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「空気の研究」再考 日本は多神教か一神教か

◯つれづれ日誌(令和6年1月24日)-「空気の研究」再考ー日本は多神教か一神教か 

 

神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる(ロマ書8.28)

 

岸田首相は1月19日午前、唐突に自派閥の「宏池会」を解散することを表明しました。また同日、安倍派(清和政策研究会)と二階派(志師会)も、それぞれ解散する方針を決め、残る麻生派(志公会)、茂木派(平成研究会)、森山派(近未来政治研究会)の動向が注目されます。これらはパフォーマンスとは言え、自民党派閥の政治資金パーティー収入を巡る裏金化事件を受けて、追い詰められての措置であります。 

 

昨年来の側近の不祥事に引き続き、筆者はこの報を耳にして、ローマ書12章19節「自分で復讐しないで、むしろ、神の怒りに任せなさい。なぜなら、『主が言われる。復讐はわたしのすることである。わたし自身が報復する」と書いてあるからである』」を想起いたしました。無論岸田首相が断行したあの理不尽な「UC解散請求」への神の報復です。 

 

人はこれを身勝手な独りよがりと思うかもしれませんが、筆者が再三予告していたことが、こんなにも早く、そしてこんな劇的な形で来ようとは思いもよらなかったことであります。そして岸田政権は、遂に歴代首相最低支持率の15%(時事通信)に落ち込んでしまいました。改めて、一昨年7月8日、あの山上哲也被告の放った銃弾の意味、その重さと深さ、そしてその背後で歴史を摂理される神の深謀遠慮に、しばし想いを馳せざるを得ませんでした。そして、「神は、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」(ロマ書8.28)とのパウロの言葉が、心の深みから甦ってきました。神よ、全能にして天地を創造された愛なる神よ、願わくば我らが行く手を照らしたまえ! 

 

さて、前回のつれづれ日誌(令和6年1月17日)「何故キリスト教は日本に根付かないのか再考ー山本七平『空気』という日本教の猛威」は、やはり関心があったと見えて多くの反響がありました。今回はその中で呈された二つの問題提起について、検証したいと思います。即ち、一つは、「空気というのはどの世界、どの国にもあるものであり、日本に固有のものではないのではないか」という問で、もう一つは「果たして日本は多神教の国なのか」という問です。

 

【日本教という空気とは何か】 

 

先ず一つ目の問題提起、即ち「空気というのは、日本に固有のものではないのではないか」という問について考えたいと思います。 

 

<日本教が形成する空気とその特質>

 

前回筆者は、「何故キリスト教は日本に根付かないのか」という問に対して、「日本には目に見えない『空気』という強固な宗教(=日本教)が厳然と存在しているので、キリスト教が広がるのは難しかったという山本七平氏の言葉を引用しました。即ち、「空気」とは非論理的な世論やムードと似た概念で、人(政治)の判断を決定的に左右する力を持つ日本の潜在的な疑似宗教(日本教)であり、空気が大きな力を発揮した典型的な具体例として、「戦艦大和の不可解な出撃」、及び「理不尽なUCの解散請求」を挙げて説明しました。 

 

確かに「空気」は、多かれ少なかれ、どの民族、どの国にもあるもので、日本だけにあるものではありません。しかし、山本七平が言わんとしたのは、空気一般を指したものではなく、日本独特の空気のことであり、「日本教という疑似宗教によって形成された日本の空気」は、どの国にもない特別な性格と力を有しているというのです。では、山本七平がいう日本教とは何でしょうか。 

 

山本七平は、日本には、日本人の内に無意識に染み込んでいる霊性ー精神の奥に潜在している宗教意識ーがあり、これを「日本教」と呼びました。 即ち、日本人には、無意識にインストールされている日本教という宗教が存在し、「それは血肉となっていて日本人自身も自覚しないほどになっている」とし、信仰する宗教は仏教であり、キリスト教であっても、それは「日本教仏教派であり、日本教キリスト教派である」、つまり、現住所は仏教でありキリスト教でも、本籍は日本教であるというのです。 

 

仏教学者の鈴木大拙は、山本七平がいう日本教を「日本的霊性」と呼び、著書『日本的霊性』の中で始めてこの言葉を使いました。即ち、日本的霊性とは日本人の基層にある特有な精神性を言い、大拙は、これを仏教学者らしく 「禅と浄土教の他力思想が核となった超倫理的、超精神的宗教意識」と定義しました。そして大拙は、精神の意思力は霊性に裏付けられて始めて自我を超越したものになり、霊性の直覚力は精神よりも高次であると語りました(『日本的霊性』岩波文庫P30~31) 。 

 

このように、日本人の根底には独特の精神性、見えざる宗教的意識があり、これを日本教(=日本的霊性)と呼ぶことにいたします。そして日本教とは、日本人の基底にある宗教意識であり、「自然を崇め、先祖を尊び、和を重んじ、清浄を好む」という古来からの精神性がその核をなし、仏教の無常観や武士道的な忠孝の規範性が加味されて形成されている「無意識的な宗教意識」と一応定義できるでしょう。 

 

そして日本教は、神道、仏教、儒教、即ち、仏教の無常観・死生観、武士道の儒教的規範性(五倫)、そして神道の自然観・先祖観・和の思想を源泉とする混合宗教であり、 その内、縄文・弥生時代以来の「古神道」の影響を最も強く受け、これが日本教の基層をなしていると思われます。なお古神道とは、仏教などの外来宗教が渡来する以前に、日本にすでにあったとされる固有の信仰や儀礼の総称で、自然崇拝、祖先信仰、神意判断などをそのおもな内容としています。 

 

ちなみに、アメリカには、宗教社会学者ロバート・ベラーが命名した「市民宗教」、即ち「アメリカ的霊性」があり、アメリカ的霊性は「ピューリタニズム、聖書的選民観、愛国的心情などが源泉となって融合した見えざる国教」であります。 

 

<日本教の特徴> 

 

では、「非常に強固でほぼ絶対的な支配力をもつ判断の基準であり、それに抵抗するものを異端として、社会的に葬るほどの力を持つ超能力である」(『空気の研究』P22)と山本七平が定義した空気を形成する日本教とは、如何なる特質を持っているのでしょうか。前回述べた通り、日本教は明文化されず、経典も教祖も存在しないという特色がありますが、特に次の三点の特徴を指摘したいと思います。 

 

第一に、「唯一神」という観念がないという点です。日本の神概念は多神教的であり、従って「神との契約」という観念が成り立たず、日本は、西欧の契約社会と違って、ルールがあるようでないという曖昧さがあり、「空気が法に勝る国」という傾向が強く、非合理的なムードに流され易いというのです。 

 

第二に、キリスト教の善悪をはっきり区別する思想に対して、物事の白黒をつけたがらない特質があるということです。即ち和を重んじる傾向があり、聖書的な聖別(分別)思想は、ことを荒立てることを嫌う日本の空気と合わないところがあります。つまり、日本の空気は曖昧であり、一つの大義名分が立てば、それが偶像崇拝的なものであっても、全体が一つの方向に向かう傾向があり、正にこれが日本に顕著に見られる日本特有の空気の特質であります。 

 

第三は、贖罪観念の欠如です。ユダヤ・キリスト教には人間に内在する罪(原罪)という観念があり、イスラエルの幕屋やイエスの十字架には、いけにえによって罪を贖うという贖罪思想がありますが、日本教にはこういう「贖われるべき罪」という観念はありません。神道では、罪穢れは、あたかもほこりのように外から人間に付着するもので、これを禊(みそぎ)で清め、祓(はらい)によって取り払うというのです。 

 

新渡戸稲造は、日本の精神性を高く評価しながらも、「神道の神学には原罪の教義がない」と指摘し(新渡戸稲造著『武士道』P34)、また内村鑑三は、著書『余は如何にしてキリスト信徒となりしか』の中で、「日本の倫理的、道徳的規範性は、決してキリスト教に引けを取らない」としながらも、「贖罪観念が欠如している」と指摘しました。 この日本の罪観は、得てして罪の観念が曖昧になり、偏った非合理的空気に染まり易く、冤罪を生む土壌になります。 

 

以上、日本教が形成する日本の空気は、世界に類例がない独特のもので、この非論理的で流されやすい空気が絶大な力を持つというのです。 

 

しかし一方では、この日本教は、ヤハウェやアラーの神がいない日本において、キリスト教倫理に匹敵する高い倫理観の源泉になって来ました。曖昧で一貫性がない、ぬるま湯的で節操がないと揶揄されることもありますが、一方では、和や寛容を重んじる母性的な精神性を発揮し、外来文化を柔軟に取り入れ、高い倫理性を保って国民の見えざる国教として大きな力を発揮してきました。 その意味で日本教は、山本七平が指摘した偏狭な空気を形成する元凶になると共に、他方で優れた国民精神になり得るというのです。問題は、危うい空気を制御できる理念と主体性があるか否かということであります、 

 

【日本は多神教か、一神教か】 

 

そしてもう一つの問題提起は、「果たして日本は多神教の国なのか」という問です。一般的に、日本は八百万の神々を祀る国とされ、神道は正に多神教と言われていますが、果たしてそうなのかという問であります。日本人の「八百万の神観」に大きな影響を与えているのが、本居宣長の「古事記伝」で語られている有名なカミ(神)の次の定義です。 

 

「さてすべて迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり」 

 

即ち、神道のカミは、記紀にでてくる神々(古御典等に見えたる天地の諸の神)、各地域の神社のカミ(社に坐す御霊)、偉大な人間のカミ(人)、自然のカミ(鳥獣木草のたぐひ海山など)など、「尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物」をカミと呼びました。従って、唯一の神を崇めるユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教と対比すれば、色々な神々を認める日本は多神教であります。 

 

<古代イスラエルと日本> 

 

しかし、月刊誌「レムナント」主筆で牧師の久保有政氏は、1月20日お茶の水クリスチャンセンターで行われた講演会で「7世紀まで、日本は一神教だった」と発言されました。そして古代日本には、3世紀の応神天皇の時に渡来した弓月の君(秦氏の祖先)など、いわゆる失われたイスラエルの10部族がシルクロードを通って渡来し、この渡来人によってユダヤ教の神の影響を受けていることを、いくつもの証拠を挙げて語られました。 

 

例えば、拝殿と本殿からなる日本の神社の構造は、聖所と至聖所からなるイスラエルの幕屋と類似し、神体の三種の神器(ヤタの鏡・ヤサカニの勾玉・草薙の剣)は契約の箱の三種の神器(石版・マナ・杖)と同じであること、諏訪神社の御頭祭という子供をいけにえに捧げる儀式は、モリヤ山でのイサク献祭(創世記22.2)と酷似していること、神社のお神輿は古代イスラエルの「契約の箱」をモデルにしたものであること、神主の真っ白の服装とイスラエル祭司の純白の服装が同じ白であること、等々の例示であります。 

 

ユダヤ人のラビで、日本の上智大学で教鞭をとったこともあるマーヴィン・トケィヤー氏も、『ユダヤと日本―謎の古代史』という本を書いて、神道のルーツが古代イスラエルの宗教であるという可能性について述べ、また、イスラエルに育ち、後に日本に来て研究活動をしたユダヤ人ヨセフ・アイデルバーグ氏も、「神道のルーツは古代イスラエル宗教にある」と述べています。 

 

即ち、神殿の構造にしても、契約の箱にしても、祭の仕方にしても、お清め・禊ぎの仕方にしても、 旧約聖書に書いてあることは、神道に伝わる風習と瓜二つであり、神道のルーツはまさに旧約聖書だというのです。つまり、日本の神道はイスラエル一神教の影響を受けているのであり、久保氏は、7世紀までは古事記冒頭の造化三神の一神である「タカミムス匕」が国家神だったと主張されました。 

 

造化三神とは、高天の原(たかまのはら)に最初に成り出た独り神の三柱で、アメノミナカヌシ(天之御中主)、タカミムスヒ(高御産巣日)、カムムスヒ(神産巣日)を言い、一神教の系譜にある神と言われています。またキリスト教では、造化三神を三位一体の神になぞらえ、アメノミナカヌシが父なる神、タカミムスヒが子なる神(イエス・キリスト)、カムムスヒが聖霊なる神と説明することがあります。ともあれタカミムスヒが一神教の系譜にあることは確かです。 

 

こうして、神道はもともとは、古代イスラエルの宗教から来たと考えられ、故に神道のすべての信者(日本人)は、聖書の教える神様に立ち返る必要があり、そのときにこそ、本来の意味での「神道」に回帰できるのではないかというのです。 

 

この点、高砂教会の手束正昭牧師は、「日本は非キリスト教的キリスト教国」、即ち潜在的キリスト教国であると言われ日本人のDNAにはキリスト教信仰への憧憬があり、その深層には、既にキリスト信仰が横たわっていると述べられました(『日本宣教の突破口ー醒めよ日本』P426~433)。即ち、『隠された十字架の国・日本』(ケニー・ジョセフ)の通り、そのヴェールをはがし、「非キリスト教的キリスト教国」たる日本の発掘によって、日本宣教の大きな可能性と希望が開けるというのです。UC創始者も、今までの日本の多神教は、ある意味で神の摂理だったが、これからは日本に一神教が根付く摂理がなされると明言されています。 

 

<溝口睦子氏の考察―国家神交代説> 

 

生長の家の創始者谷口雅春総裁は、アメノミナカヌシを唯一絶対の神と定義し、日本は古来一神教の源泉を持っていると主張しました。また平田篤胤は聖書を読んで影響を受け、この世界の宇宙・万物の創造をアメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カミムスヒの造化三神によるものとしました。そして復古神道においては、この造化三神を天地創造の神と位置付け、なかでもアメノミナカヌシは最高位に位置づけられています。 

 

しかし、造化三神は古事記からすぐ姿を消し、実際の日本はイザナギ・イザナミから生まれ、イザナギから生まれて高天原の統治を委ねられた「アマテラス」を皇祖神とする多神教の神々で彩られています。一体、古事記が主張する神は一神教なのか、それとも多神教なのか、議論が分かれるところです。 

 

この点、「つれづれ日誌(令和5年4月5日)-古事記に見る一神教と多神教の相克 」の中でも解説しましように、日本古代史の研究家で十文字学園女子大学名誉教授の溝口睦子氏が『アマテラスの誕生』(岩波新書)という本の中で、「タカミムスヒからアマテラスへの国家神(皇祖神)の交代」という視点で画期的な研究をされています。 

 

溝口氏は『アマテラスの誕生』の中で、7世紀末、中央集権国家が推し進められ、 天皇の国土統治や皇位継承の正当性を示す目的で古事記と日本書記の編纂に着手した天武天皇は、それまで国家神(皇祖神)の地位にあった「タカミムスヒ」を、土着の太陽神であった「アマテラス」を選び取り、国家神をアマテラスに代えたと主張しました(『アマテラスの誕生』P176)。 

 

ところで、『日本書記』の記述(神代下天孫降臨条)には、「タカミムスヒが天皇家の先祖であるニニギを降臨させられ国を授けた」とあり、神武天皇の巻冒頭にも同様の記述があります。従って、前記久保有政氏も指摘されている通り、タカミムスヒが皇祖神・天の至高神であったことは、その他の史実と相俟って明らかであるというのです。また、アマテラスが7世紀末ごろまで地方神であったことは、多くの歴史家が認めているところです。 

 

一方古事記には、天津神(天上の神)から国(日本)を造ることを命じられたイザナギは、国を生み、そしてアマテラスを生んで、アマテラスに高天原の統治を託したとあります。そして古事記の天孫降臨条には、アマテラスが孫のニニギに対して高千穂に天降るよう命じており、古事記が皇祖神として真っ先に揚げているのは日本書記とは違ってアマテラスであります。この日本書記と古事記の皇祖神を巡る違いについて、天武期にタカミムスヒからアマテラスへの国家神の交代があったと溝口氏は主張されているのです。 

 

溝口氏は、朝鮮半島をはじめ北方ユーラシアを含む北東部アジア世界(失われた十部族?)で共有されていた支配者起源神話を日本が取り入れたのが一神教的なタカミムスヒだったといわれます。この北方系の思想や文化と、アマテラスの基盤をなす日本土着の文化とは大きな違いがあり、これは天を基軸にした文化と海を基軸にした文化、絶対神・至高神をもつ文化と多神教的な文化の違いと言えるというのです(『アマテラスの誕生』P11)。 

 

こうして7世紀、イザナギはアマテラスに高天原の統治権を与え、国家神は一神教的なタカミムスヒから、縄文・弥生に遡るアマテラスへの転換が行われたのでした。つまり、国家権力の思想的基盤を、この時外来神から弥生以来の古い伝統を持つ土着神に据え直したことになりました。また、これには外来思想に対する古来日本の思想の主張という側面も否定できません。 

 

タカミムスヒは、ヤマト王権時代における王家の先祖神・国家神ではありましたが、しかし、信奉者は一部の豪族や知識人のみで一般には親しまれていない馴染みの薄い神であり、一方、アマテラスは土着の太陽神として古くから神話を通して列島全体の広範な人々に知られ、支配層の人々にも党派の別なく親しまれていた神だったというのです (『アマテラスの誕生』P184)。 

 

以上に見てきた溝口睦子氏の見解は、なるほどと思わせられる歴史的な実証性があり、筆者もこの溝口氏の見解に好感を持つものです。また、これら溝口氏の国家神交代説を裏付けるように、京都大学教授の上山春平氏は著書『神々の体系』の中で、天武・持統朝に「神祇革命」があったと指摘され、民俗学研究家の筑紫申真(つくしのぶざね)氏も著書『アマテラスの誕生』の中で、天武・持統期にアマテラスは懐胎し誕生したと言われています。 

 

しかし前記したように、古事記の冒頭に出てくる造化三神、特にアメノミナカヌシは、谷口雅春総裁なども指摘されているように、究極の実在者である唯一絶対の神であると考えられ、古事記に一神教的な契機があることは確かです。 しかし古事記において、この三神はすぐに姿を隠し、タカミムスヒの神を除いては、その後の記述には出てきません。この三神に代わって神々の主役に躍り出るのは、天孫降臨に象徴されるように、アマテラス→ニニギ→海幸彦→うがやふきおえず→かむやまといわれひこの尊(神武天皇)とつながるアマテラスを祖とする天孫の系譜であります。つまり、土着の太陽神(女性神)であり、弥生以来馴染んできた多神教的な契機を有するアマテラスが、日本の国家神・皇祖神として誕生したというのです。 

 

以上述べたように、古事記には一神教と多神教の契機を同時に読み取ることが出来ます。それが、溝口氏が指摘されるように、7世紀に起こったタカミムスヒからアマテラスへの国家神の交代であるかは否かは別として、古事記には一神教の神と多神教の神の二つの神概念があることは否定できません。神道では古来から論争があり、明治初期には、多神教的な性格を持つアマテラス派と、一神教的な性格を持つアメノミナカヌシ派でどちらを国家神とするかで、いわゆる熾烈な「祭神論争」があったといいます。 

 

上記の通りの論議を踏まえ、筆者としては、日本(神道)の神は、唯一神への養育掛(ガラテヤ3.24)としての途中神であり、一神教への郷愁と回帰を秘めた多神教であると結論付けておきます。 

 

以上、日本教が形成する日本独特の「空気」の特質について、そして日本は多神教なのか、一神教なのかの問題について考察しました。そしてこうしたことを論議する意味は、日本及び日本人をよく理解し、如何に福音を宣べ伝えればいいのかを考える努力と言えるでしょう。皆様の異論・反論は多いに歓迎いたします。(了)

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