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新生聖書勉強会

落穂拾い.ルツ記(ウジェーヌ・ビュルナン)

受胎告知(レオナルド・ダ・ビンチ)

アブラハムと三人の天使(レンブラント・ファン・レイン)

落穂拾い.ルツ記(ウジェーヌ・ビュルナン)
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キリスト教の相続とその意義 インマヌエル教会を訪問して
◯徒然日誌(令和6年3月27日) キリスト教の相続とその意義ーインマヌエル教会を訪問して 見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる(マタイ1.23) 3月22日、世界平和統一家庭連合(旧統一教会)と信者の男性(高島幸司氏)が、公共施設...


同性婚容認の札幌高裁判決に思う 何故悪人が栄え、善人が試練に遭うのか
◯徒然日誌(令和6年3月20日) 同性婚容認の札幌高裁判決に思う - 何故悪人が栄え、善人が試練に遭うのか この地上には空しいことが起こる。善人でありながら、悪人の業の報いを受ける者があり、悪人でありながら、善人の業の報いを受ける者がある(伝道者の書8.14) ...


長崎潜伏キリシタンと曹洞宗天福寺との共生
◯徒然日誌(令和6年3月13日) 長崎潜伏キリシタンと曹洞宗天福寺との共生 すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである(エペソ4.6) 文化時報2024年3月5日号の掲載記事によると、曹洞宗は第143回通常宗...


エレミヤの預言とUCの解放、訴訟の意味について
◯徒然日誌(令和6年3月6日) エレミヤの預言とUCの解放 訴訟の意味について 主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る。主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画は...


ホームページ記事「400本記念号」 ちりも積もれば
◯つれづれ日誌(令和6年2月28日) ホームページ記事「400本記念号」ーちりも積もれば ちりは、もとのように土に帰り、霊はこれを授けた神に帰る(伝道者の書12.7) この2月22日、旧統一教会の解散命令請求をめぐり、東京地裁で国と教団側から意見を聴く非公開の...


平家物語と日本の政局 諸行無常の世界
◯つれづれ日誌(令和6年2月21日) 平家物語と日本の政局ー諸行無常の世界 ダビデの子、エルサレムの王である伝道者の言葉。「伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。日の下で人が労するすべての労苦は、その身になんの益があるか。世は去り、世はきたる。しかし地は永遠...


百田尚樹著『日本保守党』を読み解く 政党の意義、保守とは何かを問う
◯つれづれ日誌(令和6年2月14日) 百田尚樹著『日本保守党』を読み解くー政党の意義、保守とは何かを問う だれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、その皮袋は張り裂け、酒は流れ出るし、皮袋もむだになる。だから、新しいぶどう酒は新しい皮袋に入...


言論戦を勝ち抜くために 世界日報再検証
◯つれづれ日誌(令和6年2月7日)-言論戦を勝ち抜くためにー世界日報再検証 恐れるな。語りつづけよ、黙っているな。あなたには、わたしがついている (使徒行伝18.9) 前回のつれづれ日誌でも述べましたが、1月28日、文京シビック・センターで行われたジャーナリストの...


解散請求問題の再検証 文化庁のパブリックコメントに際して
◯つれづれ日誌(令和6年1月31日)-解散請求問題の再検証ー文化庁のパブリックコメントに際して わたしを守る盾は神である。神は心の直き者を救われる。神は義なるさばきびと、日ごとに憤りを起される神である (詩篇7.10~11) ...


「空気の研究」再考 日本は多神教か一神教か
◯つれづれ日誌(令和6年1月24日)-「空気の研究」再考ー日本は多神教か一神教か 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる(ロマ書8.28) 岸田首相は1月19日午前、唐突に自派閥の「宏池会」を解散することを...


何故キリスト教は日本に根付かないのか再考 山本七平「空気」という日本教の猛威
◯つれづれ日誌(令和6年1月17日)-何故キリスト教は日本に根付かないのか再考ー山本七平「空気」という日本教の猛威 人々はこれを聞いて、心の底から激しく怒り、ステパノにむかって、歯ぎしりをした。人々は大声で叫びながら、耳をおおい、ステパノを目がけて、いっせいに殺到し、...


新しい革命的な教会への挑戦 二人の牧師からリバイバルのヒントを得る
◯つれづれ日誌(令和6年1月10日) 新しい革命的な教会への挑戦 二人の牧師からリバイバルのヒント得る ふたりまたは三人が、わたしの名によって集まっている所には、わたしもその中にいるのである (マタイ18.20) 奇跡の漁り(ラファエロ画) プロローグ...


哲学の父ソクラテスの哲学、及び金明熙(キムミョンヒ)女史との聖人祝福結婚について
◯つれづれ日誌(令和6年1月3日)-哲学の父ソクラテスの哲学、及び金明熙(キムミョンヒ)女史との聖人祝福結婚について ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える (1コリント1.22~23) ...


出版の勧め 思いを文字化することの効用について
◯つれづれ日誌(令和5年12月28日)-出版の勧めー思いを文字化することの効用について すなわち、ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には、同じ御霊によって知識の言、またほかの人には信仰、またほかの人にはいやしの賜物、またほかの人には力あるわざ、またほ...


本年を振り返って 日本と世界に起こっている終末現象に思う
◯つれづれ日誌(令和5年12月20日)-本年を振り返ってー日本と世界に起こっている終末現象に思う わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、わたしは決してあなたを捨てない (創世記28.15) ...


佐藤優著『池田大作研究』(朝日新聞出版)を聖書観で読み解く③ 創価学会の世界宗教の道 その光と課題
◯つれづれ日誌(令和5年12月13日)-佐藤優著『池田大作研究』(朝日新聞出版)を聖書観で読み解く③ー創価学会の世界宗教の道ーその光と課題 人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。聖書は、「すべて彼を信じる者は、失望に終ることがない」と言っている。なぜ...


佐藤優著『池田大作研究』(朝日新聞出版)を聖書観で読み解く② 創価学会の正史と日蓮仏法の教義
◯つれづれ日誌(令和5年12月6日)-佐藤優著『池田大作研究』(朝日新聞出版)を聖書観で読み解く②ー創価学会の正史と日蓮仏法の教義 詮ずるところは、天もすて給え、諸難にもあえ、身命を期とせん。善に付け悪につけ、法華経をすつるは地獄の業なるべし。大願を立てん。なんどの種種の大...

佐藤優著『池田大作研究』(朝日新聞出版)を聖書観で読み解く① 池田氏の生い立ちと絶対平和主義の検証
◯つれづれ日誌(令和5年11月29日) 佐藤優著『池田大作研究』(朝日新聞出版)を聖書観で読み解く① 池田氏の生い立ちと絶対平和主義の検証 だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである。(2コリント5...


大阪、高野山聖書セミナーを終えて 聖書的霊性を学ぶ
◯つれづれ日誌(令和5年11月22日) 大阪、高野山セミナーを終えてー聖書的霊性を学ぶ 数多の哲学者や宗教家はあれど、誰一人として秘められた神の心情と聖書の真義(奥義)について知る者はなく、霊的には暗闇に覆われているかのようでした。盲目にして無知なる人間の行為の記録ともいう...


厚木大山登山顛末記ー偉大な宗教家たちの霊的召命体験
◯つれづれ日誌(令和5年11月15日)-厚木大山登山顛末記ー偉大な宗教家たちの霊的召命体験 1935年4月1日、 復活節の日、定州猫頭山にて、夜を徹しての涙ながらの祈祷の果て、イエス・キリストが現れて、多くの啓示と教示を下さいました。嵐のように忽然と現れたイエス様は「苦痛を...


解散請求を受けて⑤ 反UC思想と反ユダヤ主義の類似性 - イスラエル・ハマス戦争に思う
◯つれづれ日誌(令和5年11月8日)-解散請求を受けて⑤ 反UC思想と反ユダヤ主義の類似性 - イスラエル・ハマス戦争に思う わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし...

解散請求を受けて④ 櫻井義秀著『統一教会』の欺瞞を切る 信教の自由運動から福音伝道のリバイバルへ
◯つれづれ日誌(令和5年11月1日)-解散請求を受けて④ 櫻井義秀著『統一教会』の欺瞞を切るー信教の自由運動から福音伝道のリバイバルへ いにしえよりこのかたの事をおぼえよ。わたしは神である、わたしのほかに神はない。わたしは神である、わたしと等しい者はない。わたしは終りの...

解散請求を受けて③ 法廷外闘争の火ぶた切られる 信教の自由を守る福岡県民集会
◯つれづれ日誌(令和5年10月25日)-解散請求を受けて③ 法廷外闘争の火ぶた切られるー信教の自由を守る福岡県民集会 地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである 。(マタイ10.34)...
