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「X」の投稿記事を解説する 統一解散問題の多面的考察

  • 執筆者の写真: matsuura-t
    matsuura-t
  • 5月7日
  • 読了時間: 12分

◯徒然日誌(令和7年5月7日)  「X」の投稿記事を解説するー統一解散問題の多面的考察 

 

あなたは偉大な神。驚くべき御業を成し遂げられる方。ただあなたひとり、神.  (詩篇86.10)

 

プロローグ 

 

筆者はある知人から「X」への投稿の仕方を学んで、令和7年3月19日、Xに初めて投稿し、5月7日現在までに約120本をポストした。従って1日2本以上をポストしたことになる。これを多いと見るか少ないと考えるかは別として、インスピレーションに導かれて本心に感じるままを投稿してきたが、幸いにも多くの読者から「いいね👍️」を頂き大変励みになっている。 

 

そこで今までの投稿内容の傾向を分析し、テーマ毎に分類すると共に、大事だと思う投稿記事を解説することにした。何故ならXへの投稿記事には字数制限があり、語りたいことを絞りに絞ってまとめなければならず、肉付けして解説したい記事があるからである。なお今まで筆者がXに投稿した記事のほとんどは、家庭連合(以下、「統一」と呼ぶ)の解散問題に関する記事で占められている。 

 

【分類と各論解説】 

 

さて、今までの投稿記事をテーマに分類すると、大きく、①解散裁判問題、②反対勢力(オールドメディア・霊感弁連・文科省)問題と擁護論、③国際世論の動向(声)、④統一叩き現象の本質的意味、⑤統一の復活、の5つに分類できる。これを更に集約すると、a.裁判問題、b.賛否両論と国際世論の動向、c.本質論、の3つに要約できる。以下、この順序に従って論じる。 

 

<解散裁判問題> 

 

筆者は令和7年5月3日、次の通りXに投稿した。 

 

「宗教学者の島薗進氏は、統一の教義に献金搾取を正当化する理念があり、地裁が認定したことを評価したが(5月3日産経オピニオン)、お門違いだ。万物復帰(又は人間復帰)は『万物更新』(使徒3.21)であり、被造物が堕罪以前の完全な状態に復されるという宗教的意味。原理をよく理解すべき」 

 

島薗氏は、民法の不法行為を解散の要件とした地裁の決定は宗教全般に不当な圧迫を加えるもので国際法にも違背するが、これを当然とした。争点だった「組織性・悪質性・継続性」をいずれも地裁が認めたこと、2009年の「コンプライアンス宣言」以降もその場凌ぎの対応で問題が続いていると結論したこと、1980年代から現在まで、看過できない被害が継続していることなど、これらを地裁が認めたことを妥当とした。 

 

また裁判外の示談、和解なども、民事裁判で認められた不法行為と同等に被害として扱った点も評価し、更に、悪質な献金勧誘行為は教団の意思(組織性)で行われたと明言して、献金搾取を正当化する教理が内在するとした。まるで法外な手数料を要求し統一を食い物にしてきた全国弁連の紀藤正樹氏のようである。この島薗氏は宗教学者と自称するが、彼は真の信仰なき宗教学者であり、信仰を基礎とする神学者とは似て非なる左傾反キリストの徒という他ない。島薗氏は、島薗進編著『統一教会問題』(東洋経済新報社)という本を出しているが、この執筆者に霊感弁連の最高幹部山口広氏が名を連ねているのを見ても、島薗氏の素性が分かるというものである。 

 

信仰に基礎を置かない宗教学者島薗進氏は、献金搾取の理念が教義自体にあると妄言しているが、これは「万物復帰」の意味の曲解であると思われる。反対派は、原理に出てくる万物復帰という言葉を、霊感商法や資金集めを正当化する根拠として利用されたとしているが、まさにお門違いだ。 

 

万物復帰(又は人間復帰)とは、神による創造物を完全な状態に戻すこと、即ち聖書でいう「万物更新」(使徒3.21)であり、被造物が堕罪以前の完全な状態に復されるという宗教的意味で、万物更新の時とは再臨により福音が回復されることである。従って、統一の教理に、献金搾取の理念が教義自体にあるという反対派の主張は、献金を悪と決めつける反キリスト的思考である。 

 

献金の本質は、a.罪の贖罪、b.神の恩寵への感謝、c.神の国実現に寄与、といった意味がある崇高な信仰行為であり、高額献金は悪いものではない。修道院を創立した聖ベネディクトもフランチェスコも、高額献金どころか、全ての財産を教会に捧げて献身した。宗教の本質は捨てることにあり、故にイエスは「富んでいる者が天国にはいるのは難しい」(マタイ19.23)と言われ、そして「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう」(マタイ19.29)と言われたのである。しかし、島薗氏はこのイエスのパラドックス(逆説)を理解できない。 

 

統一の献金問題が社会問題化された大きな要因は、拉致監禁の犠牲者が霊感弁連と結び付き、踏み絵と称して訴訟の原告に強いられ、それをオールドメディアが煽ったことにある。現に文科省が解散の証拠として出した32件の訴訟の多くは、拉致監禁で棄教させられた元信者が原告となったとなったものである。果たして日本に真の献金文化が宿るのはいつの日だろうか。 

 

更に筆者はXにポストし、中山達樹弁護士が指摘されているように、東京地裁の解散決定文の中に、a. 4300人以上に昇る拉致監禁問題、b.文科省の陳述書捏造問題、c.解散要件に民法を含めたことが国際法違反であること、d.真摯に教団改革に取り組んだこと、などについて一切触れずに無視したことを問題視した。 そして、解散決定を出した鈴木謙也裁判長のロジックは「相当に根深い」「 相当程度存在することが想定される」「問題が残存しているのが合理的」と憶測と想像の連発で、しかも「見えない被害」「隠れた被害」を推測で事実認定するという前代未聞の判定を問題視したのである。 

 

即ち、地裁決定文は「顕在化しない被害、申告しない被害が相当数存在することが想定される」(決定文P94)とし、「根本的な対策ではない弥縫策の類で根本的な対策が講じられたとは言えない」(決定文P84)とした。ちなみに弥縫策(びほうさく)とは、一時的な対処、その場しのぎの対策を指す言葉で、地裁は非日常的な言葉を敢えて使った。そして次のように判示した。 

 

「不法行為に該当する献金勧誘行為(法令に違反する行為)は、コンプライアンス宣言前後の約40年にわたり、全国的な範囲で行われており、総体として、類例のない膨大な規模の被害を生じさせたものと言え、同宣言後についてみても、その被害は縮小傾向にあるものの、近時まで途切れることなく続いており、なお看過できない程度の規模の被害が生じている。また献金勧誘行為の様態は総じて悪質、重大である。根本的な対策を講じているとは言えず、もはや利害関係参加人に事態の改善を図ることを期待するのは困難というべきである」(決定文P103、P104)

 

即ち上記の判示は、和解や示談で解決したものに留まらず、顕在化しない被害、申告しない被害、つまり潜在的な被害をも想像し、被害の概念を不当かつ悪質に広げて認定したもので、法と証拠に基づくという裁判の原則を大きく踏み外した。まさに無理やりこじつけた結論ありきの作文としかいう他なく、国策裁判というしかない。筆者はやがて統一が復活する時、この裁判は激しい裁きに会うことを警告した。 

 

<国際世論の声> 

 

さて国際世論は国内と真逆であり、トランプ大統領は宗教と神の復権を国是とした。5月2日、筆者は次のようにXに投稿した。 

 

「5月1日、トランプは大統領令を出し、宗教の自由の保護を厳格に執行するため『宗教の自由委員会』を設置した。憲法に宗教の自由を第一の自由と規定し、宗教迫害から逃れてきた建国の父たちの精神が生きている。日本は統一を解散させる致命的な過ちをして宗教音痴・迫害の国に転落した」 

 

トランプ大統領はポーラ・ホワイト牧師を信仰局の長に任命したが、ホワイト牧師は宗教の自由委員会の委員にも入っている。そのホワイト牧師は、先般行われた統一のイベント(World Summit ・祝福結婚式・天苑宮入宮式)の全てに参加し韓鶴子総裁にエールを送り、信仰の自由を侵害する国に警告を発した。また米共和党のギングリッチ元下院議長は自身のXで「中国共産党と日本が接近する」として解散命令に反対する見解を表明し、「日本政府は安倍晋三元首相銃撃事件の捜査に注力する代わりに旧統一教会を標的にしたことで、世界中の政治・宗教指導者を驚かせた。この罪のない第三者は衝撃的な殺人事件とは何の関係もない」などとワシントン・タイムズの記事を引用する形で投稿した。(産経新聞)


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国際人権弁護士デュバル氏は、文科省の陳述書に「捏造」があること、証拠として出した32件の原告のほとんどが拉致監禁でディプログラムされた背教者だったことを問題視した。この決定に「勝者はおらず、敗者のみであり、主な敗者は日本」と述べた。まさに、彼女が指摘した通り、日本に致命的な禍根を残す決定だった。 

 

筆者は「国際世論は統一問題解決の鍵になる」とXにポストした。かって明治新政府は徳川以来のキリシタン禁教令を踏襲し、長崎浦上地域の潜伏キリシタンを弾圧し、3414名を各藩に配流した。この迫害はキリスト教諸国の強い批判に晒され、遂に明治6年禁教令を撤廃し260年ぶりにキリスト教が認められた。明治維新も黒船によるところが大であり、明治維新も禁教令廃止もまさに外圧だった。このように日本は自力で改革ができず、世界の動向で動く内弁慶の国なのだろうか。地裁の解散決定は霊感弁連、オールドメディア、文科省などの内圧(世論)に忖度した結果だが、内圧は外圧によって制するしかないのだろうか。果たしてホワイト牧師は令和の自由の女神、トランプ大統領は現代のクロス王になるのか。 

 

<統一叩き現象の本質>  

 

ではこの一連の統一バッシングの社会現象をどう理解すればいいのだろうか。3月31日、筆者は次のように投稿した。 

 

「解散決定は神の分別の一石である。神は生ぬるい日本の精神的風土に、統一を祭物にして善悪分立の一石を投じられた。これを起点に日本はヘレニズムとヘブライズムに二分される」 

 

つまり統一を巡る社会現象は、ヘブライズム(神本主義)ヘレニズム(人本主義)の葛藤と見ることができる。更に言えば有神論と無神論の戦いである。つまり、マスコミも政治も裁判所も世俗的(非宗教的)ヒューマニズムに汚染され、善悪の本質を見失っているが故に、神が統一問題という分別の一石を投じられたのである。現に言論界は統一叩きと統一擁護に二分される趨勢にある。霊感弁連やオールドメディアは統一を蛇蝎の如く叩く一方、多くの言論人が統一を支持し擁護している。例えば、福田ますみ、杉原誠四郎、花田紀凱、田北真樹子、安藤慶太、西岡力、櫻井よしこ、佐藤優、太田光、北村晴男、若狭勝、高井康行、渡邊哲也、堀江貴文、池田信夫、高橋洋一、竹田恒泰、橋下徹氏、立花孝志、高田純、門田隆将、青山和弘、長尾たかし、阿比留瑠比、白坂慎太郎(以上、順不同、敬称略)・・・。 

 

その他多数の言論人が統一を擁護している。筆者はこの社会現象を、ヘブライズムとヘレニズムの戦いと観たのである。 

 

更に筆者は次のように投稿した。 

 

「安倍元首相が銃撃された夜、リンカーンが撃たれて葬儀した牧師の言葉『大統領の犠牲はアメリカを浄める贖いの血』が僕の胸に甦った。安倍さんは日本の新生のために『贖罪の羊』となったのである。統一に冤罪が押し付けられているが、統一の潔白と安倍さんの復活はやがて明らかになる」 

 

何故、安倍さんは死んだのか。2022年7月8日11時31分、奈良市大和西大寺駅北口にて、安倍晋三元首相が銃撃され死亡した日の夜、筆者の脳裏によぎった言葉が「贖罪の羊」であり、そして「神の霊妙なご計画」との託宣だった。

 

安倍さんは日本と統一が生まれ変わるためにイエスやリンカーンのように贖いの供え物となられたのである。青山繁晴議員は宝塚での街頭演説中、死亡直後、安倍さんの霊が自分の体内に入り込み、「悔いはないよ、これからは僕なしでやるんだ」と言って後を託されたという生々しい証言をされている。聖書に「主はとこしえの神、地の果の創造者であって、その知恵ははかりがたい」(イザヤ40.28)とあり、また「あなたは偉大な神。驚くべき御業を成し遂げられる方。ただあなたひとり、神」 (詩篇86.10)とある通り、神の知恵と図りごとは、深遠である。 

 

そして筆者は、「未曾有の統一叩きのお陰で、教義と教祖が脚光を浴びている。統一の教義と教祖が本物か否か、論議して欲しい。教祖は『秘められた神と聖書の奥義、宇宙の原理を明かにした』と語るが、その真偽のほどを確かめて欲しい。良くも悪くも統一が脚光を浴びるのは、このための摂理かも知れない」(4月21日ポスト)と投稿した。一連の統一へのバッシングは、教義と教祖に衆目の関心が集まって、結果的に福音(原理)のよい宣教の機会になるのではないかと筆者は期待している。 

 

【統一の復活】 

 

4月5日、筆者は次のように投稿した。 

 

「人生と歴史の妙味は復活にあり。イエスは十字架で死して復活し、統一教祖は興南監獄で死して復活した。イスラエルはバビロン捕囚から復活し、キリスト教はローマ帝国から復活した。統一もまた同じ。『神は必ずシオンを救い、ユダの町々を再建して下さる』(詩篇69.36) 」

 

大本教団は大弾圧を受け、神殿は破壊され、出口王仁三郎以下987人が検挙され、拷問で16人が死亡し解散させられた。しかしこの最中、「これも神様のご計画、かえって大本の真実が知れ渡る」と歓迎し、「かかる誤解を受けることは不利益にあらず」と出口王仁三郎は述べたというが、この王仁三郎の楽天主義にあやかりたい。 

 

ホーリネス系教団は弾圧で解散させられたが、蔦田二雄牧師は獄中で「一切が奪われても、神の臨在と同行(インマニエル)が奪われることはない」との霊的体験によって、戦後「インヌマエル教団」を創立した。同様に統一とその信徒は、「たとえ全てを失ったとしても、神の言葉(原理)が失われることはない」と確信している。深遠で掛け替えのない原理のみ言は、必ず芽を出し大地に生い茂る。 

 

キリスト教は一言で言えば「十字架と復活」の宗教である。復活するためには死ななければならない。統一は今、冤罪を背負ってゴルゴダの頂上に向う。しかし、死んだイエスが復活してキリスト教が生まれたように、統一は死んでも復活し、大宗教改革のリバイバルを起こすことだろう。 

 

5月6日、筆者は次のように投稿した。 

 

「僕には見果てぬ二つの夢がある。神の道具として作られた全宗教が一つになる夢、法王庁枢機卿会議で原理がカトリックの経典に推戴されるという夢。原理は聖書の奥義を解明し、聖書を完全に解釈したもので、聖書と矛盾しない。統一が騒がれるのは、原理と教祖を研究せよとの神の声ではないかとさえ思う」 

 

以上、ここ50日間「X」に投稿した記事について改めて分析・類型化し、その内容を解説した。まさに「災い転じて福となす」とならんことを!(了)

 

牧師・宣教師.  吉田宏

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​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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