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キリスト教神学についての考察⑭ 近現代神学の歴史と思想(9) 宗教の神学

🔷聖書の知識193ーキリスト教神学についての考察⑭ー近現代神学の歴史と思想(9)ー宗教の神学


主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである(エペソ4.5~6)


さて「宗教の神学」とは何でしょうか。宗教の神学とは宗教自体の認識の問題、即ち、宗教自体が他宗教をどのように認識しているか、また他宗教と面して自らをどのように認識するかという問題を扱う神学であると言っていいでしょう。


キリスト教で言えば、キリスト教は他の宗教をどのように理解するか、また他の宗教に直面して、キリスト教は自らをどのように理解するか、という問題であり、平たく言えば、「宗教間対話」の基礎づけをする神学であります。そしてこれは、UCの超教派・超宗教運動の在り方にも参考になるものです。


【キリスト教の自己理解とその類型】


前述の通り、宗教の神学は宗教間対話をいかに円滑になし得るかという命題、即ち、宗教の一致という宗教自体の理想と、宗教間対話の必要性や宗教多元性・世俗化といった問題をどう捉え取り組んでいくかの理論的基礎づけをするものであります。


20世紀のユダヤ人ホロコーストやイスラム原理主義者によるテロは、ユダヤ教やイスラム教とどのように対話するかという切羽詰まった課題に直面させられ、また東洋では仏教とキリスト教の対話という課題があります。キリスト教は他宗教との接触を通じて、自らの宗教的アイデンティティを弁証することをしばしば余儀なくされてきたというのです。


このような事情の中で、宗教の神学は他宗教に対するキリスト教の態度や対話の在り方を、しばしば、「排他主義」(exclusivism)、「包括主義」(inclusivism)、「多元主義」(pluralism)、またはそのミックスといった類型を用いて考察してきました(小原克彦論文「宗教の神学」)。


<排他主義>


先ず「排他主義」ですが、排他主義とは、端的に言えば、自宗教以外に救いはない、即ち「教会の外に救いなし」という考え方であります。使徒行伝4章12節に「この人(イエス)による以外に救はない」とある通りであり、こういった考え方は、少なくとも第二バチカン公会議(1962年~1965年)まではカトリック及びプロテスタントの中心思想でした。


排他主義者は、 しばしばキリスト教の絶対性を排他的に主張し、非キリスト教世界に対し、その絶対性への服従を要求することになります。いわば「宗教的一元論」思想です。


従って、キリスト教宣教の目的は非キリスト者を改宗させ、洗礼を授けることにある、即ち、キリスト教は「人類のためのキリスト教であり、人類の普遍的宗教となるように定められている」というものであり、近代の植民地主義政策の思想的根拠の一つとしても機能してきました。


同志社大学神学部教授の小原克彦氏は、排他主義者の特徴として、次の4点を指摘しています。


a.排他主義者は、キリスト教と他の宗教との間に越えがたい断絶があると考える、即ち、キリストにおける神の啓示は、他宗教の啓示(真理性)に優越し、その啓示の保持者として教会の権威が強調される。(教会中心主義)


b.その主張は聖書の権威に基礎づけられ、聖書箇所として、「この人による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」(使徒行伝4.12)、「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない」(ヨハネ14.6)などをあげることができる。


c.救済に関してはキリスト論に大きな価値を置き、救いはただキリストによってのみ可能となるという考える。その際、しばしばカール・バルトのキリスト中心的救済論が用いられている。


d.排他主義者が他の宗教と対話する際の最終的な目的は、イエス・キリストの宣教命令(マタイ28.19)にある通り、福音宣教にあるということである。


以上の通りですが、しかし、排他主義者は宗教間対話に関心がないわけではありません。保守的なプロテスタント、カトリック、ユダヤ教が相互に共有可能な政治的・社会的課題に対し、連合して取り組もうとしていることは確かです。


<包括主義>


次に「包括主義」ですが、これは自宗教が最も優れた教えであるが、しかし、「他宗教にも救いの可能性がある」とし、他宗教の意義を認めるものです。前述の排他主義的立場がキリスト教の歴史そのものであるのに対し、包括主義は比較的最近のことです。


カトリックは1962年からの「第二バチカン公会議」で、宗教間対話に門戸を開き、「他の宗教の真理性を否定しない」ことを確認し、対話の方針を打ち出しました。即ちそれまで掲げていた「キリスト教(教会)の外に救いなし」の文言は撤回され、現在は公式に包括主義の立場に立って他宗教との対話を行っており、カトリックの成熟を象徴しています。


また1948年に設立されたプロテスタントを中心とした「世界教会会議」(WCC)もエキュメニカル運動(教会一致運動)を採用しました。そしてこれらは「神の恵みの普遍性」という神学理念から導かれます。但し、保守的なキリスト教福音派では、エキュメニカル運動に対して、無節操な混合主義に陥るとして懐疑的態度を取っています。


包括主義者の神学的特徴は次の通りです。(小原克彦論文「宗教の神学」)


a.救済はキリスト教以外の宗教においても可能であり、それは「神の恵みの普遍性」と、「万教同根的な神の呼び名の普遍性」が根拠となっている。


b.救済はキリスト論的に根拠づけられるが、排他主義のように認識論的な意味においてではなく、キリストの普遍的恵みという存在論的な意味においてである。


c.包括主義者は、他の宗教の中に真理契機を認めるが、それは自らが所有している本来の真理の一部分あるいは不完全な形と考える。従って、キリスト教は完全な真理を有しているが故に他宗教に対し優位に立っており、逆に、キリスト教以外の宗教はキリスト教的真理にどの程度接近しているかによって、その価値を計られることになる。


包括主義的立場を明瞭に語る考え方として、カトリック神学者K・ラーナーの「匿名(無名)のキリスト者」があげられ、キリスト教以外の宗教においても、キリスト教的観点から見て救いに値する生き方をしている人は、たとえ本人が意識していなくても、すでに「事実上のキリスト者」だ、というのです。


いずれにせよ、包括主義者の主たる関心は、キリスト教と他宗教とをどのように「統合」するのか、あるいは両者の関係をどのように「一致」させるのかにあり、プロテスタント教会の多くは包括主義的立場を取っていると言えるでしょう。


<多元主義>


今日まで、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教、仏教、ヒンドゥー教、その他の諸宗教では、互いに自己を絶対化した宗教的排他主義をとるか、あくまでも自己の宗教の枠内において他宗教の価値を認める宗教的包括主義が通常でした。しかし近現代に入り世界のグローバル化が進む中で、宗教間対話や他宗教に対する理解が進み、宗教の多元性を唱える動きがさまざまな宗教の内部で現れました。


「宗教多元主義」とは、平たく言えば全ての宗教は対等関係にあるとする「神中心主義」の考え方であります。それぞれの宗教には皆独自の固有の教えがありますが、それらの独自性は排他的な形で優越性や普遍性を主張すべきではなく、宗教の平等原則を重視するというものです。


神学者の栗林輝夫氏は、著書『現代神学の最前線』(新教出版社)で、「宗教多元主義とは、どんな宗教であれ、その目指すところは一つ、即ち『究極的な実在』であり、世界の諸宗教は、意匠の違いはあっても、基本的には同じ真理、同じ救済を目指しているという考え方である」と述べています。


イギリスのキリスト教哲学者ジョン・ヒックは宗教多元論の主唱者ですが、従来の「キリストのみ」の排他主義を克服し、普遍的な神の恵み、もれなく救済するというキリスト教の根本精神を強調しました。即ち、人を救済するのは、教会でもキリストでもなく、究極的には万人を救済される神であるとし、現代のキリスト教は神中心主義にパラダイム転換し、キリスト中心主義、教会中心主義を改めるべきと主張しました。


「神は多くの名を持つ」とし、唯一の神のまわりをキリスト教を含めた諸宗教がまわる「神中心主義」を唱え、従来のキリスト教からの大転換を計りました。正に出口王仁三郎や谷口雅春が唱える万教同根・万教帰一の思想は神中心主義と言えるでしょう。


しかし、このヒックの主張は、抽象的で、救いが曖昧になるとの批判があり、「神はキリストを通じて自己啓示され、キリストを離れては如何なる神知識もなく、救済はキリストによってのみ可能である」とのバルトのキリスト論的集中を引用してヒックに反論しました。しかし、バルトにとって、キリストによる神の啓示の特殊性は、神の恩恵の究極的、終末的勝利を主張しており、救済の普遍性と矛盾しないとしています。


前記小原克彦氏は、次のように多元主義の特徴を指摘しました。


a.宗教的多元性は恒常的なものであり、それはいかなる単一の宗教にも取って代えられることはない。


b.諸宗教の中の固有の真理契機を認めるという態度を取る。


c.いかなる宗教も、最終的・絶対的・普遍的な真理を保持していると言うことはできない。


d.キリスト教信仰にとってイエスは独特の意味を持っているが、その独自性は排他的な形で優越性・超越性と結びつけられるべきではない。


以上の通りですが、多元主義者は、それぞれの行動を規定する次のような「動機づけ」を持っていると言えるでしょう。


先ず、倫理的・実践的動機づけです。キリスト教宣教が正当化された宗教戦争や植民地主義政策、反ユダヤ主義、家父長的な女性支配など、キリスト教内外の倫理的問題を実践的に解決するために、宗教多元主義的な立場からキリスト教を相対化する作業が必要だというものです。


解放神学やフェミニスト神学の視点から宗教の神学を構想しようとしているのはその典型的な例であり、キリスト教の他宗教理解の中心点が「教会中心主義」から「キリスト中心主義」そして「神中心主義」へと移ってきたこと、それをさらに「救済中心主義」「神の国中心主義」へと進めなければならないというのです。


第二に、宗教哲学的・理論的動機づけです。その筆頭にあげられるべき人物は、前記したジョン・ヒックです。彼は、究極的な実在者、即ち「一者」に連なる道が多数存在するという意味での多元主義であり、その限りにおいて、どの宗教も全体的真理の一部を占めるに過ぎないために、諸宗教は互いに相補的な関係にあると主張し、それが宗教間対話を推し進めていく根拠とされるというのです。


ヒックの宗教多元主義をキリスト教に適用した場合、「伝統的なキリスト中心主義は神中心主義へと移行する」、また、そのためにキリスト論の相対化が必要であるが、ヒックは従来のキリスト論における「受肉の教理」がキリスト教の絶対性・優越性の主張を招いたと考え、受肉の教理をメタファー(比喩)として理解し、キリスト論の再解釈を試みました。


第三に、キリスト論的動機づけがあります。今、特に北米を中心として、新約聖書学におけるイエス理解の急速な変化が、神学そのものに大きな影響を及ぼし、イエス研究は、従来の文献学的方法に加え、文化人類学・考古学・社会学などの洞察を体系的に利用することによって、様々な新しい成果を生み出しつつあるというのです。


つまり、終末論的預言者としてのイエス像が大きく揺らぎ、新たなイエス像として、今や多くの聖書学者によって、史的イエスと、終末論的・キリスト論的な神性を付与されたイエスとを区別することが議論されています。


排他主義者や包括主義者にとっては、これまでキリスト論が、多元主義的動向を神学的にくい止める防波堤の役割を果たしてきましたが、それが今や聖書学からの揺さぶりを大きく受けています。つまり、イエスの独自性のみならず、キリスト教の絶対性・優越性を裏付ける働きを担ってきた「受肉した神」「神の子」といったキリスト論的理解は、もはや前提とされず、むしろその概念形成の歴史的経緯にメスが入れられているというのです。


正にこれらの事実は、イエスの実像をUCの原理的視点から抜本的に再解釈する必要性を物語っており、「新しいイエス伝」の編纂が期待されるところです。


【超教派・超宗派の理念と実践】


では以上の議論を踏まえた上で、これからの宗教間対話は、どのような理念と姿勢で取り組むべきなのでしょうか。端的に言えば、「全ての根源なる神、その神の恵みの普遍性」(万教同根・万人救済思想)の理念のもとに、宗教的多元主義を加味した包括主義、即ち、宗教にはそれぞれの役割があるとの思想と、神のみ旨の同労者としての選民的意識を共有することだと思料いたします。


そもそも全ての宗教は、神の救済摂理をある段階とある分野で担うもので、時・程度・範囲・役割が違うだけで、「神の創造理想を担う」という点では共通の役割と目標を持っていると信じるものです。


さてUC創始者は、その生涯の活動の中で、キリスト教を中心とした超教派・超宗教運動は、最も力を入れられた分野であり、エネルギーと時間と金銭を惜しみなく注がれました。宗教の和合一致、とりわけキリスト教の和合一致に心血を注がれましたが、これはUCだけでなく全ての宗教の夢であります。


UCは、1981年に神様会議、2000年に米国聖職者指導者会議(ACLC)、そして2019年には世界聖職者指導者協議(WCLC)を設立しました。その間、世界の神学者による「世界経典」が編纂されています。このように、UCは一貫して宗教間対話と一致に尽力してきましたが、これは、父母なる神の下に、人類一家族の理想を掲げているからに他なりません。


2016年ACLC総会(米国・ニューヨーク) 2019年WCLC(米国・ニュージャージ州)


そこで筆者は、先ず神様会議を再生復活して「令和神様懇談会」を立ち上げること、そして世界経典を拡充して「新世界経典」を編纂することを提案いたします。 また、具体的な世界の課題、例えば民族間対立の克服、テロリズムの阻止、平和の枠組みの構築、LBGT法案反対運動、などのイシューを目標に宗教連合を図ることも大切です。


以上、キリスト教の自己認識の変遷と類型、宗教間対話の理念と方案、UCの超教派・超宗派への取り組みについて述べました。(了)

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