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長崎潜伏キリシタンと曹洞宗天福寺との共生

◯徒然日誌(令和6年3月13日)   長崎潜伏キリシタンと曹洞宗天福寺との共生 

 

すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである(エペソ4.6)

 

文化時報2024年3月5日号の掲載記事によると、曹洞宗は第143回通常宗議会(2月22日)で、旧統一教会への文科省による解散命令請求について、解散に「反対する」と従来の見解を追認した。 

 

【曹洞宗の見解に思う】 

 

昨年の曹洞宗の公式声明によれば、「解散しても被害者の補償にはならないし、解散することで報告義務がなくなり、返ってより過激なカルト化する危険性がある」と言った反対理由を挙げ、また「旧統一教会が行っている強引な献金や勧誘などは決して認められるべきではない」として、旧統一教会を擁護するものではないと釈明した上で、しかし、「政府は従来のあり方に対して、解散請求の条件を拡大した可能性がある」と述べ、「今回のように刑事事件で立件されてないような団体まで規制するようなことが、従来の法律体系や法律の運用実態などから出てくるのか、あるいはそのような団体までも規制するような法律が成立するのか、不透明である」と述べ、刑事事件のない宗教団体を解散請求するのは問題だと明言した。 

 

では他宗教の反応はどうであろうか。 

 

仏教系の霊友会、臨済宗妙心寺派、崇教真光、本門佛立は「解散請求はやむを得ない」との態度を表明しているが、幸福の科学は「信教の自由の侵害で、事実上の宗教弾圧だ。民法上の不法行為の適用範囲が不当に拡大される恐れがある」と反対した。また創価学会は「宗教団体の政治、選挙活動は憲法で保障された国民の権利だ。一方で、特定の宗教団体が国から特権を受けたり、保護を求めるようなことはあってはならない」と説明した。 

 

カトリック中央協議会は文科省の判断を尊重するとし、日本基督教団事務局は「旧統一教会や関連する政治団体と自民党などとの問題が明らかにされておらず、解散は『目くらまし』にすぎない」と主張した。しかし、プロテスタントの中には、「解散請求は信教の自由を損なう恐れがある」として、懸念を表明している牧師たちがかなりいる。また表立って意思表示できなくても、内心において「問題あり」と思っているクリスチャンや牧師がいると思料する。今、各地で教会など宗教施設訪問がなされていると聞いているが、霊的条件という視点からも、極めて大切な活動である。 

 

では曹洞宗は、何故、解散請求に明確に反対したのだろうか。 

 

筆者は江戸時代のキリスト教禁教下において、長崎外海(そとめ)地区の潜伏キリシタンと長崎樫山(かしやま)にある曹洞宗天福寺の共存・共生を想起した。曹洞宗天福寺は、隠れキリシタンの隠れ蓑の寺として、320年の間、寒苦を共に分ち合い生きてきた歴史がある。心なしか筆者には、この天福寺とキリシタンとの共生は、今回の曹洞宗の解散反対表明と何らかの因果関係があるのではないかと思えるのである。 

 

【隠れキリシタンと天福寺】 

 

長崎市樫山地区にある曹洞宗天福寺は、各世帯を特定の仏寺に所属させることによって潜伏キリシ タンを摘発・排除するために考案された「寺請制度」の一環として 1688 年に建立された。寺請制度とは、檀家の住民が、禁制とされるキリスト教信徒でないことを寺院が各戸ごとに証明する制度である。 

 

<隠れキリシタンと天福寺の共生> 

 

日本人宣教師バスチャンゆかりの霊山として潜伏キリシタンの聖地として崇拝されていた「赤岳」のふもとにある樫山地区は、大村藩の西樫山と佐賀藩深堀領の東樫山に分かれ、比較的取り締まりが緩やかだった東樫山には多くのキリシタンが潜伏した。天福寺のある東樫山地域は、住民の殆どがキリシタン信者で、他の藩に比べてあまりキリシタンに対する残忍な迫害を行わなかった佐賀藩の管轄領だった。この天福寺は、禁教時代に潜伏キリシタンと知りながら檀家として受け入れ、擁護してきた歴史がある。 

 

また佐賀藩深堀領の飛び地であったユネスコ世界遺産の一つである「外海の出津集落」のほとんどの村民はキリシタンであり、同じ佐賀藩深堀領に所在する天福寺の檀家として所属した。250年の長きにわたり潜伏キリシタンが信仰を維持できたのは、寺との信頼の中で、共存関係を築いてきたからであり、外海地域におけるキリシタンの歴史の中で重要な役割を果たしてきた仏教寺院である。 

 

天福寺の玄関入口には、潜伏キリシタンが隠し持っていたというロザリオやメダイ(聖像を鋳造したもの)のほか、浦上キリシタンが隠しきれなくなり滑石峠を抜けて東樫山に運んだと言い伝えのある「マリア観音像」などが展示されている。(長崎潜伏キリシタン世界遺産ウェブサイトより)

 

<二つの証> 

 

この天福寺と隠れキリシタンの歴史には、その信頼関係を示す二つの証がある。 

 

江戸時代、キリシタンを取り締まっていたのは長崎奉行所だが、そこからわずか2㌔ほどの浦上地区にもキリスト教徒たちは多くいた。1856年ごろ、浦上地区の信徒たちがキリシタンと疑われる嫌疑が浮上し摘発された。「浦上三番崩れ」と呼ばれた事件である。 

 

信仰対象のマリア観音像が没収されることを危惧した浦上の信徒は、険しい峠(滑石峠)を夜中にひそかに越え、マリア観音像を樫山地区の潜伏キリシタンに預けて天福寺に託したと伝えられ、その像は、今も本尊の隣に安置されている。 


①天福寺 ②天福寺のマリア像  ③天福寺所在地図 


浦上の信徒は樫山地区の潜伏キリシタンに観音像を預け、この預かったキリシタンは観音像を天福寺に届けたが、その後捕縛され拷問を受けた。しかし、観音像を預かったことを最後まで否定し、牢屋で亡くなったという。天福寺前住職の塩屋秀見氏は、「口を割らなかったのは天福寺を守ろうとしたからだ」と述べ、権力者の迫害から、お寺とキリシタンが協力してお互いを守った歴史があると語った。  


もう一つの証は1978年のことである。天福寺に少し離れた地区に住む人々が訪れた。寺は貧しく、本堂の床は抜け落ちそうで、天井から雪が舞い込むありさまであった。お布施の収入は月6万円ほどしかなく、檀家に改築費用を募っている最中だった。訪れた住人たちは約400万円もの寄付を申し出た。「私たちは潜伏キリシタンの子孫です。お寺のおかげで信仰と命をつなぐことができました。少しでも恩返しがしたい」 という。寄付を申し出たカトリック信者たちは30人ほどで、「天福寺に何かあったときは助けるようにと、いろり端で代々、伝えられてきた」 と語ったのである。 

 

「数百年後の恩返し」はあまりに突然で、申し出を受けた住職は驚くと同時に、「三時業」という仏語が浮かび、恐ろしくもなったという。三時業とは、善悪の業の報いを、本人が受けずに死んだとしても、生まれ変わった後に報いを受けるという教えで、数百年前にキリシタンを守った寺の先人たちの善行に対して、世代を超えて報いが来たと実感したと述懐した。反対に、もし天福寺が当時、キリシタンを弾圧する側に立っていたとしたら、今ごろどうなっていたのだろうかとも思ったという。   

 

筆者は心なしか、今回の曹洞宗の「解散請求反対」表明の伏線として、上記したような潜伏キリシタンと天福寺との「共生と信頼の関係」があったのでなないかと思うのだが、これは筆者の思い込みだろうか。 

 

【すべてのものの父なる神は一つ】 

 

さて昨年筆者は、表向き天福寺の檀家として暮らしながら、密かにキリスト教信仰を守ってきたという長崎市外海(そとめ)の潜伏キリシタンを偲んで、外海の出津(しつ)教会を訪問したことがある。外海地区は、長崎市の北西約40キロに位置し、西側は五島列島を望む峻険な海に面した陸の孤島ともいうべき自然豊かな地域で、遠藤周作著『沈黙』の舞台となった地である。 

 

出津教会で聞いた、潜伏キリシタンの末裔という女性案内人の話によると、この地域には全村5000人もの潜伏キリシタンがいたと言われ、解禁後は2500名がカトリックに帰依し、他は隠れキリシタンとして従来の形の信仰を維持しているということだった。そして今までこの地域から、なんと枢機卿3名、神父50名、シスター数百名が排出されているという。驚くべきことに、この地域には、一番優秀な息子は神父に、娘はシスターにするという伝統があるというのである。 

 

筆者は出津教会の荘厳な礼拝堂にて、神の霊の注ぎを感じ、「この信仰のお陰で、再臨期に日本が用いられる条件になった」と実感した。潜伏キリシタンに象徴される信仰的伝統、 即ち、日本人の遥かな心の根底には、唯一の神に帰依する「一神教への郷愁」があり、一神教の神を受け入れる霊性があると感じたものである。 (なお、外海の潜伏キリシタンについては、「つれづれ日誌(令和5年5月24日)-長崎外海潜伏キリシタンを偲んで」に詳述している)

 

エペソ書4章6節に、「すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである」とある通り、外海の隠れキリシタンと曹洞宗天福寺の関係は、これからの宗教間対話のよい見本になり、またこの度のUCへのバッシングは、これからの宗教一致のための祭物なのかもしれない。 

 

思えばUC創始者は、超教派超宗派活動に最大限の心血を注がれた。全ての宗教はそれぞれの立ち位置において、神の復帰摂理の一端を担う選民であり、やがて唯一にして父母なる神という大海に注がれていくのが摂理であり、またその日が来ることを信じて疑わない。(了)   牧師  吉田宏

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