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皇居を訪れて

◇聖書の知識4ー皇居を訪れて


「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」

(マルコ12・17)


[皇居訪問]

12月1日、皇居乾通り、及び大嘗宮一般公開のチャンスに皇居を訪れて来まし

た。紅葉の美しさ、大嘗宮の簡素な木の香り、当に日本の四季の美、自然の神々

しさを感じさせられる一時でした。

春は花夏ホトトギス秋は月冬雪冴えてすずしかりけり

この歌は道元禅師が永平寺の四季の美しさを詠んだ有名な短歌です。「日本は結

婚前の乙女のようだ」といわれますが、日本の四季、日本の自然は、おそらく世

界でも類例のない美しさを持っているでしょう。

さて、皇居訪問の機会に、今回は天皇について私たちはどのように考えればい

いのか、聖書は皇帝(カイザル)についてどのように言っているのか、を考えて見

たいと思います。しばらくお付き合い下さい。

[立憲君主としての象徴天皇]

国民主権と非政治的な象徴天皇制の日本国憲法下にあっては、戦時下の特殊な一時期、天皇が神として崇められ、天皇を越える宗教の神の存在を否定した、あの異常な事態はもうあり得ないでしょう。現憲法は、一切の天皇の行為は内閣の助言と承認に基づいて憲法に定めれた国事行為のみを行い、国政の権能を有しない(4条)と明記されているからです。

これほど厳しく国王(天皇)をがんじがらめに縛った憲法は世界にありません。天皇が、戦時下において軍部などに利用された苦い経験の反動と言ってもいいでしょう。

[天皇の存在意味]

では、天皇は不要な長物なのでしょうか。私は、歴史を感じさせる皇居を歩きながら、もし日本に天皇や皇居が無かったらどうなるのだろうか、と考えたのです。おそらく、歴史も伝統も国柄もない、粗雑で野蛮な喧騒が支配する国になってしまうのではないかと思いました。歴代の総理大臣が1年交代で変わっても、日本の政治的、社会的安定が保てたのは、変わらざる国民統合の中心が存在していたからではないか、と思いました。

日本に天皇制が何故必要なのか、以下の3点を挙げたいと思います。

第一に、国家・国民のまとまりにおいては、国民統合の精神的、文化的核となるアイデンティティーが必須であり、その役割は、現在の日本において天皇しかないという認識です。かって、ソ連が崩壊し、共産主権のアイデンティティーが喪失した時、エリチィンやプーチンは、ロシア政教を復活させて国民統合のアイデンティティーに致しました。このことで国民精神は安定したのです。

第二に、イギリスと同様、君主制が日本の国民性に合っているのです。イギリスは清教徒革命で一時期共和制を採用しましたが、結局うまくいかず君主制を復活させて安定しました。日本は、国柄や国民性が君主制と相性が合うのだと思います。

三番目は、天皇への崇敬が、国民道徳の根幹になっているということです。儒教でいう五倫(親子・夫婦・兄弟・朋友・君臣)や五常(仁・義・礼・智・信)の徳目は、日本では尊皇精神が根源になっていると言われています。

ここで、注意しなければならないのは、崇敬であって崇拝ではないという点です。崇拝は神のみに捧げられる言葉であり、人間に向けられるものではありません。カソリックも、マリア信仰は偶像崇拝だとの批判を受けた時、崇敬するのであって崇拝しているのではないと反論しました。

[カイザルのものはカイザルに]

イエスは「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に」(マルコ12・17)と語られました。この聖句は神の絶対性を主張するキリスト教が世俗的秩序を肯定したとも解釈できますが、一方では、いかなる政治的権威も及びえない聖域があることを主張したとも言えるものです。

キリストは、神への服従と国家に対する義務とは次元の違うものであって「両者をともに守ることは矛盾ではない」としたのです。パウロもロマ書13・1で「人は皆、上に立つ権威に従うべきです」といい、世俗内で生きる以上、世俗的秩序も尊重するべきだと説きました。

筆者は、令和天皇が即位の儀式をされた大嘗宮を見学しながら、この祭壇に三種の神器の代わりに聖書が安置される日が早かれとの祈りを禁じ得ませんでした。(了)

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​牧師 吉田 宏

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