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雅歌 注解

🔷聖書の知識96-『雅歌』注解


エルサレムの娘たちよ、わたしは、かもしかと野の雌じかをさして、あなたがたに誓い、お願いする。愛のおのずから起るときまでは、ことさらに呼び起すことも、さますこともしないように。(2.7、3.5、8.4)


『雅歌』とは「歌の中の最高の歌」という意味です。雅歌は男女の愛の歌であり、恋愛と男女の賛美を歌い上げる詩であるため、官能的であるとして、雅歌を遠ざけてきた人たちもいました。


【雅歌の概観】

さまざまな経緯を経てなんとか正典におさめられましたが、雅歌の扱いをめぐって古くから議論が絶えませんでした。ある意味、異色の作品で、聖書のふところの深さが感じられます。


著者は「ソロモンの雅歌」(1.1)として、ソロモン王の作であるとされています。しかし、後世の多くの神学者たちはBC4~3世紀頃の作だと考えています。いずれにせよ、何世紀にも渡る期間に作られた歌が集められてできたということは間違いないようです。


ユダヤの伝承では、ソロモンは、青年時代に『雅歌』を書き、壮年期に『箴言』を書き、老年期に『伝道の書』を書いたと言われています。


雅歌の内容は花嫁と花婿の詩、娘たちの合唱などが組み合わされて、以下のような区分けをすることができます。


牧歌①:結婚式当日(1:2~2:7)

牧歌②:婚約時代(2:8~3:5)

牧歌③:結婚式の描写(3:6~5:1)

牧歌④:性的関係のずれ(5:2~6:9)

牧歌⑤:ガリラヤへの帰省(6:10~8:14)


【比喩的解釈と字義的解釈】


雅歌の解釈には、大きく分けて、比喩的解釈と字義的解釈があります。


<比喩的解釈>

雅歌を比喩的に解釈して、夫婦の関係をユダヤ教では、「神とイスラエル民族の関係」(ホセア2.16)とし、キリスト教では「キリストと教会の関係」(黙21.9)を表す歌であるとしています。


即ち、ユダヤ教では男女の愛の関係を、神と民との関係として比喩的に解釈し、キリスト教ではキリストと教会の関係として比喩的に解釈してきました。


つまり、これは、2人の恋人に関する実話というより、 これをイスラエルに対する神の愛の物語だと解釈し、また教会に対するキリストの愛の物語だと解釈しました。

また,これが実話であり,それが教会あるいはイスラエルと,神の関係を比喩的に表す「型」であるという解釈もあります。


<字義通りの解釈>

字義通りそのままの解釈を採用すると、雅歌は「結婚生活への愛の賛歌」となります。


雅歌の物語は、実際に存在した2人の恋人の愛の物語だとされ、神が用意してくださった理想的な男女の愛の関係について詠った歌であるというのです。


ソロモンは、下ガリラヤにぶどう畑を所有していましたが、ある日そこを訪問し、ぶどう畑で働いている女に出会って恋に陥りました。


彼女は、兄たちから言われて、ぶどう畑で働いていました。そのため、顔は日焼けしていたのです。


ソロモンは彼女と交際を始め、ついに結婚を申し込み、彼女はそれを受け入れました。


ソロモンは行列を仕立て、彼女を花嫁としてエルサレムに上らせ、宮廷で結婚式と婚宴が行われ、ふたりは初夜を迎えます。


その後、このシュラムの女は肉体関係における困難を覚え、彼女はソロモンを受け入れず、王は彼女から離れて行きました。


しかし彼女は、自分が王を拒否したことを悔い、王を探してよい関係を回復します。宮廷での生活がしばらく続いた後、シュラムの女は故郷を訪れることを願います。


ソロモンは同意し、ふたりで彼女の実家を訪問し、そこでふたりは再度愛を誓い合い、自然のぶどう園の中で愛を交わします。美しく理想的な夫婦の愛の物語です。


【結婚の意義と夫婦の愛の本質】


創世記1.27に「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」とあり、「それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」(2.24) とある通り、男女の結婚と愛は、本来神が祝福された創造の秩序でありました。


また、「神が結び合わせたものを人が引き離してはなりません」(マタイ19.6)とあるように、「神が結び合わせた」ということこそが結婚の奥義であり、夫婦が夫婦であることの確かさであります。神が結び合わせた夫婦によって、神の愛が世界に広がっていくことが期待されているのです。


雅歌は性的な描写を包み隠さず、おおらかに表現しています。(4.1~16)


「どうか、あなたの口の口づけをもって、わたしに口づけしてください。あなたの愛はぶどう酒にまさり、あなたのにおい油はかんばしく、あなたの名は注がれたにおい油のようです」(1.2~3)


「わが花嫁よ、あなたの愛は、なんと麗しいことであろう。あなたの愛はぶどう酒よりも、あなたの香油のかおりはすべての香料よりも、いかにすぐれていることであろう」(4.10)

聖書は、男女の愛は、もともと聖く尊いものであることを明らかにしています。性的行為は本来聖なるもので、それは神が祝福し、神が結び合わせた夫婦にのみ許されます。


人は喜怒哀楽や愛を、詩や俳句、そして歌と踊りで表現してきました。理論や理屈では表し切れない内なる思いを、いわゆる文学形式で表現したのです。


こうして雅歌には、数えきれないくらいの愛の表現があります。(4.1~16)


しかし、愛を交わすことにおいて重要なことは、自然な発露、強制感ではなく自由な思いが大事であり、雅歌には次の言葉が三度も出てきます。


「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛がそうしたいと思うときまでは」(2.7、3.5、8.4)


真実の愛には犠牲が伴います。愛は「愛する」ことが重要であり、愛に目覚めれば、強制されることなく自然に愛が表現されるというのです。


そして夫婦に愛が必要であるように、信仰においても愛が全てだというのです。


「このように、いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうちで最も大いなるものは、愛である」(1コリント13.13)


筆者は雅歌の男女のおおらかな愛の描写を読みながら、霊界での愛の在り方を語られた李相軒先生の霊界通信『霊界の実相と地上生活』の一節(P49)を想起いたしました。


「地上での夫婦は、主に居間や寝室で愛し合います。しかし霊界の天国ではそうではありません。広く美しい野原の中でも、砕ける波の上でも、愛の行為をします。それを見るものも、あまりに美しく酔うようになります」


以上、雅歌を見てきました。これで、いわゆるイスラエルの文学を終わり、次回から預言書に入っていきます。先ず、そもそも預言者とは何か、預言者はどういう役割を担った人々なのかを考えていきます。(了)





上記絵画*「春」ピエール・オーギュスト・コット画