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聖書こばなし(11話~20話)

◎聖書こばなし(11)ー神、共にあり 

 

▪️マタイ伝1章23節に「その名はインマヌエル、『神われらと共にいます』という意味である」とある。「神が共におられる」ということは、聖書全体を貫く中心的なメッセージであり、聖書は様々な場面で「神様は私達と共におられる」ことを語っている。 

 

▪️神はモーセを召され、口下手だと言って躊躇するモーセに対して、「わたしは必ずあなたと共にいる」(出エジプト3.12)と言われた。 

 

モーセの後継者ヨシュアに対しても、「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない」(ヨシュア記1.5)と明言された。 

 

▪️兄エソウの怒りを避けてハランの地に向かうヤコブが、途上石を枕に仮寝した時見た「ベテルの夢」(神の家)は有名である。 

 

「 わたしはあなたと共にいて、あなたを守り、わたしは決してあなたを捨てない」(創世記28.15)

 

真っ暗な夜、凍える野原にただ一人、不安と後悔の中で身を丸めるヤコブにとって、神が傍に立って、「見よ、私はあなたと共にいる」と告げられる神様の声はどんなにか励みになり救いになっただろうか。この夢は、後世「ヤコブのはしご」として知られている。 

 

▪️神がギデオンをイスラエルの士師として召されたとき、尻込むギデオンに神は次のように言われた。 

 

 「主は言われた、『しかし、わたしがあなたと共におるから、ひとりを撃つようにミデアンびとを撃つことができるでしょう』」(士師記6.16)

 

▪️神がエレミヤを預言者として召命されたとき、

「あなたはただ若者にすぎないと言ってはならない」と諭され、次のように言われた。 

 

「彼らを恐れてはならない、わたしがあなたと共にいて、あなたを救うからである」(エレミヤ1.8)

 

▪️久保木修己日本UC元会長は、厚木大山頂上で断食祈祷中、劇的な神体験をされた。神は覚悟のほどを問われ、「汝、この信仰を全うする気持がありや。ならば立って山を下り福音を宣べ伝えよ」と。 

 

躊躇する久保木会長に、神は「案ずるな、私が共にある」と釘を刺さされたという。その後宙を舞うような足取りで「別人となって」山を降りたのである。奇しくも1963年2月3日、会長32才の誕生日のことであった。 

 

▪️こうして「神共にあり」は、まさに聖書を貫く主題であり、成約時代における私たちの信仰の旅路において、固く心に刻んでおきたい言葉である。然り、神は共にあり! 

 

以上


 

聖書こばなし(12)ー神の霊の働き(注ぎ)

 

▪️聖書は神の言葉であり、「神の霊の働き」とその「注ぎ」に満ちている。聖書には神の霊が働いてきた歴史が綴られている。霊とは、「神の愛の活動する力」、即ち神の人格的、非人格的な全ての根本にある神の力の作用」あるいは「神の意を受けた天使や善霊を通しての働き」、つまり「聖なる神の霊」である。 

 

▪️旧約時代の神の霊の働き。神は終わりの時に、全ての人にわが霊を注ぐと言われた。 

 

「神の霊が水の表を動いていた」(創世記1.2) 

 

「ヨシュアは知恵の霊に満ちていた」(申命記34.9) 

 

「そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った」(士師記14.19) 

 

「主の霊がサムエルの上に激しく下った」(1サムエル10.6) 

 

「神の霊がサウルに激しく降った」(1サムエル11・6) 

 

「主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った」(1サムエル16.13) 

 

「その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である」(イザヤ11.2) 

 

「終わりの時に、全ての人にわが霊を注ぐ」(ヨエル書 2.1) 

 

▪️新約時代の聖霊の働き。イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を神から受けて注いで下さった。 

 

【A】イエス様が復活・昇天されるまでの御霊(聖霊)の働き。この場合の聖霊は旧約時代の「神の霊」と同義である。 

 

「母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった」(マタイ1.18)

 

「天が開け、聖霊が鳩のように降って来た」(ルカ3.22) 

 

「さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダンから帰られた。そして御霊によって荒野に導かれた」(マタイ4.1)

 

【B】イエス様が復活・昇天され、聖霊を送ることを約束された(使徒2.33、ヨハネ14.16~17)。 

 

この復活・昇天以後の聖霊こそ、まさにイエス様の相対者としての「霊的母の霊」である。UC創始者は、「聖霊は、サライ・リベカ・ラケルの総合霊、それにマリアの霊が加わったもの」という表現をされたことがある。 

 

「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を神から受けて注いで下さった」(使徒2.33) 

 

「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によって、バプテスマを授けられるであろう」(使徒1.4~5)

 

「一同は聖霊に満たされ、色々の他国の言葉で語り出した」(使徒2.4) 

 

「そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った」(使徒4.8)

 

「彼らが祈り終えると、集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語り出した」(使徒4.31)

 

「貴方の体は、貴方方の内に住まわれる聖霊の宮である」(コリント6.9)

 

このように、聖霊は、a.主の証し人であり(1コリント12・3)、b.内住し人を真理に導き(ヨハネ16・13)、c.悔い改めと新生の役事をされ(テトス3・5)、d.慰労・癒し・奇跡の業をなされ(1コリント12・8~10)、e.助け手として宣教を導びかれる(使徒14・4)。 

 

▪️ こうして私たちは、祈りの中で、学びの中で、歩みの中で、常に神の霊、聖霊、即ち「神の聖なる霊」の注ぎを感じなければならない。然り、我ら神の霊と共にあり! 

 

以上

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