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キリスト教神学についての考察⑪ 近現代神学の歴史と思想(6) 解放の神学とは

🔷聖書の知識190ーキリスト教神学についての考察⑪ー近現代神学の歴史と思想(6)ー解放の神学とは


こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。悲しんでいる人たちは、さいわいである、彼らは慰められるであろう。(マタイ5.3~4)


前回まで、宗教改革以来のプロテスタント正統主義から始まり、自由主義神学、ついで新正統主義神学を論じてきましたが、今回からポスト新正統主義とも言える20世紀後半の「現代神学」について解説することにいたします。


【現代神学の新潮流】


即ち、第二次世界大戦後から1960年代のころ、プロテスタント神学を統御していたのは、バルト、ブルンナー、プルトマン、ティリッヒ、ニーバーなどの新正統主義神学者(弁証法神学者)でした。しかし、神の主権や神の啓示を強調する人間観や悲観的歴史観に飽きたらない人々、神の決定的な自己啓示がイエス・キリストにおいて起きたといった「キリスト一元論」に飽きたらない神学者が新潮流を起こしていきました。


1960年代の「世俗化」を受けて、20世紀後半から今にいたる50年あまりの神学潮流として、解放神学、フェミニスト神学、ポストモダン神学、そして宗教右派の神学などが生まれました(栗林輝夫著『現代神学の最前線』新教出版社会P13)。


特に宗教に無関心な世俗化の問題は深刻で、西洋では信徒数が激減し、礼拝出席率も4%~5%となり、主流派教会の衰退が顕著になりました。一方、20世紀後半から21世紀前半の現在に至るまで、キリスト教の中心点・成長点は西洋から、アジア、アフリカ、ラテンアメリカなど非西洋世界に大きくシフトし、これらの地域では信者数は激増しています。


そして、定番なき神学的無政府とも言える状況が生まれました。これらの潮流は、ポストバルト、ポストモダン(超近代)などと呼ばれ、それは多様性、多元化、宗教間対話に象徴されます。


そこで、1960年代以降形成されてきた、解放の神学、黒人神学、フェミニスト神学、終末論の新しい解釈、宗教の神学、環境の神学など、近年の神学的潮流を、それぞれが成立してきた時代的・社会的背景と共に概観していきたいと思います。


【解放神学】


今回は先ず最初に、「解放神学」について解説いたします。

解放の神学(Liberation theology)とは、第2バチカン公会議(1962年~1965年)以降に、ペルー出身のドミニコ会のカトリック司祭・神学者であるグスタボ・グティエレスら、主に中南米のカトリック司祭により興った神学の運動をいいます。イエスを解放者と見るなど、主に南米の貧困や抑圧からの解放を、独自の聖書解釈、即ち抑圧された者の視点から再解釈することによって実践しようとしたもので、キリスト教社会主義の一形態と言うべき神学であります。


<時代背景>


16世紀にスペインとポルトガルが南米に進出し、 当初、文明化の名目の元に、収奪や抑圧が行われ、貧困が進みました。一方、軍事力を背景に、イエズス会を中心に、強制的改宗を含む宣教が行われ、18世紀末までには広範囲にキリスト教化(カトリック化)が進みました。その後ラテンアメリカは、独裁政権と相俟って、圧倒的多数の民衆が、常に厳しい困窮へと追いやられた大陸でした。


第2バチカン公会議において、諸教会の一致、諸宗教との対話、教会と現代社会との対話などカトリックの現代化が打ち出され、従来の「教会の外に救いなし」といった方針からの大転換が行われました。


このような時代背景の中で、1968年、コロンビアにおいて南米司教協議会(CELAM)が会議を開き、「教会は貧しい人々の側につく」と宣言しました。そして1971年、ベルーの神学者グスタブォ・グティエレスは、『解放の神学』を著し、解放神学は、その神学的基礎が与えられました。


<解放の神学の特徴と批判>


解放の神学は「神は明らかに貧しい人々の側に立つ」とし、貧しい者、抑圧されている者へ向かうとしました。また、実践への批判的な考察を行い、神学は社会や政治から切り離されるべきでないとし、古典的神学は、行為を考察の結果とみなすが、解放の神学は、行為があって考察が後に続くとし、「神学は世界を説明するのを止めて、変革し始めなければならない」と主張しました(マクグラス著『キリスト教神学入門』キリスト新聞社P331)。


解放の神学者は、マルクス主義を資本主義の矛盾を突く「社会分析の道具・社会変革の政治的指針」と見なし、「マルクス主義の批判的な活用」に活路を見出だしました。


しかしアメリカ政府は、解放の神学を「アメリカへの政治的脅威」と位置付け、キリスト教保守派は「アメリカの自由とプロテスタンティズム文化への脅威」と決めつけました(栗林輝夫著『現代神学の最前線』P114)。またバチカンからは、「解放の神学はマルクス主義理論に依拠し、キリスト教とマルクス主義の罪深い提携だ」「マルクス主義方法論をベースにした共産主義だ」と批判されました。


しかし解放の神学は、「神が貧しい人々の側に立ち、貧しい人々と交わるのは福音の示すところである」と主張し、キリスト教神学の構築において、トマス・アキナスがアリストテレスの哲学を用いたように、世俗のマルクス主義を活用しているに過ぎないと弁明しました。


解放の神学は、救済を「解放」と捉え、堕落して罪深く、贖いを必要としているのは、個人よりも抑圧する社会構造にあるとしました。即ち、聖書が示す出エジプト(奴隷からの解放)、預言者の権力批判、聖書の弱者救済思想、イエスの貧者への思いやり(マタイ5.3~4)などを強調し、聖書を「解放の物語」として読んだというのです。


しかし第265代教皇ベネディクト16世は、解放の神学の強い反対者として知られ、バチカンは、解放の神学が救済をこの世的な事柄に引き下ろし、救済の超越的、永遠的性格を無視したと批判しまし(マクグラス著『キリスト教神学入門』P333)。


ともあれ、解放の神学が、貧困と抑圧という社会悪に対して、聖書的視点から、一つの問題提起をしたことは確かです。


原理講論総序には「初代教会の愛が消え、資本主義の財欲の嵐が、全ヨーロッパのキリスト教社会を吹き荒らし、飢餓に苦しむ数多くの庶民たちが貧民窟から泣き叫ぶとき、彼らに対する救いの喊声は、天からではなく地から聞こえてきたのであった。これがすなわち共産主義である」とあり、また「彼らの実践を凌駕する力をもたず、彼らの理論を克服できる真理を提示し得なかったキリスト教は、共産主義が自己の懐から芽生え、育ち、その版図を世界的に広めていく有様を眼前に眺めながらも、手を束ねたまま、何らの対策も講ずることができなかったのである」とあります。


つまり、現代キリスト教は、貧困・差別・抑圧といった資本主義の負の部分への解決策を示し、世界平和実現への実践的な方案を提示する能力が求められているというのです。

以上、現代神学の内、解放の神学を解説いたしました。次回は「黒人神学」について考えたいと思います。(了)

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