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多磨霊園を訪れて

○つれづれ日誌(6月12日)-多磨霊園を訪れて

I for Japan,Japan for the World,

The World for Christ,And All for God.(内村鑑三墓碑銘)

6月12日、晴れた暑い日射しの午後、私たち3人は内村鑑三が眠る多磨霊園に念願の墓参を果たしました。

この日本を代表するクリスチャンは、鬱蒼と繁った緑に囲まれた多磨霊園の一角に、妻静子、娘ルツ子、息子祐介と共に静かに眠りについていました。上記の英文は墓碑銘であります。


1、生涯、定職につくことなく、又いかなる組織にも所属せず、聖書を独学し、文字通りまるで荒野に叫ぶ預言者のように駆け抜けた人生でした。独立、自主、自由は内村に似合う言葉です。

彼の32才の処女作「キリスト信徒のなぐさめ」には、愛する妻加寿子を失った悲しみ、愛する国家と教会から捨てられた哀しみが綴られています。

そして彼は51才で最愛の娘ルツ子と死別しました。そのルツ子の死は、内村に復活信仰を与え、ルツ子との再会を確信することになります。これは再臨運動の遠因になりました。

愛妻加寿子と愛娘ルツ子との死別は、生者とかの国との距離を縮め、実在するかの国から現世を見るという人生観の転換を内村にもたらし、復活、再生、永生という思想に導かれました。プロテスタントではあまり死者を語りませんが、内村は語りました。

2、私たちには、先祖解怨・祝福という教理と儀式がありますね。私たちの原理創始者は先祖を祀ることをよしとされました。

日本では、太古から先祖供養に親しんできました。先祖のために祈り、これを祀ることにより、先祖は成仏し子孫は報われるというものです。

しかし、プロテスタントは先祖供養に否定的です。それは、死者のことは神の主権に委ねるという信仰と、偶像崇拝になりかねないという理由からであります。

一方、カソリックには煉獄(れんごく)という言葉があります。煉獄とは、天国と地獄との間にある所で、まだ罪科を抱えているクリスチャンの死者の霊が、天国にはいる前にここで火によって浄化されるとされています。

地上のクリスチャンがこの煉獄の霊に祈りや代償をすることにより、解放されて天国に導かれ、地上人もまた恩恵を受けるというのです。ちょっとUCの先祖解怨の考え方に似ているではありませんか!

しかし、いずれにせよ、先祖供養や死者への過度な畏敬は、キリスト教ではあまりよしとされていません。死後の世界は専ら神が図られる領域であるとの考え方があるからです。

しかし、私たちの場合は、解怨だけにあきたらず、更に進んで祝福まで施そうというのです。

3、かの小泉純一郎元首相は、毎年ある女性の命日に墓参を欠かしたことがありません。内村も妻加寿子の命日に毎年墓参しています。

小泉氏は、離婚後、新橋の若い芸者と恋に陥りましたが、小泉家は代々政治家を家業としており、ハードルは高いものがありました。結局その女性は、叶わね恋と知り自殺することになります。墓参を続ける小泉氏の心境は果たして如何なるや・・・。

実は筆者は、毎年8月15日に鎌倉霊園に眠るある敬虔な信仰者、横浜家庭教会きっての篤志家の墓に墓参しています。その隣にはかの川端康成のお墓があります。

墓碑銘には、「心かよう友と共に」とあり、故人の人間性が溢れているではありませんか!

4、墓参や先祖供養は、決して偶像崇拝ではありません。UC創始者も肯定的です。しかし、先祖を崇敬しても崇拝してはいけません。何故なら、崇拝するのは神様だけだからであります。死者への度を過ぎた畏敬はほどほどにすべきです。先ず祈るべきは神であり、キリストであり、み旨です。

その日私たちは、内村の墓前に膝まつき、しばし祈りの一時を過ごしました。心なしか内村の「静かな細い声」(1列王紀19・12)が聞こえて来るような気がして、久方ぶりに厳粛な時を過ごしました。

そのあと帰りに、やはり多磨霊園に眠る新渡戸稲造の墓にも参って来ました。こうして日本を代表する2人のクリスチャンの墓参が叶ってホッとしているところです。

内村の再臨運動(1918年~1919年)は、半島での主の身籠りへの讚美の声であり、成約時代の予型であると信じます。新たな次元での成約の再臨リバイバルに、願わくば豊かな協助を給わらんことを!アーメン



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