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つれづれ日誌(令和4年6月1日) メシアの本質とキリスト教のメシア観① 緊急提言 「金振春氏の論文に反論する」

◯つれづれ日誌(令和5年6月1日) メシアの本質とキリスト教のメシア観① 緊急提言「金振春氏の論文に反論する」


最近、筆者のもとに、清心神学大学院教授の金振春(キム・ジンチュン)氏が、4月19日から2日間にわたり清平修練苑で行われた特別講義の合間に語ったという内容について、何人かの信徒から質問が寄せられました。彼は4月19日、独り子・独り娘関連の講義を終えた後、合間に約15分間にわたり、お母様が語られたという「こぼれ話し」をしたというのです。


例えば、「独生女の本質とお母様の本質的な使命と価値」について、しっかり教えておいて欲しかったこと、来年の天苑宮建立までに真の父母の尻尾(悪い噂)を整理し、みんなが瑕疵のない立場で天の父母様に侍りたいこと、などです。


お恥ずかしいことに、筆者は金振春氏がどういう方なのかさっぱり知らず、従って彼が「真の父母」についてどういうことを主張しているのか、知るよしもなかったのです。そうしてようやく彼が書いた36ページに渡る論文「独り子独り娘としての真の父母」 (以下、「論文」と呼びます)を手に入れ、これを精査することになりました。


この論文は、2017年2月7日、孝情学術苑創立総会国際学術シンポジウムにて金振春氏が研究発表を行った内容で、その主張は今も維持され、この内容で講義されているようです。ちなみに、ここに出てくる「独り子」「独り娘」とは、「無原罪誕生のメシア」のことを意味します。


筆者は金氏の論文を読んで、正直、「腰を抜かすほど仰天」しました。そこで今回、筆者が 仰天した箇所について、やむにやまれず吟味することにしました。但し、ここで断っておきますが、この拙文において述べる内容は、あくまでも筆者の個人的な見解であり、筆者の信仰告白であります。従って、異論・反論は歓迎いたします。


【金振春氏の論文の骨子とその検証】


筆者が金氏の論文を読んで、仰天した箇所とは、文鮮明先生(以下、「お父様」と呼びます)に関するいわゆる「原罪論」であります。金氏は、お父様について次のように明記しました。


a.真のお父様が完全に原罪を持たずに生まれたとは、言い難い。


b.真のお父様は、天の血統の一面も持っておられるので、堕落した血統しか持っていない普通の堕落人間とは全く違う生まれ方をされた。


c.真のお父様は天の血統だけを持つメシアの使命に定められ、メシアになる可能性を持って生まれて来られた。(以上、論文P23)


d. これらの点を総合的に考えると、いつ真のお父様が独り子となり、原罪がなくなったのかと言えば、お生まれになった時ではなく、神様の召命に応じてメシアの使命を受けた16才の時であったことが理解できます。(同P26)


上記の理由として金氏は次のように記載しています。


曰く、「真のお父様は16歳のとき、復活されたイエス様を通して神様からメシヤの使命を受けて、メシヤの立場に立つようになりました。その結果、真のお父様はメシヤの地位と権威を受け、復活されたイエス様と共にメシヤの使命を開始されました。また、神様の血統だけを受け継ぐ立場に立つようになり、原罪のない立場になりました」(論文P21)


「もし、真のお父様が使命を継承せずに生まれながらにしてメシヤの立場に立つのであれば、イエス様の初臨と同じように血統転換の過程が必ず必要だったでしょう。しかし、真のお父様は、初臨のイエス様の復活により、神様から再臨のメシヤとしての地位と権威を与えられたので、そのような血統転換の過程は必要ありませんでした」(論文P21)


即ち、前記の通り金氏は「文先生は16歳の時にイエス様からメシヤの使命を受け、独り子になり、その時に無原罪になった」と明記し、お父様原罪誕生論を明記しました。


【何故、お父様は無原罪誕生のメシアなのか】


これら金氏の主張は、聖書やキリスト教神学に慣れ親しみ、成約聖徒として培ってきた筆者の信仰的確信、即ち、「キリストは無原罪の救い主として誕生され、世の罪(原罪)を取り除かれる方」という信念と大きく乖離し、到底受け入れがたい主張であります。


以下、上記金氏の主張に反して、何故、お父様は無原罪で誕生されたメシアなのかをいくつかの観点から実証したいと思います。


<聖書的メシア観より>


先ず、聖書や原理講論が予定するメシア像は、正しく「無原罪の神のひとり子」であり、そして、先ず罪なき本然のアダムが誕生し、そして本然のエバを予定しています。


筆者は、神から創造されたエデンのアダム・エバが、罪なき無垢の、即ち、「無原罪の男女」であったように、第二アダム、即ち後のアダム(1コリント15.45)であるイエスと聖霊、第三アダム・エバとして来られたお父様とお母様も、当然、生まれながらの無原罪のキリストとして誕生されるというのが聖書や原理講論が示すメシア観であると確信しています。


「見よ、わたしは、すぐにくる」(黙示録22.7)、「義と神の言葉を携えて白い馬に乗って来られる方」(黙示録19.11~13)、との託宣が予定する再臨は、罪の血統にまみれた地から来る者ではなく、天から遣わされる原罪なきメシアであることは明らかです。誕生の時は原罪があり、イエスによる召命により、途中からイエスの地位を相続して無原罪になったなどという金氏の主張は聖書的ではなく、いかにも恣意的な論理の飛躍があり、メシアの価値を引き下げる暴論と言わざるを得ません。


メシアは、人間の責務としての歴史的な「蕩減復帰の原則」を満たした時、神が遣わす方であって、人間的な事情によって地からもたらされる方ではありません。即ち、メシアは地の条件(原理では「メシアのための基台」と呼んでいる)が満たされたとき、神の責任によって降臨される方であり、その愛・生命・血統は神に由来します。原理講論に「第一次世界大戦においては、天の側の勝利によってメシヤ再降臨の基台が造成され、そのときから再臨摂理の蘇生期が始まったのである」(P545)とあるとおりです。


お父様も「イエス様は二人目のアダムであり、再臨主は三人目のアダムなのです。そして三人目のアダムが堕落前の立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません」(「祝福家庭と理想天国」(1)P584~585)と明言されている通りです。


エレミヤ書1章4節~5節には、次のようにあります。


「主の言葉がわたしに臨んで言う、わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした」


これは預言者エレミヤの召命聖句ですが、ましてやメシアたるイエス(初臨)やお父様(再臨)の誕生は、聖書の数々の預言にある通り、天的な権威のもとに神から遣わされる神の子であり、正に神が予定し、神が選ばれて、聖別された母の胎に宿った「独り子」に他なりません。


<信仰告白より>


実は筆者は、既に10年ほど前、アリゾナ州セドナの山上にある「聖十字架教会」礼拝堂において、「原理が究極的な宗教真理てあり、お父様が、無原罪のメシアとして降臨された再臨主である」ということを神の前に信仰告白いたしました。これはもはや筆者の動かざる信仰的事実であります。かって韓国元老牧会者の名で「ひとり子、独生女についての見解」という声明を発表されたことがありますが、その一節に次の言葉がありました。


「究極的な宗教的真理(の認識)は信仰告白によって可能になる」


正にこのフレーズは、筆者が理性を越えてキリストの無原罪性を認識した言葉です。筆者は、この言葉に導かれて、奇しくもトマス・アキナスやヘンリー・シーセンが吐露した「理性の彼方にある神の神秘・キリストの神秘」を認識する道を見出だすことになりました。


今日に至るまで、イエス・キリストが無原罪のメシアであることを、神学的に証明し得た神学者は、今だ誰もいません。金振春氏も同じであります。 即ち、「罪ある堕落した女性の中から、何故罪なきメシアが生まれ得るか」という命題は最も難解な聖書の奥義であり、神学上最大の難問と言えるでしょう。


では、如何にしてこの真理を認識すればいいのでしょうか。それが「信仰告白」だというのです。私たちは、信仰告白によってイエス・キリストが無原罪のメシアであることを認識できるというのです。神の神秘、キリストの神秘は、理性と神学を超越した、この「信じる信仰」により可能になります。


同様に私たちは、お父様が無原罪のメシアとして誕生した再臨のメシアであることを信仰告白によって知ることが可能になります。そして、この方法以外に道はありません。 「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」(ローマ書10.10)とある通りです。


もっとも復帰摂理における長子権復帰と血統転換の法理において、何故マリアにおいて無原罪のメシアが懐胎し得たのかは、タマルを中心とした血統転換のお父様のみ言によって、ぎりぎりまで解明されています。この「血統転換の法理」は、正に七つの封印を紐解いた「ダビデの若枝」(黙示録5.5)の業であり、聖書の奥義を明らかにした驚くべき啓示であります。


では七つの封印を解いて、聖書の奥義を明らかにされた方は誰でしょうか。その方こそ、聖書が預言する「罪(原罪)なき神の独り子」として来られたお父様に他なりません。


<お父様のみ言より>


お父様のみ言の中には、随所に聖書が預言する「罪(原罪)なき神の独り子」についての言葉があります。以下、その一端を記したいと思います。


「再臨主は、既にイエスの時まで神側が勝利した根本基台の上に臨在されます。即ち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上にまっすぐに立たれ、イエス様が果たせなかった新婦を探し出し、真の父母になられ、万民を救って下さるのです」(「救援摂理歴史の原理観」平和経P125)


「お父様は、タマルの絶対信仰によってペレヅとゼラが胎中で実体基台を勝利したその『胎中聖別』の勝利圏をマリアが相続してイエス様を生んだように、その勝利圏は、再臨時代においても継承され、生きていると語られました」( 周藤健著『成約摂理解説』光言社P194)


つまり、マリアがタマルの胎中聖別の勝利の上にたち、胎中聖別を経ずしてイエスを生んだように、再臨主の母(金慶継女史)はタマルとマリアの勝利圏、即ちイエスの時まで神側が勝利した根本基台の上に立たれ、胎中聖別も二人の女性(レアとラケル、エリザベツとマリア)の介在も必要とせず、無原罪の再臨主を身籠られたというのです。


お父様は、「世の中では文総裁について、『人間は堕落したので、文総裁も堕落した血筋だ』と考えているのですが、それは違います。(「平和の主人、血統の主人」P47)と明言されています。また、「イエス様は二人目のアダムであり、再臨主は三人目のアダムなのです。そして三人目のアダムが堕落前の立場で来て、堕落前のエバを探し出さなければなりません。堕落していないエバを探し出して、子羊の宴会をしなければなりません。結婚して人類の父母となるのです」(「祝福家庭と理想天国」(1)P584~585)とも語られました。


更に、1994年、イーストガーデンで体験された周藤健氏の証言があります。


周藤氏が「お父様は堕落前のアダムの立場でお生まれになったと信じていますが、そのような理解でよろしいでしょうか」と聞いたところ、お父様は、「そうだ」と明言されたというのです。( 『成約摂理解説』P192~193)


即ち、再臨主はイエス様が果たせなかった復帰摂理を完成するために「真なる本然の赤ん坊の種」として来られ、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源になる真の父母の理想を完成するために来られるというのです。即ち、真のお父様は1996年4月16日、ワシントンDCのヒルトンホテルで行われた「ワシントンタイムズ財団」創設記念会で「救援摂理史 の原理観」と題して講演され、政界・宗教界・言論界のVIPに対して、イエス様再降臨の目的を明確に解き、「創造理想を完成する真の本然の赤ん坊の種として来る」と語られ、再臨主の無原罪誕生の真実を数か所において語られました(「救援摂理史の原理観」平和経P125) 。


例えば「救援摂理史の原理観」には、更に次のように明記されています。


「真の愛と生命の種を持ったアダムを失った神様は、サタンの讒訴条件のない新しい種をもった息子を探して立てなければなりません。神様が人間を創造するとき、アダムを先に造ったように、再創造摂理である復帰摂理も、堕落と無関係な息子を先に立てなければならないのです。これがメシア思想の根本です」(平和経P118~119)


この「救援摂理史の原理観」は、「ワシントンタイムズ財団」創立記念特別講演として、学者、政財界VIPの前で語られたみ言であり、極めて公的で信頼性が高いみ言であります。このお父様の「救援摂理史の原理観」で語られた再臨観は、『天聖経』の神論・父母論の中でも繰り返し同様のことが述べられていますのでご確認下さい。


しかるに金振春氏は、「お父様は、天の血統を持って生まれたというみ言もあれば、一方では、堕落した血統を持っていると語られたこともあり、このことは、生まれたときにサタンからの讒訴がなかったとは言い難く、彼に原罪が全くなかったとは言い難い」(論文P21)などと、お父様原罪誕生説を唱えています。これは金氏に聖書的、原理的理解が欠如していることを自ら暴露している証左です。


金氏は、自ら「天一国三大経典」「文鮮明先生御言選集」「原理講論」を徹底的に研究し、できるだけ多くを引用したと主張しています。しかし、そもそもお父様のみ言には、同じテーマでも、時と所、語る対象や事情によって、まるで正反対のことを語られることがしばしばあり、これらは総合的、脈絡的にバランスを持って解釈しなければなりません。この点、金氏の引用には、自説を正当化するために、 恣意的な引用、偏った解釈が見られ、その典型例が「彼に原罪が全くなかったとは言い難い」「メシアになる可能性を持って生まれてきた」などとの憶測を交えた、曖昧でまっとうな根拠もない決めつけであります。


金氏は、「お父様が生まれた時に天命を受けられたということは、御言選集に1回も書かれていない」(論文P18)などと言っていますが、全く的はずれの認識であり、天命を受けて誕生されたみ言は、前記の「救援摂理史の原理観」「天聖経」など随所に見られます。ちなみに真の御父母様の生涯路程 1「天が準備した直系の子女の血統」には、次のように記録されています。


「私は種子がちょっと違います。私の先祖がちょっと違うのです。先生は、天が私を生まれるようにする時に、既に血統を通して準備したのです」


また、夜の神様(天地創造以前の神)、昼の神様(創造後の神)についてのみ言の中で、次の通り語られています。


「私は夜の神様から、君たちは昼の神様から出てきた。私は神様の種、即ち神の精子から出てきた」(2012年1月8日、「天地人真の父母様国民支持世界大会」み言)


<再臨主誕生の背景と予兆より>


さてお父様の母金慶継(キム・ギョンゲ、忠母、1888~1968)様は、マリアと同じ立場を絶対信仰で勝利した豪胆な女性であり、父文慶裕(ブン・ギョンユ)様は、学者風の律儀な方だったと言われ、両者由緒ある家系でした。


また大叔父文閏國(ブン・ユングク)氏は、牧師であり、独立運動の指導者として獄中生活を経験され、1919年4月に設立された上海の「大韓民国臨時政府」に多額の財産を寄付されたと言われています 。(『真の父母経』第一章第二節「真のお父様の家系」)


そして忠母様がお父様を身籠られたのは、正に3・1独立運動(1919年3月1日~5月)の最中であり、時満ちて1920年陰暦1月6日(陽暦2月25日)に、お父様は誕生されました。この時代は、奇しくも日本では、内村鑑三らの再臨運動(1918年1月~1919年6月) が勃発していました。この再臨運動は、メシア誕生の明確な予兆と言っていいでしょう。正に時は満ちていたのです。


1919年3月1日、いわゆる3・1独立運動が勃発し、平安北道は独立運動の激戦地で、その最中、獄中死した柳寛順(ユ・クァンスン、1902~1920)は、メシア誕生のための「贖罪の羊」と言われています。また上海で「大韓民国臨時政府」の樹立を宣言しましたが、この臨時政府は、当時日本の主権下にあった朝鮮にあって、メシアのために朝鮮民族の国家主権の存在を象徴的に明示する摂理的要請だと言われています。即ち、3・1独立運動が内的な主権宣言だとすれば、上海臨時政府は外的な独立主権の象徴だというわけです。


文閏國氏の刑が確定した1919年6月20日は、独立運動の最も熾烈な時であり、文閏國氏の親族は官憲に狙われる対象でありました。また忠母様が受胎するまえは、三年続いた凶作であり、神の啓示、天の兆候が多々あったと言われています。そのような未曾有の困難の中、生死を越えた絶対信仰によって文先生を身籠ったというのです。金慶継女史は、正にタマル、マリアの絶対信仰を相続した女性でした。


また忠母様が出産する前には、母の実家の帝釈山に「黄金の龍」が現れ、山腹を回りながら昇る情景をまざまざと目撃したと証言されています。こうしてお父様誕生の前後には、その切迫した時代背景と共に、再臨主誕生の予兆が多々ありました。(『成約摂理解説』P178~194)


文先生の 家系は功績多い南平文氏で、人のために生きる家系だったと言われていますが、お父様の15才までは、5人の子供が死ぬなど、家庭的、氏族的災難が頻発しました。 メシアを迎えるために、文家は蕩減の道を余儀なくされたというのです。



こうして見て来ますと、無原罪の再臨主を産み出すための明確な神の生きた摂理を感ぜざるを得ず、一体誰が「真のお父様が完全に原罪を持たずに生まれたとは、言い難い」などと言えるでありましょうか。 正にお父様の懐胎、誕生に、神が介入されたことは明らかです。


メシアの予定に関して、原理講論予定論には次のように書かれていますが、お父様は正にその人であります。


「それでは、このように、召命を受けた中心人物は、いかなる条件を備えるべきであろうか。彼はまず、復帰摂理を担当した選民の一人として生まれなければならない。同じ選民の中でも、善なる功績が多い祖先の子孫でなければならない。同じ程度に善の功績が多い祖先の子孫であっても、その個体がみ旨を成就するのに必要な天稟を先天的にもつべきであり、また、同じく天稟をもった人間であっても、このための後天的な条件がみな具備されていなければならない。さらに、後天的な条件までが同じく具備された人物の中でも、より天が必要とする時機と場所に適合する個体を先に選ばれるのである」


さてこうして見てきましたように、お父様が無原罪のメシアとして誕生されたことは明らかであり、今、荒唐無稽なお父様「原罪誕生論」を主張することに、一体如何なる実益があるというのでしょうか。いたずらに篤実な信徒の信仰に混乱をきたすだけであり、「百害あって一利なし」と言わざるを得ないものです。


【金振春氏の論文の問題点について】


ここで、金振春氏の論文の中で、気になった点について、筆者の見解を再確認しておきたいと思います。


<問題点とその応答>


金振春氏は、「お父様は、天の血統を持って生まれたというみ言もあれば、一方では、堕落した血統を持っていると語られたこともあり、このことは、生まれたときにサタンからの讒訴がなかったとは言い難く、彼に原罪が全くなかったとは言い難い」(論文P21)などとと明記しています。


また、「お父様は、天の血統で生まれたというみ言と、堕落した血統で生まれたたというみ言の両方があるので、宿命に基づいて、メシアになる可能性を持って生まれてきたと理解できます」(論文P26)とあります。


この金氏の言葉ほど、身勝手な推測に基づいた発言はなく、何の確かな根拠もない単なる憶測にしか過ぎません。お父様のみ言には、お母様についても同様の相反するみ言があることは知られている通りであり、この論法がまかり通るのなら、お母様も原罪がなかったとは言い難いということになってしまいます。


また、「メシアになる可能性」とは、なんと不遜であいまいな言葉でしょうか。これは、金氏が、「神の言葉の受肉」といった聖書的なメシア観に疎いということを示しています。


次に問題になるのは、「真のお父様は16歳のとき、復活されたイエス様を通して神様からメシヤの使命を受けて、メシヤの立場に立つようになりました。その結果、真のお父様はメシヤの地位と権威を受け、復活されたイエス様と共にメシヤの使命を開始されました」というフレーズです。


1935年4月17日16才の時、イエス様から受けた内容は、「地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい」(自叙伝『平和を愛する世界人として』P62)との託宣であり、イエス様がやり残したみ旨を果たして欲しいという「使命の継受」であり、お父様においては回心体験であって、原罪を清算する儀式ではありません。


また「イエス様から天の血統と原罪のない独り子の地位を受け継いだ」(P26)とありますが、このイエスによる召命が如何なる根拠で無原罪になるというのでしょうか、イエス様にそのような権限が与えられていたというのでしょうか、あまりにも荒唐無稽な話しです。 このイエスの召命は、神がモーセに「さあ、わたしは、あなたをパロにつかわして、わたしの民、イスラエルの人々をエジプトから導き出させよう」(創世記3.10)と言われて、神がモーセを召命された「使命付与」の場面と同じです。


即ち、イエスによる召命は、聖書的な伝統、あるいはキリスト教の使命を引き継ぐための召命であって、原罪を清算してメシアになる儀式ではありません。


更に金氏は、「真のお父様が使命を継承せずに生まれながらにしてメシヤの立場に立つのであれば、イエス様の初臨と同じように血統転換の過程が必ず必要だったでしょう」と言っていますが、これも見当違いです。上記したように、お父様は、既にイエスの時まで神側が勝利した根本基台、即ち血統転換した立場の上に立たれ、タマル、マリアの勝利圏を相続した母の胎中に宿られたのであり、そもそも改めて血統転換の過程は必要ではありません。


それにしても、これを書いた金振春氏の動機と目的は何んでしょうか。金氏の論文の大半が、お父様のみ言からの引用であり、イエス様の召命を異常に強調する割には、聖書からの引用がないのが気になります。


<お母様に関する言及について>


但し、金氏の論文の内、26ページ~33ページのお母様の独り娘に関する言及については、血統転換を必要としたか否かといった若干の論評を除けば、お母様が清められた血統のもとに、無原罪の独り娘として誕生されたという金氏の見解については、異論はありません。


韓国元老牧会者見解には、「文先生は、ひとり子だけでなく、ひとり娘という言葉も度々使われており、み言葉選集の中で独生女について180回も言及されています」 (2016年11月)とある通りです。


また、お母様自身も、著書「平和の母」の中で、自らの若き日が「天の独り娘として、天の独り子に出会うための準備だった」(P100)と告白され、「私は文総裁を(無原罪の)独り子として迎え、神様のみ旨を成してさしあげると決心しました」(P114)と記され、1960年を「神様の最初の息子、娘である独り子と独り娘の聖婚がなされる祝福の年でした」(P117)と明記されています。この、紛れもない公式のお母様の著書での「文先生無原罪誕生宣言」こそ、他の何ものにも優る証言と言えるでしょう。


【一致と大同団結の方案】


さて最後に筆者は、統一食口の大同団結のために、一つの提案をしたいと思います。それは「真の父母無原罪論」とも言うべき提案です。


既に論じてきたように、筆者は真のお父様・お母様の無原罪誕生を信じる者ですが、金振春氏を含め、また統一家内外を問わず、これらについては、色々議論があるところだと認識 しております。 最近、金栄輝氏が『摂理の真実』という本を出版され、「神様の原理的定義」(P145~P168)の項において、唯一の父なる神様、即ち神は男性格主体の父なる神で、神はお一人であると強調されたあと、次のように明記されました。


「メシアは神様を代身する完成したアダムとして来られ、堕落した女性の中から新婦を選んで、原罪のない女性に復帰し、メシア夫人の立場に立てて、真の分母の位置に立たれるのである」(P153)


この金栄輝氏の議論は、独生女論の神学と真っ向から衝突いたします。即ち、金氏の著書『摂理の真実』では、独生女、つまり無原罪誕生のひとり娘は聖書的ではないとされ、これを否定されていますが、これは金振春氏の論文や周藤健氏の著書『成約摂理解説』による独生女誕生論と異なります。


筆者としては上記に述べた通り真のお父様・お母様の無原罪誕生を信じる者ですが、主体であるお父様に対する「無原罪誕生のメシア観」さえしっかりして明確であれば、主体が立てば自ずと対象も立つとの原則がありますので、無責任に聞こえるかも知れませんがあまり目くじらを立てることもないというのが筆者の正直な感想です。


何故なら、いずれにせよ、聖婚されて「無原罪の真の父母」として立たれたことは、原理観として、分派を含む衆目が認めているところであり、この「真の父母」を起点にして出発することが賢明だと思うからです。つまり、1960年4月11日、お父様とお母様が聖婚式を挙行されましたが、ここにおいて名実共に「無原罪の真の父母」として立たれ、「霊肉の重生摂理」を始められたという事実であります。そしてお母様は、キリスト教時代においては、神様の男性格である「天の父」でしたが、神様の女性格である「天の母」の立場は隠され、神様は「天の父母様」になることが出来なかったと指摘され、天の父母様の立場を取り戻して差し上げたいと語られています(著書『平和の母』P4)。このお母様の言葉は、神の二性性相から見て、当然の結論だと思います。


そして2010年6月ラスベガスにおいて真の父母御夫妻は、「最終一体を成し遂げ、完成・完結・完了の基準で全体・全般・全権・全能の時代」を宣布奉献され、天地人真の父母様の特別宣布が行われました。この宣布を受けて「天地人真の父母定着実体み言宣布」の大会が各地で行われ、ここに、過去にも未来にもない、ただワンカップルの唯一の真の父母が確定・定着しました。


従って私たち統一信徒は、一列に並んで「無原罪の真の父母」という一点から、一斉にスタートできるというのです。 即ち私たちは、1960年に誕生し、2010年に確定・定着した「真の父母」という一点において、異論なく完全に一致でき大同団結できるというのであり、これこそ成熟した共同体の知恵であり、力であると思料いたします。要は、復帰摂理完成者としての文先生・韓女史という男女のカップルが、無原罪のメシアであり、それは1960年の聖婚によって「真の父母」として誕生したという事実が重要だということであります。(了)  


家庭連合ポーランド宣教師 吉田宏

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