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み言集『イエス様の生涯と愛』(光言社)を読み解く 隠されたイエスの実像

◯徒然日誌(令和6年5月8日)   み言集『イエス様の生涯と愛』(光言社)を読み解くー隠されたイエスの実像 

 

イエス様は母マリアからも、ザカリヤやエリザベツからも反対され、洗礼ヨハネからも反対されて、肉親の保護を受けながら使命を遂げることを断念せざるを得ませんでした。そして新しく霊的基盤を求め、再び復帰摂理をしようと出発したのがイエス様(30才)の出家でした(『イエス様の生涯と愛』光言社P107)

 

この5月1日、奇しくも統一教会創立日(1954年5月1日)に、文鮮明先生の生涯路程に関する本『再臨主の証明』(賢仁社)の著者(武田吉郎氏)と渋谷で会い、色々情報を交換することが出来た。この本は文鮮明先生(以下、「創始者」と呼ぶ)の初期の路程を知る上で大変参考になった本である。そしてその日、筆者が真っ先に確認したのは、この本に記載がある創始者の原理解明の記事についてだった。 

 

即ち、創始者は、1952年5月10日、釜山で『原理原本』の執筆を完了し脱稿されたが、15才で神の召命をうけてから、本格的に真理を探求し、「その大半は1945年8月15日の終戦(光復節)までに解明していた」という点、及び、北朝鮮での約4年半の苦役路程(1946年6月6日~1950年10月14日)の 中で、既に「原理原本の土台になるようなものをノートにまとめておられた」という点の2点である。これらの事実は、著者が金元弼(キム・ウォンピル)氏らを直接取材して確認したということであった。更に、北朝鮮路程において、既に、メシア・再臨主として神から認定されていたという。(武田吉郎著『再臨主の証明』P328)

 

筆者は令和6年4月17日の徒然日誌で、「イエス様の30才までの私生涯について、福音書にはほとんど情報がない」と述べた上で、「敢えて言えば、創始者のみ言集『イエス様の生涯と愛』(光言社)が一番詳しい」との私見を述べた。この点、武田氏も筆者と同じ見解であり、しかも『イエス様の生涯と愛』は、正に同氏が光言社にいる時、翻訳出版したという。 

 

そこで、今回、『イエス様の生涯と愛』に注目し、イエス様の実像、創始者のイエス観、キリスト教とUCのイエス観の対比について考察したい。創始者は、「世界は、ユダヤ教、キリスト教、イスラーム教に分かれて鋭く対立していますが、実際の根は一つです。問題は、イエス様をめぐる解釈です。(文鮮明著『平和を愛する世界人として』創芸社P246)と指摘されている通り、現下のキリスト教「冬の時代」にあって、正しい「イエス様をめぐる解釈」、即ち真正なイエス観、革命的な十字架観が今ほど必要な時はない。 

 

【聖書・キリスト教の霊統の上に立つ創立者】 

 

さて統一教会創立の最も重要な人物、即ち文鮮明先生、韓鶴子女史、劉孝元氏の3人は、いずれも聖書とキリスト教の真正な相続者だった。 

 

創始者について、多くの神学者は「八つの分野でチャンピオンである」と指摘している。即ち、神、サタン、人間、霊界、イエス様、聖書(各種教典)、人類歴史、真の家庭の価値、の8つの分野に精通した第一人者であるというのである(『イエス様の生涯と愛』P3)。その中でも、特に聖書とイエス様の理解において秀でている第一人者であり、創始者が如何に聖書に精通されていたか、それは『イエス様の生涯と愛』を読めば一目瞭然である。 

 

創始者は、10歳の時家族全員がキリスト教に改宗し、以後改宗と共に深い感銘を受け、この新しい信仰に愛着をもって、誰よりもイエスを愛したと言われている。そして満15才の時(1935年4月17日)、イエス様から直接使命を託され、以後聖書の解明に没頭された。その後9年間、断続的に新約聖書に基礎を置く啓示があり、その中で原理を明らかにされていった。1946年5月27日、神の啓示で38度線を越えられた時も、ぼろぼろになった聖書1冊だけを手に持って北に向かわれたといわれ、成約原理を確立されるまでに、聖書全体を反復して読破されたという。新たに発見された原理と聖書を照らし合わせて神と一問一答し、霊界のイエスや聖人達と何度も交流して意見を交換された。そうして聖書の奥義を完全に解明されたのである。(御父母様の生涯路程1、2)

 

韓鶴子女史も同様で、祖母の趙元摸(チョウオンモ)女史、母親の洪順愛(ホンスネ)女史は、敬虔なキリスト者であり、再臨を準備するための神霊集団である新イエス教会、聖主教団、腹中教団に熱心に通われた。韓女史は4歳の時から母親に連れられて教会に行き、幼い時から聖書とキリスト教に馴染んで来られたという。聖主教団では純潔という教え、腹中教団ではメシアに侍る模範を学び、韓鶴子女史はこのようなキリスト教的な霊的環境の中で、自然と新婦教育を受けて来られたのである。そして洪順愛女史と韓鶴子女史を創始者につないだのは、聖主教の金聖道開祖の長男鄭ソクチョン氏である。 

 

また原理講論をまとめられた劉孝元氏も三代続くクリスチャンの家系で、聖書をはじめ様々な宗教の教典を隅々まで探求された。病気でソウル大学医学部を中退されてから、何度か自殺未遂をされて人生を求道され、貪るように聖書を精読探求されたという。しかし一方では聖書への疑問や限界も感じておられた。そういう時、創始者の書かれた「原理原本」を読まれて感激し、今までの聖書に関する疑問が全て解決して泣き明かした末、未だ創始者と出会われる前に献身を決意されたと言われている。(令和6年4月10日徒然日誌  劉孝元元協会長と原理講論)

 

このように、UCの設立者は皆、聖書・キリスト教の伝統を受け継いでこられたのである。 

 

創始者は、「聖書は1600年に渡り40人余の記者によって書かれた書だが、一貫した背骨、メシア思想がある」と指摘され、これは「これら聖書記者の背後に、真の著者である思想的核心の存在(神)があるからです」と言われた。また「聖書には神の救援摂理の奥義がある」と語られ、一方では「聖書は人類の失敗の記録である」とも指摘されている。次は聖書に関する創始者のみ言である。 

 

 「聖書は神の創造理想、堕落、復帰の道が隠された秘密の啓示の書であり、重大な内容が比喩と象徴で描写されています。比喩と象徴は、来るべきメシアによってのみはっきりと明らかにされるのです」(『平和経』神様のみ旨から見た環太平洋時代の史観1) 

 

そして次のようにも言われた。 

 

「原点に立ち返るためには、聖書のみ言だけを通して立ち返ってはいけません。聖書のみ言の内幕に隠されている骨髄の心情を通して立ち返らなければなりません。イエス様の心情を通して立ち返えろうというのです」(『イエス様の生涯と愛』P237、以下ページのみ記載) 

 

【イエス様の生涯と愛】 

 

ところでイエス様の30才までの私生涯は、イエス誕生の様子(マタイ1.18~24)、8日目に割礼を受けられたこと(ルカ2.22~24)、両親と共にエジプトに下られたこと(マタイ2.13~15)、12才の時、エルサレムの宮に詣でて教師と議論され、聞く人々はみな、イエスの賢さやその答に驚嘆していたこと(ルカ2.46~47)、そしてますます知恵が加わり、背たけも伸び、神と人から愛されたこと(ルカ2.52)、福音書にはたったこれくらいのことしか記録にない。イエス様が30才まで、どのような生活をされ、何を学び、何をされたのが、さっぱり情報がなく、私たちは推測するしかないのである。 


神殿の中の12歳のイエス        羊飼いの崇拝 (共に、カール・ブロッホ画)

 

「聖書を見れば、イエス様の生涯の記録は3年の公生涯から始まります。それよりも30才になるまでの間、何をしたのか、家では和やかに育ったのか、両親は愛してくれたのか、兄弟の仲が良かったか、親戚までイエス様を尊敬したかなどの内容は一つも分からないのです」(P91)とある通りである。 

 

しかし、創始者のみ言集『イエス様の生涯と愛』には、かなり踏み込んだイエス像が書かれている。即ち、イエス様の歴史的背景、幼青年期の立場と生活、十字架と復活の真の意味などについて驚くべき内容が記されている。そこに描かれたイエスの姿を一言で言えば「悲しみで始まり悲しみで終わったイエス様」(P183)である。 

 

以下、『イエス様の生涯と愛』のみ言の中から、一般の神学書の通説にはないイエス像やキリスト教の教理、並びに神学論点を抜粋して、真のイエス像を明らかにすることにする。 

 

<イエス様の背景と私生涯について>  

 

メシア、即ち救世主とは「真の人間の原型」(創造目的を完成したアダム)であり、人類で初めて、神の愛を中心として生まれた愛の先祖である。(P22)

 

イエスは、ヤコブがエソウを屈服させ得る基準を立て、タマルによるペレツが胎中から長子権を復帰するという血統転換の摂理を経て、清められたマリアの腹中を通して「原罪がない神の独り子」として誕生された。即ち、第二アダムたるイエスは、生まれる時にサタンが讒訴し得る立場を抜け出した立場で生まれたので、原罪がない方なのである(P50~52)。従って、イエスの血統的勝利の基盤の上に立たれる第三アダムたる再臨主(文鮮明先生)は、やはり原罪なきメシアとして誕生されるのである。 

 

「イエス様は、蕩減復帰の原則によって、タマルの腹中で天側のペレツが勝利した血統的な基盤の上で、マリアの腹中を通して生まれました。従ってイエス様は、腹中に宿った時からサタンの讒訴条件がなかったのです。イエス様と一般宗教の指導者たちとの違う点がそこにあります。生まれた根本が違うのです」(P50)

 

創始者は、四福音書に語られているイエス様ではあまりにも不十分で足りないと言われ、イエスの出生について次の通り語られた。 

 

「イエス様の父は誰でしょうか。ザカリヤです。イエス様の母は誰ですか。マリアです。エリザベツが聖霊や天の指示によって、自分の夫とマリアとの関係を持たせるようにしたのです」(P71)

 

そして来るべき新婦について、次のように語られている。 

 

「それでは、アダムの代わりとして来られたイエス様が、この地上において探し出さなければならないものは何でしょうか。正に堕落していないエバを探すことです。清い血統に生まれたエバのような新婦を探さなければならないのです」(P73)

 

このように、聖書ではイエスは聖霊によって身籠ったとされているが(マタイ1.18)、創始者は祭司ザカリヤとマリアによって生まれたと言われた。これはキリスト教にとって驚天動地の信じがたい事実で、これだけでもUCが異端とされる理由になる。そしてイエスの私生涯の困難で悲しい生い立ちは、この私生児という事実から始まるのである。 

 

「イエス様は継子であり、その兄弟たちは実の息子なのです。非嫡出子として生まれたイエス様を、このような内容も知らずに神様だというのですか。神様は二人でしょうか。このような矛盾だらけの内容(イエスが神であるということ)を信じると言っているのですから、現在の知性人たちから(キリスト教は)追われるしかないのです」(P96)

 

ヨセフは天使のお告げにより、マリアを妻として迎えるが(マタイ1.20)、「一体、これは誰の子か」との思いの中で、いつも家庭内のトラブルが絶えず、イエスは父母の顔色を見ながら、義父のもとで悲しく育ったというのである。そしてこのような内情は聖書には記録されていない。(P78)

 

一方、マリアの立場も微妙だった。天使ガブリエルが現れて、神の子を身籠ると告げられた驚きの中で、孤独な心情を独り抱えて、死の境地で身悶えせざるを得ない立場だった(P81)。しかし日がたつにつれてマリヤは、思いもよらずイエスが生まれたものと人間的に考えるようになり、聖霊に満たされていた時の心情は薄れていった。 

 

こうしてイエスは、義父から疑われる立場で見えない虐待の中で育ったのである。そしてイエスは、高等教育も体系的な神学も学ぶ機会がなく、義父ヨセフが死去して後、大工仕事をしながら一家の柱となることを余儀なくされた。ただ、 イエスは幼少期から賢かっと言われているので(ルカ2.47)、霊的にも知的にも天性の優れた資質を持っておられたことは言うまでもない。

 

「イエス様は人知れぬ孤独な成長過程を経てきたのです。継子の身に生まれたイエス様がヨセフの家庭で30年間大工の仕事をしながら、楽な生活をしてきたかというのです」(P82)

 

ところで創始者はイエスの結婚について次のように語られている。 

 

「イエス様が結婚するとしたら、腹違いの妹(洗礼ヨハネの妹)としなければならないのです。16歳のときに堕落したので、イエス様は『結婚します』と、17歳のとき、27歳のとき、30歳のときに母親に話しました」(P114)

 

しかしイエスは、母マリヤからも、ザカリヤやエリザベツからも反対されたのである。マリアは神の啓示を受けていた時はイエスが特別な神の子であることを自覚していたが、日がたてば立つほど色あせて、普通の子のように接するようになる。このように天国に入籍できないマリヤを、カトリックでは聖母と呼んで神格化しているのである。 

 

<イエス様の公生涯ー十字架の道>

 

家族、親族から追われたイエスは、労働者の姿で現れ、無学な漁師のペテロ、ヤコブ、ヨハネなどを弟子とし、罪人や貧しい人々に福音を説き、何度も奇跡を行われた。 

 

創始者は、イエス様の病気の癒し、悪霊の追い出し、死人の蘇生、超自然的な奇跡は、安易に行ったのではないと言われ、「同情せざるを得ない悲しい事情に処し、『父よ』と叫ぶ時に奇跡が起こったのであります」と語られている。

 

キリスト教では、イエスの十字架は、身代わりになって人類の罪を贖うための「神の予定」であると解釈しているが、イエスが地上に来られたのは、神のみ旨、即ち神の創造目的を実現するためである。従って、十字架はすべてを失った立場であり、人類の汚点、歴史的汚点であると創始者は言われている。(P218)

 

そしてイエスが十字架に掛けられるようになった原因は、①ヨセフ家庭の協力がなかったこと、➁ザカリヤ家庭と洗礼ヨハネの躓き、③ユダヤ教会の離反の3点が先ず挙げられる。これが歴史的な秘密であり、もし12弟子が団結して、イエスの死に対して共に死のうと思っていたら、奇跡が起きていたと創始者は言われた。 

 

「イエス様は母マリアからも、ザカリヤやエリザベツからも反対され、洗礼ヨハネからも反対されて、肉親の保護を受けながら使命を遂げることを断念せざるを得ませんでした。そして新しく霊的基盤を求め、再び復帰摂理をしようと出発したのがイエス様の出家でした」(P107)

 

<十字架の意味> 

 

イエスがユダヤ人から捨てられ、何故十字架で死ぬようになったかという聖書的理由は、メシアが来る前にエリアが来ると ユダヤ人が信じていたこと(マラキ4.5)、主は雲に乗って来られると信じていたこと(ダニエル7.13、マタイ26.64)、が挙げられる。しかし堕落した人間は、責任を果たすことも果たさないこともあるから、聖書は両面から預言されているというのである。 

 

「旧約聖書のイザヤ書9章、11章、60章、この3つ章には、メシアは栄光の主として堂々と来ることを預言していますが、一方、53章においては苦難に遭うことが預言されています。またヨハネの黙示録1章7節を見ると、再臨するメシヤは雲に乗って来るとありますが(ダニエル713、マタイ26.64)、しかし、テサロニケ人への第1の手紙5章2節を見ると、メシヤは『盗人が夜くるように来る』と預言しました」(2ペテロ3.10、黙示録3.3) 

 

そしてヘロデ王を中心としたイスラエルの最高幹部たちとカヤパをはじめとする祭司長たちが、「あのイエスは、我々の生活基盤をすべて奪っていく危険分子だ」と組んでイエス様を殺したというのである(P162)。こうして4000年間築き上げた祭壇が崩れてしまった。 

 

それならば、いつ十字架で亡くなることを決定したのかと言えば、「変貌山上で決定した」という(ルカ9.28~31)。神は、霊と肉を中心に地上天国と天上天国を完成しようとするみ旨を捨てて、肉的世界は切っても霊的救いの世界だけでも立てようと十字架の道を与えたのである。もしイエスが十字架で亡くならなければ、霊肉両面共に失ってしまうので、やむを得ず一つの分野を十字架に渡さざるを得なかったというのである。 

 

「十字架上で亡くなりながら、『すべてが終わった』(ヨハネ19.30)と言ったのは、どういうことなのでしょうか。霊的救いの摂理の出発の基盤を築くために、自分のすべてを捧げたので『その基盤をすべて成し遂げた』と言ったのです」(P258)

 

イエスは万民の死に代わって死の友となられ、十字架上で万民に代わって自分を捧げる愛を示された。それゆえキリスト教は死と犠牲と愛の宗教であり、キリスト教の真理は死に勝つものなのである。(P227)

 

創始者は、今日までの二千年の歴史はすべて、イエスを殺したことに対する蕩減歴史と言われる。ユダヤ教徒は、2000年前に来られて逝ったイエス様を受け入れなかった歴史的な罪を悔い改め、今からでもイエス様を受け入れなければならないと言われた(P203)。これを例えるなら、今日、キリスト教徒が待ち望んでいる再臨主が来ても、キリスト教の最高指導者であるローマ法王や、枢機卿、司教、牧師のような人たちが総動員して、メシアを捕えて、殺したことと同じだという。(P198)

 

<復活とキリスト教の原点>

 

ではキリスト教は、いつ出発したのだろうか。イエスが十字架で死んで3日後に復活し、40日間弟子たちに会われた。そして昇天され、昇天後10日目に聖霊が降臨したが、この日こそ、キリスト教が出発した日であると創始者は言われた(使徒行伝2.1~4)。いわゆるペンテコステの日である。 

 

「120人の門徒が一つとなって祈ったとき、4千年間、天地の間で遮っていた死亡の圏を打ち破って、聖霊が地上に臨むようになったのです。これは120人の門徒が終始一貫した心、誠意、供え物の精神によって、父のみ旨、神様を見つめた切実なその心によって起きたのです。このように地に対して摂理できなかった聖霊の役事が、初めて新しい歴史的な出発をし得たことを知らなければなりません」(P277)

 

そしてキリスト教はイエス様が復活した土台の上からキリスト教が始まったので、キリスト教は霊的であると言われた。それゆえキリスト教は、十字架の道理ではなく復活の道理によって出発したというのである。 

 

「本来、キリスト教の教理は、十字架ではなく復活の教理です。イエス様が復活することによって救いが成立したのであって、死ぬことによって成立したのではありません」(P256)

 

「キリスト教というのは、霊的基盤を中心としたものです。イエス様の体が侵犯を受けたので、霊的復活の基準を中心としてキリスト教は出発し、ローマ帝国に行って400年間戦ったのです。そうして霊的にキリスト教文明をつくり上げたのです。4000年歴史を400年で蕩減しました」(P302)

 

しかしイエスは本来、十字架上でサタンに勝つのではなく、十字架に架からずサタンを屈服させ、肉身をもって、実体として復活しなければならなかったのである。(P255)

 

<その他の重要教理>

 

イエスは復活してのち、聖霊を送ることを約束して昇天されたが(ヨハネ14.16)、聖霊について次のように語られている。 

 

「神様の息子を信じさせるのが聖霊なので(1コリント12.3)、聖霊も信じなければなりません。聖霊とは何の神でしょうか。母の神です。イエス様は真の父であり、聖霊は母なので、この霊的な父と母の愛を受けてこそ、霊的に重生されるのです」(P278)

 

「私たちが罪を委ねれば、まずは聖霊が私たちの罪を引き受けられ、そののちにイエス・キリストが引き受けられ、そのあと神様から清算を受けるのです。聖霊の感動の役事が現れるのです。地のために代わりに仕事をしている聖霊を恋い慕わなければなりません」(P281~283)

 

また、キリスト教が何故殉教の歴史になったのかについて、次のように語られた。 

 

「イエス様が十字架で亡くなるようになれば、数多くの弟子たちも十字架で血を流すようになっています。今日までのユダヤ教、キリスト教の2000年の歴史はすべて、イエス様を殺したことに対する蕩減歴史であります。家庭基盤を築けなかったので、新約時代は子女が供え物になりました。そのような嘆きの歴史が、キリスト教の受難、迫害、殉教の歴史です」 

 

更に、十字架上での左右の強盗について、次のように語られた。 

 

「イエス様を中心として見ると、右の強盗と左の強盗、バラバがそれぞれ種を蒔きました。最初に現れたのが、右の強盗型と左の強盗型の象徴である右翼世界と左翼世界、すなわち民主圏と共産圏です。その次に現れたのが、イエス様の十字架を中心として登場したバラバ型であるイスラム教圏です。イエス様によって恩恵を受けられるようになったバラバ型のイスラムは、キリスト教の旧約を中心として出発しました」(P244)

 

「人間歴史においてイエス様の味方になった最後の人は誰でしょうか。ペテロでもなく、イエス様の親でもなく、イスラエルの国でもなく、ユダヤ教でもありませんでした。ただ一人、右の強盗でした。もし右の強盗がいなかったとしたら、イエス様が再び復活して、地上の摂理の因縁を再開させることはできないという事実を皆さんは知らなければなりません」(P246)

 

そして聖餐式についても言及されている。 

 

「イエス様が下さった杯とパンは、正に「『新しい契約』と言われました。イエス様の血とイエス様の肉を受け取ることは、何を象徴とするのでしょうか。それはイエス様一個人の肉と血を言うのではありません。大きくは天と地を意味し、小さくは中心と個体を意味するのです。また肉は真理を象徴し、血は神霊を象徴します」

 

以上、『イエス様の生涯と愛』のみ言を手がかりに、「イエス・キリストとは誰か」、「イエスの私生涯の実像」、「十字架と復活の意味」を論考し、「キリスト教の重要教理」を見てきた。『イエス様の生涯と愛』には、キリスト教神学の難問、即ち、処女懐胎、マリア信仰、キリスト論、三位一体論、十字架、復活などの緒問題が、ことごとく論じられ、驚くべき解釈が示されている。 

 

もちろん、ここに示されたイエス像は、伝統的キリスト教にとっては、到底容認できない解釈であり、正に異端の教えということになる。しかし謙虚に祈り、神霊と真理で神に尋ねて見れば、自ずと道が開け、真理を見出だすことができると思料する。是非、「座右の書」として愛読されることをお勧めしたい。(了)   牧師  吉田宏

 

 

 

上記絵画*ヨセフの夢(ヨセフとマリア)フィリップ・シャンパーニュ画

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





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