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家庭盟誓を考える 使徒信条を土台とする家庭盟誓

○つれづれ日誌(令和3年10月6日)-家庭盟誓を考える 使徒信条を土台とする家庭盟誓


我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。

我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女(おとめ)マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ、死にて葬られ、陰府(よみ)にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に座したまえり。かしこより来たりて生ける者と死にたる者とを審(さば)きたまわん。

我は聖霊を信ず。聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体(からだ)のよみがえり、永遠(とこしえ)の生命(いのち)を信ず。アーメン (使徒信条)


 

家庭盟誓(1994年5月1日)


一、天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します。


二、天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、天の父母様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します。


三、天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します。


四、天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、天の父母様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します。


五、天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します。


六、天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、天の父母様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します。


七、天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します。


八、天一国主人、私たちの家庭は、真の愛を中心として、天一国時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成することを お誓い致します。


上記は、「使徒信条」(4~5世紀)、及び「家庭盟誓」(1994年)の各条項であり、共に礼拝などで広く唱和されている信条であります。ちなみに信条とは、宗教がその教え(教理)を簡潔に表明した文書です。その意味で、家庭盟誓は一種の信条と言えるでしょう。


【使徒信条と家庭盟誓】


そこで今回は、特に新約時代の使徒信条と、成約時代の家庭盟誓について、その関係性や意義について考えたいと思います。


<腑に落ちなかった家庭盟誓>


実は筆者は、成約時代の信条として、UCの礼拝などで唱和される「家庭盟誓」について、長らく違和感があり、どうしても馴染めず、腑に落ちない感情を抱いてきました。


その大きな理由は、家庭盟誓の各条項が、「地上天国と天上天国を創建する」「家庭の道理を完成する」「四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成する」「地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成する」というように、「何々を完成することを誓う」という誓いの構造になっており、この言葉に、何か意思的、使命的な響きを感じ、これらは筆者にとって到達不可能な「重い負担」と思われたからであります。


即ち、今自分に必要なものは、なすべき課題や使命を課せられることではなく、もっぱら傷んだ魂の救済や癒しであって、神やキリストと出会い、それらとの実存的な交わりを通じて、「救われる」ことを渇望していたからに他なりません。従って、この家庭盟誓は、使徒信条ような救いと信仰を告白するものではなく、信条の告白と言うより決意表明のような気がして、筆者にとって、すっきりと府に落ちるものではなく、むしろ重荷だったという訳です。


しかし幸いにもこの疑問は、10月1日の月初めの早朝敬礼式の中で、筆者に与えられたインスピレーションによって解決することになりました。そこで今回、このインスピレーションが何であったかを、以下の通り述べることにいたします。


<家庭盟誓についてのインスピレーション>


周知のように、「家庭盟誓」は、1994年5月1日、韓国の天正宮博物館行われた「世界平和統一家庭連合」の創設とともに、今までの「私の誓い」に代えて発表された信条であります。この家庭盟誓は、旧約時代と新約時代を完結する成約時代を宣布し、先天時代から後天時代の新天新地を開いていく道案内として天から付与されたものであり、いわば「天国人の基準」、「天の家法」であると言えるものです。


1954年に世界基督教統一神霊協会を創設して以来、真の父母が、40年の蕩減路程を勝利された基台の上に、これからは個人的な次元の「私の誓い」から、家庭が単位となる「家庭盟誓」に代わったものであります。つまり、新約時代を導いた「使徒信条」、そしてUC40年路程を導いた「私の誓い」の個人救済の土台の上に立つ、家庭が単位となった新しい信条と言ってもいいでしょう。


使徒信条には、神・キリスト・聖霊を信じる個々人の信仰告白が「我、信ず」という言葉で宣言され、後半に、罪の許しと復活、永遠の生命、そして再臨が示されています。この個人の信仰告白とそれによる魂の救いは、使徒信条のエキスでありますが、しかしこの個人救援の思想は家庭盟誓にはありません。


つまり家庭盟誓は、個人の魂の救いを宣言した使徒信条やUC40年を導いた「私の誓い」の土台の上に立つもので、その上に立って、家庭が成就すべき目標を誓う形になっているというのです。いわば、使徒信条が個人の信仰を告白するものであるとすれば、家庭盟誓は家庭的な完成成就を誓うものであります。


こうして筆者は、家庭盟誓が、その前提に使徒信条や私の誓いの救済観を内包していること、即ち使徒信条と家庭盟誓を一体のものとして捉えて理解した時、はじめて家庭盟誓に対して抱いていた違和感が氷解し、霊的にすっきり受け入れられる信条になりました。あたかも新約聖書の中に、旧約聖書が内包されているのと同様であります。


これが、月初めの敬礼式で与えられた霊感であります。そこで以下、使徒信条、及び家庭盟誓について、その意義と価値について再確認していくことといたします。


【使徒信条とは何か】


筆者は本年、ズーム形式で聖書セミナーを開催してきましたが、そのテーマは「使徒信条を読み解く」でありました。即ち、使徒信条をその文言に従って、「神を信ず」(神論)、「キリストを信ず」(キリスト論)、「聖霊を信ず」(聖霊論)、「罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず」(新生論)について解説をいたしました。


<使徒信条はキリスト教教義核心の要約>


使徒信条とは、4世紀初めに定式化されたキリスト教の最もポピュラーな「信仰告白」で、西方教会(カソリック、プロテスタント)の礼拝などで唱和されています。この信条は、第一に洗礼式の信仰告白のために必要とされて作られ、第二に異端との区別(特にグノーシス主義、アリウス派)のために作られたと言われています。


使徒信条には、三位一体の教義や福音の三要素など、正統派キリスト教教義の核心が要約されていますので、使徒信条を深く読み解けば、キリスト教の教義が何であるかが理解できるという訳であります。


先ず最初に、唯一にして全知全能の創造主たる神を宣言し、神の本質的性質を謳うと共に、この神を信じるという信仰告白を宣します。(父なる神)


次に救い主イエスが誰であるか、その本質を簡潔に明らかにしていくキリスト論がつづきます。(子なる神)


最後の部分は、いわゆる聖霊論で、聖霊の働きによって、信徒の信仰における救いのプロセスが述べられています。(聖霊なる神)


このように使途信条には、キリスト教神学の要約が端的に表明されており、神、キリスト、聖霊、救い、永遠の生命についての信仰告白であります。ちなみに信仰告白とは、神に対する自己の信仰を明白な言葉で言い表すこと、即ち心で信じ、口で言い表すことであり、次の聖句が端的に示しています。


「なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである」(ロマ10.10) 


無論、使徒信条には神学上の論点も多く、特に救い主イエスが誰であるかのいわゆる「キリスト論」や「三位一体論」については、その是非を巡り各派の見解の違いがあり、激しい議論がなされてきました。使徒信条に見る三位一体論と異なる見解をとっている教派としては、ユダヤ教・イスラム教は言うまでもなく、エホバの証人、モルモン教、UC、ユニテリアン、クリスチャンサイエンスなどがあります。使徒信条を家庭盟誓の前提として一体的に考える場合、この点は留意する必要があります。           


【家庭盟誓について】


次に家庭盟誓についての解説です。上記のように「家庭盟誓」は、1994年5月1日、「世界平和統一家庭連合」の創設とともに、今までの「私の誓い」に代えて発表された信条であり、天の家法であります。


文鮮明先生は家庭盟誓に関して詳しく語られており、以下は、そのみ言を要約した解説であります。(2007年6月13日、天宙平和の王真の父母様「天正宮博物館奉献式と戴冠式」一周年記念メッセージより)


<家庭盟誓の意義>


人間は神の子女として創造されましたが、人類の最初の先祖として創造された男性と女性が、堕落によって真の家庭を失ってしまいました。故に神様は、御自身の創造理想を絶対的基準として再創造しなければならない摂理的要請のために、「家庭盟誓」を設定し宣布されたというのです。


従って「家庭盟誓」を朗唱する際には、心と体が完全一体を成し、一心、一体、一念、一和の境地を整えることが望ましいとされています。 「家庭盟誓」は、成約時代を越え、天一国を成し遂げる絶対基準であり、真の愛を中心とした真の家庭を立て、人間を神様と連結させてくれる橋、天国の門を開く鍵であるというのです。


家庭盟誓には、家庭は天の最大、最高の価値であり、天一国を創建する礎石であるとの認識があります。それ故、「家庭盟誓」は、第一節から第八節まで、すべて「天一国主人、私たちの家庭は真の愛を中心として」で始まり、「真の愛」と「家庭」が中心思想となっています。


<家庭盟誓の各節の解説>


「家庭盟誓」の第一節は、「本郷の地を求め、本然の創造理想である地上天国と天上天国を創建することをお誓い致します」です。この節は、「神の国」創建を宣べた条項で、み皆の最終目標が示されています。


ここで言う「創造理想」とは、言うまでもなく神様を中心とする創造理想を意味し、地上天国と天上天国をつくることが神様の創造理想でした。つまり、イエスが宣べた「神の国」です。ところが、堕落によってそれをつくることができなかったので、復帰しなければならないのです。


前述しましたように、家庭盟誓は、個人救済ではなく、「家庭救済」が中心となっています。堕落が家庭で起きたので、復帰も家庭でしなければならないからです。そして本郷の地とは、国ではなく、家庭を中心とする本郷の地を意味します。 また「創建」とは、再びつくらなければならないという意味、即ち「再創造」するという意味であり、これが祝福家庭の最初の誓いであり、使命だというのです。


第二節は、「神様と真の父母様に侍り、天宙の代表的家庭となり、中心的家庭となって、家庭では孝子、国家では忠臣、世界では聖人、天宙では聖子の家庭の道理を完成することをお誓い致します」です。この節は、天の願う徳目、即ち「天の倫理」を宣した条項と言えるでしょう。


「神様と真の父母様に侍り」とは、縦的な真の父母と横的な真の父母の「二つの真の父母」に侍るという意味です。言い換えれば、神様は縦的な真の父母であり、完成したアダムとエバは横的な真の父母になり、その二つの父母が一つになった基台の上に私の心身統一が成され、天国と神様が連結されるということです。


それでは、天宙の代表的家庭、中心家庭とは、どのような家庭でしょうか。それは、堕落する前、アダムとエバが神様と共に理想としていた天と地の代表となる家庭です。そのような家庭の中心では個々人が、「孝子・孝女」にならなければならず、そのような国家では「忠臣」、そのような世界では「聖人」、そのような天宙では「聖子」にならなければならないというのです。これが天的倫理です。


ちなみにこの徳目は、父子の孝・君臣の忠・夫婦の別・長幼の序・朋友の信の五倫、即ち忠孝烈悌信を説いた儒教の教えと類似性があります。


第三節は、「四大心情圏と三大王権と皇族圏を完成することをお誓い致します」です。この節は、完成すべき家庭の具体的な姿を、「心情(愛)の面」から述べたものです。


四大心情圏と三大王権は、堕落する前のアダムとエバの完成目標を意味します。堕落する前のアダムとエバの目標は、四大心情圏と三大王権を成し遂げ、天の「皇族」になることだったというのです。


そして四大心情とは、子女の心情、兄弟姉妹の心情、、夫婦の心情、父母の心情の四つの心情をいい、心情は愛と表裏一体であるために、四大心情は即ち、子女の愛、兄弟姉妹の愛、夫婦の愛、父母の愛の四つの愛を意味します。


ここで心情とは「愛を通じて喜びを得ようとする情的な衝動」、いいかえれば、心情とは「愛したくてたまらない情的な衝動」と言えるでしょう。このように心情は愛したい情的な衝動であるために、その衝動は必ず行動となって現れるようになっていますが、その時の行動がすなわち愛であります。また心情圏とは、心情の対象の範囲のこと、すなわち愛の対象の範囲のことを意味します。


一方、三大王権とは、世俗的な王のような一国の王を意味するのではなく、三大王権の三大王は、三代にわたる父母(家長)を意味します。即ち、祖父母、父母、子女の三代をいうのです。従って三大王権は、三代父母権と言った方が、より正確と言えるでしょう。即ち、祖父母は過去の王(父母)であり、父母は現在の王(父母)であり、子女は未来の王(父母)であります。


第四節は、「神様の創造理想である天宙大家族を形成し、自由と平和と統一と幸福の世界を完成することをお誓い致します」です。この節は、神の下の「人類一家族」(自由と平和と統一と幸福の世界)の実現を宣べた条項です。


神様の理想は、すべての世界が一つの家族になることであるとも言えます。日本にも世界を一つの家のようにするという「八紘一宇」の思想がありますが、四大心情圏と三大王権を完成した家庭が創造理想の大家族を形成した「神様のもとの一つの家族」即ち、「ワンワールド・アンダーゴッド」です。全人類が、貧富の差も人種の差も国境もなく、文明の歪みもない、一つの家族として幸福を享受する、そのような状態を意味するというのです。


「家庭盟誓」の第五節は、「毎日、主体的天上世界と対象的地上世界の統一に向かい、前進的発展を促進化することをお誓い致します」です。この節は、霊界と地上世界の統一のために、日々切磋琢磨することを宣べている条項です。


地上世界(現世)と天上世界(霊界)は、心が体に対して主体的立場(プラス)であるのと同様に、霊界が主体です。従って生活の中で、日々天上世界が主体になっているという観念をもって生きなければなりません。


そして主体世界と対象世界が統一されなければならないということであり、統一に向かって、日々切磋琢磨し、前進的発展を怠らないということです。


第六節は、「神様と真の父母様の代身家庭として、天運を動かす家庭となり、天の祝福を周辺に連結させる家庭を完成することをお誓い致します」です。この節は、祝福家庭に福音宣教の役割があることを教えている条項です。


祝福家庭は神様の家庭と真の父母の家庭の代身家庭であり、すべての人たちを天一国の民に導かなければ(福音伝道)なりません。言い換えれば、天のすべての祝福を万民に分けてあげる、家庭的祝福の基になるという意味です。


第七節は、「本然の血統と連結された為に生きる生活を通して、心情文化世界を完成することをお誓い致します」です。この節は、天的血統を持って心情(愛)を中心とした文化・文明を打ち立てるという条項で、神の国を文化面から見た姿です。


信仰の道において最も重要なことは、本然の血統を汚してはいけないということであり、天的血統の下に「心情文化世界を完成すること」は私たちの理想です。


堕落した世界は、文化が複雑・多岐ですが、文化は二つではなく一つであり、心情でなければ、個人、家庭、氏族、国家、世界を連結できません。


第八節は、「成約時代を迎え、絶対信仰、絶対愛、絶対服従によって、神人愛一体理想を成し、地上天国と天上天国の解放圏と釈放圏を完成することをお誓い致します」です。この節は、神と人が絶対的愛によって一体となり、神の国を創建すべきことを宣べています。


絶対信仰・絶対愛・絶対服従、これは神様の創造理想を創建する内的姿勢でした。神様は、絶対信仰、絶対服従の基準、即ち神様御自身の意識観念を超越した状態で宇宙万象を創造されました。完全にゼロ、完全に無の境地です。これが宇宙運動の起源になっているというのです。従って、神様の代身として、絶対信仰を中心として絶対愛をなして、絶対服従する基準を立てて生きるそのような人には、いつでも神様が共にあるということです。


次に「神人愛一体理想」です。神様は、愛と生命と血統の根であり、地上天国と天上天国の根本です。堕落がなかったならば、アダムとエバが結婚する時、神様は、アダムとエバの中に入り、彼らと一体的愛を成し遂げられたというのです。


このように「家庭盟誓」の八節は、地上天国に入る心の在り方を提示しました。創造当時、神様もエデンの園で絶対信仰と絶対愛で絶対投入し、絶対服従された基準があったからだというのです。


<家庭盟誓の教訓と問題提起>


以上の通り「家庭盟誓」が教えてくれる教訓は、家庭主義、天宙主義であって、個人主義ではありません。そして現実を果敢に克服して、勝利を勝ち取るための武器が、正に「家庭盟誓」の伝統で武装された家庭です。


私たちには、ろうそくの明かりをともして香をたきながら祈りを捧げ、少なくとも三代圏を成し遂げて、子々孫々、選民の真の血統が流れる一族を定着させなければならない使命があるというのです。


ただ前述しましたように、家庭盟誓が、「地上天国と天上天国を創建する」「家庭の道理を完成する」というように、「何々を完成することを誓う」という表現になっており、使命意識や義務意識を鼓舞する内容になっています。従って、読むものの捉え方によっては、家庭盟誓の本来の趣旨に反して、ある種の緊張感や圧迫感を与えることになりかねません。


また、内容もやや重複していると思える箇所が見られます。例えば、「 地上天国と天上天国を創建する」は、「自由と平和と統一と幸福の世界を完成する」や「心情文化世界を完成する」と内容的には同じことを違う表現で語っており、一つにまとめたほうがすっきりするのではないかとも考えられます。全体で、簡潔に五節くらいにした方が読みやすいと思われますが、如何でしょうか。


そして、今日日本のキリスト教会も、外国語ではなく、日本語で使徒信条を唱和しているように、日本の礼拝などでの家庭盟誓の唱和は、出来れば日本語で唱えることが望ましいと思われます。


以上のような問題意識を踏まえて、家庭盟誓の再発見への道筋について、次の通り記すものであります。


【使徒信条の土台の上に立つ家庭盟誓】


「家庭盟誓」と、「使徒信条(及び私の誓い)」の最大の違いは、後者が個人を救済や使命の対象としているのに対して、前者は家庭をその対象としていることは既に述べたところです。


そして、家庭盟誓は新約(使徒信条)の土台の上に立っていますので、個人の救いは所与のもの、自明の理とされており、その上に立って神の理想を実現すべき家庭の在り方や道理を示し、「何々を(創造目的を)完成することを誓う」というように、家庭の使命と義務を全うすることを神に誓うという形になっています。


これは、「我は、信ず」という信仰告白の形になっている使徒信条の在り方と著しく相違しています。使徒信条は、信仰告白によって個人の救済を目指す信条ですが、家庭盟誓は、この上に立って使命と義務を履行して、家庭の完成と神の国を目指す信条であります。 即ち、使徒信条は個々人の魂の救済を保証するものであり、家庭盟誓は、その上に立って、家庭の為すべき目標を明らかにし、その遂行を高らかに宣言するものであります。


従って、家庭盟誓の前提に使徒信条が暗黙の内に内包されているという理解に立って、はじめて家庭盟誓が生き生きとした信条になるというのです。つまり、使徒信条と家庭盟誓は一体のものであり、このような理解に到達して、やっと家庭盟誓が腑に落ちました。 こうして筆者は、家庭盟誓を再解釈し、再発見に至った次第であります。


おしまいに家庭盟誓を一言で要約すれば、「切磋琢磨して創造本然の家庭を完成し、道理を立てて神の国を創建するみ旨を全うしましょう」ということです。(了)



<参考資料>


私の誓い(1962年旧10月1日子女の日)


一、天宙の中心存在として、父の御旨(創造目的)と任せれた責任(個性完成)を全うし、喜びと栄光を帰し奉る善き子女となり、創造理想世界において永遠に父に仕え奉る真の孝子女となることを私はお誓いいたします。


二、父は六千年間供え物として十字架路程を忍ばれ、死したる私を真の子女として活かすべく、み言と人格と心情を与え一体化せしめて、天宙の相続権を与えたまわんとなさる聖なる御旨を私は受け、完全に相続することをお誓いいたします。


三、怨讐によって失われた子女と天宙を復帰せんがため、父は父母の心情を抱かれ僕の体を受肉し給い、汗は地のために、涙は人類のために、血は天のために流され、私の身代わりに歴史路程における怨讐サタン粉砕の武器を与えたまい、それらを完全に審判するまで父の性相を受け、真の子女私は敵陣に向かって勇進することをお誓いいたします。


四、父は平和と幸福と自由と理想の源泉であらせられ、父を奉る個人と家庭と社会と国家と世界と天宙は、本性の人間を通じてのみ心情一体の理想世界を完結することができ、私は真の人間となり、心情の世界において父の代身者となることによって、被造世界に平和と幸福と自由と理想をもたらし、父に喜びと満足を帰し奉る真の子女となることを私はお誓いいたします。


五、我々は神を中心とした一つの主権を誇り、一つの民を誇り、一つの国土を誇り、一つの言語と文化を誇り、一つの父母を中心とした子女となったことを誇り、一つの伝統を受け継いだ血族であることを誇り、一つの心情世界を成す役軍であることを誇り、これを実現せしめることを私はお誓いいたします。


このような義務と使命を成就せしめるため、責任をもって生命をけて闘うことを私は


宣誓しお誓いいたします。

宣誓しお誓いいたします。

宣誓しお誓いいたします。

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​ユニバーサル福音教会牧師
​家庭連合ポーランド宣教師
   吉田 宏

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