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キェルケゴール試論①

◇聖書の知識 (9月9日)-キェルケゴール試論-何故、約婚者レギーネを捨てたのか

「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ」(ルカ10.42)


[はじめに]

最近、ある知人から何冊かのキェルケゴールの古本が送られてきました。昔、人生と愛の問題で悩んでいた時、「キェルケゴールにその答えがあるのではないか」と直感して購入したというわけです。是非筆者に読んで欲しいとのことでした。

筆者もキリスト教を学んでいく中で、バルトやティリッヒなどキェルケゴールに影響を受けた著名な神学者に出会うことが多々あり、彼らは重要な局面でキェルケゴールに示唆されました。また、統一思想の李相軒先生もキェルケゴールの研究者(「統一思想要綱」P258~263)であることから、前から関心があり、一度キェルケゴールと取り組んでみたいと思っていました。

キェルケゴールのいわゆる「実存哲学」は、無神論に走ったサルトルとは対象的に、「憂愁、不安、絶望」に苛まされた自分(人間)が、いかにして神に至らんとしたかの格闘の思想でもあります。彼は実存哲学者である前にキリスト教信徒でありました。

彼は、人間の精神的な実存段階を、享楽的、エロース的な「美的段階」、次に良心と正義による「倫理的段階」、そして神との関係における「宗教的段階」という実存の三段階を主張し、宗教的実存段階で人間は不安や絶望を脱して解放されるとしました。

そして、倫理的段階から宗教的段階に至るためには飛躍が必要であり、飛躍とは非合理性を受け入れることであるとし、アブラハムのイサク献祭は当にその象徴であるとしました。

著書「死に至る病」で、死に至る病とは絶望のことであるとし、絶望は罪であり、この病の対処法としてキリスト教の信仰を挙げ、「神の前に自己を捨てて単独者として立つこと」が信仰であり、病の回復に繋がるとしています。

いわゆる実存哲学とは、ヘーゲル哲学が一般的、普遍的真理を対象にするのに対して、抽象的な概念としての人間ではなく、彼自身をはじめとする「個別・具体的な事実存在としての人間」を思索の対象としていることが特徴であります。

世界や歴史全体を記述しようとしたヘーゲル哲学に対し、人間の生にはそれぞれ世界や歴史には還元できない固有の本質があるという見方を示したことが画期的でありました。

今日の思想に影響を与えた著書には、いわゆ「美的(哲学的)著作」(『誘惑者の日記』、『死にいたる病』『おそれとおののき』『哲学的断片』など)と、「宗教的著作」(『野の百合と空の鳥』など)がありますが、すべての著作活動は根本的に「宗教的著作」のために書かれたもの、即ちキリスト教の教化のために書かれたと言われています。その意味で彼はキリスト教の布教師でした。

著書の「死に至る病」は、イエス・キリストが、病気で死んだ友人ラザロを蘇生させた際に「この病は死に至らず」(ヨハネ11.4)と述べたことに由来し、また著書「おそれとおののき」という表題は、「畏れとおののきをもって」(ピリピ2.12)を典拠とし、アブラハムのイサク献祭の物語を題材にしています。また、「不安の概念」ではアダムとエバの堕罪物語(創世記3章)を題材に不安を論じています。

そこでこの機会に、キェルケゴールのキリスト教信仰を縦軸に、実存哲学を横軸にして、キェルケゴールの人生と思想を考察したいと思います。

[キェルケゴールの思想的テーマ]

キェルケゴールの人生と思想の主なテーマは、「恋人レギーネとの愛と決別」、「ヘーゲル弁証法哲学への拒絶」、「デンマーク国教会との戦い」、の3点が挙げられるでしょう。

その中で今回は、恋人レギーネとの愛と婚約、そして婚約破棄の深層について考えたいと思います。何故なら、このレギーネとの関係の中にキェルケゴールの思想的源泉があるからです。

そしてこの問題は、上記古本を送ってきた知人の深刻なテーマでもありました。この知人は、UCに献身する時、既に結婚を約束した女性がいたのです。筆者は、こういった境遇におかれた食口を、この知人の他にも何人か知っています。

恋人か原理か、この両者の狭間で葛藤したこの知人は、愛し合いながら恋人と決別したキェルケゴールの生き様に自らを重ね合わせ、キェルケゴールに救いを求めたというのです。送られてきた和辻哲郎著「ゼーレンキェルケゴール」を読みながらしばしキリスト者の愛とは何か、を考えて見ました。

[キェルケゴールの生涯概略]

はじめにキェルケゴールの簡単な履歴を概観いたします。(参考-Wikipedia)

セーレン・オービエ・キェルケゴール(1813年-~1855年)は、デンマークの哲学者、思想家で、一般には実存主義の創始者、またはその先駆けと評価されています。また、キリスト教、キリスト教神学、倫理学、形而上学、宗教哲学にも造詣が深かったと言われ、むしろ彼の真骨頂はキリスト教神学にあると言っても過言ではないでしょう。

コペンハーゲン大学で神学を学んだキェルケゴールは、当時とても影響があったヘーゲル哲学や、形式ばかりにこだわる当時のデンマーク教会に対する痛烈な批判者でありました。

セーレン・キェルケゴールはコペンハーゲンの富裕な商人の家庭に、父ミカエル・キェルケゴール、母アーネ・ルンの七人の子供の末っ子として生まれました。

父親のミカエルは熱心なクリスチャンであり、ミカエルはあることで神の怒りを買ったと思い込み、彼のどの子供もキリストが十字架に処せられた34歳までしか生きられないと信じ込んでいましたが(実際7人の子供の内5人が32才迄に死んでいます)、それは次の理由によると言われています。

父のミカエルは幼いころ、その貧しい境遇を憂い神を呪ったこと、もう一つの理由として、ミカエルがアーネと二度目の結婚する前に彼女を力で性交渉により妊娠させたこと、であると考えられています。父ミカエルは繊細でナイーブなクリスチャンだったのです。

この、父ミカエルのキリスト教への信仰心と罪への恐れは、色濃く息子セーレンにも引き継がれ、『おそれとおののき』などの作品に多大な影響を与えています。1835年に父ミカエルの罪を知ったときのことを、キルケゴールは「大地震」と呼んでおり、この事件ののち彼は暫く放蕩生活を送ることになりました。

そしてもう一つの、キェルケゴールの思想と作品に重大な影響を及ぼしたものとして、本項のテーマであるレギーネ・オルセン(1823年 ~ 1904年)との婚約とその破棄が挙げられるでしょう。

キェルケゴールは1840年に17歳のレギーネに求婚し、彼女はそれを受諾するのですが、その約1年後、彼は愛し合いながらも一方的に婚約を破棄しています。

この婚約破棄の理由については、キェルケゴール自身、「この秘密を知るものは、私の全思想の鍵を得るものである」と語り、初期の大作『あれか―これか』『人生行路の諸段階』などは、レギーネとの密接な関係による作品であります。

婚約破棄の原因について、キェルケゴール本人が父譲りの呪われた生を自覚していたこと、清純な乙女であったレギーネを汚すまいとしたこと、はたまた性的身体的理由、など色々言われていますが、筆者は後述しますように、本質的にはキリスト教的純潔思想にあったと考えています。

二人は、婚約破棄後レギーネが1847年にフレゼリク・スレーゲル(1817年~1896年)と結婚したあとも愛し合っていたと考えられています。

上記の通り、父とレギーネの二人はキェルケゴールに最も大きな影響を与えました。和辻哲郎は著書「ゼーレンキェルケゴール」の中で「父は彼を不幸にし、彼はレギーネを不幸にした」と語っています。

キェルケゴールはデンマーク教会の改革を求めた教会闘争最中に道ばたで倒れ、その後病院で亡くなりました。(享年41才)

キェルケゴールは兄宛の手紙の形による遺言書の中で、レギーネを「私のものすべての相続人」に指定していました。レギーネは遺産の相続は断りましたが、遺稿の引き取りには応じ、かつて封をしたまま送り返された手紙もこのとき彼女の手に渡っています。

[キルケゴールは何故レギーネを捨てたのか]

キルケゴールはなぜレギーネを捨てた(婚約破棄)のか、「この秘密を解く者は、私の思想の秘密を解く者だ」とキェルケゴーは日記に書いています。

1837年、25才のキェルケゴールは、16才のレギーネを初めて見初めることになります。以来、清純無垢で美しいレギーネを深く愛するようになっていきました。

そうして3年後の1840年9月8日、レギーネがピアノを弾いているときに、「わたしが求めているのは、あなたです。この二年の間私は、いつもあなたを求めてきました」と告白してプロポーズします。そうして婚約することになりました。

レギーネはキェルケゴールを深く愛し、またキェルケゴールもレギーネを深く愛しました。しかし、愛すれば愛するほど、悩みや苦しみが彼を襲い、彼の内には彼女と離れなければならないという思いが起こってきました。

彼の信仰倫理としては、恋愛は美しいが性欲は汚ならしいものでありましたが、理性では、恋愛は性欲によって完成させられると考えていました。しかし、彼の感性(憂愁)は、性的魅力を恐れ斥け、性的衝動の魅力とそれに対する恐怖との間で葛藤したというのです。(和辻哲郎著「ゼーレンキェルケゴール」P60)

キェルケゴールは、レギーネを愛すれば愛するほど、自分が彼女にふさわしくないという思いに襲われました。父の罪の呪いと死の予感、父譲りの憂愁な性格、放蕩生活と一度の娼婦との間違いなど、結婚は彼女を不幸にするのではないかとの思いです。(工藤ヤス夫「キェルケゴール」清水書院P66)

そして、キリスト者として愛し合うためには、神を介して愛し合うことが必須であり、神の仲介なくして結婚することは相手を傷つけるという思いは日々募り、レギーネへの愛を自分から突き放すことで愛を貫くという逆説的な愛の表現になっていきました。

私が著作家になれたのは、本質的には、「彼女と私の憂愁のおかげである」と日記は語ります。「彼をとらえるために神ご自身がレギーネを必要とされている」かのようだ、といえるかもしれません

確かに、レギーネと決別してからの30才からの著名な著書「あれかこれか」「反復」「おそれとおののき」「哲学的断片」「不安の概念」「人生航路の諸段階」は、彼女との愛と決別、そしてその理由付けがテーマになっていると言われています。

「おそれとおののき」は、自分がレギーネを手放さなければならなかった理由を、あらためて論じたものです。またこの作品は、旧約聖書にあるアブラハムのイサク物語を題材にしており、レギーネこそイサク献祭だというのでしょうか。

即ち、こうした破局へと彼を駆り立てたのは、宗教的な使命をめぐるキルケゴールの自己理解とも言われています。「神からの要求にそって生きていくためには、自分がもつ最上のものを犠牲としなければなりませんでした。だから私は、あなた(レギーネ)への愛を自らの著作活動の犠牲としたのです」(日記)

そもそも哲学者は、女性と無縁のイメージがあります。「これまで偉大な哲学者で結婚したものがいただろうか。ヘラクレイトス、プラトン、デカルト、スピノザ、ライプニッツ、カント、ショーペンハウアーらは皆結婚しなかった」とニーチェは著書の中で語りました。

古代では、「プラトニックラブ」の言葉を今日まで残すプラトンも独身でした。彼の師匠、妻帯者ソクラテスは例外というわけですが、「哲学者が結婚すれば喜劇に終わる」というのを実証するためにソクラテスは敢えて結婚したというニーチェの逆説もあります。事実、ソクラテスの妻は世界三大悪妻の一人と言われています。

大思想家はすべて世俗を捨て、本然性を選びました。仏陀の出家はその好例であります。結婚はこの世とのしがらみに縛られ、本然性の妨げとなるとの観念がありました。使徒パウロの独身の勧め(Ⅰコリント7:7)も同様の理由でありましょう。

キェルケゴールは『日記』で、ゲーテとゼーゼンハイムの少女フリーデリケの恋愛に触れています。

21歳のシュトラスブルク大学の学生ゲーテは、牧師の娘フリーデリケと恋に落ちますが、ゲーテのほうから去っています。しかしフリーデリケはこの時の愛に殉じ、61歳で亡くなるまで独身を通しました。結婚し、子供を産み、多くの人の考える幸福な人生を送るより、一年にも満たないゲーテとの交際の思い出に生きることを選んだというのです。

[愛の解決]

キェルケゴールは、神の前における単独者として、真の信仰を希求し情熱をもって真のキリスト者となることを願ってやまなかったと言われています。

この点統一思想は、結婚によってレギーネを不幸にするのではないかということ、そして恋愛よりも次元の高い理想的な愛を実現しようとしたのである、と言っています。(統一思想要綱P263)

筆者は、堕落の原因が、性的問題にあることを、繊細で天才的なキェルケゴールの感性は直感的に知っていたのではないかと考えています。著書「不安の概念」では、アダムとエバの堕罪(原罪)を不安の原因として論じていますが、背後に性的衝動を感じ取っていたのではなかいかと思われます。

そして無垢な相手を汚せない、父の呪いから相手を不幸にするとも感じていました。

こうしてこの婚約破棄は、神とレギーネへの「アガペーの愛の表現」だという結論になりました。

そして1843年4月16日、聖母教会にて、キェルケゴールはレギーネから心のこもった婚約破棄の「うなずき」を受けることになります。レギーネにキェルケゴールの思いが伝わったのでしょうか。こうして破婚後も彼は生涯レギーネを愛することになりました。

少し気取って言えば、「愛は、捨てられることで永遠になった」のです。日本的に言えは葉隠れの「忍ぶ愛」でしょうか。

(ヘーゲルのように)「あれもこれも」ではなく、「あれかこれか」です。「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである」(ルカ10.42)との聖句が思い起こされます。当に、この一度限りに人生に「私がそのために生きそしてそのために死ぬことを心から願うようなテーマを見い出すこと」(21才の「手記」)ができるか、であります。

さて、カソリックは「淫行堕罪説」を内心認めてながらも、敢えて淫行堕罪説を否定しました。何故なら、解決策なき淫行堕罪説は、即ちキェルケゴールのように「結婚出来ない説」になるからです。

信徒の結婚を守るために、淫行堕罪説を否定し、聖職者、修道者、修道女のみ独身制を死守しました。その意味でも、神の仲介と祝福による解決が待たれるところです。

以上、果たして上述の論議は、愛する人と離別してUCに献身した食口らの何らかの参考になったでしょうか。(了)