🔷聖書の知識93 詩篇注解 神への讃美
神の受けられるいけにえは砕けた魂です。神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません(詩篇51.17)
詩篇は、神への讚歌、即ち神を讚美する詩(うた)であります。礼拝や典礼で朗唱され、ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼んでいます。つまり、捕囚後再建された第二神殿の礼拝用讃美歌として作られました。
即ち詩篇は、読むものではなく、歌うもの、朗唱するものであり、楽器(笛、琴、竪琴、シンバルなど)に合わせて歌うための歌詞であります。また神への祈りであり、信仰告白でした。キリスト教の伝統的教派でも、詩篇は歌唱されるものであり、様々な音楽家によって作曲され、多彩な音楽的表現を生む土壌ともなってきました。
【詩篇の概観】
先ず、詩篇の作者、分類、用途などを見ていきます。
<作者>
古代からの伝承では、その多くがダビデの作であるとされていますが(73の詩篇の表題にダビデの名が出ている)、近代聖書学の高等批評では否定されています。「ダビデの詩」などの表題はダビデによって書かれたと考えず、ダビデに献呈された詩と考える説があります。
また律法的作品はモーセ、知恵的作品はソロモン、音楽と歌はダビデに帰することによって権威付けたとも考えられます。しかし重要なのは、誰が作ったかということではなく、人々から広く共感を得たか否かであると思われます。
<詩篇の分類>
詩篇は以下のように詩篇自体による分け方として、全五巻に分けられています。それぞれの巻の終わりはかならず二回の「アーメン」という言葉で終わっております。これは内容にもとづくよりは形式的な区分であり、モーセ五書の五部構成と対応させたユダヤ教の学者たちによるものとされています。
即ち、第1篇から第41篇、第42篇から第72篇、第73篇から第89篇、第90篇から第106篇、第107篇から第150篇の五部構成であります。また詩篇によると、ダビデ73篇、アサフ12篇、コラの子たち10篇、ソロモン2篇、モーセなど1篇、無名50篇となっています。
<礼拝における使用>
詩篇はそれぞれが独立した祈祷文として用いられ、詩篇が「朗読」「朗誦」されます。
ユダヤ教徒は毎日、節に分けて一週間で一巡りするように朗読し、またシナゴーグにおける礼拝では、定められた詩篇が朗読されます。この習慣はキリスト教の諸教派にも継承されていて、カトリック教会、プロテスタントの伝統的な教会などでは、「教会の祈り」で詩篇の読む所を選び、礼拝の中で朗読される場合が多いようです。
ルターの入っていた聖アウグスチノ修道院では、毎日7回、時間を決めて詩篇を朗読するのが日課であり、ルターも毎日詩篇を朗読して丸暗記していたと言われています。かくも詩篇は、ユダヤ教・キリスト教で重宝され愛唱され、多くの教訓を含み、信徒を慰め、叱咤し、励ましてきました。
【内容に基づく区分】
次に詩篇の内容に基づく分類を見ていきたいと思います。詩篇には、その内容によって、メシア的詩篇、悔い改めの詩篇、歴史的詩篇、預言的詩編篇、などがあると言われています。ここでは、「メシア的詩篇」と「悔い改めの詩篇」、そして「神への賛美の詩篇」について見ていくことにいたします。そして、よく知られた詩篇を挙げておきます。
<メシア的詩篇>
メシア的詩篇とは、キリストの受難と栄光を歌った歌で、全部で16篇ありますが、広く言えば、詩篇全体がメシア的であるとも言えるでしょう。メシア的詩篇とされている詩篇は、2篇、8篇、16篇、22篇、24篇、40篇、41篇、45篇、68篇、69篇、72篇、89篇、91篇、102篇、110篇、118篇の各篇と言われていますが、特に詩篇22篇はキリストの十字架を預言し、十字架上のキリストの最後の7つの言葉に関連があります。
王なるメシア
天に座する者は笑い、主は彼らをあざけられるであろう。
そして主は憤りをもって彼らに語り、
激しい怒りをもって彼らを恐れ惑わせて言われる、
「わたしはわが王を聖なる山シオンに立てた」と。(詩篇2.4~6)
おまえは鉄のつえをもって彼らを打ち破り、
陶工の作る器物のように彼らを打ち砕くであろう、と。(詩篇2.9)
十字架のイエス
わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。
なにゆえ遠く離れてわたしを助けず、
わたしの嘆きの言葉を聞かれないのですか。
わが神よ、わたしが昼よばわってもあなたは答えられず、
夜よばわっても平安を得ません(詩篇22.1)
まことに、犬はわたしをめぐり、
悪を行う者の群れがわたしを囲んで、
わたしの手と足を刺し貫いた。
わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。
彼らは目をとめて、わたしを見る。
彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。(詩篇22.16~18)
岩なるキリスト
家造りらの捨てた石は隅のかしら石となった。(詩篇118.22)
わが岩なる主はほむべきかな。
主は、いくさすることをわが手に教え、
戦うことをわが指に教えられます。
主はわが岩、わが城、わが高きやぐら、
わが救主、わが盾、わが寄り頼む者です。(詩篇144.1~2)
よき羊飼いキリスト
主はわたしの牧者であって、
わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ、
いこいのみぎわに伴われる。(詩篇23.1~2)
<悔い改めの詩篇>
悔い改めの詩篇は、作者の深い悔い改めを歌った歌で、砕かれた者が罪の赦しを求めて叫んでいる歌です。特に詩篇51篇は、不倫と殺人の罪を悔い改めたダビデの歌として有名です。
悔い改めるダビデ
神よ、あなたのいつくしみによって、
わたしをあわれみ、
あなたの豊かなあわれみによって、
わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。
わたしの不義をことごとく洗い去り、
わたしの罪からわたしを清めてください。
わたしは自分のとがを知っています。
わたしの罪はいつもわたしの前にあります。
わたしはあなたにむかい、ただあなたに罪を犯し、
あなたの前に悪い事を行いました。
(詩篇51.1~4)
ヒソプをもって、わたしを清めてください、
わたしは清くなるでしょう。
わたしを洗ってください、
わたしは雪よりも白くなるでしょう。(詩篇51.7)
神の受けられるいけにえは砕けた魂です。
神よ、あなたは砕けた悔いた心を
かろしめられません。(詩篇51.17)
▪️罪を告白するダビデ
わたしは自分の罪をあなたに知らせ、
自分の不義を隠さなかった。
わたしは言った、
「わたしのとがを主に告白しよう」と。
その時あなたはわたしの犯した罪をゆるされた。(詩篇32.5)
<神への讚美 >
詩篇は一言で言えば、神を称え、神を讚美する詩であります。天地を創造し、山と海を造り、人間を生まれた偉大なる神。怒り、許し、愛し、そして涙される共にある神。この聖なる神への限りない讚美こそ、詩篇の真骨頂と言えるでしょう。
讃美歌「神はわがやぐら」
讃美歌「神はわがやぐら」マルティン・ルターの最もよく知られた作品です。詩篇46.1がもとになりました。
神はわれらの避け所また力である。
悩める時のいと近き助けである。
このゆえに、たとい地は変り、
山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。(詩篇46.1~2)
都上(みやこのぼり)の歌
わたしは山にむかって目をあげる。
わが助けは、どこから来るであろうか。
わが助けは、天と地を造られた主から来る。(詩篇121.1~2)
涙をもって種まく者は、
喜びの声をもって刈り取る。
種を携え、涙を流して出て行く者は、
束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであろう。(詩篇126.5~6)
神への讚美
天は喜び、地は楽しみ、
海とその中に満ちるものとは鳴りどよめき、
田畑とその中のすべての物は大いに喜べ。
そのとき、林のもろもろの木も
主のみ前に喜び歌うであろう。
主は来られる、地をさばくために来られる。
主は義をもって世界をさばき、
まことをもってもろもろの民をさばかれる。(詩篇96.11~13)
すべての国々の民よ。手をたたけ。
喜びの声をあげて神に叫べ。
まことに,いと高き方主は,恐れられる方。
全地の大いなる王。(詩篇47.1)
わが神、王よ、わたしはあなたをあがめ、
世々かぎりなくみ名をほめまつります。
わたしは日ごとにあなたをほめ、
世々かぎりなくみ名をほめたたえます。
主は大いなる神で、
大いにほめたたえらるべきです。
その大いなることは測り知ることができません。(詩篇145.1~3)
神を慕い,待ち望む
神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、
わが魂もあなたを慕いあえぐ。
わが魂はかわいているように神を慕い、
いける神を慕う。
いつ、わたしは行って神のみ顔を
見ることができるだろうか。(詩篇42.1)
神が永遠であることの讃美
主よ、あなたは世々われらのすみかで
いらせられる。
山がまだ生れず、
あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、
とこしえからとこしえまで、
あなたは神でいらせられる。(詩篇90.1~2)
▪️創造主に感謝する歌
主に感謝せよ、主は恵みふかく、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの神の神に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。
もろもろの主の主に感謝せよ、
そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。(詩篇136.1~9)
▪️ハレルヤ!主をほめたたえよ
主をほめたたえよ。
その聖所で神をほめたたえよ。
その力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。
その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。
そのすぐれて大いなることのゆえに
主をほめたたえよ。
ラッパの声をもって主をほめたたえよ。
立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。
鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。
緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ。
音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。
鳴りひびくシンバルをもって主をほめたたえよ。
息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。
主をほめたたえよ。(詩篇150.1~5)
以上
上記絵画*ハープを弾くダヴィデ王(ヘラルト・ファン・ホントホルスト画)
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