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イスラム教とは何かー宗教政治フォーラムに参加して  

○つれづれ日誌(令和3年2月4日)-イスラム教とは何かー宗教政治フォーラムに参加して 


この2月4日、市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷にて、第二回「宗教政治フォーラム」がもたれました。宗教政治フォーラムとは、文字通り、宗教と政治の望ましい関わり方を探求し、宗教者として政治的課題にも発信していくと共に、「宗教間対話」を促進することを目指す超宗派のグループであります。


今回、幸福の科学とUCが中心となって開かれ、筑波大学名誉教授でイスラム研究の第一人者である塩尻和子先生が「宗教間対話とイスラーム」と題して講演をされました。塩尻先生は、14ページに渡る講演レジメを準備され、専らこのレジメに忠実に語られましたので、余分な話しがなく、限られた時間の中で「イスラームの論点とは何か」がよく分かりました。


この中で、「イスラームフォビア」(イスラーム嫌い)、「キリスト教との関係」、「一神教と多神教について」、「宗教間対話の可能性」、などについて語られ、イスラームの論点がほぼ網羅されており、大変参考になりました。


この機会に、これらを踏まえ「イスラームとは何か」について、特にユダヤ・キリスト教との対比を意識しなから論評いたします。池尻先生のレジメ、著書『イスラームを学ぶ』(NHK出版)、その他のメディア情報を参考にさせて頂きました。これを一読されれば、キリスト教との関係や、「イスラム教とは何か」が、一通り分かると思います。


【イスラームの基礎知識】


先ず、イスラーム(イスラム教)の基礎知識について述べることにいたします。イスラームとはアラビヤ語で「神に帰依する(委ねる)こと」を意味します。


<概観>


イスラム教は、ムハンマド(570年頃~632年)が、610年にメッカ郊外の洞窟で天使ガブリエルから神の啓示を受けたことから始まります。多神教の商業都市メッカで生まれた一神教です。


メッカ(聖地)とコーラン(聖典)


アダム・ノア・アブラハム・モーセ・イエスなどの預言者たちが説いた教えを、最後で最高の預言者であるムハンマドが完全な形にしたとされています。


当初は迫害され、622年にメッカを追われてメディナに逃避しましたが、イスラム教ではこれを「聖遷」と呼び、またこの西暦622年7月16日をイスラーム紀元元年の1月1日として年月日を起算するイスラーム暦(ヒジュラ暦)が定められました。


今や中近東、北アフリカ、東南アジアなどに16億人もの信者を持つ世界宗教で、現在も信者は増加しており、イギリスではすでに国内第2位の信者数を有しています。なお日本人ムスリム(イスラーム信者)の総数は、最大に見積もっても5万名に届かないのではないかと推測されています。


(各国の人口に対するイスラム教信徒数の割合)


現在では他宗教への改宗及び棄教行為は寛容になっているものの、クルアーンやシャリーアなどに書かれているように、歴史的には死罪となるのが建前であり、現在でもこの立場を取っている法学者も多くいるようです。


唯一の創造神てある「アッラー」を信じ、ムハンマドによる啓示の書(神の言葉)であるクルアーン(コーラン)を聖典としています。


聖典には他に、モーセ五書(トーラー)、ダビデの詩篇、イエスの福音書がありますが、クルアーンが中心経典になっています。また、ムハンマドの言行録ハーディスやイスラム法シャリーアも実際的な指針になっています。 ユダヤ教の口伝律法であるタルムードやトーラーの注解書であるミシュナに当たるのでしょうか。


イスラームとは、「自身の重要な所有物を他者(神)の手に引き渡す」という意味で、神への絶対服従を表すもので、神に身を委ねた信者を「ムスリム」と呼んでいます。このような神とムスリムとの関係はしばしば「主人と奴隷の関係」として表現されます。


そして「イスラーム」とは、単なる宗教の枠組みに留まらならず、ムスリムの信仰と社会生活のすべての側面を規程する文明の体系であるという側面があります。


教派の分布のうち、トルコ、東ヨーロッパ、シリア、エジプト、北アフリカ、インド、東南アジアではオスマン帝国の公認学派であり、最も寛容で近代的であるとされるハナフィー学派(スンナ派)が多く、イランはジャアファル学派(シーア派)、アラビア半島では最も厳格なことで知られるハンバル学派(スンナ派)となっています。


ちなみにシーア派とは、ムハンマドの娘婿アリーとその子孫のみがイスラーム共同体を指導するカリフとしての資格があるとする血縁を重視する派であります、


<教典>


クルアーン

上記しましたように、イスラム教の教典(聖典)は、アラビア語で音楽のように「朗唱されるもの」という意味をもつクルアーン(コーラン)です。


クルアーンとは、唯一なる神が、人類に遣わした最後にして最高の預言者であるムハンマドを通じて、ムスリムの共同体(ウンマ)に遣わした啓典であり、一言一句、神の言葉そのものとして社会生活のすべてを律します。 この聖典観は、キリスト教福音派の聖書観である「十全逐語霊感説」と類似性があります。


ハディース、シャリーア

次にムハンマドの言行録であり、ムハンマド自身の言葉や行動を慣習として尊び、クルアーンに次ぐ指針としてきたのが「ハディース」です。 そしてクルアーンとハディースを法源として不文法として制定された道徳規範が「シャリーア」(イスラム法)であります。


聖書

クルアーンには「クルアーンは聖書の正しさを証明するためにある」と言っている箇所が数多くある通り、聖書の「モーセ五書」、「詩篇」、「福音書」は聖典となっています。


しかし現実には、ユダヤ教徒やキリスト教徒が用いている聖書は改竄と捏造を繰り返されたものと見て、聖典としての価値を失っているとみなす傾向があります。


<神観と罪観>


イスラム教の神アッラーは、唯一絶対の創造主であり人格神であり、この点はユダヤ教、キリスト教の神観と同じであります。しかし神と人間の関係は主人と僕の関係、又は「主人と奴隷」の関係であり、「絶対服従」が要求されます。この神観は、キリスト教よりむしろ旧約聖書の神、ユダヤ教の神観に似ています。キリスト教のように、神と人間の間にキリストという仲介者はなく、神と人間は直結しています。


またイスラム教には、失楽園の罪は地上に降ろされる前に許されたとし、キリスト教でいう「原罪思想」はなく、ただ人間は誘惑や道に迷いやすい「弱い存在」とされています。従って、悔い改めや贖罪思想という観念はなく、この罪観、救済観においてキリスト教とは大きく異なっています。


従って、人間は弱い存在であるが故に、神の法、シャリーアが必要で、イスラム教では、神が定めたこの倫理的秩序に従うことが救いに至る道であり、神と人間をつなぐ絆でもあるとします。しかし、では「何故人間は弱いのか」について、イスラームは明らかにしていません。 仏教では苦の原因を煩悩と見て、この煩悩から解脱することを理想としますが、煩悩の原因について説明していないのと同様であります。


このようにイスラム教は、神の絶対的な主権を強調し、神の法の遵守を重視しています。従って、キリスト教の福音主義よりユダヤ教の神観や律法主義に近いと言えるでしょう。


<教義ー六信五行>


イスラームの教えを端的に言えば「神への絶対服従、平等、相互扶助」となります(塩尻和子著『イスラームを学ぶ』(NHK出版P24) 。そしてイスラム教(スンナ派)の信仰の根幹は、「六信」と「五行」、すなわち、6つの信仰箇条と、5つの信仰行為から成り立っています。


六信とは、「神」(アッラー)、「天使」、「啓典」、「使徒」(ルスル)、「来世」、「予定」のことで、その存在を信じなければなりません。


特に神と、使徒が重要で、イスラム教に入信し、ムスリムになろうとする者は、証人の前で「アッラーのほかに神はなし」「ムハンマドは神の使徒なり」との信仰告白を行うこととされています。


また、信仰行為として定められた五行とは、「信仰告白」、「礼拝」、「喜捨)」、「断食」、「巡礼」です。


シーア派では、ジハード(努力・聖戦)を6つめの柱として加えています。


<偶像崇拝の禁止>


イスラームにおいては神の唯一性を重視し、偶像崇拝の禁止が徹底されています。 それ故、モスク の中にはムハンマド像や聖像などはありません。


ムハンマドをあくまでも人間として捉え、キリスト教のように、イエスを神とは認識していません。実際、ムハンマドは宗教家だけでなく卓越した政治家、軍事家であり、妻のハデージャの死後はアーイシャという9才の後妻を娶り、以後、彼は8人の未亡人を娶っています。 「食事をし、市場に行く」正真正銘の人間であるというのです。


<イスラームにおける来世観>


人はその行いによって最後の審判の後、「天国」、「高壁」、「火獄」の三ヶ所に割り振られるとされています。天国は信仰を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされ、クルアーンではイスラームにおける天国の様子がありありと、生々しく描写されています。この天国観が無差別テロリストに悪用されてきたとも言われています。


高壁とは善悪どちらでもない者の行き場とされています。カトリックの煉獄に近い考え方です。火獄とはイスラームにおける地獄で、不信仰者が永遠に責め苦を受ける所とされています。


<社会生活>


ムスリムは、クルアーンのほかに、預言者ムハンマドの膨大な言行をまとめたハディース(伝承)に、クルアーンに次ぐ指針としての役割を与えています。また、ムスリムの実生活上の宗教や日常に関するさまざまな事柄を規定するために、クルアーンやハディースを集成してシャリーア(イスラーム法)がまとめられています。


これらは教典ではありませんが、教典を補ってムスリムの社会生活を律するものとされており、その範囲は個人の信条や日常生活のみならず、政治のあり方にまで及んでいます。


信仰の共同体と政治的な国家が同一であったムハンマドの存命中の時代を理想として構築されたイスラーム社会の国家は、「政教一元論」に立っているのであり、ヨーロッパのキリスト教社会の経験から導き出された「政教分離」という概念は、そもそもイスラームに適合しないという意見が存在するのは、このためであります。ただしトルコやインドネシアのような世俗主義国家も存在しているため、一概に政教分離が不可能であると決め付けることは出来ません。


シャリーアに基づき、ムスリム同士が相互に扶助し、生活において品行を保ち、欲望を抑制して、公正を実現すべきものとされ、不正な商取引は否定されています。喜捨は天国への道につながるとされ、「喜捨の制度」によって相互扶助システムが成り立っています。 社会的弱者に対する救済は、イスラームの教えにおいて広く見られ、一夫多妻制のシステムも、建前の上では母子家庭の救済策であったとされています。


一方、品行を保ち、人間の堕落を防ぐためとして、「自由を制限する教え」も見られます。女性が顔や髪を隠す風習、婚前交渉の禁止をはじめ、飲酒も理性を失わせる悪行であり原則禁止であります。しかし、コーヒーやタバは合法とみなされています。総合的に見ると、中東地域(特にイラン、サウジアラビア)から離れるほど、一般的に律法としてのイスラームの教えは緩和されていると言えるでしょう。


<組織>


また、信徒間は原則平等とされ、聖職者・僧侶階級はなく、基本的に在家の宗教です。ただカリフや、現代では大ムフティーなど教皇に近い立場の指導者は存在しています。また、六信や五行に代表されるような信仰箇条や信仰行為の実践を指導する「ウラマー」がいて、実質的に聖職者の役割をしています。


<ユダヤ、キリスト教との関係>

ユダヤ教は同じセム系であり、イスラームに大きな影響を与え、イスラームの律法は多くをユダヤ教から引き継いでいます。ユダヤ教徒はアッラーによって最初に啓示を受けた「啓典の民」としています。


イスラム教では、ノア、アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマドの5人を神の「使徒」と認めており、キリスト教もまたイスラームに強い影響を与えました。しかし、イスラームはムハンマドと同様、ナザレのイエスを使徒であり預言者であるが、神ないしは神の子ではないとしています。クルアーンには「これがマルヤムの子イーサー(イエス)。みながいろいろ言っている事の真相はこうである。もともとアッラーにお子ができたりするわけがない。ああ、恐れ多い」とあります。


ちなみにイエスを神ではなく人と考えているのは、イスラームの他にユダヤ教も同様てあり、キリスト教の三位一体の教理を多神教だとして批判しています。また、キリスト教から異端視されているエホバの証人、モルモン教、UC、クリスチャンサイエンス、ユニテリアンなどもイエスを人間と見ています。


そうして上述しましたように、イスラム教にはキリスト教の原罪思想がありません。このように、キリスト観、罪観において隔たりがあり、相互の関係は簡単ではありません。


【イスラームに関する課題と問題】


ここで、イスラームが抱える宗教的、社会的、政治的な諸問題について、重要と考えられる論点や課題を考えておきたいと思います。


<イスラームフォビア(イスラム嫌い)>


塩尻氏によると、イスラームは、劣等な宗教、後進性、貧困、野蛮、非人間性、政治的混乱といった表現が象徴する「イスラームフォビア」(イスラム嫌い)に晒されてきたといいます。しかし、これらは食わず嫌いの偏見と誤解であり、このような非難中傷には何の生産性もないというわけです。


歴史的には、イスラームはユダヤ教や他宗教と共存を図ってきたとし、実際、ウマイヤ朝、アッバース朝、オスマン帝国の時代には、税金(人頭税)を払いさえすれば他宗教には寛容で、概ね信仰の自由は保証され、また教義的にも土着化を図って融和してきたというのです。


アラブのイスラム遠征軍は、「コーランか剣か」というような強制改宗のイメージがつくらていますが、アラブの征服には、a.イスラームに改宗するか、b.人頭税を支払って従来通りの信仰を保持するか、c.これらを拒否してあくまで戦うか、の三通りがあったと言われ、決して「コーランか剣か」の二者択一ではありませんでした。アラブの圧倒的強さを見たキリスト教徒が、「野蛮な宗教」という恐怖心から誤解し、それが明治以降の日本に輸入されたのであるということです。(佐藤次高『イスラーム世界の興隆』世界の歴史8 中央公論社 p.80)


確かにイスラームは、上述したように、ユダヤ・キリスト教の伝統を受け継いでいることがクルアーンに明記され、同じ啓典の民として、よく似た世界観、人間観、死生観を持っています。ただ、イエスを神とするキリスト観と原罪観においては、明確な違いがあることは既に述べたところであり、教義的に一致するには、なお時間を要するといわなければなりません。


しかし、十字軍時代の相克や、特異な宗教として、キリスト教から差別されてきたイスラームの受けた傷跡には深いものがあります。一方、アルカイダのアメリカでの同時多発的テロに端を発し、ISILによる組織的テロ、アフガニスタンや各地での無差別テロの頻発は、イスラームを理解しようとする人々にさえ恐怖感と嫌悪感を抱かせてきました。


これらのテロリストの背景には、ジハード(聖戦)の意味の間違った解釈からくる極端主義、潜在的な西欧キリスト教社会に対する歴史的な怨念、現実生活における絶望感、などの様々な要因が複合的に重なっているものと考えられます。ちなみにジハードとは、本来イスラム教を異教徒から防衛するために「努力し奮闘せよ」という意味であり、決してテロを肯定する思想ではありません。


従って、これら相互の相克を一つひとつを丹念に解決する忍耐強い努力が 、双方に求められると思われます。宗教学者で東京外語大学教授の飯塚正人氏は、イスラームの混乱と誤解の原因として次の4点を挙げています。


第一は「宗教会議がない」ということだといいます。キリスト教では公会議があり、教義の確定や異端の判断をしますが、イスラームにはそれがないので「これが正統教義だ」という統一の見解が決まらないという訳です。例えば、一夫多妻制を巡っても、トルコやチュニジアなどでは採用していませんし、結婚制度ひとつとっても、いろんな解釈や意見があるわけです。正統教義が決まっていないことはイスラーム教徒同士でも意見が割れる大きな要因にもなっていると言われています。


第二は「イスラーム教徒自身でさえイスラーム教のことをわかっていないことがある」ということです。エジプトやスーダンには、女性器の一部または全部を切除する女子割礼という風習があるのですが、彼らはこれをイスラームの教えだと信じて行っています。このように信徒自身のイスラーム教に対する誤解が結構あるというのです。


第三は「政治が宗教を利用する」ということがあると指摘します。独裁政権の大統領や国家元首が民主化を拒む理由として「イスラム教が民主主義を禁じているから」と主張して独裁を正当化するという訳です。


第四はムスリム以外の人たちが、神権政治的な国家の性格もあって「イスラーム教徒の行動のすべてを、イスラームの教えの反映だと思い込んでしまう」ことだといいます。例えば、アルカイダがイスラームの教えに基づいてテロを実行したという確証はどこにもないというのです。


<教義上の論点と宗教間の対話>


確かにイスラム教には、キリスト教から見て、特異と思える教えや制度があります。思い付くままに挙げてみますと、一夫多妻制、女性の被り物、豚肉を食べないなどの食物規定、一日5回もの礼拝、断食月(ラマダーン)、神権政治、ジハードの思想、改宗棄教の禁止、残酷刑罰、等々です。


勿論、これらの制度や思想には、イスラム教に基づくるちゃんとした理由があると思われますし、既に改善されているものがあると思われますが、宗教的に行き過ぎた考え方をとれば、人権侵害や独裁政治を生む土壌になりかねません。


またイスラム教は厳格な一神教であり、そもそも多神教の日本で受け入れられるのは難しい、という議論があります。にもかかわらず、イスラム教の一神教と日本などの多神教は共存できると塩尻氏は次の通り主張されています。


先ず、一神教と多神教を風土論から説明する説、即ち、日本のような緑豊かな自然に恵まれたところでは多神教が、砂漠や荒野の厳しい自然環境の中では一神教が生まれやすいという説明には根拠が乏しいと塩尻氏はいわれます。荒野の古代メソポタミアも砂漠地帯のサウジアラビアも多神教だったというし、逆にイエスが宣教を始めたのは緑豊かなガリラヤだったというわけです。


ただ、モーセがヤハウェから律法を付与されたのは確かに荒野の只中でしたし、逆に自然豊かな日本は、唯一神により頼まなくても、あちこちに癒しや慰めの環境があるというのも事実です。


結論から言えば、一神教の中にも多神教の要素があり、多神教にも一神教への指向性があるというのです。イスラームにも聖者崇敬があり、民間信仰もあります。従って、神社で祈る神々も、一神教の神も究極的には同じ神であるというわけです。また長幼の序、隣人との相互扶助、旅人に親切、正直な商取引などを大切に考えるイスラームの倫理観は、日本と共通するものであり、一神教、多神教の枠を取り払って宗教間対話は可能だと塩尻氏は主張されました。


【神の摂理から見たイスラム教】


本項の締め括りに、神の摂理から見たイスラム教の位置付けについて考えておきたいと思います。


UC創始者は、イエスの十字架に際して、「右の強盗はキリスト教を、左の強盗は共産主義を、バラバはイスラム教を象徴する」と言われました。バラバは、殺人罪の囚人でしたが、イエスの代わりに赦免されました。バラバはローマに反抗した政治犯だったと言われています。この創始者の言葉が示すように、イスラム教は摂理宗教であるキリスト教と、その対極にある共産主義の狭間にある中間的な宗教と言えるでしょう。共産主義もイスラム教も、ユダヤ・キリストの影響を受けて生まれてきた思想でありますが、一方は無神論を、一方は有神論を、しかも徹底した唯一神思想を標榜しました。


巷間、創価学会の果たした役割として、共産主義の防波堤になったと言われることがよくあります。共産党も創価学会もよく似た比較的貧しい層に勢力を伸ばしましたが、その際、共産党に流れる支持を創価学会が吸収し、結果的に無神論の共産主義の防波堤になったというのです。同じことがイスラム教にも言えるのではないかというのです。イスラム教が貧しい人々や国家を吸収し、世界が共産化されるのを防いだとも言えなくもありません。


イスラームには、金持は貧しい人々に施さなければならないという義務化された「喜捨」という信仰箇条があり、これが相互扶助によるイスラム的福祉制度の役割を果たしてきました。この宗教的教義に裏付けられた相互扶助の思想、平等思想こそ、イスラームが今なお信者を増やしている大きな理由であると思われます。


しかし一方、前記の通り、イスラム教には原罪思想、贖罪思想がありません。ユダヤ・キリスト教、即ち、聖書的伝統には、唯一神思想、メシア思想、そして贖罪思想という三大思想がありますが、その内、唯一神思想はイスラム教も引き継いでいますが、あとの贖罪思想は見られず、メシア思想も明確ではありません。


イスラム教は、特にムハンマドの時代には、教勢の拡大は主に戦争の勝利に負うところが大きかったのです。異論もあるところですが、戦争によって勢力を伸ばしてきたという事実は否定出来ません。しかし、キリスト教の拡大は、ローマ帝国時代に象徴されるように、「殉教の血」が土台となりました。ここに贖罪思想が如実に現れています。この点に、神の救済摂理を中心的に担ってきたキリスト教と他宗教との明確な違いがあると言えるでしょう。


また、同じ一神教に属し、唯一神を信じているセム的伝統を持つユダヤ教、キリスト教、イスラム教でありますが、神と人間の関係の在り方には大きな違いがあります。ユダヤ教では、神と人間は主人と僕の関係でしたが、キリスト教では父と子(養子)まで近づいたと言われます。しかし、誤解を恐れずに言えば、イスラム教では、主人と奴隷(僕の僕)の関係だと言えるでしょう。神に対する絶対服従、神の掟を死守することが至上命令であり、ここにイスラームの救いがあるというのです。この絶対的な神観には、砂漠の厳しい環境下で、雑多な種族を束ねるには、絶対的な神とその神への服従が不可欠であるとの背景があったと思われます。


宗教は、それぞれの個人、民族、国家の心霊と知能の程度に応じて、あるいはそれぞれの気根や歴史や伝統に応じて、神がそれぞれに見合う指針として歴史的に付与されたものであるとすれば、やがてより高い神霊と真理を求めて流れていくのが自然の理であると思われます。従って、イスラームの特異性を過度に強調したり、キリスト教優越主義を強調し過ぎることには抑制的でなければなりません。


創始者は、ムハンマドを、イエス、釈尊、孔子と並んで四大聖人の一人とされました。塩尻氏も指摘されるように、相互理解と宗教間対話により、ここにイスラム教を含む全ての宗教が一致できる可能性があると信じるものです。


以上、今回はイスラームについて、イスラム教の基礎知識、課題と問題点、そして神の摂理から見たイスラームの位置付け、を考察して参りました。異論反論は歓迎いたします。(了)

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