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エレミヤ書 註解 涙の預言者

  • 2021年8月18日
  • 読了時間: 13分

更新日:6 日前

🔷聖書の知識99-エレミヤ書 注解 ー涙の預言者


わたしはあなたをまだ母の胎につくらないさきに、あなたを知り、あなたがまだ生れないさきに、あなたを聖別し、あなたを立てて万国の預言者とした(エレミヤ1.5)


プロローグ


エレミヤ書 の預言者エレミヤは、旧約聖書の中でも最も「人間的苦悩」が強く描かれた人物です。彼は単なる未来予言者ではなく、国家の滅亡を前にして、神の真理を孤独に語り続けた人物でした。そのため後世、「涙の預言者」「苦悩する預言者」「孤独な真理者」とも呼ばれます。『エレミヤ書』は、旧約聖書の三大預言書(イザヤ書・エレミヤ書・エゼキエル書)の一つで52章からなります。エレミヤは捕囚期前の預言者で、エレミヤという名前は「ヤハウェは建てる」という意味であります。


「アモンの子、ユダの王ヨシヤの時代、その治世の第十三年に、エレミヤに主のことばがあった。それはさらに、ヨシヤの子、ユダの王エホヤキムの時代にもあり、ヨシヤの子、ユダの王ゼデキヤの第十一年の終わりまで、すなわち、その年の第五の月、エルサレムの民の捕囚の時まであった」(1.1~3)


上記の通り、エレミヤはヨシヤ王の第13年(前627年)から働きを開始しました。ヨシアの時代には、神殿で巻物が発見され、礼拝が回復されています。次にエホヤキム(前608~597年)が統治しましたが、エホヤキムは悪王で、エレミヤを激しく迫害しました。エレミヤは、最後の王ゼデキヤ(597~586年)の捕囚に至るまで預言者として活動しました。


エレミヤ書は、概ね次のような構成になっています。


①ヨシヤの治世での召しと、ゼデキヤの治世以前のエルサレムとユダに対する警告の預言(1~20章)

②ゼデキヤの治世下での警告の預言(21~29章)

③イスラエルの回復と12部族の将来に関する預言(30~39章)

④エジプトへの逃亡、周辺諸国に対する預言、エルサレム崩壊の預言の成就(40~53章)


 またエレミヤ書の中心メッセージは、神を捨て偶像礼拝に走った罪への糾弾、ユダの滅亡と70年の捕囚預言、捕囚からの帰還と国の再建の希望、新しい契約の預言、であります。


【エレミヤについて】


前記の通り、エレミヤが活動したのは、南ユダ王国の末期です。エレミヤが活動を開始した当時は、アッシリヤが覇権国でしたが、エジプトとバビロンがその力を増しつつありました。当時ユダ王国は、対外的危機、国内の腐敗(不正、貧民搾取、偽善)、偶像礼拝、宗教の形骸化に陥っていました。そして最終的に、エルサレム神殿は破壊され、国は滅亡します(前586年)。エレミヤは、その破局を目前にして活動した預言者でした。


前607年、バビロンはニネベを攻略し、アッシリヤを滅ぼし、ユダに侵攻してきました。エレミヤは、悔い改めによって主に立ち返り、神により頼むことを訴え、 バビロンと手を結ぶよう主張しますが、ユダの国粋主義者は、エレミヤを売国奴と呼び、エジプトに援助を求めるように王に進言しました。結局バビロンはユダを征服し、エルサレムを破壊しました。エレミヤは、エルサレムの崩壊を嘆き、『哀歌』を書いています。


<召命>


エレミヤは祭司ヒルキアの子で、アナトテという町で祭司の家系に生まれました。つまり彼は本来、神殿宗教、祭司制度の内部の人間でしたが、逆にその宗教の腐敗を弾劾する役割を神から託されました。


エレミヤ書1章では、神が彼を召す場面があります


「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた」(エレミヤ1.5)


しかし、「ああ、主なる神よ、わたしはただ若者にすぎず、どのように語ってよいか知りません」(1.6)といって尻込みます。しかし神は、「恐れるな。わたしが共にいる」と言われ励まされました。エレミヤは気弱で、内向的で、傷つきやすい若者で、逃げたくても、「見よ、あなたの口に、わたしの言葉を授ける」と神の言葉が彼を捕えました。


<涙の預言者>


エレミヤは、イザヤと並ぶ預言者で、40年に渡って預言活動を行いました。「涙の預言者」として知られ、他の預言者の誰よりも、きめ細かい心情を表現しています


「ああ、私の頭が水であったなら、私の目が涙の泉であったなら、私は昼も夜も、私の娘、私の民の殺された者のために泣こうものを」(エレミヤ9.1)


彼は、繊細で慎み深い人物でありますが、神は、その彼を、ユダの罪を激しく糾弾する奉仕に召されました。エレミヤは、「背信」という言葉を11回も使用し、民に悔い改めを迫りました。3章では、イスラエルを妻と見立て、他の神々と浮気をして姦淫を行う妻を嘆き、背信という言葉を5回も発しました。


「彼女はすべての高い丘にのぼり、すべての青木の下に行って、そこで姦淫を行った。わたしが背信のイスラエルを、そのすべての姦淫のゆえに、離縁状を与えて出したのをユダは見た。しかもその不信の姉妹ユダは恐れず、自分も行って姦淫を行った」(3.68)


エレミヤが指摘したユダの罪とは、傲慢から神を捨て、情欲的な偶像崇拝に走ったこと、この二つでした。


「それは、わたしの民が二つの悪しき事を行ったからである。すなわち生ける水の源であるわたしを捨てて、自分で水ためを掘った。それは、こわれた水ためで、水を入れておくことのできないものだ」(2.13)


エレミヤはイスラエルの不信仰を糾弾し、悔い改めを促す役割を神から命じられました。従ってエレミヤは、同時代の人たちから拒否され、迫害されました。拒否され、打たれ、足かせにつながれ、投獄され、売国奴の烙印を押されました。遂に「悩みの歌」(20.7~18)で自らを呪います。


「わたしの生れた日はのろわれよ。母がわたしを産んだ日は祝福を受けるな」(20.14)


そして彼は、預言者を止めたいとまで思いましたが、主はそれを許されませんでした。


「私は、主のことばを宣べ伝えまい、もう主の名で語るまい、と思いましたが、主のみことばは私の心のうちで、骨の中に閉じ込められて燃えさかる火のようになり、私はうちにしまっておくのに疲れて耐えられません」(20.9)


またエレミヤは、「あなたは妻をめとるな。またこの所で、ほ息子や娘を持つな」(16.2) と結婚を禁じられました。彼が住んだ時代は、悲惨な時代だったからです。


嘆きのエレミヤ(レンブラント・ファン・レイン画)


<降伏を主張するエレミヤ>


エレミヤは、悔い改めによって主に立ち返り、神により頼むことを訴え、大帝国バビロンと手を結ぶよう主張しました。しかしユダの指導者は、エジプトに援助を求めるように王に進言しました。当時南ユダ王国は、国内には二つの勢力があり、一つは「神殿がある以上、エルサレムは滅びない。エジプトと同盟してバビロンに抵抗し、独立を守れ」という愛国路線で、これは民衆受けしました。これに対しエレミヤは、バビロンに降伏せよと言ったのです。従ってエレミヤは、裏切り者、士気を下げる者、売国奴として憎まれました。


では何故エレミヤは降伏を主張したのでしょうか。彼は、今回のバビロン侵攻は、神の裁きそのものと考えていたからです。つまり、偶然の国際政治ではなく、神がユダを裁くためにバビロンを用いていると見ました。だから抵抗することは、神の意思への反抗だと考えたのです。即ち、エレミヤが批判したのは、単なる外交政策ではなく、ユダ王国が、偶像礼拝、不正、宗教の形骸化などに堕落したと見ていたところ、人々は、「神殿があるから大丈夫だ」と思っていました。これをエレミヤは激しく批判します。彼は、「主の神殿、主の神殿、主の神殿と唱えても救われない」(7.4)と有名な「神殿説教」を行いました。


しかし、敵国(バビロン)への隷属を問くエレミヤは売国奴と呼ばれ迫害の日々を送ります。遂に彼は神に問を発します。いわゆるエレミヤの神義論であります。


「悪人の道がさかえ、不信実な者がみな繁栄するのはなにゆえですか」(12.1)


<迫害されるエレミヤ>


こうして預言者エレミヤは、まさに「国を弱らせる者」「売国奴」「裏切り者」のように見なされ、激しい迫害を受けました。彼は涙を流しながら祖国ユダの滅亡を警告したため、以下のように受難に遭いました。


①故郷アナトテの人々は、「彼を殺そう」と相談し、「主の名によって預言するな。 さもないとお前を殺す」(11.21)と脅迫しました。エレミヤは故郷からも拒絶されたのですが、なぜここまで憎まれたのか、当時の指導者たちは、神殿があるから大丈夫、神はエルサレムを守る、我々は選民だと考えていたからです。しかしエレミヤは、「主の神殿、主の神殿、主の神殿というむなしい、言葉により頼んではならない」(7.4)と語ったのです。つまり彼は国を憎んでいたのではなく、国を本当に愛していたからこそ真実を語りました。しかし、その真実が人々には「反国家的」に聞こえたのです。この点でエレミヤは、旧約聖書の預言者の中でも特に「孤独な預言者」と呼ばれます。


②エレミヤ書20章1~2節には、神殿の監督者であったパシュフルは、「エレミヤを打ちたたき、主の宮の ベニヤミンの門の足かせにつないだ」とあります。公衆の面前での屈辱でした。


③ エレミヤは神殿で、「 わたしはこの宮をシロのようにし、またこの町を地の万国にのろわれるものとする」(26.6)と言ったために、祭司と預言者および民は彼を捕えて「あなたは死ななければならない」(26.8)と叫びました。これは国家の中心である神殿の滅亡を予言したため、「国家転覆的発言」と受け取られたのです。


④「つかさたちは怒って、エレミヤを打ちたたき、書記ヨナタンの家の獄屋にいれた」(37.15)とあるように、エレミヤは、バビロン軍に投降しようとしていると間違われて長い間投獄されます。


⑤エレミヤは、「主はこう言われる、この町にとどまる者は、つるぎや、ききんや、疫病で死ぬ。しかし出てカルデヤびとにくだる者は死を免れる。この町は必ずバビロンの王の軍勢の手に渡される。彼はこれを取る」(38.2~3)と神の言葉を語ったために、高官たちは王に、「この人を殺してください。このような言葉をのべて、この町に残っている兵士の手と、すべての民の手を弱くしているからです。この人は民の安泰を求めないで、その災を求めているのです」といいました。これは現代風に言えば、「非国民だ」 「敗北主義者だ」 「敵を利する者だ」という非難に近いものです。


<イスラエルの回復と新しい契約>


しかしエレミヤは、「主は言われる、見よ、わたしがわが民イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る。主がこれを言われる。わたしは彼らを、その先祖に与えた地に帰らせ、彼らにこれを保たせる」(30.3)と語って、神の愛と希望、イスラエルの回復を語ることを忘れませんでした。


「主はこう言われる、バビロンで七十年が満ちるならば、わたしはあなたがたを顧み、わたしの約束を果し、あなたがたをこの所に導き帰る」(29.10)


「主は言われる、見よ、わたしがわが民イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る。わたしは彼らを、その先祖に与えた地に帰らせ、彼らにこれを保たせる」(30.3)


また新しい契約の訪れを預言しました。


「見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。わたしがイスラエルの家に立てる契約はこれである。すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす」(31.31~33)


ここには律法の古い契約ではなく、福音の新しい契約の概念が表明されています。また外的な石に刻まれた契約ではなく、内的な心に刻む契約が言い表されています。


その後エレミヤは、エルサレムの陥落とバビロン捕囚を目撃しました。 エルサレムに残った人たちがエジプトに逃げようとしたとき、エレミヤは反対しました。しかし、エジプトに逃げる人たちとともにエジプトに下ることを強要され、エレミヤは、エジプトで死んだと言われています。(伝承では、同胞による石打ちで死んだ)


【エレミヤとイエスの対比】


キリスト教会では、イエスとエレミヤの類似性がよく議論されます。 エレミヤもイエスも結婚をせず独身を貫いたこと、双方とも自分の民から拒否された失敗者であること、エレミヤは、バビロンの脅威が迫り来る中で預言活動を行い、イエスは、ローマの脅威が迫り来る中で福音を述べ伝えたこと等々。


エレミヤは、ユダの民から「売国奴(裏切り者)」と見なされ、イエスも、自分の民から「売国奴(裏切り者)」と見なされました。エレミヤは偽預言者たちの攻撃を受け、イエスも、パリサイ人や律法学者たちの攻撃を受けました。


エレミヤは、エルサレムのために涙を流し、その崩壊を預言し、イエスもまた、エルサレムのために涙し、その崩壊を預言しました。 またエレミヤは、少人数の弟子しかいなかったように、イエスも、少人数の弟子しかいませんでした。


しかしエレミヤは、上記しましたように、新しい契約を預言しました。


「主は言われる、見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る」(31.31)


イエスもまた、新しい契約を結ばれました。


「イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、『取って食べよ、これはわたしのからだである』。また杯を取り、感謝して彼らに与えて言われた、『みな、この杯から飲め。これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である』」(26.26~28)


【内村鑑三とエレミヤ書】


最後に内村鑑三とエレミヤについて付言しておきたいと思います。 内村は、イエスを最大の預言者とみなし、聖書の大部分は預言書であると考えました。そして預言者の中でも、エレミヤを自分と一番近いと感じていました。


内村は、1888年(27才 )、ハートフォード神学校の神学に失望し、退学して帰国しましたが、帰国後、新潟の北越学館に赴任し、北越学館ではエレミヤ書を講義しています。著書『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』において、「エレミヤ書は、実に分かりやすく、予言ではなく現世への警告に満ち、奇跡を行わない人間エレミヤが、強さと弱さをむき出しの姿で示されている」と語りました。


また、「余はイザヤを尊崇し、エゼキエルを敬い、ダニエルを称賛する。しかし、エレミヤにいたっては親愛する。余が最も親しんだ預言者はこの涙のエレミヤである」と述べ、「エレミヤはユダヤが生んだ優れた預言者であり、エレミヤが分からずして聖書は分からない、イエスキリストは分からない」とも述べました。


<エレミヤと内村の類比>


エレミヤは生前から召され、内村はこれを、「預定の教義」と呼びました。また、エレミヤは先天的な神の捕虜であったとも語りました。 エレミヤは、最初神の召しを拒絶し抵抗しましたが、「共にある」との神の言葉や神秘体験で、召しに答えることになりました。内村は、この「神が共にある」は、ヘブライズムの根本思想だと述べています。


そしてエレミヤと同様、内村も当初「イエスを信ずる者の誓約」に無理矢理署名させられたとし、この煮えきれない心の葛藤は、8年の準備を経て、シーリー先生の言葉で真の回心に至るまで続きました。


また、エレミヤは民と王から迫害を受け、牢獄に繋がれましたが、内村も教会や権力から追われ、この意味でも親近感を持っていました。


<イスラエルの預言者と日本の預言者>


内村は、エレミヤの指摘した原罪は、「神の放棄」(傲慢)と「偶像礼拝」(姦淫)の二つであるとし、神の放棄は人間の傲慢をもたらし、人間の傲慢の不安定さが情欲の偶像礼拝をもたらしたと指摘しました。


聖書は世界最大の書であり、預言書は最大の聖書であるといい、「日本の偉人たち(西郷隆盛、上杉鷹山、二宮尊徳、中江藤樹、日蓮)は、神を知らなかったにも拘わらず、神によって既に語りかけられ、神によって預言者として立てられていたと実感した」と語りました。


エレミヤとの出会いで、日本の文化的伝統の中に旧約が生きていると感じたとし、「武士道は日本国最善の産物である。武士道の台木にキリスト教を接いだものが世界最善の産物であって、日本のみならず、全世界を救う能力がある」と主張しました。こうして内村は、聖書に出てくる預言者を自分と一体化させ、預言者モーセがイスラエルをエジプトから解放させたように、日本を神の義に脱出させようとしたと言われています。


以上、エレミヤ書を解説いたしました。まさにエレミヤは、「預言者は時代から捨てられ迫害を受ける」との宿命を地でいった典型的な預言者でした。次回はエレミヤの作とされ、エルサレムの陥落とエルサレム神殿の破壊を嘆く歌『哀歌』を解説いたします。(了)






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​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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