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🔷 スケープゴートとは何かースケープゴートとしてのユダヤ人とUC(旧統一教会)

2 時間前
読了時間: 17分

🔷徒然日誌(令和8年10月21日)   スケープゴートとは何かースケープゴートとしてのユダヤ人とUC(旧統一教会)


アロンはまた二頭のやぎを取り、それを会見の幕屋の入口で主の前に立たせ、その二頭のやぎのために、くじを引かなければならない。すなわち一つのくじは主のため、一つのくじはアザゼルのためである。そしてアロンは主のためのくじに当ったやぎをささげて、これを罪祭としなければならない。しかし、アザゼルのためのくじに当ったやぎは、主の前に生かしておき、これをもって、あがないをなし、これをアザゼルのために、荒野に送らなければならない。(レビ16.7~10)


贖罪の羊


プロローグースケープゴートとは


スケープゴート(scapegoat)とは、本来、「身代わり」「生贄」(いけにえ)などの意味合いを持つ聖書由来の用語で、「贖罪の羊」などと言われ、冒頭聖句の通り、レビ記16章にその記載がある。即ち、「贖罪の日」に、二頭の山羊(ヤギ)を用意し、第一の山羊は罪のために祭壇に屠られる犠牲であり、第二の山羊は民の罪を負って荒

野へ送り出される山羊である。キリスト教的文脈では、イエス・キリストが贖罪の羊として十字架で屠られ、その血により、信仰をもって受くべき「贖いの供え物」とされたということになる。(ロマ書3.25)


一方、現代社会でいうスケープゴートとは、問題の本当の原因を十分に検証せず、「特定の人や集団に責任を転嫁させること」で、社会の不満や怒りを解消しようとする構図を指す。そこでは、事実関係が十分に明らかにされないまま、無実の人が非難されたり、実際の責任を超える非難を受けたりすることがある。そしてそのスケープゴートの対象には、排除したい小規模集団や社会的弱者が選ばれることが多く、大衆操作の一手段として用いられる場合が多い。


即ち、国や社会が危機や不満に直面する時、その原因を複雑な政治・経済・社会の問題に求めるよりも、特定の少数者を「犯人」に仕立てることで、不安や怒りのはけ口にしてしまうことが多々あるのである。特にユダヤ人の歴史には、疫病や戦争、政治的暗殺、社会不安などが起きたとき、十分な証拠もないのに責任を押しつけられ(冤罪)、迫害された事例が数多くある。 


この究極的事例として、ナチス・ドイツのユダヤ人ホロコーストがある。第二次世界大戦中、ナチス・ドイツはユダヤ人を経済不況や社会不安などの責任を負わせる「スケープゴート(身代わりの犠牲者)」に仕立て上げ、その迫害を極限まで推し進めて、ホロコーストという大量虐殺を実行した。このナチスの迫害では、ユダヤ人自身が何らかの罪を犯したからではなく、ナチスが人種差別的なイデオロギーによって、ユダヤ人に社会の問題の責任を押しつけたのである。


筆者は、今回の世界平和統一家庭連合(以下、「UC」と呼ぶ)の解散問題は、このスケープゴートの構図と瓜二つであると思わざるを得ない。そこで本稿では、歴史的に何度もスケープゴートにされてきたユダヤ人の歴史を振り返りながら、UCの解散問題を、信教の自由と社会的少数者の権利、過剰な世論(空気)の怖さという観点から再考したい。


1、スケープゴートにされたユダヤ人の歴史


前記したように、ユダヤ人の歴史には、スケープゴートにされて迫害された事例が数多くあり、以下、そのいくつかを記す。


① 黒死病の流行ー「ユダヤ人が井戸に毒を入れた」という虚偽の告発 (デマ)


黒死病におびえる人々
黒死病におびえる人々

あ14世紀中ごろ、黒死病がヨーロッパを襲い、膨大な人々が亡くなると、「ユダヤ人が井戸に毒を入れてキリスト教徒を殺そうとしている」というデマが広がった。拷問によって引き出された「自白」まで証拠として扱われ、各地でユダヤ人の虐殺や追放が起こったのである。


ちなみにヨーロッパの黒死病とは、1346年〜1353年頃、ヨーロッパをはじめとするユーラシア大陸で猛威を振るった「ペスト」の大流行のことである。この感染病で、ヨーロッパ全人口の3分の1(推計で数千万人)が死亡したとも言われている。この黒死病は深刻な社会不安を招き、当時は原因や治療法が分からなかったため、スケープゴートとして宗教的少数者のユダヤ人迫害(ポグロム)が勃発したのである。


② 血の中傷ーキリスト教徒の子どもを儀式で殺すというデマ


12世紀以降、イングランドや大陸ヨーロッパにおいて、「ユダヤ人が宗教儀式のためにキリスト教徒の子どもを殺し、その血を使う」という、根拠のない告発が繰り返された。12世紀のイングランドで起きた「ノリッジのウィリアム事件」は、こうした「血の中傷」の初期の代表例である。この種の告発は、儀式殺人の証拠がないにもかかわらず、ユダヤ人への暴力や裁判、追放の口実になった。


ちなみに、ノリッジのウィリアム事件(1144年)とは、イングランドのノリッジで起きた少年ウィリアムの不審死をきっかけに、ヨーロッパで、「ユダヤ人がキリスト教徒の子供を儀式殺人した」という虚偽の告発(デマ)が生まれたとされる事件である。この事件は、その後何世紀にもわたってヨーロッパ全土へと拡大していく深刻な反ユダヤ主義迫害の起点となった。


③ ロシア皇帝アレクサンドル2世暗殺ーユダヤ人全体への責任転嫁


アレクサンドル2世の暗殺 サンクトペテルブルク
アレクサンドル2世の暗殺 サンクトペテルブルク

1881年3月13日、ロシア皇帝アレクサンドル2世は、革命組織「人民の意志」のメンバーによって暗殺された。犯行参加者にユダヤ人女性がいたことを利用して、ユダヤ人全体が皇帝暗殺に関与したかのような言説が広がった。その後、反ユダヤ人暴動(ポグロム)が相次ぎ、家屋や店舗が襲撃され、ユダヤ人が殺害された。


しかし、実際の実行犯はロシアの革命組織「ナロードニキ(人民の意志)」によるもので、ユダヤ人による犯行ではなかった。 帝政ロシア政府や当局は、社会の不満や革命運動の矛先がロマノフ朝自体に向くのをそらすため、反ユダヤ感情を利用して、暗殺の黒幕・責任がユダヤ人にあるというデマが流布され、スケープゴートにされたのである。そしてこの言われなき責任転嫁をきっかけとして、ロシア領内やウクライナでユダヤ人に対する暴動や略奪、虐殺(ポグロム)が広範囲で発生した。


これ以降、ロシア帝国におけるユダヤ人への締め付けや法的な差別(居住制限など)がさらに強化され、多くのユダヤ人がアメリカや西欧などへと大量に国外脱出する契機となった。なおロシア帝政末期に流布した「ユダヤ人が世界を裏から支配しようとしているという陰謀論」を記した「シオン賢者の議定書」(シオンの議定書)はまったく架空の文書(偽書)であり、ロシアの秘密警察によるものだと言われている。


④ ドレフュス事件――ユダヤ人将校への冤罪 


1894年、ユダヤ系フランス軍人アルフレッド・ドレフュスは、「ドイツへのスパイ容疑」(国家反逆罪)で有罪判決を受け、終身刑を言い渡された。しかし、事件では証拠の扱いに重大な問題があり、真犯人が別にいることなどが明らかになった。ドレフュスは1899年に恩赦によって釈放された後、1906年に正式に無罪が確定した。


ドレフュス事件の背景に根強い反ユダヤ主義があり、フランス社会を真っ二つに分断する政治的・社会的問題へと発展した。この事件を通じてカトリック教会や軍部、司法への不信が高まった結果、1905年の「政教分離法」(教会と国家の分離に関する法)制定を後押しする大きな要因となり、また「シオニズム運動」への刺激になった。


即ち、取材・傍聴をしていた欧州のユダヤ人ジャーナリストのテオドール・ヘルツルらが、欧州でユダヤ人が法的に守られない現実を目の当たりにし、「ユダヤ人国家建設」を目指す近代「シオニズム運動」を加速させるきっかけとなったのである。


⑤ ナチス・ドイツとホロコースト―スケープゴート化の極致


アウシュヴィッツ収容所から解放直後のユダヤ人
アウシュヴィッツ収容所から解放直後のユダヤ人

前記したように、第一次世界大戦後のドイツでは、敗戦、政治的不安定、経済危機などが深刻な社会問題となった。その中で、ドイツが敗れたのは国内の敵に裏切られただとする「背後からの一突き」説が広がり、ユダヤ人などが責任を負わされた。


ナチスはこのような言説を利用し、ユダヤ人をドイツの第一次世界大戦の敗北や経済的困難、社会の混乱の原因であるかのように描き、そして、ユダヤ人を劣等な人種とみなす「人種主義的な政策」を進め、権利を奪い、迫害し、最終的には大量虐殺を実行した。これは単なる社会的不満の転嫁にとどまらず、国家権力と官僚機構が組織的に進めた「人種迫害」であった。ユダヤ人がドイツの敗戦や社会問題の責任を負うべき根拠はなかった。


それにもかかわらず、ナチスはユダヤ人を敵として描き、社会の不満をそこに集中させたのであり、この歴史は、政治権力が特定の集団を社会の敵として描くとき、差別が制度化され、取り返しのつかない迫害へと発展する危険性を示している。


⑤不死鳥のように甦る


だがユダヤ人は長い苦節と償いを経て、不死鳥のように甦った。国連が1947年にパレスチナ分割決議を採択したことを受け、イギリスの委任統治終了に伴って、1948年5月14日、イスラエル建国がテルアビブで宣言された。紀元70年、 ローマ軍によって第二神殿を破壊され、紀元135年、 バル・コクバの反乱が鎮圧され、ユダヤ人は完全に国を失い、世界に離散(ディアスポラ)を余儀なくされたが、実に二世紀ぶりに建国したのである。


そして今日、キリスト教に変化が生まれ、「親ユダヤ」のキリスト教徒が、特にアメリカや西ヨーロッパでは増えていった。確かにイエス・キリストが神であることをユダヤ人は否定するが、それはユダヤ人が神の計画の中に組み込まれた自らの立場を保持しているからに他ならず、そのことを理解したのが、「第二バチカン公会議」を主宰した教皇ヨハネ23世であるという。(プレガー、テルシュキン共著『ユダヤ人はなぜ迫害されたか』ミルトスp.176)


ちなみに教皇ヨハネ23世、および彼が招集した第二バチカン公会議は、それまでの「カトリックこそが唯一絶対である」(宗教排他主義)という姿勢から大きく転換し、「他宗教や他キリスト教派に対する対話・尊重・和解(エキュメニズムおよび諸宗教対話)」(宗教包括主義)を強く打ち出した。


第二バチカン公会議全景
第二バチカン公会議全景

こうして「第二バチカン公会議」(1962年~1965年)で宗教間の対話が宣言されたが、公布された宣言「ノストラ・エターテ(Nostra Aetate)」(私たちの時代に)の第4項は、イエスの受難とユダヤ人の関係について、次の通りその趣旨を明確に述べている。


「イエスの死の責任を、当時のユダヤ人全体に区別なく負わせてはならない。現代のユダヤ人に、その責任を負わせてはならない。ユダヤ人が神から見捨てられた民、呪われた民であるかのように教えてはならない。あらゆる人々への迫害を退け、反ユダヤ主義を非難する。」


これは単にユダヤ人に対する態度を改善しようというだけでなく、キリスト教が自らの歴史と教えの伝え方を見直す重要な転換となった。また、長い受難という代償を払って、イエス・キリストをメシアとして受け入れることが出来なかったユダヤ人の負の歴史が償われたことを象徴している。


2、スケープゴートにされたUC(旧統一教会)


ノンフィクション作家の福田ますみ氏は、著書『国家の生贄』(飛鳥新社)の「まえがき」で、東京地裁のUC解散決定に対して、「客観的な証拠に基づく事実認定こそ裁判の大原則である。ところが推論に次ぐ推論という信じがたい手法によって被害を甚大に見せかけ、それを根拠に解散命令を下した。政府とメディアに迎合した極めて政治的な決定であり、明確に国策裁判といえる。まさに司法による宗教弾圧である。」(p.2)と明言した。


また文藝評論家の小川榮太郎氏は、機関誌『湊合(そうごう)』令和8年春号で、「旧統一教会への解散命令、最高裁および全ての政治家は真剣に再考せよ!」との特集を組み、巻頭言にて、「今からでも遅くはない、政府ないし最高裁判所は、旧統一教会への解散命令を撤回する道を探すべきだ。私は、ここに全良心を傾けて、読者諸氏に向かつてさう主張する。」と解散撤回を強く求めた。


一方文科省は、全国弁連の被害情報をそっくりなぞった「分厚い証拠」をかき集めたが、政府高官は、「30年後の教科書に『ここから宗教弾圧が始まった』と書かれるかもしれない。汗が出て眠れない夜が続いた」と告白したという。(3月10日世界日報オピニオン)


①国策とメディアの印象操作で生贄に


福田ますみ著『国家の生贄』
福田ますみ著『国家の生贄』

そして福田氏は、岸田文雄元首相の「宗教法人法の解散事由に民事事件も入る」との法解釈の強引な変更、宗教法人審議会の一方的な結論、7回にもわたる質問権行使を経ての文科省による解散命令請求、その後の裁判での審理に至るまで、すべて「結論ありき」だったと述べ、更に、「あのテロがなければ、家庭連合が解散に追い込まれることはなかったのだ。国家がテロリストの願望を叶えたのである」と強調した。(『国家の生贄』まえがき)


即ち、令和4年7月8日、安倍晋三元首相が奈良で暗殺されたが、以来、事件に無関係なUCであるのに、キリスト殺しならず「安倍殺し」というオールドメディアの印象操作でレッテルを貼られ、激しいバッシングを受けて解散にまで追い込まれた。まさに反ユダヤ主義ならず「反UC主義」の横行で、政治的、思想的、社会的混乱をUC一人に追わせ、文字通り典型的なスケープゴートとされたのである。


本来、テロリストを美化し、英雄化させないために、暗殺の動機や背景を強調すべきではないところ、奈良県警は事件後すぐに山上徹也の殺害動機(UCへの怨恨)をろくに検証もせずにリークした。そしてそれをオールドメディアが報道し、左翼と全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)が煽り立てたのである。(参照-拙稿「テロリストの願望を叶えてはならない」→https://note.com/humble_lion7426/n/n394875095a0c )


ちなみに福田氏は、UCが進めるスパイ防止法を潰すことを目的に作られた「全国弁連」こそ世論操作や誘導、ネガティブキャンペーンの黒幕であると明言した。そしてこの騒動の中でUC信者の4300人にも昇る「拉致監禁・強制棄教」という未曾有の人権侵害・宗教迫害が炙り出された。即ちUCは、ユダヤ人のように、国家(岸田政権の保身)と左派世論の生贄としてスケープゴートにされ、ルビコン川を渡ってしまった国の祭壇に屠られたのである。


②確かな復活の道


だがUCとその信徒は不死鳥のように甦るだろう。


「災い転じて福となす」との言葉があるが、最高裁の最終決定で、良くも悪くも宗教法人家庭連合は消滅し、過去は葬られた。それはまた、讒訴の無い無垢の体で後継教団が再出発できる機会を与えられたことでもある。その意味で、解散は一つの通過点に過ぎず、後継教団はまさに十字架から復活した甦りの教団になるだろう。


教父テルトゥリアヌスが「殉教の血は教会の種子である」と告白したように、信仰は迫害の度に強固になる。これが信仰の本質であり、豊かになって滅んだ宗教はあっても迫害を受けて滅んだ宗教はない。 文鮮明先生は、「神のみ業は、常に衝撃的、革命的な逆転の業である」と言われ、原理講論593ページには次のようにある。


「神の作戦は、いつも攻撃を受ける立場で勝利を獲得する。それゆえに、歴史路程において数多くの預言者や善人たちが犠牲にされ、またひとり子であられるイエスまでも十字架につけられたのであるが、結果的には、勝利は常に天の側に帰せられてきた。」(P593)


私たちはこの理不尽極まる最高裁(国家)の仕打ちに、激しい義憤と共に、かってない団結と「福音のリバイバル」をもって応えたい。そしてその際のキーワードは、「神の言葉」、「信徒の交わり」、そして「家の教会」である。


3、論考ー反ユダヤ主義とは何か


本稿の最後に、「何故ユダヤ人はスケープゴートにされたか」という問について、その本質的原因を論考しておきたい。そしてそれを明らかにするためには「反ユダヤ主義とは何か」を知る必要がある。


反ユダヤ主義、即ち「ユダヤ人およびユダヤ教に対する敵意・偏見・憎悪・迫害」について、大きく3つに分類されると思われる。即ち、a.民族的な性格の強かった古代のもの、b.宗教的な理由によるキリスト教的なもの、c.19世紀以降の人種的なもの、の3つである。


①反ユダヤ主義3つの源泉


第一にユダヤ選民主義。キリスト教以前の古代メソポタミア、ギリシャ、ローマなどにおける反ユダヤ主義で、これは民族意識的な性格があった。ユダヤ人の律法による独特の生活習慣(割礼・安息日・食物規定)や、選ばれし者、神に目をかけられた者への嫉妬、即ち過度な「ユダヤ選民主義」と思われる意識への反感である。


旧約聖書のエステル記の「ハマンに見るユダヤ人殺害計画」(エステル記3.8)には、反ユダヤ主義の萌芽が見られる。また前2世紀には、シリアセレウコス朝のアンティオコス4世エピファネスによるゼウス神信仰の強要がある。そこにはユダヤ人は他の民と同和せず、敵対していると見なし、完全に絶やす意図があったと記録されている。


第二はキリスト殺し。キリスト教誕生以後の、古代・中世における、いわゆる「キリスト殺し」という宗教的・神学的な偏見を持ったもので、これは近代まで続いた。十字軍による迫害はその典型である。


キリスト紀元の最初の1000年間で、ヨーロッパのキリスト教徒(カトリック)は、すべてのユダヤ人はイエス・キリストの処刑の責任を負い(マタイ27.25)、ローマ人による神殿の破壊とユダヤ人のディアスポラは、このキリスト殺しと、キリスト教に敵対したことへの罰であるという教義を発展させ、固定化させた。


教義面でいうと、ユ ダヤ人は「キリストが神である」というキリスト教の教理を否定し、イエス・キリストの神性を受け入れない姿勢が傲慢と見なされた。またユダヤ人は、三位一体の教義を多神教と見なして非難したが、これはキリスト教社会にとって看過できない異端的宗教と見なされたのである。


第三に人種差別。啓蒙時代以降、政治的、経済的な「ユダヤ人の優位性」への反発もあり、これは後の反セム的な人種的なものの基盤をなした。即ち、アーリア人至上主義というナチスの人種差別によるホロコーストに見られる、19世紀以降の人種的な「反セム主義」である。


ユダヤ教からキリスト教に改宗しても、ユダヤ人の血統を持つこと自体が危険だとみなす人種主義が広がり、ナチスはこの考えを極端に推し進め、約600万人のユダヤ人を組織的に虐殺した。したがって、ホロコーストを単に「キリスト殺し」という宗教的非難の結果と説明することはできない。そこには近代の人種主義、極端な民族主義、陰謀論、国家権力による迫害があった。


19世紀以降の人種説に基づく立場を反セム主義またはアンティセミティズムと呼び、近代人種差別主義以前のユダヤ人憎悪とは区別して「人種論的反セム主義」ともいう。なお、「セム系」という言葉は、アラビア語やヘブライ語などのセム語族に属する言語・民族に関連する用語である。また「反セム主義」という名称が用いられているが、現代の用法では主にユダヤ人への敵意や差別を指す。(参照-拙稿 「反ユダヤ主義とは何か」→ https://note.com/humble_lion7426/n/n55743e05e74f )


②ジヨーゼフ、テルシュキンの反ユダヤ主義論


デニス・プレガー、ジヨーゼフ・テルシュキン共著『ユダヤ人はなせ迫害されたか』(ミルトス)によれば、反ユダヤ主義の真因は、「ユダヤ教自体に対する反発」であるという。この著書は、「ユダヤ人はなぜ、これほどまで根深く、迫害されてきたのか」との問に対して、多くは、「人種主義や宗教的な偏見」「ユダヤ人の宗教的非妥協性」「外国人への嫌悪」「ユダヤ人の経済的成功」、などの答え方をするとした上で、実は反ユダヤ主義の根本原因は、ユダヤ人をユダヤ的にしてきたもの、即ち「ユダヤ教自体に原因」があると主張し、大別して4つの理由があるとした(『ユダヤ人はなせ迫害されたか』P18)。


例えば、ユダヤ教の一神教の神観や、ユダヤ人の生活全般を律する律法とそれに基づく民族的アイデンティティーを主張することで回りの反感を買い、特に、安息日、割礼、食物規定は、他民族には奇異に写ったという。またユダヤ人は「この世を完成させる使命」を神に選ばれて託されたという選民主義は、他民族には傲慢と写り、また嫉妬の対象になった。


ただし、これらはプレガー、テルシュキン両氏の著書に見られる解釈であり、反ユダヤ主義の原因についての歴史学上の合意を示すものではない。また、迫害の責任は迫害する側にあり、被害を受けた民族の宗教的特徴によって正当化されるものではない。しかし、「良薬は口に苦し」というように、善悪を分別する非妥協的な神の言葉(律法)は、しばしば人々には苦々しく写るものである。


それにしてもユダヤ人は人類に多大な貢献をした民でもある。ユダヤ人は、一神教を世界に伝え、イエスというキリストを生み出した民族である。またキリスト教を創立したペテロなど12弟子も、福音を世界に広めたパウロも皆ユダヤ人であった。


結びースケープゴートを生まない社会へ


以上、本稿では「スケープゴートとは何か」というテーマのもと、ユダヤ人迫害の歴史を振り返り、UCの解散問題との同質性を論考した。


もちろん、歴史的な背景も法的な状況も異なるため、ユダヤ人迫害とUCの解散問題を同一視することはできない。しかし、社会の不安や怒りが特定の集団に集中し、個々の事実や責任を超えて集団全体が非難される危険性については、両者を比較することでより明確になる。


「涸れた谷に鹿が水を求めるように、神よ、わたしの魂はあなたを求めます。」(詩篇42篇2節)    (了)


吉田宏記

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   吉田 宏

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