決定版-最高裁、戦後最悪の汚点 十字架からの復活を期す
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🔷徒然日誌(令和8年7月1) 決定版-最高裁、戦後最悪の汚点ー十字架からの復活を期す
神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる(ロマ書8.28)
プロローグー理不尽極まる最高裁の判断
最高裁は6月22日付で、家庭連合(以下、「UC」と呼ぶ)側の特別抗告を棄却する決定をし、UCの解散が確定した。最高裁の決定は3ヶ月の超スピード判断で、決定文は4ページの内容のないお粗末なものであった。まさに「先ず解散ありき」の国策裁判であり「木で鼻をくくる」とはこのことである。この決定により、国と裁判所は深刻な傷を負い、取り返しのつかない汚点を残した。今後、国内外の批判に晒されることは、明らかであり、一方UCは、文字通り解散という十字架から、見違える教団として復活する大きな課題を与えられた。
今回の最高裁判断は、東京高裁の判断をそのままなぞったもので、なんら本質的な問題には踏み込んでいない。この決定は、司法の「中立性」、「適正手続」、「信教の自由」について深刻な疑問を残した。 その過程は政治的圧力やオールドメディアによるネガティブな報道環境の中で進められ、さらに宗教法人法の新たな解釈、即ち民法上の不法行為も解散事由に当たるという前代未聞の解釈変更によって、かつては法的に不可能と考えられていた解散という結論へ突き進んだ。
即ち、最高裁は、特別抗告のUC側主張を誠実に吟味することなく、次のように判断した。
①本件はUCの組織的高額献金勧誘行為であり、法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為であること、②再発防止策はみせかけで、今後も同じ問題が起こる「おそれ」があり、違法な勧誘行為を行う「可能性」が高いと推測したこと、③そのため「解散命令」は必要でやむを得ないこと、④憲法で保障された信教の自由には反せず、非公開の非訟裁判は違憲ではないこと、⑤宗教法人が解散されても、宗教活動は自由に行え、その支障は、法人解散に伴う間接的で事実上のものであること、等々。
なお最高裁が踏襲した高裁は、UC解散判断の根拠の一つに、海外送金の主な送り先が韓国であることを問題視し、「日本の教団幹部は拒絶する意思も能力もない」と感情的に批判した。だがこれは大変なお門違いで、送金は韓国ではなく、韓国世界宣教本部である。かっては約40年間、世界宣教本部はアメリカにあり、アメリカ世界宣教本部を通して自主的に世界宣教に協力した。ワシントン・タイムズの創刊は、その一つであり、世界宣教に資することが日本の国益になるとの信念から出たものである。
そしてUC側は次のように主張してきた。
①民法の不法行為を解散要件に含める判断は、岸田元首相による一夜の恣意的・政治的な解釈変更であり、不法行為まで解散事由に含めることは違法であること(解釈変更はこの問題の一丁目一番地で、岸田元首相は万死に値する)、②献金問題はどの宗教にもあり、献金は純然たる信仰行為であること、③解散根拠の大半が30年以上前の事案で、多くは拉致監禁で改宗させられた元信者たちの訴訟事案であること、④特にコンプライアンス宣言以後のトラブルは激減し、訴訟もなく継続性がないことは明らかであること(2009年コンプライアンス宣言後の17年で1868万円しか民事不法行為は認定されていない。このどこが、著しく、明らかに問題なのだろうか)、⑤文科省は、全国弁連というUCを潰すことを目的した組織の資料に依拠した公平性を欠くものであり、あまつさえ陳述書を偽造したこと、⑥解散により一番喜ぶのは、左翼と中国、そして全国弁連とオールドメディアであること、⑦本件は山上哲也のテロを政治利用し、UCをスケープゴートにした騒動で、テロリストを美化し英雄にしてはならないこと、等々。
そしてこれらの主張は、学者、知識人、言論人など多くの保守論客に支持されてきた。例えば、石埼学氏、小川榮太郎氏、加賀孝英氏、笠井尚氏、加藤文宏氏、門田隆将氏、小林節氏、三枝玄太郎氏、桜井よし子氏、竹田恒泰氏、仲正昌樹氏、橋本徹氏、浜田聡氏、福田ますみ氏、堀江貴文氏、本間奈々氏、山口敬之氏、渡辺哲也氏、等々(以上、アイウエオ順)。また月刊Hanada、月間WILL、月刊正論などの良識メディア、それに牧師の中川晴久氏、砂川竜一氏、僧侶の水田真道氏ら宗教人もUC擁護の論陣を張っている。

文藝評論家の小川榮太郎氏は、機関誌『湊合(そうごう)』令和8年春号で、「旧統一教会への解散命令、最高裁および全ての政治家は真剣に再考せよ」との特集を組み、巻頭言にて、「今からでも遅くはない、政府ないし最高裁判所は、旧統一教会への解散命令を撤回する道を探すべきだ。私は、ここに全良心を傾けて、読者諸氏に向かつてさう主張する」と解散撤回を強く求めた。
なお4月3日、筆者は思想家・著述家・実業家の執行草舟氏と会社でお会いする機会を得たが、執行氏は、「旧統一教会の解散は大本教弾圧の二の舞になり、大変危険だ」と反対を明言された。ちなみに執行氏は、膨大な古今東西の古典を読破し、何度も死を体験し、『葉隠』と『聖書』を座右の書にする稀有な人物である。(参照-執行草舟の思想とキリスト教の接点→ https://x.gd/c6633 )
【戦後最大の宗教弾圧】
今回の最高裁決定は、高裁判断をそのまま踏襲するものであり、まさに「戦後最大の宗教弾圧事件」である。文科省は全国弁連の被害情報をそっくりなぞった「分厚い証拠」をかき集めたが、政府高官は、「30年後の教科書に『ここから宗教弾圧が始まった』と書かれるかもしれない。汗が出て眠れない夜が続いた」と告白したという(3月10日世界日報オピニオン)。然り、今回の決定は、今後歴史の激しい審判を受けることは明らかである。そして本裁判結果は、以下の通り、海外からも痛烈に批判されている。
<海外からの批判>
イタリアの宗教社会学者で、オンライン誌「ビター・ウィンター」編集長のマッシモ・イントロヴィーニェ氏は、最高裁は「公共の福祉」「洗脳」「社会的妥当性」と言った曖昧で信頼性のない概念に依拠して判断したと指摘し、次のように本質を突く重大な懸念を表明した。
「今回の決定は、4人の国連特別報告者が提起した懸念に応えていない。彼らは、日本政府による統一教会への対応が、自由権規約第18条に整合しない極めて曖昧な『公共の福祉』という概念に依拠していると警告してきた。また決定は、『洗脳』といったすでに信頼性を失った考え方に基づく精神的被害の理論や、『社会的相当性』といった国際法と整合しない基準に依然として依拠している。さらに、民事不法行為を宗教法人解散の根拠とすることの危険性についても検討していない。他の少数派宗教にどのような先例を残すことになるのかについても触れていない。そして、政治的圧力やメディアキャンペーンが、信教の自由を保障する法原則の解釈を左右することを許した場合に生じる影響についても検討していない。」(ビター・ウィンター)
またフランスの国際人権弁護士パトリシア・デュバル氏は、「教会の解体は、仕組まれた計画の結末に過ぎない」と述べ、次のように指摘した。
「どうやら、他国の人々を支援するための寄付金を集めることは重大な犯罪とみなされているようで、日本人は特に無力で騙されやすいから、国家が彼らの意思に反して、人道支援のための寄付をするよう精神的に操られる危険から彼らを守らなければならないらしい。しかし、かつて外国人を完全に排除する政策をとっていたために、利己的で人種差別的な国と見なされていた日本にとって、国際舞台でのイメージ回復に貢献する組織が存在することは喜ばしく、誇りに思うべきことである。」(ビター・ウィンター)
更に韓国『世界日報』の宗教専門記者・鄭聖洙(チョン・ソンス)氏は、6月25日、韓国世界日報で、「外部から流入した宗教や異質な信仰に対する日本社会の警戒心は、想像以上に深く古い」と指摘し、次のように述べた。
「 すでに16世紀末から多数のカトリック信者が処刑され、潜伏キリシタンたちは数百年にわたり信仰を隠したまま息を潜めて生きなければならなかった。明治維新以降は国家神道体制を構築し、天皇中心の宗教秩序を全国民に強要し、宗教と国家権力が結託した強力な同質性文化を形成した。 今回の統一教会に向けられた敵対感情も、このような歴史・文化的文脈から自由ではない。特に日本社会において統一教会は、宗教的な拒否感に加え、韓国で始まった宗教であるという二重の烙印を負っていた。」
こうして、海外からも鋭い論評が示されているが、それぞれ一理あり、今回の問題がいかに多くの深刻な課題を残すことになったか、そして宗教と信仰の本質について、あまりにも重大な問題提起になったかを物語っている。
<大本弾圧とホーリネス弾圧の教訓>
筆者は令和7年4月9日の徒然日誌「大本弾圧とホーリネス弾圧」の中で、高裁による無理筋の解散決定は「令和の宗教弾圧」であり、世界の民主主義国家から厳しい非難に晒されていると指摘したが、文字通り戦後最大の宗教弾圧である。
日本の宗教弾圧の歴史には、豊臣秀吉と江戸幕府によるキリシタン禁教の弾圧の他、戦前の内務省・国家神道による大本教、創価教育学会、ひとのみち教団(PL教団の全身)、天理本道、ホーリネス系教団、灯台社(ものみの塔)などの弾圧がある。これら日本の宗教弾圧の歴史の中でも、宗教法人を解散させられた「大本弾圧事件」と「ホーリネス弾圧事件」は典型的なケースで、いずれも激しい弾圧を受け、解散させられたが、戦後、不死鳥のように甦った。
大本教の聖師出口王仁三郎は、「余は、世間から誤解を受けることが必ずしも不利益であると思って居ない。かかる誤解から轟々たる非難の声が起って騒ぎ立てる世の中をジット眺め、静かにその行末を見守ることもまた面白いではないか」(機関誌『神聖』1935年9月号)と豪快に述べている。王仁三郎は今度の事件は「神様の摂理」だとも語り、こうして大弾圧の中にあっても堂々とし、信仰と教義において一歩も譲らない教主夫婦の姿勢は見上げたものであり、同じ大試練の中にあるUCにとって、よい教訓になる。(参照- 大本弾圧とホーリネス弾圧→ https://x.gd/ez4MP )
【復活への戦い】
ある知人信徒は、「内なる怒りがメラメラと燃えていますが、いつしかこの判断をひっくり返すべく策を練っています。」と筆者にその心情を吐露したが、筆者もまた同感である。キリスト教はローマ帝国迫害時代に「カタコンベ」という地下共同墓地や地下埋葬トンネルで数百年間信仰を守った末、ローマを屈服させ国教となったが、UCは少なくとも10年以内に復活しなければならない。
何故なら、復活を急がなければ、日本はかってバビロニアに国と神殿を破壊され、捕囚の民となったイスラエルの二の舞になりかねないからだ。もはや一宗教団体の解散というだけでは済まされず、日本は永遠に神の祝福を取り上げられ、神が日本から去っていくことを憂慮するからである。即ち、日本と日本国民のためにも、UCは早急に復活しなければならない。ここに、「激しい怒り」と共に、「許せ、愛せ、団結せよ」との文鮮明先生の言葉が身に迫る。
<万事を益とす>
「リンカーンの血がアメリカを清めたように、安倍晋三元首相は日本を再生させるために贖罪の羊となった。」。これがあのテロの日(2022年7月8日)から数日間、筆者の胸深く迫ってきた情感であった。そしてその時、二つの思いが込み上げてきた。即ち、この事件は究極的には「神の霊妙なご計画」の中にあること、そして岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三の岸家三代の霊は、UCが貶められることを決して「良しとはされない」という確かな確信である。そしてこの二つの確信は4年を経た今も筆者の中に息づいている。
パウロの言葉に、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さる」(ロマ書8.28)とある。この一節は、信仰者がいかなる困難や苦難に遭遇したとしても、神がすべての出来事をご自身の良い計画のために用い、最終的に最善の結果へと導いてくださるという「希望」を意味する言葉である。私たちは、人事を尽して、この希望を現実に変えなければならない。ちなみに大本教第二代教主の出口すみ教主(出口王仁三郎の妻)は、大本大弾圧の最中、「これもみな神様のお仕組(ご計画)。かえって大本教の真実が世間に知れてよい」と語ったという。
<逆転の戦略>
筆者は令和7年3月19日の徒然日誌「 解散請求事件の霊的意味」の中で、現下のUCバッシングの逆説的意味、逆転の戦略について3点を指摘したことがある。
第一に、この試練は原理と文鮮明教祖を証すよい機会であることである。また、そうしなければならない。つまり、 当初、UCに安倍殺しの冤罪を着せて、その反社会性を一方的に糾弾する論調で一色だったが、前記したように、次第にUCを擁護する論客が増え、UCの教義である「原理とは何か」、更にUCの教祖である「文鮮明師とは誰か」、といったより本質的な問題に世論の関心が向う趨勢にあるからである。つまり結果的に、多額の広告料無しで、UCの教義と教祖を論議の俎上に乗せて宣伝する機会になっていると言えなくもない。
第二に、この試練は福音(原理)のよい宣教の機会になることである。今、「信教の自由と人権を守る会」が各地で結成され、文科省のUCへの解散請求が如何に信教の自由に違背する暴挙であるか、そしてUC信徒への4300人以上の拉致監禁による強制改宗が、如何に人権を侵害する暴力であるかを訴える集会やデモが行われている。これは「信教の自由」や「人権守護」という括りの中で、保守団体や宗教人を広く渉外し啓蒙できる機会になっている。いわばACLC(米国聖職者指導者会議) を生んだダンベリーの日本版であり、まさしく「形を変えた福音(原理)の宣教」に他ならない。私たちは、この活動を通して、広く国民全体を伝道できるのであり(日本民族総福音化)、こうして神は、かくも素晴らしい宣教のチャンスを与えたもうた。
そして第三に、この試練は、教団と信徒の「新生」の機会である。私たちは、かのイスラエルが、全てを失ったバビロン捕囚から解放され、祭司にして律法学者エズラによって悔い改めに導かれ、民族も個人も生み変えられた歴史を目撃した。イスラエルは新生し、メシアを迎える民族に変貌したのである(参照→ バビロン捕囚解放後の国の再建ー https://x.gd/1Elml )。 このイスラエルの再建は、これからのUCとその信徒の「予型」(雛型)である。ちなみに金沢大学教授の仲正昌樹氏も、ドイツの詩人ヘルダーリンの言葉「危機のあるところに、救いもまた育つ」を引用し、「万一UCが国家から追い出されたら(解散させられたら)、バヒロン捕囚で国を失ったユダヤ人が帰還して国を再建した故事に学べばいい」と指摘している。
即ち、UCとその信徒が直面している大試練を逆手に取れば、a.原理と文鮮明教祖が証される機会であり、b.原理が宣教されるチャンスであり、c.私たちが生まれ変わる契機である。然り、この度の最高裁の理不尽な仕打ちへの最大の異議申し立ては、「福音(原理)の大リバイバルを以て応える」ことである。筆者は、試練の霊的意味をかく解釈した。(参照-統一叩きの霊的意味→ x.gd/ig9AK )
<霊的核として>
それにしても、たかだか数十万人のUCが、良くも悪くも、何故かくもクローズアップされ、朝野を挙げて論議の的になるのだろうか。それはUCが「国家の霊的核」、「霊性革命の旗手」である証左であり、黙示録7章の十四万四千人であるからだ。ちなみに「十四万四千人」とは、神に忠実であり続ける「少数の霊的イスラエルの核・証人共同体」を象徴した数字であり、また「印を押された」とは、偶像崇拝や世俗に汚されていない純粋な信仰を保っている者である。
原理によると、「再臨主が降臨されたとき、最初に信じ侍って、すべての人間に先立って原罪を脱ぎ、創造目的を完成した人たちが『復帰摂理路程の全体的な、また世界的な蕩減条件を立てる聖業に協助する人々』である」(原理講論P224)ということになる。つまり、「十四万四千人」とは、再臨主が降臨されて、全体摂理遂行のために立てられ「再臨主を証しする聖業に同参する信徒の象徴的な数」である。(参照-UCが何故クローズアップされるか→ https://x.gd/LoYiH )
そして出エジプトのイスラエルも、アメリカの建国の父祖も、霊的核はいつも「少数派」であり「受難者」だった。
実はモーセに率いられた出エジプトのヤコブの子孫は、数千人の少数派だったと言われている(月本昭男著『物語としての旧約聖書』NHK出版P120)。この少数の出エジプトの体験の記憶が、やがてイスラエル民族全体の記憶、建国神話として共有されるのである。即ち出エジプトした少数の人々はイスラエル民族・国家の霊的な核となった。
また、1620年、アメリカの建国の父祖たち、即ち信仰の自由を求めメイフラワー号に乗ってイギリスから太平洋を渡ったピューリタンは、乗組員をあわせてたかだか102名だった。その後、1630年には1100人が、ジョン・ウィンスロップに率いられてアメリカに渡り、1620年から1630年代までの間に2万人を超える移民がイギリスから移住してきた。これらの人々はWASPと呼ばれるアメリカの霊的核を形成したのである。(参照 アメリカのピューリタン→ https://x.gd/YCNk2 )
アメリカ建国の祖父たちは、民族神話や王朝神話こそ作らなかったが、代わりに作ったのは、独立宣言(1776年)であり、合衆国憲法(1787年)であり、権利章典(1791年)であった。
<UCは何故叩かれるのか>
では統一は何故これほど叩かれるのだろうか。第一は「左翼という黒幕」がいることであり、これを思想的に見れば、「有神論と無神論の戦い」ということになる。第二に「一神教と多神教の相克」であり、言葉を変えれば世俗的ヒューマニズムとの葛藤である。そして第三は、UCを潰す目的を持つ専属の左翼弁護士集団「全国弁連」の存在であり、これは他の宗教には見られないUCだけにある特別な事情と言える。
更に上記3点の他に、背後にある最も根本的な要因として、神の救援歴史における日本UCの「摂理的重要性」がある。聖書並びに原理講論は、人類歴史を「神とサタンの闘争史」、即ち、神の支配(国)と悪魔の支配(国)の相克と見ており、UCという神の国への最終的摂理を担う宗教の存在を、断固認めることができない「悪の霊的勢力」が存在するというのである。
とりわけ日本UCは、神の国への重要な鍵を握る教団(母国)であり、この安倍事件を最大限利用し、サタンとその手先(マダイ25.41)である堕天使や悪霊が、教団を潰しにかかっている。そしてこれが、激しい教団叩きの、最も根源的な理由である。パウロはエペソ書の中で「わたしたちの戦いは、血肉に対するものではなく、もろもろの支配と、権威と、やみの世の主権者、また天上にいる悪の霊に対する戦いである」(エペソ6.12)と述べている。
<後継教団への希望とリバイバル>
さて、「災い転じて福となす」との言葉があるが、最高裁の最終決定で、良くも悪くも宗教法人旧統一教会は消滅し、過去は全て葬られ、讒訴の無い無垢の体で後継教団が再出発できる機会を与えられたと言えなくもない。その意味で、解散は一つの通過点に過ぎず、後継教団はまさに十字架から復活した甦りの教団である。この新しい後継教団の在り方については、後日、機会を見て論じることにする。
文鮮明先生は、「神のみ業は、常に衝撃的、革命的な逆転の業である」と言われ、原理講論593ページには次のようにある。
「神の作戦は、いつも攻撃を受ける立場で勝利を獲得する。それゆえに、歴史路程において数多くの預言者や善人たちが犠牲にされ、またひとり子であられるイエスまでも十字架につけられたのであるが、結果的には、勝利は常に天の側に帰せられてきた」
(P593)
教父テルトゥリアヌスが「殉教の血は福音の種子である」と告白したように、信仰は迫害の度に強固になる。これが信仰の本質であり、豊かになって滅んだ宗教はあっても迫害を受けて滅んだ宗教はない。私たちはこの理不尽極まる最高裁(国家)の仕打ちに、激しい義憤と共に、かってない団結と「福音のリバイバル」をもって応えようではないか。そしてその際のキーワードは、「神の言葉」、「信徒の交わり」、そして「家の教会」である。(参照-かけがえのない二つの宝→ https://x.gd/2qNxX )
以上、「決定版-最高裁、戦後最悪の汚点ー十字架からの復活を期す」と題して、最高裁決定の問題点を総括し、解散に直面する私たちの姿勢と今後の在り方について筆者の見解を述べた。
「主よ、奮い立って下さい。なぜ、眠っておられるのですか。目覚めて下さい。立ち上がって、我らを贖い、あなたの慈しみを表して下さい」(詩篇44.24~27) (了)
牧師・宣教師 吉田宏



