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創世記 註解④ ノア契約 ー聖書における契約思想について

🔷聖書の知識61-創世記注解④-ノア契約ー聖書における契約思想について


そして神はノアに言われた、「これがわたしと地にあるすべて肉なるものとの間に、わたしが立てた契約のしるし(虹)である」(創世記9.17)


ノアを中心とした救済摂理における論点として、「ノア契約」(創世記9.1~17)があります。聖書には、神がある特定の人物、ある選らばれた民族(選民)と契約を交わされる場面が度々出てきます。そこで今回はノアの聖書記事に初めて出てくる「契約」という言葉に着目し、「聖書における契約とは何か」を考えることにいたします。


さて聖書66巻には、聖書を貫く一貫した思想性があります。三大思想とも言うべき唯一神思想、メシア思想、贖罪思想がそれであり、その他に、契約思想、選民思想、弱者救済思想、預言者の批判精神などがあります。今回はその内、契約思想についての考察です。


旧約、新約の「約」とは契約を意味しており、聖書は、「契約の書である」という視点から見ることもできます。即ち、神と人間の関係が契約という関係で表されているということであります。神と個人、神とイスラエル選民が契約の双方の当事者となりました。


そしてこのような神との契約観念は、他のどの宗教にもありません。元最高裁長官で内村鑑三の無教会派の系譜を引く藤林益三氏は、著著『聖書と契約』の中で、「聖書の中で最も重要なことは、神と人間との関係が契約でもって表されていることです」(P87)と語っています。


このように聖書の契約は神と個人、神と民族との契約が基本ですが、他に、ヤコブとラバンの契約(創世記31・44~)、アブラハムとアビメレクの契約(創世記21・25~)、イサクとアビメレクの契約(創世記26・27~)、ダビデとヨナタンの契約(1サムエル18・1~)、部族と部族の契約(1サムエル11・~)、王と民の契約(1列王記11・1~)、などもあります。


神との契約において、聖書における重要な契約は、エデン契約、ノア契約、アブラハム契約、モーセ(シナイ)契約、ダビデ契約、新しい契約、の6つであり、以下、この6つの契約について見ていくことにいたします。その中でも、モーセ契約とダビデ契約が最も重要な契約だと言われています。その内、アダム契約、ノア契約、アブラハム契約、ダビデ契約は無条件契約といわれ、これは相手の対価を必要としないいわゆる片務契約であり、契約というより、神の一方的な約束、宣言というべき性質のものであります。


一方、エデン契約、モーセ契約、ヨシュア契約、ヨシア契約、エズラ契約は、双方が権利・義務を負う条件契約、即ち双務契約であり、この契約が契約らしい契約といえるでしょう。


そしてイスラエルを取り巻く諸問題は、すべて彼らが神と結んだとされる「契約」から発し、この契約があったからこそ、ユダヤの民は神の「選民」になったのであり、また迫害の原因ともなりました。ただ神との関係は、本来創造主との人格的な交わりに基礎を置くもので、契約という言葉はやや堅苦しい印象があり、契約というより相互の「約束」乃至は「誓約」という言葉が相応しいと言えるでしょう。


[エデン契約]


「契約」という言葉は、ヘブル語で「ベリース」といい、旧約聖書に285回出てくると言われています。先ずエデン契約から見ていきましょう。


「神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ』(創世記1・28~30)


「主なる神はその人に命じて言われた、『あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう』」(創世記2:16~17)


神は人類を祝福したあと、最初の戒律「とって食べるな」を与えられました。このエデン契約は双務契約、即ちアダムに履行すべき義務がある契約であります。


[ノア契約]


神は、全人類の代表としてノアと契約を結ばれます。創世記9章1節~13節が該当聖句です。

「神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ。 地のすべてはあなたがたの支配に服す』。神はノアおよび共にいる子らに言われた、 『わたしはあなたがた及びあなたがたの後の子孫と契約を立てる。わたしがあなたがたと立てるこの契約により、すべて肉なる者は、もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう。 すなわち、わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる』」(創世記9・1~13)


こうして神はノアと契約を結ばれ、ノアをアダムのように祝福し、生き物を主管すること、生き物を食糧としてよいこと、地を滅ぼす洪水は再び起こさないこと、などを約束されました。


そして神はノア契約のしるしとして「虹」をおかれました(9・17)。「しるし」は、すべての契約にあるわけではなく、アブラハム契約では、「割礼」がしるしとなり(創17・11)、モーセ契約では「安息日」がしるしとなり(出31・16、17)、そしてノア契約では「虹」がしるしになりました。


なおノア契約の中に「しかし肉を、その命である血のままで、食べてはならない」(9・4)という戒律があり、この聖句はエホバの証人の輸血拒否の根拠になっています。


[アブラハム契約]


聖書における契約概念を重視し、それを教会の神学の中に位置付けるのはプロテスタント改革派(カルバン)の特色であり、ルター派にはありません。


そして改革派にも契約に関しては二つの流れがあります。一つはツヴィングリで、アダムにおいて契約が始まると見、歴史全体を契約の観点から捉えます。もう一つの流れはカルバンの系列で、アブラハムに始まる契約こそ本来の契約、すなわち、召しに基くものとして把握します。


神はアブラハムとの間に契約を交わされ、土地を与える約束、子孫繁栄の約束、そして祝福の基となる約束をされました。(無条件契約、片務契約)


「時に神はアブラムに言われた、『あなたは国を出て、わたしが示す地に行きなさい。 わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大きくしよう。あなたは祝福の基となるであろう。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地のすべてのやからは、あなたによって祝福される』」(創世記12・1~3)


上記の聖句が、アブラハムの「召命」であり、神の約束内容でした。その後神は何回かアブラハムに繰り返し語りかけられます。そして本題のアブラハム契約は15章と17章に出て来ます。


「そして主は彼を外に連れ出して言われた、『天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい』。また彼に言われた、『あなたの子孫はあのようになるでしょう』。 アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。彼は言った、『主なる神よ、わたしがこれを継ぐのをどうして知ることができますか』。 9主は彼に言われた、『三歳の雌牛と、三歳の雌やぎと、三歳の雄羊と、山ばとと、家ばとのひなとをわたしの所に連れてきなさい』。その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、『わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで。すなわちケニびと、ケニジびと、カドモニびと、ヘテびと、ペリジびと、レパイムびと、アモリびと、カナンびと、ギルガシびと、エブスびとの地を与える』」(創世記15・5~21)


上記の通り、動物を裂いてする厳粛な儀式を行って、子孫の繁栄と土地授与の契約が締結されています。


「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多くの国民の父となるであろう。あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである」(創世記17・4~10)


こうしてアブラハムが多くの国民の父となること、カナンの土地を永久に所有すること、全能の神があなたの神になる祝福、この3つの約束が示されています。そしてこれらの契約はノア契約と同様、アブラハムの義務を伴わない無条件契約でした。


族長時代には上記の他に、イサクとの契約(創世記26・2~5)、ヤコブとの契約(創世記28・13~15)があります。 


[モーセ契約(シナイ契約)]

モーセによって、ヤハウエとイスラエルの間に根本的な契約が結ばれました。すでに神はノア、アブラハム、イサク、ヤコブと個人的に契約を結ばれましたが、モーセに至ってはじめて、民を相手として契約関係に入られたのであり、旧約聖書の中心的契約であります。


以下の契約を交わされ、十戒を与えられます。(条件契約、双務契約)


「さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、『それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。それでモーセは行って民の長老たちを呼び、主が命じられたこれらの言葉を、すべてその前に述べたので、民はみな共に答えて言った、『われわれは主が言われたことを、みな行います』。モーセは民の言葉を主に告げた」(出エジプト19・3~8、申命記15・6~27)


上記の契約に続いて、契約の書と呼ばれる神事法(宗教・礼拝・道徳)と人事法(民事・刑事・社会)が細かく定められています。(出エジプト20・23~23・19)


<モーセ契約の性格>


ノア、アブラハム契約は一方的な神の無条件契約でしたが、モーセ契約は民に守る義務が出てくる条件契約であります。これはヒッタイトの宋主権条約の形式に似て、序文・歴史的叙述・条項・神殿に供託・読み上げ・証人・祝福と呪い、の順になっています。また断言的条項はイスラエル独自のものですが、「もし・・・ならば」という条件的条項はカナンの法を相続したと言われます。


モーセ契約の条項は十戒だけではなく、全部で613(248の積極的命令と365の禁止命令)にものぼると言われています。十戒はそのうち最初の10個ですが、聖書は律法を613全部ひとまとまりのものとして扱っていて、十戒と他の603の命令の関係は、憲法と通常の法令の関係のようなものではありません。


そしてユダヤの選民思想は、主にモーセの律法から派生し、モーセの戒律はユダヤ人に特別に与えられた恩寵であると考えられています。


<十戒についての考察―十戒の解釈と意義>


十戒の前半が神への義務(宗教)、後半が人への義務(道徳・法律)となっています。


1戒は神が唯一であること、2戒は神が霊(目に見えない)であること、3戒は神が神聖であること。4戒は安息日が神の為の時間であること、を示しています。


5戒は神と人の双方への義務で、宗教と道徳の架け橋と言われています。


1戒が基本で、3~4は1を守る垣根ということになります。6~10は5戒を通して4戒までを守るためのもので、殺傷(人)、姦淫、窃盗(財物)、嘘の戒め、最後の10戒は、包括的に内面的の心意、諸欲望の罪を戒めています。


律法には、 宗教・道徳律法(十戒)、祭儀律法(礼拝に関する規定)、民事・刑事・社会律法(民事裁判等の規定)が記されています。宗教・道徳律法は新約時代に引き継がれましたが、祭儀律法と社会律法に関しては廃棄されました。


モーセ5書はモーセ自身が書いたものではありませんが、根本精神はモーセから出ており、キリスト教はモーセ十戒の上に立っています。なお律法は人々をして道徳的破産者であることを知らしめるためのものでもあり、また新約への養育係とも言われています。(ガラテヤ3・24~25)


[ダビデ契約]


以下は、有名なダビデ契約であり、サムエル記はソロモンに、歴代誌はメシアに強調点があると言われています。ダビデの血筋からメシアが誕生するという約束であります。

「主はまた『あなたのために家を造る』と仰せられる。『あなたの身から出る子を、あなたのあとに立てて、その王国を堅くするであろう。彼はわたしの名のために家を建てる。わたしは長くその国の位を堅くしよう。あなたの家と王国はわたしの前に長く保つであろう。あなたの位は長く堅うせられる』」(2サムエル7・11~17)


「わたしは主があなたのために家を建てられることを告げる。わたしはあなたの子、すなわちあなたの子らのひとりを、あなたのあとに立てて、その王国を堅くする。彼はわたしのために家を建てるであろう。わたしは長く彼の位を堅くする。彼の位はとこしえに堅く立つであろう』。ナタンはすべてこれらの言葉のように、またすべてこの幻のようにダビデに語った」(1歴代史17・10~15)


[新しい契約]


いわゆる新しい契約とは神と教会との間で結ばれた契約で、愛の契約、無条件契約であります。古い神とイスラエルのモーセの律法はその役割を終え、キリストの福音による神と教会との新しい契約への転換です。


以下の聖句が新しい契約が示されている箇所であります。


「主は言われる、『見よ、わたしがイスラエルの家とユダの家とに新しい契約を立てる日が来る。この契約はわたしが彼らの先祖をその手をとってエジプトの地から導き出した日に立てたようなものではない。わたしは彼らの夫であったのだが、彼らはそのわたしの契約を破った』と主は言われる。『すなわちわたしは、わたしの律法を彼らのうちに置き、その心にしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる』と主は言われる」(エレミヤ31・31~34)


「一同が食事をしているとき、イエスはパンを取り、祝福してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、『取れ、これはわたしのからだである』。 また杯を取り、感謝して彼らに与えられると、一同はその杯から飲んだ。イエスはまた言われた、『これは、多くの人のために流すわたしの契約の血である』」(マルコ14・22~24)


[律法と福音との関係をどう考えるか]


キリスト教の通説は、モーセ契約(律法)はイエスの新しい契約によって終了したとし、選民はイスラエルから第二イスラエルとしてのキリスト教会に代わったとされます。「旧約に覆いがかかり、そのベールはキリストに帰して初めて取り除かれる(奥義が解かれる)」(2コリント3・12~)とある通りです。ちなみに再臨時代には成約聖徒が第三イスラエルとして契約の当事者になりました。


以下は関連聖句です。


「律法の終わりとなられた」(ローマ10・4)、「ヨハネの時まで」(マタイ11・13)、「成就するためにきた」(マタイ5・17)、「律法は影で本体はキリスト」(コロサイ2・16~17)、「石の板ではなく人の心に書かれたもの」(コリント3・3~11)、「子が来るまで存続するだけのもの」(ガラテヤ3・19~29)、「キリストに連れて行く養育掛」(ガラテヤ3・24)、「キリストは律法を廃棄した」(エペソ2・11~18)、「新たな契約の予兆」(エレミヤ31・32)


モーセの十戒のうち、安息日規定を除く9つはキリストの規範の中にもあります。それは、モーセの律法自体が今も生きているというより、その精神を引き継いでいるのだと言えるでしょう。そうして新しい契約のもとに、イエスを通してのみ救いはもたらされることになりました。


「わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14・6) 


「この方(イエス・キリスト)以外には、だれによっても救いはありません。」 (使徒4・12)


「神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。」(Ⅰテモテ2・5)


以上、聖書における契約及び契約思想について見てきました。神は、個人、民族、教会などいわゆる選民に対して特別な約束(契約)を通して摂理的な関係を持たれて来ました。これが契約と選民の思想であります。


これで、ノアに関する項を終わり、次回から創世記12章以下のアブラハムを中心とした神の摂理を考察していきます。(了)




*上記絵画:ノアとの契約(ドメニコ・モレッリ画)

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