◯徒然日誌(令和6年6月19日) 論考・中東和平の方案を考えるー飯山陽著『イスラム教再考』 を読み解く
そこでアブラハムは明くる朝はやく起きて、パンと水の皮袋とを取り、ハガルに与えて、肩に負わせ、その子を連れて去らせた。ハガルは去ってベエルシバの荒野にさまよった。
やがて皮袋の水が尽きたので、彼女はその子を木の下におき、「わたしはこの子の死ぬのを見るに忍びない」と言って、矢の届くほど離れて行き、子供の方に向いてすわった。彼女が子供の方に向いてすわったとき、子供は声をあげて泣いた。神はわらべの声を聞かれ、神の使は天からハガルを呼んで言った、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。立って行き、わらべを取り上げてあなたの手に抱きなさい。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」。(創世記21.13~18)
さて筆者は、令和6年6月5日の徒然日誌「ハマス・イスラエル戦争休戦案に思う」と題して、ハマスとイスラエルの紛争について論評し、「何故イスラエルを支持すべきか」を論じた。何故なら、今回の紛争のそもそもの発端が、イスラムテロ組織ハマスによる無辜(むこ)のイスラエル市民への残虐なテロだったからである。しかし日本のマスコミや中東研究者は、むしろイスラエルの爆撃によるガザのパレスチナ市民の犠牲を大きく非難し、あまつさえハマスをテロに走らせたイスラエルに問題があるといった言論さえ展開した。従って、中川健一牧師の見解を叩き台にして、何故イスラエルを支持すべきかを論じたのである。
【宣教師からのメール】
しかしこれら筆者のイスラエル支持に関して、長く中東イスラム圏で宣教に携わってきたUC信徒から、パレスチナ人の立場に立った中東問題の和平を提起する真摯なメールを頂いた。そこには、アラブ社会の中で暮らして発見したイスラムの信仰のすばらしさや、イスラム諸国とアラブ国民への並々ならぬ愛情がにじみ出て、なるほどと筆者は思いを新たにしたのである。
彼は概ね次のように主張した。曰く、長年パレスチナの地には、カナンの原住民(アラブ系パレスチナ人)が住み着いていたのに、イスラエル建国によって追い出されて難民になった歴史的経緯があること、従って土地家屋を失い、難民となってしまったパレスチナ人の悲しみと苦痛に寄り添うべきであること、テロリストのハマス(イスラムの原理主義)は、心の中に鬱積した不平不満や絶望による怒りを原動力とした「宗教版共産主義」であり、ガザの人々をハマスと同列に扱うべきではないこと、イスラエルは「ハマス=テロリスト」という名目で、ガザにほぼ無差別の爆撃や砲撃を続け、すでに4万人ものガザ市民が犠牲になっていること等々が述べられ、創始者が共産圏のゴルバチョフや金日成に対して思想の違いを越えた深い親の愛で包み込んだように、今こそ中東イスラム国家と国民への理解が必要であることが述べられていた。
そしてイサクとイシマエルは共にアブラハムの子であり、共通の先祖を持つイスラエルとアラブが、カナンの地、パレスチナの地で共存・共栄する道を熱烈に願うという思いが語られ、中東宣教地区ではイスラエルとアラブ諸国の友好・和解を目指す「アブラハム合意」を進めるべく祈祷会をもって努力しているということであった。
聖書に、「ハガルよ、どうしたのか。恐れてはいけない。神はあそこにいるわらべの声を聞かれた。わたしは彼を大いなる国民とするであろう」(創世記21.18)とある通り、神はイシマエルの子孫を祝福されており、「母性国家日本は家から追い出されたイシマエル(アラブ民族の祖)を家族として呼び戻し、イサクと共に暮らす仲介役となって、中東に平和の種を植える使命がある」と、この信徒はいう。
また創始者が2000年前後の3年間、年頭標語の副題として「中東和平は南北統一の基台」と強調されており、宗教・民族・国家の分裂と対立を象徴するユダヤとアラブの和平は、韓半島平和統一のためにも必要なモデルでもあると指摘した。
筆者は、この信徒のメールに対して、次のように返信した。
無論、筆者としてもハマス・イスラエルの紛争が解決して、パレスチナに恒久の平和が訪れることを祈るものであり、貴殿がイスラエルとアラブ諸国の友好・和解を目指す「アブラハム合意」を進めるべく努力しておられることには敬意を表します。
ただ、私は一方の味方をし、他方を裁いているのではなく、ハマスのテロを非難しているのであり、従ってパレスチナ市民を非難しているのではありません。むしろパレスチナ市民はハマスの『人間の盾』となってハマス・イスラエル戦争の犠牲者であり、ご指摘のように、あくまでもハマスとパレスチナ市民は切り離して考えるべきだと思いまます。私は冒頭の聖書箇所(創世記21.13~18)を読んで、いつもイシマエルの子孫に思いを馳せています。
【中東研究家飯山陽のイスラム観】
さて、筆者はこの信徒の問題提起を踏まえ、もう一度中東問題の本質を考えて見た。この信徒の中東への思いては十分理解出来るとして、ここに日本の大多数の中東研究者のイスラム観とは一味違った中東研究家がいる。先だっての東京15区の衆議院補欠選挙に日本保守党から出馬して善戦した飯山陽(いいやまあかり)氏である。彼女は、中東問題、なかんずくイスラム教に対して、独自の考え方を有しており、著書『イスラム教再考』(扶桑社)に詳しく書かれている。
まさに飯山氏は日本の全イスラム研究者を敵に回して、孤軍奮闘、持論を展開している。イスラエルの代理人、モサドのスパイとのレッテルを貼られながらも、生命の危険を顧みず、信じるところを主張する飯山氏は、まさに玉砕覚悟でノルマンディー上陸の先陣をいく兵士のようである。以下、飯山氏のイスラム観を概観する。
<何故イスラム教徒にテロリストが多いのか>
それにしても、「何故イスラム教徒にテロリストが多いのか」という疑問は、長年筆者が抱いていた大きな問いであった。イスラエルを取り巻くハマス、ヒズボラ、フーシー派然り、イスラム国(ISIL)、アルカイダ、タリバン、ムスリム同胞団然りである。
今までのほとんどの日本のイスラム研究家は、「イスラム教は平和の宗教であり、テロを起こすのは真のイスラム教徒ではない」との見解を唱えている。しかし、飯山氏はこの見解に真っ向から異論を唱えた。曰く、「一般的に平和というのは『戦争のない状態』を意味するが、イスラム教は全世界がイスラム法によって統治された時に初めて平和がもたらされると考える。つまり、全人類がイスラム教徒になるか、イスラム統治下におかれれば平和になるというのがイスラム教の平和観である」と。(『イスラム教再考』P29)。
更に飯山氏は、「日本でイスラムは『異教徒に寛容な宗教』といった通説が広まっているのは、イスラム研究者の欺瞞ゆえです。彼らは日本人に『イスラームこそ解決』と思わせるため、イスラム教の都合の悪い側面を隠蔽し、イスラム教を極度に理想化したかたちで一般人に提示してきました」(同著P4)という。
例えば中田考(同志社大学元教授)、高橋和夫(放送大学教授)、塩尻和子(筑波大学名誉教授)らを筆頭に、外務省イスラム研究会中核メンバーの板垣雄三、山内昌之、後藤明、佐藤次高(以上、東大教授)、片倉邦雄(大東文化大学教授)、宮田律(現代イスラム研究センター理事長)らは、「イスラム教は平和の宗教」であるという嘘を振り撒いてきたという。何故なら、中東研究者は反イスラエルでないと生き残れない業界であるというのである。
そもそもイスラム教徒は、『コーラン』の一字一句を神の言葉そのものと信じ、どこであれ神の法たるイスラム法に従わなければならないと信じる人々であり、その意味でイスラム教徒はすべからく「原理主義者」であるという。では中東研究者が隠蔽してきた「都合の悪い側面」とは何だろうか 。
コーランに「ジハード」という名の暴力を肯定する箇所が随所に散見されるのに、イスラム研究者はこれを隠蔽してきたと飯山氏はいう。イスラムは「平和の宗教ではない」というのは独断でも偏見でもなく、啓示(コーラン)が明確に示していることであり、イスラム教徒に対し、異教徒と戦うよう促すコーラン章句とハディース(モハンマドの言行録)文言は何百もあるという。
例えば、イスラム教の啓典『コーラン』第8章39節には、「反逆行為がなくなるまで、そして宗教のすべてがアッラーに帰一するまで戦え」と明示されている。またコーラン第9章73節には、「預言者よ、不信仰者と偽善者に対してジハードし、厳しく対処するがいい。彼らの住まいは地獄である」とあり、第25章52節には、「不信仰者に従うな。彼らに対しては大いにジハードせよ」とある。
このジハード(聖戦)という言葉を巡っては、二通りの解釈があり、前述した 塩尻和子氏はじめイスラム研究者のほとんどは、ジハードとは、立派な行動を取れる人間となれるように奮闘努力すること、即ち、戦いではなく「努力」という意味であるという。池上彰氏や高橋和夫氏は、ジハードは聖戦と訳されているが、本来の意味はイスラムの教えを守る努力、神の道において奮闘することで、慈善事業も断食も礼拝もその一つで、ジハードをテロに結びつけるのは西欧的偏見だという。
しかし、ジハードとは、本来「神の敵との戦争」という意味であり、コーラン第9章5節には、「多神教徒を見つけ次第殺し、またはひっ捉え、追い込み、いたるところに伏兵を置いて待ち伏せせよ」とあり、第4章74節には、「神の道において戦った者に対しては、殺害されようと勝利を得ようと、われは必ず偉大な報償を与えよう」とある。またハディースには、「神は神の道におけるジハードで殉教した者を天国に入れ報酬を与える」と聖戦を奨励していると飯山氏は主張する。
即ち、イスラム法では、ジハードとは「血を流して行う異教徒との戦争」であり、それはイスラム教徒一般に課せられた義務にして、最善の信仰行為だと規定されており、イスラム法の中に、内面的な努力・奮闘としての規定はないという(同書P41)。
つまり飯山氏は、イスラムの教えは、コーランとハディースという啓示、およびそこから導き出される規範体系(イスラム法=シャリーア)であり、イスラム教徒が実践しようとしまいと、「ジハードが教義として存在する」という。イスラム教徒のほとんどは異教徒を殺害するジハードを実行しないけれど、それを義務とする教義は確かに存在するというのである(同書P45)。
イスラム法理論には、「目的は手段を正当化する」という法諺(ほうげん)があり、イスラム教におけるジハードは、革命的なイデオロギーである。預言者ムハンマドは、「アッラーの他に神なし、ムハンマドは神の使徒」と信仰告白し、礼拝を行い、義務的な施しを行うようになるまで、人々と戦うよう命じられたのだが、こういったイスラム教の教義のありのままの姿を認めることと、全てのイスラム教徒が戦争を望んでいるテロリストであると決めつけることとは全く異なるという。
飯山氏は最後に、著書『イスラム教再考』の目的は、「イスラム教を徹底的に再考することを通してイスラム研究者のウソと欺瞞を暴き、真実をつまびらかにし、イスラム教徒とのあるべき共生の道筋を示すことであります」とした上で、「私は、日本からイスラム教徒を排除せよ、日本にイスラム教徒を入れるな、という非現実的な考えも持っていません。在日イスラム教徒はすでに20万人超いるのであり、法治を徹底すべきだというのが私の揺るがざる基本的な考えです」(同書P16)と述べた。
こうして最初の筆者の疑問、即ち「何故イスラム教徒にテロリストが多いのか」という問は、前記した飯山氏の主張、即ち「イスラム教の教義自体に内在する」ということに回答があるのかも知れない。もちろん飯山氏も述べている通り、イスラム教徒のほとんどは異教徒を殺害するジハードを実行しないし、全てのイスラム教徒が戦争を望んでいるテロリストではない。ただ、「ジハードを義務とする教義は確かに存在する」というのであり、それを字義通り解釈して過激に走る輩を生む恐れ無しとは言えない。
日本の大多数のイスラム研究家がいうように、ジハードを内面化し、平和的、理性的に解釈して、イスラム教が世界と調和し、文字通り平和の宗教になることを切望するものである。飯山氏は、「私はイスラム教という宗教の教義、イデオロギーについて客観的に論じ、そこには暴力を奨励する要素が確かにあると指摘してはいますが、だからイスラム教徒は全員暴力的で、全員テロリストだなどという暴論を唱えたことは一度もありません」(同書P244)と強調した。
そして、飯山氏は次のように結んだ。
「イスラム教に暴力的な教義があろうと、それに基づきテロを行うイスラム教徒が現れようと、それとは無関係なイスラム教徒がイスラム教徒であるという理由だけで差別されたり迫害されたりすることは決してあってはならない。イデオロギーと個人を混同してはいけない(同書P50)」。
つまり、ハマスとパレスチナ市民は分けて(切り離して)考えなければならないのであり、ハマスに殺害されたイスラエル人とガザのパレスチナ市民は共にハマスの被害者なのである。
<飯山陽、寺島実郎を切る>
それにしても、外交評論家であり多摩大学学長兼日本総合研究所会長の寺島実郎氏(1947年8月11日生 )ほど武士の風上におけない人物はいない。彼は知識人を振る舞いながら、「世界を知る力」などと言って紳士然と世界を語っているが、その本質は反米親中左系リベラリストである。我がUCに対しても、知ったかぶりで批判し、聞きかじりのネタをもって、UCを「反日団体」と断定して切り捨てた。彼のいびつな精神性は、その顔にも如実に現れている。
聖書に、「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである」(マタイ7.15)とあるが、このごとく紳士ヅラを装って、ひどい歪んだリベラル思想を撒き散らす奸物である。左派系のTBS「サンデーモーニング」の常連コメンテーターとして、司会の関口宏と歩調を合わせて、左傾反日思想をばら蒔いているのである。
公益社団法人國民会館会長の武藤治太氏は、「寺島氏は確たる信念を持って行動する人ではなく、自分の考え方を持たず、他人の論を批判するのが彼の体質である」と断じた上、「現在我が国を取り巻く外交案件がこじれている原因をつくったのは、鳩山元首相の外交顧問として『東アジア共同体』とか、普天間問題については『基地は最低でも県外』とか、日本、米国、中国の『正三角形理論』をふりかざし、無能な鳩山氏をそそのかして日米関係をおかしなものとしたのが寺島氏である」と断罪されている。
その寺島実郎氏を飯山陽はハマス・イスラエルの一件で断罪した。
寺島氏は、「何故イスラエルはパレスチナをねじ伏せ、世界を敵に回してもこんなにも居丈高に振る舞うのか」と疑問を呈し、それはユダヤ人の深層心理にある「マサダ・コンプレックス」と深く関係していると言い放った。マサダとは、西暦73年、ローマ兵に追い詰められて立て籠ったユダヤ人967人が、集団自決した場所であり、マサダ・コンプレックスとはマサダのように四面を敵に囲まれたユダヤ人は「背中からあいくちを突きつけられた」状態の強迫観念を持っているという心理を揶揄(やゆ)した言葉である。
しかし飯山氏は、何もイスラエルは、パレスチナをねじ伏せたいのでも、居丈高に振る舞っているのでもなく、ハマスのひどいテロへの制裁であり、イスラエルの生存をかけた当然の自衛戦争であるという。しかも、これをマサダ・コンプレックスを引き合いに出すのは傷口に塩を塗る「ヘイトスピーチ」そのものであるとして、寺島氏の反ユダヤ主義を断罪した。
また寺島氏は、米国の仲介でアラブ首長国連邦(UAE)などアラブ諸国とイスラエルの間における国交正常化・平和条約締結の動きについて、これを「アラブ分断の策謀」だと断じたのである。イスラエルは79年にエジプトと、94年にヨルダンと平和条約を締結し、2020年には、UAE、バーレーン、スーダン、モロッコと国交正常化に合意している。
この和平への動きをアラブ分断の策謀という寺島氏の言葉には、イスラエル排除の思想が色濃く現れており、ハマスやハマスを支援するイランのテロを正当化するものである。飯山氏は、このような寺島氏を、ハマス・イランの立場でものを言っているテロ擁護者だと批判した。
こうして寺島氏は、知識人ズラをして反米、反ユダヤ主義、左傾リベラル思想をばら撒いているのである。
【中東和平に向かって】
では一体、イスラエルと中東の和平は如何にもたらされるのだろうか。筆者は令和3年2月4日、「アルカディア市ヶ谷」にて、筑波大学名誉教授でイスラム研究の第一人者である塩尻和子氏の「宗教間対話とイスラーム」と題する講演を聞いた。(参照:令和3年2月4日つれづれ日誌「イスラム教とは何か」)
<塩尻和子と飯山陽>
塩尻氏は、14ページに渡る講演レジメを準備し、専らこのレジメに忠実に語ったが、飯山陽氏と違って、「イスラム教は平和の宗教」だとの認識を持っていた。塩尻氏は飯山陽氏を「偽イスラム学者」と呼び、飯山陽著『イスラム教の論理』(新潮新書)を全面的に批判し、一面的で不正確な個人的見解と切り捨てている。一方飯山氏は、塩尻氏の批判は根拠のない言いがかりで、扇情的なのは塩尻氏の方だと断じた。 (『イスラム教再考』P226)
塩尻氏は、「イスラームの教えを端的に言えば「神への絶対服従・平等・相互扶助」となります」(塩尻和子著『イスラームを学ぶ』(NHK出版P24) とし、この講演の中で、「イスラムフォビア」(イスラム嫌い)について説明した。塩尻氏によると、イスラムは、劣等な宗教、後進性、貧困、野蛮、非人間性、政治的混乱といった表現が象徴する「イスラムフォビア」(イスラム嫌い)に晒されてきたという。しかし、これらは食わず嫌いの偏見と誤解であり、このような非難中傷には何の生産性もないとした。
歴史的には、イスラムはユダヤ教や他宗教と共存を図ってきたとし、実際、ウマイヤ朝、アッバース朝、オスマン帝国の時代には、税金(人頭税)を払いさえすれば他宗教には寛容で、概ね信仰の自由は保証され、また教義的にも土着化を図って融和してきたというのである。アラブのイスラム遠征軍は、「コーランか剣か」というような強制改宗のイメージがつくらているが、アラブの征服には、a.イスラームに改宗するか、b.人頭税を支払って従来通りの信仰を保持するか、c.これらを拒否してあくまで戦うか、の三通りがあったと言われ、決して「コーランか剣か」の二者択一ではなかったという。
しかし、十字軍時代の相克や、特異な宗教としてキリスト教から差別されてきたイスラムの受けた傷跡には深いものがある。一方、アルカイダのアメリカでの同時多発的テロに端を発し、ISILによる組織的テロ、アフガニスタンや各地での無差別テロの頻発、そして今回のハマスのテロは、イスラムを理解しようとする人々にさえ恐怖感と嫌悪感を抱かせてきたのである。
これらのテロリストの背景には、「ジハード」(聖戦)の意味の文字通りの解釈からくる極端主義、潜在的な西欧キリスト教社会に対する歴史的な怨念、現実生活における絶望感、そして前記信徒がいう、心の中に鬱積した不平不満や絶望による怒りなどの様々な要因が複合的に重なっているものと考えられる。しかし、怨念や絶望は多かれ少なかれ、どこの民族・国民にもあることであり、「イスラム教の教義自体にテロを生む要因がある」という飯山氏の指摘は、当たらずとも遠からずかもしれない。そう考えなければ、何故イスラム教徒にテロが多いのかの説明がつかないからである。
<中東和平の方案ーアブラハム合意>
イスラムとは、「自身の重要な所有物を他者(神)の手に引き渡す」という意味で、「神への絶対服従」を表すもので、神に身を委ねた信者を「ムスリム」と呼んでいる。このような神とムスリムとの関係はしばしば「主人と奴隷の関係」として表現される。
同じ一神教に属し、唯一神を信じているセム的伝統を持つユダヤ教、キリスト教、イスラム教だが、神と人間の関係の在り方には大きな違いがある。ユダヤ教では、神と人間は「主人と僕」の関係だが、キリスト教では「父と子(養子)」まで上がったと言われる。そして成約時代は「父母と実子」という本来の関係になるのである。しかし、誤解を恐れずに言えば、イスラム教では、神と人間の関係は「主人と奴隷(僕の僕)」の関係だと言えなくもない。神に対する絶対服従、神の掟を死守することが至上命令であるからである。この絶対的な神観には、砂漠の厳しい環境下で、雑多な種族を束ねるには、絶対的な神とその神への服従が不可欠であるとの背景があったのかも知れない。
しかし再臨時代が到来し、「真の父母」が顕れた今、全ての宗教は父母のもとに「実子となる時代圏」に入ったのである。創始者はムハンマドを、イエス、釈尊、孔子と並んで四大聖人の一人とされ、イシマエルの子孫たるアラブ諸国に多くの祈りを捧げてこられた。創始者がダンベリーに収監された時は、イスラム教は『受難の預言者』として創始者を尊敬し、中東イスラム諸国から聖職者と神学生が連続してイーストガーデンを訪問し、21日原理修練会に参加したのである。
2003年2月にはワシントンのシェラトンホテルにて、「中東和平国際セミナー」が開かれ、創始者はユダヤ教・キリスト教・イスラム教のアブラハムの宗教は三兄弟として一つとなることを訴えられた。また2003年7月、世界超宗教国際祝福式を司式され、異なる宗教と国家的背景を持った人々が結婚した。7つの宗教の代表者が紹介され、イスラム教イマームのシェイク・モハメド・キワン師がイスラム教を代表して祈りをささげたのである。こういった創始者のビジョンと実践の中に中東問題解決の道が示されている。
そして2020年8月13日に、米国の仲介でワシントンで締結されたアラブ首長国連邦とイスラエル国間における平和条約及び国交正常化(アブラハム合意)は、今後の中東和平のモデルであり、相互の国家承認、イスラエルのヨルダン川西岸地区の併合を保留、繁栄に至る平和を前提としたパレスチナ・シリア問題の解決(東エルサレム全域・ヨルダン川西岸の約3割と、ゴラン高原のイスラエル領有を事実上容認)が確認された。
またこの合意には、宗教の自由を含む人間の尊厳と自由の尊重を確認し、「アブラハムの宗教」と全人類の平和の文化を広めるため、宗教・異文化対話の促進を努力すること、この世界を、人種、信仰、民族に関係なく、すべての人が尊厳と希望の生活を楽しむことができる場所にするために努力する旨が記されている。ちなみに「アブラハムの宗教」とはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3宗教を指し、ユダヤ民族(イサク)とアラブ民族(イシマエル)の共通の父祖であるアブラハムの名に因んで「アブラハム合意」と名付けられた。
前記した飯山陽氏は、この国交正常化はUAEが「基本的にパレスチナの大義」を捨てたものであり、「我々のような自由主義国、民主主義陣営にとっては極めて喜ばしい、歓迎すべきもの」とコメントした。ちなみに 「パレスチナの大義」とは、「ユダヤ人はイスラム教徒同胞であるパレスチナ人の土地を占領し、不当にイスラエルを建国した。我々イスラム教徒はユダヤ人の手からパレスチナを、そしてエルサレムを解放しなければならない」というイスラム教徒の共通の目標である。
そして塩尻和子氏も指摘するように、相互理解と宗教間対話により、イスラム教を含む全ての宗教が一致できる可能性があり、まさに「アブラハム合意」はその象徴である。願わくばこのアブラハム合意が、全中東の合意にまで引き上げられ、中東に恒久的和平が確立されるよう祈りたい。
以上、中東に詳しい信徒の問題提起から始まって、飯山陽、塩尻和子両氏の主張を踏まえ、中東和平の方案を探って見た。中東の平和よ、とく来たりませ! (了) 宣教師 吉田宏
上記絵画*ハガルとイシマエル(エマニュエル・リシュカ画)