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月刊正論6月号「田中会長のインタビュー」、及び月刊Hanada6月号「福田ますみ-解散命令判決」を読んで

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    matsuura-t
  • 22 時間前
  • 読了時間: 11分

◯徒然日誌(令和7年5月21日) 月刊正論6月号「田中会長のインタビュー」、及び月刊Hanada6月号「福田ますみ-解散命令判決」を読んで 

 

そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。 しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない(使徒行伝5.38~39)

 

プロローグ 

 

この5月、「月刊正論6月号」にて、ジャーナリストの加藤文宏氏がUCの田中富弘会長にインタビューした記事が載り、また「月刊Hanada6月号」には作家の福田ますみ氏が寄稿され、「旧統一教会『解散命令判決』-テロの願望が叶う日」と題する記事が掲載された。 

 

田中会長の発言はいわば教団を代表する見解であるが、加藤氏の微妙な質問にも適切に回答し、安定感があった。また福田ますみ氏の記事は、UCへの解散請求に関する地裁の解散命令決定が、如何に恣意的な国策裁判であったかを丹念な調査により見事にまとめられた一文であり、筆者も高く評価したい。 

 

そこで先ず、福田ますみ氏の記事について論評し、次に田中会長のインタビュー記事について検証する。 

 

【解散命令決定の恣意性】 


福田氏は冒頭、戦前弾圧された大本教裁判の高野綱雄高裁裁判長の判決に言及された。戦前大本教団は不敬罪と治安維持法違反を理由として、大弾圧を受け、本部はダイナマイトで破壊され、出口王仁三郎を含め987人が検挙され、61人が起訴された。特別高等警察の激しい拷問で起訴61人中、16人が死亡し、王仁三郎も激しい拷問を受けた大弾圧事件である。 

 

<令和の高野綱雄裁判長出でよ>

 

この裁判で、一審では不敬罪違反と治安維持法違反で有罪となったが、控訴審で治安維持法違反は逆転無罪となったのである。高野綱雄裁判長は判決文の中で、「大本は宇宙観・神観・人生観等理路整然たる教義を持つ宗教である」と記し、検察の調書の信頼性が低いことも判決文で指摘した。筆者はHP「徒然日誌(令和7年4月9日)  日本における宗教弾圧とその教訓-大本弾圧とホーリネス弾圧」の中で、「あの戦前の空気の中で、国策に反する判決を書いた高野裁判長の矜持は見上げたもので、UCに解散決定を出した鈴木謙也裁判長とは、まさに真逆である。検察当局が事実を歪曲して大本を貶めたのは、文科省が陳述書を捏造してUCを解散決定に追い込んだ過程と瓜二つだ」と書いたが、福田氏も同様のことを記され、「あれだけ世間でやかましかった事件を無罪にしたのは勇気がいります」との土井一夫陪席判事の言葉を引用され、そして、解散命令はテロリスト山上の願望を叶えることなる、「令和の高野綱雄裁判長出でよ」と結ばれた。 

 

<まさしく国策裁判> 

 

地裁の決定文では、解散事由である「法令に違反し著しく公共の福祉を害すると明らかに認めれる行為」に当てはまると断じるが、福田氏は、「具体的に、誰が、いつ、どこで何をして、どの法令に違反したから解散となるのか、その基準も証拠も示されない」と指摘した。更に非訟事件且つ民事事件という非公開で曖昧な裁判の枠組みであり、裁判官の恣意的な判断をいくらでも差し挟めると問題提起され、まさしく「国策裁判」だと断じた。 

 

<証拠捏造と被害の推測>

 

福田氏は、文科省による陳述書の偽造・捏造は大問題であるのに、地裁はこれを無視し、決定文は、「利害関係人が個々の被害申告者の説明の信用性について指摘している点は、上記の認定を覆すに足りない」(決定文P96)とだけ書かれ、陳述書捏造を軽視していると指摘した。前記大本教の裁判で、検事調書・予備判事調書の偽造を重視した高野裁判長とは真逆である。 

 

更に地裁は、解散事由の認定に、32件の民事裁判だけでなく、裁判前の示談や和解まで「不法行為」として括り、「膨大な規模の被害を生じさせ、いまも看過できない程度の被害が残存している」と十把ひとからげに被害を認定した(福田寄稿文P92)。実はこの32件の事案は平均32年も前のものであり、しかもその原告の大半は、拉致監禁で強制棄教させられた元信者であるという。また、裁判で取り上げられた献金返還訴訟の原告168名はその88%が拉致監禁で強制棄教させられた被害者であり、西欧の学会では、背教者の証言には信憑性がないとして採用しないのが原則であるのに、地裁はこれらの原則を無視したのである。 

 

しかも2009年のコンプライアンス宣言以前は165件の献金裁判があったが、宣言後は4件しかなく、最近12年間の訴訟は皆無であり、また裁判外の示談は2010年には167名だったが、2021年には3名になった。更に2012年から2021年の消費者庁の相談件数の内、UC関連は0095%、2022年4月~6月は0.0033%であり、教団の改善は際立っており、不法行為の継続性がないことは明らかである。 

 

しかし地裁は、「被害申告が顕在化しない類型や被害申告がされない類型を考慮しなければならない」として、「潜在的な隠れた被害が『相当程度』あることが『想定される』ので、問題状況が現在においても、なお看過できない程度に残存していると解するのが相当」という、推論に推論を重ねた判断を示した。これは、解散という結論を導くための強引なレトリックであり、もはやイチャモン、こじつけの類いであると福田氏は切って捨てた。(寄稿文P96)。 

 

<取り返しのつかない事態に> 

 

中山達樹弁護士は、過去60年で、刑事事件0件、詐欺強迫取消訴訟0件、民法709条不法行為2件のUCをどうやって解散させるというのだろうかと問題提起されている。福田氏は、政治もメディアも司法も、テロリストの願望を叶える形で動いたことは日本に取り返しのつかない禍根を残すとし、UC法務副局長近藤德茂氏の次の言葉を引用して寄稿文を閉じた。 

 

「裁判所は法理論を無視し、憲法、国際法、国連勧告も無視し、新規違法性認定基準(2022年12月の献金新法を参考に、2023年7月11日付最高裁判決)を過去に遡及させ、推測に次ぐ推測という信じがたい手法によって不法行為を認定して被害を甚大であると見せかけ、これらを根拠に解散命令を下したのです。この決定は、政府と偏向したメディアに煽られた世論に迎合した、結論先にありきの不当判決です」 

 

【検証-田中会長インタビュー】  


更に月刊正論6月号には「田中会長のインタビュー」記事が掲載された。田中会長は、岸田元首相の不当な断絶宣言や解散要件を民法を含むと一夜で豹変したことを問題視すると共に、地裁が原状回復済みの和解事案や示談・通知書まで不法行為と推定したこと、コンプライアンス宣言以後の被害は激減しているのに地裁は教団の改善は弥縫策 (びほうさく)としたこと、地裁が4300人にも上るディプログラミング(3000人が棄教)に触れなかったこと、政府の情報源は全て全国弁連であること等々を指摘し、まさに国策裁判だとした。その中でも、加藤文宏氏は教団代表に向けて重要且つ微妙な質問をしているので、以下その3点について言及する。 

 

<教団改革及び謝罪とお詫びについて> 

 

田中会長によれば、UCの教団改革は地裁がいう付け焼き刃の弥縫策(一時しのぎの策)どころか、抜本的な改革が進んでいるという。献金について言えば、献金の確認書を取ってお金の出所を確かめ、献金により生活が困窮しないなかを確認するようにし、また、領収書も発行する。最終的には教団文化を変えることを目標としているという。 

 

また、「お詫びはするけれど謝罪はしない」との発言に関する問について、「謝罪とは罪を謝ることで、被害者に対して罪を認めて行うこと、お詫びとは被害を感じている人に寄り添って問題があれは詫びるという意味である」とした。2009年の新世事件で、当時の徳野英治会長が辞任したが、辞任の理由は社会を騒がせたことであって、教団が事件を引き起こしたことを認めて引責辞任したわけではないという。今回の安倍暗殺事件でも同じことが言えるだろう。 

 

この点、アメリカは決して謝罪しない国として知られている。日本に原爆を落としたことさえそうである。しかし、アメリカ政府は、原爆投下による犠牲者へは弔意を表し、原爆投下自体は正当な理由があるとする。アメリカ文化では、謝罪は責任を認めることと解釈され、謝罪をすることで法的責任を負う可能性を広げてしまうと考えるからである。従って、田中会長の謝罪とお詫びを峻別する態度は正しいと筆者は思料する 

 

<宗教法人としての独立性> 

 

加藤氏は、UCは韓国へ資金を流す「反日宗教」ではないかと問い、そして日本には決定権がなく、「宗教法人としての独立性を貫けるのか」との鋭い質問が投げ掛けられた。 

 

この点田中会長は、教団は反日ではなく、むしろ愛日であり、国を愛することは教祖の教義にあるとした上で、「日本が海外に資金を送るのは世界宣教を支える宣教支援金であり、特に1977年から2009年まで世界本部はアメリカにあり、この期間は基本的にアメリカに送金されていた」とした。この献金が何に使われたかについて、筆者HP「徒然日誌(令和7年5月14日)  宗教東斬(とうぜん)の理ー令和の母性国家論」において詳述しているので参考にされたい。筆者は5月6日、「X」で次の通り投稿した。 

 

「統一の献金はどこに使われたか。一番が世界宣教、特にアメリカ。アメリカが世界の自由の守護者であるから。教祖は40年アメリカで超宗教と自由反共に投入した。次が国内の布教と勝共活動。第三が韓国の聖殿建設の支援。故に韓国に貢がれたというのは反対派の悪質な印象操作である」 

 

次に、日本のUCは宗教法人の独立性を担保できるのか、日本に決定権はあるのか、との問題提起に対して、田中会長は「献金予算はどのくらい可能か役員会で検討して決めている。高額なお金を送金する場合は役員会で決め、議事録にも残す」とした(インタビュー記事P185)。 

 

実は筆者は、以前から、特に予算と人事に関して、日本の宗教法人である以上、宗教法人法通りの意思決定、即ち法で定められた責任役員会で決めるべきを提言してきた。また同時に、責任役員会議を、助言・監査するための任意設置機関として「諮問委員会」(仮称)を設けることを提案した。無論、真の父母に方針を仰ぎ、教祖や世界本部との風通しは担保した上である。 

 

この点、令和4年9月22日、本部で第3回目の記者会見が行われ、教会改革推進本部長に就任した勅使河原秀行氏から「教会改革の方向性」が説明され、日本UCの意思決定について「基本的に日本の運営は、日本の責任役員会で100%確定するので、責任と権限は日本教会にある」と明言し、筆者も高く評価した。是非、その実効性を確保して欲しい。 

 

ちなみに筆者は、前記の制度的な改革提案と共に、教会の霊性改革、抜本的な体質改革をも提言した。即ち、現世利益的な「お願い事信仰」から脱皮し、神の言葉による救いの大道に回帰した、成約の「福音的な教会」に大転換されるべきを勧告した。 (参照→つれづれ日誌 令和4年9月28日-記者会見の検証)

 

<岸田氏に謝罪を求める>

 

最後に田中会長は、「全信徒に被害を与えた岸田氏に謝罪を求めたい。この事態は歴史に残る」と心情を吐露した。筆者も、「イエスを十字架につけたピラトと同じ岸田首相だけは許せない。その報いは7代に及ぶ」とXにポストした。 

 

岸田元首相は、UCとの断絶宣言をし、宗教法人の解散要件を民法の不法行為まで含めるという前代未聞の間違いを犯した人物である。更に、歴史上はじめての質問権行使に踏み切った上、自己保身のために理不尽なUCへの解散命令請求を裁判所に求めた男である。まさに「岸田許すまじ」との思いは全信徒の思いであり、岸田氏は心から謝罪をすべきである。 

 

以上、「月刊Hanada6月号」の福田ますみ氏の寄稿、及び「月刊正論6月号」の田中会長のインタビューを論評した。 

 

筆者はこの一文を書きながら、パウロの律法の師(ラビ)であるガマリエルの言葉を想起した。ガマリエルは、「あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。 しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」(使徒行伝5.38~39)と語ってキリスト教徒を迫害するのを戒めた。ガマリエルの言う通り、UCの原理も教祖も神からきたものであり、如何なる迫害があっても不滅であり、迫害した者は神を敵に回すことになる。 

 

そして讃美歌404番「山路超えて」が思い起こされた。「山路こえて、ひとりゆけど、主の手にすがれる身はやすけし」からはじまるこの讃美歌は、宇和島教会の西村清雄伝道師が宣教の途上、法華津峠で夜を迎えた時、創作したもので、ヤコブが叔父のラバンが住むハランへの途上、石を枕に仮寝した時(創世記28.11)の情景を重ねた歌であり感慨深い。神は仮寝の夢の中で、「私はあなたと共にあってあなたを守る」(創世記28.15)とヤコブに約束された。 

 

この「神が共にある」(インマヌエル)は聖書全体を貫く中心的なメッセージであり、聖書は様々な場面で「神は共におられる」ことを語っている。モーセに「わたしは必ずあなたと共にいる」(出エジプト3.12)と言われ、ヨシュアに「わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう」(ヨシュア記1.5)と明言され、エレミヤにも「わたしがあなたと共にいる」(エレミヤ1.8)と言われた。

 

久保木修己日本UC元会長は、厚木大山頂上で断食祈祷中、劇的な神体験をした時、躊躇する久保木会長に「案ずるな、私が共にある」と釘を刺さされたという。こうして「神共にあり」は、まさに聖書を貫く主題であり、成約時代における私たちの信仰の旅路において、固く心に刻んでおきたい言葉である。然り、神は私たちと共にあり! (了)

 

牧師・宣教師   吉田宏

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​新生聖書勉強会

​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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