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徒然に考える お盆とは、靖国問題とは、札幌独立教会とは

  • 8 時間前
  • 読了時間: 14分

🔷徒然日誌(令和8年8月19日)  徒然に考えるーお盆とは、靖国問題とは、札幌独立教会とは

主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。(エペソ4.5~6)


プロローグ


昨年の終戦記念日には、満を持して靖国神社を参拝したが、今年の8月15日は、①お盆の意味とは何か、②靖国問題の本質とは何か、③信仰共同体の意義について、の3つのテーマについて、自宅で徒然にゆっくり考えて見た。


【お盆とは】


先ず第一にお盆の意味について考えたい。お盆(おぼん)とは、日本で夏季に行われる祖先の霊を祀る年中行事で、仏教と日本古来の祖霊信仰が融合した行事である。お盆は8月13日から16日に行われることが一般的だが、地域によっては7月13日から16日に行うところもある。即ち、お盆とは、毎年7月または8月に行われ、先祖や亡き親族を想起し、供養する行事で、仏教や神道の考え方が基本になっている。


<お盆の起源>


お盆は「宗教行事」であると同時に、日本の「年中行事・風習」でもある。サラリーマンにとっては夏の休暇ということにもなる。ただ、歴史的な起源まで遡ると、仏教的な宗教行事と言える。


仏教用語の「盂蘭盆」(うらぼん)は「お盆」の正式名称で、「お盆」は、仏教の「盂蘭盆」に由来する。『盂蘭盆経』によると、釈迦の弟子である目連が神通力によって亡き母を見たところ、母は餓鬼道で苦しんでいた。目連は母を救おうとしたが、自分一人の力では救えず、釈迦に教えを乞い、その教えに従って僧侶たちに供養を行って、母を成仏させたという。そこから、亡くなった先祖・故人のために供養するという習慣が生まれた。従って、もともとのお盆は、単なる季節の風習ではなく、死者と生者との関係を仏教的に考える宗教行事だったのだ。


ちなみにサンスクリット語に由来する「盂蘭(うらん)」とは「逆さづり」という意味があり、地獄や餓鬼道に落ちて、逆さに吊るされるような苦しみを受けている状態を表す。盂蘭の後につく「盆」は本来、食べ物を盛る「器」を意味するが、合わせて「逆さづりの苦しみから救うための供養の器(法要)」という意味になる。


しかし、日本に伝わると、仏教の盂蘭盆に、もともと日本にあった祖霊信仰・先祖祭祀などが融合した。そのため現在のお盆には、先祖の霊を迎える、墓参りをする、仏壇に供物を供える、提灯を飾る、帰省する、送り火を焚くなど、仏教だけでは説明できない日本独自の風習が生まれたのである。


即ちお盆には、精霊馬(きゅうりの馬やナスの牛)でお迎えとお見送りをする、提灯(盆提灯)を灯して道しるべとする、家族で集まってお仏壇に供物を捧げる、などの習わしが行われ、またお盆の時期に、各地で盆踊りや花火大会などの伝統行事が催される。


<祖霊信仰が融合>

京都の五山送り火
京都の五山送り火

上記のように、「盂蘭盆」が日本に伝わり、やがて盂蘭盆 → 盆 → お盆と呼ばれるようになった。従って現在の「お盆」は、「盂蘭盆会」という仏教行事が、日本の祖先祭祀と結びついて発展したものと言える。


お盆の特徴的な風習が、迎え火 → お盆供養 → 送り火である。一般的には、迎え火で先祖の霊を家に迎え、お盆の期間、先祖を供養し、共に過ごす。そして送り火で先祖の霊をあの世へ送り返すという。京都の五山送り火なども、この「送り火」の代表的な行事である。


<キリスト教の「死者の記念」との比較>


このように、日本の伝統的なお盆では、「亡くなった先祖を迎え、供養する」という考え方が中心であるが、一方、キリスト教では、特にプロテスタントには、死者を「この世に戻ってきた霊として迎え、供養する」という考え方はない。


キリスト教では、死者を神に委ね、復活と永遠の命への希望の中で故人を記念(祈念)するという考え方に立つ。人間の救いは最終的に神の恵みとキリストによる救いにかかっていると考えるからである。また、先祖を神として、あるいは神のようなものとして拝するのは、偶像崇拝と見なされている。礼拝を受けるべきなのは神だけであるからである。出エジプト記20章には「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。」(出エジプト20.3~4)とある通りである。


ただ、「先祖を拝む」ことと、「先祖を敬う」ことは違うので、敬うことは偶像崇拝には当たらない。たとえば、先祖を偲ぶ、墓参りをする、先祖に感謝する、先祖の生き方を尊敬することなどは、必ずしも問題ではない。しかし、「先祖の霊には超自然的な力がある」「先祖が自分たちを守ってくれる」「先祖の霊に祈れば願いを聞いてくれる」「先祖に供物を捧げ、先祖の霊を慰める」「先祖を神格化して礼拝する」となると、キリスト教神学では問題になる。


しかしカトリックでは、11月2日の「死者の日」(万霊節)のように、死者を偲んで祈りを捧げる儀礼はある。だがそれは魂が現世に戻るという意味ではなく、「主よ、亡くなった信者たちを憐れみ、罪を赦し、永遠の命に導いてください。」という祈りに象徴されるように、亡くなったすべての人の魂が永遠の安らぎを得られるよう祈りを捧げる日である。


メキシコの死者の日
メキシコの死者の日

またカトリックには「煉獄」という概念があり、煉獄のキリスト者のために祈り、死者の魂の浄化 のための代贖を認めている。煉獄(れんごく)とは、死後に天国へ入るため、魂が火による清め(浄化)を受けるとされる「天国へ入る前の段階にある場所や状態」(中間霊界)のことである。


これらの根拠として、カトリックは旧約外典「1マカバイ記」の12章46節「彼は死者のために罪の贖いのいけにえを献げた。それは彼らが罪から解放されるためであった。」を挙げている。しかしルター派や改革派では「死後の状態を変えるために、生者が死者のために祈るという教理には聖書的根拠がない、人間は死後、神の裁きに委ねられる。」として煉獄思想を否定している。


上述したように、キリスト教では死者のために、残された人々が「神様のお導きがあるように」と祈るというアプローチを取る。つまり、お盆が先祖を迎えて供養するのに対して、キリスト教は故人を神に委ね、復活の希望の中で祈念するという違いがある。


<UCの先祖・霊界観>


原理には、イエス・キリストが来臨されることによって、善の先祖たちが霊形体級の霊界から生命体級の霊界に入ることができたように、再臨時代に入って、先祖が信徒子孫を条件に生霊体級(完成期の霊人体)に復活できる特別な恵沢圏に入ったという霊界観がある。


文鮮明先生は次のように言われた。「統一教会には霊界解怨式、先祖祝福式というものがあります。統一信徒が霊界に行っている自分の父母、兄妹、縁者を祝福してあげてこそ、天の家庭として神様に代わって侍ることができるのです。これは偶像崇拝ではありません。」(天聖経p.800)


そして先祖たちが霊界で百日修練会を通して新たな善霊になり、地上の子孫を通して祝福を受けて完全な霊になるという。文先生は「先祖を解放しなければなりません」と言われ、キリスト教と違って、「統一教会は先祖を祭ることを認めるのです。」(天聖経p.805)と語られている。


韓国には、先祖祭祀や墓参を行う「秋夕」(チュソク、旧暦8月15日前後の3日間)という行事があり、日本では「お盆」という風習がある。こういった時は、供物を供えて迎えるか否かは別として、亡き父母や先祖・縁者を想起し、想いを馳せて祈るよい機会かも知れない。


【靖国問題とは】


第二に靖国神社問題を考えて見たい。8月15日の終戦記念日、高市首相は靖国神社参拝を見送り、全国戦没者追悼式に出席するために訪れた日本武道館の駐車場から靖国神社に向かって「遥拝」(二拝二拍手一拝)をした。 そして高市首相は自民党総裁として私費で玉串料を奉納した。では、高市首相は、あれほど意欲のあった靖国神社の参拝を何故断念したのだろうか。


最大の理由は「中国との外交問題化」を避けることだったと言われている。高市首相はこれまで靖国参拝に積極的で、2025年8月15日にも参拝している。しかし首相になった現在、8月15日に靖国を参拝すれば、中国から強い反発が出ることはほぼ確実であり、「外交上の配慮」をしたと思われる。


しかし高市内閣の閣僚4人 (小泉 進次郎防衛大臣、小野田紀美経済安全保障担当大臣、城内実経済財政担当大臣、黄川田仁志沖縄北方担当大臣)が参拝し、また鈴木俊一自民党幹事長、有村治子総務会長、西村康稔選対委員長ら自民党幹部がそろって靖国神社を参拝した。バランスを取って日本の保守層にアピールし、保守層のつなぎ留めに配慮したのだろうか。


ちなみに安倍晋三元首相も靖国参拝に非常に強い思いを持っていたが、首相在任中の参拝は2013年12月26日の一度だけだった。安倍氏も、「参拝したい政治家としての自分」と「外交を担う首相としての自分」との間で相当苦悩したのであり、高市首相も今、その同じ問題に直面していると言える。 なお、トランプ政権との対中国外交戦略との整合に配慮したとも考えられる。


<靖国神社問題の本質>


靖国神社
靖国神社

では、中国は何故、首相の靖国神社参拝に拘るのだろうか。


中国が特に問題視しているのは、靖国神社が単なる戦没者慰霊施設ではなく、戦前の日本の国家神道・軍事動員と結びついていた施設であり、さらに東條英機らA級戦犯14人が合祀されていることである。つまり、首相・閣僚がそこを参拝することを、戦争責任のある人物を日本国家の指導者が顕彰する行為と受け取っているからである。


日本人の感覚では、「国のために亡くなった人々に感謝し、平和を祈る場所」、即ち靖国参拝は、祖国のために亡くなった戦没者(英霊)への慰霊・追悼という理解だが、中国側から見ると、「中国への侵略戦争を遂行した日本軍・政治指導者を祀っている場所」という妄想があり、ここに日中の歴史認識の違いがある。


そもそも靖国神社は、戦前は国家の管理下にある特別な神社だったが、現在は国から離れたどの宗教にも属さない単立の宗教法人(民間法人)で、主に「対外戦争の戦没者」と「明治維新前後の国事殉難者」など1853年以降の国事に殉難した人の霊246万6千柱を祭神として祀っている。


故に、誰を祀る(合祀する)かという最終的な決定権は、国家ではなく宗教法人である靖国神社(宮司や崇敬者総代会など)にあり、1978年10月にA級戦犯14人を「昭和殉難者」として合祀したのは、国家の助言があったにせよ、当時の靖国神社の判断によるものである。


<戦争史観問題>


更に中国が首相の靖国神社参拝を批判する理由には、先の大戦をどう捉えるかという戦争史観の問題がある。即ち、大東亜戦争(先の戦争について、ここでは「大東亜戦争」と呼ぶ)の歴史認識については、大きく侵略戦争と自衛戦争(あるいはアジア解放戦争)の二つの見方がある。


50年村山談話では大東亜戦争を侵略戦争と発言したが、一方、70年安倍談話では侵略という言葉は封印した。いつの時代でも、戦争には光と影はつきものであり、そろそろ戦後の戦勝国家史観(極東国際軍事裁判史観)から解放され、自虐史観を脱却すべきとの声が上がっている。 


日本国内において、左派は侵略戦争と主張し、保守は自衛戦争を主張する。シンガポールのゴー・チョクトン元首相、インドのサルヴパッリー・ラーダクリシュナン元大統領、ミャンマー(当時はビルマ)のバー・モウ元国家元首らは、「日本軍の占領は問題もあったが、しかし日本軍の勝利により、アジアを欧米の植民地支配から解放した」と語っている。


無論、日本の占領を手放しで良しとするわけではないが、日本軍によってアジア諸国の独立が進んだことは確かであり、日本の果たした役割は決して小さくなかった。国内外で、日本の戦争責任を追及する声があるが、大東亜戦争の責任が日本のみにあるという考え方は片手落ちで、大東亜戦争の本質を理解することはできない。(参照-靖国神社参拝記-靖国参拝は偶像礼拝か→ https://x.gd/0fuEm )


<靖国神社参拝は偶像礼拝か>


前記したように、靖国神社の祭神は246万6000柱の英霊だが、英霊は神そのものではなく「愛国の御霊」であり、靖国参拝は祖国のために犠牲となった同胞への慰霊・追悼であって、偶像礼拝ではなく、また戦争を美化するものでもない。


更には、東京をはじめ各都市での爆撃の犠牲者、沖縄における地上戦での犠牲者、そして広島、長崎での原爆投下による犠牲者への追悼でもあり、靖国神社はこれら戦争犠牲者の象徴と言える。従って、終戦記念日での靖国参拝は、これら戦争犠牲者全体への慰霊・追悼であり、偶像礼拝ではないと筆者は理解している。 


偶像礼拝とは、神仏像、祖先像、聖人像、獣像、さらには樹木や岩石などの形象物を崇拝すること、即ち神でないものを神として、あるいは神のようなものとして崇めることである。しかし前記したように、靖国神社の祭神はペリー来航以降の日本の国内外の事変・戦争等、国のために殉じた軍人、軍属等の戦没者であり、祖国のために殉じた愛国者の御霊であって、神そのものではなく、従って靖国参拝は神礼拝ではなく、偶像礼拝には当たらない。 


【強固な信仰共同体を!ー札幌独立教会に学ぶ】


第三に信仰共同体の意義について考る。最近筆者は内村鑑三著『余はいかにしてキリスト教徒となりしか』(岩波文庫)を読み直して、初期の札幌農学校時代の「信仰共同体」、そしてその延長としての「札幌独立教会」の信仰とその共同体の在り方について、大いに学ぶことがあった。これは、解散で教会堂を失ったUC信徒が、いかにして新たな教会を再建すればよいかについて、大変参考になる。  


<初期の信仰共同体>


             札幌バンドの青年たち


初期の信仰共同体「札幌バンド」の出発点はクラーク博士の自宅での聖書講座である。1876年、札幌農学校にW・S・クラークが赴任するが、クラークはわずか約8か月半でアメリカに帰国している。クラークは牧師でも宣教師でもなかったが、しかしその間、学生たちに聖書を教え、キリスト教的な人格教育を行った。文字通り「家の教会」である。 そして1877年3月5日、クラークが起草した「イエスを信ずる者の契約」に学生たちが署名し、そこには第一期生の佐藤昌介、渡瀬寅次、大島正健ら16名、第二期生の内村鑑三、新渡戸稲造(太田稲造)、宮部金吾、廣井勇など15名が加わった。クラークが作ったこの契約には、カルヴァン派・ピューリタン的な「契約共同体」の思想が濃厚に入っている。


これが後の「札幌バンド」(信仰共同体)の原点である。このバンドは純粋に聖書を読み、イエスを礼拝した。 クラークがアメリカへ帰った後も、学生たちは集まり、そこで学生たちが交替で聖書を読み、祈り、礼拝をした。


つまり、「牧師がいて、その牧師から信徒が教えられる」という通常の教会とは違い、「信徒自身が聖書を中心に共同体を形成する」というスタイルであり、内村鑑三がいう「小さな教会」である。つまり、 教会より先に「信仰共同体」があったのである。『余はいかにしてキリスト教徒となりしか』に次のようにある。


「会員は誰もが教会では同じ地位でした。これは完全に聖書や使徒の伝える道にかなっていると私たちには思われました。その日の当番が私たちの牧師であり祭司であり教師であり、そして用務員も勤めました」(p.47)


<札幌独立教会>


札幌独立教会(現在の札幌独立キリスト教会)とは、1882年(明治15年)に札幌農学校の1・2期生らによって創設された、既存の外国ミッションや教派から独立したプロテスタント教会であり、 その源流はクラーク博士と札幌農学校の学生たちにある。即ち、内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾、大島正健らの「札幌バンド」が、その精神を具体的な教会へ発展させたものである。



札幌に外国人宣教師たちがやって来るようになると、学生たちはそれぞれ洗礼を受けるようになり、 内村鑑三も1878年にメソジスト派宣教師のM.C.ハリスから17才で洗礼を受けている。ところが、聖公会、メソジスト、その他の教派という具合に、同じキリストを信じる者が教派ごとに分かれていくのを見て、彼らの中に、「同じイエスを信じているのに、なぜ教派によって分裂しなければならないのか」という疑問が生まれたのである。『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』に次のようにある。


「一つ残念なことがありました。それは、この小さなところに、一つは聖公会、一つはメソジスト教会という、二つの教会をもつ計画が確かになってきたことです。『主は一つ、信仰は一つ、パプテスマは一つ』(エペソ4.5)という問題を心の中で考えるようになりました。キリスト信徒として生活するようになってから、私たちははじめて教派主義の悪弊を感じたのであります。」(p.74)


ここから、「外国の教派に属さない、日本人による独立した教会をつくろう」という方向へ進み、そして1881年10月2日、札幌のキリスト者たちは正式に「独立宣言」を行うことになった。ただし、ここでいう「独立」は、キリスト教から独立するという意味ではなく、外国の教派・宣教師・教団組織から独立して、キリストと聖書に直接立つという意味であり、先ず最初にイエス・キリストを信じる者の共同体があった。まさに家の教会、信徒の共同体から発展した独立教会である。


その後、札幌南2条西6丁目の旧開拓使官舎を購入して会堂とし、1882年12月28日にメソジスト教会から借りていた負債を返済し、この日を正式な創立日とした。現在札幌独立教会は、1952年7月27日に、宗教法人法に基づく「宗教法人札幌独立基督教会」として設立を公示している。内村鑑三は当時を述懐して、次のように語っている。(参照-内村鑑三著『基督信徒のなぐさめ』に見る「6重苦」からの復活→  https://x.gd/7EZUb )


「ああなつかしきかな余の生れ出し北地僻郷の教会よ(札幌独立教会)、朝に夕に信徒相会し、木曜日の夜半の祈祷会、土曜日の山上の集会、日曜終日の談話・祈祷・聖書研究。たまたま会員病むものあれば信徒こもごも不眠の看護をなし、旅立を送る時、送らるる時、祈祷と讃美と聖書とは我らの口と心とを離れし暇はほとんどなかりき。」(『基督信徒のなぐさめ』岩波文庫p.38)


以上から、札幌独立教会の歴史は、クラーク→イエスを信ずる者の契約→信仰共同体(札幌バンド)→札幌独立教会(独立・無教派・聖書的)という流れで見ることができなくもない。そして全ての前提が、強固な信仰共同体にあった。以上、「徒然に考えるーお盆とは、靖国問題とは、札幌独立教会とは」とのテーマで、徒然なるままに、お盆の意味とは何か、靖国問題の本質とは何か、信仰共同体の意義について論考した。いかに幸いなことか、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人! (詩篇1.1)       (了)


牧師・宣教師    吉田宏

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​新生聖書勉強会

​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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