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アメリカ大統領の信仰と市民宗教 ワシントン、リンカーン、アイゼンハワー

◇聖書の知識20ーアメリカ大統領の信仰と市民宗教 ワシントン、リンカーン、アイゼンハワー


しかし、あなたがたは、選ばれた種族、祭司の国民、神につける民である。(1ぺテロ2.9)

先だって、地元選出の衆議院議員の事務所を訪問し、秘書と2時間ほど話して、政策のこと、選挙のこと、後援会入会手続きなど色々意見を交換ました。筆者は話の終わりに、自分が聖書を研究していること、福音派の牧師をしていることを明らかにした上、政策の根源に宗教的背景が必要であり、特にアメリカ政治の本質を理解するためには、アメリカ大統領のキリスト教信仰を理解することが必須であり、代議士が大成するためにも重要であると助言しました。


何故なら、アメリカの歴代大統領は、政治家であると同時に敬虔なクリスチャンでもあり、その政治政策はキリスト教の世界観、歴史観に深く根差しているからです。また、仮に本人の信仰の程度はともかくとしても、有権者の8割がキリスト教徒であり、国民のキリスト教信仰の影響を色濃く受るからであります。そこで今回は、このアメリカ大統領の信仰と政策について見ていきたいと思います。


【大統領は国の大祭司・預言者・牧師】


ここで、先ずアメリカ全体の宗教を鳥瞰することにいたします。アメリカの大統領も国民も、宗教が政治に深く関わる現実こそアメリカの社会と国家の在り方であり、アメリカ型の自由と民主主義を世界に拡大することこそアメリカに託された神の意思であるとの信念に貫かれています。アメリカの政教分離は、「宗教と国家の分離を求めているのではなく、(特定の)教会と国家の分離を規定しているもの」なので、宗教が国家と親密な関係を持つことは、問題はありません。従って、大統領がどういう信仰を持っているのか、どの程度の信仰なのか、ということは国民の関心事であり、それは大統領選挙に直結してきました。


アメリカの大統領は国の「祭司」であり、国民を奮い立たせる「預言者」であり、国民を励ます「牧師」としての役割を期待されています。政治の責任者という顔は日本の首相も大統領も変わりませんが、それとは別に天皇のように宗教的大祭司としての顔も併せ持つというのです。


宗教地図としては、プロテスタントが人口比で51%、カトリックが24%。プロテスタント内では、信者の多い順にバプテスト派、メソジスト派、長老派、ルター派、ディサイプル派、米国聖公会、会衆派という順になります。他にユダヤ教が2%、モルモン教が1.7%、イスラム教が0.6%ということになっています。


各大統領が所属する教会は、バプティト派、メソジスト派、長老派、聖公会、会衆派、カトリックと別れます。そして、ワシントン、アイゼンワー、レーガンはアメリカの普遍的なキリスト教的信条を価値視する「市民宗教型」であり、またカーター、クリントン、ブッシュは信仰深い「ボーンアゲイン型」として数えられ、リンカーンはその両方であると考えられます。無論、選挙目当てに信仰的なパフォーマンスを強調する場合もあり、むしろ、国民の信仰が大統領の信仰を規定しているとも言えなくもありません。


ちなみに 「市民宗教」とは、宗教社会学者のロバート・ベラーが唱えた言葉で、敬虔な聖書的伝統の「ピューリタリズム」、神のもとにある国という「聖書的選民観」、世界に特別な使命を持つ国としての「愛国心」が融合した、教会の垣根を超えたアメリカ的霊性(アメリカ教)であります。国民がこの信条を基礎にして国を盛り立てていくのがアメリカ精神であるというのです。日本で言えば、「日本的霊性」(日本教)と呼ばれる概念です。


【マニフェスト・ディスティニー(明白なる使命)】


前述しましたように、「アメリカは神の特別の使命のもとにあり、神に源を持つ個人の尊厳・自由・人権といった普遍的価値を世界に拡散していくことがアメリカの使命である」とのアメリカ的選民観は、歴代大統領に共通する信条であります。これが「マニフェスト・ディスティニー」(明白なる使命)と言われているものです。

こういったある種の選民観は、明らかに聖書とキリスト教信仰に根差したものであり、歴代大統領の信仰は、前記の通り大別して「市民宗教型(アメリカ教型)信仰」と「ボーン・アゲイン型(回心型)信仰」の2つに分けられます。

<祈りの人、聖書の人>


偉大なアメリカ大統領は、多くが祈りの人であり、在職中の日曜礼拝はほとんど欠かしたことがありません。また、演説には必ず聖書を引用しました。

ワシントンは独立戦争の最中、アメリカに寄せられる神の大いなる摂理を体感し、一人で神に祈ることが日課でした。1789年の大統領就任演説で 「アメリカ人ほど神の見えざる摂理の導きを尊ぶ国民はいない」と述べています。ワシントンは、このアメリカ教とも言うべき「市民宗教」を体現した最初の大統領で、アメリカのモーセと讃えられました。


またリンカーンは聖書に精通し、まるで牧師が聖書を解くように国民に語りかけ、独立宣言、合衆国憲法、そして聖書を尊び、「アメリカの預言者」「市民宗教の神学者」と呼ばれました。奴隷制度は、神の啓示に照らしても、自然神学に照らしても誤りであり、全能者の怒りを招くと主張しました。凶弾に倒れたリンカーンは神話的人物となり、キリストのように自身の血でアメリカを清めて、国民に和解をもたらした「贖罪の羊」と崇められていきました。リンカーンの信仰については諸説ありますが、神学者のニーバーは、「20世紀の如何なる政治家よりも真摯な信仰の持ち主だった」と証言しています。

更にアイゼンハワーは、両親が篤実なクリスチャンで、1953年に長老派教会で正式に洗礼を受け、大統領就任後は欠かさず礼拝に参加しました。「宗教への信仰無しに戦争は戦えなかった」と述懐し、「私ほど宗教的な人間はいない」と公言して、聖書の言葉や神学の述語を随所に散りばめて演説しました。文字通り「市民宗教」(アメリカ教)の忠実な推進者になりました。

一方、カーターは福音派の牧師の経歴を持つボーンアゲインした大統領であり、初仕事がホワイトハウスの執務室に祈祷室を作ることでした。多忙な選挙期間中でも、就寝前には必ず聖書1章を読む日課を欠かさ無かったと言われています。またクリントンは、生まれる前に実父が亡くなり、義父はアル中で家庭的に恵まれず、少年時代の唯一の慰め場としたのがバプティスト教会でした。彼はここで安らぎを見出し救いの回心体験をしています。また、ブッシュ(ジュニア)は事業の失敗とアル中で苦しみましたが、40才代で回心を体験し神を確信して立ち直ったと言われています。

このように、歴代の大統領は、市民宗教の体現者として、あるいはボーンアゲインを体験した信仰者として、まさに篤実なキリスト者というアイデンティティーの持ち主でありました。


<トランプの福音政権と日本の政治家>


トランプ政権もまた福音政権であります。トランプはプロテスタント長老派のクリスチャンで、「アメリカは祈りによって支えられている国」と述べ、「神無き民主主義には如何なる生産性もない」と断言し、聖書に基づいてイスラエル擁護を明確にしています。トランプの「Make America Great Again」というスローガンの真の意味は、アメリカをもう一度「神に選ばれた特別な国」、「自由と民主主義の宣教師」に復活しようという意気込みでありましょう。また副大統領のペンスは敬虔なクリスチャンであり、2018年10月4日ハドソン研究所にて「中国による無神論的世界秩序の形成を絶対に許さない」という聖書的世界観に基づく演説を行いました。アメリカは、神なき勢力に対抗して自由を守る戦いをする義務があるとの決意です。

今、中国で新型コロナウイルスが猛威を振るい、1000万都市武漢が閉鎖され未曾有の混乱に陥っています。これは正に、中国共産主義に対する神の怒り以外の何ものでもなく、また、このように捉えるのが聖書的解釈であります。かのチェルノブイリ原発事故がソ連崩壊の要因になったように、このウィルスは中国崩壊の合図になるかもしれません。

歴代アメリカ大統領は、いわゆる「メンター」と呼ばれる牧師などによる「霊的アドバイザー」をホワイトハウスの顧問にしてきました。ビリーグラハムは戦後の歴代大統領の霊的顧問であり、韓鶴子総裁主宰の世界聖職者協議会(WCLC)設立集会で祝辞を述べたポーラ・ホワイト牧師は、現在トランプ大統領の重要なメンターであります。ホワイト牧師はその席で、「私達が団結すれば、国も動かすことが出来る」と語りました。そうしてトランプ政権の閣僚会議は、国務長官の祈祷から始まるというのです。まさにトランプ政権の政策は、キリスト教福音信仰の理解無しに理解することはできません。しかし一方では、選挙目当てのパフォーマンスだといった冷ややかな見方があることも付け加えておきます。

翻って日本の政治家はどうでしょうか。日本の政治家の演説から、先ず「神」という単語を聞くことはありません。まして聖句の引用などは論外です。せめて仏典からの引用でもと期待しますが、遂ぞ聞いたことはありません。ならば閣僚会議の前に祝詞(のりと)でもと思うのですが・・・。

しかし、大平正芳は敬虔なクリスチャンでしたし、麻生太郎のカトリック洗礼名はフランシスコであり、石破茂の家系は歴代クリスチャンで本人もプロテスタントの洗礼を受けています。また、石橋湛山は僧籍を持ったまま首相を務め、綿貫民輔は神主でありながら衆議院議長を務めました。また美智子上皇后はカトリックの聖心女子大学で学び、雅子皇后もカトリックの雙葉学園で学ばれ、両者キリスト教の影響を強く受けておられます。また、安部昭恵夫人は聖心女子大学出身のクリスチャンだと言われています。

こうして見ると日本も捨てたものではありません。1ぺテロ2章9節に、「祭司の国、聖なる国民、神につける民」とある通り、日本もアメリカと同様、名実共に神の摂理を担う国になりたいものです。よい政治にはよい宗教が欠かせず、UCは日本の政治のメンターの役割を果たさなくてはなりません。そしてこれからの日本の政治家は、最大の同盟国であるアメリカ大統領とその政権のキリスト教信仰を理解するべきであります。この理解なくしてアメリカの世界政策を真に理解することなど出来ないからです。


【ワシントン、リンカーン、アイゼンハワーの信仰】


以下、前述したワシントン、リンカーン、アイゼンハワーの信仰について、更に詳述することにいたします。

<ワシントンの信仰>


初代大統領ワシンン(1732~1799、任期1775~1783)はアメリカ聖公会出身で、大統領在職中は欠かさず礼拝に通っていました。聖書に精通していたとは言えませんが、前記したように、常に祈る習慣があったと言われています。ユニテリアン(理神論)の影響があり、回心や神との出会いの言及はありませんが、独立戦争にあっては、「偉大な存在の加護」「摂理の驚くべき御業」といった言葉を頻繁に使い、アメリカのモーセと言われる通り、目に見えないアメリカの使命を霊的に感知していました。また、神に選ばれた国のモーセとの称号があります。


ワシントンは、市民宗教を具現した最初の大統領であると言われ、アメリカは、神に選ばれた国であり、聖書に基づいて世界に自由の鐘を鳴らす使命を帯びているとの自覚を持っていました。宗教こそ、公共の道徳、共和主義の原理、繁栄の礎であるとの信念を持ち、国民道徳は宗教が無ければ涵養されず、道徳は人民本位の政体に欠かせないとしました。


ワシントンが惹かれたのは、ユニテリアニズムのキリスト教、堅苦しい教会儀式ではないフリーメーソン流の自由宗教だったと言われていますが、祈りの人であり、聖書を引用して演説し、神の摂理を常に感じていたと言われ、キリストの忠実な兵士、アメリカの大祭司と賛辞されました。


<エイブラハム・リンカーン>


リンカーン(1809 ~1865、在任1861~1865 )は、ケンタッキーの貧しい開拓農民の子で、苦学・独学しました。27歳で弁護士資格を取り、州議会議員、連邦上院議員を経て共和党大統領になりました。南北戦争中の1863年奴隷解放宣言となったゲティスバーグの演説が有名ですが、1865年戦勝直後に銃弾に倒れ殺害されました。家庭的には母と若くして死別し、3人の息子が若死にするなど苦労しました。


リンカーンは聖書に精通し、議会での演説に聖句の引用を多用しました。両親はバプティスト派の敬虔な信者で、子供のころから母親に聖書物語を聞いて育ったと言われています。本人は聖書に親しみましたが、無宗派を貫いています。


アメリカを愛する心情を「政治的宗教」と呼び、まるで牧師が聖書を説くように国民に語りかけました。軍隊に安息日を遵守する法令を制定し、国民の断食日・感謝日・祈祷日を定めるなど、政治的宗教の高揚に努めました。暗殺される前の演説で、アメリカが神の加護の下にあると共に、また裁きの下にもあると警告し、「全能者には人知を超えた計画がある」と語りました。


ワシントンがアメリカの祭司であるとすれば、リンカーンは預言者でした。独立宣言、合衆国憲法、そして聖書を尊び、アメリカを「丘の上の街」(マタイ5.14)にするというアメリカ教への帰依を国民に求めました。神学者のベラーは、リンカーンを「市民宗教の神学者・模範者」と呼んだように、まさに正真正銘のキリスト教政治家だったのです。


1965年4月14日銃弾を浴びて後、リンカーンは一人の政治家から「合衆国の救世主」としての神話的人物へと変貌し、アメリカの理想を体現した聖者になりました。葬儀を司式した牧師は追悼の辞の中で、「約束の地カナンに入る直前に神に召されたモーセのように天へと引き上げられました。リンカーンはアメリカの『贖罪の羊』であり、キリストのように自身の血でアメリカを清めて国民に和解をもたらしました」と述べました。この牧師の追悼の辞は、そのまま安部晋三元首相に捧げられる言葉です。


<ドワイト・アイゼンハワー>


アイゼンハワー(1890~1969年、在任1952~1960、テキサス生)は、ウエストポイント陸軍士官学校を卒業して軍歴を重ね、1944年西ヨーロッパ連合軍司令官、ノルマンジー上陸作戦の指揮、1945年陸軍参謀長となり、退役後、1952年大統領(1956年に再選)になりました。


アイゼンハワーの両親はメノナイト系のリヴァー・ブレザレンの熱心な信者で、聖書と信仰、規律・禁欲・労働を重んじました。そのため、アイゼンハワーは子供のころから日曜の礼拝を欠かさず、信仰深い人生を送ることを期待されていました。また、後に両親はエホバの証人に入信し、母親の影響でエホバの証人を信仰したことがあります。アイゼンハワーは、この両親から敬虔な宗教心を受け継ぎました。


アイゼンハワーは、大統領就任前、1953年に長老派教会で正式に洗礼を受け、その後欠かさず礼拝に参加しました。「宗教への信仰無しに戦争は戦えなかった」と述懐し、「私ほど宗教的な人間はいない」公言して、聖書の言葉や神学の述語を随所に散りばめて演説しました。アメリカの精神復興には信仰の覚醒が必要と訴え、民主主義は、「人間の尊厳性は神に由来している」という深い宗教的信条に基礎を置かねばならないとして、公共の中に積極的に宗教性を取り入れていきました。


閣議を始める前には祈祷を行い、大統領祈祷朝食会を開催しました。以後、これらはアメリカの慣例になりました。また、児童の国家と国旗への「忠誠の誓い」に「under God」を入れ、紙幣や貨幣に「In God We Trust」を入れたのもアイゼンハワーで、大衆伝道家ビリー・グラハムから「アメリカを代表する霊的指導者」との賛辞を受けています。確かに、知的で洗練された神学こそありませんでしたが、素朴ではあるが深い宗教的敬虔と愛国の情を持っていました。


またアイゼンハワーは、宗教学者のロバート・ベラーが唱えた「市民宗教」、即ち「アメリカ的霊性」(アメリカ教)の忠実な推進者になりました。前述の通り、アメリカ的霊性は、ピューリタニズムと聖書的選民観、そして愛国的信条が混合した霊性と言え、教派の垣根を超えた正に市民宗教であり、国民としての自覚を与え、国家の統治機構に正統性を付与することで国家統治の安定性を担う公共性の高い宗教を意味します。国民がこういった信仰を基礎にして国を盛り立てていくのがアメリカ精神であるというのです。


アイゼンハワーは、アメリカは神に由来する人間の尊厳・個人の自由という揺るぎない基礎の上に建てられているとし、神なき勢力(共産主義)に対抗して自由を防衛する義務を負っていると主張しました。また、アメリカの政治家にとっての聖典は、イギリスのマグナ・カルタ、アメリカの独立宣言、フランスの人権宣言だとし、その上に、聖書に基づく神への信頼が不可欠であると演説しました。アイゼンハワーは、2期8年の間に、市民宗教を、プロテスタント、カトリック、ユダヤ教を包摂する抽象度の高いものにしていきました。アイゼンハワーは、ワシントン、リンカーンと並んで、アメリカの揺るぎない市民宗教の基礎を確立した最も傑出した大統領の一人であったと言えるでしょう。


以上、アメリカ大統領の信仰と市民宗教の概略を説明しました。(了)



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