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UC教義に反日思想はない 木原事件の意味、二世という概念に思う

◯つれづれ日誌(令和5年8月9日)-UC教義に反日思想はないー木原事件の意味、二世という概念に思う


もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである(ガラテヤ3.28)


最近、マスコミや保守派の論客により、UCは「反日団体」であるといった批判が散見されます。この問題は、この前開催された二世信者による第三回シンポジウムの質問でも取り上げられました。そこで、この問題に決着をつける意味で、UC教義に反日思想はないこと、そればかりか、UCは誰よりも愛国団体であることを、要点を絞って再度論じることにいたします。


そしてその前に、現下話題沸騰のいわゆる「木原事件」について、その政治的、霊的意味について触れておきます。


【木原事件の本質とは何か】


いわゆる木原事件とは、木原誠二官房副長官の妻の前夫安田種雄さん(享年28)の不審死について、木原氏の妻が関与しているのではないかという疑惑であり、もう一つが2018年、警視庁捜査1課が入り、種雄さんの不審死について再捜査を行ったが、この再捜査に木原氏が政治的圧力をかけて潰したのではないかという疑いであります。


<木原事件の経緯>


種雄さんは、2006年4月9日、ナイフで頭上から喉元に向かって刺され、肺近くに達して失血死し、体内からは致死量の覚せい剤が検出されたといいます。警察の当初の見立ては覚せい剤乱用による自殺で、その後、未解決事件(コールドケース)という扱いになりました。しかし2018年4月、そもそも種雄さんに自殺の動機がなく、現場の状況からも他殺の疑いが強いということで、特命捜査対策室に30人以上の精鋭を集めて内偵捜査が始まりました。2018年10月9日から強制捜査が行われ、木原誠二氏の自宅や、木原氏の妻の実家(父親)の家宅捜査が行われました。また木原氏の妻に任意同行を求め10回の事情聴取を行っています。しかし、逮捕寸前まで捜査が進んだものの、10月末には何らかの理由(圧力)で捜査が中止され、突然、幕引きとなったというのです。今や警察と官邸が一体となってマスコミを押さえ込み、これ以上、この事件が広がりを見せないように躍起となっているようです。


しかし再捜査を担当した元警視庁捜査1課警部補の佐藤誠氏(64才)は記者会見で、「警察庁長官が『事件性がない』と言うので、カチンときた」と怒りを露にし、これは「自殺ではない」と明言し、「異常な捜査の終わり方だった」と証言しました。


さて当の木原氏は、事件後の2008年ころ、当時銀座でホステスをしていた現妻と出会い、2014年10月ころ現妻が木原氏の子を出産したので籍を入れて結婚しました。翌2015年3月には別の銀座ホステスとの間に子をもうけています。そのいわばできちゃった婚の相手が、前夫の死について大きな疑惑をかけられ、世間を騒がせているというのですから、何の因果か木原氏もとんだ女性と深い仲になったものです。「心配するな、俺が裏から手を回しているから」と、捜査介入を匂わした妻との会話もテープに取られている始末です。


<木原事件の本質>


木原氏は、かっては勝共連合のメンバーとも交流があったと聞いており、人間的には好感の持てる政治家ですが、結果的には反キリスト的政策に手を染めた張本人となりました。


木原氏は岸田首相の最側近で、唯一の知恵袋、影の首相とも言われ、岸田首相の「全ての政策は木原のフィルターを通す」とまで言われている実力者であります。前回のつれづれ日誌でも述べましたが、岸田政権の反宗教的政策は木原氏の描いた筋書で行われたことに違いありません。即ち、岸田首相による憲法違反の「UC断絶宣言」、信教の自由に抵触する前代未聞の「質問権行使」、世論に忖度した「被害救済法」など、UCの魔女狩りにお墨付きを与えた政策は、専ら木原氏の頭の中から生まれたと言っても過言ではありません。また、保守派の総スカンを喰ったLGBT法も典型的な反宗教的政策です。


とりわけ、岸田首相の「UC絶縁宣言」は、一国の首相が一民間宗教団体を不当に差別、排除する正に憲法違反の発言であり(憲法14条、20条)、またそれが自民党総裁としての発言であれば、なんという恩知らずの、人間としての道義に悖る言動でしょうか。


つまり、木原事件の本質は、反宗教的政策を実質的に推進した木原氏に対する神の怒り以外の何者でもなく、岸田政権に対する神の厳しい警告であるというのです。かってアッシリアを使って北イスラエルを滅ぼし、バビロンを用いて南ユダを裁かれたように、今回神は、週刊文春を使って、木原スキャンダルという前代未聞の醜聞をもって裁かれました。彼は我知らずの内に神の怒りを買い、未曾有のバッシングに晒されているというのです。


今や木原氏は、身も心もぼろぼろで、仕事をするような状態にはなく、また、最側近を失った岸田首相も右往左往していると聞いています。よしんば当該事件が迷宮入りになったとしても、このようなグレーのままでは、もはや木原氏の政治生命はほとんど断たれたと言っても過言ではありません。


しかし筆者は、木原氏個人を非難しているのではありません。木原氏は東大卒で財務官僚出身のエリートでありながら、バンカラで豪傑肌のところがあり、何か憎めないキャラクターを持っています。かってダビデ王が自らの姦淫と殺人の罪を悔い改め、「神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません」(詩篇51.17)と祈ったように、真摯に悔い改めて出直し、せめて宗教のよき理解者、頼りになる護教家になることです。


【UC教義に反日思想はない】


さて、今回のメインテーマに話を進めることにしたいと思います。即ち、「UC教義に反日思想はない」、そしてUCは反日団体どころか「愛国団体である」ということを、以下、端的に論証いたします。


<教義に反日思想はない>


反対派が、UCが反日国家であることを印象付けるためによく使うフレーズに、「日本は罪深いエバ国家であるので、アダム国家の韓国に貢がなければならない」という、いわゆるアダム国家・エバ国家論であります。


しかし、この考え方は大変な誤解で、教義(原理)でいうアダム国家・エバ国家は、神の世界救援摂理において、歴史の終末に出てくる国家の役割分担を意味する摂理的相対概念であります。即ち、神は男性格と女性格の統合体なる「父母なる神」であるというのが原理の神観であり、世界の救援にあたって、父なる国と母なる国、即ち「父母なる国家」が摂理的必然で生まれてくるというのです。


そして、メシアを生み、神の言葉の種を生んだ韓国がアダム国家選民として立ち、そのメシアの種を繁殖する役割を担う国として日本がエバ国家選民として立たされたというのです。従ってアダム国家・エバ国家の関係は、主従関係でも、上下関係でもなく、役割分担が違うだけで対等、平等な相対関係であるというのです。それは父と母、夫と妻が上下主従関係ではなく、また権利と義務の関係でもなく、対等な相対関係であるのと同義です。


従って、エバ国家がアダム国家に一方的に貢ぐなどという考え方は教義には一切なく、相互に与え合い、愛し合い、父母として世界を生み返すという役割を持った愛と美の関係であるというのです。即ち、罪を犯した日本が韓国に償いの貢物を捧げなければならないことが教義に組み込まれている

などという、いわゆる反日的自虐思想は教義のどこにもなく、UCが反日団体であることを植え付けんがための、マスコミの印象操作であることは明らかです。


しかし、この国家的役割は、あくまでも相対概念であり、役割を果たすことができなければ、神はその国を捨てて新たな摂理国家を立てられるというのです。これは、イエスを十字架に架けたイスラエル選民が、選民としての資格を失い、イスラエルに代わってキリスト教が新たな選民、即ち第二イスラエルとして立つようになった歴史を見ても明らかです。


原理講論予定論には、神の創造目的を完成するための「み旨」に対する神の予定は絶対であるが(イザヤ46.11)、「み旨成就」はそれを担う人間の責任分担の遂行如何にかかっているとされています。(原理講論P241)。


以上のことから、選民とは神の旨を遂行する個人、宗教、民族、国家のことであり、 キリスト教では「選ばれた」ということは、他者よりも多くの責任を負い、より多くの自己犠牲を義務づけられていると考えられています。即ち、「み旨を行う信徒が選民であり、み旨を行う宗教・国家が選民である」というのです。韓鶴子総裁もWCLCの集会で、世界の牧師、聖職者を前に、「ここに集まっておられる皆様こそ、神の選民であります」と語られました。


<母性国家日本>


日本が母性的な国であることは、久保木修己元UC会長や内村鑑三を始め多くの識者が論じています。


先ず古来日本は、「天照大神」という女性神が国家神として祭られ、争いを避け「和と清浄を尊ぶ」という母性的(女性的)な精神文化を有しています。


次に、地理的に言って、日本は島国の海洋国家であり、「母なる海」との言葉があるように、古来海洋は母または女性を比喩してきました。逆に大陸は男性を象徴しており、文鮮明先生は次のように言われました。


「地球は、陸地と海でできていますが、今日の科学は、海を舞台として最も単純な最初の生命が誕生して広がったと説明しています。これは、海が生命を身ごもる母の役割を果たしてきたことを物語っています。このような理由から、海を女性の象徴として考えるならば、陸地は当然、男性を象徴するものと考えることができます。したがって、海洋に位置した島嶼国家は女性を表す国家であり、大陸国家および大陸に連なっている半島国家は男性を表す国家であると言えます」(『平和経』同P1365)


また日本に対する摂理観として、次のように語られています。


「第二次世界大戦後、キリスト教が再臨のみ言を受け入れておれば、本来キリスト教国で島国の海洋国家であるイギリスがエバ国家として召される筈だったのです。結局、世界のキリスト教が先生を拒絶し、責任を果たせなくなることによって、エバ国家(母の国)になるべきイギリスの代わりに、同じ海洋国家である日本が選ばれました。日本の文化圏は英国の文明圏でもあるのです。英国のすべての文明と制度を移し入れたのが日本なのです。アジアにおける英国のような国です。英国を中心として世界を制覇していたそのような時代を再現するのが日本なのです」(み言1987.6.14)


つまり、神様の中心摂理であるキリスト教圏とは関係の遠い日本ですが、天の特別な恩恵、即ち、文先生の強い推挙で選ばれたというのです(『平和経』同P1427)。


【神の言葉の普遍性ー福音は国境を超える】


ガラテヤ書3章28節に「もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」とあり、ロマ書3章29節には「それとも、神はユダヤ人だけの神でしょうか。異邦人の神でもあるのではないでしょうか。そうです。異邦人の神でもあります」とある通り、そもそも天地を創造された神は、一民族、一国家の神ではなく、人類全体の神であり、神の言葉は民族と国家を越えた普遍的な真理であります。


「わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする」(使徒13.47)とある通り、キリスト教が、異邦人の使徒パウロによって、ユダヤ民族宗教を乗り越えて、世界宗教へと脱皮したように、イエスの福音は地上にイスラエル王国をつくることではなく、神の国を作ることにありました。「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。(マルコ16.15)とある通りです。


<世界主義、神主義に立つ文鮮明先生>


そして文鮮明先生は次のように語られており、文先生の思想が民族主義ではなく、世界主義・神主義であることは明らかです。


「統一教会の目的は、超民族的、超国家的、超宗教的理念に基づき、五色人種が永生を謳歌する人類一家族世界の歴史的聖業を成就することです」(『平和経』P1370)


「私たちは世界主義が必要です。神様も世界主義であるに違いありません。統一教会は、共産党よりもキリスト教よりも世界主義であることを理解させなければなりません」(み言1983年6月5日ベルベディア)


前述した通り、そもそも神の言葉は、絶対的であると同時に普遍的、全人類的なものであり、文先生の理想が、韓国王国を作ることではなく、神の創造目的である地球規模の地上天国を作ることにあることは明らかです。つまり、文先生は正真正銘の世界主義者、もっと正確に言えば徹底した「神中心主義者」であるという結論にならざるを得ません。


従って、マスコミが言うように、文先生が自虐史観を日本信者に植え付けている民族主義者などという報道は、見当違いも甚だしく、メシアの本質を知らない妄言であるばかりか、滑稽でさえあります。


<知日家・親日家文鮮明先生>


更に文先生は知日家・親日家でもあります。話の成り行きで、たまたま文先生が「日本には償いが必要である」と言われているのは、もっぱら戦前の日帝時代の日本についての一般論であり、戦後の日本への評価はこれとは全く異なるということです。韓鶴子総裁が岡山の大会に寄せた原稿の一節に、「日本は過去に誤ったことを認めなければならない」と言われているのも同義です。つまり、日本は経済的繁栄を遂げたとしても「奢ってはならない」といった宗教家としての「諌め」であるというのです。これらの諌言は、日本だけでなく韓国に対してもアメリカに対してもなされており、子を思う親としての戒めであります。


中国や韓国からすれば、第二次世界大戦は日本の「侵略戦争」であり、従って日本は戦犯国家であるということになり、逆に日本の保守派からすれば、大東亜戦争は欧米の植民地搾取からアジアを開放した「解放戦争」という認識になります。このような認識の違いはありますが、少なくとも太平洋戦争(大東亜戦争)直前の日本は、概ね軍閥による独裁、乃至は軍部による独走の様相を呈していたということは否定できません。


その意味で、確かに原理講論は、キリスト教と民主主義を標榜する連合軍国家を神側と評価し、全体主義のドイツや日本をサタン側と評価しています。また韓国を迫害する国として敵愾心を表現した場面が見受けられ、これらは日本の愛国者からすれば、公平さを欠く反日思想だと感じるのは無理からぬところです。


しかし、戦後の民主主義国家として生まれ変わった日本に対しては、文先生の言葉に反日的表現は一切ありません。むしろ戦後の日本に対しては神側に立つと評価され、現に日本人を忠孝のよき伝統を持つ民族として称賛し、実際日本は摂理上、イギリスに代わる世界の母国として祝福され大きく用いられました。人類歴史の表舞台に始めて立った日本の摂理的、歴史的使命について次のように語られています。


「このような文明史の推移を、神様の摂理として理解すれば、今日、天運の中心的立場に置かれている島嶼国家は、正に日本であると考えざるを得ません。日本は神様の摂理を通して、人類歴史の舞台に立ったのです」(平和経P1365)


また、明治維新以後から日露戦争までの、欧米列強に追い付け追い越せと切磋琢磨したこの時代の日本を、「アジアで唯一近代化に成功した国」として高く評価されました。


更に文先生がその本質において親日的である根拠を付け加えるなら、文先生は日本語が流暢であられること、早稲田の専門高等学校に留学されたこと(3年半)、その間日本の労働者・農民・貧しい人の友として共にごされ、卒業後は鹿島建設に就職されたことなどを挙げることができるでしょう。このように文先生は、誰よりも日本を知り尽くした知日派、親日派であります。


そして終戦後は、蒋介石に手紙を書き、日本を4島に分断してはならないこと、日本から「戦争賠償金をとるべきではない」ことを訴えられ、蒋介石から「恨みに報ゆるに徳を以てす」(老子六三章)という言葉を引き出されたというのです(三時代大転換四位基台の入籍統一祝福式、2004年9月26日) 。実際、文先生は「日本留学は怨讐の国である日本民族を滅びるようにするためではありませんでした。日本に行っても、日本人を誰よりも愛しました」と語られています。


また文先生は、「日本による韓国併合は、再臨摂理のための経済基盤、社会基盤を造成するために、神が後押しした」と言われ、「あのまま李王朝が続いていれば、間違いなく私は殺されていた」とも語られました。一見、日本の韓国併合を神の摂理と見ておられた一面があることに留意しなければなりません。


【UCは愛国団体ー国際勝共連合の設立】


ところで、UCが反日団体だとマスコミは喧伝していますが、UCが、左翼や左傾マスコミのような反日団体どころか、愛国団体であることは、以下に実証する如く明らかです。それは、日本の最大の危機要因であった共産主義と命がけで戦い、日本の平和と安全に深く寄与し、日本の歴史と伝統を守護してきた実績があるからに他なりません。即ち、勝共運動と国民精神復興運動であります。以下、その主だった要点を列挙いたします。


a.1968年4月1日、UCが母体となって、「国際勝共連合」が設立されました。大学や革新自治体などに左翼が進出し、猛威を奮い始めた時代であり、また米ソの冷戦の激化やベトナム反戦運動も無視できない状況にありました。「このままでは日本が滅びる」との愛国者としての危機感と、「神を否定する哲学を許せない」という宗教人としての信念から、「共産主義は間違っている」とのスローガンを掲げて、大学や街頭での宣伝や黒板講義など、草の根的な勝共運動をスタートさせました。


勝共運動とは、唯物論と階級闘争に基づく間違った共産主義イデオロギーと正面から戦い、これを克服すると共に、共産主義の本質を「神を否定する思想」、即ち「神への反逆の思想」と捉える社会啓蒙(教育)運動でもあり、従って「神を復権する愛国運動」であります。


b.1970年9月20日、日本武道館に2万数千人を結集し、勝共連合が中心となってWACL(世界反共連盟)世界大会を開催しました。この大会は海外53カ国250名もの参加を得て、勝共運動が国内外に認知されるきっかけになりました。


大会議長の久保木会長は平和宣言を読み上げ、共産主義と戦う最大の武器は、「愛と勇気と許し」であり、「神の神による神のために平和」こそが最大の目的であることを宣せられました(久保木著『愛天愛国愛人』P119)


久保木会長は、この大会と前後し、次々と世界の要人に会いました。1970年9月2日、朴正煕韓国大統領との会談、1971年5月14日、蒋介石総統との会談、同6月14日、パウロ六世ローマ法王と会見などです。


c.その後勝共運動は、日本共産党に「公開質問状」を突き付け「理論戦」を展開していきました。唯物思想との戦いで、共産主義の思想的根源にメスをいれない限り、根本的な解決はないとの信念からであります。 また1973年から1974年にかけて、久保木会長の天啓により、全国124ヵ所で「救国の予言」と題する講演会が開催されまれた。


d.1978年の京都府知事選では、左翼の蜷川京都府知事を命がけで打倒し、勝共連合の名を高めました。


e.1979年2月、宇野精一東大名誉教授を議長に「スパイ防止法制定促進国民会議」を発足させ、各地に都道府県民会議が結成され、全国過半数の地方議会で「スパイ防止法制定促進決議」を成立させ、「国家機密法」成立の一歩手前まで盛り上げました。


f.1984年9月から11月にかけて「日本の平和と安全を守る7大都市勝共国民大会」が開かれ、10月30日の「世界の平和と安全を守る東京大会」は日本武道館に3万人が結集する大盛況となりました。


g.1987年には日韓安保セミナーが開催され、1988年には参加者が1万人を突破し、韓国政府から表彰されました。


h.1990年前後には、衆参両院に200名近くの「勝共推進議員」と呼ばれる議員がいたと言われ、その決起大会には約150名もの国会議員が集結し、安倍晋太郎議員が代表して祝辞を述べられました。


こうして勝共運動は、全国民に共産主義の間違いを知らしめ、日本を共産主義の脅威から守る防波堤になりました。また、世俗的ヒューマニズムの欠陥を指摘し、日本人の精神復興に寄与いたしました。これらは正に愛国運動そのものであります。


現在、勝共連合は次の標語を掲げて活動しています。


1.救世救国基盤の造成

2.日米韓結束でインド・太平洋を守る

3.北朝鮮の核・ミサイル開発と中国共産党の派遣主義の阻止

4.国内外の共産主義と闘う

5.憲法改正の推進


これらのスローガンは正に国を思う思想から出たもので、このような明確な方針を持った団体は他にあるでしょうか。識者の中には、これらは保守の仮面をかぶって国に食い込む手段、即ち正体を隠した浸透であり、実際は反日団体なのだといったことを言う人がいるようですが、彼らこそ似非保守、言葉だけで行動が伴わない曲学阿世の徒であります。


【余話ー二世の概念について思う】


おしまいに「二世」という言葉の概念を整理したいと思います。


最近、UC内部で、「これからは二世の時代」と言われ、二世の奮起が期待されていますが、二世と言う場合、二つの概念があるように思います。一つは宗教二世、即ち祝福家庭の子女たちのことを指す言葉であり、もう一つは若い世代、即ち祝福二世を含む次世代を担う若手のことを指す言葉です。


筆者が感じるところによれば、UC内で使う二世とは、即ち祝福二世のことを指し、二世の時代とは祝福二世の時代という意味を言っているように感じられます。


しかし、次世代を担う若い世代には、祝福二世だけでなく、大学の原理研究会などから信者になったような祝福二世ではない青年たちもいるのであり(一世?)、UC内で使われている二世の時代という言葉が祝福二世のことだけを指すなら、そうでない次世代の青年を差別・排除することになりかねません。


従って、二世という紛らわしい言葉を使うのではなく、「次世代を担う青年」といった言葉を使うべきだと老婆心ながら思います。つまり、祝福二世ではない青年たちのために、十分な配慮が必要だというのです。


以上、木原事件の本質、UCは愛国団体であること、そして二世の意味について論評しました。(了)


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