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聖書の奥義を紐解く 聖書的霊性の相続と新たなリバイバル



「主を知る知識が、海をおおう水のように地を満たすからである」(イザヤ11・9)」

ウジェーヌ・ビュルナン《落穂拾い》 ルツ記2章3節



令和3年3月5日 福岡聖書セミナーレジメ

Thomas HIROSHI YOSHIDA

目次―聖書の奥義を紐解く


【Ⅰ】聖書・神学への目覚め及びキリスト教について・・・・・・・・・・4


1、聖書とは何か、聖書を学ぶ意味とは何か、聖書の成立と構造、聖書観

2、聖書・神学への目覚めー何故「聖書の研究を以って天職とす」となったか

3、聖書の三大思想―唯一a.神思想、b.メシア思想、c.贖罪思想

4、聖書的霊性とは何かーa.神の霊の働き、b.三大思想、c.信仰の系譜と伝統

5、キリスト教は近現代思想の源泉である、代表的クリスチャン

6、聖書・キリスト教の課題、日本でキリスト教が何故根付かないか

7、神学とは何かーその定義と全体構造、神学への動機と現実的契機

【Ⅱ】使徒信条を読み解く―キリスト教教義の凝縮・・・・・・・・・・14


1、使徒信条とは―三位一体の神の表明、キリスト教教義の凝縮 

2、各論解説―a.父なる神、b.子なる神、c.聖霊なる神、d.公堂の教会、e.

罪の赦し、f.永遠の命

3、福音の3要素とは何かーa.十字架、b.墓への葬り、c、復活


【Ⅲ】キリスト教歴史の特徴―a.殉教、b.異端、c.リバイバル・・・・・・20


1、殉教の歴史

2、異端の歴史

3、リバイバル(大覚醒)-キリスト教の回復

【Ⅳ】 聖書の奥義の解明―マタイ伝1章「聖霊による身籠り」とは・・・28


1、聖書の奥義とは何かー聖書の論点と奥義、比喩・象徴・寓話とその解釈

2、マリアの処女懐胎―諸説あり

3、マタイ書に出てくる4人の女性との関連性説(マタイ1・1~16)

4、処女生誕神話には、イエスの命を防御する意図があった。

5、新しい解釈                          

6、罪ある血統から如何にして無原罪のメシアが生まれ得るか

7、血統転換の詳細解説―女性の役割から見た濁から聖への血筋の回復



【Ⅴ】創世記を紐解くー物事の始まり・・・・・・・・・・・・・・・・37


1、創世記の意義 

2、創世記の構造―物事の始まり

3、神の天地創造について(創世記1章、2章)ー天地の始まり

4、神観の諸様相

5、一神教の確立

6、神の存在証明

7、新しい原理の神観


【Ⅵ】創世記3章の解釈―人類の罪の始まり・・・・・・・・・・・・・・46


1、仏教の罪の観念                 

2、神道の罪の観念

3、ギリシャ神話-パンドラの箱とは

4、キリスト教の罪(原罪)に関する従来の解釈

5、原理による創世記3章の解釈

6、カソリックが原罪淫行説を否定した理由


【Ⅶ】創世記4章の解釈―救済歴史の始まり・・・・・・・・・・・・・・56


1、創世記4章―カインは何故アベルを殺したか

2、歴史の二流の始まり

3、創世記25章―神は何故ヤコブを愛し、エソウを憎んだのか

4、創世記38章―ベレツは何故兄ゼラを押しのけて胎から出てきたか

5、創世記12章アブラハムの召命―イスラエル民族の始まり

6、何故、歴史は繰り返すのかー歴史には目的がある





講義骨子の解説(総合レジメ)―聖書の奥義を紐解く


「聖書の奥義(神秘)とは何か」を照らす聖句


黙示録5・1~5「5:1わたしはまた、御座にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。 5:5すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」


ヨハネ16:25 「わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう」


黙示録10:11 「その時、あなたは、もう一度、多くの民族、国民、国語、王たちについて、預言せねばならないと言う声がした」


1コリント13・10「全きものが来る時には、部分的なものはすたれる」


【Ⅰ】キリスト教とは何かー聖書・神学への目覚め


1、聖書とは何か、聖書を学ぶ意味とは何か


ⅰそもそも聖書とは何かーa.神の言葉・啓示の書、b.最高の宗教教理、c.最高倫理、d.しるしと癒しの教示、e.最も大きな影響 f古典の最高峰


→聖書66巻を貫く一貫した思想性(唯一神思想、メシア思想、贖罪思想)


「聖書は一貫した統一性、メシア思想に貫かれています。これはこれら聖書記者の背後に、真の著者としての思想的核心の存在(神)がいるからです」(み言葉集)


ⅱ聖書を学ぶ3つの意義→聖書的霊性の相続


神の言葉(原理)のより深い理解に到るために聖書の学びは欠かせない。神が「根っ子」であれば、旧約は「幹」、新約は「枝葉」であり、原理はその「果実」。この聖書的霊性の上に立ってこそ果実の味の深さが分かる。還暦に「原理講論は聖書の新しい解釈論である」とのインスピレーションを得た。


→これにより、救いの確証と霊的復活(リバイバル)を体験すること。


道のツールとして欠かせない。聖書は既に市民権を持ち、聖書を通して原理を語る。→クリスチャン、求道者へのアプローチ、新約と成約の橋渡し


正統信仰の確立には、異端思想(善悪)を見分ける智慧が必要。→「イスラエルの残れる者」、更に進んで良きアポロジスト(弁証家、護教家)たれ。


対比による深い聖書的真理の理解


聖書と原理の対比、あるいは神道や仏教など他宗教教義とキリスト教教理の対比により、神の言葉への理解はより深まる。→「一つの宗教しか知らないものは、いかなる宗教も知らない」(比較宗教学の祖マックス・ミューラー)


空海の「三教指帰」、日蓮の「5重の相対論」は比較宗教のモデルである。


→日蓮は、内外、大小、実権(法華経と方便経)、本迹(法華経本門15~28、迹門1~14)、種脱(文底の観心と文上の教え)の5重の相対を論じた上、法華経如来寿量品に顕す事の一念三千たる妙法蓮華経5字こそ末法の究極の教法と結論づけ、この唱題により全ての人が成仏出来るとした。(日蓮正宗、創価学会)


久保木修己著「愛天愛国愛人」(世界日報)に「法華経を学んでいたお陰で、統一原理と比較でき、原理の偉大さを悟ることができた」(P68)と明記されている


ⅳ聖書は、「聖霊の導き」が無ければ真に読むことは出来ない。


「また、聖霊によるのでなければ、誰もイエスは主であると言うことはできません」(1コリント12・3)

「真理の御霊(聖霊)が来る時には、あなた方をあらゆる真理に導いて下さる」(ヨハネ16・13)


ⅴ聖書の構造、成立、そして聖書観


・聖書の構造―聖書は、全66巻(旧約39巻、新約27巻)、1189章31173節80万語からなる。旧約は律法、歴史書、文学書、預言書に4分類され、新約は、旧約に相対して、それぞれ福音書、歴史書、書簡、預言書に4分類されている。但しユダヤ人による区分では律法(トーラー)、預言者(ネイビーム)、諸書(カトビーム)の3区分になっている。


聖書の成立―旧約聖書はBC15~13Cにモーセの律法から始まり、8C~7Cに形が出来、バビロン捕囚前後にモーセ五書がまとめられた。AD90年のヤムニア会議で旧約39巻が確定した。


新約聖書は1Cにはほぼ書き終えられたが、最終的に300年を要した。旧約39巻と共に、新約27巻の最終認定は、ヒッポ会議(393年)、カルタゴ会議(397年)、においてなされた。


聖書観についてー聖書観には大きく、a聖書は誤りなき神の言葉であるとする福音主義の立場の根本主義的聖書観(十全言語霊感説)、b聖書全体を必ずしも神の言葉とは見做さず、人間の理性や歴史的実証性を重視する神学的立場の自由主義的聖書観(自由主義神学)、cカール・バルトら弁証法神学者の新伝統主義の立場の新正統主義的聖書観(断続的神言化説)の3つがある。


原理の聖書観

「聖書の文字は真理を表現する一つの方法であり真理それ自体ではなく、真理を顕す一つの過渡的な教科書である」(原理講論P169)


→聖書を神の言葉と考えている。但し、聖書はそれ自体で完結したものではなく、その真理を表す程度と範囲は、時代的恵沢により漸次その内容と範囲が深まっていくものであるという聖書観に立っている。


「ここに発表するみ言はその真理の一部分であり、一層深い真理の部分が継続して発表されることを待ち望む」(講論P38)


「聖書は神の創造理想、堕落、復帰の道が隠された秘密の啓示の書であり、重大な内容が(奥義として)比喩と象徴で描写されています。比喩と象徴は、来るべきメシアによって明らかにされるのです」(平和経 神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観1) 久保木修巳元UC会長も、「聖書は神の秘密の暗号」であり、この暗号を解読しなければならないと語られた。


以上を整理すると、a聖書は神の言葉、霊感の書である。しかし、言語霊感説は取らない、b聖書の比喩、象徴、寓話の意味を正しく解釈し、聖書の文字の背後に隠された奥義、救済の真理を読みとること,(その意味でバルトや内村鑑三の聖書観に近い) c断片だけを強調せず、文書全体の文脈の中で読む、d聖書はそれ自体で完結したものではなく過渡的真理と考える(従って十全霊感説は採用しない)、この4点。



2、聖書・神学への目覚めー何故「聖書の研究を以って天職とす」となったか


ⅰ神を求める本心の指向性―還暦後、聖書と神学を希求する強い高まりがあ った。→「神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた」(伝道の書3・11)、教皇ヨハネ・パウロ2世「人間の心の遥かな深みには、神を求める欲求と神への郷愁の種が宿っている」


ⅱ信仰告白―平成23年7月27日、アメリカアリゾナ州セドナの山の中腹ni

ある「The Chapel of the Holy Cross(聖十字架教会)」の礼拝堂にて再臨と原理に関する信仰告白を行う。以後、このセドナ信仰告白を実証することが聖書・神学研究の目標になる。

 →「究極的な宗教真理の認識は、信仰告白によって可能になる」


ⅲ神学への現実的契機―佐藤優著「自壊する帝国」を読んで(後述)


ⅳ神の啓示とどん底からの復活―65歳過ぎて、神は筆者をどん底に追い落とされた。このどん底で聖書と出会い、神の言葉だけが唯一最大の財産であることを確認した。そして古稀に「聖書を3回通読しなさい」との啓示がある。→どん底で「復活の神」に出会い、以後「聖書の研究を以って天職となす」の人生が始まる。


ⅴ牧師就任―聖書3回通読後、著書「異邦人の体験的神学思想」を上梓し、

「新生聖書研究会」を主宰した。そしてこれらが認定され、平成31年2月10日聖公会司祭宮岸進牧師より按手礼を受けユニバーサル福音教会の牧師に就任する。この牧師就任は、神の導きによる完全な役事であった。



3、聖書の三大思想―唯一神思想、メシア思想、贖罪思想

聖書には、それを貫く思想、即ち、a.唯一神の思想、b.メシア思想、c.贖罪思想の3大思想がある。その他、選民と契約の思想、弱者救済思想、預言者の批判精神などがあるが、以下、この三大思想について概略を述べる。


ⅰ唯一神思想

創世記1・1「はじめに神は天と地を創造された」

 モーセの十戒の一戒「わたしの他に、何物をも神としてはならない」→イスラエル一神教の確立


ⅱメシア思想 


旧約聖書には300以上のメシア預言があるといわれ、聖書は救世主を待望す

る預言の書である。→イザヤ9・6「ひとりのみどりごがわたしたちのために

生まれた。その名は、霊妙なる義士、とこしえの父、平和の君と唱えられる」


ⅲ贖罪思想  


・幕屋、神殿での祭物の捧げもの(旧約時代)、イエスの十字架による贖罪(新約時代)の思想


・内村鑑三は、「神道、仏教、武士道を源泉とする日本の道徳性は、贖罪観念を

除いて、決してキリスト教の道徳性に引けを取らない」と語る。つまり、

日本の霊性はキリスト教に負けないが、唯一、贖罪という思想だけは欠落して

いるという。「神の子の贖罪の恩恵による罪からの解放、これがキリスト教の

本質であります」(『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』P279)


4、聖書的霊性とは何か


聖書的霊性とは、a.神の啓示と神の霊の働きの系譜 b.三大思想の系譜 c.敬虔な信仰と回心の系譜、など3つの系譜の総体をいう。


神の啓示と霊の働きの系譜―神と「神の霊」が共にある歴史


聖書は神の言葉であり、神が共にあり、「啓示、霊の働き、しるし」に満ちている。聖書には神の霊が働いてきた歴史が綴られている。→霊、聖霊、悪霊の概念


<神が共にある歴史>

「私は必ずあなたと共にいる」(出エジプト3・12)

「私はモーセと共にいたように、あなたと共にいる」(ヨシュア記1・5)

「私はあなたと共にいて、あなたを守る」(創世記28・15)

「その名はインヌマエル、神われらと共にいますという意味である。(マタイ1・23)


<旧約>

「神の霊が水の表を動いていた」(創世記1・2)

「ヨシュアは知恵の霊に満ちていた」(申命記34・9)

「そのとき、主の霊が激しくサムソンの上に下った」(士師記14・19)

「主の霊がサムエルの上に激しく下った」(1サムエル10・6)

「神の霊がサウルに激しく降った」(1サムエル11・6)

主の霊がその日以来、ダビデの上に激しく下った」(1サムエル16・13)

「その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である」(イザヤ11・2)

終わりの時に、全ての人にわが霊を注ぐ」(ヨエル書 2・1)


<新約>

「天が開け、聖霊が鳩のように降って来た」(ルカ3・22)

真理の御霊(聖霊)が来る時には、あらゆる真理に導いて下さる」(ヨハ

ネ16・13)

一同は聖霊に満たされ、色々の他国の言葉で語り出した(使徒2・4)

「イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を神から受けて注いで下さっ

た」(使徒 2・33)

「貴方の体は、貴方方の内に住まわれる聖霊の宮である(コリント6・9)


ⅱ三大思想の系譜→ 上記聖書の三大思想参照


敬虔な信仰と回心の系譜―多くの著名な聖人・クリスチャンが聖書の一句で回心した。


イサク・ヤコブ・モーセ・預言者・イエス、アウグスチヌス、ルター、ウエスレー、William Collyer(さまようひとびと)、ジョン・ニュートン(アメージング・グレース)、内村鑑三、等々の敬虔な信仰の系譜、タマル、ルツ、マリア、ナイチンゲールなど女性達の信仰の系譜がある。


・アウグスチヌスの回心 ロマ書13・14「肉の欲を満たすことなかれ」

・ルターの回心聖句 ロマ書1・17「信仰による義人は生きる」

・マザーテレサの回心聖句 マタイ25:40 「私の兄弟であるこの最も小さいものにしたのは、私(イエス)にしてくれたことなのである」

・ナイチンゲールの生涯4回の啓示(1820~1910年)、17歳で「我に仕えよ」との啓示を皮切りに、24才、29才、34才の時啓示を受ける。

・ジョン・ウエスレーの回心(1703~1791):1738年5月24日、ルター説教集の冒頭の一句朗読の最中、雷のごとく霊に打たれ回心体験をする。


→「救いの確証は、戒律や善行の末に訪れるものではなく、自らの不完全性と罪深さを悟った時に既にキリストの自己犠牲によって救われている」との確信に到る。→パウロの信仰による救い、アウグスチヌスの恩寵救済論、ルターの信仰義認説と同じ脈絡にある。ルターに次ぐ第2の宗教改革上の回心と言える。

・内村鑑三の回心 アマースト大学シーリー学長「内を省みる事を止めて、罪を

贖ひ給ひし十字架のキリストを仰ぎみよ」(1886年3月7日)

・新島襄の回心聖句 創世記1・1「はじめに神は天と地を創造された」 

上記の他に、「良き教会的伝統の系譜」がある。祈り、礼拝、典礼、奉仕、教会、修道院などの良質な諸制度の伝統、キリスト教歴史の3つの特徴「殉教(聖書の知識27、28、29)、正統と異端(聖書の知識30、31、32)、リバイバル(聖書の知識19、34)」などである。→後述


5、キリスト教は近現代思想の源泉である


ⅰ自由主義・民主主義の精神―米の独立宣言は、自由・民主・権利は神から付与された人権であるとのキリスト教的確信に基づく。この事実は、リンカーンの「自由、民主、神の三位一体思想」(イン・ゴッド、アンダー・ゴッドの思想)、トランプの「自由とは政府から与えられるものではなく神からの贈り物である」との確信、からも明らかである。


ⅱ資本主義の源泉―カルビン主義の禁欲・勤勉・節約、契約精神・利他精神が資本主義の源泉となった。これらは、名著マックス・ウエーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」で論証されている。


ⅲ科学技術への動機付け―「万のものを治めよ」(雄世紀1・28)との万物観は、物質世界は観察し分析し人間のために利用できるという考え方を生む。この思想が科学の発達を促した。しかし東洋(日本)では、人と自然を一体と見、自然を神聖視する傾向がある。


ⅳ自由市場経済の進展―終末思想に見られる「見えざる神の手」による経済の自動調整機能を強調した。又商品・貨幣・市場は人より先に国境を超える広がりを持つ。これらのグローバル経済は、人類一家族理想の予型である。


6、聖書・キリスト教の課題


ⅰ聖書への批評学の発展で、「史的イエスと信仰のイエスの乖離」、「歴史的事実と信仰的事実の隔たり」、「十字架信仰への過度な集中」などが課題となっている。→キリスト教は、「十字架の教理ではなく、復活の道理から生まれた」(み言)


また、「編集句(挿入句)」があるとの結論(編集史学派)により、真理の客観的根拠とされた聖書主義が揺いでいる。→(例)3回の受難予告(マルコ8・31、マルコ9・31、マルコ10・33)、贖いの聖句(マタイ26・28)


ⅱ聖書解釈の相違(聖書解釈のアナーキー)と教派の乱立(教会のアナーキー)


ⅲキリスト教社会における道徳律の衰退、信徒の減少、救いへの手詰まり感、教会と信仰の形骸化


ⅳ日本でキリスト教が何故根付かないのかーキリスト教の日本での土着化問題(文脈化Contextualization)


・土着化とは、その宗教の本質を変えることなく、その国の文化や宗教的伝統と寄り添っていくプロセスをいう。


・日本へのキリスト教の土着を考える場合、自然、先祖、天皇への理解という3 

 つの理解が不可欠である。この西欧的キリスト教の霊性は、このいずれにも成功しているとは言えない。


・ザビエル以来、日本のクリスチャン人口は1%未満に甘んじている。その理由に、a.日本は多神教であり、一神教的土壌の欠如があげられる。b.次に日本の伝統思想である和の精神が、一神教が持つ排他性と相いれないという側面があるc.更に、罪観の違いがある。日本にはキリスト教の贖罪思想がない。d.そして最も大きな理由として、神道、仏教、儒教などの有力宗教の壁に阻まれている。又日本独特の村社会の閉鎖性や覆われている異教的霊性を問題視する見解もある。


・しかし、キリスト教文化・文明の影響は侮れない。特に、a.教育分野、b.医療分野、c.慈善事業分野の3つの分野で大きな業績を挙げ、日本での影響は数十%に及ぶと考えられる。これらは又、福音書に記載されているように、イエス・キリストが示し実践した活動分野でもある。



7、神学とは何かー定義と全体構造及び神学への現実的契機

聖書の研究と共に、神の啓示の書である聖書を、体系的、論理的に説明したのがキリスト教神学である。


ⅰ神学とは神についての学問で、聖書の体系的理解である。原理講論は聖書の新しい解釈論であり、最高の神学書である。


・神学とは、「神についての教理である」(シーセン)、「福音の厳密な理解である」(北森嘉蔵)、「聖書と信仰の体系的な理解である」


神学は、「神」、「罪」、「救い」について聖書に照らし体系的に説明するものである。神学の目的は、「救いとは何か、救いは如何にしてもたらされるか」、この根本的な命題を厳密に明らかにすることである。→信仰抜きに神学は成り立たないが、神学なしに正しい信仰は得らない。


キリスト教神学は異端との戦いの中から生まれた。「神学とは正しい福音と異なる福音を峻別することである」、即ち異端を峻別する知恵。


・神学と理性の関係→「神学なき信仰は盲目であり、信仰なき神学は有害である」→神学は諸学の王、諸学は神学の侍女(トアス・アキナス)


ⅱ神学の全体構造


・神学の分野には、a組織神学 b聖書神学、c歴史神学(教会史、教理史、信条史、歴史思想史)、d実践神学(牧会学、説教学、教会学、宣教学、典礼学、基督教音楽)、e弁証学、などがある。


中でも最も中心となるのが組織神学(教義学)です。組織神学とは、聖書に基づき、聖書において啓示された真理内容を体系的、教義的にまとめ、教会形成と伝道の働きに奉仕することを目的とする学問分野であります。又、キリスト教と他の宗教や哲学を比較してキリスト教がいかに正しいかを証明し、弁証する護教学でもあるといわれる。


・先ず教義上の真実(神、罪、救い、三位一体、受肉、十字架、復活、終末、再臨、教会、歴史、他)を明らかにし、次に倫理的真実(信仰、希望、愛、忍耐、寛容、犠牲、他)を明らかにするものであり、神論、罪論、人間論、キリスト論、聖霊論、救済論、終末論、再臨論、教会論などによって構成されています。つまり要約すれば「神、罪、救い」である。


ⅲ神学への現実的契機―佐藤優著「自壊する帝国」、国際情勢を分析する最大の武器


・三等書記官の佐藤氏が太いロシア人脈を築くのに神学の力があったこと、国際情勢を理解するには神学知識が不可欠であることを認識した。


佐藤氏は「大きな変動が起きると、国際政治や国際法の知識より教会史や組織神学の知識が役に立つ」と指摘した。まさに神学は世界を動かす力である。


・ペンスの演説―2018年10月4日、ハドソン研究所にて第二の鉄のカーテン演説ともいうべきスピーチが行われた。この演説は聖書的世界観に裏付けられている。中国共産党による信仰・宗教の弾圧(ウイグル、チベット、キリスト教の弾圧)、言論の統制・弾圧、知的財産権・技術の窃取、非民主化などを問題視した。


・「無神論的世界秩序の形成を許さない」との思想と決意は、聖書的世界観から生まれており、日本の政治家には見られない。


ⅳ共産主義崩壊後の国家理念


・ソ連共産主義の崩壊、エリツインの統治時のロシア経済の停滞(マフィア経済)などによる未曽有の混乱を、プーチンはロシア正教の復活によって立て直した。


・プーチンは、ロシア正教の復活により、国家アイデンティティの確立と資本主義の精神(勤勉・禁欲・契約を守る・社会への寄与)を復興させ、経済回復を成し遂げた。プーチンの母は敬虔なロシア正教信徒だった。


ⅴトランプの原点―及川幸久著「神とトランプとプーチンとー信仰こそ勝利の方程式」より


・ノーマン・ビンセント・ピール牧師のポジティブシンキングから強い影響を受け、潜在意識(究極的には神、霊界、信仰との繋がり)の使い手となった。


・自己利益最優先型のグローバリズムを警告する反グローバリストでもある。反グローバリズムとは、神なきグローバリズムへのアンチテーゼである。又トランプは、「自由・人権は神からの贈り物」という言葉を使う。



【Ⅱ】使徒信条を読み解く―キリスト教狭義のエキス


我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。 

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、おとめマリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人の内よりよみがえり、天にのぼり、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこよりきたりて生ける者と死にたる者とを審きたまわん。            

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪のゆるし、からだのよみがえり、とこしえの命を信ず。アーメン (使徒信条)


使徒信条には、「神」、「イエス・キリスト(キリスト論と三位一体論)」、「十字架と復活」、「再臨」、「聖霊」、「公堂の教会」、「信徒の交わり」、「罪の許し」、「からだの復活」、「永遠の命」の各概念が含まれている。                          


1、使徒信条解説―三位一体の神、キリスト教神学の核心 

ⅰ正統派キリスト教教義の核心は、使徒信条に要約されている。使徒信条には、キリスト教神学の核心である三位一体の教義、福音の三要素が示されている。4世紀始めに定式化され、「使徒信条」の名は4世紀ごろより用いられはじめた事が確認されている。

西方教会で使用され東方教会(正教会、東方諸教会)では使用されない。東西両教会で使用されるという意味でより広く使われる基本信条には、381年のニケヤ信条(ニカイア・コンスタンティノポリス信条)がある。


ⅱ使徒信条―その目的と構造                   


・2C後半のローマ信条(洗礼告白文)に基づいてつくられ、アリウス派を異端としたニカイア会議(325年)、ネストリウス派・単性論を排除したカルケドン会議(451年)で教義的に確立されていった。


・この信条は、第一に洗礼式の信仰告白のために必要とされ、第二に異端との区別(特にグノーシス主義、アリウス派)のために作られたと言われている。


ⅲ三位一体思想の簡潔な表明


・信徒信条は三位一体思想の簡潔な表明である。


・先ず最初に、a.唯一にして創造主としての神、全能の神を宣言し、神の本質的性質を謳う。これは創世記1・1の「初めに神は天と地を創造された」に符合している。b.次に救い主イエスが誰であるか、その本質を簡潔に明らかにしていく、いわゆるキリスト論の骨子である。ここにはイエスが神であり人であるとの三位一体の思想が表れている。c.最後の部分は、いわゆる聖霊論で、聖霊の働きによって、信徒の信仰の営みが行われていく。このように使途信条には、キリスト教神学の要約が端的に表明されている。


2、各論解説


ⅰ我、信ずー「天地の造り主、全能の父なる神を信ず」                           


・「我信ず」とは、即ち「信仰告白」である。単なる知的承認ではなく、神と神の約束への全人格的な信頼と受容である。→信仰とは「信じる」ことである。また「信仰とは決断」であり、信仰告白である。ルター、アウグスチヌス、内村鑑三の信仰観、及びセドナ信仰告白。


ⅱ「父なる神」―天地の造り主、全能の父なる神

・唯一神、創造神、人格神→後述P37


ⅱ「子なる神」―キリスト論


・使徒信条は、イエス・キリストとは誰かということ、即ち「キスト論」に最も多くを割いている。(8行中5行)


・論点→a.精霊による身籠り(後述)、b.十字架とその意味、c.葬り、d三日目に蘇る(復活)、e.昇天と再臨



ⅲ「聖霊なる神」→第三位格「聖霊論」について


・イエスの大宣教命令は聖霊の働き無しに困難であり、伝道と信仰生活には聖霊の働きと導きが必須である。恵みの時代(教会時代)は聖霊の時代であり、聖霊は知情意を有する人格を持って働かれるが、あまり自己主張されないので教会史では目立たなかったきらいがある。


・聖霊はもう一人の神である。(ヨハネ14・16)


・聖霊は律法の時代にも外から働いているが(神の霊と表現)、内住や聖霊降臨は無かった。(ヨハネ7・37~39)→ペンテコステが新約時代の聖霊の働きの幕開けである。                    


・罪について、義について、裁きについて聖霊の働きが明らかにされる(ヨハネ10・7~11)→ 聖霊の3大役割 a.キリストを証し真理へ導く(1コリント12・3、ヨハネ16・13)、b.罪の悔い改めに至らせる(テトス3・5)、c.癒しの賜物(1コリント12・8~10)


・原理では、聖霊は女性神でメシアの配偶者(妻)とする。メシアを真の父母とし、聖霊は真の母の立場に立つ。新約時代の聖霊は、イエスキリストの霊的配偶者とする。原理創始者は、サライ、リベカ、ラケル、及び悔い改めたマリアの集合霊と表現された。 


ⅳ聖なる公同の教会(教会論)


・教会(エクレシア)とは、呼び出されたもの、選り分けられたものという意味がある。                              


・キリストは教会のかしら、教派はキリストのからだ(エペソ1・23)であり、建物ではなく神によって呼び出された「信徒の集まり」である。


・教会には、①地域の信徒の集まり(地域信徒共同体)、②普遍的教会(キリストに与る全てのクリスチャン共同体)という二つの概念があり、キリストを受け入れた時点で、一旦先ず、普遍的教会に属す→三位一体の教理を宣言した4つの世界公同信条(使徒信条、ニカイア信条、アナタシウス信条、カルケドン信条)を受け入れている教会・信徒の群れは公同の教会といえる。                   


・普遍的教会と地域教会                        

普遍的教会とはホーリーカソリックチャーチとも呼び、目に見えない教   会として、ペンテコステ以降携挙までの全ての信者から構成される。キリストが普遍教会の所有者で、み名をもって呼び集められる。         


その見えざる公同の教会が各個別教会として現れるのが地域教会であり、見える教会で地域教会に所属する具体的な信徒の集まりである。教会共同体(各個の教会)は、迫害に耐える力、信仰の励ましや成長(互助互恵、帰属意識)、儀式の執行、利便性、神の国実現に有益である。          


・教会は信徒の集まりであり、二人三人でもキリストに与るところは、すべからく教会である。(マタイ18・20)→単立教会、スモールチャーチ、ホームチャーチ(家庭教会)の教会概念。                      


・一人教会(ワン・パーソン・チャーチ)も教会である。宮岸進司祭は、按手礼で「今後は、あなたの居るところ、あなたの居る場所が教会です」と語られた。                              


万人祭司とは、聖書に従って敬虔な信仰を行う者全員を司祭とするというプロテスタントの考え方で、教皇や聖人を通さずとも、聖書を読み、信仰によって、直接神の恵みを受けることが出来、一人一人が単独で神の前に祭司となるという思想である。


・内村鑑三の無教会主義とは、つまり信徒の交わりを意味する。札幌農学 校のクラーク博士は牧師ではなかったが、教え子を自宅に招き、家庭で礼拝した。


ここから新渡戸稲造、内村鑑三など多くの著名なクリスチャンが出た。


ⅴ聖徒の交わり


・聖徒の交わりとは、クリスチャンたちの交わりで、聖なるものを共有すること(シェア)、分かち合うこと(コミュニオン)を意味し、交わりの根源は愛である。


・聖徒の交わりの本質的意味は、イエスの贖罪・罪の赦し・蘇り・永遠の命を共有していること、救いに与っていること、他のために奉仕をすること、である。勿論、信徒同士の小集団の語らい、情報交換も信徒の交わりである。


・聖なるものとは、信仰、サクラメント、聖体(パンと葡萄酒を共有する聖餐式)、ミサ、などの霊的賜物などを言う。


・礼拝の3要素―a.神への礼拝、b.み言葉の学びと回心、c.聖徒の交わり


ⅵ罪のゆるし


・許しは、義認(神の怒りからの解放)・聖化(罪の束縛からの解放)・栄化(人格完成)の全体に及ぶ。そして、罪の許しは「悔い改め」が前提であり、神は悔い改めた人間を許される。


→ルカ24・47「罪の許しを得させる悔い改めが宣べ伝えられる」、1ヨハネ1・9「罪を告白するなら神はゆるし清めて下さる」、イザヤ43・25「私はあなたの罪を思い起さない」


・罪の許しの儀式:洗礼、カソリックの告解の秘蹟(コンフェッション)→UCでは聖酒式

ⅶからだのよみがえりー復活


・復活とは、肉体の復活か、霊の復活か、霊肉の復活か、3つの復活説がある。伝統的キリスト教では、肉体の復活、即ちイエスが肉体を伴って復活したと信じる。原理観では霊人体の復活と解釈する。又復活の内的意味は、新生することであり、復活は死を前提にした概念である。


・キリストの初穂としての肉体の復活(1コリント15・20)は歴史的事実であり、弟子たちは、信じられない体験と信仰の飛躍を体験した。キリストの復活により全ての人が生きるとされる。(1コリント15・21~22)


またキリストの再臨により、先ず死人がよみがえり、全てのクリスチャンが携挙されるとする。(1テサロニケ4・13~18)→原理観ではあくまで霊人体のより高い霊界への復活である。土に還ったものの体が甦ることではないし、携挙も否定される。キリスト教は十字架の教理ではなく復活の教理。

ⅷとこしえの命


・とこしえの命とは、新生され復活した体(霊人体)を持つもの、神との関係を回復した人間の霊的状態である。時空的にも、質的にも変化し新生した命である。


・信仰の最終目標は、創世記3・24、黙示録22・1~2の命の木、即ち「とこしえの命」である。


・信仰の目的は永遠の命を得ることー悔い改めと回心→罪の赦し→新生と復活→永遠の命


3、福音の3要素とはー使徒信条の骨格となっている 

「すなわちキリストが、わたしたちの罪のために死んだこと、 15:4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと」(1コリント15:3)


上記の聖句は福音の3要素の根拠聖句である。即ち、福音の3要素とは、次の三つである。


① 十字架でキリストが私たちの罪のために死なれたこと→贖罪(ヘブル9.12、ヨハネの手紙4・10)

② 墓に葬られたこと、

③ 三日目に蘇られ今も生きておられること→復活と昇天


これを信じる信仰がキリスト教の正統的信仰であり、これを告白する者がクリスチャン(キリストに属する者)である。


【Ⅲ】キリスト教歴史の特徴―殉教、異端、リバイバルについて


「殉教」、「異端」、「リバイバル」の3つはキリスト教歴史の3大特徴と言える。そこで、この3つのキーワードを手がかりに、キリスト教の本質を考える。なお、殉教については「聖書の知識27,28,29」、正統と異端は「聖書の知識30、31、32」、リバイバルは「聖書の知識19、34」を参照されたし。


1、殉教の歴史


ⅰ殉教とは、信仰のために自らの命を犠牲にして(非暴力的に)キリストを証することである。国家の禁制により処刑、改宗や棄教を迫られて拷問、他宗派異教徒により殺される。


キリスト教は殉教の宗教であり、キリスト教ほど多くの殉教者を出した宗教はない。禁教下のローマ時代の殉教、宣教に伴う各地・各国での殉教。イエス・キリストの十字架の道を行く。


ⅱ初期の殉教


・最初の殉教はステパノ(使徒行伝6・8~7・60)。神殿とユダヤ教の形骸化を批判したため、パリサイ派によって石打ちの刑。→迫害する者のために祈る(使徒7・60)


・12使徒のヨハネ以外の11人は皆殉教した。三大使徒教父のイグナティオス、クレメンス、ポリュカルポスも殉教した。


ⅲローマ帝国時代の迫害について


・ロー帝国領内に広がったキリスト教に対し、はじめは寛容。しかし、国家神としてのローマの神々への儀礼祭祀や、特に皇帝礼拝に反した場合は罰せられる。


・キリスト教迫害のおもな理由は、①皇帝礼拝の拒否、②ローマ多神教礼拝の拒否、③民衆の悪意の風評による憎悪(キリスト教徒が陰謀や魔術を行い人肉を食べるといった風評、近親相姦に耽っているといった類の風評、土着文化との不適合)、④兵役拒否、など。処刑は、斬首、火刑、十字架刑、闘技場での野獣との戦い、追放、重労働、奴隷、など。


・三期に渡る迫害


第1期―トラヤヌス帝迄の初代教会時代

第2期の2世紀初頭のトラヤヌス帝(在位98~117)の時代。

「キリスト教徒はその名のゆえに処罰される」という原則。只、棄教すれば許されるとか、キリスト教徒を探索、密告してはならないとするなど、概ね抑制的なもので、むしろ、キリスト教を嫌悪する民意に配慮したものという一面があった。

第3期の3世紀半ばのデキウス帝(在位249年 - 251)

国家的規模での迫害が実施、多くの棄教者を生む。


・ローマ帝国迫害としてよく知られているのが、64年のネロ帝(在位54~68)の迫害の時と、4世紀はじめ303年のディオクレティアヌス帝の迫害。  


・殉教者の勇気と力は何処から来たのか。a.一つは聖霊の働き、聖霊の賜物、

b.肉体の死の先にある神の国、より優れた永遠の故郷への願望と確信、c.の死をもってキリストを証しする殉教という名の「究極の伝道」、d.殉教を要求された(キリスト教の殉教は、神の摂理自体、償いの歴史、贖いの歴史自体に必然的な 

起因がある)、などが挙げられる。


・中世から近代にかけても、宣教に伴う多くの殉教が多発した。


ⅲ日本における殉教の歴史


・1549年のイエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルに始まる日本への宣教は当初、織田信長の保護もあり、一時期かなり浸透し、最盛期には、当時の人口が2000万~2500万人人に対して、キリシタン人口は推定40~70万人とされている。長崎だけでも2万5000 を越え、教会数も40以上あったと記録さる。


・しかし、1587年豊臣秀吉のバテレン追放令、1614年徳川幕府のキリシタン禁教令によってキリスト教が根付くことはなく、1873年禁教令が撤廃される迄の約250年間に、多くの殉教者を出すことになった。全体で4000人を越える殉教を出したと言われ、島原の乱を含めると数万人を越えるという数字もある。


・日本の教会の殉教史で大殉教と呼ばれる殉教が3つある。1596年の長崎の殉教、1619年の京都の殉教、そして、1922年の江戸の殉教である。以下、これを見て行く。


[長崎26聖人の大殉教]


1596年のサン=フェリペ号事件をきっかけに、秀吉はキリスト教への態度を硬化させ、1597年、フランシスコ会系の宣教師たちを捕らえるよう命じた。これが豊臣秀吉による最初の迫害であり、司祭や信徒あわせて26人が長崎で処刑された。最年少の12歳の茨木ルイスは、信仰を捨てれば救うといわれたが、これを拒絶し、十字架上で「パライソ(天国)、パライソ、イエズス、マリア」と叫びながら息絶えたと言われている。


[京都の大殉教]


1619年10月6日、鴨川の六条から七条の間、現在の正面橋のあたりで、将軍秀忠の命により、52人の信者が火あぶりの殉教を遂げ、うち11人は子供だった。

その中でヨハネ橋本太兵衛、妻テクラと3人の子供の殉教が、とくに人びとの目を引いた。3人の子供と一緒に縛られた若いテクラは、最期までわが子らを堅く抱き締めていたと言いう。(以上、カトリック中央協議会レポート)


[元和の大殉教]


元和の大殉教とは、1622年9月10日、長崎の西坂で神父や修道師を含むキリスト教徒55名が火刑と斬首によって処刑された事件。日本のキリシタン迫害の歴史の中でも最も多くの信徒が同時に処刑された。処刑されたのは、イエズス会、フランシスコ会、ドミニコ会の司祭9人と修道士数名、老若男女の信徒で、女性や幼い子供が多いのは、宣教師をかくまった信徒の一家全員を処刑したからである。この事件は、イギリス船とオランダ船が共同で拿捕した船から、日本に密航しようとしたポルトガル人宣教師が発見されたことが発端になったものだ。


ⅳ韓国の殉教について


・朝鮮半島へのキリスト教伝来は、1784年に李承フンが中国で初めての信者になり、中国から帰国した時とされている。李氏朝鮮では18世紀から19世紀にかけて、おびただしいキリスト教徒が殺害された。李王朝は、徹底した儒教の国で、完全鎖国主義をとっていたので、キリスト教は激しく弾圧された。


以後、19世紀、李王朝の凄まじい大迫害が70年間続きく。

第一回迫害1801年李承フンなど殉教者300人

第二回迫害1839~1840年殉教者113人

第三回迫害1866年、殉教者8000人、寒さと記で10万人死亡

第四回迫害1871年、殉教者不明


・伝来以後70年の間に、上記のように迫害による殉教者が数万~10万超も出て、ローマ帝国以上とも言われる。しかし、殉教者の血は誇り(李光洙)と言われ、殉教は返って信者の増加をもたらした。殉教の血は種子である(テリトリアヌス)との言葉の通り、これら李王朝時代の殉教が、戦後のキリスト教徒激増の最大の要因に繋がったと言われている。まさに「一粒の麦」(ヨハネ12・24)だ。


2、異端の歴史


ⅰ異端は神学の母と言われ、キリスト教神学は異端との戦いの中から生まれたと言っても過言ではない。2~4Cにおいて二元論の「グノーシス主義」的異端思想が地中海世界で猛威を振るったが、リヨンのエイレナイオス(130~202頃、異端反駁)、テルトゥリアヌス(160~220頃、護教論)などのアポロジスト(弁証家、護教家)が、グノーシス主義を主要な対象として正統信仰擁護の弁証を行った。又アウグスチヌスは、マニ教やアリウス派などの異端との戦いの中で三位一体説などの教理を確立していく。


ⅱ正統派のアナタシウス派は、ニカイア会議(325年)でアリウス派を、エフェソス公会議(431年)でネストリウス派を、カルケドン会議(451年)で単性派を異端として排除した。


ⅲアウグスチヌスの異端論争-ドナトゥス派、ベラギウス派への反駁


<ドナトゥス派との論争>

ドナトゥス派との論争。ドナトゥス派は、4世紀から5世紀にかけて北アフリカで勢力を得たキリスト教の分派で、一度棄教した者のサクラメント(秘蹟)が有効か否かを巡る問題。→ドナトゥス派は、一度棄教・背教した者の行うサクラメント(秘蹟・礼典)は無効とした。


アウグスチヌスは、罪の無い人間はいないことを根拠として、神の恩寵は人の道徳面の是非からは影響を受けないこと、サクラメントは一度棄教した者によるものであっても有効であると主張。聖職者と言えども罪が無い訳では無いこと、そしてそうした罪が悔い改めによって赦されることの重要性が強調された。→これを事効論(客観的秘蹟論)といい、アウグスティヌスの客観的恩寵論が確立された。


<ベラギウス主義との論争>

ローマの修道士ペラギウス(350~425年頃)が提唱した説とは、神は人間を善なるものとして創造したのであり、人間の原罪は神が善のものとして創りたもうた人間の本質を汚すものではないとし、自分の自由意思によって功徳を積むことで救霊に至ることが可能であると考えた。即ち、原罪を否定し、自由意思という人間の能力を強調して、人間各人が己の責任を持って行動を行うという人間の独立性を掲げた。


アウグスティヌスは「人間は選択の自由はあるが究極的には救いは神の栄光から至る」とし、又人間の選択の自由の中にも神意の采配が宿っているとして、神の恩寵と結びついた選択により道が開けるとした。


ペラギウス主義は416年のカルタゴ会議などで異端として排斥され、431年のエフェソス公会議で異端である事が再確認された。


ⅳ中世の異端ーワルドー派、カタリ派


<ワルドー派>

ワルドー派は,リヨンの豪商ピーター・ワルドーが回心して自分の富を貧しい者たちに分け与え,キリストの模範に従って生活し,聖書を説き明かしたことに始まる。清貧の強調、信徒による説教、ラテン語聖書からの翻訳、に特徴があり、アッシジのフランチェスコの思想と近いものがある。→信徒の説教が禁止され異端とされました。


<カタリ派>

カタリ派はアルビジョア派とも言われ、マニ教に類似した霊肉二元論で聖書を解釈し,キリストの受肉を否定し,厳格な禁欲主義的生活を送り、聖書的信仰から逸脱した。カタリ派思想の根本は、神により創造された精神が、悪により創造された肉体・物質に囚われているという思想であり、この思考法はグノーシス主義などに類似するもので、歴史の中で繰り返しあらわれている。


ⅴ聖像論争について


・伝道の古代ローマ世界への伝道の方便としてイエスやマリアの像が使われたしかしイスラム教の偶像崇拝の批判に晒され、726年,ビザンツ皇帝レオン3世は、聖像禁止令、聖像破壊令を発した。843年には聖像禁止令は緩和され、東方教会では平面像のみの「イコン」の使用が復活した。


・西方のローマ教皇グレゴリウス2世はゲルマン人の教化の必要性から聖像は不可欠として聖像禁止令に反対し対抗した。その結果,1054年東西両教会は相互に破門しあって分離し、ひいては西欧・東欧両世界の分離という事態を招いた。

・聖像禁止派は、キリスト像を描くことは、その不可分とされている人性のみを分離することになり、三位一体説に反すると主張し、それに対して崇拝派は、キリストは受肉した、つまり人間の姿をとっているのであり、聖像は許される、又聖像そのものは神ではなく、あくまで聖像を通じて神を崇拝するのである、とした。


ⅵ異端審問・宗教裁判


13世紀ローマ教皇公認の修ドミニコ会などの修道会が、反教会的な異端の取り締まりの先兵となった。12世紀に始まり15世紀~18世紀に本格化した魔女狩り(悪魔と契約して特殊な能力を持つとされた魔女)では、少なくとも5万人以上が処刑されたといわれている。


1414年のコンスタンツ公会議では聖書中心の信仰を説いたウィクリフとフスを異端として断じて処刑している。


1971年2月4日、ローマ教皇庁は「今後は異端および破門という呼び方、考え方を無くする」と発表し、ここにカソリックにおいて異端と破門の問題は終結した。


ⅶ異端峻別の基準―伝統的キリスト教では次の基準で異端を峻別している。


・三位一体説を受け入れているか否か、イエスを神と認めているか否か


・聖書以外の経典や信仰基準を有し且つ依拠しているか否か


・十字架の贖罪の完全性を認めているか否か


→福音の3要素(1コリント15・3~5)を受け入れ、使徒信条を告白す るものがクリスチャンである。


ⅷキリスト教系新宗教であるエホバの証人、モルモン教、家庭連合(統一教会)、ユニテリアン、クリスチャン・サイエンス、などは三位一体教理を認めない立場に立ち、伝統的キリスト教からは異端とされている。


しかし、何が異端であり、何が正統であるかは諸論議があり、結局勝者が正統となり、敗者が異端となった歴史がある。原始キリスト教会も当時は異端だった。プロテスタントもカソリックから異端とされた。


今後の超教派の推進においては、a.唯一創造の神を信じ、b.イエスをキリストと告白し、c.聖書を神の言葉と信じる者全てをクリスチャンとして受け入れるべきである


3、リバイバル(大覚醒)-キリスト教の回復


ⅰキリスト教界の最も注目すべき特色の一つは、教会が形骸化したり、信仰が萎んだりした時、周期的に信仰を改革し、回復させるリバイバル(大覚醒)の勃興である。旧来の宗教を改革するかたちで、ドイツにはルーテル派、スイスには改革派やバプテスト派、イギリスにはフレンド派、メソジスト派そしてピューリタン、アメリカでは数次のリバイバルが勃興した。このように、世界のあちこちに信仰回復運動が起きたのである。


ⅱ世界最古のリバイバルは1cのペンテコステ(使徒行伝2・1~4)とそれに継ぐローマ世界への宣教である。各地のシナゴーグ(宗教)、共通語としてのギリシャ語(文化)、ローマ帝国による道路網・海路の発達(文明)がリバイバルの原動力となった。


ⅲアメリカでは、超教派的な3回の大覚醒(The Great Awakening)が起こって

いる。①1730~40年に第1次リバイバル(改革派・会衆派のエドワーズ、メ

ソジストのホイットフィールド)、②1800~30年に第2次リバイバル(チヤー

ルズ・フィニー。メソジスト、バプティスト、ホーリネス運動が成長)、③1

850年以降の第3次リバイバル(ドワイト・ムーディー)がそれである。


ⅳ1900年ころから始まったペンテコステ運動(バーハム、シーモアのアズサ・ストリート・リバイバル、聖霊の賜物重視)は世界に広がり最も多くの信者を獲得している。


聖霊の賜物とは、「異言・癒し・奇蹟・悪霊の追い出し」などを伴う働きであり、世界最大のメガチャーチと言われる趙ヨン基牧師の純福音教会はペンテコステ派の流れを汲む。日本でも1919年と1930年に超教派的なホーリネス・リバイバルが起こっている。


ⅴリバイバル運動の特徴

リバイバルは、常に悔い改めと回心の復興から始まった。超教派的な特徴があり、情熱的、大衆的な説教で覚醒を促す。しかし一部の聖職者からは、一時の熱狂として批判されている面もある。→悔い改め、回心、新生、復活、永遠の命

ⅵレムナント出版を主宰されている久保有政牧師は次のように指摘される。「教会は今、回復の途上にある。教会は、この後さらに回復し、やがて究極の回復の時に至る。そして究極の回復の時とは、イエス・キリストの再臨の時である。その日には、教派も、またプロテスタントもカトリックもなく、全地はただ一つの教えになる。その日、主を知る知識が、海をおおう水のように地を満たすからである。(イザヤ11・9)」



【Ⅳ】 聖書の奥義の解明―マタイ伝1章を読み解く


1、聖書の暗示(比喩・象徴・寓話)をいかに解釈するかー聖書最大の論点と奥義(創世記3章、創世記4章、マタイ1・20)の内、今回はマタイ1・20、ルカ1・35の「マリアの聖霊による処女懐胎問題」を扱う。


2、諸説あり


ⅰ処女懐胎説:「全能の神の介入説」が有力で、神には出来ないことがないという。(ルカ1・37) 異端駁論を書いたエイレナウスの再復説、北森嘉蔵の処女懐胎擁護論、諸国の処女誕生神話などもこれを補強する。女懐胎説は伝統的キリスト教の解釈であるが、イエスの神性を担保する一種の信仰告白であるとの見方もある。


ⅱ反処女懐胎説:聖書学的立場からイザヤ7・14の若い女を処女と誤訳したとの批判、聖霊は女性名詞(へブル語)であり男性ではないとの指摘、聖霊の力が働いているという意味で処女懐胎とまでは言っていない、科学や生物学的見地から処女懐胎は非合理だとの批判、処女懐胎を否定するエビオン派の主張、などの反対論がある→聖霊誕生説はイエスの神性を正当化するために教会が作り出したものと主張。


ⅲ私生児説―ケルソスはローマ兵のパンテラが父と主張、タルムードにもパ ンテラとの性関係が記載されている、又ハルナックは婚約中のヨセフとの間に身籠ったという。


3、マタイ書に出てくる4人の女性との関連性説(マタイ1・1~16)


ⅰ男系の系図に、マリア以外に4人の女性が出てくる。→タマル、ラハブ、     ルツ、バテシバ。皆、訳あり女性達で、いわくつきの形で身籠っている(遊女、異邦人)→この4人の女性はマリア処女懐胎の予型・布石・暗示ではないか、との説である。マタイは事実を知っていたとも言われる。     


◇タマル:姦淫(創38・12~)、異邦人・カナン人(創38・12~)    

◇ラハブ:遊女(ヨシュア2・1~)、異邦人・エリコ人(ヨシュア2・1) ◇ルツ:押しかけ婚(ルツ4・13)、異邦人・モアブ人(ルツ1・4)  

◇バテシバ:不倫(2サム11・22)、異邦人・ヘト(2サム11:3)

ⅱそしてこの4人の女性の子孫はメシアの家系を形成した。

アダムーセツ・・・ノアーセム・・・アブラハムーイサクーヤコブーユダ(タマル)-パレスーエスロンーアラムーアミナダムーナアソンーサルモ     ン(ラハブ)-ボアズ(ルツ)―オベデーエッサイーダビデ(バテシバ)ーソロモン・・・・・ヨセフ(マリア)→イエス

ⅲ4人の女性に関する従来の代表的見解        

・罪人説:姦淫を犯した罪人をも救われるイエス(ヒエロニムス→347 ~420頃、ウルガ-タ翻訳、4大ラテン教父の一人)

・異邦人説:異邦人をも救われるイエス。(ルター)                 

ⅳレイモンド・ブラウン(カソリック神学者)の説(「メシアの誕生」から) 

・従来の罪人説や異邦人説と違って、4人の女とマリアを関連付け、メシアの家系を残すために寄与した女性として4人を評価した。又、マタイはマリアの聖霊による身籠り・処女生誕を証すために、4人の女性を普通でない男性(パートナー)との関係で身籠りをした事例として記載したと主張した。

・しかし、ブラウンは聖霊を「パートナー」に含めて考え、結局は処女生誕を擁護した。  

4、処女生誕神話には、イエスの命を防御する意図があった。

ⅰ私生児だとなれば法律問題に引っ掛かり、死罪は免れない。イエスが私生児であってもイエスの価値を引き下げることにはならないという教理的説明が出来ない以上、私生児であることを明らかにすることは危険だった。

又処女教説によって、キリスト教の発展のためにイエスの神性を担保する必要性があり、処女懐胎説はキリスト教のために一定の役割を果たした。

ⅱこの点、原罪淫行説を否定したカソリックの立場と類似する。原罪淫行説は、解決策が示されない以上、「結婚出来ない説」になるからである。しかし、解決策が示されれば、今や事実が明らかになってもいい時である。

ⅲ結局マタイは、神の不可思議な働きで生まれたという玉虫色の解決を図ったのである。             

5、新しい解釈                          

ⅰマーク・ギブス著「聖家族の秘密」→イエスの父はザカリアと明記                              

・「聖家族の秘密」の骨子→英国作家マーク・ギブス著「聖家族の秘密」に  は、イエスの父がザカリアであることが述べられている。 → 

・イエスの父親はザカリアであり、聖母マリアの処女懐胎説はイエスの神聖を強調するための創作である、イエス誕生の経緯(私生児であること)は当時の人々は概ね知っていた、ザカリア家の離反・失敗が十字架に追いやった、 イエスの十字架は神の予定ではない、ことなどが書かれている。

ⅱマタイ1章の4人の女はイエス誕生の予型、イエスの父はザカリア

・マタイはイエス誕生の真の事情(イエスが私生児)を知っていたので、その事実を書くことでさらなる迫害を恐れたという。上記4人の共通点は、普通でない仕方で身籠ったこと、4人はイスラエル歴史の重要な転換点に係わり、メシアの家系を形成したことで、マタイは、4人(特にタマル)をイエス誕生の予型と考えメシアの系図に入れたのである。

・しかし、『たとえ私生児であってもイエスのメシアとしての価値を引き下げるものではない』ということが教理的に明確になるまでは事実を明らかにすることは出来ないという事情があった。

・マタイのインスピレーションにより、マリアの普通でない妊娠の布石として、同様の不規則的な妊娠をした4人を系図に入れ、そうして、聖霊によってという暗示的表現をとった。


ⅲルカは、マリアがエリザベツの家に3ケ月滞在中に妊娠したことを描き(ルカ1・56)、ザカリアがイエスの父であることを暗示した。更にイエスの誕生に関して微妙な表現を使っている―ルカ13・23「イエスはヨセフの子と思われていた」(新共同訳)、「人々の考えによれば、ヨセフの子であった」(口語訳)、「マリアの息子ではないか」(マルコ6・3) →賀川豊彦は妾の子であり、この点でイエスに共感を持ったという。    


 以上から、マリアはザカリアと関係してイエスを身籠ったのである。    


6、罪ある血統から如何にして無原罪のメシアが生まれ得るか


これは神学上の最大の難問である。いわゆる血統の転換の法理である。以下に原理観を示す。        


タマルは、罪ある血統の中から罪なきメシアが生まれるための道を開いた女性である。インスピレーションに導かれて、堕落は天使がエバを誘惑したことから始まったので、(償いは逆の経路を辿って行うという原則により)逆にエバが誘惑する立場にタマルは立った。(創世記38・14) 


タマルの胎中で弟のベレツが兄のゼラを押しのけて生まれてくることによって(創世記38・29、胎中聖別)、カインがアベルを殺した立場を胎中から元返して血筋を正した。これを長子圏復帰(回復)という。


ⅱこの胎中での長子の立場の回復がより内的なものであるとすれば、弟のヤコブが兄エソウと和解した聖書の記述は(創世記33・4)、ヤコブによる長子の立場の回復としてはより外的なものと言える。


ⅲこうして神の血統を残さなければならないという生死を超えたタマルの絶対信仰(ルツ4・12)によりメシアの血統基盤が形成されたのである。


「罪なき本然のより聖別された血統的基準に接近するための運動である」と原理創始者は言われる。そして、このタマルの信仰と勝利圏を相続したのがマリアであった。


ⅳマリアは、イスラエルの血統を残すという絶対信仰で天使に告げられた通り急いでザカリアの家に入った。エリザベツも啓示を受けてマリアを自宅に招いたのである。3ケ月過ぎて妊娠したことが分かってマリアはザカリアの家を出た。(ルカ1・39~56)


ⅴこれらは、失楽園において天使長が神とアダムからエバを奪っていったので、逆に天使長の立場にあるヨセフからエバの立場にあるマリアを善の天使長の立場(神側)にあるザカリアが奪うという逆の経路を辿って償っていく道といわれている。このように、濁から聖への血統の転換は、失ったものの逆の道筋を辿って取り戻していくという、蕩減的回復の道を辿っていく


ⅶ再臨は、タマル、マリア、イエスの勝利的基盤を受け継いだ立場にある。


以上の通り、血統転換の教理は、カルバンやシーセンの言を待つまでもなく、

まさに「神的神秘」「最大の奥義」なのだ。

7、血統転換の詳細解説―女性の役割から見た濁から聖への血筋の回復(周藤健著「成約摂理解説」P132~P176参照)

ⅰ「女性の役割から見た長子の立場の回復の歴史」

・原理講論の「信仰基台と実体基台の復帰によるメシアのための基台復帰」という蕩減復帰史観とは別に、「女性の役割から見た長子の立場の回復の歴史」というもう一つの歴史観である。

・メシアの家系を生み出した奥義は、神の霊感により聖書の中に象徴的、暗示的に示されている。本来の秩序は神→アダム→エバ→カイン→アベルだったが、堕落によりサタン→エバ→アダムと逆転した。これを元返してメシアを生み出す歴史が聖書の歴史とも言える。

・サタンの実体となったアダムの汚れた種が妻のエバの胎中に蒔かれ、カインとアベルが生まれたのである。カインとアベルは父母の善悪の象徴で、カインは悪の象徴、アベルは善の象徴として生まれた。(堕落の経路論、サタン先行論)→ここからアベル的立場からの長子の立場(神の祝福を受ける立場)の回復の歴史が必要となる。

ⅱリベカとヤコブ

リベカはエソウとヤコブの一体化の母子協助に成功した。(創世記33・4) 神から双子が生まれるとの啓示があり、兄のエソウよりヤコブに神の選びがあることを知っていた。

・リベカは敢えてイサクとエソウを欺くが、これはエバが神とアダムを裏切ったことの償いである。しかしリベカはレアとラケルの一体化には失敗し歴史に償いを残したといわれている。

ⅲレアとラケル

・ラケルにはヤコブをレアに奪われた恨があった。レアは正妻、ラケルは妾の立場になり、レアはラケルの夫を奪った恩讐であった。レアとラケルは夫を奪い合う愛の恩讐になる。ラケルは妾の立場から長女の立場を回復する使命がある。本来ラケルが正妻になっていればラケルの子孫からメシアが来るはずで、レアは長女権と正妻権をラケルに与えるべきだったという。

・サタン側の正妻ではなく神側の妾の流れが救援摂理の中心に来るはずだった。正妻と妾の関係には、エバ一人が犯した罪を二人の女性が分担して清算するという摂理があった二流の子女(カイン・アベル)が生まれることになり、妾が神側の正妻になるという使命があったが、結局ラケルは長女権を回復出来なかた。かくしてヤコブ路程における女性のカイン・アベル一体化は成就しなかった。    

・このレアとラケルの葛藤は、一つのパターンになってカナン偵察の分裂イスラエルの南北分裂(10支派と2支派)の遠因十字架の遠因の一つとなる。又ラバンの妻は母としてレアとラケルを一つにすべきだったとも言われる。

ⅳタマル

・アダム家庭では交差したが転換できず、ノア家庭では交差も転換も不可だった。ヤコブ路程で善悪の交差転換を成功し外的条件を立てる。しかし、当時ヤコブは40歳で、それまでの期間を分別しなければならず、胎中まで遡って元返すという責任を担ったのがタマルである。

・タマルはレビラート婚(エル・オナン・シラ)でかなわず、天使がエバを誘惑したので逆にエバが誘惑するという立場で義父ユダと関係する。選民の血統を残すという一念で、私的性欲、ユダとの情関係、自己の栄光、などではなく完全無私の境地、ただ神への信仰のみだった。

・当時タマルもリベカと同様、双子を産む啓示を受けていた。遊女を装うことは天啓だったのである。胎中聖別でベレツが胎中で長子の立場を回復した。胎中聖別はタマルの絶対信仰を条件とする他の女性が代替できないタマルしか出来ない仕事だった。

・これがイスラエル選民の内的出発勝利圏、産婆がゼラに緋の糸を結んだことは神の知恵で、聖書がこれを書き残さなかったら長子権回復や胎中聖別をうまく説明できなかったといわれ、原理創始者は「これを書き残した聖書に感謝する」と言われた。このタマルの信仰と勝利圏を国家レベルでマリアが相続したのである。本然の父母の血統的水準に接近するための運動である。

ⅴマリアとエリザベツとイエス

マリアからメシアが生まれるとの啓示はマリアとエリザベツ双方が受けていた。マリアとエリザベツとはラケルとレアの関係(母親側の従妹)であり、神と聖霊の導きでマリアの手を引いてザカリアの元に行かせた行為はエリザベツの信仰の勝利と言える。

・レアがラケルから夫を奪ったので、逆にエリザベツがマリアを祝福した。このエリザベツとマリア及びザカリアの勝利で、レアとラケルが一体化できなかった立場を回復した。故にマリアはサタンの讒訴圏無く、胎中聖別を経ることなくイエスを産めたのである。「歴史以来、初めて神様の息子の種、真の父となるべき種が、準備された母の胎中に、サタンの讒訴条件なく着地した。」と言われた。

ⅵマリアとエリザベツ、ヨセフ家庭の問題

・しかしいつしかエリザベツはマリアに嫉妬するようになり、マリアは愛の恩讐、エリザベツはみ旨を阻む恩讐となる。マリアは3ケ月で家を出て、その後行き来した形跡はない。本来、ザカリア家庭がイエスの囲いになるべきだったがそれが出来なかったのである。

・マリアはヨセフの追求に「聖霊によって懐胎した」とだけ話した、ヨセフは懐妊を自分の責任に帰して、マリアを守ったのである、

・イエスは天使長の娘(ザカリアの娘)を娶るべきだったが、しかし血族結婚を知っていたマリアは反対したのである。エリザベツも反対し洗礼ヨハネも反対した。み旨を理解できないマリアになっていたのである。

一端、サタンの侵入を受けると、霊的に受けた恩恵と感動を失う。イエスが真の父母になる道を阻んだマリアにとっても悲劇であり、これがマリアの涙の理由である。イエスの公生涯出発は家庭基盤・氏族基盤が崩れて、自ら基盤作るべく始めたのが30歳の宣教であり、ゲッセマネで死を覚悟したといわれる。→イエスの恨を解放する摂理が氏族圏回復の摂理でもある。

・イエスの最後の霊的勝利は「父よ、わたしの霊を御手に委ねます」(ルカ23・46)に象徴される。「(イエスの十字架の贖罪は)それが二次的摂理だったとしても、自動的に無条件で得られたものではなく、キリストの絶対的な信仰と従順と愛に基づく自己犠牲という代価を払って勝ち取られたもの」(「やさしいキリスト教神学」光言社P112)であるというのだ。

ⅶ再臨のキリスト

・再臨主は、「イエスの時までに神側が勝利した根本基台の上に臨在される」マリアがタマルを相続してイエスを産んだように、イエスが大人になられる時までの勝利的な基盤の上に正しく立たれて、彼が果たせなかった新婦を探し出し真の父母になる。タマルの勝利圏は現代においても生きている

・再臨主の母親は、タマル、マリアの絶対信仰を相続した立場で、1919年当時の困難な時代状況の中で「命がけの絶対信仰で身籠る」という立場を通過する。

・三人目のアダムが堕落前のアダムの立場できて、堕落前のエバを探し出さなければならない。堕落していないエバを探し出して、子羊の婚宴をしなければならない。(黙示録19・9)

8、マリアの神格化問題―その功罪

ⅰ後世、キリスト教が地中海世界に広がるに際して、大きなウエートを占めていた処女神話や女神信仰(イシス信仰など、人間の母なるものを慕う心性)が問題になった。カソリックや東方教会では、土着化の過程でマリア信仰により女神信仰を吸収して崇敬の対象とし、処女懐胎はその最も重要な教理の一つになった。

ⅱマリア神格化の過程                            

・マリア神格化は次のように進んだ。①処女懐妊、②神の母の称号付与(431年エフェソス会議で認定)、③永遠の処女性宣言(AD553年第2回コンスタンティノープル公会議で、「永遠の処女」という称号付与→ヨセフとも関係しなかった)、④被昇天の教理(1854年ピオ9世認定、死を経ずして天へ召される)、⑤ 無原罪性宣言(1950年ピオ12世認定)

・先だって焼失したノートルダム大聖堂は「我らが貴婦人」の意味で聖母マリアを指す。ポーランドではマリアを第二のキリストとして神聖化している。又、ロザリオの祈り、アヴェ・マリア、マリアの奇跡、マリア出現伝説(1858年仏のルルドの洞窟、1917年ポルトガルのファティマなど)などで神格化はさらに進んだ。但し、カソリックは、崇敬すれども崇拝はしないとの立場を取っている。

ⅲ諸国にも(処女)降誕神話は多い。エジプト神話、ギリシャ神話、ローマ神話、日本神話の神々は、岩から生まれる、死体の部位から分かれて生まれる、太陽光を受けて生まれる、男神が子を産む等、通常の交接に由らない奇抜な方法で子作りを行っている、といった神話がある。

ⅳ一方、マリアの神格化に否定的な見方もある。

・聖書に、イエスを生んだ母(ルカ2・7)、十字架に付き添う母(ヨハネ19・25)、共に祈るマリア(使徒1・14)という記述があるものの、むしろイエスと疎遠な母マリアが描かれており、概ね聖書はマリアに冷淡である。→(ヨハネ2・1~11婦人よ私とどんな係わりがあるのか、マルコ3・33私の母とは誰のことか、マタイ13・55母はマリア兄弟はヤコブ・ヨセフ・シモン・ユダではないか)

・又マリアは永遠の処女として神格化されているが、複数の息子と娘を産んだといわれている。マリアはイエスを産んだあと、子をもうけるべきではなかったという見解もある。但し、カソリックは、婚約前も、婚約中も、結婚後も永遠の処女だったという信仰を有す。

ⅴ不妊の女-聖女には「うまずめ」や「高齢出産」が多い。しかし試練を越えて摂理的人物を生んだ。サタンが神の行く手を妨害したのである。

◇アブラハムの妻サライ-創世記11・30「サライは不妊の女だった」→イサクを産む(アブラハム100歳、サライ90歳)

◇イサクの妻リベカ-創世記25・21「不妊の女だった」→ヤコブを産む

◇ヤコブの妻ラケル-創世記29・31「ラケルは不妊の女だった」→ヨセフを産む

◇マノアの妻-士師記13・2「うまずめで子を産んだことが無かった」→サムソンを産む

◇エルカナの妻ハンナ-1サムエル1・5「主が(アンナの)胎を閉ざされた」→誓願を立てサムエルを産む

◇ザカリアの妻エリザベツールカ1・7「エリザベツは不妊の女で子がなかった」→洗礼ヨハネを産む


【Ⅴ】創世記を紐解くー物事の始まり


一、創世記は人類歴史の縮図―先ずその全体構造を理解しよう


1、創世記の意義 

ⅰ創世記には人類歴史を解くカギがある。(歴史の予型が表示されている)→現代の国際情勢を解く鍵もある。

exイスラエルとアラブの中東紛争・イスラム原理主義によるテロは「創世記16、21・9~21イサクとイシマエルの葛藤」に根本原因がある。


ⅱ物事の始まりについて記されている→宇宙・人間、罪、救い、イスラエル民

 族などの始まり


ⅲ創世記は、世界の神話の中でも、その信憑性、体系性において他に抜きん出

でている。→世界の創世神話との対比、古事記との対比


ⅳ無神論、唯物論、不可知論、汎神論、多神論、ヒューマニズム、進化論を克

服する世界観を示している(創世記1・1)


ⅴ創世記の神話的記述の中に歴史的真実、神の救済の奥義が秘められている。

ⅵ創世記を含むモーセ5書は、バビロン捕囚時代に、敬虔な信仰を持つ神学者や祭司たちにより、霊感に導かれて編纂されたと言われている。創世記3章などは、当時のバビロンの異教的、淫乱的な宗教、風俗に抗して警告的に書かれたという側面もあったという。又、ノアの箱舟の物語は、メソポタミヤのギルガメッシュ叙事詩の影響を受けているといわれる。


2、創世記の構造―物事の始まり

ⅰ1章~2章:神の天地創造の物語→宇宙(人類)の始まり、最初の戒律


ⅱ3章:人間の堕罪→罪の始まり


ⅲ4章:神の救いの始まり。以下黙示録までが神の人類救済史を構成する。カインとアベルはヘレニズムとヘブライズムの二大潮流の源流となる。


ⅳ12章:イスラエル選民の始まり。以降、旧約聖書はイスラエル歴史の頂点としてのイエス・キリストの誕生(ルカ2・6~7)までを描く。→イエスから新約時代が始まる。


3、神の天地創造について(創世記1章、2章)ー天地の始まり


ⅰ創世記1・1の解説―「はじめに神は天と地を創造された」 


上記創世記1.1の聖句は、かの新島譲の回心聖句。彼はこの一句でクリスチャンになることを決断した。この言葉には、ユダヤ.キリスト教の神観、世界観が端的に表明されている。


ⅱ創世記1.1の神観ー所与の神


・即ち、創世記冒頭のこの聖句は、所与の神、創造の神、唯一の神の宣言。ヘブル人の神認識、ヘブライ的思考、ヘブライズムの世界観、を端的に示す。


・先ず全てはすべからく神から始まること、そしてその神の存在は所与のものであり、疑う余地のない前提となっている。


・ユダヤ人は、決して神の存在を証明しようとしない、そもそも聖書自体、神がいることが大前提にあり、神がいるかいないかなどということを語ろうとはしない。シーセンは、「天文学は星の存在を証明しようと企てない、論理学は思想の存在を知ろうとしない、神学は神の存在を証明しようと企てない」と言った。


・これらは「ユダヤ人はしるしをもとめ、ギリシア人は知恵を求める」(1コリント1.22)との聖句に端的に表現されている。ユダヤ人は、ギリシャ人のように哲学的思弁や観念的思考をせず、剥き出しの啓示やしるしに耳を傾けてきた。


ⅲ創造の神


・創世記1.1は、神が創造主であること、即ち「神が宇宙を創造された」ことを宣言している。


・古代は多神教世界、仏教、神道には創造の神観念はない。


ⅳ唯一の神


・そしてその神は一人である、唯一であるということが暗示されている。創世記の神は一神教の神である。


・創世記1章の神はヘブル語で「エロヒム」と呼ばれ創造の神を意味し、2章では「主」と表現され救済の神、契約の神(ヤハウエ)。


・「はじめに神は天と地とを創造された」 という一句は、無神論、唯物論、汎神論、多神論、二元論、進化論を打破、克服する神観、世界観。


ⅴ創世記の全体像と救済歴史の奥義


・創世記はヘブライ語でベレシートと呼ばれ、これは「はじめに」という意味で「起源、誕生、創生、原因、開始、始まり、根源」の意味。


・神、罪、救いというキリスト教神学三大テーマの骨格が啓示されている。創世記1章、2章は神と神の天地創造の物語、3章は失楽園(堕落)の物語、4章から神の救いの摂理が始まる。


・創世記の神話的記述の中に神の救済の奥義や現代史を解く鍵が秘められている。多くの論点あり。


4、神観の諸様相


ⅰ多神教、拝一神教、単一神教、一神教、


・神観には、他の神を認めない唯一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)、他国の神を否定しないが自国では唯一の神を拝する拝一神教(古代イスラエル)、自国の神々の中で主として一つの神を拝する単一神教(神道)、複数の神を認める多神教がある。


ⅱ神道の神観

・本居宣長の神の定義

「さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり」

4種の神が定義されている。→a記紀に出てくる神、b地域の神(守護神)、c自然の神、d人間の神


・神道のカミは究極の教え(神)に導くための養育係とも考えられる。

→ガラテヤ書3:24 このようにして律法は、信仰によって義とされるために、わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである。


ⅲ仏教の神観


・釈迦の原始仏教は輪廻からの解脱を説いたもので、本来無神論的であり、霊界や霊魂の存在について言及していない


・1c~3cに生まれた大乗仏教は、「大乗非仏論」の通り釈迦仏教とは変質し、新たな新興宗教ともいうべきものとなった。永遠の仏(釈迦の神格化、久遠実成)、多仏思想(過去7仏、大日如来、西方阿弥陀如来,薬師如来)の考え方が生まれ、時間的にも空間的にも仏の概念が拡大された。これはヤハウエ(God)と同質の概念である。


・この一神教的性格は、1c当時のキリスト教、ゾロアスター教の影響、もしくはその対抗意識から生まれたものではないかという説があり、混合宗教の性質になっていく。


・創価学会の生命論は一種の汎神論である。宇宙即大生命と捉え、個が死ねば大生命の中に溶け込み、一定の時間の後に新たに別な命に転生するという教理である。(過去世、現在世、未来世の3世の思想)


5、一神教の確立


ⅰ一神教の起源


・古代イスラエルで生まれた神概念は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つの一神教。旧約聖書を経典とし、唯一にして創造主たる神を信じる一神教。


・神の言葉を託された啓典の民、選民イスラエルは、人類を代表して神と契約し、アブラハム、モーセ、預言者らに一神教が啓示された。そしてこのイスラエル一神教は、アブラハムに端を発し、モーセで成立し、バビロン捕囚前後に確立(体系化)されることになる。


ⅱイスラエル族長時代の拝一神教


・族長時代のイスラエルの神観念は、民族内においてはヤハウェのみの一神を信仰するが、他民族が信仰する神々までは否定しないという、いわゆる「拝一神教」。


・アブラハムの神はモーセによって高められ、シナイ山で一神教は理念的に成立した。


・申命記改革期からバビロン捕囚を経て第二イザヤ(イザヤ書40章~55章)において、排他的唯一神の純粋な一神教の観念が確立されていく。


ⅲ神命記改革、バビロン捕囚を経て、一神教の確立(再発見)


・第二イザヤ(40章~55章)では、ヤハウェこそ唯一の神で世界に他の神は一切存在しないことが宣言される。(イザヤ45.5~7)


・こうして神観の革命的な一点突破の飛躍とも言える「排他的唯一神教」の神観が確立した。


「わたしが主、私をおいて神はない。ひとりもいない。光を造り闇を創造し、平和をもたらし災いを創造する者」(イザヤ45.5~7)


6、神の存在証明


 以下の項で、今まで見てきた神を如何に知りうるか、即ち神と如何に出会うかを考察する。


ⅰ神霊と真理をもって神を認識する


・先ず指摘しなければならないことは、そもそもユダヤ人は神の存在を問うことなどしない、聖書は神の存在証明などしない、神は所与の神として当然の存在であり、疑う余地のない自明の大前提として神は存在する。→「神学は神の存在を証明しようと企てない」(ジェーコブス「キリスト教神学」P4)


・人間には、霊的能力(心霊)と知的能力(知能)があり、神の認識は神霊と真理において行われなければならない。第一に祈祷により、神霊によって、神と直接霊交、次には、聖書を正しく読むことによって、真理を悟る。→「神霊と真理で礼拝せよ」(ヨハネ4・24)


ⅱカントの神の存在証明


・神の存在を、理性や推論によって見出だそうとする試みが、「神の存在証明」と呼ばれる。以下はカントの神の存在証明。 


a自然神学的証明(目的論的証明)

世界が規則整然とかつ精巧に作られているのは、人知を超越した設計者(神)が存在するからであり、宇宙の整然とした運行、DNAによる遺伝情報の精巧な設計を見ても、宇宙が目的性を持って造られたことは明らかだ。(村上和雄の神認識-サムシンググレート)


b本体論的証明(存在論的証明)

およそ存在するものの中で、最大の存在者とは神である、即ち「存在する」という属性を最大限もっているのが神である。


c宇宙論的証明

因果律に従って原因の原因の原因のとどこまでも遡っていくと、最後の根因があるはずで、この究極の原因が神だと言う。宇宙に運動があり、一切の運動には、原初の根因があるはずであり、そしてこの存在の第一原因こそ神。


d実践理性の要請

実践理性の必然的な対象である最高善の実現のためには、ぜひとも神の実在が「要請」される。


ⅲ一般啓示と特別啓示


・神は「自然、 良心、歴史」を通して自己を現されており、これを通常「一般啓示」と呼ぶ。また、聖書や個々人の神体験の中に神は自らを啓示され、これを「特別啓示」と呼ぶ。


ⅲ神は自然の中に自らを啓示されている


・「神の見えない性質、すなわち、神の永遠の力と神性とは、天地創造このかた、被造物において知られていて、明らかに認められるからである」(ロマ書1・20)


・著名な自然科学者らは、宇宙を神の大能、栄光、神性、善の顕現だと指摘し、自然が神をあらわしていると立証してきました。(シーセン著「組織神学」P60)


ⅳ良心を通して神を知ることができる


・善を求める良心の主体が神であるから、何が善で何が悪かを良心が知っている。カントはこれを良心に内在する道徳律として捉えた。


・教皇バウロ2世は「人の心の深みには神を求める郷愁の種が宿っている」と述べ、聖書は人間を「神から受けた聖霊の宮」 (1コリント6.19)と語っている。


・原理創始者も「良心は師に優り、親に優り、神に優る」と言われ、これからの時代は「み言葉と良心が導く」と語られています。  


・神は良心に啓示され、良心には神の啓示を受けとる能力がある。筆者は、20才代に良心(本心)に内在する神との出会いを体験。


ⅴ神は歴史の中に自己を啓示される


・歴史は神の救援の足跡が刻まれている。


・イスラエルの歴史を見て神の存在を疑うことはできない。


ⅵ神は聖書の中に自らを啓示される


・聖書は神の言葉であり、聖書66巻の中に神の摂理と働きが示されている。


・「聖書には一貫した統一性があり、メシア思想に貫かれています。これはこれら聖書記者の背後に、真の著者としての思想的核心の存在(神)がいるからです」「聖書には神の救援摂理の奥義がある」(み言)


・神の言葉である理由 ①聖書自身の自己表明(2テモテ3.16)、②メシア預言の成就(イザヤ7・14、イザヤ9・6、イザヤ11・1~2)、⓷一貫性(メシア思想、唯一神思想、贖罪思想)、④最大の影響力(古典の最高峰)


ⅵ神体験   


・久保木修己著「愛天愛国愛人」(世界日報)には、山頂での断食談判祈祷後の劇的な神秘体験が証されている。(P80~85)

・「本心に内在する神」(20才前半)


・「どん底と復活の神」―金の先物取引」に失敗し、全てが暗転。→このどん底で神の言葉(聖書)と出会う。以後「聖書の研究を以て天職とす」という人生。

これがどん底で出会った「復活の神」


・「召しと導きの神」―20才で原理に召され、40才で法律に召され、50才でポーランドに召され、そして更に70才で聖書に召された。背後に神の「確かな導き」があったことは疑いの余地がない。


7、新しい原理の神観


ⅰ天地創造の動機と目的

先ず初めに愛があった。神は愛である。天地創造の動機は愛であり、生命の前に愛があった。全ては愛から生まれた。


愛は単独で成り立たつ概念ではなく、対象との関係性の中にあり、常に対象を求める。被造物が全て主体と対象のペアシステムになっている理由はこの愛の性向による。神が愛であるために天地(対象)が必要だった。


・被造物には大から小に到るまで、陰陽、内外の二重の二性とその授受による創造・生存・発展の原則がある。この二重構造は愛自体の性質が要請する必然的結果である。従って神自体も二性的構造を有す。


ⅱ神は二性を有す唯一にして創造主たる親なる神、即ち神は「天の父母」であると定義される。


ⅲ夜の神様、昼の神様の概念―神についての原理創始者の言葉


・神が被造世界を創造される前の、つまり堕落する前の神が夜の神様。天地創造以後の神が昼の神様。


・愛の種があり、神様も単細胞のようなところから成長していく。神様も腹中時代、赤子時代、兄弟時代、ティーンエイジャー時代、成婚時代、結婚時代、父母時代、祖父母時代、王・王女時代を通られる。


・神様が先ではなく愛が先。神様が、何故存在し始めたか、愛ゆえに存在し始め、愛するために存在される。何故、二性性相なのか、愛ゆえに。全てペアシステムになっている。


・神は宇宙生成以前からおられる。唯一、永遠、不変的な存在である。愛は心情の流れで、内的な心情が外的に流れるものが愛である。故に神様の本質は心情である。


・先ず、愛の細胞が生じた。動けば動くほど大きくなるという真の愛の論理がなければならない。普通の考えでは、与えれば力が減少するというのが科学だが、真の愛は与えればさらに大きくなる。


ⅳ解放されるべき神、救われるべき神


【Ⅵ】創世記3章の解釈―人類の罪の始まり


女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ま

しいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、

彼も食べた。(創世記3.6)


原理創始者は、み言集によれば8つの分野に精通しているチャンピオンだと

言われている。即ち、神、サタン、人間、霊界、イエス、聖書、歴史、真の家

庭、についての認識において最高峰に位置するという。今回は創世記3.1の蛇

に象徴されるサタン(悪魔)、及び罪の根源について、比較宗教の視点を加味し

て考えていく。        


1、仏教の罪の観念


ⅰ煩悩


・仏教には「煩悩」という人間に内在する苦の原因があるという思想がある。

煩悩とは、悟りを妨げ苦をもたらす内在する性質で、「自己中心の思考」から生じる心の動きである。人の苦の原因を自らの煩悩ととらえ、これを克服する解脱・涅槃への道が求められる。


・煩悩の根本は、貪(とん)・瞋(じん)・痴(ち)の3毒。貪は貪り(むさぼり)とも

言われ「欲しいものなどに対して執着する欲望」、瞋は「怒り、憎しみ、妬み」

を意味し、痴(痴愚)は「真理を知らず、物事の理非の区別がつかないこと(無

明)」を意味する。


・一方神道では、人間の罪穢れや不浄は塵や埃のように人間に外から付着するもので、禊と祓いによって払い除けるという思想がある。この点仏教やキリスト教では、煩悩や原罪は人間に深く内在し、修行や信仰によって克服していくものとされている。

ⅱ煩悩を解決する方法


・煩悩から来る苦の原因は無明(真理を知らないこと)にあるとし、その克服は、

「八正道の実践や座禅・唱題」 によって悟りを開き、解脱してカルマ(業)と

輪廻から解放されて涅槃の境涯に達することであるとする。 


八正道とは①正見 ②正思 ③正語 ④正業 ⑤正命(正しい生活) ⑥正精

進 ⑦正念 ➇正定(禅定)の8つ。


ⅲ煩悩の原因とは何か>


・煩悩が何故生じるかという煩悩の原因については、仏教は明らかにしていな

い。本来、清浄な人間の心に「偶発的に付着した」とか曖昧。つまり、罪はあ

るがその原因が不明だということである。


日蓮も「一切衆生はかの魔王の眷属(子孫)なり」と言いましたが、魔王(悪

魔)とは何かについては説いていない。悪魔は、天上界(霊界)の霊的存在か、

内在する悪的要素か、悪魔とは何かについて仏教は説明していない。


・釈尊の教えは、解脱の道を説いていますが、神の存在、霊界の存在、煩悩

の原因、この3つについては曖昧になっている。 


しかしヒントはある。釈迦は35歳で菩提樹で禅譲し悟りに達する直前、マー

ラ(悪魔)から3つの試練を受け、その最初の試練が美しい女人の誘惑だった

と言われており、これは失楽園の蛇の誘惑を連想させ、煩悩の真相を暗示して

いる。マーラとは、釈迦が悟りを開く禅定に入った時に、瞑想を妨げるために

現れたとされる悪魔、魔神で、煩悩の化身。


マーラにとって、釈迦が悟りを開く事は自身の破滅につながるので3つの試練