◯つれづれ日誌(令和5年9月27日) どん底でヨブが出会った神 UCの受難に思う
律法学者ガマリエルというパリサイ人が一同にむかって言った、「あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」(使徒行伝5.38~39)
今回筆者は、この一文をまとめるに当たって、UCへのかってない宗教弾圧である解散請求が、岸田首相により断行されるものという前提に立ってしたためることにいたします。その際筆者は、岸田首相に冒頭の聖句を進呈しておきます。
【内村鑑三のヨブ記観】
最近、内村鑑三の円熟期の著書『ヨブ記講演』(岩波文庫)を読み、痛く共感し、感銘いたしました。ヨブ記について世に数多の註解書や解説本はあれど、この書ほどよくヨブの心理や信仰を顕しているものはなく、あたかも未曾有の大艱難に遭遇しているUCとその信徒の心情と信仰を代弁するかのようでした。
聖書の知識91「ヨブ記註解」でも述べましたが、ヨブ記は、「人は、何故艱難(かんなん)にあうのか、しかも 、悪人が栄え、義人が何故苦難にあうのか」という、いわゆる「神義論」(弁神論)がテーマです。ヨブの如き、全くかつ正しく、神を恐れ悪に遠ざかった義人 (ヨブ記1.1)が、考えられない大艱難に遭遇したのです。「これは果して愛なる神の業なのか、もし神あらば義人に患難を下し給うは何故なのか」と言ったヨブの問であります。
内村は、ヨブ記は種々に渡り宗教的な大問題を暗示的に示しているとし、カノッサの屈辱で有名な法王グレゴリー七世も「ヨブ記を愛読すべき」と言っています。その理由は、この書の中に聖書中の重要な真理が多々含まれており、すべてキリスト教の大真理はヨブ記の中に発芽し、しかもそれが暗示(サッゼスチョン)の形において問題提起されているといいます(『ヨブ記講演』P77)。
つまり、ヨブ記1巻42章は、要するにキリスト降臨以前の悲痛なキリスト探究史でもあるというのです。例えば内村はヨブ記19章をもってヨブ記の頂点とし、19章25節「わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる」をもって最高峰としています。即ち弁護者なる神、贖い主キリストの来臨、永遠の命の暗示であります。
ヨブ記は哲学でも文学でもなく、正にヨブ自身の「実体験」に他なりません。ヨブ記は往々にして「不可解な書」とされますが、内村鑑三は、自分をヨブの立場に置き、その苦痛を共有したなら、この書は決して不可解の書ではないといいます。つまり、実体験の中で読むべきだというのです。 そして正にヨブの受難は、当時内村が背負っていた6重苦と重なるものでありました。処女作『キリスト信徒のなぐさめ』の中で、「愛する国家と教会から捨てられ、愛する妻加寿子を亡くし、事業に失敗し、貧に陥り、病を得て、全てを失った」と記しています。この『キリスト信徒のなぐさめ』は、いわゆる「6重の苦しみ」を背負った内村が 、その逆境からの自己の再生を綴った書であります。
ちなみに内村は、ヨブ記は世界最大の文学書の一つであるといいます。世界の大文学中ヨブ記を手本として作られたものは多く、ゲーテのファウスト、ダンテの神曲、シェークスピアのハムレット、カーライルの衣装哲学(サアター・レサアタス)などがあり、またヨブ記は、哲学的、思想的な深さがあり、ドストエフスキー、キルケゴールに影響を与えたといわれています。
【ヨブ記のあらまし】
『ヨブ記講演』冒頭に、「ヨブの平生、天国における神とサタンの問答、ヨブに臨みし災禍、三友人の来訪、ヨブ対三友人の長い論争、エリフの仲裁、最後にエホバ御自身の垂訓とヨブの懺悔・感謝、これにて大団円」と記されています。
即ち、ヨブの如き、全くかつ正しく、神を恐れ悪に遠ざかった義人 (ヨブ記1.1)が、サタンに讒訴され、考えられない大苦難に遭遇しました。そして、ヨブの財産は悉く奪われ、子女は悉く殺され、身は悪い腫れ物に襲われ、最愛の妻さえ彼を罵る始末です。かくしてヨブはただ独り苦難の曠野に坐して、この問題の解決を強いられたのであります(ヨブ記1章、2章)。
以下、ざっとヨブ記のあらましをおさらいしておきます。
<ヨブの見上げた信仰>
これは果して愛なる神の業なのか、むしろ世に神なきか、もし神あらば義人に患難を下し給うは何故なのかとの自問自答です。
しかしヨブは「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」(1.21)と告白し、また「われわれは神から幸をうけるのだから、災をも、うけるべきではないか」(2.10)と言って、すべてこの事においてヨブは罪を犯さず、また神に向かって愚かなことを言わなかったというのです。
<三人の友人とのやり取り>
ヨブは、心配して遠望より訪ねてきた3人の友人と再会しますが、そのあと、遂に口を開いて「わたしの生まれた日は滅びうせよ。男の子が胎に宿ったと言った夜もそのようになれ」(ヨブ記3.3)と呪いのことばを吐くに至ります。このヨブの悲痛な叫びは、いまだエホバの真意を図りかねず、神に棄てられたという思いから来るものでした。
そして3人の友人と1人の青年との三ラウンドに渡る長い問答(4章~37章)が続きます。即ち長老のエリバス、神学者のビルダテ、少壮実務家のゾパル、仲裁役のエリフです。友人の3人がヨブを慰めようとやってきましたが、この友人らと、このヨブの苦難について論争が始まりました。

ヨブと三人の友(イリア・レーピン画)
そんなヨブに対して3人の友人たちは、半ば同情心から、半ば公義心から、口々に、「禍は罪の結果であり、こんな目に遭うからには、何か悔い改めるべきことがあるはずだ」と迫ります。
けれどもヨブは、「こんな罰を受けなければならないようなことは何もしていない」と言い張ります。その論争は、第1ラウンド(4章~14章)、第2ラウンド(15章~21章)、第3ラウンド(22章~31章)に渡って行われました。
友人らは全員、ヨブを「罪人」と見て、「すべての苦難は罪に対する裁きであり、ヨブは苦難を受けているのでヨブは罪人である」との因果応報論に基づく三段論法で挑んできました。 三人の友人の主張は、「神は正しい者に祝福を与え、罪を犯した人に災いを与える」という因果律の原理を盾に、元の境遇に戻るために、ヨブが罪を認めて神への信仰に戻ることを求めるというものでした。

しかし、もとよりヨブは自らが完全な人間とは思っていませんが、この度の禍が、ある隠れた罪の結果だとの思い当たるふしがなく、えん罪を主張します。ヨブとしては敬虔な信仰者のつもりで、罪がないのに自分は裁きを受けたと感じているわけです。 友人たちは皆「あなたの悪は大きいではないか。あなたの罪は、はてしがない」(22.5)といってヨブの責を問いますが、「わたしの舌は偽りを語らない。わたしは死ぬまで、潔白を主張してやめない」(27.4~5)と言って一歩も引き下がりませんでした。
こうして三人の友人のもっともな正論は、結局ヨブにとっては審きでしかなく、苦境に立ったヨブを納得させ慰めを与えることは出来なかったというのです。内村は『ヨブ記講演』の中で1コリント書13章を示しながら次のように述べています。
「彼ら三友が教義を知るも愛を知らざるは、かかる態度を生みし原因である。愛ありてこそ教義も知識も生きるのである。愛ありてこそ人を救い得るのである」(P65~67)
<どん底で神と出会う>
そうして遂にヨブに神が臨んで語られます(38章)。ヨブが願っていた神との対面がやっと実現しました。しかし驚くべきは、神はヨブの問いに正面から答えることをなさらず、ヨブが想像していたものとは全く違う異次元からの語りかけでした。
先ず神は、自らが全てを創造した超越神であり、世界を主宰する主権者は自分であることを強調され、人間の知識や知恵では計り知れない深淵な存在であることを宣言されます。
「この時、主はつむじ風の中からヨブに答えられた。『無知の言葉をもって、神の計りごとを暗くするこの者はだれか。わたしが地の基をすえた時、どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え』」(38.1~4)
ヤハウェは自らの大きさを示すように、自分が為した創造の妙の数々を披露されます。地の基を据えたこと、海を制する力、海の源や地の広がりを知っていること、大雨が降り注ぐ水路を作ったこと、天体の法則を知っていること、星座を導くこと、動物の生態の妙等々。実に自然万物は聖書以前の聖書であり、その中に神のみ心が籠っているというのです。
即ち、神は苦難の意味や目的を説明することはされず、むしろご自身に論争を挑もうとするヨブの傲慢な姿勢を問題にされたのです。 回答できない質問を70以上も投げかけられ、ご自身の超越性を示されました。 遂にヨブは、全能の神に圧倒され、自らが神の前に小さな取るに足りない存在であることを悟り、降りかかる運命を甘受していきます。
「そこでヨブは主に答えて言った、『私は知ります、あなたはすべての事をなすことができ、またいかなるおぼしめしでも、あなたにできないことはないことを』。『無知をもって神の計りごとをおおうこの者はだれか』。それゆえ、私は自ら悟らない事を言い、自ら知らない、測り難い事を述べました。私はあなたの事を耳で聞いていましたが、今は私の目であなたを拝見いたします。それで私は自ら恨み、ちり灰の中で悔います」(42.1~6)
こうしてヨブは、神の主権の絶対性と絶対愛の前に膝まづき、自分の神への傲慢に気づき塵と灰の上で伏して自分を悔い改めました。ヨブの不満はなくなり、神の祝福も呪いも、すべからく無償の愛に起因していると理解し、「われわれは神から幸をうけるのだから、災をもうけるべきではないか」(2.10)と告白した以前のヨブに回帰しました。正に、人の声は人を救うことはできないが、神の声のみ人を救い得るというのです。
内村鑑三は、『ヨブ記講演』の中で、次の通り述べています。
「最後にエホバ御自身現われて親しく教示する。しかもこの教示中、直接ヨブの疑問を解くべき答は一ひとつも与えられておらぬのである。義者に臨む苦難の意味については一言も答うる所ないのである。これ不思議というほかはない。しかるになお不思議なるはヨブがそれに全く満足し、わが罪を認めて全き平安に入りしことである。問題の説明供せられざるに彼の苦しみが悉ことごとく取去られしとは、まことに不思議なる事である」(P14)
そして内村は、回答は与えられずして与えられたのだと言います。
「苦難の臨みし説明は与えられざれど、大痛苦の中にありて遂ついに神御自身に接することが出来、そして神に接すると共にすべての懊悩痛恨を脱して大歓喜の状態に入るのである。ただ神がその姿を現わしさえすれば宜いのである。ただ直接に神の声を聴きさえすれば宜いのである。それで疑問は悉く融け去りて歓喜の中に心を浸すに至るのである。その時苦難の臨みし理由を尋ねる要はない。否苦難そのものすら忘れ去らるるのである。そしてただ不思議なる歓喜の中に、すべてが光を以て輝くを見るのみである」(P15)
こうしてヨブは大苦痛の中にあって遂に神御自身の声に出会い、その顔を見て、その瞬間、すべての懊悩は昇華され大歓喜の世界に入ったというのです。ヨブは神が宇宙の主人公、歴史の主宰者であると知り、全ては神の御計画の中にあると実感しました。最悪の中で出会う神、正にどん底での神の再発見、神との再結合です。もはや天地が滅んでも本望です。その時、苦難の理由を尋ねる必要はなく、ただ不思議なる歓喜の中に導かれ、そして神はヨブが失ったものを倍する恵みと祝福を与えられました(ヨブ記42章)。
【受難の意義とその系譜】
かって内村鑑三が自分の姿をヨブに重ね合わせたように、筆者は何故かヨブ記に、今のUCとその信徒の姿がダブって見えてなりません。日本のために全てを犠牲にし、私心なく身を捨てて働いてきたUCとその信徒が、何故よりにもよって、その愛する日本国家から排除されなくてはならないのか、反キリスト的な全国弁連が栄え、義なるUCが何故追われるのか、正に義人の苦難をテーマとするヨブ記と瓜二つです。
<反面教師としての共産党>
さて受難の歴史と言えば、イスラエルやヨブと共に日本共産党も挙げることができるでしょう。もとより筆者は、共産党の理念であるマルクス主義は無神論かつ唯物論であり、このような無神論的唯物論を理念とする共産党を一切認めることはできません。しかし、常に排除され弾圧されながら苦闘の歴史を余儀なくされた共産党が、その弾圧と戦ってきた歴史は、ある意味で反面教師です。
日本共産党委員長の志位和夫氏は、党創立100周年(2022年7月15日創立)にあたって、演説を行い、その中で、日本共産党の顕著な特質として、「不屈性」「自己改革」「国民との共同」の3点を挙げました。
日本共産党の100年は、平和と民主主義、自由と平等、社会進歩をめざして、その障害になるものに対しては、それがどんなに強大な権力であろうと、「不屈の精神」をもって正面から立ち向かってきたとし、その中で、一時も平安な時はなく、常に差別と弾圧と苦闘の歴史を綴ってきたと述べました。
確かに戦前、1925年の治安維持法によって、小林多喜二、野呂栄太郎など多くの幹部が官権によって弾圧を受け、逮捕され獄死しています。長く共産党委員長を務めた宮本顕治氏は、1933年から1945年まで12年間の牢獄生活を余儀なくされました。但し宮本氏の場合は、いわゆる小畑達夫の査問殺害容疑でも逮捕されています。
また、100年の歴史を通じて、共産党最大の危機としている事件として、1950年のコミュンテルンからの干渉があります。即ち旧ソ連のスターリンによって、「暴力革命の指示」という日本共産党に対する干渉が行われ、党が分裂するという事態が起こったことがありました。日本共産党は、この危機を乗り越える過程で、自主独立の路線、即ち、どんな大国であっても干渉や覇権は許さないという路線を確立しました。これにより、日本共産党はソ連コミュンテルンの傀儡であるという汚名を返上したのです。
これは党の分裂という最悪の危機から教訓を引き出して行った「自己改革」であり、自主独立路線の確立なしに、今日の日本共産党は存在しえなかったとさえ断言しています。実際、1960年代には、旧ソ連と中国・毛沢東派の双方から覇権主義の干渉が行われましたが、そのどちらもはねのけたと明言しました。
そして1961年に採択された党綱領は、「選挙による国民多数の合意で社会変革を進める」こと、即ち社会の発展のすべての段階で、「国民との共同」(統一戦線)で社会変革を進めることを大方針にすえました。先ず民主主義革命を経て、その後社会主義、共産主義への道を平和的に辿るというものです。 但し結局これは、資本主義、自由主義から私有財産否定の共産主義への体勢変革を意味しています
しかし1980年には、社会党と公明党の間でかわされた日本共産党排除の「社公合意」によって、政界から排除され、その存在を否定する「反共の壁」がつくられました。正に 一難去ってまた一難です。
では何故、弾圧の歴史、排除の歴史を余儀なくされたのか、それは共産党が社会を根本から変革しようとする革命政党であるからだというのです。この点は我がUCも同様で、UCが何故マスコミや世論から常にバッシングを受け排除され続けてきたかと言えば、それは正に、UCが人間と社会を本質的なところから変えようとする革命的宗教であるからに他なりません。そして日本共産党がソ連や中国の干渉を排除し、自己改革によって自主独立路線を確立して党勢を拡大したように、日本UCも自己改革に務め、いい意味で自立し自己完結した教団に脱皮しなければなりません。それにより、日本UCは韓国傀儡の反日団体といった反UC宣伝から解放され、組織防衛という観点からも大きなメリットがあると思料いたします。従って、共産党から反面教師として学ぶとすれば、如何なる苦難・迫害にも不屈の精神を発揮したこと、そして大胆に自己改革を断行したことの2点と言える でしょう。
<ヨブ記に学ぶ>
さてヨブ記は私たちに大切なことを教えてくれました。それは如何なる苦難の中にあっても、天地を創造し、歴史を摂理される神に立ち返ることです。ヨブがこれ以上ない艱難の中で、世を呪わず、先祖を恨まず、なお神を棄てず、苦しみつつも神を疑いませんでした。ヨブは遂に神の声を聞き、神と出会ったことによって、全ての疑念や迷いがたちまち氷解して歓喜に転じたように、私たちに降りかかる受難は神との深い再結合により、その不滅の生命を取り戻し開花することができると信じます。それはまた、イスラエルの残れる者が、あのバビロン捕囚で見せた信仰でもあります。
UC解散請求は、正に大艱難ですが、イスラエルやヨブの歴史的受難を思えば甘いものではありませんか。罪ならずして大災禍に逢うヨブが、その最中で「それでもなお正しい者はその道を堅く保ち、潔い手をもつ者はますます力を得る」(ヨブ記17.9)と義と正を宣しました。かくしてここに、ヨブ記が失望の書にあらず、希望の書である所以(ゆえん)があります。こうして私たちには、最良の見本があり、大試練に際して、前向きに、楽天的に、むしろ試練を養分として越えていきたいと思います。
「わたしたちは、四方から患難を受けても窮しない。途方にくれても行き詰まらない。迫害に会っても見捨てられない。倒されても滅びない。いつもイエスの死をこの身に負うている。それはまた、イエスのいのちが、この身に現れるためである」(1コリント4.8~10)
以上、ヨブ記を教材にして、これからの私たちの在り方を学びました。苦難の神義論、即ち神の試練か贖罪の羊か、いずれにせよ、私たちの信仰に迷いはありません。(了)
ポーランド宣教師 吉田宏
上記絵画*潔白を主張するヨブ(ギュスターブ・ドレ画)