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1列王記 註解 ソロモンの治世 神殿の建設

🔷聖書の知識86-1列王記―ソロモンの治世―神殿の建設


そして彼らは主の箱と、会見の幕屋と、幕屋にあるすべての聖なる器をかつぎ上った。祭司たちは主の契約の箱をその場所にかつぎ入れた。すなわち宮の本殿である至聖所のうちのケルビムの翼の下に置いた。箱の内には二つの石の板のほか何もなかった。これはイスラエルの人々がエジプトの地から出たとき、主が彼らと契約を結ばれたときに、モーセがホレブで、それに納めたものである。そして祭司たちが聖所から出たとき、主の栄光が主の宮に満ちた。(1列王記8.4~10)


上記の聖句は、神の住まわれる館として神殿が建設され、その神殿の至聖所に二枚の石板が入った主の箱(契約の箱)、つまり神のみ言葉が安置される時の光景であります。


ソロモンは父ダビデから託されていた神殿を建設し、その至聖所に契約の箱を安置することによって神との約束を果たしました。この神殿と契約の箱こそ、イスラエルの選民たる象徴であり、民族のアイデンティティーでした。


ソロモンはこの契約の箱の神殿への安置を、イスラエルの全ての長老、部族長をエルサレムに集め、国家的行事として行いました。


かくして民族の精神基盤が確立されたのです。これは、1列王記のハイライトとも言うべき場面であります。


筆者はこの場面を読みながら、日本の8万神社の至聖所とも言うべき本殿に、ご神体として聖書(神の言葉)が安置される未来の光景を想像し、また熱望いたしました。


日本の神社とイスラエルの神殿(幕屋)が、よく似た構造になっていることはよく知られた事実です。そして神社にはそれぞれの祭神があり、その象徴としての「ご神体」が本殿に安置されていることは周知の事実です。


イスラエル神殿の至聖所に律法がご神体として祭られているように、神社の本殿に聖書(原理講論)が安置される日を待ち望むものです。


【1列王記の概略】


さて、先ず1列王記の概略を概観しておきたいと思います。


列王記は上下に分かれていますが、もともとは一つの歴史書で、いわるギリシャ語七十人訳が便宜的に第一と第二に分けたもので、サウルを除くすべての王たちが登場する王の歴史書であり、サムエル記の続編であります。しかし単なる歴史ではなく、歴史からの教訓(史観)を教えようとしています。


作者は、バビロン捕囚の記録があるので、捕囚期に活躍した人物が上げられ、エレミヤ、エズラ、エゼキエルなどが候補にあがっています。


<全体の流れ>

1列王記の全体の流れは下記のようになっており、大きくは、a.ダビデの晩年の話し( 1 .章 ~ 2 章11 )、b.ソロモンの統治の話し( 2章12 ~ 11 章 )、c.王国の分裂とユダの王4人・北イスラエルの王8人の記録(12章~22章)、の3区分となり、そして17章~19章に預言者エリアの話しが出てきます。


今回はこの内、a.ダビデの晩年の話し( 1 .章 ~ 2 章11 )、b.ソロモンの統治の話し( 2.章12 ~ 11 章 )に絞り、特にソロモンの統治について重点的に解説いたします。以下はその概略です。


a.ダビデの晩年の話し

1.王位を狙うアドニヤ(1:1~38)

2.油注ぎを受けるソロモン(1:39~53)

3.ダビデの最後の言葉(2:1~11)


b.ソロモンの統治

1.政敵の排除(2:12~46)

2.ソロモンの知恵(3章)

3.ソロモンの栄華(4章)

4.ソロモンの神殿(5~8章)

5.ソロモンの名声(9~10章)

6.ソロモンの堕落と死(11章)


【ダビデの晩年】


ダビデの晩年は、肉体的には非常に弱くなり、美しい娘を寝床にはべらせて王の体を(湯タンポ代わりに)温めていました。


2サムエル5.4によれば、ダビデはおよそ70歳で死んだと言われていますが、王の死が近づくと、王位継承問題が起こってきました。


ダビデの四男でソロモンの兄である「アドニア」が王位を狙って事前工作をはじめ、父ダビデが存命中に、自分が王になろうと画策しました。(1:1~31)


本来、イスラエルにおける王位継承は、サウルやダビデに見るように、先ず神が王を選び、それを預言者が民に伝え、油を注ぐという手順で行われるものです。


しかしアドニヤは高ぶって、「わたしは王となろう」と言い、自分のために戦車と騎兵および自分の前に駆ける者五十人を備えて父親に反旗を翻したのです。(1.5)


ナタンとバテシバはこれを知って、協力してダビデに忠告進言しました。これを受け入れたダビデは決断し、ソロモンを王と宣言いたします。


「わたしがイスラエルの神、主をさしてあなたに誓い、『あなたの子ソロモンがわたしに次いで王となり、わたしに代って、わたしの位に座するであろう』と言ったように、わたしはきょう、そのようにしよう」(1.29~30)


こうして、ソロモンはギホンの泉で祭司ザドクから油注ぎを受けました。


「祭司ザドクは幕屋から油の角を取ってきて、ソロモンに油を注いだ。そしてラッパを吹き鳴らし、民は皆『ソロモン王万歳』と言った」(1.39)


こうしてソロモンは、神からの承認、王からの承認、軍からの承認、民からの承認を受け、好スタートを切ることになりました。


ダビデの最後の遺訓の要諦は、律法への従順こそ、主から祝福を受けるというものでした。


「あなたの神、主のさとしを守り、その道に歩み、その定めと戒めと、おきてとあかしとを、モーセの律法にしるされているとおりに守らなければならない。そうすれば、あなたがするすべての事と、あなたの向かうすべての所で、あなたは栄えるであろう」(2.3)


「ダビデはその先祖と共に眠って、ダビデの町に葬られた。ダビデがイスラエルを治めた日数は四十年であった。すなわちヘブロンで七年、エルサレムで三十三年、王であった。このようにしてソロモンは父ダビデの位に座し、国は堅く定まった」(2.10~12)


【ソロモンの神殿】(5~8章)


王となったソロモンの業績の筆頭にあげるべきは、なんと言っても「神殿の建設」であります。ダビデが準備し、ソロモンの手で建設されたこの神殿こそ、イスラエルの夢であり、ダビデ契約を固めるものでした。



移動式神殿と言われる幕屋はキリストの象徴と言われていますが、神殿は当にキリストの象徴であり、以後イスラエルは、神殿を信仰の中心として生活していくことになります。神殿の完成は下記聖句の通りです。


「イスラエルの人々がエジプトの地を出て後四百八十年、ソロモンがイスラエルの王となって第四年のジフの月すなわち二月に、ソロモンは主のために宮を建てることを始めた。ソロモン王が主のために建てた宮は長さ六十キュビト、幅二十キュビト、高さ三十キュビトであった」(6.1~2)


「第四年のジフの月に主の宮の基をすえ、第十一年のブルの月すなわち八月に、宮のすべての部分が設計どおりに完成した。ソロモンはこれを建てるのに七年を要した」(6.37~38)


そして上記しましたように、完成した神殿の魂と言える2つの石板が入った「契約の箱」が、神殿の至聖所に安置される情景が1列王記8.4~10に記載されています。これは神殿に魂が入る「入魂式」と言え、2列王記のクライマックスであります。


「そして彼らは主の箱と、会見の幕屋と、幕屋にあるすべての聖なる器をかつぎ上った。祭司たちは主の契約の箱をその場所にかつぎ入れた。すなわち宮の本殿である至聖所のうちのケルビムの翼の下に置いた」


その後ソロモンは、壮麗な宮殿を建設しました。「ソロモンは二十年を経て二つの家すなわち主の宮と王の宮殿とを建て終った」(9.10)とある通りです。


【ソロモンの統治】


ソロモン(前1011年頃 -~前931年頃)は、古代イスラエル王国の第3代目の王(在位前971年~前931年頃)であり、ダビデとバテシバとのあいだに生まれました。エジプトに臣下の礼をとり、ファラオの娘を降嫁されることで安全保障を確立し「古代イスラエルの最盛期」を築きました。一方、晩年には多数の妻、妾を持ち、偶像崇拝に陥った堕落した王ともされています。


「彼はまた箴言三千を説いた。またその歌は一千五首あった」(1列4.32)とある通り、知恵や統治能力だけでなく、詩歌、音楽、芸術にも優れていました。


旧約聖書の「雅歌」は若き日のソロモン、「伝道の書」は壮年記のソロモン、「箴言」は晩年のソロモンの書と言われていますが、これには諸説あります。


<政敵の排除>(2:12~46)

ソロモンは、父ダビデの側室を妻に所望した兄のアドニヤを処刑し、アドニヤを支持した祭司エブヤタルを罷免し、同じく将軍ヨアブを処刑しました。またシムイも命令違反を理由に処刑しました。


こうして政敵を退け、統治基盤を確立していきました。


<ソロモンの知恵>(3章)

ソロモンは神から欲しいものは何かと問われ、ソロモンは富でも権力でも名誉でもなく、「善悪を見分ける知恵」を望みました。


「ギベオンで主は夜の夢にソロモンに現れて言われた、『あなたに何を与えようか、求めなさい』。ソロモンは言った、『それゆえ、聞きわける心をしもべに与えて、あなたの民をさばかせ、わたしに善悪をわきまえることを得させてください』」(3.5~8)


「ソロモンはこの事を求めたので、そのことが主のみこころにかなった。『あなたはこの事を求めて、自分のために長命を求めず、また自分のために富を求めず、また自分の敵の命をも求めず、ただ訴えをききわける知恵を求めたゆえに、見よ、わたしはあなたの言葉にしたがって、賢い、英明な心を与える。わたしはまたあなたの求めないもの、すなわち富と誉をもあなたに与える」(3.10~13)


こうして神はソロモンに、知恵の心と判断する心が約束されました。ソロモンが知者第一とされる伝承の始まりです。またその上、富と誉れも与えられ、ソロモンは、先にも後にも例を見ないほどの名君となっていきました。


<知恵の例ーふたりの遊女の訴え>


二人の遊女の、子の所有を巡る訴えがあり、これを裁いたソロモンのいわゆる「大岡裁き」は有名です。(3.16~28)


ソロモンは生きている子を2つに断ち切り、両方が半分ずつ取るように命じました。しかし一方の女性が、2つに裂かれる我が子を見るに忍びなく、その子を相手に与えてくださいと言いましたが、そう言った方の女性を、実の母と裁断しました。


「生きている子を初めの女に与えよ。決して殺してはならない。彼女はその母なのだ」(3.27)


<ソロモンの栄華>(4章)

ソロモンは高官たちを任命しましたが、ソロモン内閣の組閣にも知恵が現れています。適材適所を行い、王国確立に功のあった者たちに報いました。


12の行政区に分け、それぞれの行政区に、守護(行政官)を任命し、彼らに徴税の任務を課しました。 行政区は12部族の境界線とは異なる区分であり、能力に応じて行政区を割り当て、部族間の敵対感情を和らげました。


王国の繁栄のしるしとして、人口の増加、豊かな食糧、周辺諸国からの貢物、宮廷の人数(1万4千〜3万2千人までの推定数)、などに表れています。


そしてソロモンは、神殿や王宮をはじめ、大規模な建設事業を遂行しました。エルサレムの城壁の補強、要塞の建設(ハツォル、メギド、ゲゼル)を行い、またソロモンの船団を造り、アカバ湾に船団を設け、海洋交易を行いました。


こうしてソロモンは、内政を重んじ、外国との交易を広げて国の経済を発展させ、官僚制度を確立して国内制度の整備を行いました。


また、外国との貿易のための補給基地を建て、大規模な土木工事をもって国内各地の都市も強化し、さらに軍事面ならびに外交面では、近隣王国と条約を交わし、政略結婚を重ねて自国を強国に育てあげました。


こうしてイスラエル王国の領土はユーフラテス川からガザにまでおよび、国の治安と平和が確立されたのです。


<ソロモンの名声>(9~10章)

ソロモンは、百科辞典的知識と知恵を持ち、ソロモンの名声を聞いて、周辺諸国から多くの人たちが訪ねてきました。


「このようにソロモン王は富も知恵も、地のすべての王にまさっていたので、全地の人々は神がソロモンの心に授けられた知恵を聞こうとしてソロモンに謁見を求めた。人々はおのおの贈り物を携えてきた。すなわち銀の器、金の器、衣服、没薬、香料、馬、騾馬など年々定まっていた」(10.23~25)


有名な話しに、シェバの女王の訪問があります。(シェバとはエチオピヤではなくイェメンのことであると言われています)女王はソロモンの知恵を試すため質問しますが、ソロモンはことごとく答え、女王は驚きます。


「彼女はソロモンのもとにきて、その心にあることをことごとく彼に告げたが、ソロモンはそのすべての問に答えた。王が知らないで彼女に説明のできないことは一つもなかった。シバの女王はソロモンのもろもろの知恵と、ソロモンが建てた宮殿、その食卓の食物と、列座の家来たちと、その侍臣たちの伺候ぶり、彼らの服装と、彼の給仕たち、および彼が主の宮でささげる燔祭を見て、全く気を奪われてしまった」(10.2~5)


【ソロモンの堕落と死】(11章)


晩年、ソロモンは王妃としての妻が700人、そばめが300人いたと言われています。そしてその妻たちが、ソロモンの心を主から偶像神に向けさせたのです。 ソロモンはユダヤの信仰を捨てたのではありませんが、ユダヤ教以外の宗教を黙認し、ユダヤ人と他の宗教信者との宗教的対立を誘発しました。


結局晩年のソロモンは、ダビデの信仰心とは大きく違った信仰を持つようになり、以下の聖句の通り、主以外に妻たちがもたらした偶像神をも礼拝するようになりました。


「彼には王妃としての妻七百人、そばめ三百人があった。ソロモンが年老いた時、その妻たちが彼の心を転じて他の神々に従わせたので、彼の心は父ダビデの心のようには、その神、主に真実でなかった。これはソロモンがシドンびとの女神アシタロテに従い、アンモンびとの神である憎むべき者ミルコムに従ったからである。そしてソロモンはモアブの神である憎むべき者ケモシのために、またアンモンの人々の神である憎むべき者モレクのためにエルサレムの東の山に高き所を築いた」(11.3~7)


偶像神であるアシタロテはシドン人たちが礼拝していた豊穣と性の女神、ミルコムは人身供養で悪名高いアモン人の偶像神であり、またモアブ人の偶像神ケモシと、アモン人の偶像神モレク(ミルコムの別名)のために、オリーブ山の上に高き所(祭壇)を築いて香をたき、犠牲を捧げました。


ソロモンの偉大さは、主から与えられたものであり、主から離れ、自らの使命を忘れたとき、ソロモンは背教の王になっていきます。


ソロモンについて、手厳しい評価をする教父は多く、カトリック教会の司教の中には、「聖書は、ソロモンの堕落を述べて、その悔い改め(痛悔)を語っていません。彼が、はたして父ダビデのように回心して神の赦しを頂いたか、疑わしいものだ」としています。


確かにソロモンは、イスラエル希代の知恵者と称えられ、イスラエル最大の領土を確保した名君でありましたが、一方で、上記に見る道徳的退廃と相俟って、重税・労役・徴兵の負担への民の怨嗟の声やユダ族優先の政治への不満などに直面し、内憂外患の中で死んでいくことになりました。


「ソロモンがエルサレムでイスラエルの全地を治めた日は四十年であった。ソロモンはその先祖と共に眠って、父ダビデの町に葬られ、その子レハベアムが代って王となった」(11.42~43)


【王国の分裂】


ソロモンの死後、息子のレハブアムが王を継ぎましたが、レハベアム王は、民の税や労役負担の苦しみの声に耳をかさず、返って負担を増したので、民は離反していきました。


即ち、北10部族はヤロブアムを立てて王とし、レハベアムのユダから分かれていきました。紀元前922年にヤロブアムを擁した10支族によってイスラエルは南北に分裂し、その後対立していくことになりました。


皮肉にもソロモンの政策は王国に内在していた矛盾を増幅させ、それがソロモンの死とともに一気に噴出して、国家分裂を誘発してしまったのであります。レハブアムは、ユダ王国の初代の王として、残されたユダ族、ベニヤミン族、レビ族を統治することとなりました。


以下、1列王記12章~22章には、王国の分裂とユダの王4人・北イスラエルの王8人の歴史が書かれています。その間、17章~19章に預言者エリアの話しが出てきます。



以上、1列王記について、ソロモンを中心に解説して参りました。次回は2列王記をポイントを絞って解説していきます。(了)



上記画像*ソロモン王の神殿、ソロモンの審判(ニコラ・プッサン画)、シバの女王の訪問(エドワード・ポインター画)