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ミリンゴ大司教の召命 聖書と原理の結婚観

○つれづれ日誌(令和3年2月3日) ミリンゴ大司教の召命  聖書と原理の結婚観


イエスは答えて言われた、『創造者は初めから人を男と女とに造られ、それゆえに、人は父母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりの者は一体となるべきである』(マタイ19.4~6)


さて最近筆者は、たまたまある信徒から送られてきた「ミリンゴ大司教の声明」(以下、「声明」と呼ぶ)を読む機会がありました。今まで筆者はそれほどミリンゴ大司教(1930年~2022年、以後、「ミリンゴ師」と呼ぶ)についての情報もなく、またあまり関心もありませんでした。しかし、この声明を読んでいたく感動すると共に、いくつかの重要な神学的論点を見出だすことになりました。


この声明は、2001年5月27日、米国のニューヨーク・ヒルトンホテルで、文鮮明師夫妻が主礼された聖職者を中心とした60組の合同結婚式(国際合同祝福結婚式)が行われ、ザンビア出身のエマニュエル・ミリンゴ ローマ・カトリック元ルサカ大司教が満を持して参加されましたが、その前日の26日に「何故文夫妻主礼の祝福結婚式に参加するのか」について、その経緯や心境を述べられたものです。


そしてこの所感は、正に聖書的で聖霊の働きを感じさせられるものだったこともあり、一筆したためるものです。


ここにはミリンゴ氏の重大な決意と共に、信仰と教理においての重要な問題提起があります。即ち、聖職者独身制の是非、聖書は結婚をどう捉えているか、そもそも結婚とは何か、といった問題です。今回はこの点に焦点を合わせて論評したいと思います。なお、ミリンゴ氏は昨年亡くなられたと聞いています。享年92才。


【ミリンゴ大司教の二回の召命]


ミリンゴ師は、その生涯において二回、人生を決定する重大な神の召命を受けています。


<一回目の召命>


一回目の召命は以下の通り、1973年4月3日(42才)のことでした。


「私は、偶然にも、自分が癒しの賜物に恵まれていることに気付きました。そのとき以来、神は多くの人々に恵みを与えるために、私の賜物を用いてこられました。主の霊が私の上に臨み、福音を宣べ伝え、病人を癒す使命を与えられ、さらに、私自身の思いをはるかに越えて、悪霊を追い出す使命をも与えられました。私が神の道具として神に従ったとき、数え切れないほどの奇跡が起こりました。何千人という人々がこの奉仕の業によって恵みを受けました」(声明抜粋)


神はこの日、ミリンゴ師に「癒しの賜物」を付与されたというのです。その後ミリンゴ師は、数え切れないほどの癒しと悪魔払いの奇跡を施すと共に、癒しと悪魔払いについて多くの本を書かれました。それらは、人間と神との間の世界、善と悪の精神的存在の世界についての詳細を含んでいると言われています。


そして多くの人々が、福音の宣教と癒しの賜物を通して教会にやってくるようになり、「贖い主の娘修道会」、「洗礼者聖ヨハネの兄弟会」、「善き牧者イエスの子修道会」といった修道会が生まれ、明白な霊界の存在と強い作用を知るようになっていきました。


<ミリンゴ氏師試練>


ミリンゴ師は、1958年に28才で司祭叙階を受け、1969年に39才でルサカ大司教区の司教として教皇パウロ6世によって奉献され、後にルサカの大司教になりました。しかし1983年(53才)、彼は教会当局によって、承認されていない悪魔払いと信仰の癒しの役事に対して批判され、ルサカ大司教の辞任を余儀なくされたのです。


教皇ヨハネパウロ2世は、悪魔払いの事務所を不適切に使用したこと、ルサカ大司教区で分裂を引き起こしたことなどの問題で、ミリンゴ師をローマに移しました。彼はザンビアで司祭および司教としての奉仕を禁じられましたが、教皇はミリンゴ師を移民と旅行者のための評議会の「特別代表」に任命しました。


そうして次の証言が示すように、多くの誤解を受け、数え切れない非難と中傷を浴びることになります。


「私は世俗的、霊的なあらゆる罪状で訴えられ、ローマに召喚され、裁判にかけられ、審問されたうえ、隔離されました。 私の意思に反して、明白になったのは、私がルサカ大司教区に戻って愛するアフリカの人々に奉仕することは許可されないということでした」


「従順に、私はローマに20年近くも留まりました。私は、市内のどの教会でもミサを捧げることは差し止められましたが、福音を説き、病人を癒し、悪霊を追い出すという召命を放棄することはできませんでした。 堪え難かったのは、私は、自分の愛する教会に異議を唱える者となり、愛する教会は、神から与えられた私の使命を妨げる足かせとなったことでした。私は祈りのうちに格闘し、教会の権威に対する従順の誓願と、神に対する従順の契約の、どちらが勝るべきかを自問しました」 (以上、声明文)


このように、ミリンゴ師は神と教会の狭間で、「教皇の権威と教会への誓願に従うか、神の召命とその契約に従うか」について深刻な戦いをしたというのです。 筆者はこのミリンゴ師の葛藤に接した時、かってマルチン・ルターが「信仰義認」の教理を掲げて、「教皇と教会的伝統に従うか、自らの信仰的確信に従うか」について深刻な戦いをした、あの情景を想起いたしました。


<二回目の召命>


そして2001年5月27日に行われた文鮮明師夫妻主礼の国際合同祝福結婚こそ、ミリンゴ師氏の二回目の召命、しかも内外に物議をかもし、カトリックの司祭独身制に大きな問題提起となった召命でした。次の声明がそれであります。



「今71歳を迎え、公教会と司祭誓願への生涯にわたる奉献生活を送ってきた私に、主は新たな召命を与えられました。これまでの人生を永遠に変えてしまうような新たな一歩を踏み出すよう私を召されたのです」


「私は、ただ、主イエス・キリストに対する従順のゆえにこの一歩を踏み出すのです。それは、幾日にもわたる祈りと断食の末になした決断です。2001年5月27日、私は、マリア・ソンと結婚の祝福に与ります」 (以上、声明文)


しかしそれは、自ら独身の誓願を立てた聖職者としての人生を、全否定することになりかねないものでした。破壊僧というレッテルと内外の非難は火を見るより明らかであり、次の声明がこの間の事情を物語っています。


「独身制を守る司祭として、これまで婚姻は私の心から最も遠いものでした。私は、幾たびも心の内に葛藤を覚えましたが、この予期せぬ大胆な一歩を踏み出すことは、主イエスの命令によるものであり、また文鮮明師ご夫妻の助言と支えによるものです」


このようにミリンゴ師は、この召命を、あくまでも「イエス・キリストの命令」だと捉え、ただ、主イエス・キリストに対する従順のゆえにこの一歩を踏み出したというのです。


ミリンゴ師はまた、今までいかなる世俗の地位や階級も求めたことはなく、聖霊が常に慰め、励まし、主イエスと処女マリアが自らの歩む道を照らしたとし、そして彼を励まし、受け入れ、支え続けた教皇ヨハネ・パウロ二世に対して、特別な感謝の念をいだいていると告白しました。


<教皇庁との葛藤、そして破門へ>


2001年5月、ミリンゴ師は、ローマ・カトリック教会が司祭への独身の義務を免除し、既婚の司祭を認めるよう訴えました。そうして、その模範を示すためにもマリア・ソンと結婚したというのです。


2001年7月、当時のバチカンの教理局長は、ミリンゴ師に統一教会との接触から離れるように公式に警告を発しました。しかしミリンゴ師はこの命令に対し、「私は43年間、神を男性としてしか知りませんでした。今、マリアとの結合を通して、 女性としての神を知るようになったのです」と述べました。


2001年8月、ミリンゴ氏は教皇ヨハネ・パウロ2世と会い、教皇は彼に「イエス・キリストの名において、カトリック教会に戻ってください」と訴えました。そしてその尊敬する教皇の訴えに従い、ミリンゴ師は一旦婚約者ソンから離れることに同意し、こうして二人は隔離されました。これに対してソンは、サンピエトロ大聖堂の外でハンガーストライキをしてこの分離に抗議しました。


その後、2006年7月、ミリンゴ師はローマカトリック教会での既婚司祭の受け入れを促進するための擁護団体を作りました。そうして2006年9月24日、ミリンゴ師は教皇の許可なしに4人の既婚の男性を司教として奉献しました。結局これが問題となって、2日後の2006年9月26日、バチカンは、ミリンゴ師と司教奉献に関与した4人の男性が、1983年の教会法の規範1382号に従って、自動的に破門になったこと公表しました。


こうしてパスポートは取り消され、ミリンゴ師のバチカン国からの外交的保護権を持つ人物としての地位が終了したのです。


<ルターと親鸞>


筆者はこのミリンゴ師の破門までの顛末を見ながら、同様に破門されたマルチン・ルターや妻帯の道を敢えて選択した親鸞に思いを馳せました。


ルターは42才の時、修道女だった26歳のカタリナ・フォン・ボラと結婚し、男女計6人の子供を儲けています。 ルターは、カタリナという元修道女と結婚したことで、プロテスタント教会における教職者、牧師の結婚という伝統を作ったと言われています。


当初ルターは、キリスト教の禁欲的な理想主義者として、修道者のように神のために結婚しないことをよいものであると認めていましたが、次第に、常に肉体的欲望に悩まされるのなら結婚するべきだと思うようになりました。生物としての本能である性欲を合法的に充足させる「結婚・妻帯」については後年に至って考えを改め、「聖書には聖職者の結婚・妻帯を禁止する明確な規定がない」とし、聖職者(牧師)も特定の女性と結婚しても良いと考えるに至りました。またジャン・カルバンも、「独身の賜物」はごく限られた少数に与えられた賜物であり、不貞潔に対抗する唯一の救済手段は結婚であるとしています。


聖職者の独身制を採っていたローマ・カトリックは、当然これらを非難しましたが、ルターは教皇の神学者らに対し、結婚して満ち足り、子供が与えられて幸せだと反論したと言われています。カトリック側の批判は長年にわたって続きましたが、21世紀に入ってカトリック教会の性的虐待事件発覚が頻発し、聖職者の独身制の意味が疑われている中で、再評価され始めていると言われています。


一方、我が親鸞聖人も31才の時、公然と「肉食妻帯」を宣言しています。当時は、出家した僧侶が結婚することは固く禁じられており、仏教界だけでなく社会にも大きな波紋を起こしました。しかし親鸞の肉食妻帯は、己の欲望のままにした行動ではありませんでした。この大胆な行為は、出家も在家も、すべての人が、等しく救われる道を身をもって開いたと言われています。夏目漱石は「親鸞に、非常な思想、非常な力がなければ、あれ程の大改革は出来ない」と驚嘆しました。こうして親鸞は結婚して非僧、非俗の道を行くことになりました。苦行でもなく、放縦でもない中道の思想、そして絶対他力の思想で救いを得ることになりました。


【カトリックの司祭独身制と祝福結婚】


 次にカトリックの司祭独身性、及びUCの祝福結婚について考察いたします。


<カトリックの独身制>


さてミリンゴ師の結婚に衝撃を受けたベネディクト16世は、2006年11月、幹部会会議を緊急招集し、「聖職者の独身制」の堅持を再確認する一方、2007年3月13日には世界のカトリック信者に向けて「愛のサクラメント」と呼ばれる法王文書を公表し、その中で「神父に叙階された聖職者はキリストと完全に同じでなければならない。独身制は言い表せないほどの価値ある財産だ」とコメントしました。


即ち、イエス・キリストは妻帯せず、姻戚に縛られず、頭上に屋根を持たず、さすらい、極貧のうちに、断食し、祈りに明け暮れたとし、聖職者や修道者は、イエスに倣うべきであり、この理想像に極力近付く事が求められるというわけです。


従って、聖職者、修道女(シスター)、修道者(ブラザー)は、愛と結婚という人間の最も大切なものを神に捧げました。そしてより徹底した形で教会への奉仕に邁進するために、カトリックでは独身制を採っているというのです。つまりカルビンも指摘したように、独身は神の特別の賜物だというわけです。そしてそれはまた、聖職者の権威の象徴でもありました。


ただ、過去に聖職者が妻帯し子を儲けた場合、教会財産の相続問題が発生したこともあり、そういう現実面からも独身制を採用するようになったという一面があるとも言われています。いずれにしてもカトリックは、聖職者、修道者の少年少女らへの性虐待や同性愛など多くの不道徳な問題を抱えながらも、なお、独身制を堅持しています。一体、その本当の理由とはなんでしょうか。なお正教会においては、修道士・修道女・修道司祭には独身が求められますが、在俗司祭は妻帯していることがほとんどと言われています。


<ミリンゴ師の結婚観>


カトリックに詳しい知人によると、文鮮明師は、カトリックの神父やシスターに関して次のように語られたといいます。


「一生涯イエス様の新婦として生涯を捧げて独身を守ってきたカトリックの神父やシスターに祝福を授けることは私の最大の願望だった。彼らを救うためには、彼らの心情を理解しなければならない。その心情を理解するために、彼らと同じような道を歩む人が出てくることでしょう」


この知人は、このみ言に反応して、神父と同じ事情と心情に立つため、カトリックの神学校に入りなおし、(祝福結婚を捧げて)独身が義務付けられている神父の道を選んだと告白しました。しかし上記のように、文師は明らかに聖職者の独身制は本来的な姿ではなく、「過渡的な次善の在り方」だ言っておられるというのです。


ミリンゴ師はカトリックの独身制が抱える矛盾を次のように指摘しました。


「悲しいことに、多くの修道者が、この本来の望みと独身の誓いとを調和することができずにいます。そのために、奉献生活は空虚な抜け殻となり、到達不可能な基準となっています。不自然な情欲、私生児、その他の隠された恐ろしい出来事を含む、あらゆる種類の冒涜は、神に仕えようとする者たちの生活に重くのしかかっています。司祭や修道女の中に同性愛や妊娠が増加していることは、もはや周知のこととなりました」


「このようにして、サタンの血は神の教会の中に流れ込み続けています。このサタンの血が清められ、神の真の愛、生命、血統が元どおりにされなければなりません」(以上、声明)


そして筆者は、ミリンゴ師の声明の中に、この問題を解く鍵となる一節と出会いました。


「キリスト教の第二千年期の終わりには、教会内の多くの人々が独身生活の犠牲はその目的を果たし終えたと悟るようになりました。今やすべての男性と女性が神の似姿となるという本来の目的を成就するために召命される時代に入ったのです」


つまりミリンゴ師は、「司祭の独身の誓いは神の摂理において深遠なる意味があり、神に仕える完全な奉献の道においては、そのような人間の欲望を犠牲にすることが要求されてきたのです」と独身制の意義を認めながらも、独身制は「歴史的な使命を果たし終えて、新二千年期の新しい結婚の在り方に取って変わらなければならない」と言っているのです。


そうして、心の底から文鮮明師は「神の人であると言うことができる」と明言し、真の父母の資格において愛ある神中心の家庭を築くという特別の司祭職によって「結婚を聖別して下さる」とした上で、次の通り結論付けました。


「諸教派の聖職者たちが共に参席する祝福式において、文鮮明師ご夫妻が司式して下さり、結婚の誓約を有効なものとし、私たちの一致を聖化して下さるのです。結婚の祝福を受けよという主イエスの命令です」


<聖書の結婚観から>


 聖書は次の通り結婚を決して拒んではいません。


「男子は婦人にふれないがよい。しかし、不品行に陥ることのないために、男子はそれぞれ自分の妻を持ち、婦人もそれぞれ自分の夫を持つがよい。妻は自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは夫である。夫も同様に自分のからだを自由にすることはできない。それができるのは妻である」(1コリント1.1~4)


しかし、次のようにも言っています。


「以上のことは、譲歩のつもりで言うのであって、命令するのではない。わたしとしては、みんなの者がわたし自身のようになってほしい。しかし、ひとりびとり神からそれぞれの賜物をいただいていて、ある人はこうしており、他の人はそうしている」(1コリント7.6)


ミリンゴ師は男女の関係について聖書の言葉を引用して結婚の理由を語りました。以下は、声明の骨子です。


創世記1章27節には「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造され」と記されており、私たちの主は次の聖書の言葉にあるように、「あなたたちは読んだことがないのか。創造主は初めから人を男と女とにお造りになった。それゆえ、人は父母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。」(マタイ19.4~7)と言って(結婚を)承認しておられます。


神はアダムをお創りになった後に、「人が独りでいるのは良くない」(創世記2.18)と言われました。神が最初に彼らに与えられた指針は、「産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ」(創世記1.28)というものでした。しかし主イエスは、「あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている」(ヨハネ8.44)と言われました。このように原初から男女の愛が偽りとなってしまったがゆえに、人類はこれら堕落した父母の罪深い血統を受け継いでいます。


従って神に仕える完全な奉献の道においては、そのような人間の欲望を犠牲にすることが要求されてきたのでした。司祭の独身の誓いは神の摂理において「深遠なる意味」があったのです。


聖パウロは、神に仕えることと結婚することの間に葛藤があることを述べ、「結婚しない」者を賞賛しました(Iコリント7.28~40)。主イエスは、「天の国のために結婚しない」者(マタイ19.12)がいることをお認めになりました。ですから、私の独身の誓いは、私が全身全霊をこめて捧げたものでありました。


しかしその上で、「神を敬う一組の男女の一致は、至聖なる三位一体の真の映しであることを、神は私に示してくださいました。今やすべての男性と女性が神の似姿となるという本来の目的を成就するために召命される時代に入ったのです」と語りました。


【原理の結婚観】


さて原理は、人間の堕落の根本原因を、天使とエバ、エバとアダムの身勝手な不倫の愛による結婚、即ち姦淫による間違った結婚にあると指摘しています。そこから血縁的に堕落の血統、即ち原罪が引き継がれてきたというのです。これが創世記3章の失楽園の物語の真相であります。


従って、これを償って清算し、堕落をもと返して本然の位置に回復するためには、男女の二人が必要だというのです。堕落が二人の間違った結婚で起こりましたので、逆に復帰は二人の正しい結婚でなされなければならないというのです。つまり神と関係なく身勝手に結婚したので、今度は「神の許諾と祝福」の中で行われなければなりません。 即ち、原罪の清算は一人ではできません。二人で原罪を背負いましたので、その清算も二人でなされなければならないというのです。そしてこれが、UCの祝福結婚の神学的意味であります。


文師が、「天国は一人では入れません。二人で行くところなのです」と言われた理由がここにあるというのです。そして以上が蕩減原理に基づくUCの結婚観です。ちなみに「蕩減」とは、失ったものをもと返すためには、逆の経路を辿って償いの条件を立てて本然の立場に戻っていくことであります。


キリスト教、とりわけカトリックは、ミリンゴ師も暗示されているように、人間の原罪の原因について「堕落淫行説」を内心において認めつつも、堕落傲慢説、堕落自己中心説などを採用してきました。 何故なら、もし解決策なくして堕落淫行説を採用すれば、それは結局、「結婚できない説」になりかねないからです。信者の結婚を守るために、敢えて堕落淫行説を主張しなかったというのです。そして特別に選ばれた人だけが独身を守り愛を聖別してきました。


そういえば、かのキェルケゴールも、愛し合いながら恋人レギーネと結婚できず、またナイチンゲールは、神に従いプロポーズを振り切り、愛と結婚を捧げました。 待たれるのは、堕落淫行説を認めた上、ミリンゴ師が文師夫妻を、「結婚を聖別する特別の祭司職」と認識したように、結婚を聖なるものとして聖別し許諾できる再臨主による祝福結婚、神の承認と祝福による結婚であります。UC創始者が、「私が主導してきた祝福運動は、単なる結婚式ではなく、原罪を清算し、本然の真の血統によって天に接ぎ木する神聖な行事なのです」(『平和神経』P351)と言われている通りです。然り、アーメン、アージュ!


以上、「何故文夫妻主礼の祝福結婚式に参加するのか」についてのミリンゴ大司教の声明を中心に、ミリンゴ師の祝福結婚に至るまでの経緯、聖職者独身性の意義とその限界、聖書の結婚観、そして原理の結婚観である祝福結婚の意義について考察しました。(了) ユニバーサル福音教会牧師 トマス吉田宏


*なお、当該論文は、拙著『久保木修己著「愛天愛国愛人」を読み解く』の補講2「ミリンゴ大司教の声明に思う」(P82)にも掲載されています。

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