top of page

​他のアーカイブ記事は下のカテゴリーメニューを選択し、一覧表示の中からお選び下さい。

​他の記事は下のVマークをタップし、カテゴリーを選択し完了をタップ。記事一覧が表示されます。

ウクライナは対岸の火事にあらず 不死鳥の国ポーランドの支援

◯つれづれ日誌(令和5年5月10日)-ウクライナは対岸の火事にあらずー不死鳥の国ポーランドの支援


彼らがガリラヤで集まっていた時、イエスは言われた、「人の子は人々の手にわたされ、彼らに殺され、そして三日目によみがえるであろう」(マタイ17.22~23)


「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事があります。この言葉は三国志に由来する故事で、五丈原の戦いの最中、既に死んでいた蜀の丞相諸葛孔明の木像の影武者を見て、魏の将軍司馬仲達が肝をつぶし撤退したことから、「亡き人物が生きている人物に大きな影響を与えること」の喩えとして用いられています。即ち、優れた人物は死んでも生前の威風を備えていて、生きている者を恐れさせるというたとえであります。


【日本の新潮流】


さてここにきて、岸田首相のウクライナ訪問と支援の表明(3月21日)に端を発し、憲法改正論議の進展(5月3日)、岸田首相の韓国訪問と日韓シャトル外交の開始(5月7日)、コロナマスク解禁とコロナ「5類」への移行(5月8日)、そして文科省によるUC解散請求の棚上げ(?)など、正に新しい潮流が始まる兆しが見えてきました。


<憲法改正論議>


5月3日の憲法記念日に際して、岸田首相は憲法改正について「挑戦し続けなければならない」と表明し、自民党が掲げる憲法9条への自衛隊明記について「極めて重要だ」と訴え、産経新聞のインタビューでは、「総裁任期中に改憲を実現することへの強い思いはいささかも変わりない」と、一見優柔不断な岸田首相にしてはきっぱりした発言をされていました。


筆者は、この岸田首相の改憲への発言を聞きながら、計らずも「死せる孔明、生ける仲達を走らす」という故事を想起しました。言うまでもなく、改憲は安倍晋三元首相の悲願であり、死せる安倍さんの生霊が岸田首らに働きかけているという実感がしました。既に青山繁晴議員には、安倍さんの霊魂が体内に入り込み、後事を託されたことが告白されています。神は安倍さんを供え物にして、日本を建て直そうとされているのではないかと思うのは、筆者の独りよがりというものでしょうか。


また岸田首相は、自衛隊明記など同党の改憲4項目(自衛隊明記・緊急事態対応・合区解消・教育充実)をあげ、「現代的な早期実現が求められる課題だ」と強調し、衆参両院の憲法審査会に対して「改憲に向けた機運をこれまで以上に高めていくことが重要だ」と語りました。本命視されているのが2024年の通常国会での発議ですが、果たしてどうなるでしょうか。


3日の改憲派の集会では、維新の音喜多駿政調会長は「議論を繰り返すだけでは全く意味がない。国民投票の実現に向けてまい進したい」と強調し、国民の玉木雄一郎代表は「秋の臨時国会で条文案をまとめ、来年は発議につなげていく」と述べました。


但し、公明党の北側一雄副代表は、4月20日の衆院憲法審査会で、自衛隊を明記する9条改正案に「賛成できない」と述べ、 5月3日、ラジオ番組「辛坊治郎ズーム そこまで言うか!」(ニッポン放送)で、キャスターの辛坊治郎氏は、岸田首相の自民党総裁任期中の憲法改正について、「絶対ムリ、実現したらキャスターを止めてもいい」と放言しました。


<日韓首脳交流の流れ>


一方、日韓首脳会議が途絶えて久しく、「近くて遠い国」はますます遠ざかるかに見えましたが、尹錫悦(ユン・ソンニョル)氏が大統領がなってようやく雪解けの兆候が見えてきたかのようです。




韓国の尹錫悦大統領は、3月16日から1泊2日の日程で日本を訪問し、同日、岸田文雄首相との間で日韓首脳会談を行いました。会談では、両国の首脳が形式にとらわれず頻繁に訪問する「12年ぶりのシャトル外交」の再開で一致したほか、日韓安全保障対話の再開、経済安全保障に関する協議など、政治・経済・文化の多岐に渡る分野で、政府間の意思疎通を活性化していくことで合意しました。


尹大統領は首脳会談後の共同記者会見で、「韓国と日本は自由、人権、法の支配の普遍的価値を共有し、経済、安全保障、グローバルアジェンダ で共同の利益を追求する最も近い隣人であり、協力すべきパートナーだ」と述べました。尹大統領が、韓国内にある謝罪を求める根強い反日世論の中にあって、その親日的言動に手厳しい批判に晒されながら、それを克服して、日韓交流の一歩を踏み出したことは高く評価されるものです。


岸田総理大臣もG7広島サミットを前に、5月7日から2日間の日程で、首相としては12年ぶりに韓国を訪れ、尹大統領と会談しました。尹大統領は「歴史問題が完全に整理できなければ未来の協力へ一歩も進めないという認識から脱却しなければならない」と強調し、岸田首相は「当時の厳しい環境の下で多数の方々が大変苦しい、悲しい思いをされたことに心が痛む」と述べ、首脳間の「シャトル外交」にはずみをつけ、関係改善を加速させたい考えを示しました。会談では、北朝鮮の核・ミサイル開発に対応するため、安全保障面での連携強化なども確認する見通しです。


さてUCは、日韓関係の緊密化と朝鮮半島の南北平和統一は「世界平和の縮図」であり、「神の復帰摂理の鍵」であることを主張してきました。そしてUCは、日韓国際結婚こそ究極の日韓一致の決め手であるとして、事実これを推進して来ましたが 、様々な葛藤を乗り越えて、日韓首脳会談をテコに、雪解けの流れを加速したいものです。


幸い、安倍元首相に近い菅義偉前首相が超党派の「日韓議員連盟会長」に就任されましたので、知日派の尹大統領と共に、後戻り出来ない太い日韓関係を築いて欲しいものです。ちなみに筆者は、尹大統領がソウル大学生時代、原理と出会って、かなり理解していたということを耳にしたことがあります。であれば尹大統領は、かの徳永信一弁護士のように、ある意味で神が準備した摂理的人物かも知れないと密かに期待しています。


そして心なしか筆者には、こういった日韓関係の和解へ向かう流れにも、故安倍元首相の影響と働きがあると感じています。 正に「死せる孔明、生ける仲達を走らす」とはこのことです。


この一年、UCは韓国への自虐史観に基づいて、南北朝鮮に金銭を貢いできた反日団体であるとの根も葉もない低次元の批判に晒されましたが、このような日韓雪解けの流れの中で、UCに向けられた批判も「雪解け」に向かうと信じるものです。


奇しくも5月3日からソウルで行われたUCの関連団体「天宙平和連合」(UPF)のイベント「ピースサミット2023」では、トランプ前米大統領やポンペオ前国務長官がメッセージを寄せられ、神の手による自由、人権、個人の尊厳の価値を語り、米日韓など自由陣営の結束の重要性を訴えました。


【ウクライナを支援するポーランドー不死鳥の国ポーランド】


さて今回の主題は「不死鳥の国ポーランド」です。ポーランドは、現下のウクライナ戦争の中で、極めて重要な準当事者国家として注目を集めています。


この3月21日、正に中国の習近平主席とプーチン大統領の会談の最中(3月20~22日)、岸田首相がウクライナを訪問し、ゼレンスキー大統領と会談しました。岸田首相は、ロシアによるウクライナ侵略は国際秩序の根幹を揺るがす暴挙とし、日本の物心両面に渡る支援を約束し、ゼレンスキー大統領は謝意を表しました。


この岸田首相のウクライナ訪問は、結果的に習近平とプーチンの会談を打ち消す効果をもたらし、久方ぶりのクリーンヒットだとの評価を得たものでした。正にウクライナ戦争は、中共の帝国主義政策の渦中に晒されている日本にとっても、対岸の火事ではありません。


<ウクライナを支援するポーランド>


それにしても、今回のウクライナ戦争において、国境を接するポーランドほど、ウクライナを物心両面で支援をしている国はありません。プーチン大統領の大ロシア主義の妄想から引き起こされた、大義も正義もないプーチンロシアの侵略に対して、ポーランドは、100万人以上ものウクライナ難民を受け入れ、率先して戦車や戦闘機を送るなど、一貫してウクライナをバックアップしてきました。また、北大西洋条約機構(NATO)加盟国として、ウクライナへの軍事支援で西側主要国との橋渡し役を果たしてきました。


それは、度重なるロシアの侵略に晒された歴史を持つポーランドであり、誰よりもロシアの脅威を身に染みて知る者の矜持であり、またかってウクライナを支配した贖罪の意味もあるかも知れません。


4月24日、ゼレンスキー大統領はポーランドのアンジェイ・ドゥダ大統領の招待により、大統領夫人や政府高官を伴ってポーランドを公式訪問しました。ドゥダ大統領やモラビエツキ首相と会談したほか、ポーランド・ウクライナ経済フォーラムでは、両国の実業界の代表者らとも面会しました。



ゼレンスキー大統領は、ロシアによる侵攻当初からウクライナに強力な政治的サポートを行ってきたポーランド政府や、自発的に避難者支援に立ち上がったポーランド国民への謝意を表明するとともに、ポーランドはウクライナの戦後復興の主要パートナーになるとの考えを示しました。


またドゥダ大統領はこの日、ウクライナに合計14機のミグ29戦闘機やポーランド製の装甲車「ロソマク」を供給すると表明、ウクライナは勝利すると確信していると語り、「ウクライナがロシアの帝国主義から欧州を救っていることに疑いはない」と述べました。


<不死鳥の国ポーランドの概観>


ところで筆者は、縁あってポーランドには13回訪問したことがあり、国境をロシア、ドイツ、オーストリアといった強大国家に囲まれ、歴史的に過酷な運命に翻弄された姿を見てきました。そこでこの機会にポーランドの歴史について、おさらいしたいと思います。


ポーランドは、何度も分裂、滅亡、消滅しながら、屈せずに甦る、正に「不死鳥」、即ちフェニックスという名詞が最もふさわしい歴史を持っています。


「ポーランド」とはフラット、つまり平野という意味で、国土は平たくあまり山がありません。従って、回りの国から侵略を受けやすく、また東西の十字路として人々が往来しました。


ポーランドの有名人として、先ずはピアノの詩人ショパン、地動説のコベルニコス、女性初のノーベル賞を受賞したキュリー夫人、そして教皇ヨハネ・パウロ二世などが挙げられます。人口は3800万人、国土面積は32万平方キロ(日本の80%)、国のGDPは日本の6分の1、一人当たりGDPは日本の約半分、スラブ・ラテン系民族です。


10世紀に「ピアスト王朝」が成立し建国されました。ミェシュコの治世(960年頃 ~992年)の966年、キリスト教に改宗し、これによってポーランドはキリスト教西方世界の一員となり、以後カトリックの国として歩んできました。また、大変な親日国家でもあります。


1385年、ポーランド女王ヤドヴィガ・アンデガヴェンスカ(在位:1384年~1399年、カトリック教会の聖人)はリトアニア大公国ヨガイラと結婚し、ポーランド・リトアニア同君連合が生まれ、1386年に「ヤギェウォ朝」が成立しました。15世紀~17世紀には、ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国を従える国土100万平方キロメートルにも及ぶヨーロッパ随一の強国として黄金時代を築きました。


なお、16世紀中葉以後、ポーランドは世界で最も多くのユダヤ人が居住する地域となり、ヤギェウォ家の統治期、ポーランド・リトアニアはヨーロッパにおいてユダヤ人に対する差別が最も少ない国家でした。ナチスヒットラーの時代には、200万人以上のユダヤ人が住み、ユダヤ人強制収容所であるアウシュヴィッツ収容所がポーランドに作られたのは、ユダヤ人が多くいたという事情があるかも知れません。


しかし、ヤギュウェ朝が断絶し、1573年選挙王政になり、18世紀には急激に衰退していきました。以後三回の国家消滅の憂き目を見ることになります。正に栄光と挫折の歴史でした。


なお、ヤン3世ソビエスキ(ポーランド王在位:1674年~1696年)は、オスマン帝国との戦いで活躍し、1683年の第二次ウィーン包囲で勝利してヨーロッパを救った英雄として名を馳せました。現在ポーランド通貨500ズウォティの肖像になっています。


<国家消滅と甦り>


近代になってポーランドは三回の国家消滅に遭遇しました。一回目は、ロシア・プロイセン・オーストリア三国による分割、二回目がソ連(スターリン)とドイツ(ヒットラー)による分割、三回目がソ連による支配であります。


18世紀に入ると国王選挙に対する外国の干渉が深刻になり、ポーランドに隣接するロシア帝国、プロイセン王国、オーストリアの三強国は、ポーランドの衰退をみて、1772年、1793年、1795年の三度に渡ってポーランド分割を行いました。1795年の三度目の分割でポーランド王国の領土は完全に3国に併合し尽くされ、ポーランド王国は消滅しました。そうして第一次大戦終了までの123年間、世界地図から姿を消すことになったのです。第一回目の国家消滅です。


最後の分割を前1794年、タデウシュ・コシチュシュコ率いる蜂起軍が決起したのをはじめ、ポーランドではたびたび独立の回復を求める民族蜂起が起こりましたが、いずれも失敗に終わりました。11月蜂起(1830年 ~ 1831年)は、ポーランドおよびリトアニアで発生したロシア帝国の支配に対するピョトル・ヴィソツキに率いらた武装反乱ですが、結局はロシア軍に鎮圧されました。ショパンの「革命のエチュード」は、この時の武装蜂起を舞台にした曲です。


1918年、第一次世界大戦後の民族自決の流れの中で、ポーランドは近隣諸国による120年以上の支配からの独立を回復しましたが、第二次大戦ではドイツとソ連から侵略を受け、再び双方に分割占領されました。第二回目の国家消滅です。


この大戦での犠牲者は、総人口の5分の1を数え、世界最高の比率と言われています。また国家指者が大量に殺害された「カチンの森」の惨劇も経験しました。カチンの森事件とは、第二次世界大戦中にソ連のスモレンスク近郊にあるカチンの森で約2200人~25000人のポーランド軍将校、国境警備隊隊員、一般官吏、聖職者が、ソビエト内務人民委員部によって虐殺された事件であります。


そして大戦後は、ソ連圏に組み込まれ、共産主義体制としてのポーランド人民共和国となり、ソ連の衛星国家としてソ連に支配されました。事実上の第三回目の国家消滅です。


しかし、1680年代にワレサ率いる「連帯」運動など自由化運動が活発し、東欧諸国の民主化運動(東欧革命)をリードして、1989年9月、旧ソ連圏で最初の非社会主義政権が発足しました。ポーランド出身のヨハネ・パウロ教皇はポーランドの自由化を支援したと言われています。その後は「欧州への回帰」を目標に、1999年3月にNATO加盟、2004年5月にはEU加盟、2007年にシェンゲン条約(ピザ無し交流)加盟を果たしました。


このように、ポーランドはかのイスラエルや韓国のように、常に外敵に翻弄された苦難の歴史を刻みましたが、その度に甦り復活を遂げました。ポーランドを称して「不死鳥の国」と言われる所以です。イエス・キリストが「三日目によみがえる」(マタイ17.22~23)と預言されましたが、カトリックの国ポーランドは三度復活したというのです。正に奇跡の国であります。


今まで述べてきましたようにポーランドは、戦前も戦後も、特にロシア・ソ連には何度も支配され圧政を受けてきましたので、今回のウクライナ戦争は正に他人事ではなく、ポーランドが最大限の関心を示し、強く関与しているのは当然の理ということになるでしょう。


亡き安倍晋三元首相は、ポーランドのように甦り、復活すると筆者は信じます。いや、上記に見てきた雪解けの兆候に見られる通り、安倍さんは甦りつつある、正に死せる孔明として、不死鳥のように日本の社会を動かしつつあると感じています。奇しくも5月8日の事実上のコロナ終息宣言は、日本の新しい潮流を決定付ける象徴のような気がするのは、筆者一人でしょうか。(了)

bottom of page