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追悼文・安倍晋三元首相の死に思う こうして彼は伝説になった

◯つれづれ日誌(令和4年7月13日)-追悼文・安倍晋三元首相の死に思う こうして彼は伝説になった


よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネ12.24)


2022年(令和4年)7月8日11時31分、奈良の大和西大寺駅前で遊説中、安倍晋三元首相は暗殺されました。このテロによる死去の報を聞いた時、一瞬、激しい衝撃と怒り、そして「何故、よりにもよって安倍氏が」とのやりきれない不条理の坩堝に投げ込まれました。皆さんも同じ思いだと思います。そして、このテロを実行した山上哲也の犯罪動機が、旧統一教会(以下、「UC」と呼ぶ)への恨みであったことが警察からリークされた瞬間、「ぞっとする寒気」が心をよぎり、何か大変なことが起こるのではないかとの悪い予感がしたものでした。


事件の真相については、今後の捜査が明らかにしてくれると思いますが、以下、安部さん(以下、親しみを込めて「安部さん」と呼びます)への追悼の意を込めて一文をしたためることといたします。


【追悼ー贖罪の羊】


筆者は牧師という職業柄、安部さんの死を耳にして、冒頭の聖句「一粒の麦」のフレーズと共に、「贖罪の羊」という次の言葉がよぎりました。


「安倍晋三氏は、日本が生まれ変わるために、日本という祭壇に備えられた祭物である。そして私たち自身が生まれ変わるために、教会の祭壇に捧げられた贖罪の羊である」


そして筆者は、何故か永井隆著『長崎の鐘』の最後に記載されている原爆被害者への「合同葬での弔辞」が想起させられ、この永井の弔辞を改めて読み直して見ました。この弔辞は、永井隆が信者を代表して、浦上天主堂で行われた原爆犠牲者の合同葬で読まれた文書であります。1945年(昭和20年)8月9日午前11時2分、一発の原子爆弾が浦上に爆裂し、カトリック信者八千の霊魂が一瞬に天主の御手に召されたあの出来事です。


永井はその弔辞の中で、一体何故長崎に、しかも長い禁教下の中で信仰を守り、幾多の迫害と殉教を経て、当時なお日本で最も多くのキリスト教徒を擁していた浦上が、よりにもよって何故爆心地にならなければならなかったのか、神は何故、かくも清められた聖地浦上を選ばれたのか、と問いかけます。当初原爆は小倉に予定されていたのが、小倉の上空が雲にとざされていたため、突然予定を変更して予備目標であった長崎に落すこととなったのであり、しかも投下時に雲と風とのため、軍需工場を狙ったのが少し北方に偏って浦上天主堂の正面に流れ落ちたのだというのです。


実は安倍さんは、奈良でテロに遭遇する前日まで長野に遊説に行く予定だったのが、長崎の原爆と同様、急遽変更して奈良に向かったというのです。安倍さんは、政治家としては極めて高潔な人間性を持ち、しかも日本の思想的、政治的バックボーンとして、文字通りこれからの日本に不可欠な要人だというのに、よりにもよって何故安倍さんが、かくも過酷な運命に晒されなければならないのか、一体神は私たちに「何を言わんとされているのか」と問い、そして祈らざるを得ないものです。


永井は、終戦と浦上潰滅との間には深い関係があるのではないか、つまり戦争という罪悪の償いとして、日本でキリスト教徒の人口密度が最も多かった聖地浦上が犠牲の祭壇に供えられ「贖罪の羊」として選ばれたのではないか、と問いかけます。


「信仰の自由なき日本に於て 、迫害の400年殉教の血にまみれつつ信仰を守り通し、戦争中も永遠の平和に対する祈りを朝夕絶やさなかった浦上教会こそ、神の祭壇に献げらるべき唯一の潔き子羊ではなかったのでしょうか」


そして浦上が屠られた瞬間、初めて神はこれを受け入れられ、天皇陛下に天啓を垂れ、終戦の聖断を下させ給うたというのです。永井は、この犠牲によって、今後更に戦禍を蒙る筈であった幾千万の人々が救われた述べ、「汚れなき煙と燃えて天国に昇りゆき給いし主任司祭をはじめ八千の霊魂! 誰を想い出しても善い人ばかり。潔き羊として神の御胸にやすらう霊魂の幸よ」と語りました。 そして最後にこう結びました。


「主与え給い、主取り給う(ヨブ記1.21)。主の御名は讃美せられよかし。浦上が選ばれて燔祭に供えられたる事を感謝致します。この貴い犠牲によりて世界に平和が再来し、日本の信仰の自由が許可されたことに感謝致します。ねがわくば死せる人々の霊魂、天主の御哀憐によりて安らかに憩わんことを。アーメン」 (『長崎の鐘』アルパ文庫P148)


以上のように、カトリック信者である永井隆は、浦上と浦上天主堂は、神への燔祭であり、その尊い犠牲によって戦争が終結し、日本が「生まれ変わる」条件となったと理解しました。筆者は、日本に平和をもたらすための「祭物」となった清き浦上と、日本とUCが生まれ変わるために「贖罪の羊」となった高潔な安倍さんに、強い共通性と因果性を感じるものです。


アメリカ第16代エイブラハム・リンカーン(1809年2月12日~1865年4月15日)は、奴隷解放と南北戦争を北の勝利に導いたあと、1965年4月14日、56才で現役大統領のまま凶弾に倒れました。しかしリンカーンはこの死によって、偉大な大統領としてだけでなく、一人の政治家から「合衆国の救世主」としての神話的人物へと変貌し、アメリカの理想を体現した聖者になりました。葬儀を司式した牧師は追悼の辞の中で次のように述べましたが、筆者もこの言葉をそのまま安部さんに捧げたいと思います。


「約束の地カナンに入る直前に神に召されたモーセのように天へと引き上げられました。リンカーンはアメリカの『贖罪の羊』であり、キリストのように自身の血でアメリカを清めて国民に和解をもたらしました」


筆者は、激しい喪失感のあと、「安倍晋三はリンカーンのように伝説になるだろう。日本の守護神になる」との思いが沸き上がってきました。安倍さんには、まだまだ大きな仕事をして頂きたかったが、惜しまれ、悔やまれての死に様は、リンカーンやケネディを見るまでもなく、むしろ伝説への一歩と言えなくもありません。殉教の血は「一粒の麦」、「宣教の種子」といわれますが、安倍さんの殉教は、必ず大きな実を実らせることでありましょう。


勿論、テロは如何なる理由があったとしても許されず、テロリストは厳しく断罪されなければなりませんし、またテロリストの動機や背景についても予断なく解明されなければなりません。いずれ、真実が明らかになることでしょう。


【安倍晋三という人】


ところで「安部晋三」(1954年9月21日~2022年7月8日)という政治家は一体どいう人物だったのでしょうか。安倍さんは、祖父岸信介の思想・信条と父安倍晋太郎の人柄の良さを色濃く受け継ぎ、保守のタカ派のイメージと共に、母性的な優しさを兼ね備えた希に見るバランスの取れた政治家でした。



<謙虚な人柄>


そして人を笑わせることが好きだった安倍さんですが、「潰瘍性大腸炎」という持病で終生苦しみました。しかしそのお陰で、人の苦しみや悲しみが理解できる心を養うことが出来たというのです。弱者への思い遣りです。


パウロは、「そこで、高慢にならないように、わたしの肉体に一つのとげが与えられた。それは、高慢にならないように、わたしを打つサタンの使なのである」(2コリント12.7) と語りました。この聖句は、パウロが持っていた「とげ」についての告白であり、パウロは肉体的なとげ、即ち持病持ちの男だったようです。 パウロはこの「とげ」を、自分が傲慢になって高ぶることのないように、神が自分に与えた戒めだと理解しました。


そして安倍さんもパウロと同様、肉体のとげ(持病)を持っていたが故に、決して高ぶらない、人の心が分かる人間性を養うことができました。第一次安倍内閣が短命に終わった原因に、持病の潰瘍性大腸炎の悪化があったことは周知の事実です。しかし、この短命政権の挫折は、安倍さんに試練と共に多くの教訓を与え、十字架に架かって甦ったキリストのように、5年後、不死鳥のように復活しました。


かって筆者は、横浜中華街の篤志家から、あるエピソードを聞いたことがあります。この方が安倍さんに偉人伝を送ったところ、「安倍です。この度は結構な書籍を送って頂きありがとうございます」という直々のお礼の電話があったということでした。安倍さんという方は、このような市井の庶民にも細かい気配りができる人なのだなと、その人柄の善さを改めて実感したものでした。だからこそ、かの気難しいトランプも、安倍さんだけには心を許し、「晋三、晋三!」と言って盟友とし、頼りにしたというのです。


<安倍晋三の政策と業績>


安倍さんは、第一次安倍内閣(2006年9月26日~2007年8月27日)で、「美しい国」を国家像に掲げ、短命政権と言えども、教育基本法改正、防衛庁の省への昇格、国民投票法改正など、重要な国家の基本法案を成立させています。


安倍さんはその所信表明演説で、「私が目指すこの国のかたちは、活力とチャンスと優しさに満ちあふれ、自律の精神を大事にする、世界に開かれた、『美しい国、日本』であります」と述べ、この「美しい国」の姿を、a.文化・伝統・自然・歴史を大切にする国、b.自由な社会を基本とし、規律を知る、凛とした国、c.未来へ向かって成長するエネルギーを持ち続ける国、そして、d.世界に信頼され、尊敬され、愛される、リーダーシップのある国、と定義しました。ちなみに、我が久保木修己元日本UC会長も、『美しい国日本の使命』と題する本を出され、「心の貴族たれ」として世を覚醒されました。


前記しましたように、第一次内閣は短命に終わりましたが、安部さんはその挫折を養分にして、2012年12月26日、第96代内閣総理大臣として復活し、連続在日日数(2799日、7年半)、首相通算在職日数(3188日、8年7ヵ月)において、歴代最長を記録しました。そして外交、安保、経済の各方面に確固たる業績を残し、文字通り戦後の総決算ともいうべき大仕事を軌道に乗せました。


先ず第一に、「アベノミクス」と命名する経済政策を掲げ、大胆な金融政策(デフレ対策)、機動的な財政政策(大規模な公共投資・国土強靱化)、民間投資を喚起する成長戦略(イノベーション政策)、の「三本の矢」を経済成長の骨子とし、経済の活性化を呼び起こしました。また、自らの失敗の経験に照らして、「再チャレンジ政策」も推進しました。


次に、2013年12月6日、「特定秘密保護法」を国会での激しい攻防の末に成立させ、国の外交や安全保障にかかわる機密情報を守るための法制化が行われました。我がグループも、かってスパイ防止法制定国民運動を展開し、成立一歩手前までこぎ着けた実績があります。


そして2015年9月19日 、安倍内閣は左翼や野党の大反対の中で、画期的な「安全保障関連法」を成立させました。これは「集団的自衛権」の行使を認める内容で、戦後の安保政策は大きく転換し、今後の日本の安全保障に取って大きな布石になったものです。この法案は、1960年、岸政権の日米安保条約の改定における激しい安保闘争を彷彿させる中での成立でした。


こうして、経済と安保の両輪において大改革を進めた安倍内閣ですが、何と言っても安倍さんの真骨頂は、「地球儀を俯瞰(ふかん)する外交」と命名する洗練された力強い外交であります。


安倍晋三元首相は「地球儀を俯瞰する外交」という理念を掲げ、世界の各地域で日本が主体的な役割を担う外交を展開しました。その象徴といえるのが、台頭する中国を念頭に、自由・民主・人権・法の支配・市場経済と言った普遍的価値に基づく国際秩序の維持を目的とした「自由で開かれたインド太平洋」構想です。この構想は世界のリーダーから支持を得て、日本の国際社会での評価と存在感は格段に高まりました。正に「世界の安倍」であります。


こうして安倍さんは、日本だけでなく、世界が必要とする政治家として、日本の国際的地位を高めた、余人を以て変えがたい存在でありました。


<死して守護神となる>


「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という言葉があります。これは、三国志の蜀の宰相「諸葛亮」(通称は孔明)と魏国の将軍、司馬仲達の戦闘の故事で、生前の威光が死後も残っていて、人々に影響を与えることの「たとえ」です。安倍氏さんは「死してなお、守護神となって日本を導く」と筆者は信じます。いや、岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三が三位一体の善なる霊となって導くに違いありません。


この点について、かの青山繁晴議員は、7月9日の宝塚の街頭演説で、興味深い証言をされました。


青山氏は宝塚での演説のために、7月8日の朝、羽田発ANAの伊丹行き飛行機に搭乗したところ、親愛の情を込めて背中を叩く人がいて、振り向くとなんとそれは安倍さんであり、その日たまたま同じ飛行機に搭乗していたというのです。そして伊丹空港で、安倍さんは奈良へ、青山氏は宝塚へと向かい、これが今生で見る安倍さんの最後の背中だったと青山氏は述懐されました。


伊丹空港で別れた一時間半後、青山氏が宝塚で街頭演説していた最中、秘書からのメモで安倍さんの心肺停止の報を知ることになりました。今までの経験から、心肺停止でも蘇生すると信じていた青山氏の背後に、伊丹空港で別れたままの安倍さんの気配がし、そしてなんと安倍さんが自分の内蔵深く入ってこられたというのです。とっさに「安倍さんは、亡くなられた、別れに来られた」との思いがし、そして右上方向に素早く去っていかれたと証言しました。


もともと青山氏には霊的体質があり、大東亜戦争で亡くなった日本人将校が出てきて「日本を頼む」と告げたり、エルサレムのヴィア・ドロローサの道行きで、背中を叩くマリアと出会ったことも証されています。 青山氏は、「こういうことは信じてもらえないかも知れないが」と前置きした上で、これらの霊的体験を随所で語られています。


そして今回も間違いなく、安倍さんの霊魂が来て、自らの身体に入ったあと、右上方向に去って行かれたというのです。そして安倍さんは、「これからは、俺なしでやって行くんだ。俺は悔いないよ」と言われ、青山氏は「安倍さんは政治的には何の悔いもないようだった」と証言しました。「年取って老いぼれた安倍さんを見たくなかった。やることをやり切って颯爽とした安倍さんのままで良かった。安倍さんは役割を終えて風のように、去っていかれた」とも語りました。安倍さんは悔いなく逝かれ、自由になられたたというのです。


この話を聞いた筆者は、大いに安堵し励まされたものです。安倍さんが別れを告げると共に「日本を頼んだ、改憲を頼む」と青山氏に託されたのではないかと感じたものです。今回の参議院選挙において、改憲勢力が勝利しましたように、こうして安倍さんは、死してなお働き、残された心ある政治家に臨んで、日本の政治を見守るに違いありません。


なお、岸、安倍一族は、長州出身だけあって、吉田松陰や高杉晋作を尊敬し、晋三の「晋」は、高杉晋作の晋から取って命名したと言われています。そして安倍さんの座右の銘は、吉田松陰の次の言葉です。


 至誠にして動かざるもの、これいまだあらざるなり


【残された者の責務】


さて私たちは、この安倍さんの死を決して無駄にすることはできません。中曽根元総理は101才、石原慎太郎は89才の長寿を全うしての死でしたが、安倍さんは67才、いまだ惜しまれての死であり、正に日本という祭壇に捧げられた祭物、贖罪の羊といっても、決して間違いではありません。


永井隆は『長崎の鐘』の中で、残された者は日本の平和、長崎の復興のために、償いの道、賠償の道を行かなければならないと語りました。筆者は、この安部さんと思想信条を同じくしている者として、この安倍さんの犠牲は決して他人事ではなく、これを「天の声」として受け止め、以前から複数の方からのリクエストもあり、この機会に教会の内外に渡る「抜本的改革の提言」をまとめる所存です。


ルターやカルバンの宗教改革とは、原型に戻すこと、即ち使徒たちによって建てられようとした初代教会に立ち返ることであり、改革された教会とは、「神の言葉によって改革された教会」を意味します。つまり「神の言葉に還れ」ということであり、これこそ改革の一丁目一番地です。


聖書に「神は、召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」(ロマ書8.28)とあり、日本の格言にも「災い転じて福となす」とあるように、何か不吉な予感がするUCの行く末ですが、今後如何なる試練に遭遇しようとも、深く真摯な悔い改めのあるところ、神は必ず回復の道を用意して下さっていることを信じていきたいと思います。


それではこの一文を以て、安倍晋三氏の追悼の言葉とし、最後に、安倍晋三大兄のご冥福を心からお祈りし、次の聖句を捧げます。

わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。 今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう」(2テモテ4.7~8)(了)


ポーランド宣教師 吉田宏

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