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クリスチャン金子道仁議員との質疑応答に思う 国家朝餐会の勧め 

◯徒然日誌(令和6年8月7日)  クリスチャン金子道仁議員との質疑応答に思う 国家朝餐会の勧め 

 

しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である。(1ペテロ2.9)

 

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(論語・里仁 )とは、今日、真理と出会うことが出来れば、その晩に死んでも心残りはないという意味である。前回の徒然日誌でも述べたが、「神の言葉」は私たちの唯一最大の財産であり、「聖書・原理講論・天一国三大経典」に代表される神の言葉は、私たちの掛け替えのない財産であり羅針盤である。 

 

この神の言葉と出会い、出会うだけでなく理解し、理解するだけでなく受肉することが出来れば、もはや人生に悔いはない。そしてこの信仰のあるところ、神は必ず万事を益とされ、私たちを養って下さる。神はキリストを通して神の言葉を与えて下さったので、この神の言葉を通して、キリスト(真の父母)を知り、神を所有し、永遠に至ることが出来るのである。 

 

「あなたがたが新たに生れたのは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変ることのない生ける御言によったのである。人はみな草のごとく、その栄華はみな草の花に似ている。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は、とこしえに残る」(1ペテロ1.23~24)

 

さて先週、筆者はあるクリスチャンの集会で、金子道仁(かねこ みちひと、1970年生れ)参議院議員と懇談する機会があった。金子氏は、前回の参議院選挙(2022年7月10日)で、日本維新の会から全国区比例代表で立候補し当選した現役の牧師である。 

 

金子氏は東大法学部を卒業後、6年間外務省で勤務した。その後、リバイバル聖書神学校の通信教育で神学を学び、1998年11月より妻の実家であるグッド・サマリタン・チャーチ(兵庫県川辺郡猪名川町)の牧師を務めている。 

 

金子氏は牧師という立場での国政挑戦について複数の政党に意向を伝えていたところ、候補者を公募していた日本維新の会から擁立の打診があり、日本維新の会の比例区候補者として立候補し、キリスト教会の支援を受けて当選したものである(日本維新の会比例代表、得票数36944標6位)。金子氏は選挙期間中、精力的に全国のキリスト教会を回り、支持を訴えた。 

 

【質疑応答】 

 

では金子氏は、何故外務官僚を辞めて牧師になったのだろうか。その原因は金子氏の妻にある。金子氏は大学在学中に実家が教会でクリスチャンホームに育った女性と出会い、洗礼を受けた。その女性は後に金子氏の妻になるのだが、妻の両親は、共にグッド・サマリタン・チャーチの牧師であり、妻は生粋のクリスチャンであった。 

 

外務省に入って落ち着いた22才の金子氏は、満を持してプロポーズをするが、「私は牧師の妻になると決めており、外務官僚の妻にはならない」ときっぱり。この時金子氏は、この女性の信仰は本物だと感じたという。もともと金子氏は、定年後に牧師になろうと考えていたのだが、結局、6年後(28才)に外務省を辞して牧師になった。現在、4男4女の父。 

 

ところでこの日筆者は、金子氏に「LGBT理解増進法」について質問をした。ちなみにLGBTとは性的マイノリティ(少数派)を表す言葉で、レズビアン(Lesbian、女同士)、ゲイ(Gay、男同士)、バイセクシャル(Bisexual、男女双方)の3つの性的指向とトランスセクシャル(Transsexual、性自認・性同一性障害)の略称である。 

 

筆者は次の通り質問した。 

 

性的少数者を差別することは控えるべきであるが、聖書は同性愛が罪であることを随所に明記している(レビ18.22、ロマ1.26~27、他)。また創世記には「神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された」(創世記1.27)とあり、「人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」(創世記2.24)とあるように、男女間の性愛と結婚が唯一の聖書的結婚観であり、同性愛・同性婚は否定されている。 

 

この度のLGBT法案は、聖書の結婚観に違背するだけでなく、背徳の同性愛にお墨付きを与え兼ねない法案であり、今の日本には不必要な法案であると思うが、金子氏の牧師としての見解をお聞かせ願いたい。 

 

この質問に対して金子氏の回答は次のようであった。 

 

日本維新の会は、自民党から出された法案では問題が多いと考え、3点の修正を求めた。 

 

①女性の安全や権利保護に配慮するため、「全ての国民が安心して生活することができることとなるよう、留意」との文言を盛り込み、急進的なLGBT条例が各地で制定される状況に歯止めをかけた。 

 

②学校などでの教育に際して、「家庭および地域住民その他の関係者の協力を得つつ」との文言を加えた。 

 

③いわゆる公金チュウチュウがはびこることがないように、「民間の団体等の自発的な活動の促進」との表現を削除した。特定の団体が行政からの補助金を受け続けるといった事態を防ぐ狙いがある。 

 

上記の修正を加えることで恣意的な運用に歯止めが期待できると考え、当該法案に賛成の票を投じた。しかし、牧師金子道仁としては、LGBT法案には反対である。だが、同性愛者であっても教会に来ることを排除せず、包み込んで真摯に向き合っていく。 

 

以上が筆者と金子氏の質疑応答だったが、金子氏は支持母体のキリスト教信者から、LGBT法案採決に際して、「何故、欠席か退席をしてキリスト教徒としての態度を明確にしなかったのか」という批判を受けている。 

 

金子氏は、温厚な人柄と見受けられ、維新の修正でよりよく是正されたのだから、法案に賛成したことを理解して欲しいとの思いが滲み出ていた。金子氏はまだ新人であり、維新の党議に逆らえない事情があることは痛いほど分かるので、筆者はそれ以上、追及しなかった。金子氏の側近から、国会議員などを中心とした「国会朝祷会」(国政報告会)があるので、一度、顔を出して下さいとの誘いがあった。 

 

金子氏は、牧師という立場をはっきり出して議員活動を行っており、アリのような歩みだが、国会会期中には、定期的にクリスチャンの国会議員の集まりをしているということだった。「議員会館のあの部屋に行ったら牧師さんがいるから、福音を聞きにいこう。祈ってもらおう。そんなふうにいろんな方が寄ってきてくださる。そんな永田町の教会を目指しています」と抱負を述べている。 

 

しかし、アメリカや韓国と違って、日本ではキリスト教は極めてマイノリティーなので、「クリスチャン国会議員の会」が出来るのは、現状ではハードルが高い。プロテスタントのクリスチャンとして著名な石破茂議員は国会朝祷会にはたまに出席するが、キリスト教徒としての議員活動は行っていないということだった。石破氏は、「熊本バンド」の一員であった牧師の金森通倫(みちとも)を曽祖父に持ち、それから数えて4代目のクリスチャンであるという。石破氏は次期自民党総裁の有力候補の一人であり、キリスト教徒石破氏のUCへの姿勢が気になるところである。 

 

さらに金子氏は、旧統一教会問題に対応する維新の会のタスクフォースにも、メンバーに加わっているという。宗教法人に関わりを持つ牧師として、発言すべきことがあるのではないかという思いで加わり、「旧統一教会の信徒が、最終的に社会に戻ってこられるところまで対策を進めていきたい」と抱負を述べている。筆者はタイミングを見て金子氏と会い、ハードルは高いと思うがUCの解散請求問題で、「信教の自由を守る宗教者の会」(仮称)の呼び掛けをしたいと祈念している。 

 

【国家朝餐祈祷会】 

 

さて、アメリカや韓国では「国家朝餐祈祷会」が毎年開催され、国家の平和と繁栄を祈る伝統がある。 

 

米国の国家朝餐祈祷会は1953年、ドワイト・アイゼンハワー大統領の音頭で開催され、毎年2月の第1木曜日に開催される。2024年で72回目を迎え、牧師が説教し、歴代の現職大統領を初め国家の要人が出席するのが伝統になっている。 

 

また韓国でも1966年から「国家朝餐祈祷会」が毎年開催され、祈祷会には、大統領の他、国会議長、与党トップ、ソウル市長ら、主要な政治家も出席する。第50回となった2018年は、歴代最多の5千人が参加した。2024年の朝餐祈祷会で尹大統領は、「国家朝餐祈祷会は過去56年間、祈りと献身で韓国社会の各所に明かりをともし、国の大きな力になってきた」と語った。 

 

では日本ではどうか。日本では、世界にネットワークを持つ民間ビジネス宣教団体「日本CMBC」が2000年から毎年朝餐祈祷会を主催している。2022年の第22回の朝餐祈祷会では金子道仁氏がクリスチャン政治家としてスピーチを行ったが、アメリカや韓国と比べて質量共に規模は小さく、国家主催的な位置付けもない。 

 

また、2023年、日本と世界の平和のためにクリスチャンが教派を超えて祈る「日本国家祈祷会」が大阪市内のホテルで開かれ、全国から約300人が集い、この国家祈祷会にも金子道仁氏はメッセージを語り、石破茂氏もビデオでメッセージを送った。しかし、やはり民間主催であり、アメリカや韓国に見られるような、国家元首が参加する国家朝餐会が日本にも必要である。 

 

【アメリカ大統領の信仰】 

 

日本では国会議員のクリスチャンは極少数であるが、アメリカでは格段に多く、まさに宗教国家である。 

 

「アメリカは神の特別の使命のもとにあり、神に源を持つ自由と民主主義を世界に拡散していくことがアメリカの使命である」とのアメリカ的選民観は、歴代大統領に共通する信条であり、これが「マニフェスト・ディスティニー」(Manifest Destiny 明白な天命) であり、「コーリング」(Calling 天命)と言われているものである。 

 

即ち、宗教が政治に深く関わる現実こそアメリカの社会と国家の在り方であり、アメリカ型の自由と民主主義を世界に拡大することこそアメリカに託された神の意思であるとの信念に貫かれている。建国以来、アメリカの大統領は国の「祭司」であり、国民を慰め励ます「牧師」であり、国民を奮い立たせる「預言者」であった。(栗林輝夫著『アメリカ大統領の信仰と政治』キリスト新聞社P15)

 

各大統領が所属する教会は、バプティト派、メソジスト派、長老派、聖公会、会衆派、カトリックと色々だが、大別すると、カーター、クリントン、ブッシュは信仰深い「ボーンアゲイン型」、ワシントン、ジェファソン、リンカーン、アイゼンワー、レーガンは「市民宗教型」であると言えるだろう。 

 

ちなみに 「市民宗教」とは、宗教社会学者のロバート・ベラーが唱えた言葉で、敬虔な聖書的伝統の「ピューリタリズム」、世界に特別な使命を持つ国とする「聖書的選民観」、星条旗に忠誠を誓う「愛国心」が融合した、教会の垣根を超えた「アメリカ的霊性」(アメリカ教)である。国民がこの信条を基礎にして国を盛り立てていくのがアメリカ精神であり、日本で言えば、「日本的霊性」(日本教)と呼ばれる概念と言える。 

 

そして偉大なアメリカの大統領は祈りの人であり、在職中の日曜礼拝はほとんど欠かしたことかなく、また、演説には必ず聖書を引用した。 

 

ワシントンは独立戦争の最中、アメリカに寄せられる神の大いなる摂理を体感し、一人で神に祈ることが日課だったという。1789年の大統領就任演説で 「アメリカ人ほど神の見えざる摂理の導きを尊ぶ国民はいない」と述べ、ワシントンは、このアメリカ教とも言うべき「市民宗教」を体現した最初の大統領で、アメリカのモーセと讃えられた。 

 

またリンカーンは聖書に精通し、まるで牧師が聖書を解くように国民に語りかけ、独立宣言、合衆国憲法、そして聖書を尊び、「アメリカの預言者」「市民宗教の神学者」と呼ばれた。リンカーンの信仰について、神学者のニーバーは、「20世紀の如何なる政治家よりも真摯な信仰の持ち主だった」と証言した。 

 

更にアイゼンハワーは、両親が篤実なクリスチャンで、1953年に長老派教会で正式に洗礼を受け、大統領就任後は欠かさず礼拝に参加し、「私ほど宗教的な人間はいない」と公言している。また国家朝餐祈祷会を創設した。 




 

一方、カーターは福音派の牧師の経歴を持つボーンアゲインした大統領であり、初仕事がホワイトハウスの執務室に祈祷室を作ることだったという。多忙な選挙期間中でも、就寝前には必ず聖書1章を読む日課を欠かさ無かったと言われている。 

 

クリントンは、生まれる前に実父が亡くなり、義父はアル中で家庭的に恵まれず、少年時代の唯一の慰め場としたのがバプティスト教会だった。彼はここで安らぎを見出し救いの回心体験をした。 

 

またブッシュ(ジュニア)は、事業の失敗とアル中で苦しんだが、40才代で回心を体験し神を確信して立ち直った。 

 

そしてトランプはプロテスタント長老派のクリスチャンで、「アメリカは祈りによって支えられている国」と述べ、「神無き民主主義には如何なる生産性もない」と断言し、聖書に基づいてイスラエル擁護を明確にした。トランプの「Make America Great Again」というスローガンの真の意味は、アメリカをもう一度「神に選ばれた特別な国」、「自由と民主主義の宣教師」に復活しようという意気込みであると筆者は理解した。 

 

このように、歴代の大統領は、市民宗教の体現者として、あるいはボーンアゲインを体験した信仰者として、まさに篤実なキリスト者というアイデンティティーの持ち主だったのである。 

 

歴代アメリカ大統領は、いわゆる「メンター」と呼ばれる牧師などによる「霊的アドバイザー」をホワイトハウスの顧問にしてきた。ビリーグラハムは戦後の歴代大統領の霊的顧問であり、韓鶴子総裁主宰の世界聖職者協議会(WCLC)設立集会で祝辞を述べたポーラ・ホワイト牧師は、トランプ大統領の重要なメンターである。 

 

【日本の政治家の信仰】 

 

翻って日本の政治家はどうだろうか。日本の政治家の演説から、先ず「神」という単語を聞くことはなく、ましてや聖句の引用などは論外である。前述した金子道仁議員などはまさに例外である。 

 

しかし、大平正芳氏は敬虔なクリスチャンであり、麻生太郎氏のカトリック洗礼名はフランシスコである。前述した石破茂氏の家系は歴代クリスチャンで本人もプロテスタントの洗礼を受けている。また、石橋湛山氏は僧籍を持ったまま首相を務め、綿貫民輔氏は神主でありながら衆議院議長を務めた。 

 

皇室では、美智子上皇后はカトリックの聖心女子大学で学び、雅子皇后もカトリックの雙葉学園(ふたばがくえん)で学ばれ、両者キリスト教の影響を強く受けておられる。また、佳子内親王は国際基督教大学(ICU)で学ばれた。 

 

こうして見ると日本にも「み言」の種はある。1ぺテロ2章9節に、「あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民である」とある通り、日本もアメリカと同様、名実共に神の摂理を担う国になりたいと思う。よい政治にはよい宗教が欠かせず、UCは日本の政治のメンターの役割を果たさなくてはならない。その意味で、岸田首相の「UC断絶宣言」は、まさに政治の自殺行為に他ならない。そしてこれからの日本の政治家は、最大の同盟国であるアメリカ大統領とその政権のキリスト教信仰を理解するべきであり、この理解なくしてアメリカの世界政策を真に理解することは出来ない。 

 

以上、今回は政治(家)とキリスト教の関係を概観した。日本には神社界を母体として1969年に結成された神社本庁のロビー活動団体である「神道政治連盟」があるが、これからは、超宗教的な「宗教政治連盟」(仮称)が必要であり、首相も参加する国家朝餐会が願われる。とりわけ金子氏など、クリスチャン国会議員の奮起に期待したい。(了)    牧師  吉田宏

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