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ハバクク書 注解

🔷聖書の知識110-ハバクク書注解


海が水でおおわれているように、地は主の栄光の知識で満たされるからである。(2.14)


【概観】

『ハバクク書』は、ユダヤ教では「後の預言者」に、キリスト教では「12小預言書の一つ」に分類され、3章からなります。ハバククとは、「抱擁する」の意味です。


ハバクク書は、カルデア、すなわちバビロニアが脅威として描かれていることから、ユダ王国の末期に書かれたと推測され 、ナホム、ゼパニヤ、エレミヤもまた、この時期に活動しました。



ヨシヤ王の宗教改革がヨシヤ王の戦死(前609年)によって中途半端に終わり、外からはバビロニアの脅威が迫っているという時代背景にありました。


【全体構成】


全体的には、次のような構成になるでしょう。


先ず、神は何故ユダの罪を裁かれないのか、また何故ユダを救われないのか、との問いかけから始まります。( 1.1~4)


「主よ、わたしが呼んでいるのに、いつまであなたは聞きいれて下さらないのか。わたしはあなたに『暴虐がある』と訴えたが、あなたは助けて下さらないのか」(1.2)


この問に対して、カルデア、即ちバビロンを用いてユダを裁くという神からの回答です。(1.5~11)


「見よ、わたしはカルデヤびとを興す。これはたけく、激しい国民であって、地を縦横に行きめぐり、自分たちのものでないすみかを奪う」(1.6)


「主よ、あなたは彼らをさばきのために備えられた。岩よ、あなたは彼らを懲しめのために立てられた」(1.13)


そしてハバククは、神はユダの罪を裁くために、何故ユダよりももっと邪悪なバビロンを用いるのかと再度問いかけます。(1.12~17)


「あなたは目が清く、悪を見られない者、また不義を見られない者であるのに、何ゆえ不真実な者に目をとめていられるのですか。悪しき者が自分よりも正しい者を、のみ食らうのに、何ゆえ黙っていられるのですか」(1.13)


この問いかけに対して、神は、やがてバビロンは滅び、ユダは救われると語られます。(2章)


「あなたがレバノンになした暴虐は、あなたを倒し、獣のような滅亡は、あなたを恐れさせる。これは人の血を流し、国と町と、町の中に住むすべての者に、暴虐を行ったからである」(2.17)


「しかし、主はその聖なる宮にいます、全地はそのみ前に沈黙せよ」(2.20)


最後の3章は、ハバククの祈りで、琴に合わせ、聖歌隊の指揮者によって歌う神に捧げる頌栄になっています。そして最後に神への信仰と希望がのべられます。


「しかし、わたしは主によって楽しみ、わが救の神によって喜ぶ。主なる神はわたしの力であって、わたしの足を雌じかの足のようにし、わたしに高い所を歩ませられる」(3.18~19)

【テーマ】


大きなテーマは、かのヨブ記と同様「神義論」です。神義論とは、善なる神が造った世界に、何故悪が存在するのかという問いを発し、世界における悪の存在が神の全能・善・正義に矛盾するものでないことを弁証しようとする議論であります。


バビロニアの脅威(1.6)という未曾有の民族的困難に直面して、揺らぐ神への信頼性への疑念とその克服です。


この時代の中東においては、神の権能と国家の盛衰とは直接結び付けられていました。従って、ユダヤ民族の衰退は、神への信頼性を疑わしめるものでありました。


かってバビロン捕囚の時、民族神ヤハウェを、戦争に負けた弱い神、イスラエル民族を守れない無能な神として、捨て去った人々と、民族の滅亡の原因は神にあるのではなく、自分たちの不信仰にあるとして、なお神を擁護した「イスラエルの残れる者」とに別れました。


そうしてハバククは「民の悪行(不信仰)に対する神の怒り」「異民族を用いての裁き」「怒りのうちにも憐れみを忘れぬ神」という観点に立つことによって、民族的困難と神への信頼を両立させました。


同時にここには、他の諸国をも主管される神の普遍性と、将来の救済への希望が込められています。 神は終極においてその支配権をあまねくおよぼし、その民を救い敵するものを滅ぼされるというのです。


即ちハバククは、ユダに臨む神の怒りと、未来に待望される神の救済を、その預言のなかで語りました。


【注目の聖句】


以下、二つの注目の聖句を挙げておきます。


「見よ、その魂の正しくない者は衰える。しかし義人はその信仰によって生きる」(2.4)


上記の聖句は、新約のロマ書で引用され、次のパウロの回心聖句として有名です。


「神の義は、その福音の中に啓示され、信仰に始まり信仰に至らせる。これは、『信仰による義人は生きる』と書いてあるとおりである」(ロマ1.17)


次にハバクク書とイザヤ書で同じ文言の聖句が書かれています。


「海が水でおおわれているように、地は主の栄光の知識で満たされるからである」(2.14)


「彼らはわが聖なる山のどこにおいても、そこなうことなく、やぶることがない。水が海をおおっているように、主を知る知識が地に満ちるからである」(イザヤ11.9)



以上、ハバクク書の解説でした。ハバククは自らの疑問を率直に神に訴えた、自分に正直な預言者でした。次回は、ゼパニヤ書の解説です。(了)



上記絵画*預言者ハバククのイコン像