◇聖書の知識34ーリバイバル(霊的覚醒運動)とは何か(まとめ)
もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会うと主は言われる。(エレミヤ書29・13、チャールズ・フィニーの回心聖句)
さて、前回まで私たちは、キリスト教を特徴づける「殉教」と「異端」について学んできましたが、今一つのキーワードは「リバイバル」(霊的覚醒)であります。殉教や異端はやや重いテーマでありましたが、その点リバイバルは復活と希望の象徴であります。
そしてリバイバルは、キリスト教のもう一つの、そして最大の特徴と言え、キリスト教の歴史の中で、カトリック、プロテスタントを問わず、周期的にそして必然的に勃興いたしました。聖書の知識19などでも述べたところですが、ここで再整理し、リバイバルについてのまとめとしておきたいと思います。
1、では、リバイバルとは何でしょうか
リバイバルとは、第一に、我々キリスト教徒・食口が霊的に再生され覚醒されること、即ち信仰の復興です。第二に、それが信者の劇的な増加、教会の成長をもたらすことです。
リバイバルは、先ず原始教会から始まりました。使徒行伝2章4節のペンテコステは、キリスト教最初のリバイバルです。イエス・キリストが十字架で亡くなって、弟子たちが四散したあと、イエスの復活に出会って悔い改めて呼び集められ、異言を伴うベンテコステ(聖霊降臨)につながっていきました。このリバイバルから教会は出発しました。
その後パウロなどによるギリシャ、ローマ社会への福音宣教の浸透も、ギリシャ語の普及、道路網の整備、ユダヤ人シナゴーグの展開などに助けられて成功しました。そしてローマによるキリスト教の公認と、それに続く国教化は、クリスチャンの激増をもたらしました。またゲルマン民族のキリスト教受容もありました。これらは皆、一種のリバイバルと言えるでありましょう。
また、近世の宗教改革に端を発する霊的覚醒は、やはりリバイバルであります。とくにルターの思想はその後のリバイバルの先駆けとなりました。ドイツにはルターのルーテル派、スイスにはカルビンの改革派、イギリスにはバプテスト派(16C)・ピューリタン・メソジスト派(17C)、そしてアメリカでは典型的な数次のリバイバルが勃興しました。
17世紀末ドイツルーテル教会内で起こった敬虔主義(教義偏重を排し内心の敬虔や禁欲を重視)の霊的覚醒運動は、モラビア兄弟団に受け継がれ、それはジョン・ウェスレーに感化を与えてメソジスト派を生みました。さらにメソジスト運動からホーリネス運動、ペンテコステ運動、カリスマ運動へと霊的系譜が受け継がれていくことになります。またアメリカの最初の大覚醒運動にも影響を与えました。
東洋に目を転じますと、北朝鮮では1907年の平壌リバイバルに端を発したキリスト教霊的集団の勃興、1950年の朝鮮戦争勃発後、北から避難してきた大量のクリスチャンによるリバイバル、1970年から20年間に及ぶ韓国でのクリスチャンの激増がありました。世界最大のメガチャーチであるチョー・ヨンギ牧師は、韓国リバイバルの担い手であり、新生・聖霊・神癒・祝福・再臨という5重の福音を掲げています。また黙示録では、大艱難期にイスラエルの悔い改めなど、大リバイバルの預言があります。
我がUCでは、北朝鮮でUC創始者が興南刑務所に収容されるまでの1年余の霊的復興(1946年後半~1948年2月)、梨花女子大学事件前後の教会成長、久保木先生による立正佼正会への布教、などは霊的に高揚した時代です。
そして、1974年と75年、創始者はアメリカ議会において、「アメリカを中心とした神の御旨」と題した講演の中で、「建国精神に立ち返る一大覚醒運動を起こさなければなりません」と語られました。
なお、「リバイバルーその原理と指導者」の著者ジェームズ・バーンズはキリスト教史における次の6つの代表的リバイバルを挙げています。(尾形守著リバイバルの源流を辿る)
a.アッシジの聖フランチェスコを中心とした修道院改革
b.サボォナローラとフローレンスにおけるリバイバル
c.ルターとドイツにおけるリバイバル
d.カルビンとスイスのリバイバル
e.ジョン・ノックス(長老派)とスコットランドのリバイバル
f.ジョン・ウェスレー(メソジスト派)と福音的リバイバル
左から a.聖フランチェスコ c.マルティン・ルター d.カルビン
2、リバイバルには一つのパターンがあります
リバイバル運動は、草の根的な1人又は数人のキリスト者の回心、無名の牧師の回心から草の根運動として始まっています。
その思想は、①悔い改め(repent) ②回心(convertion)、③そして新生(born again)、の3つであります。
先ず、悔い改めの祈りから始まり、回心体験を経て、遂には贖われて新生の高嶺に導かれるというものです。その際、聖霊の役事は不可欠とされています。更に付け加えると、①聖霊のハプテスマの強調、②形式に拘らない大衆的情熱的説教、③超教派的運動、④躍動的な歌と踊り、そして使徒的教会への原点回帰であります。
イギリスのジョン・ウェスレーやアメリカのチャールズ・フィニーのように劇的ではありませんが、筆者にも過去4つの回心体験らしきものがあります。
本心に臨在する神との出会い(22歳、1コリント3・16)、内在する罪(原罪)との邂逅(23歳、ローマ5・12)、命としてのみ言葉の発見(27歳、ヨハネ10・4)、どん底での聖書との出会い(70歳、ピリピ3・8)、がそれであります。こうして見ると、「三つ子の魂百まで」の通り、基本となる信仰の骨格が20歳代に形成されたということが分かります。そして今、聖霊のバプティスマによる最終的な成約的回心の訪れを待ち望んでいます。
3、しかし、何と言っても典型的なのはアメリカのリバイバルです
アメリカキリスト教(プロテスタント)の最も注目すべき特色は、周期的に信仰を改革し、回復させるリバイバル(大覚醒)の勃興であります。過去、3回~5回のリバイバルがありました。
第1次リバイバル(1730~1740)
敬虔主義の流れを汲むオランダ改革派の牧師フリーリングハイズン、ウェスレーの友人であるメソジスト派牧師のホイットフィールド、会衆派の牧師ジョナサン・エドワーズ(1703~1758)などにより、移民後100年が過ぎ、信仰が沈滞・形骸化し霊的な力を失っていた教会に霊的覚醒(回心)が起こりました。この「大覚醒運動」で、バプテスト派やメソジスト派、長老派が成長していき、アメリカ人というアイデンティティー(市民宗教)が生まれていきました。
第2次リバイバル(1800~1840年)
第2次リバイバルは、独立後、冷めてしまった信仰や、理神論やフランス革命の啓蒙主義の影響で萎んでいた霊性を蘇生させようとする運動です。このリバイバルは、キャンプ・ミーティング(野営天幕集会)などで行われ、指導者としてチャールズ・フィニー(1792~1875)、が有名です。
フィニーは1921年10月10日(29歳)、エレミヤ書29章12節~14節の「もしあなが一心にわたしを尋ね求めるならば、 わたしはあなたがたに会う」の聖句に感応し、聖霊のバプティスマを受け、劇的な回心を遂げました。フィニーは神に激しく求めたのです。そしてその原点には、彼自身の、罪に対する深刻な悔い改めと聖霊との出会いの経験がありました。
第3次リバイバル(1850年~1900)
第3次リバイバルは、南北戦争前後の混乱の中で、中断した信仰復興を甦らせることになりました。ドワイト・ライマン・ムーディーが中心になります。ムーディー(1837~1899)はまともな学校教育も受けず、神学校にも縁がなく無学でしたが、靴屋で働いていた時(18歳)、回心を体験しています。
ペンテコステ運動の勃興(1906年~)
新たなリバイバルとも言えるペンテコステ運動は、1906年ロサンゼルスのアズサ通りで起こった異言を伴う聖霊運動のリバイバルです。ホーリネス派の影響を受けたチャールズ・パーハムの弟子であるウイリアム・シーモア(黒人)による3年間に渡るアズサ・ストリート・リバイバルが有名です。
聖霊の賜物重視の運動は世界に広がり、ペンテコステ派は多くの信者を獲得しました。聖霊の賜物とは、異言・癒し・奇蹟・悪霊の追い出しなどを伴う働きであります。世界最大のメガチャーチと言われる趙ヨン基牧師の純福音教会、大和カルバリチャペルはペンテコステ派の流れを汲み、日本では1919年と1930年に超教派的なホーリネス・リバイバルが起こっています。
このシーモアのペンテコステ運動は、その後、1960年聖公会司祭ベネットから始まったカリスマ運動(聖霊の第2の波)、1980年代からの福音派による聖霊の第3の波派などに大きな影響を与えました。現代、ペンテコステ派、カリスマ派、聖霊の第3の波派を合計すると約5億4千万人にもなり、全プロテスタントの70%に登っています。
第4次リバイバル
更に19C後半聖書の無謬性などを信じるファンダメンタリストが生まれ(1878年ナイアガラ信条)、1960年代から、聖書の権威や個人の回心を重視する新福音主義(根本主義)が、自由主義神学を採用するメインライン(主流派教会)に対抗する形で第4次リバイバルとも言うべき大覚醒が勃興しました。またビーリーグラハム、ジエリーファルウエルなどのボーンアゲイン型の大衆伝道家が活躍しました。
そして説教者において、聖霊の直接的介入が必須と言われています。上記フィニーは、人々に訴える決定的な力は聖霊の働きであり、牧師はすべからく召され、聖霊に満たされ、リバイバルの説教をしなければならないと力説しました。
こうして、アメリカのリバイバル運動は、全国、全世界に広がり、各地でキリスト教の復興が行われていきました。これらリバイバルを担った無名の牧師やクリスチャンは、先ず何よりも「祈りの人」であり、次に「悔い改めの人」であり、そして「求める人」でありました。リバイバルは聖霊の働きであり、それを真摯に求める者に与えられました。
4、アメリカ大統領とキリスト教信仰
歴代大統領は、聖書に手を置いて宣誓し、絶えず祈ること、礼拝には欠かさず出席すること、演説には聖句を引用すること、の3つを心がけました。そしてこら歴代大統領の信仰が、リバイバルの下地になっていることは間違いありません。
「アメリカは神の特別の使命のもとにあり、神に源を持つ個人の尊厳、自由、人権といった普遍的価値を世界に拡散していくことがアメリカの使命である」とのアメリカ的選民観は、歴代大統領に共通する信条であります。これがマニフェスト・ディスティニー(明白なる使命)と言われているものです。
こういったある種の選民観は、明らかに聖書とキリスト教信仰に根差したものであります。そしてアメリカ大統領の信仰は、大別して市民宗教型(アメリカ教)信仰とボーン・アゲイン型(回心)信仰の2つに分けられると思われます。
ワシントン、アイゼンワー、レーガンはアメリカの普遍的なキリスト教信条を価値視する市民宗教型として挙げられ、またカーター、クリントン、ブッシュは信仰深いボーンアゲイン型として数えられ、リンカーンはその両方であると言われています。またトランプ自身も長老派のクリスチャンで、「アメリカは祈りによって支えられている国」と述べ、聖書的歴史観に基づく対中国政策、及びイスラエル擁護を明確にしています。
上記の3と4は、聖書の知識8~12、20に詳細を記していますので、ご参照ください。
5、リバイバルの影響と普及
現代福音主義の基礎になっているのは、イギリス聖公会司祭だったジョン・ウェスレーと言われています。ウェスレーは、「心の潔め(贖い・悔い改め)」や「聖霊の働き」を強調するメソジスト教会の元祖となりました。
1840年~1850年、メソジスト教会の中から、世俗的傾向に抵抗して本来の潔めや聖霊の働きを重視し、原点回帰の教会刷新を唱えるホーリネス会が興り、やがてホーリネス教会(きよめ派)が生まれました。福音派の誕生であります。折からアメリカにおいて、回心と聖霊を強調する超教派的な第一次、第二次リバイバルの影響もあり、福音派を形成していきました。
1880年代にはバプティスト派、会衆派、長老派など超派的に広がり、福音派が独立したグループになっていきました。従って、今までのメソジスト教会までを「伝統的な教会」とし、ホーリネス教会から以後を「福音派の教会」と言え、広い意味でのリバイバル運動と言えるでしょう。これはペンテコステ運動、カリスマ運動に繋がっていくことになります。
日本を含むアジア・アフリカのような元来キリスト教圏ではない新規伝道地でのキリスト教の躍進を「リバイバル」と呼ぶべきかどうかは教派により意見が分かれますが、イギリスとアメリカにおけるリバイバリズムを継承する教派(=福音派)においては、それを躊躇なく「リバイバル」として目標に掲げ、祈り求めています。
その視点では、日本において明治期および終戦後に大都市を中心にキリスト教徒の数が 増加した現象をリバイバルと位置づけ、プロテスタントに教派を越えた一致があったとしています。日本のホーリネス教会で大正中期(大正8年~9年)と昭和初期(昭和5年~8年)にホーリネスリバイバル起こりました。また、織田信長の時代のキリシタンの盛り上りも注目されます。
最近では、より伝統的なカトリックや国教会にも、リバイバル派のワーシップ・ソングを礼拝に取り入れる傾向が増えており、礼拝形式上の違いは曖昧になってきています。これはリバイバルの恩恵を教会に取り込もうとする動きとも考えられています。
更に、リバイバルを強調する諸派は、キリスト教の伝道が成功した結果としてキリスト教精神が浸透し、悪化していた政治・経済、さらには自然環境までもが改善され、好循環方向に変質する事例を「トランスフォーメーション」と呼び、それが成し遂げられた国家の例が既に実在し、そこでも教派を越えた働きがみられた、としています。ただし伝統的な教派にも、政治・経済の分野に止まらず、地球環境の保護を信徒の義務とする考え方が浸透しつつあり、キリスト教会のエキュメニカルな働きのひとつとなっています。
6、リバイバルへの批判意見
リバイバルへの非難と反対運動は常に見られました。リバイバル運動が、教会の不一致や混乱を招き平和を乱すという訳です。その例として、ウェスレーやホイットフィールドは、当時の教義学を重視する教会から熱狂主義者と非難されました。ジョナサン・エドワーズは、聖餐に回心体験の告白を必須としたことから反発を受け、牧師の職務を解任されています。
現在もエキュメニカル派(教義、典礼志向の強い教会)はリバイバルを否定的に見る傾向が強いようです。プロテスタント教会のなかでは、急激に増える信者を背景としたリバイバルの事実に対し、牧師の按手の条件とされる神学修得の軽視(一般信徒による説教を含む)や、必ずしも伝統的な教義に回帰しないことを理由に、リバイバルを一時的な熱狂運動として理解している面があります。
以上、リバイバルについて全体構造を見て参りました。しかし、リバイバルは神からの一方的な恩恵だけではありません。アメリカの第二次リバイバルの立役者だったフィニーも「リバイバルは奇跡ではなく切磋琢磨による」と言っている通り、人間のたゆまね努力の末に訪れるものであることを肝に銘じたいと思います。
尾形守著『リバイバルの源流を辿る』によると、どのリバイバルも悔い改めの祈りを通しての聖霊ご自身が源であり、歴史的には初代教会のベンテコステに源流があるといいます。そして、リバイバルは「どん底や絶望的な行き詰まり、人間の無力さ(へりくだり)をとことん経験した無名のキリスト者の回心」 から始まっているとします。尾形守氏はリバイバルの要件として次の4点をあげています。
「徹底した祈りと悔い改め、強い渇望と求める心、聖霊の働き、福音のみ言葉とそれに伴うしるしによる伝道」
では、最終的な、そして最良のリバイバルの日とは何でしょうか。それこそ黙示録が預言している通り、7つの封印を解かれる方、「王の王、主の主」の名を付した白い馬に乗って来られる方、我らをして子羊の婚姻に招かれる方、即ち再臨の主が来られる時であります。ここにおいて深い悔い改めを通じての贖ないと共に、完成的な新生、重生のリバイバルが勃興するはずであります。(了)