が多額の献金をして家庭が崩壊し、それが恨みになったことが犯行の動機だと報じられていますが、この山上の動機に異論、反論などの疑問を呈するをしなかったことでした。


つまり、全体的に警察がリークした犯行動機を前提にした議論が行われたような印象を受け、見方によっては、教団は、山上が警察に語ったUCへの恨みという動機を、暗に認めているのではないかという印象を与えかねないことを懸念しました。


福本氏は、山上の母親が行った1億円の献金は「過度な献金であったと思う」と述べ、「それが生活を圧迫になって、こういう結果になったことについては、真摯に重く受けとめる」と踏み込んだ発言をしました。


この発言を文字通り解釈する限り、過度な献金が山上容疑者の犯行の動機となったと認めていることになりかねません。


筆者としては、先ず、山上の動機に疑義があることについて問題提起をした上、「もし巷間言われているように、教団への恨みが動機であるすれば重く受けとめる」とするのがベターだと思います。


実際、山上の動機については諸説あり、一概にUCへの恨みだとは断定できないと筆者は思っています。前回述べたように、山上家は、母親がUCに入信する前から既に破綻しており、自殺した父親は酒乱で家庭内暴力が絶えなかったこと、従って母親は、救いを求めて実践倫理宏正会の朝起き会に、子供を置いて、信仰の実践に励んでいたと言うことが指摘されています。


当時、山上家の子供は比較的物質的に満たされていたという証言もあり、また母親の破産は20年以上も前の話しで、そのような過去の話が、果たして犯行に結びつくのかという疑問もあります。


更に、山上が何故UCにターゲットを絞り、何故部外者の安倍元総理に刃が向かったのかについて、全うな因果関係がなく、その動機形成が不可解であります。そこには反共、反中共思想を有するUCと安倍氏を、共に葬ろうとする複数犯人説もあり、山上の動機を含め、これらはやがて捜査が進む過程で、明らかにされると思料いたします。


【検証③ー正体を隠した布教が何故悪い?】


勅使河原氏は、改革案の一つとして、正体を隠した布教を行わないことを明言し、そもそも家庭連合は正体を隠す理由は何もないと述べました。


確かに、これは正論ではありますが、筆者は、「正体を隠した布教が何故悪いのか」と思います。これは布教のいろはであり、どの宗教団体も多かれ少なかれ、フロント組織を持っているもので、このフロント組織から、徐々に本体へ誘導するのは布教の方法として当然の在り方であり、間違った先入観で門前で躓き、せっかくの救いを逸してしまうことを防ぐ意味もあります。


かって筆者は、学生時代、部落差別撤廃運動に共感し、部落問題研究会に入部し、しばらく活動をした経験があります。しかし、後になって分かったことですが、この部落問題研究会は、日本共産党のフロント組織である民主青年同盟、いわゆる民青の巣窟だったのです。


このように、いずれの団体でも、こういった関連組織を持ち、色々な形で自らの思想や教義を浸透させていくというのであり、これは違法でも何でもなく、布教戦略上の常識であります。


キリスト教でも、教育機関、病院、慈善団体なとを運営し、キリスト教思想の浸透を計っています。いわゆる伝道方法には、エバンジェリカルな福音の直接伝道と、社会活動をメインにした間接伝道があり、間接伝道組織は、それ自体の活動目的と、布教目的という二重の目的を持っています。


例えば、マザーテレサの貧民救済事業は、それ自体が福祉社会活動として重要な意味がありますが、その結果としてキリストを証すことにもつながるというのです。


また仏教には、方便という考え方があります。これは「嘘も方便」といった浅薄な意味ではなく、本来的には、「真実の教えに導くための仮の教え」、あるいは「人々を仏に導くために、機根に応じて解かれる巧みな教え」という仏の慈悲から出た用語と言われています。


しかるに、被弁の郷路征記弁護士(札幌弁護士会)は、教団の布教活動の違法性、つまり「勧誘であることを隠し、本人の知らぬ間に信仰心を植え付ける点に法的な問題がある」として訴訟を提起し、2012年には札幌地裁で、教団の布教活動の違法性が認められ、教団に対し元信者らに損害賠償を支払うよう命じる判決が出たことがあります。


このような訴訟結果が、如何なる理屈と、どのような事情が重なって出されたのかは、別途吟味しなければなりませんが、上記した慈悲心から出た布教の在り方からして、また一般常識から考えても、極めて例外的かつ不条理な裁判と言うべきであります。


筆者は、UCであることを告げることなく勧誘したからという理由で、それが違法であるなどとは、極めて特別なケースであり、このような例外的かつ不条理な裁判があったからといって、布教方法を変える必要など、さらさらないと明言するものです。


もちろん、勅使河原氏がいみじくも言われたように、そもそも隠す理由がないことは確かです。


【検証④ー献金の本質とその使途について】


おしまいに、献金とは何かについて、簡潔に考察し、あわせてその使途について言及したいと思います。


<献金の本質>


山上容疑者の母親は約1億円の寄付をしたと言われ、福本氏はこれを「過度な献金」であったと思うとの、法律家としての個人的見解を示されましたが、果たして過度な献金であったのでしょうか。現に母親は、自らが寄付したことを微塵だに後悔することなく、むしろ教団に迷惑をかけたとお詫びをしています。


いみじくも勅使河原氏が言われたように、1万円の献金でも大きいと感じる人もいれば、1億円でも大きいと感じない人もいるというのです。


ルカ書21章1節~4節に「イエスは目をあげて、ある貧しいやもめが、レプタ二つを入れるのを見て言われた、よく聞きなさい。あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ」とあります。


天理教の中山みき教祖は、「貧に落ちきれ」と信者に教え、「屋敷を払うて 田売りたまえ」と揶揄(やゆ)されたこともあるほどで、自らもこの模範を示しました。つまり、欲の原因となる金銭を親神様(天理王命)にお供えし、また貧しい人々にほどこすことで、執着から解放され陽気暮らしができるというのです。


億万長者だったアップルの創業者スティーブ ジョブスは、膵臓がんのため56歳で生涯を閉じましたが、彼が、病床で残した最後の言葉は次のようでした。


「私はビジネスの世界では、成功の頂点を極めました。しかしながら、仕事を離れると、ほとんど喜びの無い人生でした。財産というのは、私の人生のほんの一部にすぎません。今 病床に横たわり、死を目前にして人生を振り返ってみると、これまで誇りをかけて築いた富や名声は、全く意味のない物に感じます」


聖書には十分の一を神に捧げるという思想があります。「地の十分の一はすべて主のものであって、主に聖なる物である」(レビ記27.30)とあり、「あなたは毎年、畑に種をまいて獲るすべての産物の十分の一を必ず取り分けなければならない」(申命記14.22)とある通りです。またパウロも、信者は教会を支援するために収入の一部をとっておくべきだといっています(1コリント16.1)。


これらの捧げ物は、堕落により万物より劣る身となった人間が(エレミヤ17.9)、より清い万物を仲介に立てて、罪深い人間が神の前に出ていく条件であり、また信仰共同体を支え、神の国を実現していくための支援でもあります。アッシジの聖フランチェスコは、富裕な資産家の息子でしたが、全てを売り払って教会に捧げ、貧に落ちきって献身しました。


即ち、献金とは自らの罪のための「贖いの供え物」であり、贖われた(救われた)ことへの感謝のしるしであり、そして教会活動を支え世界の福地化のために寄与すること、の3点をとりあえずあげることができるでしょう。このように献金は、自由意思による聖なる信仰行為であり、従って、献金に上限を設けるなどという規制は、献金の本質を無視した乱暴な議論といわなければなりません。


問題は、献金が自由意思を逸脱した、精神的、心理的な強制を伴う場合であり、このことが今のUCに突きつけられているというのです。


<献金の使途について>


日本のUC信者が捧げた献金は、左傾マスコミが喧伝するように、日本が韓国にした植民地支配の罪を償うために、自虐史観で韓国に貢がれているのでしょうか。


この点、勅使河原氏は、全世界の宣教活動への支援に使われていると説明し、具体的には新聞社立ち上げの支援、韓国聖地の博物館・教育施設などの整備支援、世界宣教の支援、超宗教的な活動などへの支援を挙げました。


筆者はかって、日本のキリスト教史を研究した折り、ザビエル以来、欧米から多くの宣教師が来日して多大な犠牲を払ったこと、宣教師派遣のために莫大な予算を投入したことを知って唖然とし、ひどい羞恥心に襲われたことを告白いたします。何故なら、日本は世界に何もしていないと感じたからです。


従ってUCが、多くの犠牲を払って世界180ヶ国にキリスト教宣教師を派遣し、世界福地化のために尽力していることは、筆者にとって大きな救いになりました。このようなことは、かって日本の歴史になかった画期的なことで、世界宣教のために、日本から資金が費やされたことは、反社会的行為どころか、正に日本の誇りであります。


そして何よりも、再臨のキリストをメシアとして世界に証しするために、アメリカの世界本部を物心両面で支えたことは、日本を救った愛国的行為として、やがて全国民が知るようになることでしょう。


【一粒の麦・贖罪の羊】


一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネ12.24)


筆者は、7月8日、奈良の大和西大寺駅前での安倍晋三元首相のテロによる死去を聞いた時、一瞬、激しい衝撃と怒り、そして「何故、よりにもよって安倍元総理が」とのやりきれない不条理の坩堝に投げ込まれました。しかし次の瞬間、「一粒の麦」のフレーズと共に次の言葉がよぎりました。


「安倍晋三氏は、日本が生まれ変わるために、日本という祭壇に備えられた祭物である、そして私たち自身が生まれ変わるために、教会の祭壇に捧げられた贖罪の羊でもある」


そして「つれづれ日誌(令和4年7月13日)-追悼安倍晋三元首相のテロに思う こうして彼は伝説になった 」において、その死の意味を考えると共に、安倍氏の業績について論評いたしました。 reiwa-revival.com/post/追悼安倍晋三元首相のテロに思う-こうして彼は伝説になった


筆者は、激しい喪失感のあと、「安倍晋三は、かのリンカーンのように伝説になるだろう。そして日本の守護神になる」との確信と共に、「これを機会に、日本と教会は再生されなければならない」との強い思いが沸き上がってきました。


そして昨日、国葬の儀を終えての感想は、あのテロの日に感じた思いを改めて再認識することになりました。殉教の血は「宣教の種子」といわれますが、安倍氏の殉教は、正に「一粒の麦」、やがて必ず大きな実を実らせることでありましょう。


筆者は、「安部晋三元総理 デジタル献花プロジェクト 」に献花し、次の言葉を捧げました。


安倍晋三、永遠なれ!


そして今回の改革推進本部の教会改革の方針は、何よりも安倍氏への、これ以上ない献花になることでしょう。正に昨日の国葬儀を、日本とUCが大きく変わる大転換点にしたいものです。(了)