🔷聖書の知識186ーキリスト教神学についての考察⑦ー近現代神学の歴史と思想(2)ー聖書批評学について
新しい真理が現れなければならないという主張は、宗教人たち、特にキリスト教信徒たちにとっては、理解し難いことのように思われるかもしれない。なぜなら、彼らは、彼らのもっている聖書が、それ自体で完全無欠なものだと考えているからである。もちろん、真理は唯一であり、永遠不変にして、絶対的なものである。しかし、聖書は真理それ自体ではなく、真理を教示してくれる一つの教科書として、時代の流れとともに、漸次高められてきた心霊と知能の程度に応じて、各時代の人々に与えられたものであるために、その真理を教示する範囲とか、それを表現する程度や方法においては、時代によって変わらざるを得ないのである。(原理講論総序)
前回、プロテスタント正統主義神学について、その概観を述べました。今回は、後の自由主義神学の先駆けとも言うべき、18世紀に生まれた「聖書批評学」について論考いたします。
【聖書学・聖書批評学】
これまで、聖書は神聖な誤りなき神の言葉であり、これを分析し批評し評価することなど神を冒涜することだといった考え方がありました。 しかし18世紀以降、ヨーロッパの啓蒙思想、合理主義精神の影響もあり、聖書文書について、その本文を、筆者、成立年代、執筆対象、執筆目的、構成、内容、文体などを確定する作業がはじまりました。
即ち、聖書を神の言葉として信仰的に受け入れるだけでなく、聖書を古典として歴史的、客観的に研究しようとする「聖書学」が生まれてきたのです。 そしてこの聖書分析の手法として、「本文批評」(下層批評)と「高等批評」(上層批評)があります。
<本文批評>
先ず「本文批評」(ほんもんひひょう)ですが、これは、ある文書の現存する写本や古刊本から、可能な限り、その文書のもともとの原文(元になる確定された原本は見つかっていない)を確定していく作業のことです。
つまり、古い時代の文書は、多くの場合、人の手によって写される写本の形で伝わりましたが、写本の際には、単なる誤記・脱字のミスだけでなく、誤記・脱字の範囲を超えて意図的に原本から外されたり書き換えられたりすることもありました。 こうして書き写された文書は、他の写本に写され、この繰り返しの結果として、内容が異なる様々な異本が生まれることになったという訳です。
そこで、どれが真正なものかを判別しなければならず、そこで「本文批評」という学問分野が生まれて来ることになります。そして本文批評の結果「標準聖書」が編纂され、それが各国語に翻訳されました。
即ち、本文批評とは、写本の中から標準聖書を探し出す学問です。従って本文批評によって、可能な限り原本に近い定本が確定されていきました。
<高等批評>
また「高等批評」とは、文書の起源の批判的研究であり、近代聖書学によって使われた手法で、上層批評とも言われています。先ず初めに、ルナン、ハルナック、シュトラウスなど歴史意識に目覚めた聖書学者の中から、イエス伝を再構成しようという学者が現れました。
新約聖書を良く調べると4つある福音書は皆違っていて、どれが本当か判断が難しく、容易なことではないことが分かりました。例えば、イエスのエルサレム訪問は共観福音書では一回となっていますが、ヨハネ書では三回となっており、またイエスのエルサレム滞在期間も共観福音書が一週間であるのに対して、ヨハネ書では約半年間となっています。更に復活のイエスと弟子たちが出会ったのは、マタイ書がガリラヤ、ルカはエルサレム、ヨハネは両方となっています(宮原亨著『新約聖書の真実』P5)。
ここから聖書の内容自体を吟味する聖書研究が始まり、本文批評に対し「高等批評」と言われました。
即ち、聖書が、いつ、誰が、どういう状況の中で、如何なる目的で、誰に向けて書かれたかのか、などを研究テーマとするもので、ドイツのユリウス・ヴェルハウゼンが代表的神学者です。後述するようにモーセ五書の「文書仮説」は高等批評の典型となる研究であります。
なお、ここでいう「批評」とは批判という意味ではなく、理性の目で歴史学的、科学的、文献学的に検証しようとする学問的態度を意味しています。その意味で、「聖書は真理を教示してくれる一つの教科書として、時代の流れとともに、漸次高められてきた」とする原理講論の主張と親和性があります。
しかし、福音派はこれらの高等批評を認めていません。
<様式学派、編集史学派>
このような中で、「様式学史派」、「編集史学派」と言われる研究グループが生まれました。
ルドルフ・プルトマンらは、口伝(言い伝え)はいくつかの様式として存在し、教会の実存状況、即ち時代背景となる「生活の座」を論じることが必要であるという「様式学派」を形成しました。 様式学派は、福音書はイエスを史実的に描写したというよりも、イエスを「メシアとして宣言し、宣教したもの」(ケリュグマ)であるとの結論を出しました。つまり、史的イエスと信仰告白としてのイエス、歴史的事実と信仰的事実の乖離であり、福音書によって記述されているキリストは史的イエスではなく、信仰と礼拝ののためのイエスであるというのです。
その様式史研究を更に発展させて「編集史学派」を形成したのがハンス・コンツェルマンらです。 彼は文献の背後にある教会の実存状況の中だけでなく、そのような状況の中で、どのような聴衆に如何なる目的でメッセージを送ろうとしたのか、「聖書記者の主体性」の方に着目しました。即ち、編集史学派は、聖書は執筆者が神学的意図を持って、伝承断片(ペリコーペ)を編集したものと見ました。
各文献の著者は、新しい状況の中で、それ以前にあった文献や伝承に手を加え、新しい時代状況と対象に合ったメッセージに編集するという作業を担ったというのです。 つまり、その積み重ねによって聖書ができ上ったので、聖書を読み解くには「編集史」という視点から読み解かなければならないとしました。
例えば、マルコ伝に出てくる三箇所の受難予告「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちに捨てられ、また殺され、そして三日の後によみがえること」(マルコ8.31、9.30、10.33)は、人類の罪を背負って十字架にかかるためにイエスが世に来られたことを理由付けるために、事後に挿入された編集句だというのです。
これを「編集史学派」といい、現代の最先端の研究方法であります。 これによって、何がイエスの真言で、何が著者の手による編集句かが相当の確度で判別できるようになりました。即ち、何がイエスの真言で、何が著者の手による編集句か、伝承断片を福音書という一個の文書に如何に編集したか、福音記者を編集者としてみて、その神学を解明しようとしたものです。つまり、福音書は手の込んだ神学的著作であるというのです。
<文書仮説とは>
さて、高等批評の典型となる研究にドイツの聖書学者ユリウス・ヴェルハウゼン(1844~1918)の「文書仮説」があります。
イスラエル人は、トーラーと呼ばれるモーセ五書(律法)は、神がモーセに啓示したもので、モーセが書いたもの(あるいは編集したもの)であると信じ、律法の中に神を見てきました。しかしヴェルハウゼンらは、モーセ五書はモーセが書いたものではなく、長期に渡る口頭伝承や諸文書を編集したものであるという「文書仮説」説を唱えました。
つまりトーラーはバビロン捕囚前後に信仰的な神学者や祭司ら(イスラエルの残りの者)によって書かれ編集された書であるという見解であります。これは「モーセ五書はモーセが書いた」とするユダヤ教や、キリスト教保守派の伝統的な主張と異なっていますが、今ではほぼ定説になっています。
この文書仮説とは、18〜19世紀に、聖書の矛盾点を整合化する試みから発展したもので、モーセ五書には4種の原資料があるとされ、これが、J (ヤハウィスト資料)、E (エロヒスト資料)、D (申命記史家)、P (祭司資料)と呼ばれる4つであります。
J (Jahwist )資料は前950年頃にユダ王国で書かれ、E ( Elohist) 資料は前850年頃に北イスラエル王国で書かれ、D (Deuteronomium)資料は前7世紀のユダ王国の宗教改革時に書かれ、P ( Priesterschrift)資料は前550年頃のバビロン捕囚以降に書かれたとされています。
例えば創世記1章、2章は神の天地創造の物語ですが、、創世記1章~2章3節までは、神の名を「エロヒム」(神)と呼び、2章4節からは「ヤハウェ」(主なる神)と呼んでいます。エロヒムとは超越的な天地を創造した神の名であり、ヤハウエは救済の神(契約の神)で、前者がいわゆるP(祭司)資料からのものであり、後者がJ(ヤハウィスト)資料からのものとされ、それぞれP資料、J資料によって編集されたという訳です。
創世記には、特に祭司資料においていくつかの点でバビロニア神話との類似点が見られ、バビロニア神話を含む当時の先行する神話を素材にして、それらを換骨奪胎し、新しい天地創造物語を作り出したというのです。バビロニアの創造物語はBC1500年頃に作られたと言われており、この祭司記者たちはその内容を知っていて、それを弁証法的に否定し、それを乗り越えるかたちで神ヤハウェを受け止め直して記述しました。
言わばバビロニアの神話に対抗する形で、自分たちの信仰書を作り出し(創造信仰)、このバビロン捕囚という民族の未曾有の危機状況から再び生きる力を生み出していったというのです。勿論、背後で神の霊感が記者らに働かれたことは言うまでも有りません。
前記しましたように、聖書批評学では、モーセ五書に限らず、聖書は、いつ誰が、どのような時代背景の中で、どういう意図のもとに、誰に向かって書かれたのかという問題提起がされています。ただ色々な見解があり、未だ決着を見ていないのが実情であります。しかし、聖書には隠された奥義があり、誰が如何に書いたのかということよりもさることながら、その奥義の真の意味を探ることが肝要だと思われます。
【聖書批評学の影響】
宗教改革の理念や正統主義神学を支えていた聖書主義は、聖書を客観的、理性的に分析する聖書批評学の勃興によって一大打撃を受けることになりました。聖書を霊感を受けた誤りなき神の言葉と位置付けていたそれまでの神学は、ズタズタに引き裂かれ、聖書主義は重大な帰路に立たされたというのです。特にインテリは教会から離れ、教会は建て直しを迫られました。
これら聖書批評学の上に聖書解釈学が始まり,与えられた聖書記事の意味を理解するための方法や規則等が確立され,この理論に基づいて聖書釈義という実際の作業が行われることになりました。このように聖書批評学は聖書解釈学と切り離せない関係にあるというのです。
こうして聖書解釈や聖書観について議論が百出する時代に突入し、自由主義神学や福音主義神学、そして新正統主義神学が生まれていきました。
以上の通り、聖書批評学を見てきましたが、このような聖書自体の混乱の原因は、結局、イエスが、生前自ら書いた文書を残さなかったこと、また教義として確定していなかったことに起因するものと言えるでしょう。しかし幸いにも原理は、UC創始者自身が、生前に書き残したり、語ったりして、自ら確認し確定した文書が膨大に有り、従って、聖書批評学のような学問は不必要だということになります。
次回は、聖書批評学の成果を引き継ぎつつ、こういった聖書の混乱を収拾するべくして生まれた自由主義神学について論考いたします。(了)
上記絵画*エルサレム入城(ジョット・ディンボンドーネ画)
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