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出エジプト記 注解③ 三大奇跡と十災禍、そして出エジプト 奇跡について考える

🔷聖書の知識72-出エジプト記注解③-三大奇跡と十災禍、そして出エジプト 奇跡について考える


私は主である。その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。(出エジプト12.12~14)


前回シナイで、モーセがイスラエルの解放者として神に召されるところまで話しが進みました。これを踏まえ、いよいよモーセがエジプトに行き、イスラエルを解放するためにパロと談判することになります。そして今回の中心テーマは、「奇跡」であります。


モーセは三大奇跡と十災禍をもって出エジプトに成功し、紅海を渡ってシナイまで旅を続けることになりました。即ち、ラメセスを立ちスコテに向かい、さらに荒野の端にあるエタムに宿営します。紅海を渡り、シュルの荒野、エリムを経てシンのホレブ山の荒野に宿営しました。


以上がエジプトを立ってシナイのホレブ山麓までの旅程であります。


【モーセ、パロと談判する】


上記の通りモーセは神に召され、イスラエルを奴隷から解放する使命を託され、イスラエルの解放について談判し交渉するためにパロの元に赴くことになりました。


イスラエルの解放とは、即ち「出エジプト」をパロに認めさせることに他なりません。そしてその決め手になるのが三大奇跡と十災禍の「奇跡」でありました。以下の項で今回のメインテーマである「奇跡とは何か」について考えていきたいと思います。


<奇跡とは>


奇跡とは「超自然的なしるし」であり、聖書は奇跡の書であるとも言えます。しかし奇跡(奇蹟、miracle)はのべつまくなしに起こっているわけではありません。


聖書において奇跡は、大きく三回の時期に集中しています。a.出エジプト時代、b.エリアとエリシャの時代(列王紀上18.38~40)、c.そしてイエスと使徒の時代の3回です。いずれも時代の危機や転換期に起こっており、神が満を持して直接的に介入されました。ユダヤ人は奇跡を「しるしと不思議」と呼んでいます。


この奇跡を通して、旧約では神が全知全能の絶対者であることを証して「信じるにたる存在」であることを示され、新約では「イエスがキリストである」ことを証されました。


そして旧約では神の天地創造、新約ではキリストの受肉とその復活が最大の奇跡であり、信仰にあっては「回心と新生」こそ最高の奇跡であると言えるでしょう。奇跡は神の励ましであり、信仰の励みになるものであり、奇跡を通してより深く神を知る機会になるというのです。


奇跡は仏教や神道では「霊験」(れいげん)と言い、「霊験あらたか」などといい表されています。キリスト教では、キリストの処女降誕、病者の治癒、悪霊の追い出し、死者の蘇生、キリストの肉体的復活などを、超自然的な出来事として信じられています。ただし、自由主義神学系の聖書学者は、これらを奇跡と考えず、信仰上のイエス・キリスト(信仰的事実)と史的イエス(歴史的事実)とを分けるアプローチを取っています。


しばしば奇跡は、実証ができないので科学の領域からは排除されざるを得ませんでしたが、神は超自然的な出来事を啓示によって明らかにしてこられました。それは理性を越えたものでありますが、決して理性に反するものではないとして、特にカトリックでは「超自然」を認めてきました。


そしてそれは信仰によってのみ認識出来る事実であります。筆者は全知全能の神の介入(奇跡)は有り得ると信じる立場に立っています。


<三大奇跡>


神はモーセに「三大奇跡」の権能を与え、 自分の言葉を代理に語れる兄アロン(出4.14)と、アロンの姉である女預言者ミリアム(出15.20)とを彼に補助者として与えられ、パロとの談判を命じられました。 それにしてもモーセのレビ人の産みの親(出エジプト2.2)は、3人の預言者を産んだことになりますが、この家系はよほど神に祝福を受けた家系であります。


三大奇跡の権能とは、「杖が蛇」になる奇跡、手をふところに入れるとらい病にかかり、ふところにもどすと「回復する奇跡」、ナイル川から取った水が、地に注ぐと「血となる」という奇跡、であります。


神はモーセに「わたしは主である」 (出6.2)と、初めて自分を「主」と名乗られ、アロンと共にパロのところに行って、出エジプトの交渉をするように命じられます。また主は「見よ、わたしはあなたをパロに対して神のごときものとする」(出7.1)とも語られました。この時、モーセは80歳、アロンは83歳でした。


しかしパロの心はかたくななので、「しるしと不思議」をもってエジプトの国を打つと主は言われました。これが三大奇跡と十災禍です。


先ずモーセとアロンは、パロの前で杖が蛇になる奇跡を見せ、アロンの杖がパロの魔術師の杖を飲み込みました(出7.10~12)。次に、らい病が治癒する奇跡(出エ4.6)、そして

つえをあげてナイル川の水を打つと、川の水は、ことごとく血に変り、それで川の魚は死に、川は臭くなり、エジプトびとは川の水を飲むことができなくなりました(出エ4.9)。


さてここで、この三大奇跡の神学的意味について見ておきましょう。(原理講論P361~363)


第一の奇跡の「杖が蛇となった」「パロの魔術師の杖を飲み込んだ」とは何を予示したものでしょうか。これは、イエスが救い主として来られ、サタンの世界を滅ぼすということを、象徴的に見せてくださったのであるというのです。即ち、神の代わりに、神として立てられたモーセの前で、奇跡を起こしたその杖は、将来、神の前でこのような奇跡を起こすであろう、権能的な面から見たイエスを象徴したものであり、また不義を打ち、真実なる道案内人をされる使命的面から見たイエスを象徴したものであったのであります。


イエスが「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ三・14)と、御自分を蛇に例えられ、また「蛇のように賢くあれ」(マタイ10.16)と言われたように、イエスは「善なる知恵の蛇」として来られる方であるというのです。


第二の奇跡は、最初に手を懐に入れたときには、らい病にかかり、再びその手を懐に入れたときには、完全に快復していました。(出エ4.6)


この奇跡は、将来イエスが後のアダムとして来られ、後のエバの神性である聖霊を送られることによって、「贖罪の摂理」をされるということを、象徴的に見せてくださったのであります、


第三の奇跡は、川の水を陸地に注いで血となるようにしたことでありますが(出エ4.9)、これは、無機物(水)に等しい命のない存在が、有機物(血)に等しい命のある存在として復帰されるということを、見せて下さったのであり、将来イエスと聖霊とが来られて、命を失った堕落人間を、「命のある子女として復帰」されるということの象徴であるというのです。


<十災禍>


しかしそれでもなおパロはかたくなで、イスラエルの民を去らせないので、主は更に十の禍をもってエジプトを打たれました。


7番目の災い(ジョン・マーティン画)


ファラオは災いを止めることと引き換えに、民族の解放をモーセに約束します。しかし、モーセが災いをおさめると、ファラオは再び心を「かたくな」にして、約束を守ることはありませんでした。そして、10番目の「エジプトの長子を皆殺しする災い」により、ついにファラオは屈服し、イスラエル民族を奴隷から解放することを認めました。聖書に記録されている「十の災い(十災禍)」は次のとおりです。


1.血の災い(出エジプト7.14~25)→ナイル川の水が血に変わり、魚が死に絶え、水が飲め なくなった。

2.蛙の災い(8.1~15)→ナイル川から蛙が次々と這い上がり、エジプトの地面を埋め尽くし た。

3.ブヨの災い(8.16~19)→ブヨが大量発生し、人々や家畜が襲われた。

4.アブの災い(8.20~32)→アブの大群が押し寄せ、エジプト人を襲った。

5.疾病の災い(9.1~7)→伝染病が発生し、エジプト人の家畜が次々と倒れた。

6.腫れ物の災い(9.8~12)→すすがエジプト人とその家畜に付き、膿の出る腫れ物になった。

7.雹の災い(9.13~35)→稲妻と雷がとどろき、激しい雹が降り、畑の作物が枯れた。

8.イナゴの災い( 10.1~20)→イナゴが大量発生し、エジプト全土を覆い、作物を荒らし た。

9.暗闇の災い(10.21~29)→エジプト全土が3日間、真っ暗闇になった。

10.長子皆殺しの災い(11章、12.29~33)→エジプト人のすべての長子が怪死した。


以上のように、神は10回に渡ってパロとエジプトを打たれましたが、この奇跡が歴史的事実であったかどうかを含めて、私たちはこれらをどう考えればいいのでしょうか。10回もの甚大な災いを受けながら、何故ここまでパロはかたくなだったのか、理解に苦しむところであります。正に懲りない王様です。


これは、出エジプトがいかに困難な事業であり、モーセがパロとの談判にいかに苦労したかを象徴しているものではないかと思われます。そして同時に、イスラエルの解放に際して、神がいかに強い意思を持って介入されたか、またモーセが正に神からきた人であることを示すものでした。


さて原理講論では、モーセを来るべきイエスの予型、模擬者と位置付けた上で、十災禍の意味について次のように説明しています。(P366~369)


1.これは、将来イエスが来られて、奇跡をもって神の選民を救われるということの「予型」である。


2.ヤコブのハラン二十一年間苦役でラバンに十回欺かれたこと(創31.7)の蕩減の意味があるとし、神がエジプトの長子と家畜の初子を打たれたのは、サタン側の長子を打って、イスラエルが長子の立場を復帰するようにさせるためであるとした。


3.何故かくもパロの心をかたくなにされたのか。その理由として、a.神は正にイスラエルの神であられる、ということをパロに悟らしめるため、b.パロをして、イスラエルに対する未練をもたしめないようにされるため、c.イスラエル民族をして、パロに対する敵愾心を抱くようにさせ、エジプトに対する未練を断つようにさせるため、の3点を指摘。


4.雲の柱はイエス、火の柱は聖霊を象徴し、マナとうずらは、イエスの肉と血を意味する。ホレブで授かった二枚の石板もイエスと聖霊を象徴する。


5.メリバの岩を打たせ、水を出して飲ませられたのは、岩に象徴されるキリストが永遠の命の水を与えることの象徴である。


こうしてイスラエル民族は、三大奇跡と十災禍を通して、モーセがまさしく神の人である、ということを信ずるようになり、「民族的な信仰基台」の上でアベルの立場を確立したモーセを信じ、彼に従う立場に立つようになったので、彼らはついに、第二次民族的カナン復帰路程を出発することができたというわけです。


<過越しの祭>


そして最後の災いは、エジプトの初子は人間も家畜もすべて一夜のうちに殺される奇跡でしたが、かもいと門柱に子羊の血でしるしをつけたイスラエルの家では下記聖句の通り「神がそこを過ぎ越された」ために初子も無事であるという奇跡でした。


ユダヤ人は今でもこの奇跡を記念して毎年「過越の祭り」を行います。この過越の祭は、ユダヤ三大祭の中でも最も大切な祭として位置付けられています。


「主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。あなたがたはこの事を、あなたと子孫のための定めとして、永久に守らなければならない」(出12.23~24)


【シナイへの旅程】


こうしてパロはイスラエルを去らせました。ヤコブ一族がエジプトに下ってきてから430年後のことでした。


<出エジプトと紅海の奇跡>


上記しましたように、イスラエルはラメセスを立ちスコテに行き、さらに荒野の端にある紅海の近くエタムに宿営します。そうして神は民がラメセスを立ってから今まで、「昼は雲の柱、夜は火の柱」をもって手厚く導かれました。


「主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた」(出13.21~22 )


さてここで、心変りして追ってくるパロの軍勢と紅海の間で絶対絶命の窮地に立たされますが、この時、有名な 「紅海が割れる奇跡」がおこります。


「モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた」(出14.21)


こうして紅海を渡り、シュルの荒野、エリムを経てシンの荒野にいたります。そこからレピデムに着き、更にレピデムを出立してシナイの荒野に入り、ホレブ山の山麓に宿営しました。ラメセスを出てから3ヶ月目のことでした。


<民のつぶやきと神の恵み>


イスラエルは、困った時はいつもモーセに対して「つぶやき」ました。しかし、この度に神は恵みをもって答えられました。


先ず、パロの軍勢と紅海の間で窮地に陥った時、民は次のようにつぶやきました。


「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」(出14.11~12)


しかし、神は紅海の奇跡をもって答えられたことは上述した通りです。


次に、紅海からシェルの荒野に入ってメラに着いた時、メラの水は苦くて飲めませんでしたが、民は「私たちは何を飲むのですか」と再びつぶやきました。神はモーセに一本の木を示されたので、それを水に投げ入れると、水は甘くなり飲めるようになりました。(出15.24)


そしてエジプトの地を出て2か月目の15日に、エリムとシナイとの間にあるシンの荒野にきましたが、ここでもつぶやいています。


「われわれはエジプトの地で、肉のなべのかたわらに座し、飽きるほどパンを食べていた時に、主の手にかかって死んでいたら良かった。あなたがたは、われわれをこの荒野に導き出して、全会衆を餓死させようとしている」。(出16.3)


このつぶやきに神は、夕べには「うずら」を、朝には「マナ」をもって養われたのです。


更にレピデムでも、民は水がないと言ってモーセといい争いました。


「あなたはなぜわたしたちをエジプトから導き出して、わたしたちを、子供や家畜と一緒に、かわきによって死なせようとするのですか」。(出17.3)


このつぶやきに、モーセは遂に岩を打って水を出しました。これがメリバの水であります。


こうして民は幾度もモーセを試み、その度に神は自らを顕して、モーセが神の人であることを示されました。また、ミデアン40年の牧畜生活で、鍛練されたモーセの忍耐心と耐乏心が発揮されました。

<出エジプト記は奇跡の宝庫>


今まで見てきましたように、モーセの出エジプトの時代ほど、神がダイナミックに介入された時代はありません。当に奇跡(超自然現象)の宝庫です。三大奇跡と十災禍をはじめとして、「雲の柱、火の柱」、「紅海の奇跡」、「うずらとマナ」、「水の奇跡」など民の行く手に多くの奇跡が起こりました。無論、聖書の記述通りの史実であったかどうかは別途検証するとして、「超自然的な神の介入」があったことは疑いの余地はありません。


この事実を見ても、この出エジプトという出来事が、イスラエルにとって強く印象に残る、忘れることが出来ない大事件だったかが分かるというものです。そして次には、神の言葉(十戒)を授与されるというイスラエル最大の奇跡に向かって話しは進むことになります。


【しゅうとエテロ】


最後にモーセの妻チッポラの父エテロについて言及しておきたいと思います。


彼はモーセに対して、終始一貫、協力的でした。エジプトから追われてきたモーセを快く受入れ、家族の一員として遇しました。 また、解放者としてパロの元に行く時にも、反対することなく、むしろ喜んで承諾しました。そして民を率いてモーセがシナイの荒野(神の山ホレブ山麓)に戻ってきた時も、モーセの妻と二人の子を伴って訪問し、助言まで与えています。モーセはよきしゅうとに恵まれました。


「また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい」(出18.21)


この時のエテロの助言「あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい」(出18.20)は、いわば司法行政制度の導入であり、次のシナイ山での律法のプロローグになっていると言われています。(河合一充著『出エジプト記の世界』P180)


以上、今回は出エジプトと奇跡物語を見て参りました。出エジプトは、神のイスラエル解放に対する固い意思、モーセの信仰と忍耐と力量の大きさ、そしてイスラエル民族の解放への強い願望、これらが合わさって奇跡を呼び、実現したと言えるでしょう。


次回はいよいよ、出エジプト記のクライマックスとも言うべきホレブ山での神との出会い、律法の授与を考察していきます。(了)

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